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最近、今まで以上に同僚と話すようになった。今まで特定の人としか話さなかったが、私の心が開いてきたせいか、いろんな人が心を開いてくれるようになった。そこでわかったこと、闘病をしながら仕事をしているのは私だけではなかったこと。みんな何か病気を抱えながら仕事をしていた。ある人はその持病が悪化し、正職員からパートに変わった。看護婦、夜勤は避けられず、病気を抱えている人間にはきつい仕事である。私もパートに変わろうか考えている1つの理由は夜勤がきついからである。昨日の夜勤の相方は胃潰瘍を繰り返している人であった。原因はいつもストレス性。今回も先日の病棟内の事故がストレスとなって再発してしまったとのこと。あの事故でストレスを受けていたのは私だけじゃなかったことを知り、少し安心も下。夜勤中、何度もトイレに通い、お腹を抱えている同僚を見て、自分だけが苦しんでいるなんて思ってはいけないと思った。事故以来、うつがひどくなり、不眠が続いていたが、もう少し頑張らなきゃと思えるようになった。でも、身体的な病気はみんなが見ても苦しそうに見えるので、理解してもらいやすくていいな、なんてやきもちも少しあった。うつがひどくても、大丈夫?と声をかけてもらえることは少ない。自分から症状を言わない限り理解してもらえず、なんだか悲しい。また、精神的な病気にはまだ偏見が多かれ少なかれある。これが胃潰瘍なら堂々と言えるのになと少し思った。最近パートに変わった同僚も喘息であり、理解はされやすい。精神科で働いていながら、精神科への偏見を感じているのは私だけでしょうか。いまだに私は怖くて今の上司にはうつ病であることは言えていない。何かあってからでもいい気がするが、それでは遅い気もする。普通に扱って欲しい。でも、気使ってもほしい。贅沢かもしれない。でも、それがないと、きつくて仕事は続かないと思う。今日、なんだかふとした時に左腕の無数の傷跡を眺めていた。毎日自分で自分を傷つけたあの時、私は精一杯生きていたな。頑張ったね自分。あれから2年たったのに全く消えない傷跡にあの頃の心の苦しみがあり、自分が愛おしくなった。頑張らなくていいよ。今のままでいいよ。ふと思った。消せない傷跡は今は生きる希望を与えてくれる。これを見るとなぜか自分に優しくなれるんです。
2005年04月29日
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最近、調子が悪いです。心身ともに弱っています。理由ははっきりと分かっているだけにつらいです。先日、うちの病棟で死亡事故が発生しました。朝、出勤と同時に事故は起こり、あらゆることをしましたが、昼にその方は亡くなりました。警察は入るは、観察医は入るは。1日で1か月分くらい動きました。体力を消耗したのと同時に、すごく心苦しいものがありました。人間の生き死にを何度も見てきた私でも、事故死は初めてでした。しかもこともあろうか、病棟内で。とにかくショックで、すさまじく自分を責めました。もっと、早く発見していれば、もっと違うやり方なら、もっと・・・。いろいろと考えがめぐる。あらゆることはした。でも、救えなかった命。悔しくて、悲しくて、やるせなくて。自分を責めた。一緒に関わったスタッフも同じ気持ちでいた。なんだか毎日が暗い。「やれることはすべてやったよね。しょうがない出来事だったんだよね。」そう言ったスタッフがいた。皆が心を痛めていたことは見ていて分かる。でも、私だけ置いていかれているように思う。普通の人間でも大きなショックであった出来事。うつ病の私には抱えきれないほどのショックであった。しかも病棟の業務との並行で、はじめから最後まで関わっていたのは私と師長だけ。幸い、私を気使い看護部長が終始関わってくれた。1日かけて事件発生から死、出棺までやった。その間、病棟の重傷者の点滴を打ったり、業務もこなした。1日が忙しく、食べることも飲むことも忘れていた。手を消毒し、まくって次の日には治りかけていた手あれがみごとに再発していた。今も痛い。時には血を流しながら仕事をしている。あまりのショックと疲労でその日は帰宅しても動けなかった。自責の念が、頭をぐるぐる回る。死を見たショックよりも、救えなかった自責が私を苦しめた。そもそも、その自責は通常の範囲を超えていた。私の生育暦にも関係があった。子供の頃、自分では解決できない大きなストレスは自責で片付けていた。原因を考えずにとにかく自責で。原因を考え、解決していく余裕が自分にはなかった。毎日起こる虐待。その都度考える余裕はなかった。自責で片付けるのは簡単だった。他に考えなくて良かったから。でも、自分が苦しいだけで、何も生まれなかった。とにかく自分をいじめるだけだった。もっと自分に優しくならなければならない。それは過ちをはぐらかすのではなく、原因と向き合い、正そうとする正常な方法を身につけること。それが自分への優しさ。そして、あの忙しい1日にも愛があったことに目を向けなければならない。現実と向き合わなければならない。起きてしまった現実は受け止めなければならない。今、私はこの自責を正常な形で取り去らなければならない。それはきっと神から与えられた試練だから。あの時、ずっと関わってくれた部長さんの愛を大切にしなければならない。亡くなったかたへの1番の償いは、私が働き続け、二度と同じ過ちを犯さぬよう言い伝え、気に掛け、実践していくことかもしれない。あの日関わってくださったすべての人への感謝をこめて、私は働き続けたいと思った。そして、亡くなった方のためにも私は生き続けなければならない。あんなにショックなことはあったけど、不思議と今、自殺願望はない。たぶん、この先もないと思う。生きることが私の一生掛けての償いだと今思っている。命ははかない。だからこそ命はきれいで愛おしいものなんだと思う。
2005年04月27日
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最近、体調がいまひとつです 特に指の調子が良くないです また皮むけが始まりました 痛いです 一時すごい良くなったのに残念です(-_-メ) 最近、自分で勝手に薬を調節してしまっているせいか、副作用が出てきました 今、涙出るほど気持ち悪いです あさって受診日なので耐えますが結構きつい ここ一ヵ月で2キロは痩せたと思います これは副作用以外に考えようがありません 太ったり痩せたり、私の体は大変だ
2005年04月25日
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昨日、以前の職場の同僚と会ってきた。同僚と言っても私の母親くらいの年齢の人なんですが。話をしていて、自分の仕事へのウェイトが話題になった。彼女は習い事をしていて、そこへのウェイトが仕事と同じくらいにあるから、仕事を負担とは思っていないとのことだった。習い事のためには仕事は必要。でも、仕事がなくなっても生きがいはある。という結論だった。というのは、彼女は今、長い休職をもらって休んでいる。骨折をしているのでやれることに限りはあるが、時間は有意義に使えているらしい。仕事がなくなって、はじめは家事をしたり、やりたいことがたまっていたので、それを消化したりして時間をつぶせたが、時期にやることがなくなって、自分の生きがいは仕事だったことに気付いたらしい。でも、よく考えたら、以前からのその習い事も生きがいになるような気がして、それから心が休まったらしい。私がもし仕事を辞めたら、同じ現象が起こるだろうと言っていた。私の場合、生きがいと言えるものが確かにない。今の私にとって、仕事は生きがいになっている。きっと、生きるために必要なかなりのウェイトをしめている。それを手放すのは確かに無理である。「何かやりたいことはないの?」そう言われて、いくつかは上がってきた。でも、それを生きがいにできるかと聞かれると首が横に折れてしまう。「やりたいことを我慢しないでやってみたら?そしたら仕事の形態も変わってくるよ。」確かに。「看護婦、オンオフがしっかりできる人ほど仕事が続くの。長年見てきて分かった。」確かに。私はオフの時も頭は半オン状態。全く忘れられる時ってダイビングの時くらい。でも、ダイビングは休みのたびにできるほど環境も経済的にも整っていない。いっそ海の近くにでも家を買えばできるだろうけど、それは現実的に難しい。あ、でも、ガイドのライセンスでも取れば毎週でも行けるか。。。発見!!!将来のためにここらでライセンス取るか。いいかも。へたな習い事するより、いいかも。昨日はなんか私の生きがいって。。。って頭の中を堂々巡りしていて、ないないって焦ってました。そして、これでは仕事辞められないな、と落ち込んでました。なんか、今これを書いていてパーっと何かが開けたように思います。やりたいことって、いくら考えてもダイビング以外思い浮かばないんだもん。でも、そこにそんなにウェイトを置いていないから環境も経済的にも整える気になっていなかっただけかもしれない。私がいつも仕事がきつくなるとうつに入る理由、1つは彼女の言っていたオンオフができないからでしょう。何かあるとひきずり、ずっとオンのままでいて。きっと、それに気がつかないと、パートになっても同じことの繰り返しになるでしょう。仕事を辞めて、物理的にオフの状態を作りたかったのでしょう。確かに今の私にはオフは必要でしょう。でも、今後のことを考えると、物理的にオフを作ることよりも、自分の気持ちの上でそれができるようにならないと、家事、今後もし子供ができたら子育てだって、乗り切れないでしょう。今になって昨日、彼女の言いたかったことが分かった。これをするとオフになれる。そういった生きがいを1つ持っていれば人生はより楽しくなる。生きがいって老人の考えることだと今まで馬鹿にしていたけど、今から考えるべきことかもしれない。定年になって探すのでは遅いのかもしれない。仕事が生きがいでは人生80年の時代、生きていけない。私が仕事にこだわる理由がやっと分かった。昨日も「あやのさん、仕事がかなりのウェイト占めてるね。」と言われたが、自覚がなかったので驚いた。でも、当たっていた。しきりに退職を考えていたけど、勢いで辞めなくてよかった。生きがいをなくすところだった。苦しくても、きつくても、今の私の生きがいになっていることは今なら認められる。生きがいのリセットをしよう。気持ちを整理しよう。何が大切で、何を切り捨てていいか。何が今やりたいのか、自分に素直になろう。そしたら自然と仕事へのウェイトは少なくなるかもしれない。なんかそれ考えたら少し楽になった。自分の苦しみの根本にたどり着いたような気がする。節約してお金ためよう。そして、ダイビングのスキルアップにお金つぎ込もう。好きなものにお金を使い、好きなことをすればいいんだ。そこまで考えられるようになったってことは、だいぶ正気に戻ったかな。最近仕事が楽なんです。そんなにのめりこまないようにしようと思っているので、いい(良い)加減に手を抜いているんです。何を言われようと、仕事はお金のため以外の何者でもないことが最近分かったので。看護を生きがいにするほど私は看護を愛していないことにも気がつきました。看護を生きがいにするような人は定年しても講演やったり、ボランティアやったり。私はそこまでにはなれない。いや、ならなくていいんだと割り切れたんです。だから看護研究も無責任ですが放棄しました。周りに文句言われながらもやり通すほどの情熱はありませんでした。それに気がついたらなんか楽で。きっと今までは看護を生涯の生きがいにいようとしていたんです。でもできなくて、うまくいかなくて、もがいて。私の生きがいにはならないことが分かって良かったです。看護は嫌いではありません。好きですよ。でも、生きがいにするほど好きではありません。それに気がつけてよかった。少しは回復の道たどってるかな。
2005年04月16日
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つうか、辞めたいことも言い出せずに半月が過ぎようとしています。タイミングがないのと、そこまで自分の意思が固まってないんです。このまま辞めていいのか、今やっている委員会や係、誰がやるんだろう。正看護婦が少ない病院、果たして辞めさせてくれるだろうか。同僚は辞めるまで3ヶ月待たされていたし。いろいろ考えて前に進めない自分がいます。社会からいったん抜けることへの不安。でも、そこにい続ける負担。天秤にかけては毎日悩んでいます。前よりは仕事のペースはつかんできたし、一見波に乗ってるかのように見えるんです。でも、心はしんどいんです。でも、動いてしまう体が憎らしくて。今日も委員会で年間計画などを説明され、7月まではいなきゃいけないかな、なんて考えていました。教育委員は基本的には年間通して仕事はあるんですけど、私の担当する研修は7月くらいにすべてが終わるんです。委員会の中でも2人1組になって研修を担当していくんですが、私が辞めたら、相方は1人でやらなければいけなくなる。迷惑かける。他にも今辞めたら、という責任ある仕事がいくつかある。そんな責任、くっつくまえに辞めればよかったのに。本当に思う。3年前までは仕事を3ヶ月交代くらいで辞めては就職を繰り返していた。責任のある仕事はなかったから辞めやすかった。病気も今よりもずっと重かった。最後は看護婦を辞めて、普通にすし屋でパートをやっていた。そこのすし屋の店長さんに、看護婦の免許がもったいないな。と言われて、今の病院に就職した。当時はこんなにも長く続くとは思ってなかったし、結婚してまで仕事を続けると思ってなかった。今になって結婚退職でもしておけばよかったと本気で思っている。今後悔したってしょうがないんだけどね。今日は私にいつもつかかってくる患者さんにまた小さなことで罵声を浴びさせられた。いつもそれを受けることが仕事だと思っていたので、反論しなかったけど、今日はあまりにもむかついて、大きな声で反論してみた。そしたら帰り際、「あの時はすみませんでした。」と初めてその患者さんに謝られた。彼の中で何かが変わったのだろうけど、私の中でも何かが動いた。精神看護は患者さんの奇声を聞いて、罵声は浴びて。それを耐えてするものだと思っていた。でも、間違っていることは伝えるべきで、時には私も感情的になってもいいのかもと思った。耐えるだけが看護じゃない。教えることも立派な看護かもしれない。たまっていた何かが流れ出す感じがした。で、余談ですが。先日、皮膚科に行ってきたら私の手荒れはただの手荒れではないみたいです。放置するとひどいことになるらしく、ステロイド剤をもらいました。そして、パソコンや水仕事を避けるように言われました。無理でしょ。原因は今検査中ですが、どうやら仕事みたいです。消毒薬のアレルギーか、何かの感染か。昨日までは指先が真っ赤になっていて、携帯触るのも、本のページをめくることも痛くてできなかったんですが、薬が良く効いて、今はこうしてパソコンいじってます。ちょっと痛いですが。指先の皮が2枚くらい一気にむけて、すべての指が真っ赤に腫れてるんです。いっこうに皮はまだむけます。しばらくはこの指と相談しながらここに来ます。やっぱり仕事辞めたほうがいいね。。。
2005年04月14日
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今日は受診日だった。疲れた。調子がもともと悪かったので、行きたくなかったが、その気持ちが出たのか、発作が止まらなかった。診察前に待合室で発作を起こして、ソファにぐったり寝てた。ただ単に寝てるだけだと思われたのか、放置された。普通に診察に呼ばれ、主治医に「今日は調子悪そうだね。そろそろ薬いじりたかったけど、 今日はやめとこう。気をつけて帰ってね。」診察終了。私、仕事辞めたい。それだけ吐き捨てて帰るつもりが、吐き捨てた瞬間、呼び止められた。「辞めていいよ。今のままだと責任重いんでしょ。 あなたにはパートか外来くらいがいいんだよ。 完璧に仕事こなすから、責任ある仕事が回ってくるんでしょ。 適当にやりなさい。」などなど、言ってくれました。そう、仕事となると完璧にやりたくなってしまって。やってしまうと、また仕事が来る。任せられる人間になったことはいいことなんだけど、きついんです。委員会なんてやりたくないです。看護助手さんの研修担当になって、私から教育できることはありません。って感じです。教育学部にはいましたけど、中退したし、自分より年上なかたに教育。できませんよ。診察終わって、会計終わって帰ろうと思ったけど、体に力入らず、入り口で1回止まってさあ行こう、って歩いた瞬間ふらっときた。クリニック出てすぐ倒れこんだ。受付の人がその瞬間を見ていたのか駆けつけてくれた。クリニックのベッドに強制的に寝かされた。看護婦さん、なぜか紙袋持ってきた。過呼吸には昔は紙袋使ってましたけど、今は使わないんです。低酸素脳症になるんです。おばさん(看護婦さん)知らないんですね。激しくその紙袋は拒否しました。30分くらい寝かせてもらって、いくらか復活してふらふら帰った。発作って結構な労力使うんですよね。帰ってきてぐったり。また何もやらない休日になってしまった。主婦失格だ。仕事は、主任の襲撃が最近私に向かず、主任の相方に向いている。たぶん、かばいすぎて自分の立場があやうくなってきたからでしょう。仲間割れ。馬鹿な人々だ。でも、見ていて楽しいのは私だけでしょうか。
2005年04月11日
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結局、いろいろ考えた結果今の病棟、今の病院にとどまることにしました。どこに行っても同じかなぁと。襲撃も聞き流すことにしました。長いものには巻かれろですね。今日、実家で愚痴ってきました。父以外、みんな医療職の我が家は病院ねたはいい笑い話になるんです。襲撃してきた主任も、大人気ない馬鹿主任と言う名になり、みなの笑いものに。仕事のできない、遅刻魔のおばさんもいいねたに。母は介護士、妹は薬剤師、弟は透析技師(今は学生)それぞれから見た看護婦の姿を聞いては笑いました。妹の愚痴もうちの職場の薬剤師が言っているみたいで、陰でそう思われているのかな。なんて楽しくって。互いの裏話は実家ではいいねたなんです。いい愚痴の掃き溜め所がこんな近くにあったとは。今日はそんなこんなで楽しかった。内容は法に触れそうなのでここでは話せないくらい、過激です。ここだけの話ですよ。私は先日、転倒した患者のレントゲンをすぐに撮らず、結局その患者さんの歩行困難でレントゲンを1週間後に撮ったんです。で、結果は骨盤骨折。すごいショックでしたね。医療事故ですよ。私1人の責任ではないにしろ、いつもふらふらした歩きだし、いろんなところ痛いと訴えるうるさい患者だったし。今回も何もないんでしょ。なんて放置してたら骨折。いやー罪悪感ですよ。でも、その話したら、母は私、1人殺したよ。ってあんた??掃除してたら人工呼吸器のコンセント抜けちゃって、すぐにつけたけど、遅かった。でも、家族もすごかった。その行為に感謝したんですと。医療費かかるし、終わりなき延命処置に気が滅入っていたところなんですって。医療事故とは隠しましたが、そんなことはどこでも起こっているんですよ。変な勇気もらいました。医療系一家って怖いは。これから臨床に出る弟は唖然として聞いてました。罪悪感につぶされていたらこれからやっていけないし。どこに行ってもこの問題とはぶつかるし。なんだか今日は実家で愚痴って笑って、ふっきれました。人間関係はきついけど、どこに行っても同じ。がんばるしかないか。楽しいこともいっぱいあるし。先日、20年の入院をへて、グループホームに退院した患者さんがいます。後になって20年分のカルテが出てきて、事務に「先日退院した●●さんの20年分のカルテです。」と持っていったら事務の人みんな唖然としてました。そして「社会復帰って大変だね。20年。」と笑い出す人もいました。そう、20年精神科に閉じ込められていた患者さんも今の時代、退院させるんです。あの患者さんはいろいろ大変でしたが、よくやったと胸張って言えるケースです。事務の人の反応が面白くて、うれしくて、また頑張ろうと思いました。
2005年04月08日
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最近、家事が全くできない。ご飯は毎日お惣菜になってしまう。今日も惣菜の調達だけは行って来た。仕事に復帰して、なんとか着いて行こうと無理していた。上司が変わってやり方がだいぶ変わった。人事異動で人員が1人減ってしまった。来るはずの新人は国家試験に落ちたため、来なくなった。毎日が忙しい。今まで静かにしていた主任が私に毎日のように襲撃を仕掛けてくる。反論する元気はなく、ただ耐えることしかできない。苦しい。昨日、看護学校時代の友人kからメールが入った。「Eさんから高い健康茶買った?」Eは私の親友でつい先日までマルチ商法もどきのビジネスにはまっていた。高額な健康茶を売っていた。私も勧められ、試供品だけはもらったことがある。でも、味がまさに麦茶で、たいして魅力はなく、その値段に驚いて断った。Kも勧められたらしい。で、私は買ってないけど、Kは買ったの?と聞いたところ思わぬ答えが来た。「え、あやのさん買わなかったんだ。私も買ってないけど、Eはあやのさんは買ってくれた。いいって言ってくれたって、しきりに勧めてきたよ。」と。いつのまにか私が買ったことになっていて、それを文句に何人もに勧めていたらしい。鳥肌が立った。彼女が私が思っている以上にいろんな人に電話をしていたこともそこで知り、自分が教えた友人もすべて被害者になっていることを知り、頭が痛くなった。Eは最近、そのビジネスから足を洗った。なにくわぬ笑顔で私にしきりにまた会おうという。それは私への償いのように。Kから聞いて驚いた。そして、悲しくなった。彼女を信じていたし、親友だと思っていたし。でも、私はビジネスに利用されていた。絶望した。1時間くらい泣いた。すごく悲しかった。Eとも電話で話した。ひら誤りされた。そして、大切な親友だから失いたくない。と言われた。でも、私は即答できなかった。彼女をもう信じられなくなっていた。悪気がなかったにしても、やったことのそのひどさは許せなかった。時間が欲しいと私は言った。当分は気持ちの整理がつかないと思う。仕事だけでもしんどくて、退職を本気で考えていた私にとって、彼女の行動を受け入れる余裕はなかった。今日はショックで体が動かず、仕事を休んだ。1日寝ていた。でも、夜勤は行かなければいけない。しんどい。明日、帰りに部長に会ってくる。退職願いでも出してくる予定です。
2005年04月07日
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職場でいろいろあり、同時期に信頼していた友人に裏切られました。 なんか悪循環の回転木馬にはまったみたいで今すごく苦しいです。 死にたい。本当は。 でも現実的に考えると、まずは仕事辞めたい。 そして入院でもしたい気分です。まじで。 そのくらい落ち込んでます。仕事しんどいかも。
2005年04月06日
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