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男は単純か?不可解か?


それ自体は、よく言われる言葉なので、気になりませんが、それとは別に「男は単純だ」という意見も多く聞きます。

はたして「不可解」なのか「単純」なのか、考えていると仕事の締め切りを忘れてしまったので、またこんな文章を書いてしまいました。


―男の理想の男についての考察を交えて―


昔から多くの人に言われているように、女性は不可解です。
女性は「男は単純だ」と高言して男を軽視し、自分たちは、不可解であるのをいいことに、好きな事をし放題です。
しかし男は、女性が考えるほど単純ではありません。


映画館で『COLLATERAL』を見た帰りに、黒澤明監督の『椿三十郎』のDVDを借りてきて見ながら、男の理想的(というより夢想的)ヒーローについて考えてみました。


男は、ハードボイルドなアクションや黒澤監督の浪人者、やくざ映画、昔の西部劇などを好みますが、これらには男の求める理想が明瞭に描かれています。
それにしても何故、これが理想なのでしょうか。
実際に目の前にいたとしても、現実には、普通の女性は見向きもしない最底辺の男の姿のはずです。

これらの主人公は、身元も、経歴も、何を考えているのかも、はっきりしません。
そもそも、出身地、出身校、キャリアなどが、ものをいうのとは違う世界に生きているようでないと理想の男とは言えません。

主人公は大抵くたびれた中年で、家庭も持たず、身寄りも無く、持ち家もない。
友人もいない。
いかなる組織にも属しません。
孤独で、貧乏です。

服装は、着の身着のままで、ダンディズムとは異質な価値で生きています。
人から、どう見られようと意に介しません。
粗食に甘んじ、グルメでもワイン通でもありません。
粗野で品が無く、不潔ですらあります。

ハードボイルドの場合、主人公はしばしばアル中で、タバコが止められず、探偵事務所を開いていても、ほとんどスラム同然の場所です。
最下層の生活と言っていいでしょう。

恵まれないのは人間関係と物質面だけではありません。

どんなに貧しくても、楽しく暮らすということも有り得るはずですが、主人公たちは、心の傷を負ったりしていて、面白おかしく暮らしているということはまずありません。
人生に疲れ、鬱々として楽しまない毎日を送っています。

女性には、こういう生活を夢想する男の心理が理解し難いかも知れませんが、男はどこかで、このような生活に憧れ、主人公のようになれたらどんなにいいか、と思っているのです。

もちろん主人公は物語の中で活躍しますが、その結果、主人公の生活は改善されるわけではありません。
むしろ場合によっては、心の傷が深くなるなど、生活はさらに悪化します。
ハッピーエンドで終わる場合でも、主人公自身のハッピーエンドではありません。

多くの場合、物語の結末は、いずことも知れぬ所へ立ち去るというものです。
例えば『椿三十郎』では、椿三十郎はいずこへともなく立ち去りますが、手には荷物らしい荷物も持っていません。
普通に考えれば、雨が降ったらどうするのか、寒くなったらどうするのか、途中で腹が減ってファミレスが開いてなかったらどうするのか、などと心配は尽きませんが、毛布や折り畳み傘などを持っていたら、それこそ許せないでしょう。

こういう物語の主人公が所持してはならないものは多いのです。
とくに許されないのは、折り畳み傘のような姑息な持ち物です。
他に、着替え、ティッシュ、実印、預金通帳、割引回数券、スポーツジムの会員証、スーパーのポイントカード、名刺、携帯電話、鏡、エッチな本などがあります。
これらは、我々が普段、必需品と考えているものですが、理想の男がこれを所持するのは許されません。

一口で言えば、ホームレスであり、さらにダンボールや紙袋すら持っていない状態でなくてはならないのです。
要するに、自分を守る物、自分を飾る物、生活を快適にする物は現金です。(←「厳禁」の変換ミスです)
幸福、希望、安全、確実、終身雇用などは敵です。
もちろん、福祉や老後の安定や健康診断などとも無縁です。
野良犬や一匹狼のような生活が理想なのです。

物語には女性も登場しますが、これは主として主人公の男にふられるためです。
男は追いすがる女(これは美女で、性格も申し分ない、もったいないと思わせる女性でなくてはならない)を振り切って、立ち去る必要があります。
なぜ、振り切らなくてはならないのか明らかではありません。

とにかく「おれはそんなガラじゃない」とか「おれに付いて来ちゃ不幸になるだけだ」といった漠然とした理由によって女を振り切らなければなりません。
「女にはモテるが、相手にしない男」でなくてはならないのです。
この見地からすると、女といちゃつく男ほど、みっともないものはありません。
(別の見地からすると、これほど、うらやましいものはありません)

「どうせ相手にしないのなら、モテなくてもいいだろう。モテるだけ、厄介ではないか」と思われるかも知れませんが、女を振り切るためには、まず女に追いすがってもらわなくてはならないのだから仕方がありません。

安定を嫌うためか、誰かの下に就くことを潔しとしないためか、有利な就職の誘いがあっても「おれの性に合わねえ」と言い捨てて、立ち去らなくてはなりません。
それを見て、会社でリストラを恐れている男が「よし、そうでなくちゃダメだ」と喝采を叫んでいるのです。

こういう主人公にどうして憧れるのか、女性にはとうてい理解できないでしょう。
男である私自身、理解できないのです。
とくに不可解なのは、このような理想を抱いているにしては、現実の男は理想と違いすぎる生活をおくっている点です。

厳しい禁欲的な生活に憧れるくせに、現実には金や女を追いかけ、暖衣飽食の生活を求めています。
一匹狼に憧れているくせに、現実には孤独を恐れ、家族や同僚の顔色を覗っています。
幸福や快適さに目もくれない男に憧れるくせに、現実には、幸福な家庭を夢見て結婚し、マイホームを建て、貯金し、リストラを恐れ、毎日風呂に入り、老後を心配し、病気を恐れ、ダイエットし、スポーツジムに通い、話題のレストランに行き、趣味を持ち、子供に希望をつないでいます。
要するに、現実の男は理想と正反対の生活をしているのです。

女性の場合、いくら不可解だといっても、このような理想と現実のギャップはありません。
女性は、美女がいい男と結ばれる物語を好みますが、現実でも、物語のヒロインのような美しさと若さを求め、いい男と結ばれる事を望んでいます。


この点では女性は単純です。
単純すぎると言ってもいいでしょう。
どうしてこれほど単純でいられるのか、不可解でなりません。





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