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◆「ウソつき」の弁明と検証◆


たしかに間違ったことを言うことは多い。
(このように率直に認めることが嘘つきに出来るでしょうか!)

しかし、嘘とは単に間違いの事ではなく、『何が真実で何が虚偽であるか、承知した上で、意識的に虚偽を真実に見せかけて主張する』という事ですから、私のように真実をはじめから知らない者(なんて正直なんだろう!)は、嘘をついた事には、ならないのです。

例えば今年4月の新入社員歓迎会で私はこう言いました。

「私は、新入社員の方はご存知ないでしょうが、社内では最も優秀な人物とも言われ、クライアントからの信頼の最も厚いコンサルタントとも言われています!」
もちろんこれは嘘ではありません。

現に実際、私によってそのように言われているではないですか。
これほど明らかな真実もめずらしいでしょう。

そのあいさつの中で、
「私は社内の“貴公子”と呼ばれています」
と言ったように聞こえたかも知れませんが、私自身は、
「私は社内の“非常識”と呼ばれています」
と言ったつもりです。
(やや発音が不明瞭だったかも知れませんが、それは嘘とは違います)

“ヒジョーシキ”という発音が、私の容貌に影響されて“キコーシ”と聞こえたとしても、そう聞こえた人を責めるわけにはいかないでしょう。
まして、私が責められるいわれは全くないのです。

さらに、
「わたしはまた社内の良心とも言われています」
とも言ったのですが、これは“社内の恥”と言おうとして、言い間違えたものです。
もちろん、あまりにかけ離れた言葉なら、言い間違いということはありえないでしょう。
例えば『目』と言おうとして『ジャズ歌手シャンソン歌手』と言い間違えることはありえないでしょう。
しかしながら『良心』と『恥』のように発音が酷似している単語を言い間違えた経験なら、誰にでもあるはずです。

言うまでもありませんが、言い間違いは嘘とは全く違うものであります。


何より私は、女性には嘘をついたことがありません。
かつて、ある女性に対して、
「もう、二度とあなた以外の女性を愛することはない!」
と言ったことがありますが、3時間後にトイレの中で、「…と言えば嘘になる」
と言うのを忘れはしなかった。
このように律儀なまでに正直であろうとしているのです。


また先日、ある女性と話をしていて収入が話題になったとき、次のような会話がなされたことがあります。
ある女性「おニィさんの年収ってどれくらいなのぉ?」
正直な私「いえ、たいしたことはありません。昨年は3千万円には届きませんでした」
ある女性「えーっ!」
この会話を私をよく知る人が聞いていたら、ホラふきに思えるかも知れませんが、この会話の中でも私は嘘をついたつもりは毛頭ありません。
正直そのものです。
(例え100万円でも3千万円には届かないのだ)が、これも誤解されたように思います。
(私は不幸にも非常に誤解され易いタイプに生まれついているのです)
私としては、「10億円」とでも言おうと思えば言えたのですが、私の控えめな性格がよく表れているエピソードでありましょう。

控えめだと言われるのなら分かりますが、嘘つきよばわりされるのは心外です。


さらにまた先日のセミナーにおいて、「私は身体が弱いが、それでも人並み以上に仕事をしているとしたら、それは私の努力と実力によるものだ」とスピーチしました。
この場合、単に「人並み以上に仕事をしている」と言ったのであれば、確かに嘘をついたことになるでしょう。
しかし、条件文ならその条件節の中で何を言っても主張した事にはならないのです。
だから「もし私がアカデミー主演男優賞をもらった事があるとしたら、それは私の容貌によるものです」と言ってもなんら嘘ではないのであります。


しかしよく考えてみると、一度も嘘をついたことの無い人などいないでしょう。
だとすれば、「私は正直者だ」と言う人はみな嘘つきです。

逆に、どこの世界の嘘つきが「私は嘘つきだ」と言うでしょうか。
正直者だと言い張るに決まっています。

それゆえ勇気を持ってはっきり言いますが、私は嘘つきです。




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