PR
カレンダー
フリーページ
文章ばかりで中身がない。
最近の教育だけでなく、国のあり方そのものも、そんな感じである。
昔からそうだったのかもしれないけれど、議員さんは自分が当選することしか頭になくて、あとは人任せ。責任を取る段階で初めて事の重大さに気づく。
年金問題もそうだし、ゆとり教育もそう。
最近、私がよく口にする言葉は、「一事が万事」と「言い訳はくせになる」。
そこに物を置きっぱなしにする子は、大人になって駐輪場に自転車を置けない人になるし、タバコをポイ捨てするような大人になる。
それを「大人になったらきちんとやれる」と先延ばしにして言い訳する人間は、大人になってもできない。
今やれることを今やらない人は、将来できる訳がない。
教育基本法 第九条
法律に定める学校の教員は、 自己の崇高な使命を深く自覚し絶えず研究と修養に励み、
その職責の遂行に努めなければならない。
新しくなった教育基本法に「 自己の崇高な使命を深く自覚し絶えず研究と修養に励み、 」とある。今の先生に、「崇高な使命」という感覚で教師をしている人が果たしてどれだけいるのだろう。この法案を可決した国会自体が「崇高な使命」から遠ざかっているというのに、末端の組織である学校が「崇高」であるはずがない。
「美しい国」が「美しい文章」でごまかした、すばらしい法である。一事が万事、「美しさ」でごまかしている。だれが「崇高」になるべきなのか。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
まずは「崇高な国会」を国民全体に「今」「やってみせ」てほしいものである。

これからの日本の教育 2008年01月27日
どこへ行く?日本教育! 2006年06月02日
キーワードサーチ
コメント新着