こっこの足跡

 1995年5月12日(金曜日)
横浜市神奈川区のコシ産婦人科でこの世に生を受ける。
3240グラムの女の赤ちゃんだった。

『さぁ 今日はこの子に逢える日なんだね。。』なんて考えながら
ノンストの機械で赤ちゃんの心音や動きを見ていた
内診になって先生から呼ばれたときにいつ入院するんだろうかとワクワクしていた
でもそれは余計な心配だったとあとから気付いた
『う~ん。。頭がとーーくにいるなぁ』
その意味がわかんないくらいに無知だった
その日の12時まではワクワクとドキドキで陣痛を待っていたんだけど なかなか来ないまま12時が過ぎた
『なんで??今日はこの子に逢えると思っていたのに』

そうneneは予定日には必ず出産できるもんだと思っていた
neneに限って遅れるなんて事はないって思っていた
骨盤にまだ降りてない赤ちゃんは,その日も元気に動き回っていた(本当は動きも静かになるらしい)

どよ~んとした気持ちで布団に入った

予定日が一週間過ぎたとこで先生が入院を勧めた
【管理入院】というらしい 
毎日いろんな処置を試みた…らしい(neneは無知です!)
ひまし油というねっとりした油も飲んだ (ベタベタしていてのみ難かった)
でも促進剤は使わない先生だから痛みがつかない

3日ほどして先生がyunちゃんを呼んでくれという。そこでneneは帝王切開を薦められた
赤ちゃんが骨盤に降りて来れないのは 何かの理由があるはずでまず考えられるのはへその緒が首に巻いている・もしくは短い
旋回するときに赤ちゃんはあごを引くんだけどもしかしたらあごが上向いているんじゃないかとか。。

それでもneneは自然分娩にこだわった。普通に産みたい。。そう思っていた
でもやめた。予定日を過ぎた羊水は日々濁ってくる
そのなかにいる赤ちゃんは苦しくなっていくんだって本に書いてあった
『neneちゃん 最後に今日痛みつけて来なかったら明日帝切しよう。。』
先生が朝の回診で言ったけど うんとは言えなかった
その足でyunちゃんに電話で話した
『nene もういいよ。お前は頑張ったからもうこれ以上は痛みつけなくていい。。
ゆっくりお休み。。俺はどんな形でも赤ちゃんを産んでくれることに感謝してるから
夕方行くから 今日はのんびりしていて欲しいんだ』
『ありがとうyunちゃん』涙で声にならなかった
悪あがきはもうよそう 赤ちゃんはどんな形でも生んだことに違いはないから
8時過ぎから絶食に入った

そしてよく日の夕方 執刀医のK先生がやってきた
何度も妊健で会った事のある先生だった やっぱり先生は初めから自然分娩なんて出来ないってわかっていてつきあってくれていたんだ。。じゃなかったら後半から担当医が代わるはずないもん それも内診だけ。。
ありがとう先生 K先生よろしくお願いします

腰椎麻酔をして横にいるS助産婦さんが手をつないでくれて肩に注射を打った
不思議と気持ちは落ち着いていた
右側に大好きなR先生が手をつないでくれていた(手術中ずっと血圧を測っていた)
そしてその横に院長先生がいてくれた(K先生のサポート)

『neneちゃんあごをあげてあの時計のとこを向いていてね?』
ボーっとしながら見ていた
先生が赤ちゃんの頭をつかんだと言って取り上げた瞬間に見ていたはずの時計は
黒と白のダーツ板のようになってもの凄い速さで回って
その瞬間にneneは力尽きた。
   目が覚めた時にはベットの中。
   こっこに逢えたのはその後2時間後だった

先生の話ではあごが上がっているし へその緒が短かったのと首に3重にも巻いてあったので
苦しくて降りて来れなかったのでしょう…とのことでした。
もしあのまま頑張って自然分娩していたら こっこは脳障害が残ってかもしれなかった
死産もありうることだった
正しい選択 それもneneのわがままを聞ける範囲で聞いてくれて
最後には決めてくれた先生ありがとう

今日もこっこは元気に過ごしています

2ヶ月 突発性発疹になる(あまりに早くになったので気付いてあげれなかった。)
首が据わり始めた。
3ヶ月 両手で物が掴めるようになる。
6790グラム・60,3センチになっていた。
寝返りを始める。
4ヶ月 保健婦さんの家庭訪問で7490グラム・64,3センチ
5ヶ月 便秘になる。果汁⇒マルツエキスを飲ませても出ない。
仕方なく病院へ行き坐薬をしてもらった。
ビックリするほど出始めた。
6ヶ月 ハイハイを始めた…その10日後にはつかまり立ちをして横にズリッて動いてた。



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