1.検査までのいきさつ



2002年12月 頃、『ナゼ子供が必要なのか』と真剣に考え、やっと結論が出た。
子供を作る事に納得し、子作りに前向きな気持ちになれた。
でも『子供を熱望』というまでには至らない。テンションは低かった・・・。

当時私は働いていたので、月に10万以上のお小遣いがあった。
旅行にも行けたし、欲しい洋服は迷わず買えた。
飲みにも誘われるし、チヤホヤもされた。
なので
‘今のうちに、社会と断絶した方がストイックに子作りに臨めるんじゃないか’
‘家にこもれば、心から子供が欲しい~!という気持ちになれるんじゃないか?’
‘それに、もしこのまま働き続けたら・・・子供が出来た時、
 この子がいるから、こんな楽しい生活にサヨナラしなくちゃいけないんだ’
なんて思ってしまうかもしれない。

仕事の方も、いつまでもこの会社にいてもスキルアップ出来ないと感じていたし、
仕事量も減ってきていたので自信を失っていた。

ヨシ、2003年3月末で辞めよう!
収入はなくなるけどストレスのない生活をして子供を迎えいれよう!
と、決めた。

2003.3(32歳の終わり頃)
会社を辞める前、卵巣嚢腫の定期検査でO病院のT先生のところに行った。
「子供はどーするの?手術から6年くらい経つけど、頑張ってるの?頑張ってないの?
 あんまり年いっちゃうと手伝えなくなっちゃうからね!」
とT先生から珍しくプライベートな事を言われた。
「来月から頑張ります!」
と張り切って答えると、T先生は笑ってそのままカルテに記載した。

2003.5(33歳)
ある日、T先生からお手紙が届いた。
『6/30付でO病院を退職し、7/1からは自分の専門である不妊病院で勤務開始します』
との事。『連絡ください』と書いてあったので早速電話した。
すると
「突然でごめんね。そんな訳で不妊の検査をやっといた方がいいと思うから、今度いつ病院に来れる?」
とT先生の頭の中では、私が不妊の検査をしなければならない事と勝手に決まっていた。
私は
‘避妊しなくなってまだ2ヶ月しか経ってないのに、何で不妊の検査を受けなければいけない訳?まだまだ先の話だよ’
とポカーンとしてしまったが、T先生はノリノリ。
言われてみれば、卵巣の件もあるし、筋腫もあるし、自分の生殖機能に自信がなかったので
素直に言われるがまま検査を受けようと思った。

***** 2.不妊検査トライ へ続く *****


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