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先日の体験保育で役所の人間に半ば「入園は無理です」的な事をいわれた。すぐ通園の園長に報告した。園長は「ナニ~ッ!!」とキレ気味に驚いていた。それから数日経ったある日、「その後保育園の話、なにか動きあった?」園を出ようとした私に園長が声を掛けてきた。「いや、2月中旬までなにもありません」すると何やら園長、悪代官のような企み顔で近づいてきた。「方法はあります」と小声で園長。「ウソッ!?ナニナニ?ナンデスカ!?」小声で私。ふむふむ、なるほど。目新しい策ではなく、基本に忠実な方法だった。イエッサー!「これでダメならまた次の手がありますから!」なんとも頼もしいボス。娘の進路で保育園という選択に一時迷いを感じていたがどうも流れが保育園になってきているようだ。これとは別に今年3月まで娘が通っていた通園施設の先生と先日バッタリ会った。以前会った時に「○○保育園を希望している」と話してはいたのだが先日行われたその先生が参加した会議で偶然にもウチが希望している保育園の園長と一緒になったそうだ。その席で親切な先生は、保育園園長に娘の状態や性格など「ゆっくりだけど順調に育っている良い子です」と話して下さり、私の事も「非常にしっかりした考えをお持ちの前向きなお母さんです!」とプッシュしておいてくださったそうだ。本当にありがたくて、「ありがとう」としか言えず、その先生にどう感謝を伝えればいいのかわからなかった。助けられて生きているんだな。と、その日も思った。そんな訳でやっぱり流れは保育園のようだ。心配は尽きないが、入れるなら入れてみてそれで様子を見ながらまた考えるというのでもいいだろう。先日歩いた娘、理解力の深まってきた娘。これでまた新しい刺激を受ければ何かが目覚めるかもしれない。とにかく流れに身を任せてみようと思う。ちなみに先日歩いた娘は翌日も歩き、順調♪と思いきや案の定、中二日立つことさえも拒否し、やっと昨日再び3歩だけあるいた。OK、OK。自分のモノにするにはもう少し時間がかかるんだよね。気長にやろうね!
2007/12/27
娘、いきなり歩き出した!!!それは救急車で運ばれたちょうど一ヵ月後の3歳2ヶ月になる一日前の昨日の夜のこと。入院してから筋肉は衰え、本人はずいぶん自信をなくしていた。一人でたっちも退院してからずっとしなくなっていた。しかしここ2~3日、再び20秒ほどたっちができるようになってきていた。昨日の午前中、たっちをしているときに娘の大好きな麦茶のペットボトルを差し出してみたが受け取りに来る余裕などなく、そこで座り込んでしまった。‘まだまだ先そうだな……’そう思った。夜、またたっちをしていた時に「おいで、おいで!」と、一応声を掛けてみたら自信たっぷりの表情で一歩、二歩、三歩、と歩いてきた!!「スゴーイ!スゴイじゃない!!」こういう時は本人が驚くので騒いではいけないらしいが騒がない訳にはいかない。デカい声で号泣し始めると、娘が怒られているとまた感じ取って泣き始めた。イカン、イカン。こんなに嬉しいのに泣くこともできずひたすら耐えた。幻ではないかと確認のため、再度歩かせてみた。人生2回目の歩行は5~6歩だった。3回目にはリビングの端から端まで。4回目にはリビングを越え和室の端までの6mほど。本人もノリに乗っている感じだったので廊下を歩かせてみた。玄関に向かっている最中、グッドタイミングで夫が帰宅。私が子供を連れて泣いているもんだから夫は驚いたようだ。「歩いたのぉぉぉ~! ちょっとそこで『おいで』って声掛けてみて!」半信半疑の夫が体勢を低くし、娘に声を掛けた。娘は一歩一歩確かめるかのように夫に近づいた。子供は夫に任せ、娘に見られないように和室でウルトラ号泣。リビングに戻ると夫の目も真っ赤になっていた。障害児の育児はなんてすばらしいのだろう。娘だからこそ、ただ「歩ける」という事がこんな夢のような喜びとなったのだ。心からそう喜んでいると、「オレはウナボンと結婚して本当によかったよ。 ウナボンと結婚したから、この子が生まれて、 こんな喜びを感じられるんだから。 幸せだね…… 本当にあたり前のことを幸せに感じられる事は幸せなんだね。」夫の言葉を聞いて更に号泣。今度は娘に見られないように洗面所でゴーゴー泣いた。「バイバーイ」と娘が言った日も泣きに泣いたが今回もかなりの号泣だった。嬉しくて泣けるなんて、ウナボン一家は本当に幸せだ。一時のブームでないことを祈ろう(笑)
2007/12/23
近所の保育園に障害児枠で申し込んだので体験保育を受けることになった。一家は約束の9:30ちょうどに保育園に向かったが園には既に園長をはじめ役所の人間と他の園の園長・副園長と娘のために大勢いらしてくださっていた。まず娘と同じ2歳児クラスに混ざり自由遊び。娘は大好きなクリスマスツリーに興奮し、いつも通りお友達に興味を示すことなく一人気ままに遊んでいた。そして園庭で遊ぶ時間になった。娘も遊んだオモチャを上手に片付けていた。狭い園庭に2歳児~年長まで勢ぞろい。新顔の娘に興味津々の園児。子供に囲まれるのがイヤな娘は必死にヘルプサインを送ってきた。その先ではボールが飛び交っていたり、鬼ごっこ。誰かがいなければトロい娘は生傷が絶えないだろうし大怪我を想像するのに難しくない。関係ないが年長のある女児が「早くおっぱいが大きくなりたい!」と、言っていた。‘おっぱいばかり目立つとただのおっぱい好きしか寄って来ないぞ! 考えを改めろ!’と、コンコンと説教してやりたかったのだが、横に役所の人間がいたのでとりあえずそれは止めた。残念。この冬一番の冷え込みという今日、娘は激しく動けないのであっという間に唇が紫色になってしまった。子供は怖いし、寒いし、娘にとってかなり苦痛な時間だっただろう。給食は美味しそうで安心した。みな上手に食べていたなぁ。今の娘は介助なしでは食べられない。このヘンも問題だ。今の肢体不自由児クラスからいきなり保育園は難しいかなぁ、とよぎった日だった。ま、ここは待機児童の街のため、実際保育園に入るは相当難しいそうだ。来年3月までに娘の発達状況を見極めつつまた別の何かを考えてみるのもいいかもしれない、と思った。
2007/12/19
12/2、嘔吐下痢症の下痢の最中、試験会場へ向かった。‘カラーコーディネーターは塗装業界が力を入れている’というウワサをネットで知ってはいたのだが本当に知っていてもどうしようもない塗装の問題が出て「この資格をとったところで誇れるのだろうか?」と、問題を解いている最中に疑問を感じてしまった。知ったところで、ちょっと古いが「へぇ~」レベルだ。少なくとも試験中に疑問に感じることのないような問題を出題していただきたい。そして『環境色彩』という分野であることを出題者に承知しておいていただきたい。それにしても、どーして試験会場にいる試験官というのは少しエラそうなんだか……。キレ気味ながらも集中して問題を解いていたせいか試験中にトイレに駆け込むような非常事態は起きなかった。さてさて肝心の論文。まず200字以内の配点10点の問題。『クライアントからカラーコーディネーションの仕事を受け その際、ある色をXYZの数値だけで指定してきたが このことから起こり得る色に関する問題点を述べなさい』サッパリです。お手上げです。しかし、2点でも獲らなければなりません。加点対象になるようなキーワードを思いつくだけ盛り込んで180字ほどの文章に仕上げました。思いつきで書いたので、今、その時の内容を全く思い出せません。次、500字以内の配点25点の問題。『あなたが都市公園の園路に設置するサイン、ベンチ、ゴミ箱類 照明灯を対象にした環境色彩計画を検討する上で 最も重要と考える視点とその理由について具体的に述べなさい』これも下痢患者にとって難しい問題です。しかし、ここで点数を稼ぐポイントは多少論点がズレても主張だけはキチンとすることらしいのです。下痢なので論点は確かにズレていたかもしれませんが一応力強い主張だけはしてきました。ウマが合う人なら感動して10点はくれるでしょう。70点が合格ライン。採点者が私の論文に感動してくれれば合格かもしれません。しかし、私としては娘が入院するまでの早朝勉強のみでおまけに当日のコンディションは嘔吐下痢症のなかよく頑張ったと思います。出来ることはやったので後は天に任せます。これで合格したら私、天才かもしれません♪
2007/12/14
やっと今日退院できました。しかし「できました」というより「させました」という表現の方が近い。事の始まりは11/21の娘の腹痛から。その時、娘のお腹はパンパンに張っていた。食べる量に対して出す量は少なめであったが、お通じは毎日2回あったので親は気にしていなかった。レントゲンの結果、相当なガスが溜まっている様子。浣腸するとソフトボール大の便とガスが出た。CTを撮るため鎮静剤と打つと痛みが遠のいたようでいつものハイテンションな娘になった。しかし、その検査で腎臓が腫れているのがみつかった。これが水腎症。腎臓騒動の始まりとなった。ちなみに乳幼児の水腎症はほとんど生まれつきらしい。「生まれつき」という言葉にピンときた私はソトス症候群の遺伝外来でお世話になっているK病院のK先生に電話をした。案の定、数は少ないそうだがソトスの合併症であると教えてくださった。そしてそのK先生、今回の担当医のところまで電話をして情報交換までしてくださった。私は多くの方に支えられているんだなぁと実感した。K先生、本当にありがとうございました。ハイテンションのまま娘と救急車に乗り込み、小児外科のある病院へ。娘は大好きな救急車を満喫。付き添ってくださった先生に笑われる始末。11/21~11/29までの入院生活では浣腸とガス抜きの毎日。入院3日目にはご機嫌になったので水分&食事許可がおり、病院のご飯では足りない様子だった。1歳の入院の時と違うのは『親がいないと不安になる』という感覚が芽生えた事。しかも知的な発達が遅いために『言っても理解できない』という状態。となりのベッドの1歳後半の女の子はお母さんが「ママ、ちょっと看護婦さんとお話してくるから ここで待っててね」と説明すると悲しそうな顔をしながらもおとなしく待っていた。しかし娘に「ちょっとオムツ捨ててくるからね」と言ってベッドを離れると「ウギャー!!」と、まるで今生の別れのような騒ぎ。私が戻るまでの時間、ずっと叫んでいる。これには参った。しかし、更に参った事が病院の怠慢体制。・医師と看護師との情報のやり取りがまるで出来ていない。・担当医から患者の状態やら検査内容等、 こちらから求めないと説明が受けられない。など、医師と看護師の話の食い違いなんて毎日でおかし過ぎる事に、検査結果でさえ医師のスケジュールを前もって患者が確認しておかないと受けられないアリサマ。お陰でムダな心配・神経を遣ってホトホト疲れた。ガスも抜けてきたので11/29から一時帰宅となった。しかし、その前の晩から私が嘔吐下痢症にかかってしまった。これは苦しい。とにかく苦しい。ほとんど眠れなかったが、吐き気は治まったのでとりあえず翌朝娘を迎えに行ったが娘は娘で病院で咳の風邪をうつされていた。12/3・4と12/11・12、病室に戻り腎臓の検査。ラジオアイソトープの検査2回と(腎臓の形状・機能の左右差をみる)下から造影剤を入れて尿の流れをみる検査。結果は右の腎臓が問題アリ。しかし機能がとても悪いという訳ではない。膀胱からの逆流など、下からの逆流はなかった。手術が必要かどうかという事については今後良くなることはないので、まだ3歳だし今、手術して今の状態をキープしておきたいが定期的に検査をして様子見という事もできる状態らしい。担当医は「あとひとつ、外来でも出来る上からの流れをみる 造影剤の検査をして状況を見極めたい」と言っていたが、我が夫婦の意思は既に固まっていた。「手術まで視野に入れなければならないのなら 専門的な病院にみせたいので○○病院へ紹介状をお願いします」夫がやんわり告げ、担当医も快く承諾してくれた。腸に関して娘にはクチをクチャクチャさせ空気を飲む困ったクセが半年ほど前から始まっていたのだがここにきてなぜガスが腸に溜まりやすくなってしまったのか?という答えはもらえなかった。この原因がわかるまで、一日一回の浣腸生活が続くのか。私としては腎臓より腸の膨れの方がよほど気になる。これも来年紹介先の病院に確認してみよう。そんな訳で無事退院できました。来年1月、最後の外来にかかり紹介状をいただきすぐ紹介先の病院へ移る予定です。コメント・メッセージ・メールをくださった空ママちゃん、愛犬poohちゃん、ふじワンダホー、karin2525ちゃん、愛ちんママちゃん、プーさんママちゃんその他心配してくださったみなさま、応援・励まし本当にありがとうございました。来年も引き続き頑張ります。「頑張ります」っていうか、なんとかします。。。病院を移った後の話も書きますね。
2007/12/13
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