うなぎの独り言

初めての留学



ご子息の留学資金全額援助。というような内容。

「こんなんあるみたいやで~」「へ~、でも3人しか受からへんみたいやん」

というような会話をした。

そう、それは別に全員にプレゼント!という企画ではなく(当然か)

ある留学団体の試験を受けて受かった子供の中から更に3人に、という話だったのだ。

”受けるだけ受けてみよかー”という感じで。。。

まさか受かるとは思ってなかった。まじで。

今でも何が合格基準だったのかよくわからない。

覚えてるのは面接で、「もし援助受けられなくても留学しますか?」と聞かれ、
「受けられなかったら行けません」ときっぱり答えた事くらい。あれやったんかな~。

失笑を買った記憶しかないんやけど。

受かってから、親も子供も”えらやっちゃ、えらやっちゃ”と焦りまくった。

まず困ったのが学校。私はその時高校3年だった。

今まで留学した人はいたが、みんな1年か2年の時に留学していた。

当然と言えば当然。うちはかなりの進学校だったので、受験まっさかりの3年の夏から
のん気に留学するやつなんて今までいなかったのだ。

私のために職員会議まで開かれる始末←ある意味問題児。

まぁ、色々ありましたが、結局、3年の夏から休学、次年度3年2学期から復学、
付属の大学に入る優先権は放棄すること、という条件のもとでお許しが出た。

結果私は高校に4年通う事になり、さらに誕生日が5月ということもあり
帰国したときにはすでに19歳。

これで制服着てるんってだまし(詐欺)ちゃうんか、と思いつつ
学校に復帰する訳ですが。まぁそれは先の話。

お世話になった留学団体はかなり規模の大きいもので、渡米前に
合同勉強会のようなものもありました。

なんかおせちについてのスピーチをしたような。。。とてとての英語で。

そこで印象に残ってるのは、留学体験者への質問コーナーで

「私はブラジャーをしない主義なんですが、アメリカではしなくちゃいけませんか」

と聞いた女の子がいたこと←どーでもいいことしか覚えてない。

体験者は「アメリカでは主義があるってのはかっこいいので、しなくてよい」

というような答をしていて”ほんまかいな”と思ったこと←ほんまにどーでもいいことやな。

留学に関する色々なペーパーワークはその団体がまとめてやってくれたので
私達が個人的にしなくてはいけなかったのはパスポートを準備することと
ホストファミリーがどの子を選ぶか決めるときに見る履歴書のようなものを
書く事、くらいだったような。

料理が好き、とか大嘘をこいたような(汗汗)。

ホストファミリーも決まり、2回程手紙交換をし、”純”日本風なおみやげも買い。

ホストファミリーからの手紙はうれしくて何回も読み直してはドキドキしてた。

ホストファミリーは30代の若い夫婦。ミッキーマウスの便せんだったことをよく覚えている。
後でわかることだけど、この2人ディスニーマニアだったのだ。

友達とも1年お別れ、というより、今までの楽しい高校生活を一緒に過ごしてきた
友達とは一緒に卒業できないってのはかなり寂しかった。

だって帰ってきたら誰もいない。

でもこれは一生に一度のチャンスだということもよーくわかっていた。

日本を出る日。たくさんの友達が新幹線の駅まで見送りに来てくれた。

空港に着き、涙を見せる両親に「がんばってくるしな!」と手を振って

寂しい反面、期待もいっぱい一路アメリカへ旅立った。








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