UNIT PROJECT ≪UNI≫

UNIT PROJECT ≪UNI≫

第1回公演



ユニット企画<<UNI>>という名前はこの頃なかった?!

 この頃私たちは何もしていませんでした。
 私(空光)は風弥、おとんとつるんでおり、某ボイスアクターズスクールに通っておりました。だけど私は、とある個人的事情からお芝居がしたくてたまりませんでした。私たちはお芝居がしたいが、する方法、メンバー、そしてスタッフがいなかったのです。
 ところがある日、スタッフはそろっているが『演出』と『役者』がいないので、できる人を探しているという人に会います。それが今もスタッフメンバーのたなべっちなのです。
 私たちはすぐさま飛びつきました。(空光には陰謀もあり)その頃、演出は私でしたが代表は違いました。だから私が集めた役者ではなく、初めて出会う人がほとんどでした。しかも、芝居経験者はほぼなし。時間もないのにかなり厳しい状況・・。
 まだこの頃は私も若かったので、スパルタ演出をしておりました。後にも先にもこんなに厳しいことはなかったと思います。(今は親切演出してると思ってるけど?)私も納得するまで演技をやらせたし、すっごく稽古しました。
 お金もないし、経験もないということで、とにかく安く上げることと、多くのお客様に見ていただきたかったので、『試演会』という形をとりました。


natu-tirasi


 結構自信のあったこの公演、見事に失敗します。
 恥ずかしくてどんなことがあったかはとてもお話できません。
 本当によく芝居を止めなかったな・・、と思うほど屈辱的な公演でした。
 それまで絶対人前で弱音や涙を見せることを恥として、死んでもやるまいと思っていたのに、あまりにも自分のふがいなさと、ついてきてくれたメンバーたちに申し訳なく、はじめは笑って役者を励ましていましたが、みんなの「また芝居をやってみたいよね!」という言葉と「ありがとう」という風弥の言葉に、耐え切れなくなりました。悔しくて悔しくて、何の実力もない自分に腹が立って、思わず「悔しい」と風弥の腕の中で泣いてしまいました。(いまだと風弥ファンに殺されるかも・・)
 それほど屈辱的な傷をみんなに残しました。
 このときのメンバーの残りが今の運営メンバーです。きっちりと計画的に企画をし、分業で仕事を進めるように体制を作り始めたのがこの頃です。
 それにしても、このときの傷は深いらしく、おとんは音楽がかかるととたんに声が大きくなるし、風弥は地明かりがついているときセンターに立つのを嫌うようになりました。その他後遺症多し!
 次に公演できる日を待ちつつ、各劇団でスタッフ面も役者面も磨くことにしました。



© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: