うりぼうず

うりぼうず

国家、宗教


 20年以上前の本だが、これは、名著。ぜひ、子供にも読ませたい(もちろん、今は無理だが)。当たり前に使っている「国語」、「母国語」という問題。「書き言葉」と「話し言葉」の違いなどまさに、「目からうろこ」という言葉がぴったりくる。
 子供のころ、教科書に載っていって、感動したはずの「最後の授業」の虚構。「正しい日本語」といった議論のいかがわしさ。言語間の優劣の問題など、日本とはなにか、国とはなにか、民族とはなにかということを考える上で、欠かせない基本的な事項を学べる。

★ヒムラーとヒトラー~氷のユートピア(谷喬夫、講談社メチエ)
 一般には、鉄の一枚岩のような組織として誤解を受けているナチス・ドイツ。その内部は、あらゆる勢力のごった煮的な要素があり、また国民のご機嫌取りにも精力を費やさなければならない面もあったという。その中で、ある一面では愛嬌のあるゲーリング、宣伝の分野で特異な才能を発揮したゲッペルスなどに比べて、陰の部分だけが肥大化したようなヒムラー。ナチス幹部の中では、一番魅力に欠ける(他の連中を魅力という言葉でくくるのは、どうかと思うが)人間ではないだろうか。
 ある意味では、ヒトラーさえも辟易とさせるようなゲルマン信仰、その裏返しとしての反ユダヤ思想。でも、このタイプの人間、小心者だが、ある場面にでると、黙々とトンデモないことを成し遂げてしまう人物。けっこうどこにでもいる存在なのかも知れない。
 ★精神医学とナチズム(小俣和一郎、講談社現代新書)
 北杜夫の「夜と霧の隅で」でも、語られていたが、ナチズムと精神医学の蜜月。よく、戦争席煮を認めているといわれるドイツでも、別に初耳というわけではないが、戦後も精神障害者の虐殺に関与した学者らが、高い地位を占め続けた状況などが詳しく語られている。そういえばあまり考えたことがなかたが、ユングのナチズムとのつながりにも、詳細にページを割いていた。たしかに、ヒムラーの神秘主義、チベット仏教などへの関心などをみると、当然ユングとのつながりも見えてくる。ついでに、この本ではハイデッガー批判(まあ、これも繰り返し語られてきたことだが)にも、詳しく言及されていた。

 ★「民族と国家~グローバル時代を見据えて」(松本健一、PHP新書)
 松本健一のものを最初に読んだのは、学生時代だったか、朝日ジャーナルに連載していた「ファンダメンタリズム」に関するものだった。当時、原理主義といえば、ホメイニ革命に代表されるイスラムの専売特許のような趣があったが、キリスト教原理主義、江戸時代の国学者から続く日本の原理主義など、幅広い視点から、原理主義を探るものだった。この本も、ヨーロッパと、かつてのアジアの国家観の違い、それに伴う国境線に対する意識などに触れている。また、ナショナルアイデンティティを持つことが困難なシンガポールという国家についての危惧、また、郷土愛とでもいうのだろうか、「パトリ」=ミサイル パトリオットに象徴される、アメリカのパトリオティズムと、本来の「パトリ」の違いなども興味深かった。
 さて、この中できになった点がいくつか。沖縄を民族的にミクロネシアに属するような書き方をしているが、言語的に言えば、明らかに日本語系の琉球語というべきものだろう。もちろん、文化的には、南洋のマレー的な要素を含んでいることは確かだが。

 ★「ユダヤ・エリート~アメリカへ渡った東方ユダヤ人」(鈴木輝二、中公新書)
 アメリカの知識階級におけるユダヤ人の多さは知られているが、こうやって一冊にまとめられると、いかに多いかが実感できる。特に、ユダヤ人と人くくりにされていても、その多くがナチスの迫害による移民で、中東欧諸国が、これらの人材の流出のために失ったものの大きさもわかる。
 また、ユダヤ人に多かった法律家でも、アメリカと大陸の法体系の栄違いから、簡単には法曹家にはなれずに、国際政治学者などの道を歩むものも多かったという。アメリカの歴代国務長官にしめるユダヤ人の多さ(キッシンジャーやオルブライトなど)は、その辺に起因しているのだろう。アメリカの中東政策の問題点がそこにあるのかも知れないが。
 ただ、ユダヤ人の定義とは、いったい何なのか。ワタシの認識では、ユダヤ教徒=ユダヤ人と思っていたが、キリスト教などへ改宗しても、やはりユダヤ人か。現在のイスラエルに住むユダヤ人の中には、エチオピアなどで暮らしていた、黒人のユダヤ人も多くなり、ユダヤ人社会の中での差別も問題になっていると聞くが。

 ★人間イエス(滝沢武人、講談社現代新書)


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