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ワタシは熱しやすく冷めやすいと書いたコトがある。≪10月20日:趣味とめぐりあう≫ まさにアルミニウム並み 若い頃の恋愛においてもワタシはいわゆる 惚れっぽいオンナ 好きなタイプのヒトを見つけると瞳孔が全開になり親しい友人にはすぐにわかったそうだ。 「あのヒト ケセラセラちゃんのタイプでしょう」 そして 好きになったら 即行動 「あなたがスキスキ光線」を相手に浴びせまくる。 しかし めでたくお付き合いができるようになっても相手にちょっとでも嫌なコトがあると 決断も 早い 早い同じ会社にひとつ年上のオトコノコがいた。仲間と一緒に阪神タイガースの応援に行ったときに初対面で意気投合したワタシたち。 そして彼は 大量の光線を浴びてしまった 付き合い始めると彼はワタシを それは それは 大切にしてくれた。同じ会社で同じくらいの給料なのにデートはいつも値段の高そうなレストランだった。雑誌で下調べしてきたと思われる素敵なデートコースで一生懸命ワタシをエスコートしてくれた。 彼とはよほど相性が良かったのか、話していても とっても息が合って、一緒にいるのが楽しかった。 ただ時間とお金にルーズなところがありそのコトだけがちょっと気になっていた。ある日、デートの待ち合わせをしたのだが彼は1時間経っても来なかった。その頃は携帯電話もないので、連絡の取りようがなく何かあったんじゃないかと心配した。 「ごめん 寝てた」 やっと現れた彼のコトバに腹は立たなかった もう決めちゃったからだその日も洒落たレストランに連れて行ってもらいワタシは美味しそうなスパゲティを注文した。 「かしこまりました。」 店員さんが離れて行くのを見てワタシは グラスの水を一口飲みさっきの話の続きでもするようにあっさりと告げた。 「別れよか」 青天のへきれきチョップをかまされた彼 しばらく息もできないように動かなかった やっと「なんでぇ?」という声を発したが ワタシの微動だにしない決意に説得を断念し やがてうな垂れて言った 「せめて・・・ スパゲティ食べてからにしてほしかった。」 さっぱりとしたスパゲティは とても美味しかった人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月30日
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ワタシの父は若い頃からカラダには自信があるヒトだった。空手や柔道といった武道からボクシングまでなんでもこなし、小柄なカラダのどこにそんなにスタミナがあるのというほど疲れを知らないヒトである。そんな父が脳出血で倒れたのは去年の春。 今も左半身に麻痺が残っている人一倍元気な父だっただけにワタシたち家族のショックは大きく、父自身も精神的に弱くなった時期もあった。 しかし 母は強かった持ち前の明るさと献身的な介護で心身ともに父を支えた。 もちろん あのケセラセラ精神で。 ときには 気持ちが先走って無理をする父と 転倒やケガを心配する母喧嘩になるコトも多かったようだが 今日までふたりは文字通り夫婦二人三脚で歩いてきた。 夫婦っていいなぁ ムスメは単身赴任に喜んでるっちゅうに父にとって一番つらかったのはきっと腕に絶対的な自信があった車の運転をあきらめたコトだったと思う。自動車のエンジニアでもあった父は昔、F1で有名な三重県の鈴鹿サーキットで一般客が乗れるゴーカートを母とふたりで乗ったとき、 「あかん これスピード出えへん!」 と言うなり 母にハンドルを握らせ、自分はゴーカートの エンジン部分に手を伸ばして スピードが出るように チョコチョコっと触った とたんに夫婦の乗るゴーカートはコースを ぶっちぎり 係員が慌ててとんできたそうだ。今 父は電動車椅子を「マイカー」と呼びデイサービスを「託児所」ならぬ「託爺所(たくジイしょ)」と名づけ毎日を楽しんで生活している。カラダの方も前向きなリハビリと その運動神経のよさで 驚異的な回復力を見せてくれた。 父のことだから もしかしたら 密かにもくろんでいるかもしれない チョコチョコっと触って 電動車椅子で街をぶっちぎり 人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月29日
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昨夜テレビでIQテストをやっていた。自分が右脳タイプか左脳タイプかを知ることで適職がわかるのだそうだ。こういうのは大好きである。夕食中なのにテーブルとテレビの前を行ったり来たりしながら息子たちと一緒にやってみた。 結果発表してみたりする ワタシは右脳でインプットし左脳でアウトプットする 「右・左型 Aタイプ」だそうだ。 番組のホームページの解説を読んでみた。 【 右・左型のあなたは 】感覚で情報をとらえ論理的に表現します。物事の大局をつかむ能力に秀でています。また言語も論理的で説得力があり、周囲の人々を牽引する能力にも長けています。ヒト志向タイプで人と接することが好きで特に人との関わりの中で自分の能力を発揮して行くことを得意とします。従って あなたに向いている職業は・・・会社経営者、内科医、作家、演出家記者、アナウンサー、金融業、警察官、看護師、営業職、販売員 あるある。 昔のワタシの職業も。今の医療事務員も言ってみれば販売員と看護師に近いモノがある。 へぇ~ ワタシの適職なのか なんだかうれしい さて、肝心のIQというのが スゴイことに。 80点満点のテストで73点だったのだ。 IQ 140 んなあほな 自慢じゃないけど そんなに賢いわけがない なんだ つまんない このテストはあてにならないコトがわかった。そういえば記憶力や判断力などのテスト問題はみんな瞬間的なモノだった。ワタシの脳みそに足りない決定的なもの それは 「持続力」 記憶が持続しないのである 持続さえしてたら 人生違ってたし すぐ忘れるのにIQが高いってどうよ そして この高いIQをまったく信じない自分が 愛おしいくらい不憫人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月28日
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ダンナと別居するコトになった。 ケセラセラ とうとう決断か! 残念ながらそうではないダンナが プチ単身赴任 するのだ。なんで52歳のオジサンにかわいくプチがつくのかと言うと会社の都合でダンナだけが都心のマンションにひとりで暮らすコトになったのだ。会社の都合なので単身赴任扱いなのである。自分のコトではないので勝手に詳しくは書けないが、 とにかくそういうコトになったらしい。週に2日だけ家に帰って来て、その他の日はここから1時間あまりのトコロで寝泊りするそうだ。今のところいつまでという期限はない。 というコトは・・・普段の日は息子たちが帰って来たら深夜帰宅のダンナを待たずに寝られる。シャンプーの途中で「ただいまぁ」と帰って来られ、泡だらけのアタマで焦る必要もない。細木数子にホメられる主婦でいなくていいのだ。 ≪9月10日:おかえりワン!≫ それに地方に単身赴任するのと違って何かあれば1時間ほどで帰って来られるしこちらからも気軽に掃除や洗濯をしに行ってあげられる。つくりおきオカズを作って持たせても傷まない。 つくったらね何年か経ってチロたちが大学生になったらトモダチと都心に遊びに行っても父親のマンションにお泊りできるから終電を気にしなくっていい! そして それはワタシにも言えるコト うふふ ダンナが地方出張のときは トモダチと飲み明かせるし 最高やん!まるでワタシの都合に合わせたようなプチ単身赴任話に超ご機嫌になって今、家電製品だ カーテンだ とウキウキとチラシ広告を集めている最中だ。 車運転できるようになっててヨカッタ! 亭主元気でが現実のモノになる。 ≪9月22日:なめくじ街をゆく≫トモダチに報告すると、 既婚者はみんなおんなじ反応をする。 「それ、いいなぁ~!」淋しくなるねぇと言うモノは誰ひとりいないのだ。 世のご亭主さま方 ま 女房なんてこんなもんです お気の毒人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月27日
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このブログに時々登場するワタシの母は実に楽しいヒトである。 そしてとってもポジティブなヒト。「ケセラセラ」というワタシのHNもこの母の口癖をもらったモノである。 ケセラセラ なるようになる 先のコトなど わからない ♪ ワタシもこのフレーズが大好きである。「先のコトなんてあれこれと悩んでもしょうない。 なるようになるさ ケセラセラでいこう。」 母はいつもコロコロと笑っている。 そしてまわりも笑わせる ある日、母はひとりでテレビを見ていて ふと違う番組を見ようと思ったそうだ。 が しかし手にとったリモコンの調子が悪く 何度押してもチャンネルが変わらない。 「2」 「4」 「6」・・・あれ? 電池切れかなぁ それとも 壊れたのかなぁそれでも母はどのチャンネルかは反応するかもしれないと思ってボタンを押し続けたそうだ。 「8」・・・だめかぁ そして 「10」と押そうとして 「1」と「0」を押したところで 初めてそれがリモコンではないコトに気が付いたそうだ。 電話の子機では 無理 さすがワタシの母である人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月26日
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職場の先輩Iさんが「面白い本買ったのよ、読んでみる?」とワタシに一冊の本を貸してくれた。エッセイストの小川有里さん著書「定年ちいぱっぱ 二人はツライよ」 実にオモシロかった 定年後の夫というのは家庭の細かなコトも地域のコトもよくわからないから妻への依存度が高くなる。妻のほうも頼られるから夫が子どものような存在になる。それでいて夫は態度だけはバリバリ働いていた頃のえらそうなまま。おまけに子どもなら毎日幼稚園や学校へ行ってくれるが趣味も持たない夫は外出もせず家でゴロゴロしている。「夫がどこにも出かけない。うっとうしくてたまらない。」「子どもがやっと自立したのにまた子ども(夫)の世話が始まった。」そんな先輩主婦たちの嘆きを教訓に著者が定年を迎えた夫を「自立」させるために、それまでのお世話係を少しずつ返上し、見えないムチをふるいながらちいちいぱっぱと「夫育て」していく様子が面白おかしく書かれている。 ウチのダンナはどうだろう独身時代のひとり暮らしや単身赴任の経験があるので必要とあらば自分のコトは自分でマメにする方だ。休みの日は何も言わなくてもコーヒーを入れてくれたりする。ふたりでいるときは一緒に映画を観たりもするし別々に行動するときはお互いを干渉しないのでダンナが家にいる日に友人とランチに出掛けると言っても「いいよ。行っておいで。昼は適当に食べとくから。」と自分もパチンコ屋でのんびりと過ごす。 問題ないやん と思うでしょ。 ところが思い悩むコトがひとつ。 会話である 打てば響く会話というものがある。 しかし ダンナとは打てども打てども うんともすんとも どないなってますのトンチンカンな返事が返ってくるのである。ダンナの名誉のために言うが あほなワケではない ちょっとマジメすぎるのであるコトバそのままに受け取ったり、例え話が通じなかったり。ワタシの生き様とも言える「会話の最後にオチ」というのにも関西人のクセにとっても疎い。話を山場に持っていくまでに途中でさえぎるのである。 「だから どうなったん」 「それはこうするべきやったな。」 せやからソコをこの後に ストンと落とすところや 最後まで聞いとかんかい普段の会話に落としワザを入れるワタシもワタシだが。 そしてこの会話のチクハグさに加えてダンナには悪いクセがある。 うなずき過ぎこちらがまだ話しているのに フン フン フンと早く何度もうなずく。 「チョット、聞いてんの?」 キイテルヨ 「もう喋るなってコト?」 ソンナコトナイヨ そしたらそんなにうなずかんといて 「ハイハイ わかりました」と面倒くさそうな返事。 ほら これでまたワタシの機嫌が悪くなる。最近子どもがいない休日が増え、ふたりきりになるコトが多いのでこんなコトがしょっちゅうだ。これじゃあ 定年後いよいよふたりきりになったとき ワタシたち ダイジョウブかなぁ たかが会話 されど会話である ワタシには大きな課題ができた。「定年ちいぱっぱ」のごとくダンナを「育て」なければならない。 「ほーら、ここは笑うトコ。ハズさんといてね。」 「なんでやねんはもっとタメてから。 ハイもう一度。」 「コラ また! うなずき過ぎ!」 ムチをふりふり ちいぱっぱ 人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月25日
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長男チロがコンタクトレンズにしたいと言い出した。今の銀ブチメガネがインテリっぽく見えるのが嫌になったみたいだ。 チロもやっとオシャレに目覚めたか吹奏楽部の部活動の休みは少ないが、昨日ひょっこりオフになったというので街まで出ることにした。 電車で約30分中学生の頃は同じ車両に乗るのも嫌がって目的地が同じなのに道中は別行動をしていた。 けれど最近では隣に座り、いろいろととおしゃべりをしてくれる。ワタシが人とぶつかりそうになったらさっと腕を取って自分の方に引き寄せる。 やさしくなったなぁさて 初めてのコンタクト体験はチロには普段の手入れと瞳のコトを考えてワタシも使っているハードレンズの方を勧めた。店員さんもその方がいいと言うのでさっそく装着してみると 「うっ痛い! うわっ動く! もうダメだ!」 大騒ぎ すぐに慣れるからと言っても、無理だの一点張り。 ぜんぜんダメ 根性なしじゃあソフトレンズは?店員さんに聞いてみる。「今、高校生くらいの若者の9割はソフトレンズです。」 それ はよ言うてよ昔は煮沸消毒というのがあったのでソフトは面倒というイメージがあったが今はそういう手入れはしなくていいそうだ。 時代は変わっていた しかし こちらは装着の時点で問題が発生 とーっても入りにくい 初めてだからという問題ではないようだ だって 目がちっちゃいねんもん二重まぶたでタレ目のワタシと違ってチロは一重まぶたで細い目をしている。友人には今よくテレビで見る俳優の中尾明慶クンにちょいと似ていると言われる。ワタシ的には中学生の頃は金八先生の「兼末健次郎」の風間俊介クンに似ていると思っていたが。 どっちにしても ちっちゃい目「大きく開いてくださ~い」という店員さんの声にチロは一生懸命何かしようとしているんだろうけど、おっきくなるのはそばで見ているワタシの目だけ。 しまいには不憫に思えてきた 世の中にはどうにもならんこともあるさ人生16年目にして初めて自分の目がちっちゃいコトを嫌というほど思い知らされたチロは、結局コンタクトレンズ購入をあきらめ、メガネフレームを買い替えるコトになりオシャレなデザインの黒ブチメガネを選んだ。 ちょうど高橋克典の 特命課長 只野ヒトシみたい なるほど ちっちゃい目によく似合う人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月24日
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かしこい病院のかかり方とかいうテレビ番組が最近増えてきている。 「薬を処方してもらうときは なるべく一度に出してもらう方がいい」 それは言える一週間分を月に4回に分けて出すと、その都度「処方料」と「調剤料」がかかる。薬の種類によってはあまり多く出せないモノもあるが一ヶ月分くらいなら大抵のモノは出せる。一ヶ月飲み続けるのがわかっている薬ならお医者さんに一度に出して欲しいと相談してみた方がいいかも。 そういうことは教えてあげてほしいと思う しかし ある番組で 「診療受付の終了時間 ギリギリで行くと待たされなくていい」 などという放送をしていた。 なにしてくれてんのんウチは整形外科なのでケガで駆け込んでくるなら仕方ない。学校や会社が終わってからなので遅くなるというのもわかる。 しかーし!どうみても働いてなくて昼間に来られそうなヒトたち。それも転んだとか足をひねったとかでなくて「最近なんだか腰がだるくて・・・」という緊急性のないもの。おまけに初診。 ハッキリ言ってマチガイであるそういうヒトはちゃんと昼間に来てちょーだい。診察時間の終わる直前は看護師さんの数も少なくなるし血液検査は外注の検査会社がもう回収に来た後だし何か他の原因があって違う病院へ行った方がよくてももう他の病院も終わっている時間だとどうしようもない。遅い時間だと精密検査の予約もできないときがある。腰痛もバカにできないんだから。腰がだるいというのでレントゲンを撮ったら癌が発見されたコトもあるのだ。 それにそろそろその日の片付けを始めようとしているところへあたりまえのような顔をして初診で来られるとスタッフもニンゲンなんだから正直「え?今から?」という気持ちにはなる。カルテを作成してレントゲンの用意をして、どんな症状かによって治療方法も違ってくるのでリハビリ室のスタッフたちも帰れなくなる。 午前診療の終了時間ギリギリに来るのもしかり。午前中の仕事を終え、精神的にも肉体的にも疲れている身に昼の休憩時間は貴重だ。それにお腹がペコペコになっているニンゲンってただでさえ気が短くなっているもの。 そこへ、合計1時間以上かかるリハビリに 終了ギリギリに平然とした顔で来られると それが仕事とはいえ 正直つらいものがある「患者さんにやさしく」がモットーのウチの診療所はスタッフみんな患者さんにやさしく、どんなに遅く来られても決して嫌な顔をぜずに満面の笑みで「コンニチハ!」とお迎えしているが よ~く見てごらん 笑顔はひきつってる 人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月23日
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ワタシの母の姉である伯母は 若い頃から苦労していたそうだ。ご亭主(オジ)は姪っ子であるワタシたちにはやさしいが、自分の家では無口で無愛想。伯母は女性関係でもいろいろと苦労させられたようだ。その親であるお姑さんはまたとんでもないヒトだったそうで昔からたくさんのスゴ過ぎるエピソードを聞かされている。そのお姑さんも晩年は認知症(痴呆)となったそうだ。伯母は長年のうらみつらみもあっただろうに健気に最期までお世話をして見送った。 えらいなぁ自分の親でそこまで苦労かけてしまったのなら、ふつう嫁さんにはアタマが上がらないとか、やさしくするとかそういうコトあってもいいんじゃないのと思うのだが、どうやら違うらしい。オジは今まで伯母に苦労などかけたコトなど一度もなかったかのようなすっとぼけた顔をしているのだそうだ。 バチあたるよね ワタシと母はよくそう言っていた するとそのバチがホントにあたってしまったのかあるとき、オジがぎっくり腰になってしまい、布団から起き上がれない日が続いたそうだ。伯母は最初はやさしく看病していたようだ。しかし日が経つにつれ、布団の中から新聞だ お茶だ アレしろコレしろ とえらそうに指図するオジの態度に伯母は ついにキレた 「おーい、水汲んできてくれ。」薬でも飲むのか、オジがその日もまたえらそうに布団の中から声をあげている。伯母はキッチンに立ってお皿を洗っていたそうだ。 「おーい、聞いてんのかぁ」その声を聞いているうち、伯母の脳裏に今までの嫌な思い出やオジに対するウラミツラミが走馬灯のように浮かんできたそうだ。 ちょっと 待ってられへんのか 伯母はキッチンにいたが 聞こえないフリをしてお皿を洗い続けた。 「水~っ!」 イライラしたオジの声がしたが、 それでも伯母は無視をし続けた。 そのうち もうちょっとじらしてやろう が 誰が汲んでやるか になっていった。 自分で汲みにこれるもんなら来てみ しばらくして オジの部屋からの叫び声が変わったそうだ 「 オニーッ 」 「鬼 ―――――― っ!」 鬼にさせたん 誰や それからおもむろに水を汲んだ鬼嫁は オジの枕元からちょっと距離をおいて座り コップを持ったまま 今までのウラミツラミを 延々と話して聞かせたんだとさ めでたし めでたし人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月22日
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久しぶりに昔話。OL時代、例の≪11月5日:ちっちゃいコトは気にしない≫に出てくる「まかしとき」のオトコたちとグアム旅行へ行ったときのコト。 この旅行というのは、ある事情があって、オトコ5人にオンナはワタシひとりというお姫様と家来の珍道中のような旅であった。ただしお姫様は忙しく、現地で若いオンナノコのグループを見つけるとひとりで近づいて行って「お姉さん、ワタシたちと一緒に写真撮りませんか?」とかなんとか声をかけ隠れて待っている家来たちのところへ連れて帰らなければならない。 つまり 魚釣りのエサお姉さんたちは、タレ目で人懐っこい笑顔のワタシにすっかり安心してついてくる。 キャッチセールスか 一応、スキューバダイビングを体験するというのが本来の目的であったので、深追い(?)はせずキャッチ&リリースだったようだ。 現地での初めての夜にそれは起こったワタシはホテルに到着してすぐに、オートロックなのを理解していなくてカギを部屋の中に置いたままドアを閉めるという田舎モンな失敗をやらかしてしまった。フロントに連絡すると、ボーイがマスターキーを持ってやってきてくれた。 「さんきゅー、さんきゅーね。」お礼を言って部屋に入ろうとするとそのボーイさん、 「ドウ ユー ライク グアム?」 と聞いてきた。 おっ聞き取れたぞ。 「いえ~す。 あい らいく ぐあ~む。」 言えた言えた。 中学1年生までの英語は使える。 「ドウ ユー ライク グアムノオトコ?」 まだ質問するボーイさん。 なんで最後だけニホンゴやねん 「いえ~す いえ~す。」 カギ開けてくれたもんね。 ありがとね。そしてホテルを後にし、生まれて初めての海外旅行をたっぷり楽しんだ。夕食の後はオトコたちの広い部屋で飲み、また明日も遊ぶぞー!と盛り上がってから夜遅く自分の部屋に戻った。すると、しばらくして部屋の電話が鳴った。なんだろう。明日のモーニングコールのコトかな? 「はろー」初めての外国での電話。 「ハロウ・・・ハロ~ウ・・・」今さっき一番盛り上がっていたIKさんが酔っ払って電話をかけてきたようだ。 「はいはい はろ~う~ なんですか~?」姫もたまにはジイの相手をしてあげなきゃね。 ・・・ あれ なんだか様子がおかしい。 「ドウ ユー ライク グアムノオトコ?」 あのボーイだった 「イマカラ ソッチヘイッテモ イイ?」 えっ? そういう意味だったのか ゾゾっとした あいつ この部屋のカギを持っている! ワタシはあわてて貴重品を抱えて部屋を飛び出しオトコたちの部屋をドンドンと叩いた。 今にも後ろから襲われそうな恐怖だった開いたドアから部屋に転がりこんだワタシはその夜からオトコたちの部屋で服を着たまま寝た。 ホテルのボーイが夜這いするか人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月21日
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ポチが膝が痛いと言い出した。整形外科の医療事務という仕事上、少年期に特有のオスグッド・シュラッテル病という膝の病気があるコトを知っていたワタシは以前からセンセイに予防法を教えてもらっていた。無理なジャンプや急激な動きをしないよう気をつけるように言っていたのに。 きっとオスグッドだわセンセイには安静が一番だと聞いている。ワタシはポチに部活の練習量を減らすコトを提案した。しかし、ポチは硬式テニスに所属しているのだが来月ダブルスの試合があると言う。初めての公式戦ではないか。やはりこれは、センセイに診察してもらってどのくらい練習量をセーブすればいいかハッキリと教えてもらっておいた方がいい。昨日は、ワタシは休みの日だったのであるが車にポチを乗せて職場である診療所へ向かった。 「あら、今日はどうしたの?お休み?」 ええ、息子がちょっと・・・ 待合室の常連の患者さんたちにご挨拶。診察をしてもらってレントゲンを撮ってもらう。 「オスグッドだね。」 センセイがそう話しはじめると思ったが なんだか違うようだ ドキドキ 膝のお皿の骨が正常より上に位置しているらしい。それが原因で膝の曲げ伸ばしに負担がかかり炎症を起こしているのだそうだ。 えっ そんな病気だったの?病名は時々カルテに出てくるものだった。知ってはいたが自分の息子にこの病名がつくなんて思いもしなかった。これ以上炎症がひどくならないために制限した方がいい動きを仲良しの看護師さんMDちゃんが教えてくれる。 ● しゃがむこと ● 正座すること ● ジャンプ・ダッシュ ● 階段・坂道の上り下り ● 斜面を横に歩くこと(傾いた歩道など) ● 体重をかけてひねること つまり膝曲げ禁止 ただ安静じゃなかったのね覚悟はしていたとはいえ、こんなに制限されるとは思わなかった。 公式戦出られるかなぁただし、痛みがおさまれば無理しない程度に普通に生活していいそうだ。それに成長過程のために起こったものなので半年から1年もすれば膝のお皿の骨は正しい位置におさまるだろうというコトだった。オスグッドを疑って早めに受診したコトで早くわかって幸いでしたねといつもやさしいMDちゃんが言ってくれた。 こういう言葉で心が少しでも救われるということが 患者側になるとよくわかる。 家に連れて戻ると、ポチは車から降りたとたんに待ちきれない様子でピュっとトモダチとの待ち合わせ場所に出かけてしまった。 わかってんのかなぁそのうち鼻のアタマが赤くなるまで冷えて帰ってきた。 「自転車こいだらやっぱり痛かった。」思いっきり坂道のある駅まで行ってきたそうだ。 全然 わかってない「あ~疲れた。お母さん、そこのリモコン取って。」 ソファに寝そべり、すぐそばのリモコンを指さす。 自分で取れば?アンタの方が近いでしょが。 「ボク、膝イタイねん」 いっぺん わからせたろか 人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月20日
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いくつに見える?というコトバの使い手の心理は血液型何型に見える?と聞くB型ニンゲンよりもわかりやすい。 若く見てほしいのよつい最近、診療所に新人さんが入った。みんなで新人さんはいくつだ、結婚しているのかと興味シンシンで質問攻めにした後は 「ワタシいくつに見える?」 という洗礼を浴びせるそれぞれが本当の年よりも老けて見られたとか若く見てくれたと一喜一憂する中、もちろんこのワタシも挑戦した。 「いくつに見える?」28歳の新人Kちゃんはギョッとこちらを見た。初日に、何人かのスタッフに質問されて実年齢より上の年を答えてしまったらしく 目は「もうコリゴリ」と言っている しかしたいがい「いくつに見える?」と聞かれると、思ったより若く答えてサービスするところであるがKちゃんは真っ正直に答えてしまったらしく、ある意味寿命を言い当てられるような怖いけど聞いてみたいという気にさせられた。 「怒らないから 正直に言ってごらん」この時点ですでに「若く言え」と強制している。 Kちゃんは恐るおそる 「30代・・・ですか?」言い終わらないうちに追い討ちをかける。 30代前半?それとも後半?Kちゃんは、苦手な算数の問題を出された生徒が当てずっぽうに答えるような声をだした。 「 半ばくらい・・・かな?」 来月43歳オンナ 勝利のガッツポーズ! 「ねぇねぇ! 今の聞いた?聞いた?」 『あのねぇ、Kちゃんは初日で懲りて 思った年齢より5歳は若く言ってるから』という自分の中の冷静な声にも でもまだあと3歳は若く見られてるわい! とすぐさま反論。でもね、ホント言うといくつに見えるか聞くまでは目じりのシワがでるような大笑いを控えていたのよ。 おほほのほファイナルアンサーを終えた解答者Kちゃんはやっと安心したような顔になった。 ま 新人歓迎の行事と思ってユルシテね。 そこへ年より上に見られてしまったスタッフが通りかかった。 「35歳って言われたよ~ん」 自慢するねんも~ん「いいですねぇ~ ケセラセラさんて若く見えますもん。」 ちょっと気恥ずかしくなった。 ここらでケンソンしとこか勝ち組のワタシは余裕でKちゃんに笑いかけた。「ビビってずいぶん若く言ったんだもんねぇ。」 Kちゃん とびっきりの笑顔で元気よくお返事。 「はい!」 どこまでも正直モノ人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月19日
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ウチの診療所は整形外科であるが、この時期になるとインフルエンザ予防接種の患者さんが爆発的に増える。そもそもインフルエンザの予防接種は内科のテリトリーなのである。なぜウチがインフルエンザワクチンを接種しているか。 それは腰や膝が悪く、ずっとウチに通っている患者さんで抵抗力も弱いお年寄りがウチで治療を受けた後に、内科でまた順番を待って予防接種を受けるというのはお気の毒だというコトで始めたようだ。それが、ケガで通院している若いヒトや健康なヒトでもいいよというコトになり、そのうち一度ウチでかかったコトのあるヒトなら誰でも接種してあげようというコトになった。おまけに値段が一本の値段が良心的すぎ。めちゃめちゃ安いのである。 そりゃ みんな来ますところがそのおかげでこの時期大混雑するコトとなり、本来の患者さんが 待ち時間が長い、ソファに座れないという事態になってきた。 そして 小児科と化す院内泣き叫ぶ、逃げ回る、遊ぶ、はしゃぐ子どもたち。膝の悪いお年寄りが座るところもないのに健康な幼稚園児を平然と座らせているお母さん。当然ワタシたちの仕事量もとんでもなく増える。 どうにかしなくちゃねそんな話をしていたところにあの反則なヒトがやってきた。 子どもをふたり連れたお母さんだ。息子が昔ケガでかかったことがあるので、接種して欲しい。ついでに一度も診察を受けたコトのない自分と娘にもして欲しい。 それはあかんやろルールを無視すると収集がつかない。ワクチンの数だって限りがある。 受付で丁重にお断りをする。しかしそのお母さん、息子さんが問診を受ける際にセンセイに泣きついた。 するとセンセイ 「 いいよー。この親子のカルテ作ってあげて。」 えっ? いいよてアンタ そんなルール違反いいのぉ?しかしここは診療所。院長がルールブックである。センセイが「いいよー」と言えばいいのである。「どうなっても知らないから。」ブツブツ言いながらカルテを作成する。看護師さんは注射針を刺しながら呪文のように「いいですか、今回は特別なことですからね。絶対内緒ですよ。」 くれぐれも他のヒトには言わないようにと念を押してその親子を帰した。 さて翌日 「昨日オトモダチに聞いてきました。」 同じ年頃の子どもを連れたお母さん登場。 ほら みてみ「ねぇ、アナタも行ってみれば?受付で断られても 中の診察室でセンセイにおねだりすればいいのよ。」こういう会話のもと、この親子はやってきて、そして次の日「どうだった?」とみんなに囲まれ、「OKだったわよ。」「 じゃあワタシも行ってみようっと!」というコトになるに決まっている。ワタシだって、その中にいたらきっと「ダメモトで行ってみよう」と思う。なんたって安いのだから。 この幼稚園には完全に広まったな センセイ 幼稚園に出張接種してきてよ 結局 このおしゃべりな反則親子がきっかけで 来年は制度を変えようという話になっている。 ひとりの反則 みんなにメイワク 人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月18日
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ワタシはスネに傷を持つオンナであるスネの真ん中、ちょうど弁慶の泣き所と言われるあたりに6センチほどのキズが縦に走っている。女性にとってはちょっと辛い大きさのキズだ。しかし、ワタシは気にしたコトがない。 B型だから? ちゃうちゃう 命の証しだからだ。小学校6年生の春だったか、体育の時間に右足に痛みが走った。ちょうどスネの真ん中あたりに走るたびキンキンとした痛みがある。触ってみると少し腫れていた。どこかにぶつけたのかと思ったが、父が、腫れているのは骨のような気がすると心配してとりあえず病院へ行った。レントゲンを撮ると確かに骨が腫れていた。そしてその骨の中には小さな空洞が見えた。ワタシは手術を受けるコトになった。腫れている骨を削り取って大学病院で調べるらしい。検査と手術のため、約1ヶ月の入院生活を送った。入院生活は退屈で、マンガの本をねだったりした。クラスメイトが全員で手紙を書いてくれた。オトコノコたちのものはギャクありクイズありでお見舞いと言えるモノではなかったが。 入院して手術して そしてすっかり治った ワタシの経験はそれだけだ。 しかしその間ワタシの両親はとんでもない経験をしていた。「お嬢さんの病気は骨のガンかもしれません。」「一応その覚悟はしておいてください。」と医者に宣告されたのだそうだ。母は目の前が真っ暗になり、ワタシの病室にお見舞いに行くたび、涙をこらえて明るく振舞い、家に帰って泣いていたそうだ。初めての赤ちゃん(つまりワタシの姉になる)を生後1週間で亡くした両親は、また我が子を失うのかと運命を恨んだそうだ。しかし幸運なコトに検査の結果、ワタシの骨の中のモノは良性のものであるというコトがわかった。両親がそんな思いをしていたというコトをワタシはずいぶん後から知った。幼い頃は身体の弱かったワタシであるが、不思議なことにその手術を境に病気らしい病気もせず、ふたりの息子たちへ命のバトンをつなぐコトができた。ワタシが親の立場になった今、あの時両親はどんな思いをしていただろうと思うとスネの傷はちっとも気にならない。それどころかキズを見るたび、命のありがたみを感じ、両親に感謝する。 ただ このキズ、あまりにもジャストな位置に あるので間違えるヒトは多い。 「ケセラセラさん パンスト伝線してるよ。」人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月17日
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ケセラセラさんて血液型 何型?と聞かれると、「何型と思う?」と聞く。そうやってすぐに答えない血液型はただひとつ。 B型ですけどなにか 「やっぱり」と言われる。 なんだその病名を当てたような目は。最近読んだ「オマール式 血液型説明」によると********************他者の目を一番気にしない。平気で世間の常識にはずれた行動を当たり前のようにやる。他者の発言を全然裏読みしないので社交辞令でも誉められたら素直に喜ぶ。嫌いな人の前では平気で無愛想になり逆に好きな人の前では満面の笑みをたたえる。とにかくマイペース。元気な人も、暗い人も、そのテンションがずっと維持され明るい性格のB型がいると酒宴が非常に盛り上がる。******************** ほぼワタシのコトだしひとつだけ訂正するとしたら「常識にはずれた行動」というより「常識にとらわれない行動」というのが正解。ただそれが、まわりのヒトに「?」と思わせることがあるだけ。 へんなヤツには変わりはないってかその占いの最後にはこう書かれている。「B型は人類のおもちゃだという説がありますが、まさにそのとおりです。B型は、人類がA型だけでは硬直して猜疑心が強くなり、O型ばかりだと単純で攻撃的な世界になってしまうことを防ぐために、神様がこの世に生み出した、まさに平和の使者なのです。」 平和の使者! なんていい響きだ! 「誉められたら素直に喜ぶ」ワタシはいわゆる生粋のB型だ。両親が共にB型のどっぷりB型というやつ。お正月などで親戚が集まると、ワタシの実家はワイワイとにぎやかで笑いが絶えず孫たちが豆台風のようにはしゃいで暴れるほどじいちゃんとばあちゃんは目を細める。お嫁さんも含めて一族全員B型の「おもちゃ箱」だ。 対してダンナの実家は静かで、食事中は政治や経済の話が出るのでワタシはなかなか入っていけない。孫たちも大変かわいがってくれるのだがお利口さんにしていないとたしなめられる。血液型はこれまた全員A型。ダンナも生粋のA型で、≪10月31日:浮気の正しい言い訳≫にも書いたが正義が服着て歩いている。つまりワタシとダンナは、性格も育った家庭環境も正反対。ダンナがワタシの実家へ行くとちょっと浮いている。新婚当時、ワイワイと大盛り上がりのB型軍団の隅っこで、ワンコを撫でながらポツンと座っていた。 ついて来れないらしいB型が集団になるとパワーアップするコトをまのあたりに見て、生まれてくる自分の子どもはA型であってほしいと願ったに違いない。 しかーしワタシたち夫婦の間に生まれてきたふたりの息子たちは どちらも 平和の使者 お気の毒ダンナは長男チロが生まれたとき、血液型を知って遠い目をしてつぶやいた。 「B型に汚染された」人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月16日
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診療所で診察を受ける前に、書いてもらうものがある。 それは 問診表住所・氏名・電話番号・誕生日。いつから、どこが痛いのか。薬を飲んでアレルギーが出たコトは?糖尿や高血圧などの病気はありますか?書かれた情報をもとに診察室で準備が始まる。整形外科の場合、痛いと書かれている部位のレントゲンの準備もする。センセイは薬を処方する際に病歴やアレルギーの有無を参考にする。つまり問診表には簡潔に答えて後の細かいコトは診察室で話してもらえばいい。 しかしとーっても詳しく書いてくれる患者さんがいる。数学の証明問題かと思うくらい細かい字がぎっしりと並んでいたりする。初めて受診する患者さんというのは、センセイが診察室でどれくらい丁寧に話を聞いてくれるヒトなのか不安なようで、言いたいコトを全部書いているという感じだ。その中年男性も、問診表と格闘していた。なんだかうんと時間をかけてペンを走らせていた。 まだかなぁ早く書いてもらわないと準備ができない。 カンタンでいいのになぁでも、不安で書きたいコトがいっぱいあるんだろう。なんだか無愛想なオジサンだったので、声を掛けに行くにも勇気がいる。 ほんとに突然怒鳴り散らしそうな雰囲気があった。 まだ書いてる いったい何を書いていたんだろう よほど何か変わった体質とか? レントゲンを撮らないで診断してくれとか?だんだん妄想がでかくなってきたところでオジサンはやっと満足気に顔を上げた。 いったいなんて書いてあるんだ? 興味シンシン問診表を受け取りに行き、歩きながら読んでみた。 真っ先に目に飛び込んできたのは 「たぶん五十肩」 きっと自己診断 「薬のアレルギーは中学1年生のとき 風邪をひいてどうのこうの 」 学年までありがとう中には今回の症状とはあまり関係のないコトまでびっしりと書かれていた。とにかく細かい。 そして読み進むうち、ワタシは突然耐えられなくなり事務室で待つ仲間のところへ倒れ込むように戻った。 ワタシの足をくだけさせたものは 最後の方にひときわ大きな字で書かれてあった。 3歳の頃から左きき人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月15日
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昨日ポチが鏡の前で散髪したての前髪を気にしているのを見ていてふと思い出したコトがある。中学生になった今ではそう目立たないがポチは幼い頃、 顔の半分オデコかと思うくらいデコッパチくんだった。 広いだけでなく前に出ていたポチは髪の毛の色が生まれつき明るく、特にアタマの前の方と右側半分の髪ほとんどが金髪のような色をしていた。そのため前髪の生え際がはっきりせずよけい広く見えた。成長するに従って髪の色は濃くなってきたが今も髪が伸びるとメッシュを入れているように見える。おとといも書いたが≪11月12日:ケガが絶えません≫悪がきの標本だった幼稚園時代、ポチはスイミングスクールに通っていた。スイミングキャップをかぶるとまたそのオデコが強調される。コーチにも生徒にもすぐに顔を覚えてもらった。ある日、ポチとスーパーで買い物をしているとスイミングスクールで同じクラスのオンナノコと会った。 「あっ!ボクのトモダチ!」知っている子は全員「トモダチ」と呼ぶポチが駆け寄ると、そのコは不思議そうな顔をしている。 あきらかに あんたダレ? という顔 「ボクやんか、スイミングで一緒のポチ!」 それでもなお 怪訝な顔をするオンナノコ。 もしかしたら ワタシはポチの前髪をぺろっとをめくって見せた。 するとそのコは 「ああ!」 ニッコリ ♪ どんな思い出し方やねんまたある日、幼稚園のお迎えに行くとセンセイが血相を変えて駆け寄ってきた。 「さっきポチくんが、大変なケガをしまして。」 どっきり 「お部屋でオデコをぶつけてしまったんです!」 ケガさせてスミマセンでしたと謝るセンセイ。 見るとオデコに擦り傷ができていた。「いいんですよこれくらい。いつものコトですから。」 センセイも大変だなぁ。謝らなくたっていいのに。 「でも!ホラこんなに・・・。」 センセイ泣きそうになっている 「こんなに腫れてしまって!!」 ・・・・ こんなに腫れてって・・・ 「このでっぱりはもとからです。」 センセイは今度は真っ赤になって やっぱり涙目になっていた 笑ろてるんかい人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月14日
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昨夜ビートたけしの番組を観ていた。教育問題についていろいろな角度でとらえ、考えさせられる番組だった。たけしのコメントはワタシの感覚に近いモノがあり、ときおり画面に向かって相槌をうってみたり。全体的には面白い番組だった が、その中でワタシには チョットちゃうやろというモノがあった。13年前の話らしいのだがある小学校で食用ブタを飼い、子どもたちに世話をさせて大きくなったら「自分たちで育てたブタを自分たちで食べる」というコトを経験させようという「命の授業」というものだ。考え方には反対しない。普段なにげなく食べている食物はそれが動物であろうと植物であろうとその命をもらっているのだというコトを感じるというのはとても大切なコトだと思う。昔の子は裏庭でじいさまがニワトリを絞めているのを見ながら、夜食卓に並ぶトリ肉に「いただきます」と手を合わせて食べていたのだそうだから。でも今回観たVTRでチョット違うと感じたのはブタに名前をつけてペットのように育てさせていたコトだ。当時小学3年生のコドモたちは、Pちゃんと名づけたそのブタの背中にまたがったりして遊びそれから3年経って、6年生になって卒業するときに改めて「Pちゃんを食べるかどうするか」という問題を突きつけられる。 あのね 名前つけたらあかんわ名前をつけてかわいがるという時点でペットなのだ。ペットを食べるなんて、できるわけないでしょ。魚でさえ名前をつけて何日も餌やって話しかけてたら食べられなくなると思う。もし、そういう命の授業をしたいというのならもっと淡々と世話をすればよかったんじゃないの?そしてセンセイは確固たる信念を持ち、最終的には自分たちで食べるのだというコトを機会あるごとに生徒たちに認識させなければならなかったと思う。 子どもたちは考え 迷い 苦しんでいた ひとりの子が「 他のブタなら食べれるけど Pちゃんって名前つけたら食べにくい」と言っていた。 そのとおりこの授業では、Pちゃんがかわいそうで、Pちゃんがどうなるかという問題になってしまっていて肝心のブタや牛の命をもらっているありがたみを知るという本来の目的がぼやけてしまっていると思う。だって子どもたちは 「Pちゃんは他のブタと違う」と思ってしまってるんだもの。最終的にこのPちゃんは食肉センターに送られていった。係員の気配を察知して暴れるPちゃんの横で目をぎゅっと閉じて、耳をふさぐ子やトラックに乗ったPちゃんの名前を呼び泣きながら追いかける子どもたちを見ていて涙が止まらなかった。あれから13年たって、当時のセンセイが あの「命の授業」が 正解だったのかどうか今でもわからない とコメントしていた。センセイが経験豊富で子どもたちのその後の心のケアができるヒトだったらまだしも自分も手探りだったなんて・・・。自分も初めての経験だったんならせめて魚かなんかにしてほしかった。 いきなりブタはなぁ。 リアルすぎ。 今夜ブタしゃぶにしようと思ってんのに。人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月13日
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あー疲れた。土曜の診療所は忙しい。今日も骨折の患者さんが何人もいた。骨折で来院するお子さんは圧倒的にオトコノコが多い。ウチのチロとポチ兄弟も例外ではなくふたり合わせて6回骨折している。 -次男ポチの骨折のバアイ-高知市の小学校に通っていた1年生の時。学校で手首を骨折して帰ってきた。骨折した直後、ポチは自分で折れた方の手を支えて保健室へ行ったそうだ。 日ごろ担任のセンセイに 保健室に入る前には汚れたところを洗いましょう。と言われていたそうで、そういうところだけ気マジメなポチは激痛に耐えながら廊下の手洗い場で 折れた手首を洗った 「手を触ったら手首のところで一段ズレてた。」 聞いてるだけで太ももが寒くなる原因を聞くとポテっと転んだだけだという。転んで手をついただけで手首が折れるなんて。運動神経は悪い方ではなく、どちらかというと頑丈そうな体格をしていたポチにしては意外だった。今どきの子は骨が弱いと言うが、ここまで弱いのかとちょっとショックだった。 コーラがあかんのかなぁ。ラーメンもよくないのかも。 親としては責任を感じるコトであるそれからすぐに転勤になり、ポチはギプスを巻いたままの転校生となった。 のっけから目立ちすぎ転勤先ですぐ整形外科を探し、改めて診察してもらった。「そう。転んだだけで骨折したの。」センセイも不思議がっていた。よほどヘンな転び方をしたのだろうか。 その帰り、どうもポチの様子がおかしい。 ・・・・ どうしたの? ・・・シクシク・・・ 泣き出してしまった 何で泣いてるの? 何かあったの? ピンときた 「ただ転んだんじゃないね?」 「うん。」 しくしく やっぱり。 どうしたの? 何が原因なの? 心臓がバクバクしてきた。 誰かにやられた? イジメか?いやいや、イジメられるようなタイプではない。ポチは悪ガキの標本のようなヤツだ。 となると・・・ ケンカしたんだ!実はもうひとりケガしている子がいたんじゃないか?知らずに転校してきてしまった。 どうしようするとポチがぽつりぽつりと話し始めた。 学校でね・・・ 掃除の時間ね・・・ウンウン 掃除の時間にケンカになったのね? 鉄棒の上に登ってて落ちてん・・・。なんだ ケンカじゃないのね。ヨカッタぁ。 そうか、鉄棒に登って・・・ え? なんで掃除の時間に鉄棒に登るの? 掃除サボっててん。 うぇ~ん;;;つまり、掃除をサボっていてケガをしたから誰にも本当のコトが言い出せなかったらしい。「そうか、ずっと苦しかったんやね」と声はかけたものの鉄棒の上から真っ逆さまに落ちたんじゃ そりゃ骨もたまったもんじゃない 責任感じてソンした人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月12日
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11月9日の日記≪銀座の夜に確かめ合ったコト≫を書いた夜ブログにではなくワタシのパソコンにこんなメールが入っていた。***************ケセラセラさんこんばんは。ヤードバードと申します。最近毎晩ブログ楽しませてもらってます。今夜の日記の内容で揚げ足取りのネタを見つけました・・・(誤)アタマの中でシュミレーションして出かけた。(正)アタマの中でシミュレーションして出かけた。なお、英語ではsimulationと書きます。これはほとんどの日本人が間違って覚えています。「シミュ」より「シュミ」の方が言い易いからでしょう。偉そうに間違いを指摘しているこのおじさんも、学生の頃は「シュミレーション」だと思い込んでいました。(^^;)以後、「ロザとヒデンナ」にならないようお気をつけ下さい。***************このおじさん、実はワタシの兄である。≪10月29日:さすがな姪っ子≫に登場。実の妹のパソコンにハンドルネームでメールを送ってくる。 けったいな兄である兄は母のお腹の中の「脳ミソになる栄養分」をひとりじめして生まれてきたようでとにかくデキがいい。大阪の某有名国立大学を出て(←わかるって)大学院に進み、有名一流企業の開発部門に勤めている。電気店には兄の手掛けた新製品が並ぶ。 ワタシの分も栄養残しといてほしかったこの「ロザとヒデンナ」というのは、実家の父が昔「ヒデとロザンナ」というデュオ歌手を言い間違えたコトで家族全員が大笑いをしたときのコトを言っている。 「ロザとヒデンナ」やて!お父さん間違えたぁ! みんな口々に真似をして父をからかった。 ロザとヒデンナ! ロザとヒデンナ! ところがそれからというものワタシたち家族までその歌手をテレビで見て名前を言おうとすると ロザとヒデンナ か ヒデとロザンナか 一瞬迷ってしまう。 どうしても先に「ロザ」が出てきてしまう。 残るは「ヒデンナ」 ロザとヒデンナ・・・ アレ? となる。間違えたコトバを繰り返して言うと脳内インプットされてしまうのだ。トリビアの泉ばりの発見である。これを読んだアナタが試しに「ロザとヒデンナ」を10回くらい声に出して繰り返して言うと今度ふと何気なく言おうとした時「ロザ」が先になるかもしれない。 責任持ちませんから15年前にヒデさんが他界され、現在はロザンナさんだけが芸能活動をされているので、間違えそうにないように思うが、いまだに一度アタマの中で「ロザ?ヒデ?」と確かめないと正しく「ロザとヒデンナ」とは言えない。 ・・・・ ほら 間違えた人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月11日
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医療事務というシゴトは特に資格がいるわけではない。現にワタシは医療関係にはまったくのドシロウトだったにもかかわらず今の診療所で働けることになった。しかしシゴトを始めて3年目の春、ワタシは医療事務の資格を取得しようと一念発起した。医療事務の基礎をきちんと理解しないままシゴトが進んでいくのでいつかいっぱいいっぱいになる自分が想像できたからだ。 経験+資格=転職の保険にもなるしシゴトが休みの日に医療事務の講習会に通った。講習会というのは資格試験のための予備校のようなモノだ。同じように未経験で医療事務に採用された後輩Mちゃんも一緒に講習会に通うことになった。講習を受けてみてビックリした。早口な講師の一日6時間の授業テキストがものすごいスピードでどんどん進む。その日の授業を理解したつもりでも、間違いやすいとされる例題を出されるとワタシは 思う壺に間違う隣にいるMちゃんは理解が早く、問題をどんどんこなしていく。やっぱりワタシには無理だったのかなぁと何度も思った。 勉強なんて必死でやった経験なんてないもんなぁ。でも講習会で出逢った友人やMちゃんに励まされ、なんとか約2ヶ月間の講習を最後まで受けることができた。卒業と同時に行われた試験もクリアし、念願の資格は手にした。 しかし それからがタイヘンMちゃんたちと、さらに医療事務資格の中でも難関と言われる厚生労働省認定の技能検定試験を受けることにしていたからだ。 合格率は30%だって このワタシに明らかに無謀しかし講習会の授業料は8万円以上かかった。高いお金かけたんだからどうせなら難しい方の資格を取っておきたいと思ってしまったのだ。 だって もったいないねんもんその「もったいないから」という安易な発想のおかげでワタシはそれから約1ヶ月間シゴトと家事と睡眠以外の時間をすべて勉強に費やすコトになった。 勉強のしすぎで 鼻から脳ミソが出るかと思った学生の頃これだけ勉強してたら、も少しましな学歴だったかも。そして夏。 なんと早稲田大学での受験。まわりは医療系専門学校の若い学生さんばっかり。 もしかして場違いか? 一瞬気後れする しかし 一回で合格せな もったいない最後はヤケクソにも似た気合いで試験に挑んだ。 しかし現実は甘くない。自己採点をすると 合格ラインを越えてはいなかった いいのだ 頑張ったコトに意義があるのだ そう自分に言い聞かせた2ヵ月後の合格発表はネット上で行われた。 あった! Mちゃんの受験番号と名前が目に飛び込んだ。受験直前にアクシデントがあったにも関わらず最後まで受験を楽しんでいた彼女のさすがの合格だった。 ついでにワタシの番号を探してみた。 ウソやん 我が目を疑った 奇跡の合格だった ひとえに 主婦のもったいない精神の勝利人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月10日
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ワタシのブログのコメントに時々「モコちゃん」が登場する。彼女は高知でちょいとした有名人である。彼女がどういうヒトで、ナニをしているヒトなのかって?それはワタシのブログの「よく行くページ」にある「畠中智子のモト・コト・ヒトカタログ」からずずっと入ってもらうとわかるので今ここでは書かない。 ていうかひとことでは言い表せないヒトだし。あるときモコちゃんが、今度東京に行くよ~と連絡をくれた。ワタシが高知にいる間これでもかというくらい世話になったヒトたちも一緒だった。夜は銀座で飲むので出て来ないかと誘ってくれた。 行かない理由なんてどこにある きゃあ~! ひさしぶりにみんなに逢えるぅ~!さっそく指定された店をネットで検索して地図を確認した。銀座の駅があって東京メトロの走っている線路が描かれ、その反対方向に出ると銀座松屋があってその先をこう行ってああ行って・・・ ふむふむ・・・アタマの中でシュミレーションして出かけた。銀座に到着して、階段を上りルンルンと地上に出た。 ウン、こっちだ。ワタシは迷うことなくずんずん歩いた。その方向が正しいという自信があったからだ。しかし歩いても歩いても次の目印の建物が見つからない 絶対こっちでマチガイないはずなのにワタシがなかなか着かないもんでしびれを切らしたモコちゃんから携帯が鳴った。 「どんな建物が見える?」 え~っとね。こういうふうの。 「それって反対ちゃう?」そんなコトはない。絶対こっちで間違いない。地図で確認したんだから。銀座の駅があって、メトロの線路がこう書いてあって その反対側だから 線路の見えない方へ歩けばいいんでしょ? 踏み切りは渡っていないハズだし・・・ え ? あれ? なんかオカシイ ナニがおかしいんやろう。 ん? 線路 ? 踏み切り ?? 東京メトロ って 地下鉄やん 地上に線路があるハズがないあわてて来た道を走って戻るとモコちゃんは携帯片手に店の外に出て待ってくれていた。 かけよってヒシと抱き合うふたり 時は経てど 変わらぬ友情とワタシの天然人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月09日
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ダンナの母は大正生まれ。九州の田舎ではいいトコのお嬢さんだったそうでいわゆる世間ズレしていないと言うんだろうかとってもピュアなヒトである。思ったコトをなんでもヒョイと口に出してしまうので周りがヒヤヒヤすることもしばしば。義母の言動でひっくり返りそうになったコトは数え切れない。次男ポチがまだワタシのお腹にいた頃。大阪でのコトだ。その頃、2歳だった長男チロの育児教室に通っていた。月に2度ほどの教室を楽しみにしていたのだがある日、ワタシの検診の日と重なってしまった。チロを病院に連れて行くのもタイヘンだしその日の育児教室はスライドで「子育てのアドバイス」が上映されると聞いていて楽しみにしていたので、同じ大阪に住む義母に来てもらい、チロを連れて育児教室に行ってもらうコトにした。 一抹の不安はなくもなかったがその頃からチロは他の子どもたちとはちょっと違っていて、みんなと一緒に同じコトをしようとしなかった。何か冷めているというか、みんなが「わーっ」と喜ぶようなコトでもちょっと引いて見ているようなところがあり、そのクセじっとしていなければならないときにひとりはしゃいで走り回っていたり。 ひとことで言うと扱いにくいガキンチョだった義母はというと、実にキッチリと物事を考えるタイプでいったん「こうしなければならない」と思うと融通がまったくきかない。しまいには機嫌が悪くなる。 ダイジョウブかなぁ。あの組み合わせで。失礼ながら育児教室でのチロの行動と義母の性分が心配で、落ち着かない気分で検診を終えるといそいそと帰宅した。「おかあさん、どうでした?」さぞかしチロに手を焼いただろうと恐る恐る聞いてみた。「すごく楽しかったよ。」意外にも義母は上機嫌だった。 あぁそうなんだ。 何事もなかったんだとほっとした。チロもきっとおばあちゃんが一緒だと嬉しかったんだな。おりこうさんにできたんだ。 ヨカッタよかった。そうそう、スライド上映もどんなものか見ておいてほしいとお願いしてあったのだ。「おかあさん、スライド見てきてくれました?」「うん見たよ。」「どんなのでした?」お茶を入れながらたずねた。 すると義母は「う~ん そうねぇ」と思い出しながら「写真がカシャ、カシャって一枚ずつ映ってたねぇ。」 ・・・・・ それで? 「それだけ」 それだけって 内容は? 「覚えてない」 確かにスライドは見てきたようだ。 母は ちょっと天然も入っている人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月08日
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旅行の楽しみ といえばその土地ならではの食べ物に出会うことである。外食の楽しみといえば家では食べられないようなオシャレな料理を味わうコトである。ワタシはなんでも美味しくいただく。珍しいモノは何でもとりあえず食べてみたい。対してダンナは味が想像できるモノしか食べない。安心して食べたいらしい。それに加え一度美味しいと思ったモノは飽きずに何度でも注文する。 だから外食といえば回転寿司。こちらに転勤になったとき、住まいの下見をする為にふたりで新宿のホテルに泊まった夜も夜景を見ながらの食事を期待していたワタシをあっさり裏切り歌舞伎町の回転寿司屋へ。 表で派手な看板持ったオヤジが呼び込みしてるし。 ここの方が安心でけへんっちゅうねん数年前、息子がふたりとも合宿のときがあった。久しぶりに1泊2日でふたりきりの時間が持てた。せっかくだから山中湖のペンションで過ごすことにした。チェックインまでは十分な時間がある。何か美味しいものを食べようと車を走らせる。普段食べないモノがいいなぁと道路沿いの店を探すワタシ。しかしダンナが車を停めたのは 全国チェーンのファミレス。 「え~っ!せっかく山中湖なのにぃ?」不満たらたらのワタシをよそにダンナはフツーの日替わりランチを注文した。 う~ん・・・ でも 夜はペンションの料理だし まっいいか ワタシのあきらめの早さはファーストフード並み。予約したペンションは大型スクリーンで好きな映画を観られ、貸し切り露天風呂も楽しめて大満足な夜を過ごした。もちろん食事もオシャレなメニュー満載だった。次の朝、山中湖で日頃の疲れを癒し、白鳥とたわむれ、ムラサキ芋のアイスを楽しんで、さてと帰路についた。楽しかった2日間を美味しいランチで締めくくろうよ。 今度こそと車の窓からお店を物色するワタシ。 ダンナが車を停めた。昨日と同じファミレス しつこいようだが全国チェーン そして注文したモノは 「日替わりランチ」 確かに昨日とは違うわな人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月07日
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5年くらい前かなぁ。こちらへ引っ越してきてすぐの頃。実家の母が大阪から遊びに来ていた。ある日散歩がてら母を連れて近所を案内していると大きな家の庭にある柿の木の下に一本の子ども用の傘が落ちていた。おおかたこの傘で柿の実をつついてイタズラしていたのだろうと思われるような放置の仕方だった。「この悪ガキくん、きっと傘を忘れたこともわかってないねんで。」そうつぶやいた母とワタシは顔を見合わせほぼ同時に昔のできごとを思い出した。 ワタシが小学生の頃だ。母はワタシの個人面談のためにひとりで小学校へ行った。廊下で順番を待っている間、母がふと傘立てに目をやると持ち主に見捨てられたホコリまみれの傘が一本。 自分のモノってコトくらいわからないんだろうか。「まったくだらしない子もいるもんだ。親の顔が見たい。]と思った瞬間、その模様に見覚えがあることに気がつき恐る恐る名前を見たそうだ。 その日ワタシは 家に帰った母にこっぴどく叱られた「あのときは顔から火が出る思いやったわ。」母は笑いながら昔の思い出を振り返り「こうして名前を見たらアンタやってんで。」とそのキタナイ傘を手にとった。 その日家に帰ったワタシは 次男のポチをこっぴどく叱った人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月06日
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ワタシはカラダがちっちゃい。身長は150cm 体重は40kg未満体型でいうとちょうど今シアワセいっぱいの安達祐実ちゃんくらい。今でこそ「女性は小柄な方がカワイイ」とか「ケセラセラちゃんはちっちゃいから若く見える」とか言ってもらえるのだが子どもの頃からちっちゃかったワタシはかなりのコンプレックスを持っていた。小学生の頃は「チビ」という言葉への反応が超高速で相手が「チビのクセに生意気」なんて言おうもんならどんな大きな悪ガキでもまわし蹴りの刑にしていた。中学に入学する頃の身長は130cmもなかった。オトモダチの胸のあたりに顔があった。セーラー服で道を歩くと「あのコ中学生?」と振り返られた。小学生のときは経験しなかった屈辱感。泣きながら帰った日もあった。その後中学3年間で15cm伸び、高校で3cm、20歳までにさらに2cm伸びて今に至る。今でもくやしい思いをすることがある。ロングスカートは腰に合わせた時点で床に着く。今はベルボトムというんだろうか昔はパンタロンと呼んだパンツなんて、裾が広がりきる前にカットしなければならない。たまに「このパンツ丈ちょうどだわぁ!」と店頭で感動すると7分丈のサブリナパンツだったりする。マンションのキッチンの吊り戸棚は高すぎる。一番高い棚のカルテが取れない。踏み台に乗っても取れない。人混みで前が見えない。満員電車でアタマの上に鼻息をかけられる。 ちっちゃくて得したこと?若い頃、職場から仲間と車でスキーに行ったときのコト。途中のドライブインに立ち寄るとスキーツアーの客でごったがえし女子トイレが超満員で入れる状態ではなかったことがある。 でも もうがまんできないワタシが悲壮な顔をするのを見て仲間のうち180cm超えのデカイ男たち3~4人が 「よし、まかせとき」というなりワタシを取り囲んだ。 真ん中のちっちゃいワタシは完全に見えない。そのまま男子トイレの個室までワッセワッセとダンゴ状態で運ばれ、 「ケセラセラちゃん、終わったらノックして。」 ・・・・コンコン カギを外してノックをするとドアがバッと開き、またワッショイワッショイとアヤシイ集団に囲まれて戻った。 ねっ ちっちゃくてヨカッタ でも今考えると ドア一枚向こうでオトコたちが 耳すましてたってコトか 人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月05日
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東京というところはきっと芸能人がいっぱいいて普通に暮らしていてもひょっこり逢えるもんだと思っていた。大阪では生まれて初めて生で見た芸能人は吉本新喜劇の「谷しげる」っていうオジサン。ナンパされてお茶飲んだのは「河内家菊水丸」だ。 芸人さんばっかり東京はタレントや俳優が普通にそこらを歩いていると期待していたのだが逢わないもんだ。確かに家の近くでロケがあってキムタクが来たとか友人の勤めるお受験塾に女優さんの子どもがいるとかなんか近くにそういうニオイはあるのだが渋谷に行っても横浜に行っても誰にも逢わない。 ただ ひとりだけ有名人とお知り合いになれた名前を聞くと誰もが知ってる元プロスポーツ選手Tさんである。今もテレビにしょっちゅう出ている。次男のポチが少年サッカーチームに所属しているときに同じ学年に彼の息子さんがいた。Tさんは練習日によく顔を出し、時には子どもたちと一緒になってグラウンドを駆け回り、さすがな運動神経とカッコよさを除けば普通のお父さんと変わりなかった。 もうひとつ普通でなかったのは 奥さんめっちゃカワイイ ハンパでなかった。 ダンナが大ファンになったポチの所属していた少年サッカーチームは親同士が仲良く昔からよくお互いの家に行き来していたようだった。当然Tさんの家にも集まる機会があり途中からチームに加わったワタシも参加させてもらうコトになった。実を言うと現役時代のTさんが大好きだったワタシは彼の家へ行けるということで、ちょっとドキドキしていた。みんなでお茶をいただき、ひとしきり話をしていたところへ家の奥でヒトの気配がした。 「あら、主人が起きてきたみたい。」 うわぁ いたんだ! あこがれのTさんのお目覚めの姿。 きっとガウン姿かなんかで現れるんだ カッコイイだろうなぁ 起きぬけの顔で現れたTさん ハートマークだらけのパジャマを着ていた人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月04日
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風邪の話が続くが火曜日に珍しく次男のポチが風邪をひいた。月曜の夜から熱も上がって吐き気もあるようでぐったりしていた。 鬼のカクランふだん無駄とも思えるくらい元気ハツラツなのでいったん具合が悪くなると大騒ぎだ。熱が出た原因をいろいろと探るポチ。 「あっ!思い出した!」 え? 風邪の原因がそんなに明確なの?「そういえば今日一緒に遊んだトモダチが咳してた!」 潜伏期間というものがあるでしょ そんなにすぐにうつってどうすんの 「あーっ!きっとそうだっ!」 なにナニ、こんどはなんなの「地面に落ちたお菓子をフーッってしただけで食った!」 そりゃご苦労さん あぁもうウルサイなぁあんたね、この寒い季節に窓全開で寝ているというコトを「原因」というのよ。それと真冬にTシャツ一枚で過ごすのはもうやめようね。我が家恒例の「お見舞いセット」というのがある。誰かが風邪をひくと、食欲がないだろうから、水分補給が大事だからと プリン・ヨーグルト・果物ジュース・スポーツ飲料といったものを揃える。一応熱を出したので仕事帰りにポチにも買って帰った。 するとポチは夕食の鍋焼きうどんに加え お見舞いセット完食 めちゃめちゃ元気やん塾へ行く時間になったらなぜか調子が悪くなって休んだが次の日の部活の朝練の時間には完全復活していた。 今朝は先輩の試合の応援だと言って早朝6時に家を出てった。 風邪さえ落ち着いてひいてられんヤツ人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月03日
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風邪が流行っているようだ。みなさん病院へ行く際は健康保険証を忘れずに。長男チロがまだ小学生だった頃のこと。学校から帰ってきたが様子がおかしい。玄関先で泣いている。 「おかあさぁん、歯がイタイ~」見るとホッペが腫れ上がっている。こりゃタイヘンだ。健康保険証はどこだっけ。とっさのことで見つけるのに時間がかかった。実はこの日、まだ幼稚園児だった次男のポチが熱を出して寝込んでいたのであるが、チロの顔の腫れ具合があまりにひどかったので心配しつつもポチをひとり寝かせ、歯医者へ向かった。受付を済ませ、チロと待合室で順番を待っているところへ携帯が鳴った。ポチからだった。 「う~う~ おがあざん・・・」 苦しそうな声が聞こえ、ワタシはパニックになった。 ひとりにするんじゃなかった! どうしよう!チロを待合室に残したまま歯医者を飛び出し自転車をかっとばして家に急いだ。 吐いたか? ひきつけたか? 息ができないのか?!「ポチ!ひとりにしてゴメン!お母さんが悪かった!」泣きそうになりながら部屋に飛び込むと 「あっおかあさん おっかえりぃ~」 ポチが笑顔で布団の中から手を振る。 めっちゃ元気やんか ウソつきドッと疲れたがまぁ何事もなくてヨカッタよかった。チロもひとりで歯医者から帰ってきたし。 ところが その次の日の朝ウチの健康保険証を拾ったという方からお電話があった。 えー!? 落っことしてたんだ。 あのときだ! あわてて自転車を走らせたからだ。 全然気がつかなかった。さっそくその日のうちに歯医者の近くの親切なその方のお宅へ菓子折りを持ってお礼に行き保険証を受け取ってきた。 そもそもポチがあんな大げさに電話してくるからだし。でもすぐ手元に戻ってきたことは不幸中の幸いだ。親切なヒトに拾ってもらったっていうのはラッキーかも。そう思っているところへチロが小学校から帰ってきた。 様子がおかしい。 玄関先で泣いている。 「おかあさぁん、顔がイタイ~」 またかよマンションの階段で顔からコケたそうだ。目の上から血が流れ、顔が腫れ上がっている。こりゃタイヘンだ。健康保険証は・・・ ワタシの手の中にあった なんかしらんけど やけくそラッキー!ヘラヘラ笑いながら外科で健康保険証を差し出すワタシを受付の人が怪訝そうな顔で見ていた。 人間万事塞翁が馬ってか人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月02日
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先日自治会で消防訓練があった。起振車の体験や救命講習があった。起振車はいまだに足がすくむので乗れない。≪10月9日:とっさの行動のゆくえ≫まわりのヒトには乗らない理由を「実体験ずみだから。」と笑ってごまかしている。救命講習は小学校のPTA役員をしていたときに何度か経験している。人工呼吸と心臓マッサージを繰り返すアレだ。 何年か前の夏に初めて経験したのだが その時はいろいろなコトを学んだ。心臓マッサージは、倒れているヒトのみぞおちのあたりにある骨から指1~2本分上の位置に手の平を置き、その上からもう片方の手の平を重ねて指同士を組み、肘を伸ばしてカラダごと押す。「1・2・3・4・5・・・・」地元の消防士さんが見本を見せてくれる。キビキビとしていて実にカッコイイ。「では、みなさんもやってみてください。」ひとりひとり呼ばれて指導される。消防士さんは前から手を取って教えてくれたりする。 ワタシの番ヒトがやるのを見ているのと実際やるのは大違いで夏の小学校の体育館の中での講習はそれでなくても暑いのに、胸元の開いたTシャツを着ていても汗びっしょりになってしまう。それでも一生懸命人形の胸を押した。「1・2・3・4・5・・・」目の前で指導してくれている消防士さんも 声を合わせて・・・アレ? 急に立ち上がった。 さっと離れていってしまった。 え?ナニ? ワタシ間違ってるの? なんで教えてくれないの? みんなには丁寧に教えていたのに。ひとり残されたワタシはそれでもなんとかやり遂げた。「上手にできてたよ~ ケセラセラさん。」後ろに並んでいた友達が慰めてくれたがなんだかつまらない。 なんだよぉ こんなに暑い思いしたのに。 ハンカチで胸元の汗を拭いていてやっと気がついた。 Tシャツの胸元が大きく開きすぎていて前かがみになると ブラジャー まぁる見え 救命講習で学んだこと 消防士さんはウブ人気ブログランキングに参加しちゃいました。 ←ここをぽちっと押してね。
2005年11月01日
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