2101年の世界



今朝もすっきりした目覚めだった。
窓からは早春の暖かな日差しが降り注いでいる。
とは言え、私自身は厳重に管理された容器の中で体温も血流も最適に管理されている。
しかも私の大脳の大部分は既に高集積のコンピューター素子に置換されているのだ。
従って私の寿命も理論的には無限であり、いわゆる「生物的な死」はもはや存在していない。
しかも、高度な遺伝子技術により大脳細胞の複製も可能になっており、私の大脳細胞も定期的に交換されているので老化現象もまったく起こらないのだ。
但し大脳細胞の移植は一度に全部実施すれば全く別の人格になってしまう。
しかし、ごく一部ずつやって行けば人間の大脳は十分にそれに順応し、人格が損なわれり、変化することも全く無いのである。
人間の人格と言うものはそんなに単純なものではないのだ。
大脳皮質のすべてが統合されひとりの人格となるのであって、それ故に厳密に言えば人の人格も常に変化し続けている筈である。
自分と他人とはどこが違うのか?
自己の認識とは何であるか?
自分はなぜ自分だと認識できるのか?
深く極限まで突き詰めてゆくと自意識の定義もかなりあいまいになってくるものだ。
ただ、明確な点は現在ここにいる自分を誰もが認識していると言うことである。
なぜならば、もし、死んでしまえばその認識さえもできなくなってしまうからである。
話を本題に戻そう。
あなたの脳細胞の全てを同時に別のものに取り替えてしまえばあなたはあなたでは無くなる。
しかし、脳細胞の一部を交換しても、あなたは依然としてあなたであり続け、あなたの自意識も変化しないのである。(但し多少の人格の変化は発生するかもしれないが)
こうして、あなたの脳細胞を時間をかけて少しづつ交換してゆけば最終的にその合計が100%近くとなったとしても、あなたは依然としてあなたであり続けるのである。

-----to be continued----------


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