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いじめのはなし。

いじめのはなし。

なんとなく、日記に書かずに1ページ使って書いてみます。

昨日娘が学校で「しんたいしょうがいしゃ」と言われていじめられたそうです。
身体障害者と言われて怒ったりしたらそれも失礼な気もしますが「だったらなんなんだ」という怒りがあります。
「おかま」とも言われたそうです。
顔が女で心が男、なんだって。男勝りな娘に言いえて妙。しかし本人は傷つくでしょう。
一番腹が立ったのは「Aちゃんより馬鹿」という言葉。
じゃぁ、今まで、Aちゃんがすごく馬鹿にされてて、すでにいじめがあって、ってことじゃん。その言葉で嫌がるってのは娘の中にも、Aちゃんは馬鹿って気持ちがあるってことじゃん。

内藤朝雄さんという方の本の数々をところどころ引用

学校に集められた若い人たちは、少なくともそれだけでは赤の他人であるにもかかわらず、深いきずなで結ばれているかのようなふりをしなければならない。

学校では「みんな」と「なかよく」し、その「学校のみんな」のきずなをアイデンティティとして生きることが無理強いされる。
すなわち学校では、だれが大切な他者でだれが赤の他人なのかを、親密さを感じる自分の「こころ」で決めることが許されない。
逆に親密さを感じる「こころ」が学校によって強制される。

 学校の「友だち」や「先生」に親密さを感じない「こころ」の自由はない。

 自分で友を選択して親しみが湧いてくる以前に強制的にべたべたさせられる人たちは、愛や信頼や倫理や美やきずなやよろこびに関して、自分にフィットした生のスタイルを模索しつつ成長することが不可能になる。
そのかわり、それがどんなに酷くむごいものであっても、それが「みんな」の「いま・ここ」の「かかわりあい」であればしがみつく習性を身につけてしまう。
そしてしばしば、自分は本当は誰が好きで、誰がなぜ憎いのかがわからなくなり、その情動判断を場の雰囲気に代替させるようになる。

数分前になかよくしていた「ともだち」が「みんな」からうとまれはじめると、半分は保身から、半分は本当に「なぜかいじわるな気持ち」になり、「みんな」といっしょに蹴っていた、といったケースは枚挙にいとまがない。
 自分がいじめグループの標的となるやいなや、今まで仲のよかった「友だち」が見てみぬふりをしたとか、手のひらを返したようになったとか、攻撃の先方に転じたといったことは、よくあることだ。

こういう場合、いじめ被害者はよく「なかよくできなくてごめんなさい」と泣く。そして、裏切り迫害する「友だち」に「なかよくしてもらおう」と必死になる。
学校の弱者は「みんなとうまくやっていけるように自分の性格を変えなければ」と思う。


嫌いなら嫌いで、ほっといて欲しい。
少なくとも私は、「みんななかよく」なんて心の底からは望んでいない。
オトナの世界でも、なんとなくそりが合わない、とか、口調がのろくてイライラするとか、漂う香水のにおいで気分が悪くなるとか、そんなの良くあることだ。
でも、良識あるオトナであれば、そういう人を捕まえて自分の好みに変えようとか、同じ考えの人を募って口々に本人に聞こえるように大声で批判したりとかは、しないものだ。
ただ、当たらずさわらず過ごすだけだ。
学校では、たまたま近所に住んでいただけで、同じ歳であることしか共通項のない子供たちが同じ教室に入れられ、場合によっては隣の席で一緒になかよく一つの教材を使いなさいとか言われてしまう。みんななかよくね。なんて。

別に仲良くなくて全然構わないから、ほっといて!!

映画「下妻物語」の桃子ちゃんが素晴らしいのは、人に合わせないところだ。
彼女だったら仮にいじめられても『確固たる自分』があるから死にはしない。
でも、強くなれない子供もたくさんいる。

娘は、昨日、泣いていた。
ダンナが「俺が行って相手を殴ってやる」と言ったら「かわいそうだからやめて」と言ってさらに泣いた。
そんな娘を誇りに思う、そして心配に思う。
「わたしのいもうと」みたいにならないでほしいと。

わたしのいもうと
松谷みよ子

この子は、わたしのいもうと。むこうをむいたまま、ふりむいてくれないのです。いもうとのはなし、きいてください。

いまから七年まえ、わたしたちは、この町にひっこしてきました。
トラックにのせてもらって、ふざけたり、はしゃいだり、アイスキャンディをなめたりしながら、いもうとは小学校四年生でした。

けれど、てんこうした学校で、あのおそろしいいじめがはじまりました。

ことばがおかしいとわらわれ、とびばこができないといじめられ、くらすのはじさらしとののしられ。
くさい、ぶたといわれ。

ちっともきたない子じゃないのに

いもうとがきゅうしょくをくばると、うけとってくれないというのです・・・。
とうとうだれひとり、くちをきいてくれなくなりました。
ひと月たち、ふた月たち、えんそくにいったときも、いもうとはひとりぼっちでした。

やがていもうとは、学校へいかなくなりました。
ごはんもたべず、口もきかず、いもうとはだまってどこかをみつめ、おいしゃさんの手もふりはらうのです。
でも、そのとき、いもうとのからだにつねられたあざがたくさんあるのがわかったのです。

いもうとはやせおとろえ、このままではいのちがもたないといわれました。
かあさんがひっしで、かたくむすんだくちびるにスープをながしこみ、だきしめていっしょにねむり、子もりうたをうたって。
ようやくいもうとはいのちをとりとめました。
そして、まい日がゆっくりとながれ。

いじめた子たちは中学生になって、セーラーふくでかよいます。ふざけっこしながら、かばんをふりまわしながら。

でも、いもうとはずうっとへやにとじこもって、本もよみません。おんがくもききません。
だまって、どこかを見ているのです。ふりむいてもくれないのです。

そしてまた、としつきがたち、いもうとをいじめた子たちは高校生。まどのそとをとおっていきます。
わらいながら、おしゃべりしながら・・・。

このごろいもうとは、おりがみをおるようになりました。あかいつる、あおいつる、しろいつる、つるにうずまって。
でも、やっぱりふりむいてはくれないのです。口をきいてくれないのです。
かあさんはなきながら、となりのへやで、つるをおります。

つるをおっていると、あの子のことがわかるようなきがするの・・・。

ああ、わたしの家はつるの家。わたしはのはらをあるきます。
くさはらにすわると、いつのまにかわたしもつるをおっているのです。

ある日、いもうとはひっそりとしにました。
つるをてのひらにすくって、花といっしょにいれました。

いもうとのはなしはこれだけです。

わたしを、いじめたひとたちは、
もう わたしを
わすれてしまったでしょうね。

あそびたかったのに、
べんきょうしたかったのに。




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