インディー(139)



はじめて訪れたのは、店がオープンしたばかりの3年前の5月。
当時、三宮の街は、震災の傷跡が生々しく、三宮の繁華街も、ビルがあちこちで取り壊されて更地のまま残っていた。

確かチキンジョージが、再建されたばかりの頃だったろうか。
そう、チキンジョージの社長とも、古いつきあいがあったが、音信不通のままだった。

震災直後に倒壊したチキンジョージの前でインタビューを受ける社長のやつれた姿がいまだに瞼に焼きついている。


当時、私はまだ横浜で暮らしていた。

両親が事故で死んで、京都に舞い戻ったのが、震災の年の夏。

いいわけがましくなるが、遺産相続の手続きや、後片づけなどで、とても震災復興の手伝いなど、できる状態ではなかった。

息を吹き返し始めた街に遊びに行こうかな?と思いはじめたのが、ちょうど3年前の初夏。

天災で痛手を受けた街に集まる人の種類というものは、時間を追って遷移していくものだと思う。

まずは、篤いハートのボランティアたち。
せこい商売を企むヤクザなやつら。(西宮あたりの2国で、ちゃちい弁当が2000円ほどで売られていたのは有名な話だ)
震災をネタに売名行為をはたらくやつ。実際、そこから政治家にのしあがったやつもいる。


そして、土木屋、大工、左官などの建設付帯産業の面々。


その後に、街に流れて来るのは、
「そろそろ、ほとぼりも冷めたころだし、遊びに行ってみるか?」
という不埒な族。
私は、そういった人種の代表格と言っても良かった。


(つづく)




© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: