PR
どこの塾の授業でも、求めている方向性によって授業の質は換わってくる。
とにかく名物講師みたいなのを育てようとするならば、
パフォーマンスやら教室を包み込むオーラであったり、
そんな能力を身に付けることが、その講師の仕事なのだろう。
身振り手振りを大きくして、効果音を随所に使い、
生徒のテンポや波長を全て講師側に合わせ持ってくることが出来れば良い。
そんな先生は居たらいたで面白そうだし、
噂が広がれば売りにもなるんだろう。
でも、リアクションを大事にするばっかりに、
学校の先生のやり方を批判したり、愚弄したり、
そんな事は往々にしてやりえる事だろう。
「他の先生はこうやって教えるでしょ。
でも俺はちがうのさ!
こうやってやるとここ分かりやすいでしょ。(ここまでは良いとして・・・)
だから他の先生なんて信じちゃダメだぜ!」
みたいな・・・
人気取りを意識する大手塾の講師や学生講師には、
こういうタイプが結構居るんじゃないかな。
そのパフォーマンスを見て、楽しんで、家にやった内容を持って帰ってきて、
ノート見て、「なんじゃこれ?!」じゃ困るわけですよ。子供たちは。
以前誰かから聞いた話だが、
ある予備校の超人気講師の授業をウチでも復習しようと、
テープレコーダーを持参した学生が居た。
いつもの様に「スゲー!!」という授業だったものを、
家で聞いてみたら、「なんじゃこれ!!」
こんな感じになったらしい。
どの塾にも予備校にも戦い方が必ずある。
それを否定もしないし、凄いなとも思う。
でも自分の授業はそういう授業じゃない。
だから自分の授業を「良い授業できたなぁ」と思えるのは、
年に数回だけ。
他は「あのタイミングであれを・・・」
「あそこではああやって・・・」
「あいつこんな風に・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
基本反省というか回顧している感じ。
完全に、生徒のコンディションと、モチベーションと、体力と、
空気と、そこを流れる時間とがシンクロした時に満足いく授業が存在している。
これらシンクロする要素たちは、実際にはこちらのスキルがものを言う。
これら全ての要素を瞬時に組み立て、
授業時間というテーブルに並べ広げられる能力。
残念ながら、全てが劇的に揃うタイミングなんてめったに無い。
だからこそ険しい塾講道を、いろんなものをかき分けながら進んでいる。
「いやぁ~今日もいい授業だったな~」
なんていっつも思ってしまうような講師にはなりたくない。
全ての要素を兼ね備えたら、
より高みを目指す準備が出来た訳だ。
また反省・回顧が始まるわけだ。
自分のできない事を、簡単にやってのける先生は必ず存在しているはず。
ならば自力でその次元まで行けばいいだけ。
爺さんになっても(笑)
生徒のためのウィルテキスト 2014.07.29
自己○○力 2009.03.31
中1に警告 2008.09.30