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女(クリシャ)は海辺で見てしまいます。 二匹の人魚(姉はゴールデン、妹はシルバー)が美しい歌声で人を呼び寄せて喰ってしまうところを。 そのまま逃げればよかったものを、自分の職場に連れてきてしまいます。 職場とは、ダンスホールまたはストリップ劇場とでもいいましょうか、女はここで働く専属歌手です。 クリシャは人魚が人間界でうまくやっていけるよう、オーナーに取り計らい、雇ってもらえるように紹介したり、仮死状態になればプールに放ち、蘇生を試み、 夜の人間界で好まれるダンスや歌を教えたことでしょう。 ふたりの人魚のうち妹のほうが、若いバンド仲間に恋をしてしまいますが、やめたほうがいい、とアドバイスするでもなくただ見守るだけ。 彼女は、自らの夜の歌手としての勤めを毎晩果たす。 主人公は若き二人の人魚であり、クリシャはわき役の一人です。 けれども、劇中通じて表情がさえないクールな彼女の様子には数々のメタファーが見え隠れしているようです。 ◼そもそも、なぜ、彼女は人魚を連れて帰ったのか? ・人魚が見せ物になるとピンときて、ショーに出せば、客入りが良くなり職場が活性化すると思った(笑) ・オーナーから、いいのを連れてきたと言われ株が上がる(笑) ・一度でいいから人間界を見てみたいという人魚の願いを聞いてあげたいと思った ・人魚の魔力(魅力)にとりつかれた ・連れて行かなければ、おまえも喰うと脅された 冒頭のシーンで叫び声をあげた彼女ですが、ラストシーンでは 声も手も出ず、人魚の片割れを海に見送るのみです。 はじまりは彼女が人魚を連れ帰ったことで、バンドのメンバーの不幸を招いたわけですが、彼女自身どうすることもできなかっただろうと思います。 ダンスホール・ストリップ劇場の世界では、セックス、ドラッグ、マネーなどが交錯し、快楽、欲望、堕落、破滅やらが紙一重にある場所に生活する彼女でありますが、それでも歌を歌うことが好きでここまでこれたのではないでしょうか。歌がすごいうまいというわけではないが、どんな歌も歌えて踊れてオーナーも彼女を使いやすい。仕事を変えることもなく、ここまできてしまった。ベテラン歌手としてバンドメンバーを従えて舞台に闊歩する彼女のかっこいいことといったら。経験からきた自信なのだと思います。 (ちなみに、このシーンで、ハイヒールを鳴らして、オフィスから会議室まで向かう女性管理職をイメージしてしまいました(笑)後ろに男性部下を従えて。ありがちでしょう?) が、プライベートの彼女の姿はあんまりかっこよくない(笑)。 非番の日は、疲れを癒すためのだらしない姿。フツーですよ、よくある女性の姿です。(そして、職場ではかっこいい管理職女性もしかり、ただのおばさんです(笑)) 職場と家の往復。けれども、なにかそんな日常に一石を投じたい、変化を求めたい何かがあるのではなかろうか。 夫との夜の営みで、妄想してしまいます。 自分は人魚の母で、両おっぱいを姉妹の人魚のこどもに与えているところを。そんな邪念で、夫の息が魚の生臭い感じがして気になってしまう。 この映画のテーマは、スモチンスカ監督のインタビュー記事をいくつか読んで推測するに、若い女性の成長物語で、”若い女性が自分を見失わないで生きていって欲しい”ことがテーマにあるようです。 ・一人は少女から女性に成長していく過程にある女の子=ゴールデン ・一人は、まだ少女のようでいる女の子=シルバー ちょっとまってください、自分を見失わないで成長していく若い女性にも未来があります。そう、中年女のクリシャは、若い女性の近い未来の姿ですよ? 自分を見失ないそうになりつつも自立したらば、気づけばよれて疲れた中年女の姿がここにあります。 人魚に戻ることを選んだ姉のゴールデンの数十年後かもしれません。 <まとめ> ホラー、ミュージカル、ファンタジー、恋愛 のミックス映画で、B級ホラーなシーンを交えながらも、すばらしい歌と歌詞で楽しませてくれる、大人のためのおとぎ話に仕上がっていました。おすすめです。 ___ <スモチンスカ監督のインタビュー記事よりピックアップ> fangoria.com、Interviewなどから ~私にとっては、エンディングはよりシンボリックなものです。愛とは何かという、イメージの背後に残されている何かについてです。人魚というのは、人間がこのようなものだと思いたがっているイメージです。人魚は想像のもので、人喰い人魚であるということなど受け入れがたいでしょう。たくさんの若い女性が、人間関係の中で、若い女性はこうあるべきであるという欲求を感じでいることでしょう。あなたが本当はどんな人であるか知ろうともしない。個性があるということを十分に考える時間はないからです。私にとってエンディングは知ることの困難さの表現なのです。 これは、ある意味でとても個人的なストーリーなのです。人魚はマスクのようなものです。母がポーランドの共産主義時代にレストランバーを営んでいて、灰色の時代を忘れるために、ウォッカを飲みにやってくる個性的なキャラクターの人たちに魅了されていました。両親は作曲家でもあり、映画にあるようなバンドをやっていました。それに初恋というモチーフが好きで、 人々もそれにお金を払いにやってくると感じていました。←ここ、大事ですネ! ポーランドでも、北欧でも人魚の彫刻はブラをつけていない。ブラはディズニーがつけたもの! 姉妹は互いにテレパシーのようなものでつながっている シルバーのような若い子には、「しっぽをきるな」と言いたいです。 ゴールデンのような若い子には、「そのままでいい、あなたの道にこだわりをもって進め」と言いたい。 <スモチンスカ監督の好きな映画監督> ロマン・ポランスキー、クシュシュトフ・キシェロフスキなど <オープニングタイトルの変な絵> 女性画家 アレクサンドラ・ヴァリシェフスカ によるもの 【中古】DVD▼アンナと過ごした4日間【字幕】▽レンタル落ち
2017年09月23日
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世界的出版社ペンギンランダムハウスの子会社である英国のDK社から出版されたジュニア向け図書図鑑の日本語版です。 子どもだけでなく、大人にも見応えのあるビジュアル本です。 お金のしくみをわかりやすく著すだけでなく、経済学者や作家らのことばをページ随所にちりばめており、お金にまつわるヒントが見え隠れしているようです。 男性経済学者のことばが多い中、女性の経済学者らも取り上げられています。 ◆ベアトリス・ウェッブ 夫と共にイギリスの二大政党のひとつ労働党設立に尽力した。 ◆マリリン・ウォリング 著書「新フェミニスト経済学」はフェミニスト経済学の道しるべとなった。 ◆クリスティーヌ・ラガルド フランスの経済・財務・産業大臣を経たのち、2011年から2017年時点 までIMF専務理事。 引用されたことばのうち、たとえば、いくつかの印象的なキーワードをご紹介しましょう。きっと、読む人それぞれに響くことばが見つかるはずです。 ◆スティーブ・ジョブズ アップルの共同創業者 ~人生でもっとも好きなことをやるのに、お金はかからない。 だれもがもっているもっとも貴重な資源は時間なのだから。 ◆ウォーレン・バフェット 米国の経営者、投資家 ~きょう、だれかが木陰に座れるのは、ずっと昔に誰かが木を植えたからだ ◆エリザベス・ウォーレン 法律学者。マサチューセッツ州上院議員。民主党。 大学院で講義していた科目は「破産学」。 ~年金は賃金の後払いにすぎない。 10代からのマネー図鑑 [ マーカス・ウィークス ]
2017年09月19日
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今年もやってきましたジブリ系の夏休み映画です。 スタジオジブリから独立し、新しいスタジオ「スタジオポノック」を立ち上げた米林宏昌監督の 作品です。 最近のジブリ系映画は、ちょっと昔の英米児童文学からテーマを拾ってくることが多いようですね。原作は英国児童文学作家メアリー・スチュアートの『The Little Broomstick』(1971年出版)、日本語翻訳版『小さな魔法のほうき(1971年出版)』。 この映画では、日本を舞台にリメイクするわけでなく、あくまで原作の舞台設定をベースに仕立てています。 主人公メアリは、片田舎に住むシャーロット大叔母さんの家に引っ越してきました。両親は仕事で忙しく同行できず、ひとり先にやってきました。 大叔母さんの家には素敵な庭があり、メイドと庭師を雇っている立派な家のようです。大叔母さんは、質素な出で立ちでメアリを出迎えます。落ち着いていて包容力があり、メアリは到着初日からすっかりくつろいでいるようです。 映画の始まりは、赤い髪の少女が、炎燃えさかり不思議な魚の妖怪のようなものから必死に逃げていくシーンから始まりました。 そのため、一転して大叔母さんの家の場面では、眠くなってしまうくらい時間がゆったり流れています。 メアリは田舎の時間を持て余し、庭にでて、庭師の仕事のじゃまをしたり、飼い猫の誘いに乗り森に入って、美しい花を摘んだりしています。 が、その美しい花がすぐに大問題に発展するのです。 猫の道案内に従い、森の中から、魔女の島へほうきにまたがって飛んでいき物語は急展開を示します。 それきり大叔母さんの話はおしまいかと思いきや・・ 鏡越しに現れ、美しい花の由来を告白し始めるのです。 大叔母さんが、なんと映画出だしの赤毛の魔女の少女本人であったことを。勇敢にも気が狂った魔法学校長から秘宝を持ち去り逃げてきたあの少女が、優雅に平穏に慎ましく暮らしている大叔母さんとは! ギャップがありすぎます。 そして勇敢さのかけらが当初のシーンからはみじんも感じられなかったことに違和感を覚えてしまいます。 が、大事件を経験した子どもというのは、案外何でもない普通の暮らしを望むものなのかもしれません。魔女から足を洗ったらしい大叔母さんは、どんな仕事をしていたのか、どうして大きな家で暮らしているのか、メイド付きの暮らしなのだから、お金持ちそうではあるがなんの説明もなく、いったい全体、どのように大人になって、年を重ねたのか映画からはしる由もありません。 しかし、勇気を振り絞って、間違った道から方向転換する。そして安定した平和な生活を目指す。それを叶える。 ということは、これまた案外できるようで達成しがたいものなのかもしれません。 大叔母さんが心の奥にしまい込んでいた魔女の心を、親戚の女の子の生還のために解き放つなんて、心温まる話じゃありませんか。 現に、それがきっかけで、メアリは人間界に戻ってくることができたのですから。親戚の子どもの未来を見殺しにすることなく、しっかり取り戻す。 後からやってくるという、メアリの両親もそんな事件が我が子に降りかかっていようとは思ってもみないであろうし、知ることもないでしょう。大叔母さんは、ただ笑顔で両親を出迎えることでしょう。 「メアリは元気に過ごしていましたよ」と。 大人が子どもを見守る社会。現代では失われつつあることかもしれません。 あなたのすぐそばにも、メアリの大叔母さんのような人はいませんか。 そして、メアリの大叔母さんのような人でありえますか。 自問自答してしまいます。 おいしいお茶、ただただ流れる穏やかな時間、美しい庭、かわいらしい飼い猫、お手伝いさんや庭師に友好に応対する、気にかける。近所の元気な少年の好物のジャムを作り渡す。 田舎の暮らしはのんびしていているようにみえて、やっていることは都会の人より忙しいかもしれません。特におつきあい面においては特に。 観客のひとりとしては、大叔母さんの魔法学校時代の姿をもっと見たかった、どんな少女だったのだろうと想像するばかりです。 <役柄とその声優> 大叔母さん・・満島ひかり 成長した魔女の少女(赤毛の魔女)・・大竹しのぶ <全体観> お子様向けの映画のようですが、まさしくお子様向けに作りすぎていて、お子様も感動しがたい映画に仕上がっていました。私は上映後に、映画を見終わった観客の表情を必ず見るのですが、おおかたのお客様の表情は同じでありました。 次回作に乞うご期待です。 【中古】 メアリと魔女の花 新訳 角川文庫/メアリー・スチュアート(著者),越前敏弥(訳者),中田有紀(訳者) 【中古】afb 《即納》メアリと魔女の花 ミニタオル ティブとギブ
2017年09月11日
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ここにとある文を引用しましょう。1963年、当時齢28歳の女性が書いたものです。~わたし自身は、人間が(男女問わず)究極的には「マイ・ホーム」にもぐりこんで家庭第一、ささやかなしあわせ、天下泰平を謳歌する時代にむかっていくことに、なんの魅力も覚えません。今日は平均的女性がめいめい安心できる「巣」をもとめるのは当然のことですし、それが今日の事実でもありますが、大の男が、これを理想としてかかげるのはみるもなさけないことです。いまや(というより、じつはアダムとイブの昔から)平均的男性は家庭という檻に入れられた家畜であり、かれらはエサを運んでくるためだけ外にでることがゆるされています。ひとりの女性を愛したとおもいこみ、女性が自分のからだの形にあわせてつくった家庭という罠にはまりこむと、やがてこの男性はだらしない夫となり、よきパパとなる。女性の全面的な勝利です。女性がどの点でつよくなったかといえば、日本ではむしろ男性を捕獲して堅実な「マイ・ホーム」を営むことにおいて、女性が大いに強くなったとみられます。わたしは女性がつよくなるとしたら、家庭の経営者としてよりも、家庭の外で強くなるべきだと思います。子孫の存続などは、個人の「あやまち」の集積としてであれ「愛の結晶」としてであれ、ともかく実現されていくに決まっています。人類の歴史にとって真に創造的な仕事とは、人類を生きながらえさせることではなく、食うために生き、子どもを生むために生きているようなほかの動物にはできない仕事のことです。人間が国家より家族を守ることに徹し、「第二の性」しかいない平和な時代がやってきたとすれば、おそらくこの平和は人類のしずかな衰滅の別名なのでしょう。わたしたち女性は消費生活の管理者として強くなるより、社会的生産の中で、創造的な仕事を担当することによろこびをみいだすことでしょう。私の「悪夢」によれば、21世紀にはおそらく家庭の崩壊がすすみ、子どもと老人の社会的管理が確立し、死刑執行機関としての国家はサーヴィス提供株式会社のひとつになるでしょう。21世紀が愛も結婚もない乱交の時代でありますように!~*~*~*~*~最後に決めゼリフで修辞です。本質的なところは変わっておらず、今も女性は基本的には家庭のことが関心の中心でしょう。家庭の経営は女性が担うという約45年前の亡霊化しつつある価値観の時代に成長した父親に育てられた子どもたちが今育児世代ただなかにあるなか、外で仕事をする女性はワンオペ家事育児に翻弄され、外の仕事に支障をきたすまでになっている。(とはいえ、20代前後の若いお父さん世代には当てはまらない人も増えておりこの限りではない)先見の明に長けた女性作家でしたが、生きていれば現在御年82歳、文壇の枠を超えてしゃあしゃあとした物言いで活躍されていたことでしょう。時折、過激ともとれる主張で度肝を抜かれることもありますが、その分、先見の明に長けた作品やエッセイを多く残していらっしゃいます。~『最後の祝宴』倉橋由美子「家庭論」と私の「第三の性」より 一部引用
2017年09月05日
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こんにちは♪womanfilmです。「ブータン 国民の幸せをめざす王国」創元社 熊谷 誠慈から、印象的なことばを記します。人間は常に瞑想しなければならない。心の中を旅することによって、自分がやっていることが良いことか悪いことかを問いかける必要がある。自分の持っている欲望の善悪について問いかけることが必要だ。~ブータンの国立博物館のソナム館長の話(P60)彼の伝記には死んだことが説かれていない。書いてあるのは、「ある年のある月の10日に、われわれが住む閻浮提(えんぶだい)を後にして、阿弥陀物では極楽に当たる彼の本当の住まいであるサンド・ペルリ(銅色に輝く吉祥山)に戻った。~チベット・ブータン仏教のグル・リンポチェ師について(P89)
2017年09月03日
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こんにちは♪womanfilmです。久しぶりに「女と映画」の視点で映画評を書きたいと思います。2012年に公開されて、話題となった細田守監督のアニメ作品『おおかみこどもの雨と雪』です。主人公はお母さんとその子どもたち二人。今回はお母さんの雪をみていきたいと思います。このお母さん、このブログで作ったカテゴリに当てはめるとほぼほぼ「芯のある女」に該当すると思います。そもそも、好きになった相手が「狼男」だと知ったら、ふつう、引きますよね?どん引きですよ。現実的には、狼男とはトラブルがないように別れてから、確かに人間と確認できた男とつきあった方がよいでしょう。(これからは相手がロボットでないか確認してからおつきあいする方がよろしいかもしれませんね。もし人間ご希望ということならば)普通の女なら、物語にはならないけれど、特別に芯の強い女性だからこそストーリーになる。国立大学の学生だった雪さんは、ふとしたことから狼男と知り合い、恋に落ち、妊娠し、休学し、出産し、翌年も出産し、小さな子どもを抱えた状態で、なんと・・・夫(未入籍かもしれません)を失ってしまいます。川に落ちて死んでいるところもみてしまいます。そこからが、彼女のシングルマザーとしての奮闘ぶりが描かれるわけですが。ほっんと、このお母さん子どもに怒りません。穏やかでマイペースで温かくて気丈で。姉弟が幼児の頃は、兄弟げんかで興奮すると、オオカミの姿になって部屋じゅうを散らかし放題にしてしまう有様ですが、おかあさん、「ああ、あめ、ゆき・・」と小声で呼びかけるだけでちっとも怒らないし注意もしない。人様に迷惑をかけることもない人里離れた一軒家に引っ越したせいもあるでしょうが、度を越してますよ。その辺にいるお母さんではありません、もはや女神か菩薩か聖母の域です。そもそも、好きになった相手が狼男でもよい、子どもを作っても育ててみせる、と度胸のすわった女性であるからこそできる技なのかもしれません。子どもが風邪を引いても決して小児科や動物病院にも行かず、ありとあらゆる本を読んで、狼の生態について、育児の合間を見て勉強している。引っ越しに当たっても、しばらくはなんと貯金だけで暮らしている。おっとり、ぼんやりしているお母さんに見えて、用意周到であり、しっかりしている。怒濤の日々を送りながら、パートらしい仕事を始めて、あっという間に10年が経ち、年子の子どもたちは、小学生の思春期にさしかかっている。上の子(姉)は、同級生をひっかいて傷つけてしまった事件がきっかけで、人間として生きることを決意し、下の子(弟)は、人間として生きるのが辛く不登校になっており、狼として生きることを選んだ。齢10歳にして。野生の狼の寿命は一般的に5年程度であるようなので、十分大人の狼になっています。弟は、嵐が来る日に山に入り、後を追いかけ山に入って崖から落ちて気を失ったお母さんを助けてから、最後に立派なオオカミになった姿で高い崖から遠吠えを聞かせます。お母さんとしては、急に手元から子どもが巣立ってしまい途方に暮れます。「まだあなたになにもしてあげていないのに・・!」と叫びますが、弟にしてみれば、もう充分育ててくれました。それは映画でも延々と描写されて、映画を観た人にもそれはひしひしと伝わってきます。お母さんは、はたと理解します。一人前のオオカミになったのだと。そうして、元気でただ生きていてと願うのです。これ、社会人として巣立った子どもを持つ、すべての母の思いに共通するものではないでしょうか。後日、ふとした瞬間に、山の方からオオカミとなった我が子の遠吠を聞いて、「あ、生きているのだな」とほのかな喜びに包まれる。お母さん冥利に尽きますって。一方、姉の方は、ひとりの男子生徒から、オオカミ女であることに理解を得ている。このまま二人は仲良く成長して、姉もこれから順調に生きていかれるのではないかという安心感を、映画はエンディングでほのめかしてくれます。シングルマザーとして奮闘したお母さんの育児は間違っていなかった。正しかった。ほんとうにご苦労様といいたくなるラストシーンで締めくくられています。このアニメ映画、純愛と純愛のたまものである子どもたちの成長も描いておきながら、主題は「シングルマザーの奮闘記」なのではないだろうか。
2017年09月01日
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