ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.06.12
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カテゴリ: 日本史
黒船来航(3)

結論を先に記しますと、実は徳川幕府は、米国艦隊の来航を予想し、消極的ながらそれを歓迎する雰囲気を持っていたのです。

いきさつを記します。幕府は、砲艦外交で中国を屈服させたイギリスのやり方に反発し、強い反英意識を持つようになっていましたし、イギリスのやり口に大きな脅威を感じていました。

その反動から、同じように日本への接近を試みている、アメリカとロシアには、比較の問題ですが、多少の親近感を抱いていました。ロシアは既に何度か開港を打診してきています。

一方、アメリカは最後に日本にやってきた国です。1846年に2艘の軍艦が浦賀沖にやってきました。このときは、結論を出す以前に、アメリカとメキシコとの戦争(米墨戦争1846~48年)が始まり、急遽帰国しました。

アメリカとの2度目の接触は、49年3月の長崎でした。米国東インド艦隊のプレブル号が、自国の漂流民の救出に来たのです。実は前年48年に蝦夷地(北海道)に漂着した捕鯨船員が、長崎に送られているという情報が、オランダ経由で伝えられたのです。

徳川幕府は外洋船を持ちません。そこでオランダ船に依頼しての送還を思いついたのです。プレブル号のグリン艦長は、捕虜が軟禁されていると考えて救出に来たのですが、事情は違っていました。漂流民の待遇は悪くなかったのです。ここでは、長くロシアで漂流民として暮らし、やがて送還された大黒屋光太夫らからの、事情聴取の成果が生かされていたのです。

グリン艦長は感激します。結果として、長崎奉行との話し合いは円滑に進み、この件は円満に解決したのです。この経験から、幕府はアメリカに好印象を持ったのです。

頻繁に日本を訪れるようになった外国船の様子から、鎖国体制の維持が難しそうだと悟った幕府は、列強と交渉するならどこが良いか、友好国オランダの情報も参考に、一応の判断をもつに至りました。



来航の時期は明白ではなかったですが、アメリカ東洋艦隊は、翌53年には、条約の締結を目指して日本にやってくるだろうと、記していたのです。

反英意識とイギリス脅威論が強い幕府は、アメリカの来航を心待ちにし、来航地は長崎か浦賀のどちらかであろうと想定しました。そこで問題となったのが、長崎には常置しているオランダ語通詞が、浦賀にはいないことでした。

そこで、優秀なオランダ語通詞の堀達之助を浦賀に赴任させたのです。浦賀沖での堀の英語の一文は、アメリカ船との交渉のために、堀が準備したものだったのです。

ペリー艦隊の浦賀来航は、徳川幕府にとって、想定外の事態ではなかったのです。
                                 続く





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最終更新日  2011.06.12 18:19:36
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