ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.06.19
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カテゴリ: 日本史
黒船来航(9)

ペリーが日本側の返事も待たず、僅か9日の滞在で、日本を後にした本当の理由は、彼の日記にだけ書き残されています。

それは、食糧の備蓄が十分でなく、交渉が長引いた場合に、中途で引き上げざるを得ず、交渉そのものが失敗に終り、自ら墓穴を掘ることになると、畏れたからでした。

戦闘に訴えることが出来ないことの弱みが、ペリーをして、早期の日本からの退去を決断させたのです。ただし、彼は本国アメリカに向かったわけではなく(それには食糧も燃料も足りません)、琉球に立ち寄り、そこで水や食糧を得ると、翌年の日本再訪までの期間、1度も本国に帰らず、中国沿岸や琉球、小笠原諸島などで、時を過ごしています。

さて幕府はどうしていたでしょうか。外洋船を持たない幕府には、ペリー艦隊を追跡し、行き先を偵察する能力はありません。そこで幕府は、翌春とされたペリー艦隊の再訪に備え、対応策の検討に取り掛かりました。

指揮は、35歳の老中阿部正弘。阿部は、23歳の時に福山藩10万石の藩主から老中に抜擢されました。そして25歳に若さで老中首座に就任、すぐに並々でない指導力を発揮した逸材でした。1854年には59歳になっていたペリーとは、親子ほどの年の差がありました。

この阿部は、若さを武器に思い切った手を連発して、未曾有の国難に当たります。彼がとった第一の措置は、受理したアメリカ大統領の国書を回覧に付し、広く各界の意見を聴取したことです。受理した7月14日の2週間ほど後、7月31日のことでした。

老中が各界の意見を求めるなど、当時の日本では、まさに前代未聞の出来事でした。
                                  続く





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最終更新日  2011.06.19 21:45:54
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