ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.06.23
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カテゴリ: 日本史
黒船来航(12)

ところで、前年7月の来日以降の7ヶ月間、ぺりーは中国沿岸の港湾や琉球、小笠原などで過ごしていました。本国へは帰っていません。海軍では、司令長官の乗る旗艦が司令部になるのですが、当時のペリーは、司令長官として、多くの課題に直面していました。

第1に、ペリーが徳川将軍家に差し出した国書は、共和党の系譜に繋がるフィルモア大統領のものでした。ペリー自身を東インド艦隊司令長官に任命したのもフィルモアでした。しかし、ペリーがアメリカ西海岸を出航した、1852年11月に大統領選挙があり、フィルモアは民主党のピアース候補に敗れ、53年の3月には大統領が交代していたのです。

つまり、徳川将軍家が受け取った国書は、正確には前大統領の国書だったのです。そして何より、ピアースと民主党の対外政策は、フィルモア時代よりずっと内向きでした。増強されるはずだった艦船の到着は、延期されていました。

第2に、ペリーが中国に長く滞在することになった事にも関係するのですが、国務省の中華弁務官(今で言う中国総領事でしょうか)と、海軍省のペリーの間で、中国重視か日本重視かで、見解が分かれていたことでした。

そして第3に、ロシアがプチャーチン使節団を日本に送ったことです。プチャーチンはペリーに1歩遅れましたが、53年の夏に長崎に来航し、米露間の対日一番乗り競争が激化していたのです。

上海の各国使節の間では、プチャーチンが先を越すらしいという、まことしやかな噂まで飛び交い。ペリーも心穏やかではなかったのです。

ペリーが、航海には不向きの厳冬期にも関わらず、予定を繰り上げて日本訪問を急いだのは、こうした事情があったからでした。
                              続く





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最終更新日  2011.06.23 21:18:25
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