ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.06.28
XML
カテゴリ: 外国史
クロニクル サライェヴォ事件

1914(大正3)年6月28日

97年前の6月28日は日曜日でした。この日、ボスニアの首都サライェヴォは昨夜来の雨もあがり、雲一つない快晴だったと記録されています。このサライェヴォで1ヶ月後の7月28日に,最初の戦端が開かれることになる、第1次世界大戦を招き寄せる大事件が起きたのは、11時15分頃のことだったと伝えられています。

そうです。オーストリア、ハプスブルグ家の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻が、ボスニアのオーストリアからの独立を支援する隣国セルビアの民族主義運動家の秘密結社「黒い手」が派遣した刺客が放った銃弾に倒れた、あのお馴染みの事件が起きたのが、97年前の今日なのです。あまりの衝撃に、当日の天候から時刻までもが、克明に記録されているのです。

ボスニアは旧ユーゴスラヴィア連邦解体後の民族紛争、とりわけ、ボスニアのセルビア系住民によるイスラム教徒(ボスニアではイスラム人として1民族に数えられます)並びにクロアティア系住民の虐殺と民族浄化運動で知られることになりましたが、既に20世紀初頭から民族紛争が絶えない地域だったのです。

当時のオーストリア皇帝は、悲劇の皇帝と言われた80歳の老皇帝フランツ・ヨーゼフでした。
彼の弟マクシミリアンは,フランス皇帝ナポレオン3世に口説かれてメキシコ皇帝に担ぎ出され、メキシコ人の反乱にあって、1867年に銃殺されました。1人息子のルドルフは、1889年に愛人と変死しました。息子の死の悲劇に耐えた皇帝が、皇位継承者に指名したのが、甥にあたるフランツ・フェルディナントだったのです。皇帝はウィーンの宮廷で、後継者に指名した甥の遺体の到着を待ったのでsu


しかし、疑問は残ります。ボスニアに反オーストリア感情が強いことは良く知られた事実でした。だかたこそ、この日、オーストリア軍は大規模な軍事演習を催し、セルビア系住民を威圧するプランを立てていたのです。そんな危険な地に、オーストリア政府は何故皇位継承者を


この先は、過去ログに第一次世界大戦のシリーズがあります。2007年の年末から、翌年にかけての連載しました。ご覧いただければ幸いです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.06.28 03:08:11
コメント(10) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

「稚内 20日目」 New! でぶじゅぺ理さん

今時の運動会は、You… New! naomin0203さん

大きくならないのか… New! あみ3008さん

秋が勝負に!! New! 歩世亜さん

Summertime New! nik-oさん

コメント新着

でぶじゅぺ理 @ Re:石破辞任(09/09) 明けましておめでとうございます。 本年…
葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…

バックナンバー

・2026.05
・2026.04
・2026.03
・2026.02
・2026.01

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: