ナイチンゲールの世界 (18)
1850年の8月、カイザースヴェルトでの2週間の研修の余韻を身にまとって、30歳になったフローレンスは、家族が夏を過ごすリーハースト荘に帰りました。
ここで彼女は、家族にカイザースヴェルトでの体験を話し、どうしても病人や怪我人の世話をする仕事に就きたいと、懇々と自分の気持ちを話しました。勿論、神の啓示を受けたことも含めて。
それでもなお、母と姉は、猛烈な勢いで反対しました。最後には2人ともヒステリーの発作を起こすほどでした。こうなると2人とも病人のような状態ですから、フローレンスの性格として、2人を放置して家出するわけには行きません。
母のファニーは、「貴女は何と恥知らずなの。どうしてそうナイチンゲールの家名に泥を塗るようなことをするの」と、うわ言のように訴えます。ヒステリーの発作の収まった姉のパーセノーブは、今度は欝の症状を示しました。
フローレンスは、姉の症状が落ち着くまで、自分がそばにいることにしました。瞬く間に半年が過ぎ、51年の春には、姉の症状も改善してきました。
フローレンスは、家を出て独立する決心を固めていました。3月末、フローレンスは1人でカイザースヴェルト慈善院に向かい、6月末までの3ヶ月、院内の捨子院で寝泊りしながら研修を受けました。
食事は日に2回、お茶とライ麦パンと野菜スープという質素なものでした。(1日2回の食事は、19世紀中頃の上・中流階級では、一般的な食事形態でした。仕事のきつい工場労働者だけが、空腹では昼までの労働に耐えられないと、朝食をとるようになっていました)働きながらの研修は厳しく、自分の汚れ物を洗濯する時間もないほどでしたが、毎日が充実していました。3ヵ月後、フローレンスが看護婦試験に合格しました。
カイザースヴェルトでの研修を終えたフローレンスは、今度はフランスに向かい、パリ市と周辺地域の病院や施設を訪ねて、看護の実際の外に、病院の組織と運営の実際を勉強しました。フランス特にパリと周辺の病院は、病院施設と組織の近代化の先頭を走っていたのです。
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