ナイチンゲールの世界 (22)
英・仏・トルコの連合軍とロシアとの戦いは、、先ずは当時はトルコ領だった、現在のブルガリアからルーマニアにかけての一帯が戦場となったのですが、英仏軍の近代兵器に劣勢となったロシア軍の後退で、やがてクリミア半島が主戦場になったのです。
自国領のクリミア半島にまで後退したロシア軍は、天然の要害であるセヴァストポリの要塞に立て篭もったのです。セヴァストポリ要塞は、海側からは見えない高台にあり、海からの砲撃は無理な位置にありました。また要塞の周囲は、岩石の城門が二重、三重に張り巡らされていて、突撃しても狙い撃ちに遭うばかりという、難攻不落の要塞だったのです。
このため、1854年夏ごろからの1年余、戦争はセヴァストポリ要塞を巡る攻防戦として行われました。このため、いつの頃からか、この戦争はクリミア戦争と呼ばれるようになったのです。
そしてまた、クリミア戦争は、19世紀の30年代から、次第に普及し始めた日刊の新聞社の一部が、戦地からの報道を読者に届けることで、他紙と差別化して、多くの読者を獲得しようと、初めて戦場に記者を派遣した戦争でもありました。従軍記者がここに誕生したのです。
日本では、1904~05年の日露戦争に従軍した国木田独歩や田山花袋の戦地からの報道が有名ですが、西欧ではその50年前から、戦場からの記者の報道が、読者に送られていたのです。
英紙『タイムズ』のウィリアム・ラッセル記者の従軍記がそれです。そして彼の記事こそが、フローレンス・ナイチンゲールを戦場に向かわせることになるのですが、もう1日余裕をいただいて、明日は、当時の新聞について記したいと思います。
続く
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