きゅりおそうと

きゅりおそうと

熱性けんれん

☆★☆★☆★熱性けいれん☆★☆★☆★


けいれん・・・その1<きっかけ>

初めての大きな病気は、生後半年目の突発性湿疹。
その時は、普通に収まったが、産まれたその年の年末、同居のお姑さんが風邪をひいて、 10ヶ月の息子を抱え、大きなお腹(妊娠8ヶ月)の私は、旦那の車で、お姑さんを行きつけの病院へ連れて行った。。
どうやら、その時に風邪を移されたらしく、その日の夜、熱を出した。

夜中、突然、息子が、急に白目をむいて、震えだし、びっくり!!
私は、結婚前、保母をしていたのだが、たまたま「けいれん」を見たことがなく、 でも話を聞いたことがあったので、それが「けいれん」だということがすぐわかった。
「落ち着け!落ち着け!」と自分に言い聞かせ、旦那を起こし、救急病院に・・・
病院に行くと、先生が、「けいれんはどのくらいの時間でしたか?!」と聞かれ
「1,2分です。」
「なら、大丈夫です。5分以上起こすようであれば、救急車を読んででも、 すぐ大きな病院に行ってください。」と言われ帰ってきた。

そして、次の日の大晦日の朝、7時。
また、「けいれん」を起こした。
先生に言われていたので、すぐに時計で時間を測った。
すると、ゆうに5分は過ぎてる!!!!!
慌てて、救急車を呼んだ。
救急隊員の方に「行く病院は?」と聞かれ、
「特には・・・」と答えると「じゃあ」と探してくれて
「○○病院の小児科は、結構いいから」と大きな市民病院を紹介してくれ、連れて行ってもらった。
病院に着いて、見てもらった結果、先生が、
「表面的には『けいれん』は収まってるけど、体の中はまだ『けいれん』起こし てるよ」
そのまま、入院決定!!
脳波の検査などいろいろさせられた。

けいれん・・・その2<入院>

私が、妊娠8ヶ月だったので、病院側が気を使ってくれて個室にしてくれた。
朝、救急車にTELした時点で実家の両親にTELしていたので、新幹線に乗って、 すぐに、おせち料理を持って、来てくれた。
ダイチと私と実家の両親ともちろんお腹の中のハルカ(まだその時は名前は無かったけど・・・)と病院で年を越した。
ダイチにとっての初正月は、病院のベットで迎えた。
「あけましておめでとう!!」・・・次の日、起きて、みんなで言葉を交わした。
朝ご飯は、おせち料理。
ダイチのことが心配だけど、そんなさりげない時間がすごくうれしかった。
両親は、「そんなに何日もいられないから・・・病院に迷惑かけるし」と翌日、家に帰っていった。
3ヶ日は、検査も何も無く過ぎていった。
4日から、脳波の検査、血液検査などいろいろ検査をした。
点滴をしていたので、ダイチの顔がむくんでいる。
それでも、1週間後の血液検査でやっと退院の許可が下りた。

でも、入院した時のけいれんがきつく、それを抑えるためにきつい薬を使用したので、 症状が無いからと言って止めると副作用もきついから・・・と薬を飲み続けることを言われた。
先の見えない薬漬けの、そして、再発の不安の日々が始まった・・・

けいれん・・・その3<症状など>


もうちょっと待ってね。




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