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。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。暫く前から、文明人達は、この社会が、行き止まりに来てしまった事に気が付いた。行き過ぎた科学、退廃した人間達。彼らは、今更さながらに、自然民族達の、家の扉を叩いた。ここになら、私達を救ってくれる、何か叡智が、あるのではないかと感じて。しかし、ネイティブ・アメリカン、チカソー族出身の、作家、リンダ・ホーガンはこう語る。「私たちがほんとうに求めているのは、私たちの関係を癒す言葉なのだ。 この生命を生み出す、地球と言う星に生きる命たちと語り合う言葉なのだ。 トウモロコシたちと語り合うことの出来る言葉。 私たちのまわりにある神秘をとらえ、それを私たちに返してくれる言葉。 尊敬の念と不思議さに満ちた言葉。 それは想像の言葉であり、神の灯した火であり、 科学的厳密さの境を越えて神秘そのものへと迫って行く言葉なのだ。」彼らネイティブ・アメリカンでさえ、この様に追い込まれてる。古来の生き方を、文明人に奪われてしまったが為に。「人間として、私はいま、寄る辺を失っている。」 リンダ・ホーガン*2リンダ・ホーガンが言う様な、言葉を集めて紡いでみよう。それは、ネイティブ・アメリカンの言葉であれば、ジャーナリストの言葉でもある。そして、「動物」実験を行っていた、研究者の言葉でもあり、物語の中で老賢者が語った言葉でもある。誰もが答えを求め、そして答えを述べている。それは時空を越えて、一つの空間で出会い、手を伸ばし合い、蜘蛛の巣の様に、互いを編み込み、世界を創る。言葉もまた、美しい、生命を持った芸術なのだ。その芸術の作品名を、最後にフランク・ウォーターズが、響きで唱える。「この少数民族側(ホピ)のささやかな努力は、この惑星が調和か破滅いずれかの道を踏みしめようとしている今の時期に、より大きな国々がみならうべき事柄であろう。それはまた、今の世界が人類共有の「生命の道」の上で、もう一つの進化の段階に入ろうとすることを兆しするものでもあるのだ」 フランク・ウォーターズ*3「広い視野に立って動物を見ようというときに直面する問題の一つは、私たちの多くが人間を動物と全く異なったものと見ていることである。私たちは自分が動物界に属するとは考えていない。しかし、インディアンは違う。動物たちをそれぞれオオカミ、クマ、ネズミと考えるように、彼らは自分たちを、動物界に属する”ヒト”(インディアンの多くの部族の名はほんらい人間という意味合いをもっている)と考えている。」 バリー・H・ロペス*4「何がこれほど人の心をとらえるのだろう。手の上に残る死臭ではないはずだ。零下20度の気温の中で、誰もみな手袋をはずし、狼の遺骸をそっと撫でる。」「みな、あの子鹿に触れたがった。みな、あの狼に触れたがった。私たちのなかの何かが、大自然との交わりを望んでいるのだ。大地との繋がりを求めているのだ。」 リンダ・ホーガン*2「私は、天使として、教師として、あるいはヒーラーとして私の前に現れた動物たちの、深遠で永続的な役割を明らかにします。私は動物たちの面倒を見、動物について書き、生涯を通して動物の代弁をすることで、この特別な贈物に対するお返しをしていくことを誓います。私はまた、動物王国の自然な要素である神聖さ、特殊性、霊性を人々に歓喜することによって、人間と動物との関係の改善に努めます。」 スーザン・マケルロイ*5「オオカミたちは風化した岩に根を張りめぐらせるように、じわじわと南下しつづけている。ついにぼくらの人間としての本質が問われるときがやってきた。政治的に進歩したのか、根底においてはいまだに先住民を虐殺したころと何ら変わっていないのかー。オオカミたちによって裁かれるときがやってきたのだ。」 リック・バス*6「私たちは狼を追いかけ、境界線を越えてなんとか話しかけようとしている。私たちがここにいて、彼らとの会話を望んでいることを。」 リンダ・ホーガン*2「人間がオオカミのすべてを総合して眺められるようになるとすれば、それは人間の側に根本的な変化が訪れようとしていることを意味するものであろう。人間がついに自分自身に関する先入観を捨てて、人間が中心でない宇宙を考え始めたと言うことになるからである。」 バリー・H・ロペス*4「この発見は人間をアイデンティティの危機のなかに投げ込む。ガリレオの時代、地球が世界の中心であるという揺るぎない信念が崩れていったように。」 リンダ・ホーガン*2「ぼくらの歴史は根底では何も変わってはいないのだろうかー地中の奥深いところにある底盤のような罪、更生出来ない殺人者集団「人間」。今度こそ、ぼくらはオオカミと共存できる道を見いだすのか。もう一度チャンスが与えられたとぼくは信じたい。オオカミだけでなく、ぼくらのためにも偏ったバランスを崩すチャンスが与えられたのである。」 リック・バス*6「沈黙のなか丘の脇の道を歩く。狼がもう一頭の狼と出会う、あの優雅な儀式を思い出す。人間もあの儀式に参加したいと思っている。私たちはここで、狼との出会いを待ち望んでいる。狼と出会い、語り合い、その毛並みに触れたいと思っている。好意すら持ってもらいたいと思っている。狼になら見えるはずだ。私たちの魂が。」 リンダ・ホーガン*2「オオカミが人間の子どもを育てるなどという話を、一笑に付す人が多いとしても無理はないかも知れないが、それは賢明なこととは思われない。人間の住む牢獄のような都会から荒野を眺めるとき、また、因襲の束縛から解放された生活、罪悪もごまかしもない生活、一言で言えば本当の生活を送る権利といったものを求めるとき、私たちはオオカミを手本としてもよいのではないだろうか。私たちはオオカミのうちに、勇気と我慢強さと自分に正直な生き方を確かに感じる。彼らがこの自然界と調和して生きているのに対し、人間は自然とまだ仲違いしている。」 バリーH・ロペス*4「絹のような やわらかい目がいる 精神世界を見るには石のような かたい目がいる 物質世界を見るには その中にいるためには」 ブラック・ウルフ・ジョーンズ*1「もしもおまえが枯れ葉ってなんの役に立つの?ときいたならわたしは答えるだろう、枯れ葉は病んだ土を肥やすんだと。おまえはきく、冬は何故必要なの?するとわたしは答えるだろう、新しい葉を生み出すためさと。おまえはきく、葉っぱは何であんなに緑なの?とそこでわたしは答える、なぜって、やつらは命の力にあふれているからだ。おまえがまたきく、夏が終らなきゃならないわけは?とわたしは答える、葉っぱどもがみんな死んでいけるようにさ。」 タオス・プエブロ・インディアン(ナンシー・ウッド)*7
2008.04.05
私は、ずっと汎神論者として、このブログを用いて、生命観、自然観、世界観を綴って来た。先に書いてきたように、今はペット文化が乱暴に幅を利かせ、その中で、「動物愛護」と言う、一つの勢力が存在している。私とこの人方は、同じ様に捨てられた犬猫を、拾い、慈しみ、その幸福を思いやってきたが、そもそも、人間中心の世界観を持っているか、汎神論的世界観を持っているかと言う、根本的な違いを見ていた。ネットで見ても、汎神論的思想から、犬や猫の殺処分を訴えている人間は、今のところ、皆無のようだった。他にもこの国に汎神論者はいるだろうに、彼らは何をしているのだろう?まるで、非殺生を唱えながら、犬猫の殺処分を撤廃させようとしない、仏教僧たちみたいだ。今この国で、本当の汎神論者なんて、皆無に等しいのだろう。だから、こうした価値観から、生命倫理を訴えて行くことは、初めから、孤独な戦いだった。「動物愛護」勢力の中で、私は異端で、排斥される存在だった。その中でも、一応の、信念を貫いて来た事を、一つの成果だと私は考えている。ブログから、メールマガジンに記事を移行させて行く事は、ネットの中で、これ以上の成果は期待出来ないと、見切りをつけるべき時が来たからだと思ったからだ。そう思った一番の理由は、同行者が育たなかった事である。このブログを初めて、そこそこの数の人間が、私と一緒に頑張りたいと、申し出てくれた。しかし結果は、皆、途中で降りてしまった。原因は、申し出た人間の意識の甘さと、私の望みが大きかった事だろう。私は、一緒にやりたいと言いながら、何の自覚も覚悟もない相手と分かっていながら、その甘さを指摘しなかった。何しろ私のしている事は生半可な事じゃない。最初から、これが出来るかと聞いてしまえば、誰も残りはしないだろうと思って、相手の甘さに合わせて、取り敢えず付き合っておきながら、時間をかけて、覚悟に向き合ってもらおうと考えていた。しかし、元々覚悟のない人間が、何ヶ月、何年経とうと、本気を持つ可能性など、本当は殆ど、ありはしなかったのだ。結果として、人間関係のこじれを見ただけだった。最初から、この様に本気でなかったら、私は一緒には出来ないから、自分の力で、自分の出来る範囲で頑張って、と言っておけば、少なくとも、禍根を残す事はなかっただろうに。私は、命は何よりも大切だと言いながら、だから私の手伝いをしたいと言ってきた人達が、それに自分の命を賭けない事が不満だった。ある人は、口先だけの行動に私がうんざりとなって、もう少し本気になったら、と言う様なメールを送信したら、それきり連絡が来なくなった。また、ある人は、私の友人が、この人と本気で一緒にやりたいと言うなら、弟子屈近辺に住まなくては無理だと思うよ、と言ったら、この僻地で暮らして、三食食事を食べさせてくれるのか、車のローンを払ってくれるのか、年齢に見合った給料を約束出来るのかと言ってきた。結局私は、保健所の犬や猫に向かって、ここから助ける代わりにその条件を飲めるかと聞いたら、泣いて何でもするから、出してくれと言うと、不快も露わに言い渡した。私は少なくとも、自分で稼げない連中から、助ける代わりに金銭と保証を寄越せと言った事はない、と。悲しい事に、そうした失望はまだまだ他にもあった。うんざりする現実だった。命。毎日殺されている。その事への強迫観念が、もう少し、人間にあっていいのではないかと思っていた。少なくとも、私のブログを読んで、一緒に手伝いたいと言って来てた人達なのだから。保健所で、死を待って怯える子達の事を考えてみたら、貧乏や、苦労くらい我慢出来ないのだろうか?だったら、その人達の言う、「命」って、どんな価値があるのだろう。三度の飯や、洋服やアクセサリー、車や贅沢の次に位置してるんだろうか?それでいて、口では「命は何より大事」って言うのは、明らかに偽善じゃないかと。でも、彼女達はみな、本気と偽善の区別も持っていなかったのだと思う。ぬるま湯の世界に浸かり過ぎたせいで。正義とは、声高に、安全な所から、叫ぶものでしかなかったのだ。私が一番後悔しているのは、「一緒にやりたい」と言ってくる人に対して、最初から、心積もりを言わなかった事だ。 命を賭けて、活動している人間と、一緒にやると言う事は、あなたも命を賭けると言う事なんだよと。 ろくなものも食べれず、自分の時間も持てず、殺処分が終るまで、ひたすら、全てを犠牲にする覚悟はあるのかと。 仕事も何もかも、犬達を世話し、活動をする事を基準にして、選択しなければならない。 やりたくない仕事でも、つまらない仕事でも、犬や猫の為なんだと、耐える事は出来るのかと。 私は、一緒にやろうと言う人に、自分だけ高見の見物は認めない。すぐにとは言わないけど、一緒にやると言うのなら、いずれここへ引っ越して来る覚悟をしてもらわなければならない。 少なくても、最低、世話をして、仕事をして、活動もこなせる人数が出来るまでは、誰かがここに来てくれなくては、何も前進しないのだ。 零下30度近くにもなる、厳寒の土地に。私だけでそれを全てやるのなら、その歩みは途方もなく遅くなって、その分、殺される犠牲者が、増えて行くだけなのだから、と。 もし「本当」に、私と一緒に、殺処分に立ち向かいたいって言うのだったら。 それと、私に対して、色々勉強させてくれと言うのなら、私以上の苦労を、自分から進んでやる覚悟を持ってくれ。 勉強させてもらおうとする、相手よりも楽な暮らしをする様な、不真面目で向学心のない人間を、私は教える気は毛頭ないと。でも、一つだけ確信出来ることがあるとすれば、その人方との付き合いは、殆どが、大きな喜びに満ちたものだった。何であれー、幻想であったとしても、何かに取り組みたい、意欲と、切望を持った人間との関わりは、言葉は厳しいが、化けの皮がはがれるまででもーとても楽しいものだった。勿論私は、同時にジレンマにも寄り添われてはいたが。これも人は、愛だと呼ぶのだろう。それが捻れて、切れたとしても。彼女達も、きっと社会と共に、自分自身も変えたかったのだと思う。そういうチャンスは、大抵いつも、最も自分の準備が出来ていない時にやって来る。まるで運命を司る何者かが、それによって、その人間の願いが本物であるか、試そうとしているかの様に。その時に動けなかったら、そのチャンスは永遠に戻って来ない。何もかも捨てて、願いに飛び乗る勇気がなければ、いつまで経っても、自分自身を変える事は出来ないのだ。準備が整うまで待ってと人は言う。しかし、運命の神は待たない。今動けないのなら、あなたの意思はそこまでなのだと言い渡して。人生とは、大抵がこの様に、切り拓くほどに、厳しいものになって行くのだから。こんな失望の繰り返しで、少し前から、ブログを続ける事に、漠然とした疑問が湧いて来ていた。一定の読者はある。でも、今のままでは、どんなに書いても、何の意味も生み出してはくれなかろう。殺処分に対する、意識調査のアンケートブログを思い始めたのは、その頃からだった。多くの人間は、漠然とこの問題を避けて生きている。この問題は、彼らの真の人間性に光を当てる。見たくない自分の弱さを、卑怯さを、浮き彫りにする。それを正面から映し出す、ブログを作ってみようかと。殺処分に対する、人の真実に迫って行くブログを。他方「倫理の進化」では、最低限の事は書き現している。一先ず、これで十分だろう。ネットで残しておく分としては。私は、文章を書くか、絵を描く為に、与えられた能力があるみたいで、これが止まる所を知らず、何かに脳と右手が命令を受けているかの様に、書く事を求める。成果があろうとなかろうと、書く事は自分の意思を超えた事であるから、今後も「倫理の進化」は書き続けて行く。殺処分問題ブログの足を引かないように、今後は地下に潜って思想を発信し続けて行く。私は、未だこの世界では、異端の存在なのだから。
2008.04.05
アメリカ合衆国の、アリゾナ州北部。ここに、アメリカ最古の先住民と言われている、ホピ族がいる。彼らは凡そ、一万年前に、アメリカ大陸に到達した。その民族は、優に五万年の歴史を、口伝で伝承している。ホピたちは、三つの高台の上に、それぞれ、幾つかの村を作って生活している。確か、第2メサ(高台)に、小さなホテルがあって、昔そこに私は泊まった事がある。24歳の頃だったか、ホピ族の大地と、グランドキャニオンへの旅をした。ホピ族は、恐らく世界で、最も高名なネイティブ・アメリカンである。彼らが世界中に知られる事になったのは、ある岩絵に刻まれた、太古の予言について、世界に向けて発言したからだ。1976年、ホピ族のトーマス・バニヤッカが、国連で長老達のスポークスマンとなって、演説をした。彼らはその予言について、強い危惧を抱いており、是が非でも、国連で発言する機会を求めた。そして、三度目の挑戦で、初めて国連の扉が開かれたのだ。彼らには一万年前から、先祖代々受け継いで来た予言があった。それは、この世界の創生の歴史に組み込まれたもので、彼らの言う、守護者マーサウから託されたものだった。ホピの伝承によると、この世界は、地上に現れた、四番目の世界になる。前にあった三つの世界は、タイオワ(グレートスピリット)の甥に当たる、ソツクナングが滅ぼした。それは全て人類が、創造主への感謝と、汎神論の精神を忘れ、物質的欲望に取り憑かれ、世界を目茶目茶にしてしまった為である。怒りを覚えたソツクナング達は、その度に、炎で地上を焼き尽くしたり、大水を溢れさせて、人類を抹殺した。ホピの伝承は、ノアの箱舟を証明しているかの様に、全く同じ歴史を伝えている。しかしホピの歴史は、もっと古く、全ての時代を伝えていて、大神霊による人類の浄化の度に、汎神論の精神を、決して失わなかった者達だけが、いつでも守られ、浄化を生き延び、次世界に命を繋いで行った、とある。トーマス・バニヤッカが、国連で世界の指導者達を相手に、訴えたのは、この世界の破滅が近づいている、と言う事だった。マーサウから、彼らはいつか、この世界もまた、これまでの世界の様に、物質のみを心棒する、背信的な人間達がはびこって、大浄化の時が来る、と、告げられていた。四つ目の世界の始まりの時に。ホピの居留地の中には、その予言を刻んで記した岩絵がある。浄化が起こる前には、幾つかの兆しが起きる。その、予言された兆しが全て現実となった時、大霊は、人間に対して怒りの拳を振り上げ、創造主を忘れなかった者を除き、皆滅ぼしてしまうと言う。予言の兆しが、一つ、一つ、実現するのを、彼らは静かに見守っていた。彼らが沈黙を破り、ついに世界に警告を与えなければ、と思った出来事。それは、「灰のつまったひょうたん」が、空から落ちて来る、と言う予言が、現実になった時だった。予言では、このひょうたんは、とてつもない破壊力を持ち、川を煮えたぎらせ、不治の奇病を起こし、大地を焼き尽くし、長いこと、生命を育てなくさせてしまうのだ。ホピの予言では、その灰の詰まったひょうたんは、母なる大地の心臓を、掘り出して作られるとなっていた。彼らは、地下鉱石などを、母なる大地の、内臓と考えている。中でも、ウランは心臓に例えられる(余談だが、ウランは雷を呼び、不毛の大地に、雨を授けてくれるものでもある)。日本に落とされた原爆のウランは、彼らの居留地から、合衆国が、ホピの反対を押し切って掘り出したものだった。アメリカが日本に原子爆弾を落とした時、彼らは予言が、確実に現実化を帯びて来た事を確信した。最後の兆しが実現されてしまわない内に、人類に向けて、ホピに伝わる「生命の道」を示して、人間本来の生き方に戻る様に、呼び掛けようと、決定された。そうして、ホピ族は立ち上がったのだ。ホピの予言では、大浄化の起きる前触れの、最後の兆しは、白人が、「空の家」を、天に置く時だと言う。その時、母なる地球は、人類の浄化に入る。空の家は、人類に許された、最後の創造物であると。その、完成前に、人類が、生き方を変え始めなければ、ほんの僅かな人間を残して、第四世界は淘汰される。現在宇宙では、国際宇宙ステーションが建設されている。完成は、2010年になると言う。大浄化の前の、最後の兆しが、これであると有識者達は、口を揃えて指摘する。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・まとめに殺処分に対して、賛成派、否定派、いずれの側からも、ひとつの心理が見えてくる。それは、人間として得たこの贅沢な環境を、絶対に譲りたくないと言う心理である。殺処分があるお陰で、野良犬や野良猫の「害」に、人間は一切煩わらさせられないで済む。衛生的にも安心出来るし、群れた犬に襲われたり、咬まれたりと言った脅威がない。殺処分様様なのだ。しかし本来、種族の多様性の元で発生した命には、こうしたほかの種との、時に起こる面倒事は、受容範囲内の現実なのだ。それを、国家を主導する者達が、余りに人間に対して、非常識なまでに有利なを法令を施行して、一般人が、それに慣れてしまったのが、とてつもない問題なのだ。大抵の一般市民は、自ら犯罪を起こさない所にも見て取れる様に、比較的善良かつ、温厚な人間が多いのだが、普段、自分の生活の事以外には、余り頭を使ったりしないと言う欠点がある。本来なら、そうした人間至上主義による人間優遇措置を、危機感を持って眺め、いかにそれが、自分達に都合のいい社会や生活を齎してくれるとも、他の生命も、同様に尊重すると言う普遍的な正義に基づいて、そうした人間贔屓を、自ら拒絶するべきなのだ。しかし、生憎一般市民はそうした正義とは、大抵の場合に於いて、無縁の世界で暮らしている。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・回想私は2006年の8月から、楽天でブログを続けて来た。タイトルの「倫理の進化」は、冒頭の文章にあるように、人間が、強者だけで独占して来た人権あるいは個としての尊厳を、人間の精神的成熟の段階によって、弱者にも認められる様になって行くと言う、社会的進化の事で、今この波は、最後に尊厳の回復を約束されている、全てのアニマ、そして大自然の近くにまで辿り着いている。汎神論とは、分かりやすく言えば自然と共生の哲学である。これは宗教ではなくて、むしろ生き方と言うべきものだ。私は、生まれついての汎神論者だった。幼い頃から、周囲の大人の言うことは、余りに乱暴で独善的で、どうしても、その人間至上主義に同化する事が出来なかった。私は虐待家庭で育った子供時代を持ち、それ故に、人間を嫌い、憎み、軽蔑するようになっていった時代がある。反面、オオカミや犬に対して、病的なまでの情熱と、一体感を持っていた。家庭に恵まれなかった子供は、親の代わりとして、愛情深い、イヌ科の種に対して、病的なまでの、愛情を求めると言う報告もある。私の場合も、そうした原因からの衝動なのだと、理解していた時期もあった。犬が欲しくてたまらず、何年も、神様にお祈りを捧げ続けた。毎日神棚に手を合わせ、氏神さまや、その他の神社でも、必ずお祈りをしていた。犬の絵が書いてある絵馬だけを選んで、裏に犬が欲しいと書いて、神社に納めた。その数は、ざっと百枚を越えていた。犬張子の裏にまで、犬が欲しいと書いたものだ。そのお陰で、今では国でもトップクラスの犬長者になってしまった。ちょっと神様も知能が足りない。ともあれ、その頃に出会った犬のうち、特に3人の犬が、私の親代わりになってくれた。私は、子供に不可欠な愛情と言う養分を、全て犬から受け取って生きて来た。成長して行く過程で、周囲の人間と、自分の意識や世界観が、余りにもかけ離れている事に気づかざるを得なくなった時、私はその理由は、自分が犬に育てられた子供だからなのだと、考えていた。私は半人、半獣なのだと。16歳か、17歳の時、たまたま本屋で、バリー・H・ロペスの、「オオカミと人間」(草思社)と言う本を、本屋で見つけた。それは初めて買った、ノンフィクションの、ハードカバーだった。オオカミ好きが高じて買ったものだが、その中には、オオカミだけではなく、当時はまだインディアンと呼ばれていた、北アメリカの先住民達の思想や哲学、世界観が、事細かく記述されていた。それを読んだ時の衝撃は、今尚記憶に新しい。彼らの世界観、価値観、哲学の一切が、この私の細胞と呼応した。初めて私は、自分の魂が、属する世界があった事を知ったのだ。あの、余りにも奇妙な感動ー。私は、インディアンの社会に生まれた子供ではなかった。全く違う時代、違う民族、違う世界観。その障害をものともせず、何故、この時代に私(汎神論)が生まれたのか?それが謎だった。何故、インディアンの思想が、一族の子孫が、時を越えて、現代の日本に甦ったのだろう。まるで、一人だけ時空を越えてしまったかのように。二つの感情が、私の中で拮抗した。私は変わり者ではなかったのだと言う安堵。私は普通の人間だった。この世界観、価値観、アニマに対する情熱は、私が不遇の家庭で育ったから、構築されたものではなくて、本来の人間達に、元々存在していた価値観だった。他方、それを分かち合い、共有出来る家族たちが、既にこの世界から、消えてしまっていたと言う事実。それは、一度解放された孤独感から、再び孤独と言う現実を私に与える事になった。しかしそれでも、自分が異端だと、信じていた時よりは、私はずっと幸福だった。例えほぼ失われた民たちであっても、私は彼らに属していて、いつでもその魂は、彼らと共にあった。今、この時代で、私は異端であるが、本当は違うのだ。この社会こそが、真の異端なのである。正常な社会は、自然との歩みを、決して乱さないものなのだ。それが、生命の生きる道であるのだから。
2008.04.05
殺処分に正当性がない以上、これは即撤廃されるべきだ。そもそも、人間は皆一様に、「犬も猫も、人も、みんな同じ命である」と言っているのだから。では、殺処分制度に対する、議論は終ったはずである。答えは出ている。そう、答えは、最初から出ていたはずだった。でもそれは、あくまで極一部の人間達にだけだった。多くの人間は、殺処分が是か非かの、議論に踏み入って行く事さえ恐れている。それは、奴隷制度が、是か非であるか、客観的な、判断からの意見を恐れた様に。殺処分で得られた、野良のいない、「安全で快適な、近代的社会」それを手放す事を、市民達はずっと、潜在的に、恐れていたのだ。野生と再び共存する事を。折角遂げた近代化から、日本が後退してしまう事を。間違っている事を分かってて、誰も本気で止めようとしなかった。善良で、法を犯す事のない市民達が、実は犬や猫の、大量虐殺を受容し続けていた。野良がいなければ、犬嫌いの天下になる。犬好きな人間でも、汚い犬が、自分の子供や、犬に近づくのは遠慮したい。だから、黙って無視を続けていた。その為に、もう、何千万と言う、犬や猫が殺されて来た。それが可哀想だと言う人間でさえ、殺処分の完全撤廃を、間違っても訴えない様だ。犬は殺されたくないから、野良を許すのではなくて、新しい飼い主を探せばいいと。行政に要求するのは、殺処分廃止ではなくて、里親譲渡の、機会の充実。日和見主義たちの取った、「動物」愛護運動の軌跡。私に対して、なおも議論を続けようとする人々がいるが、それはただ、私の目には、殺処分がなくなる事で、一変する社会を受け入れる覚悟が出来ていないから、時間を引き延ばそうと、している様にしか映らない。全ての人間が、再び野生や自然を、社会の中で、再生する事を認めてくれなくては、殺処分はなくならない。犬も猫も、人間の管理から自由になれば、野生と自然の掟にしか、従う事はないのだから(犬は大抵、飼い主にも多少は従うが、大自然の呼び声を聞いたら、飼い主だって、彼らを留めておく事は出来ない。犬はいつだって、飼い主の足の隙から、扉を通り抜ける機会を狙っている)。野生とは、野蛮なものではない。美しく、清貧で、つつましく、品に溢れる。考えてみて欲しい。先に私が書いた様に。本当に野蛮なのは、自然の暮らしか、近代文明の生活か。野生の世界には、殺処分もない。生体売買もない。生体の展示もない。生体を用いての実験もない(子犬を手術台に縛り付けて、ハンマーで手を麻酔もなしに打ち砕いて、痛みに関する実験、なんて狂ったものはない)。森を切り倒すブルドーザーもない。山を崩して砂利を取ったりもしない。魚や食べ者の乱獲もない。自然を敬い、アニマを大切にし、必要なものを、儀式を作り、感謝を捧げながら頂いて来た。自然民族の生き方は、野蛮なのか?テレビがないのは、野蛮の証明だとでも言うのだろうか?今、地球をここまで追い込んだ、近代文明の生活は、「文明的」なのだろうか?つまり、洗練され、進んだ価値観の基にある、高い知性を礎に持った生き方であると?では何故、地球は後わずかしか、持たないと言われているのだろうか。人間の生活から来る、環境の破壊ゆえに。自分の住んでいる家を破壊するのは、愚か者で、知性が低い事の証明にこそ、なる事であると言うのに。人間が、野蛮な振る舞いを、自然とアニマに対して行使し続けていたからこそ、現代の我々を取り巻く問題が生じた。環境を、それこそ地球の環境を、破壊するほどの劣悪な野蛮さ。それが近代文明の本当の姿である。ここに人間の品位は存在しない。ここに価値あるものもない。ただ、略奪と、破壊と、見苦しい程の欲望と、贅沢に、享楽だけがあった。多くの命が、何十億もかけて培って来た種族の鎖を、数え切れない程も人間は断った。アニマ達が、人間に押しやられ、或いは種族根こそぎ虐殺に会っている間、我々はどんどん豊かな生活を築いていた。テレビを買って、冷蔵庫を買って、エアコンを買って・・・。今も尚、北極で、シロクマが大陸を失っている時に、パソコンゲームを買って遊んでいられる。これを、野蛮と言うのだ。自然民族達の暮らしに、野蛮な所は一つもない。野生を知らない者だけが、その崇高さを知らずに、野蛮だと言って否定をするだけだ。文明人は、自然を征服しようとし、自然民族達は、自然を守ろうとして生きる。今、人間のあり方を、根本から構築し直す時である。今は、その為の、最後の刻限である。私は、文明よりも自然を愛する人間だから、東京の下町に生まれながら、少しずつ、少しずつ、自分の足で、自然の中に帰って行っている。いずれは全ての自然民族の様に、完全に、自然の恵みだけで生きて行く事が出来る様にと。この文明は、明らかに失敗だった。地球と共存し得ないのだから。でも、私は助言しておきたい事がある。それは、もし文明の礎が、数学ではなく、汎神論であるならば、その文明は、環境破壊と言う愚を犯さないだろうと言う事を。そうすれば、野生を苦手とする人々も、決して文明が維持をさせてもらっている、地球の環境や、アニマの生命や、運命を踏みにじらないで、高度文明の中で、守られて生きる事も可能となる。自然民族が、大自然に、守られて生きるのと同じ様に。そこには最早、動物園もなく、動物実験もなく、生体売買もなく、そして、殺処分もない。そして尚且つ、そこには、あなた方の愛する、近代的な生活があるだろう。ただ、その為には、人はもう一度、野生を取り戻さなくてはならない。自然に手を伸ばして、今一度、政府の庇護と法律ではなく、自然の恵みと、摂理の中で、この地球の営みを、その中で、人間は何が許され、何をしてはならないのか、我々は、天と地と自然とアニマの間で、どう振舞うべきなのかを、学ばなければならないのだ。そしてそれから、今度こそ、地球と共存できる、真の文明を生み出すべきである。私は犬達と、山へ帰る。熊や鹿や、オオカミたちの傍へ行く。我々は、違いを認めて、分かれて住める。そしていつも、自然の住人達は、都市で生きる人々の、「道」を忘れさせない為の、指針であり続けなくてはならない。その為に、常に克己心を損なってはならない。本来ならば、多くの人間がー極論するなら、全ての人間が、大自然の掟に従って、あらゆる先住民族の様な生活に戻るのが、理想な事だ。しかし、自然民族の暮らしとは、事実、非常に超世俗的で、むしろ精神と肉体の、修行に等しい生き方なのである。我々はそこで、あらゆる物質的な誘惑を断ち切る。便利で快適な生活を知っていても、敢えてそこから自分を切り離す。持ち物は、限りなく少なくして、自然と一体化して生きて行く。野生の生き方とはつまり、真理への探求と、自己の浄化に他ならないのだから。いつの時代も、この生き方を奉じる者は、多数派には成り得なかった。私は、全ての人類に、それを期待したいとは思わない。ただ、せめて、環境と共存できる、文明を築くべきではないのかと、私の意見を述べたいだけだ。生命を尊ぶ文明を。生き者を売買せず、実験に用いらず、生態系を破壊せず、人間の為に、自由な犬や猫を、片端から捕まえて、拉致して殺さぬ文明を。文明を、作り直して欲しい。汎神論を礎にして。それが、来るべき世界と言うものだ。全ての者が、行き続けられる、唯一つの道である。
2008.04.05
まるで中世から近代の、麗しい白人たちみたいだ。洋服を着なかったら、対話さえしてはやらないと、見下してかかる人間達の様。お陰で日本からも、和服が失われて行った。それと同じ様に、野良たちの生き方も肯定をしたりはしないのだ。犬達も、野生や、野良犬的な、部分が矯正されたかによって、犬が「いい犬」になったかどうかと判別される。猫がねずみを狩って、犬が残飯を漁る生活は、この上ないみじめなものだと思っている。それが、犬や猫、本来の生き方であると言うのに。人間には、人間の生き方があるように、犬や猫にも、それぞれの種に応じた生き方がある。それを認める事が出来ない人間達が、口では「動物」愛護を語りながら、殺処分に絶対反対の姿勢を貫かない。殺処分がなくなったら、恐ろしい、野良だらけの社会が現れると直感で感じているから。その勘は正しい。殺処分がなくなれば、必ず野良犬が復活する。そうすると、犬を知らない人間達は、幼い子供の登下校に、計り知れない不安を抱く羽目になる。或いは自分の犬を、「繋いで」散歩をさせる時に。今の現代人にとって、自然や野生は、全く異次元の世界の様な事なのだ。長らく自然から隔離された生活を営み続けたお陰で、地球本来の有り様を忘れ、人間が作った都市の中だけで暮らした為に、自然や野生に、恐怖や迷信を抱く様になってしまった。犬や猫に関しても同じ。特に犬には、人間が100パーセント管理していない状態を、怖くて与えられないのだ。全ての犬が、飼い主がきちんといて、屋内で飼われ、シャンプーと躾の行き届いた、避妊・去勢されている状態である事(つまり外科手術によって、一種のロボトミーをされている事)。彼らは、この状態でないと、犬と安心して共存出来ない。でも、これは人間の勝手な理屈で、犬達の望む生活とは、基本的に24時間、好きな時に戸外を歩けて、いつでも帰れる家があって、ご飯を食べさせてくれれば天国。つまり基本は人間と同様なのだ。体を濡らすとか、合成洗剤の匂いが大嫌いだから、シャンプーは、出来れば絶対して欲しくない。愛の季節には、相手を求めて長い旅に出て行きたいし、その時期になると、女の子も、自分の子供が欲しくなる。だから、人間の都合で、避妊、去勢なんてされたくない。自分達にだって、子供を作る権利はあるはずだ。そういう犬達の主張を、全く聞き入れないのが、今の動物愛護の姿勢である。そこには平等の精神は全くない。全ての犬に、飼い主がいなければならないのは、行政に捕まったら殺されるから(では、行政がそんな真似を出来ない社会にすればいい)、それと、幾ら犬好きとは言っても、はっきり言って、野良犬と地域で共存するのは嫌だから。それが本音なのだ。犬が犬らしく、猫が猫らしく、生きる様を受け入れられないから、何でも人間の都合のみに、合わせた保護をしようとする。動物愛護とかの言葉を用い、犬達を高みから見下ろしている。人間が上で、全てを決める。飼い主も、生殖器を残すか否かも、散歩の時間も、何もかも。でも、犬も猫も、ぬいぐるみじゃない。最近の動物愛護で、猫は室内飼いで、全くストレスを感じないと言う意見が増えているが、それこそ動物虐待ではないかと、私は考える。猫は、根っからのハンターだ。どこの世界に、家に閉じ込められて、ストレスを感じないハンターがいるのだろうか。人間には、猫の気持ちや意思が、まるで分かっていないだけだ。狩りをする事を、「人間がご飯をくれないから仕方なく」とさえ、勘違いしている人々がいる。狩りは、猫の至上の生き甲斐であると言うのに。人間の杓子定規で、全てを決めてはいけないと、何故客観的なものの見方が出来ないのだろう?近代文明下にないものは、全て悪。或いは悲劇。そうやって、犬や猫の、あるがままの生活さえ破壊している人間達。それでも彼らを愛していると言う。まるで、子供を自分の要求で、がんじがらめにする愚かな母親の様に。だからどこかで、皆、殺処分に依存をしてる。殺処分が保証してくれる世界は、文明人が望む世界、そのものだからだ。何もかもが、自然ではなく、政府の管理下にあって、人間の権利と環境が、どんなものより優先される世界。そう、世界を管理するものは、自然ではなくて、政府でなければならないのだ。殺処分がある限り、野良犬問題に頭を悩ます事はない。野生が、自分達の地域の中で、法律を受け付けないものが、命を持たなくて済むのだから。人間は、野生を恐れる。人間は、作られた法律の中から、はみ出す事を恐れる。極一般的な、地域の環境の中で、野生を持つ者があるとすればそれは、犬と猫と言う事になるのだから。一番身近なハンター達。それを恐れて、命を大切にしようと言う人間も、動物愛護の旗を振りかざす人間も、最後の病巣までは踏み込まない。意識的にか、無意識なのか。彼らは本能から恐れてる。この社会から、殺処分がなくなる事を。殆ど全ての、犬猫を愛していると言う現代人達。殺処分がなくなったら、自由を取り戻した犬猫と、どう付き合っていったら良いのか、全く想像も出来ないから。それが、殺処分の撤廃を、中々実現させない本当の理由なのだ。以前ネットで、ある海外ニュースを目にした。それは、スペイン与党が、大型類人猿の、虐待されない権利を、国会に提出したと言う話だった。彼らが、虐待されない権利、拷問されない権利、殺されない権利、或いは、売買されない権利・・。こんなものを、今更認めようかと、議論する事実の恐ろしさ。改めて、人間は、類人猿でも、犬猫でも、殺されず、実験に強制的に利用されず、売買もされず、自由に生きる権利を、一切認めて来なかったと言う、驚愕の事実。私達は、一体どうしてしまったのだろうか?そんな権利、本来なら、全ての命が認められて当然のものではないのか。 だから私は、汎神論を唱えて来た。我々はまだ、羽をもがれた鳥ではない。都会で生まれ、都会で生きて、都会しか知らない人間達は、自然を賛美しつつ、遠ざける。自然をそうやって恐れている限り、この国から殺処分はなくならない。我々が、自然の生き方を取り戻して行かない限り。誰もが知っているはずである。犬や猫は、政府に追従しない。法律にも従わない。どれだけ人間の身近で生きようと、彼らは自然の世界に属している。近代文明よりも、血なまぐさく、泥とダニや蚤に溢れた、大自然の方が好きなのだ。人間がただ、それを知らないか、知っていても認めたくないだけである。野生を嫌う人間が、犬や猫から、あらゆるその部分を、無理やり剥ぎ取って「可愛がってる」のだから。自分達の社会にあるものしか、倣う事を許さない独善さ。私はいつも、犬や猫から、種族らしさを奪う人間を見る度に、こんな光景が心に浮かぶ。外国から、嫁いで来た一人の女性。宗教も、慣習も、食習慣も、全て日本人とは違う。望まれて、異国の妻としてやって来たと言うのに、来て見れば、自分の慣習は全て否定されてしまう。婚家の認めた生き方しか許されず、自国の文化、宗教、全て否定されて、代わりに日本文化を強要される。着たくもない着物を、無理やり着せられて、外へ連れ出され、自慢の種の様に、見世物にされる。外人と言う、美しい人形が欲しかっただけなのだと、こうなってみて初めて彼女は気づく。
2008.04.05
今の社会。自然を破壊して、生活廃水から、工場廃水、農薬まで、川や海に流して汚染する社会。大地をアスファルトで固めて、高層ビルが立ち並ぶ。空気は汚染され、街にはスモッグが立ち込める。昼夜問わず、電気が使え、水道の蛇口をひねれば、暖かいお湯が出てくる。その為に、天然ガスを片端から採掘したり、原子力発電所を稼動させてる。田舎は元より、都会まで、凄まじい数の車が行き交い、温室効果ガスを、惜しみなく排出してる。挙句に便利なはずのその車が、年中大勢の命を轢き殺して奪っている。狩も、漁も、採集もした事がなくても、世界中の食べ者が、お金で手に入るシステム。服も、靴も、全てがお金で買う事が出来る。自分で、洋服の原料を作る事もない。生命を、施設に閉じ込めて見世物にしたり、生命を、事もあろうに、人間の病気と、好奇心の為の実験道具として用いている。お金で当人の許可なく、その者の売買を平気で行う。飽きたら行政に任せて殺してもらえばいい。こんな、狂った、野蛮な世界なんて、私達の目には、凡そ人間らしい世界ではない。こんなものは、決して人間らしい生活じゃない。砂利を取る為に、山を崩す事が野蛮でないと、本気で誰か言うのだろうか。山の者も、海の者も、みんな必死に生きている。それを、捕まえて施設で見世物にしたり、食べ切れなくて、捨てる程殺す事は、野蛮な事ではないのだろうか。現代人の生活は、余りに野蛮で、異常を来たしている。満員電車に詰め込まれて、働きに行く仕事は、労働の値があるものなのか。人生を賭ける値のあるものなのか。本来の人間は、生きる為の労働をする。最低限の樹を切って、家の土台を作り、草や土で壁を作る。自分の着るものや、履くものを、自分達で作る。食べる者を、自分達で手に入れ、調理する。それが人間の生きる上で、最も大切な仕事である。最も基本的な。道徳的で、自立した生活とは、そういうものだ。近代的な生活は全て、この世で最も人間らしくない生活である。人間は、こんな野蛮な行為の為に、生まれて来た訳じゃない。人間が、世界で最も価値ある生き者と認めてしまえば、私は人間の為になら、保健所の殺処分だって、犬や猫、その他様々な種の、生体売買だって、認めなくてはならなくなる。野良犬や、野良猫が増えて、困るのは人間。何故なら地域は全て、人間の「為」にあるのだから。犬や猫が、人間の衛生的な生活の妨げになって、そこらで繁殖をして、目に付く様になったら、目障りなのだ。人間の為なら、如何なる主張も肯定される。生体売買業者がいなければ、人間が犬猫の純血種や、珍しい「ペット」を、買える所がなくて「困る。」「ペット」は人間に、潤いを齎してくれるから。「動物園」がなくなったら、普段生で見れない「動物」を、見る機会がなくなってしまう。それは嫌だ。ペンギンを見る為に、南極になんかこの私達に、まさか行けと言うのかと。「旭山動物園」は、そういう私達の為にあるのだと。「動物実験」がなかったら、人間の病気も治らない。人間が、病気を治せなくてもいいのか、と。人間が、苦しんで死ぬのを放っておくのか。人間の命は大切だから、「動物」を使って実験する事は、絶対必要な事なのだ。「動物」の命を貴んで、人間を見殺しにするのは狂気の沙汰と。何もかもが、一つの意識から生まれている。一つの世界観が、その全てを肯定している。森を荒地に変える事。川を堰き止め、ダムを作る事。川の形を変えてしまう事。ウランや石油、天然ガスを採掘する事。毛皮の為に、生き者を殺す事。化粧品の為に、うさぎで安全性の、実験を試みる事。魚を乱獲する事。食べ者がなくなって、里に下りた、野生の子らを撃ち殺す事。命を売る事。命を実験に使う事。命を捕獲して、「動物園」や、「水族館」で、見世物にして金を稼ぐ事。街を「きれい」にする為に、野良犬や野良猫を許さない事。放し飼いすら許さない事。全部、全部、近代の世界観は、肯定している。しかし、この内の一つでも、社会で通って良い主張があるだろうか。全てしてはいけない事だ。良識ある人間なら、誰でもそれは許されないと言うのに、私が生まれ、育った時代では、これを批判したら、人間の利益に難癖を付けるのかと、社会から非難を受ける。人間至上主義世界。自然主義と、人間主義。この二つの思想が拮抗する世界。汎神論者は、自然を崇拝する。近代文明論者は、科学技術を崇拝する。胎児を母親の腹から取り出して、生命の神秘を解明しようとした、神をも恐れぬ科学者達。それは、我々の存在を、ただ貶めただけだった。人間の神秘さえも地に貶めて、辱めた。我々も物に過ぎないのだろうか?我々は生命ではなくて、物質に過ぎないのだろうか?神秘を、研究室に持ち込んで、解剖して切り刻んで、ビーカーに入れて、薬品に漬からせて、データを取った。そしてこう言った。謎は解明されましたと。暗くした講堂で行われる学会の発表。スライドを映して、研究結果を読み上げる。生命の神秘が捨てられる瞬間。私達には、もう、神の声が届かなくなってしまう。科学者達が、神を、神秘を殺してしまった。我々は、試験管の中で、子供を作り出す事に成功したと言う。では、その時人類に、命への畏敬は認める事が出来るのだろうか。新たな世界観の下で、生き残ったのは、魂ではなくて、物質、ただ、それだけだった。心を持たない人間。それが現代の人間達。我々が何者であるかは、我々の子供が教えてくれる。子は親の鑑とは、よく言ったもの。人間がこの世に生み出したものを、よく見てみるがいい。兵器に乗り物に家電品。物だらけだ。私達は、環境を、生命を滅ぼした物達の生みの親。我々が、人間ではなく、神秘を捨てた、ごろりと転がる、「物」になってしまったから。私達の、命に対する姿勢や意識。犬や猫の殺処分の問題をまず通し、私はこの、意識や姿勢を指摘してきた。これは、飼い主の、犬の飼い方なんて小さいレベルの話じゃない。人間の、世界観の問題なのだ。犬や猫の飼い方には、人間の、自然やアニマに対する、世界観がそのまま反映されているのを、何故多くの人間は、意識さえしないのだろう。この現状を変えて行くには、飼い方をいじってみても、どうにもならない。人間の、誤った世界観を正して行けば、この問題は、必然的に解決する。腐った根っこに目を向けず、枝を剪定する事ばかり、協議している姿に衝撃を受ける。到底、文明を築くほどの種の、言動だとは思えない。今の人間に、どれほど知性が残されているのだろう。麻薬を続けていれば、若くして滅ぶと知っていながら、麻薬と言う、なくてもいいものを、止めるなんて、想像も出来ないと、初めから主張する人間達。麻薬とは、近代科学技術の文明だ。彼らは最初から、麻薬を捨てない事を前提に、現状に対する議論を始める。麻薬漬けになってしまうと、人間の知性は、ここまでレベルを落とすものかと、戦慄を覚える。麻薬が齎している問題を考えるなら、まず、麻薬そのものをもう一度検証しなくてはならない。犬の飼い方ではなく、人間の世界観のあり方を。だから私のブログでは、犬や猫の飼い方を勉強しよう、ではなくて、汎神論的世界観を学ぶ事を、訴え続けて来たのだから。私達の社会から、何故未だに犬猫の収容所がなくならないか、誰も、まさか本当には気が付いていないと言うのだろうか?社会の大多数の人間にとって、それは快適な生活を得る為の、必要悪であるからだ。ネットでHPを持つ、「動物」愛護団体。はっきりと、「殺処分は断固反対!」を、唱えている所は幾つあるだろうか?多くのトップページには、「収容所の期間延長を!」と、書かれている方が一般的だ。仮にも「動物」愛護を標榜している者達が、何故、3日と定められている収容日数に、延長を訴えて、殺処分に対しては、避妊、去勢で絶対数を減らして行こうとか、飼い主のモラルを徹底させる事に終始して、本題に捻りこんで行かないのだろうか。「動物」愛護は、実際は、近代科学文明を肯定する、人間至上主義であるからなのだ。現実に、彼らは私と違って、自然民族的な、狩猟採集の生き方を尊重しない。そうしたものは、彼らには、貧しく、未開で、忌むべき生活であるからだ。だから彼らは、野良犬や、野良猫に対して、強い偏見を持っている。彼らの生き方を、不潔と呼ぶか、憐れと呼ぶかである。犬や猫に、そういう生活をさせる事を、虐待だと思い込んでいる。近代文明の価値観を、犬や猫に押し付けている事には、全く気が付いていないのだ。人間が与える生活だけが、犬や猫を幸福に出来ると、尊大も露わに盲信している。これでは一種の精神病だ。彼らは、自然民族達の生活を肯定しようとは思わない。それは近代文明の、対極にある生き方だからだ。野生は全て、未開で原始的で、汚れていて、自分達より、劣ったものだと断定している。生命のそれぞれの営みのあり方に、自分達の生活を基準に、優劣を与えて、軽蔑する。排他的で、偏狭なものの考え、世界観。アイヌや、ネイティブ・アメリカンの様な自然民族の生活を、我々同様、文明化された生活に、向上して来たかによって、「人間的」に、進歩したかどうかを測る傲慢な人間達。電気も、ガスも水道もない暮らしなんて、凡そ人間の営む暮らしではないと、そうした自然的な生き方を軽蔑する。
2008.04.05
多くの自然民族達は、世界を6つの方角に分けて考えた。上下、それから東西南北の4方向。(第7の方角はあなただ。永遠を横切る生命の輪の一部。これが自己に至る方角。人生におけるあなたの役割を悟る 自己を惜しみなく与える方角。 ブラック・ウルフ・ジョーンズ*1)東西南北には、それぞれの民族、部族の生活圏内に於いて、最も大きな意味を持つ種族が割り振って、与えられた。例えば、北はバッファロー、南はネズミ、東はオオカミ、西は鷲、などの様に。それは、自然界にあって、特に人間が必要とされる資質や、叡智を持った種族と見なされた者達だった。この世界には今、二つの異なる世界観がある。一つは、近代文明から見た世界観だ。それは、人間の生活を、物的充足度で計ろうとする考え。この価値観に基づいては、自然界と、人間以外の種族は全て、人間の私有物、資源の対象と見なされる。人間の表現体をしていない者は、実質的に、権利や願望やその他について、主張する事を認められない。「我々」の「物」なのだ。大地であれ、樹木であれ、鳥であれ魚であれ、哺乳類であれ、人間が、科学と社会の利益の為に、あらゆる方法を用いて、「利用」する事が認められているのだ。何も効力を持たない、人間の身勝手な独断によって。我々は、そんな世界観を持った、社会の中で生きている。もう一つの世界観は、非常に古い時代から築かれてきたもの。それは、人間を生かしめてくれる全てのものに対して、敬いの精神を持って接しよとする世界観。この価値観は、人間自身よりもむしろ、その土台である、自然そのものの方に、重きを置いている。人間が、地球に於ける振る舞いを学ぶ事によって、大自然を、永続的なものに守ろうと言う精神に基づいた世界観。ここでは、人間は、地球の権力者として、自然を守るのではなく、それに従う者として、「お守りする」と言う、姿勢を貫いている。その真髄は、感謝と敬愛の念によって、自ら無上の奉仕を、自然に対し、己に任ずる事にある。これは、調和の生き方なのだ。彼らは、自分が何者なのかを知っている。火を熾せる様になったサルは、地上で最も大きな破壊の力を持っている。しかし、大きすぎる力はむしろ、己が暮らす世界に於いては、災いにしかならない。我々は、創り出したは良いが、決して使えぬ核兵器の様なもの。その本質のままに発展してしまえば、ただ、世界を死滅させる癌細胞にしかならない。丁度、現在の環境破壊の様に。だからこそ、自然民族達は、率先して、自らを科学技術から切り離す事によって、人間の持つ破壊力の、無力化を続けて来た。科学的に完成された、兵器に陥らない様に、自ら地球と自然への帰属を求めて、その規範を、科学や技術ではなく、最も世界と調和して、生活して行けるアニマ達の生き方に求めた。核兵器は、地球には使用出来ない代物なのだ。この世界を破壊する事は、即ち自分達の滅亡も意味する。地球に生まれた以上、この星なしに、人類が生きる大地はない。究極的な選択なのだ。地球を、破壊させる生き方を選ぶか、地球を破壊させない生き方を選ぶか。我々に、良きか悪しきかとは別に、潜在的に与えられた、万能にも見える力を、自ら捨て去ってしまうか、どうかと言う決断だった。それは簡単な決断ではなかった。ある異質な宗教の萌芽によって、我々人類のアイデンティティは、地球の子としての認識ではなく、人類は、他の種とは違うのだと、万能で優れているのだと、言う認識に根ざしてしまった為に。一度生まれた、驕りを捨てるのは、何大抵の事ではない。自然民族達は、その力を、封印して生きる道を選んだ。この世界は美しい。かぐわしい大地。甘露の様な果実。兄弟達が、与え給う甘い肉。頭上を覆う大気と言う海原。地下に広がる、命の原始大母、水の世界。人が生きる、緑に覆われた、頼もしい大地の上。空を、地上を、海底を自在に動き回る、様々な生命たち。人間の存亡に、二つの道は選べなかった。世界を取るか、己を取るか。私たちは、ほんの僅かな惜しささえ感じなかった。恍惚のままに、科学を極める力を手放した。神秘は神秘のままでいい。解明されなければならない事など、究極的には一つもなかった。愛と、調和と共生こそが、全てに勝って尊いものだった。平和な明日よりも尊い、電化製品なんてものもない。その、愛と調和を与えてくれるものが、地球であり、自然であり、あらゆるアニマ達であった。彼らと一つになる事は、私達に、絶対の安心感、一体感を、共有させてくれたのだ。それは、私達が、確かに大地に、生命に属するものだと言う、絶対的な肯定を与えてくれた。共同体の中で暮らす仲間から、恐れられる程の力は、悲劇と孤独しか生み出してはくれない。私達は、その大きな力よりも、地球と、兄弟姉妹である、アニマを選んだ。私達が捨てざるを得なかったものー、でも、最終的に選んだ我々の故郷と家族とは、その、捨てたものなど、丸きり、比較にならない程に完璧で、素晴らしいものだった。それは、私達のあらゆる悪しき所を浄化してくれた。私達はもう、異端児ではなかった。人間が、地球の一員になれたのだ。それが、我々の選択だった。それが、我々の生き方だった。私は、1972年の9月に、東京の大田区で生まれた。高度成長期の日本で。カラーテレビも、電話も、冷蔵庫も家にはあった。それから、色んな電化製品が、家の中に加わって来た。電子レンジ、エアコン、ビデオデッキ。兄から貰った、中古の「ウオークマン」。近所の八百屋は、私が小学生になった頃だったか、セブンイレブンに変貌した。今も、故郷にそれはある。近代的なものが一つずつ、揃い始めて来た時代だったのだ。正しい事は全て、経済的成功だと教育された。大きな一戸建て、高級車、高級服や、着物。履き切れない靴、身につける所がない位のアクセサリー類。それが、人間の幸福だと教えられた。近代文明の発展は、全て善。それは裏を返せば、自然の破壊を肯定するものだった。都会が文化の象徴となり、地方も急速に近代化が推し進められた。農村は衰退し、でも、政府はちっとも気になんてしてない様だった。お金。お金さえあれば、幾らでも食糧も、燃料も輸入出来る。日本古来の原風景は、今では世界遺産並みに希少価値の高い存在になった。人間の経済的成長が進む裏側で、野山は消え去り、その世界で、生きていた毛者達も、鳥たちも、生きる場所と、糧を失って、飢えて死んで行った。多くの野生種が絶滅して行ったのだ。自らの、不服と、生存権を、人間達に対して、申し立てる術も持たずに。一族を、種族を滅ぼした人間に対して、虐殺の訴えも、損害賠償すらの、訴えさえ起こせぬままに。そういう事なのだ。物質的幸福と言うのは、資源の独占状態なしには生まれない。地上の資源を全て、人間のみの為に使う。人間至上主義と言う価値観は、自然とアニマの私物化なしには実現し得ない。我々が、自然を、命を、金で全て売り買い出来る様になった時、初めて人間は、この地上の覇王になれた。天と地の間で、山を崩す事も、樹を片端から切り倒す事も、海で乱獲をする事も、野生種を捕まえて、「動物園」で、見世物にする事も、人間の生命の為に、あらゆる「動物実験」を認める事も、生体売買をする事も、全て、全て、全て、許可された。肯定された。「人間の為」この理由がある限り、あらゆる行為は肯定されて来た。環境を破壊するほどの搾取、略奪。そう、この世界で、人間がやっていけない事は、なくなってしまったのだ。人間が戒められた事は、ただ、人間同士に対する暴力だけ。それも形だけの禁忌ー。国家は資源と権力の為、公然と戦争を容認するし、法律は復讐の名の下に、公然と死刑と言う殺人を肯定する。そして同じ暴力も略奪も、自然とアニマ相手なら、むしろ推奨されて来た。社会を築く為の必要悪として、暴力とアニマへの権利の侵害が堂々と肯定された時、我々には禁忌がなくなってしまった。モラルがなくなってしまった。道徳や、良心がなくなってしまった。そしてそれを、人間は、その社会は称えた。勝者の理。欲望の肯定は、人間の心から、自浄能力を奪い去ってしまう。後には心をなくした、怪物の様な生き者だけが残る。それが、人間至上主義が齎したものの末路だった。汎神論は、貧しさを自ら受け入れる。それは、物質的贅沢との決別を意味する。近代思想的社会は確かに、便利で快適な世の中だ。そんな事は、東京で生まれ育った私は、十分過ぎる程に知っている。歩いて10分圏内に、凡そ何でもあったのだ。学校も駅も、病院も、デパートも、公園もコンビニも、ファーストフード店も、ついでにユザワヤも。トイレは水洗。掃除は、掃除機に任せて、洗濯物も、洗濯機に放り込むだけ。家電品が、主婦の変わりに、電気をムシャムシャ食べながら家事を努める。雪も積もらなければ、車もいらない。何不自由ない暮らしだった。心安らぐ自然が、近くにない事を除けば。でも、人間のその生活の為に、自然とアニマは、とんでもない代償を請求され続けた。住処を、食べ者を、命を、一族を、或いは種族全体を、人間の文明的生活を維持する為に、当の我々ではなく、彼らがー、代償を支払わなければいけなかった。今だって、人間が近代的な生活を送り続けたい為に、北極で、熊が陸を失って泳いでる。全てがこんな風だったのだ。汎神論を肯定した世界の人々は、科学的、物質的恩恵を、著しく制限して来た。アメリカ最古の先住民族と言われる、ホピ族は、つい最近まで、断固として居留地内に、電気さえ通す事を拒んだ。近代化は、この大自然に対する裏切り行為になると言って。近代化を求めない生活は、全て自給自足が原則となる。家は皆、草や土を主な材料として、作られる。上下水道もない。ガスもない。電気もなければ、テレビもない。コンビニもない。スーパーもない。そんな暮らしだ。近代社会の人間は、そんな生活を毛嫌いする。近代的社会こそが、人間らしい生き方であると、盲信してしまっている。現代人にとって、ブッシュマンの様な生活は、最も貧しくて、憐れな、卑しむべき生活なのだ。でも、私達は、丸きり反対の事を考える。
2008.04.05
昔、犬の仕事をしている時に、結構耳にしたのが、アメリカ人は、夏休みになると、犬を捨てて、クリスマスになると、犬を買うんだと言う話。アメリカの、夏休みは長いから、バカンスへ行くのに、犬が邪魔になる人が多いのだと言う。そこで、犬を収容所などに連れて行くのだ。そしてクリスマスがやって来ると、自分の家族などに、可愛い子犬を、バスケットなどに入れてプレゼントするのだそう。これは、アメリカのブリーダーと、取引のある人間から聞いた話だから、多少は信憑性があると思っている。少なくとも、私はそうした国を、見習おうとは思わない。ましてや、犬を純潔だ、血統書だ、などと言って、交配させてお金で売る様な文化は、何があっても肯定出来ない。例えそこで、その対抗策として、州ごとによって、犬を殺さない収容施設があったにしてもだ。どんなに、終わりを綺麗にまとめようとした所で、そもそもの発端に、犬を、自分達が作った「純血種」か、雑種かに分けて差別したり、本人達が、好まない相手とも交尾させ、生まれた子を、お金で売って、ルックスで優劣を付けて喜んだりしている以上、私は犬や猫に関しては、欧米とは絶対に一線を画して行く。あの忌まわしい、ペット産業を止めて、犬をヒトラーが礼賛した、純潔思想から解放しない限りは、犬猫の問題に於いて、欧米は、私の信頼する友人にはなり得ないだろう。彼らと私は、自然や命に対する、世界観が、余りに異なっているのだ。私は、自然を破壊し、命を金で売買する事を認めた、欧米が確立して来た、近代思想には、ついて行く事が出来ない。しかし、世の愛護団体、及びボランティアの方々は、何の反省もなく、欧米が犯した過ちを踏襲している。こうした保護活動は、決して本当の解決には至らせてくれないだろうと、私は思って見ている。犬や、猫達の苦しみや、残酷な処刑は続くだろう。我々も間違った、世界観の元で解決を望んでいる限りは。私は文明と共に、ペット文化の転換も促して行きたいと思っている。今の文化は間違っている。確かに欧米文化を取り入れた事によって、日本人は、昔よりも遥かに、生き者に触れる人が多くなった。それだけは、確かに功績だと思っている。しかし、結局は、中身のない文化に終ってしまっている。犬や猫と暮らす人々は増えたが、簡単に飽きて捨てられると言う、社会現象まで起きてしまった。それを止めようとする流れの中で、返って文化は危機感から、欧米信仰主義に走り、欧米のやり方で、犬や猫を飼うのでなければ、虐待だと言い出すばかりに、偏狭で未熟な思想が幅を効かせるようになってしまった。飼い主達は、マニアックに嵌って行き、客観的に見て、飼い犬との相互理解からは、離れて行く一方である。行き過ぎた、犬へ押し付けている待遇の全てを見ていると、そこでは既に、犬自身の思いは完全に忘れられ、犬を振り返る事すらせずに、飼い主の一人遊びが続いている。この現状を救うには、まず、日本人が、欧米を絶対視する事を、止める事である。欧米文化は、確かに高度な科学技術文明を築き、人間にこの世の春を、謳歌させたかも知れないが、結局は周囲を省みない、幼稚な思想が基盤となった、短命の文明に過ぎない。今や、この欧米文明のお陰で、地球は死に瀕している。翻って日本文明は、古来から、環境との共生型文明を育んで来た。最近になって、それはようやく見直される様になったのだ。この2~30年で、日本人は、これまで積極的に触れようとしなかった、アニマの心に触れて行き、その経験の中で、少なくとも、これ以前とは違った、アニマ観を、持つに至ったのは間違いない。それを生かして、本来の日本人に我々は戻り、日本人らしい、アニマに対する文化を作って行こうではないか。私達の国民は、欧米人ほど、アニマ好きと言う訳ではない。アニマの面倒を見るのは骨が折れるし、例えば他人に自慢を出来るとか、ステイタスと言う、付加的要素がなくては、飼おうと思わない民族ではないか。犬を飼うのは、特別好きな連中に任せて、市民はもっと、他の事で、民族的アイデンティティを磨いて行くべきだ。少なくとも、今の日本人なら、犬達と、違ったやり方で、共存して行く事が、努力すればきっと出来ると私は思う。それは、彼らにも、権利と心を認めた文化であり、己の節度を正しく持ち、最後まで、責任を持てるほど、好きではないなら、それを求めないと言う、成熟した大人たちの文化だ。欧米よりも、よっぽど克己心溢れ、禁欲的で、品位のある文化である。それは本来の、日本文化の特徴なのだ。私は、無類のアニマ好きだが、犬でも猫でも、いつでも買える、ペットショップも、繁殖所もいらない。もし、私の所に犬がいなくて、犬と暮らしたくてたまらなくなったら、私は、犬を飼っている人を探して行って、子供が出来たら、是非分けて下さい、と、お願いする。何年でも、その日を待つ。私は、そうやって犬と巡り会って来た。物心ついた時から、犬に憧れ、犬を追い求め、11歳の冬、稗田神社で三本足の、野良犬吹雪が、現れてくれるまで、毎日神様にお祈りをしながら、待ち続けた。これほど、犬を愛している者さえが、生体売買はいらないと言っているのだから、ここまで犬を必要としていない人達に、ペットショップが必要な道理があるだろうか。この国で、生体売買を禁じて行けば、犬や猫の数は、近いうちに激減する。そしてこの国に残った犬達と、新しい文化を築いて行くべきだ。自己中心的な物の考えを、歓迎する人間はいない。評価する人間もいない。それはいつも、他人への迷惑だとお叱りを受ける。人間中心の物の考え方は、それと全く同じ事だ。地球で生きている以上、最も犯してはならない、過ちなのだ。お試し版メールマガジンは、ここまでです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ごめんなさいーい!!!!!倫理の進化用に、書く思想の記事が、これが最後だったから、気合を入れて書いたら、最長記録になってしまった・・・・。もー、疲れて、疲れて、腕が重くて、いつもほど、読みやすくも出来ませんでした、ごめんなさーい!!実は、今日は7個更新しています。はい。この6個の日記の前に、停止についての序文があります・・。活字中毒の皆様、喜んで下さい!全部で約、6万文字は優にあります!!四百時詰め原稿用紙で、ざっと百枚分でした・・・・(ぎっちり書いてね)。たった一回のメルマガが・・・。自分の手と、脳みそが恐ろしい。どういう構造になってるんだ???これを全て、携帯で読もうとする方へ。健康の保証が出来ませんから、考え直して下さい。せめてネットカフェに行って、プリントアウトして、挑戦してみて下さい!!初回のメルマガ、もっと軽いものにします・・・。エッセイも、試される大地の続編から、入って行くと思います。疲れ目になって欲しくないし・・・。終章第二部は、やっぱり月が代わってから、掲載しましょう。ねっ。
2008.03.27
例えるなら、たまたま外を歩いていた時に、「犬好きな方、ご自由にどうぞ、殺処分問題についても、歓迎します」と言う看板を見て、入ってみた喫茶店が、中にいる客はみんな、ピンクハウスを着たご婦人方だったと言うような、場違いムード。いや、もう少しきついものだった。ちょっと説明をさせて欲しい。それは、例えるならこういうものだ。たまたま外を歩いていて、喉の渇きを覚えたとする。私はコーヒーでも飲もうと、喫茶店を探している。そして、ちょっと時代がかった、色あせた扉のある喫茶店を見つける。入り口には、「ウエスタン・トレイル」と書いてある。きっと中に入れば、ウィルダネスを走ったライダー達の、写真が沢山飾られているのだろう。中には、無愛想なマスターがいて、パイプを吸っているかも知れない。朴訥で、でも、時に見せる笑顔は柔らかい。私は、ライダー達の背後にある、アリゾナの砂漠を連想する。焼けた大地。人によって違うだろうが、私がそこから想像するものは、埃を巻き上げて爆音を轟かせる、ハーレーダビッドソンではなくて、頭に美しい、羽飾りをつけた、往年のネイティブ・アメリカン。凛々しく跨っているのは、バイクではなくて美しい馬だ。そう、コーマック・マッカーシーの著作の題名の様に、「すべての美しい馬」この扉の奥には、きっとそんな心象に浸れる空間がある。扉を押し開けて入った時、中から聴こえて来る音楽は、出来たらジョン・デンバー辺りがいい。風俗や慣習の違いを超えて、何か男としての、同じ美学を心に持っている人間と言う印象を受ける(別に、私は性同一性障害と言う訳ではないのだが、幼い頃から武装キャンプみたいな家庭で育ってしまうと、生き延びる為に、戦士に自分がなって行くしかなくなる。兄からのプレゼントも、カイザーナックルや、ヌンチャクや、トンホー、三段式特殊警棒、メリケンサックとか、止めには、大友克洋が描いた、AKIRAと言う漫画に出て来る、ジョーカーが持っていた、ワイヤーにボルトを幾つも通した、お手製の武器等だった。「これなら、お前の力でも、大の男の背骨も折れる」と、要は父に殺されそうになったら、これを使って先にやれと、渡されていた。私は他にも、兄が持っていた、サバイバル・ナイフを譲って欲しかった。より確実に、暴力の限りを尽くす大人達への対抗手段の武器を欲し、ついつい、「月間GUN]などを、毎月購読してしまった。例えエアガンでも、見ているだけで、勇気になったし、出来たらデリンジャーでいいから、((主にアメリカで女性が護身用に持つ、単発銃))何とか手に入れたいと思っていた。新宿に行けば、トカレフが三十万位で買えると言う話だったから、トカレフ貯金を地味にしていた。命中度が、滅法悪いと言うのが引っ掛かったが、至近距離で打てば、バカでも外すまい。衝撃に耐えられる様に、パワーリストを手首に付けたりしていた。こういう家庭に生まれた少女は、リボンさえも、髪を愛らしく飾る小物ではなくて、敵の背後を取れた時、首を締める為の道具と考える様になって行く。畢竟長じて人生を考える時、女性としての振る舞いどうのと言うよりも、男としての美学が指針になって来る。と言うだけの話である)。力強き者だからこそ、それを制御する心の強さ。彼の歌声からは、そんな本当の男らしさが伝わって来る。表音文字で歌われる洋楽は、表意文字の日本語で歌われる邦楽よりも、より音感的で、音楽に馴染んでいる気がする。扉を開けて、異国の友達に会いに行こう。かかっている曲は、「リービング・オン・ア・ジェット・プレーン」なら最高だ。哀切を込めて、まるでサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」の様に繊細に歌い上げて、そしてなお、もっと不器用な男の弱さを感じさせる。そんな思いを持って、ぶっきらぼうなマグカップに注がれたコーヒーを求めて、喫茶店の扉を開けてみたら、何とメイドカフェでした、みたいなね。勿論かかっていたのはアニメソングって奴で、客の男共が、メイドの格好をした女の子に合わせて、幼稚園のお遊戯みたいな踊りを踊っていると。取り敢えず、自分がどれ程場違いな所の扉を開けてしまったのか混乱の内にも察し、今は兎に角、如何に渋く、取り乱す事なくさわやかかつ、冷静に、ここから出て行く事が出来るかに、自分の尊厳がかかってしまっていると言った様な体験。ご静読、まことに有り難うございました。どうぞ中断して目薬を。ただでさえ文章量の多いものをパソコンで読むのは疲れると言うのに、こんな心境描写までつき合わさせて、本当に申し訳ないと思っています。しかし兎に角、「うちの子だけ裸んぼうでした」と言うブログの扉を開いてしまった時の私の心境は、正しく全てがこの通りだったのだ。結局こうしたペット文化に対するマニアックな姿勢には、当の犬猫を無視している現実がある。お受験や何だと、幼い子供を自分の描いた通りの人生を送らさせようと、面接だ試験だ好感を持たれる服装だと、子供を置き去りに、勝手に盛り上がっている、母親達と酷似している。勿論同じ時代に育った、同じ国の人間達なのだから、対象は変われど干渉の仕方が同様なのは、是非もない。しかし、この新生ペット文化は、紛れもなくオタク、或いはマニアックな世界に陥ってしまっている。犬達を、飾り立て、贅沢をさせ、いい者を食べさせているのは結構なのだが、それよりも、犬達を人間が振り回してしまっているのが、とても苦しく、やり切れない。これは正に、ペット文化の問題点の、一番核となる部分である。結局の所、このペット文化の担い手達は、本当の生き者好きでは全くなくて、ただ単に、「ステイタス・マニア」と言うべきものなのではないのだろうか。日本の近代化が進み、洗練された文明人とは、まずカラーテレビや、冷蔵庫、電子レンジ、エアコンなど、一般的な家電の全てを備えている事から始まって、それをクリアして行くと、最終的に、最も都会的な市民とは、まず、自分の身なりを完璧に整えて、そして尚、犬や猫に代表される「ペット」を、この上なく、優雅に、装わせる事だと、考えているのではないだろうか。いみじくも、よく語られる、「人間の文明の進歩とは、そこで暮らす生き者に対する、人間の寛容の度合いによって測られる」と言う言葉が、完全に誤って理解されてしまっているのである。新生ペット文化の担い手達は、人間の文明化の証は、犬や猫に、洋服を着せる事だと、完全に履き違えてしまっているのだ。本当の、高次の文明とは、完全なる、生態系との共存である。生態系に、一切影響を与える事無く、全ての種の生業を、そのまま受け入れた上で、尚高度文明社会を作れるのならば、それは決して内的原因からの、終焉はあり得まい。そして最後に、ペット文化の抱える最大の問題、殺処分と、それに対する、ペット文化の対応についての検証である。全国で、犬や猫の保護団体、里親探しの組織、ボランティアなどが雨後の筍の様に乱立し始めたが、その背景には今度は、パソコンに於ける、インターネットの普及が挙げられる。ネットなどを通し、犬猫や、アニマ実験、毛皮に、化粧品などの実験による惨劇を、早い段階から問題視いていた団体などが、HPに掲載したり、また、ネットを通じてこうした問題を、広く渡り歩いて、自身のHPやブログに載せる人達が増えて、ネットワークが誕生して来た。その頃を契機に、愛護団体や、ボランティアを自称する人々は、爆発的に増えて来た。これらの人々は、多くが女性であり、この、ペット文化(彼女達は、ペットブームと呼んでいるが)でたち現れた、多くの無責任な飼い主を批判している。しかし、現実には彼女達も、その、ペット文化によって、犬や猫に、それまで以上の関心を持って現れた、一夜漬けの飼い主がかなりの割合を占めるのを、否めないのである。だからここでもやはり、マニアックボランティアの空気が色濃く漂っている。とかくこの人達は、日本語を使いたがらない。何でも英単語で格好を付けて言い表そうとする。多頭飼育崩壊は、そう日本語で言えばいいのに、「アニマル・ホーダー」等と呼ぶし、野良猫を捕まえて、手術してまた放す事を、「トラップ・ニューター・リターン」と表現したりする。以前ブログでも指摘したが、イベントなどで団体が売っている、殺処分反対とか、「動物」愛護のキャッチコピーを書いたTシャツは、まず、絶対英字で書かれていて、相当単語を知っている人間でなかったら、何が書いてあるんだか、さっぱり誰も分からない。自分達だけで理解し合って、外の世界とは、意思の疎通が、マニア用語を用いる為に、素直に行っていないと言う事くらいは、認識出来ていると解釈したい。外に対して訴える為にやっている事が、自分達の世界でしか、暗号の様に通じないでいるのを楽しんでいるのは、完全なマニアであるし、本気で殺処分を憂慮したりはしていないだろう。そうでないと言うのなら、犬でも猫でも、発情期でも、多頭飼育でも謳い文句でも、何でも万民が分かる様に、言葉を日本語で発言すべきだ。一体、この人達は誰に訴えたいのだろうか?日本人は見限って、在日英語圏の人間だけを、相手にするつもりなのだろうか?それでは殺処分はなくせまい。ディープに通じているのを鼻に掛けて、知らない人間を見下しているとさえ、見受けられてしまうのだ。これも、マニアックな専門知識を手に入れた人間に、よく見られる行動である。この「動物」愛護の傾向は、勿論、そのまま欧米思想を受け継いでいる。彼女達が、犬や猫の惨状を指摘する時、決まって繰り返される言葉が、「欧米では・・」、「欧米だったら・・」と、言うものである。日本のペット文化が、欧米の文化を、魂だけは移入出来ずに(そもそも文化が違うのだから)、外側だけを丸ごと日本にコピーして、持ち込んでいる以上、解決策に、似たり寄ったりの問題を抱える欧米の、先に進んだ保護対策を真似ようとするのは致し方ないだろう。実際犬猫問題にかけては、欧米よりも、タイを象徴とする、東洋や、自然民族の方が、具体的な答えを出している。それは、人間の都合を抑制しても、他の種族の生きる権利を奪ってはならないとする、共生の概念である。タイでは、狂水病の蔓延の為、予防策として、犬の殺処分が始まったが、これに犬好きで有名な、プミポン国王が猛反対。野良犬の避妊、去勢をして、ワクチンを接種して、元の場所へ帰す。咬み癖がある犬は、国の保護施設で隔離される代わりに、死ぬまで面倒を見られる。この様にして、タイは狂水病常在国でありながら、毎年被害を減少させ、尚且つ殺処分をゼロにしているのである。こうしたタイの取り組みは、日本でもテレビなどで報道されているし、愛護団体の人方もご存知のはずだ。しかし、日本では、命を殺してはならないと叫んでいるにも関わらず、現実に殺処分を撤廃した(それも最近に)、タイの様な国を見習おう、とは、絶対に言わないのだ。代わりに、まだまだ自分の国で、殺余分を完全になくす事が出来ないでいる(犬とは日本など、比較にならない程の文化と歴史を築いて来ている人々が)、欧米の尻を追って行くのに、余念がない。
2008.03.27
名高いザル法である、「動物の管理及び保護に関する法律」が、イギリスのエリザベス女王来日の際に、愛犬国から女王陛下を迎えるに当たって、アニマに対する法律がなくては赤恥をかくと、大急ぎで作られたと言う裏話もある。我々が、社会の中で、「日本的」な部分を減らし、「欧米的」な部分が増えて行く事は、つまり日本人に取って、自分たちの近代化の物差しになっていたのだ。犬を、汚い小屋で、鎖で繋いで残飯を与えている事は、恥ずべき事だと見なされる様になった。それは、近代化されていない、発展途上の、時代に後れた国の証明だと、強迫観念さえ抱いていたのだ。戦後の焼け野原から、奇跡的な勢いで立ち直った一途な努力は、近代文明人の、象徴とも言える、「ペットの待遇を充実させる」と言う命題に向かっても、全力で行われたのである。では、それが「ペット」の中でも、特に対象とされる犬や猫、その他のアニマ。そして取りも直さず、人間自身に取って、どういう結果を齎しているのかを、検証しなければならない。ペット文化は、これまでアニマに対して、侮辱的で、距離を取り、偏見と先入観で接していた日本市民に、アニマと直接触れ合わせ、互いの距離を詰めたと言う、功績を確かに挙げている。これまで先入観から、犬を飼いたがらなかった人間達も、美しい洋犬が巷に出回る事によって、時代のブームと憧れや好奇心から、犬を飼い始めた。その結果として、彼らはこれまで偏見を加えて来た、犬と言う者の、本当の愛らしさ、誠実さ、優しさ、やんちゃさ等を理解して、彼らに好感情を抱く事になって来た。実際、犬好きでない人間に、犬に対する偏見を解いてもらうには、犬を飼ってもらうのが一番の早道なのだが、それが至難の業で、偏見を駆逐して行く上での、一番の壁となってしまう。しかし今回は、日本人が欧米文化の心棒者になった事と、道徳観念を持たない貴族達が、見栄え目的などで作り出した、「雑種」のルックスに惹かれて、憧れから飼う人間が後を断たなかった為、お陰で犬に対する偏見は、大分減少して行ったと思う。そういう意味では、ペット文化も、アニマに対する先入観や、偏見や蔑視の駆逐と言う、意味ある仕事を成し遂げてくれた訳である。他方、ペット文化は、欧米文化の心棒者と言う、宗教的傾倒、或いはざっくばらんにミーハー根性と言ったものを背景に、何ら責任感も、アニマに対する誠実な愛情も、持たない非常識な飼い主を、大量に生み出す結果になった。その結果、途方もない数の犬や猫が、飼われては飽きて捨てられると言う、信じられない不道徳の犠牲になって、収容所の中で、命を落とす事になった。そしてその傾向は、現在でもまだ続いている。ペット文化は、それまで生き者に興味が薄かった人間達にも、広く生き者と共同生活を育ませる功績は挙げたが、その反面、飼い主として、求められるべき意識を、そもそも持っていなかった、資格のない人間を大量に生み出し、更にその者達によって、捨てられ、殺される膨大な数の犬や猫と、そうした無責任な飼い主から、捨てられる運命を辿る事になった犬猫の救済と言う、余りに大きな負債を、元来の生き者好きに、背負わせる結果になったのだ。捨てられる犬や猫を引き受ける事になった、過剰多等飼育が全国で報告される様になったのは、こうしたブームの歴史と比例している。そこで、ここ十数年前から、今度は動物愛護運動が、日本でも盛んになって来た。犬や猫に対する意識の高まりから、ようやく殺処分にも、関心が向けられて来たのだ。さて、それを論ずる前に、このペット文化の中で起きている、異質な問題にも着目して行きたい。それは、昨今の飼い主達に、著しくマニアック化の傾向があるという事である。日本風に言うのであれば、「オタク化」と言うのであろうし、私が見てきた人々も、方向性としては、「マニア」と言うより、オタクと言った方が近い気はするのだが、私はオタクと言うものを、生理的に苦手としてしまう為、敢えて「マニア」と言っておきたい。楽天や、ヤフーで私はブログを持っているし、そうでなくても、幾らでもその気になれば、愛犬家のブログを梯子出来る。ブログを始める様になって、ここ一年半ほど、多少のブログを見て回ると、飼い主達や、愛護団体、ボランティア達が、どうも一種倒錯した世界を、共有していると思えてならない事実が見えて来た。ペット文化によって、逆に簡単に、犬や猫が飼われて、捨てられるようになってしまった事が、ペット文化の弊害であるならば、これから挙げる問題は、ペット文化の真髄ではないだろうかと、私には思えてならない。異質に思った事は、飼い主達の、一般的な言動なのだ。後から詳しく説明するが、先に挙げた通り、ペット文化は欧米から輸入したものであって、自国から発生したものではない。しかし、本来なら文化とは、その地域に於いて、長い年月をかけて、習慣化され、根付いて行くものである。食文化の様に、輸入に問題がなく、健康上、他国の文化を取り入れた方が有益なのは、いい意味での輸入文化になるが、犬や猫の様に、生き者を飼う事を、他国の人間や、他の文化一般に、憧れる為に、取り入れてしまうのは、短慮に過ぎる。そもそも、それまでの、人間とアニマの付き合いに於いて、その幅や、深みを広げて行く為には、何よりも、その対象への理解や、精神が不可欠である。にも関わらず、そうした種と種の、結びつきを築かないまま生まれた、性急な日本のペット文化は、欧米の様な、やり方はともあれ、長年パートナーとして生きて来た、歴史や経験や、友愛(そう呼んで構わないだろう。欧米人は、世界観は歪んでいたが、犬が好きなのは、結構事実であると、認める事も、出来なくはないから)の精神が、全く備わってはいない。つまり、箱物だけ立派で、中身が空洞となっている文化なのだ。その空洞部分を、恐らく日本人は、しっかりと意識をしていると思う。少し、欧米の映画を観ただけでも、役者と犬の、一体感や、息の呼応は、見事な程に合っていて、到底、そこらの、一夜漬けの愛犬家の比ではない。そこで、その両者のムードを、何とか演出しようとして、フリスビーを持ち出してみたり、犬の首に、バンダナを巻いてみたりと、苦労をしているのが、見て取れる。しかし、そう簡単に、狩猟民族で、犬と長年に渡るパートナーだった、欧米人の真似が、実現出来ようはずもなく、畢竟日本人は、日本の犬文化について、マニアックになる事で、精神的空洞の文化を、補って行こうとしているのである。ネットで、愛犬家や、ボランティア同士の方のやり取りを見ていると、まず、マニア用語に私は驚いた。その最たるものが、「わん」や「にゃん」である。幼児ではない、普通の大人の方々が、赤ちゃん用語で犬と猫の事を呼んで、会話をしているのだ。更に衝撃を受けたのが、この人方は、犬や猫の人数を数える時に、一般的な、「一頭、二頭」とか、「一匹、二匹」とは言わない(私は、人と言う文字が、一人では生きて行けないから、寄り添い合う形の文字になったと聞いてから、これは素晴らしいと、全ての生き者を、一人、二人と、呼んでいる。何しろ、一人で生きていける命なんて存在しないのだから)。代わりに、1わん、1にゃん、とか数えるのである。全く知らなかった方の為に補足しておくが、1わんとは、犬が一人(失礼、一頭かな?)いると言う事で、1にゃんとは、勿論猫が一人(また失礼)いると、言う事である。例えば、こんな会話になるのだ。「家には、1わんと、2にゃんが一緒に暮らしています(ハートマーク)」これを、普通に自分は主婦だと名乗っている人間達がタイプしているのだから、その感性は、少々常識から外れている。ネットではなくて、現実の世界の喫茶店などで、20代から50代くらいまでの主婦達が集まって、身を乗り出すようにして、犬や猫を、わんやにゃん達が、どうしたとかこうしたとか、激論交わしていたとしたら、大抵の人間は引き下がって行くと思う。少なくとも、私は河岸を変えるか、せめてそうした会話が耳に入らない様に、コーヒーのお代わりを頼むのを止めて、ビールでも頼む。あるなら是非ともスコッチを。日本酒なんて気の利いた飲み物が、この状況で喫茶店にあったら、涙ぐむかも知れないので、返ってない方がいい。それから、また、この人々は、犬や猫の発情期の事を、「ヒート」と呼んでいる。最初は、全く何をネットで語り合っておられるのか分からなかったが、暫く読んで、やっと理解出来た事だった。マニアと言うのは、言うまでもなく、「ディープ」な世界にはまって行くオタク達の事で、その、同じ趣味の者達でないと、理解出来ないマニア用語が通常ある。東京を離れて、北海道に来て暫くしたら、いつの間にか愛犬家は、完全にマニアックな世界になってしまっていたのだった。私に合点がいかないのは、この人方は何故、露骨な蔑称である、「動物」と言う言葉を使うのは躊躇しないのに、蔑称でも何でもない、犬や猫と言う呼称を拒否して、赤ちゃん言葉を使いたがるのであろうか、と言う事であった。「犬」は、漢字の故郷中国では、「狗」と言う、差別的な表現をされているので、それを日本でも用いているなら、私も「動物」と言う言葉同様、拒否もしただろう。しかし、「犬」は、犬が確か座っている姿勢から作られた、文字であって、何ら差別的要素を含んでいない。「猫」にしても、ケモノ辺に苗で、何ら差別的意味合いは感じられない。日本語の「ねこ」と言う訓読みの理由は、一説には、「寝る子」縮めて作られたとも聞いている。この正当な日本語を排して、「わん」や「にゃん」と言った、造語を何故作る必要があるのか。これはやはり、マニアとしての自負心が、他人(犬猫マニア外)との差別化を、明確にしたいと言う意識が働いているのではないかと思う。実際、ブログを持つようになって、例えば楽天なら楽天の、「ペット」ブログの中で、覗いてみたペット文化世界は、余りにディープになっていた。以前はなかった犬に関する、様々な世界の広がりに、どっぷりと嵌っている人達の会話。1わん、2わん、と数える人達の、言わばマイ・ワールドと言った所。ドッグランの比較をして、うんちくを講釈していたりするし、その中でもマニア用語がそこらじゅうに出て来る。読んでて一番強い衝撃を受けたのが、あるドッグランに、自分の犬を連れて行った人が、(犬種は、マルかビションかだったと思う)他の犬達が、みんな洋服を着ているのを見て、「裸んぼうは、うちの子だけだった。今度来る時は、必ず洋服を着させてあげよう。」と、言う日記を見た時だった。別に皮膚病で、被毛が全部抜け落ちてしまっている訳ではない。立派な、美しい純白の毛を持っているのに、犬が洋服を着ていないと言う事を、「裸んぼう」と表現するのは、空恐ろしくさえあった。一体今日日の犬の飼い主達は、どうなってしまったのだろうと、危機感を感じた。犬ってどういう者なのか、ほんの少しでも分かっているのだろうか?こうした盛り上がりに、私は強い違和感を感じた。全く、お呼びでない場所に迷いこんでしまった様な。
2008.03.27
一体、日本に於ける、生き者に対する国民性と言うものは、たった20年から30年位で、劇的に変化が可能なのだろうか。日本は農耕民族で、そもそも犬をパートナーにして、生活していた、狩猟民族のルーツを持つ、欧米人とは、犬に対する理解や姿勢、愛情に、温度差があると言う現実がある。先に書いた通り、自分の子供の頃を思い出してみても、日本人は、犬好きとは全く言えない民族だった。犬は番犬、と言う、使役動物と言う意識が根付いていて、犬を大切にしている人間が、精神異常者のレッテルを貼られていた時代は、まだ、たった20数年前の事だ。決して犬好きでない人間と、犬の両者の間には、一定の距離が存在していて、精神的な、非干渉地帯が存在していた。それが、犬が犬らしく振舞える事を可能にしてもいた。何故なら、犬好きな人間は、犬の本質を大切にしたし、犬に興味のない人間が、ブームに乗って、犬を飼うなんて事もそうはなかったからだ(例外は、スピッツ・ブームだろうが)。少なくとも当時の人間は、犬に洋服を着せようとは考えたりしなかった。あの時代でも、今より良かったと思う事の一つは、人間は、犬を大切にはしなかったが、その在り様を、そのままに受け入れていたという事である。今の人間は、余りに生き者の習性や、本能的な部分に干渉を行い過ぎている。特に犬に対して、この傾向は厳然として存在する。まるで、犬を人間に「進化」させようとしている様だ。犬を簡単に去勢、避妊して、洋服を着させて、エステに連れて行って、あの、犬独特の毛者臭を奪い取って、家で猫可愛がりをしている昨今の飼い主は、私には実に、ただの「犬嫌い」にしか見えないのだ。だから、犬から犬らしい習性を排除しようと躍起になる。確かにこれは、欧米でよく見られる、犬に対しての接し方だ。少し前、確か愛犬国オランダで、犬も一緒に行ける映画館と言うのが出来たとCNNが報じていた。オランダの犬と言うのは、人間との混同種なのだろうか?彼らはどんな映画に興味を持つのだろうか?頑張れベンジー?名犬ラッシー?あれを見て、自分もスター犬になりたいとか、オランダの犬は思うのだろうか。そうだとすれば、犬も長年犬らしさを否定されて来ると、生き残りを賭けて、どんどん世俗化して来てしまうらしい。まるでマイケル・ジャクソンみたいだ。誇り高い、優勢血統である、黒人種の肌を捨てて、白人の姿を追い求める様な。種としての、アイデンティティを奪われた為に起きる、悲劇か喜劇だ。私だったら、犬は映画館には連れて行かずに、山や川や、海に連れて行く。男に生まれていたら、絶対狩猟に連れて行ったはずだ。何しろ犬は、狩りが至上の喜びなんだから。歴史的に見ても、欧米は、犬の交配や、純血種と言う「雑種」を作り、散歩をリードに繋いでしたり、様々な訓練を入れて、人間の思うとおりに動く犬を作って来た。それに対して、日本はこういう「ペット文化」を持っていなかった。犬は昔から、そこらに生きる雑草の様に、素朴に、変わりなく生き続けて来たのだ。それが、80~90年台辺りから、一変してきた。ペットブームは一過性のものではなく、恒常的なものとなり、最早「ブーム」ではなく、「文化」にまで発展した。犬に対しての意識や接し方、その全てが、欧米的特徴を、そのまま輸入する事になったのだ。「ペット」に対する日本の文化は、たったこの20年ほどで、驚天動地の如く成長を遂げた。しかし、本来アニマ観(分かりやすく言えば、動物観)と言うのは、そう簡単に転換が可能なものではない。農耕民族の歴史を受け継ぐが故に、祖先から、犬との繋がりを学んで来なかった日本人の文化の中には、明らかに生き者を、人より劣った「物」と見なす傾向があった。こうした傾向は、日本の歴史の中で、一貫してあったと思っている。農耕民族である日本人が、逆に敬ったのは、犬ではなくて、野生のオオカミであった。彼らは大口の真神と呼ばれ、それがつまってオオカミになり、中国語の、「狼(ロン)」と言う漢字の訓読みになった。オオカミは、鹿を捕食する為に、畑の守り主として、信仰されていたのだ。埼玉県にある、三峰神社は、そうしたオオカミを祭っている。しかし、殆どの場合、オオカミ以外のアニマは、畑を荒らす「害獣」か、汚らしい野良犬として、日本人は、一般に、無下に扱う事が多かった(勿論いつの世でも、無類の生き者好きは、この国でもいるに違いはないが)。そうした日本人の「動物観」が、たった20年や30年で、どうしたらここまで変われる事が出来たのだろうか?あれほど犬は汚いから、家に入れるなと言っていた国家の人々が、今じゃ犬の室内飼いは、当然だと主張する。それどころか都会を見ると、犬同伴可のホテル、喫茶店、仕舞いに犬用エステまで、まるで犬達中心に、経済が動いて、社会が再構築されていると錯覚(でもないかも知れないが)してしまう程になっている。私はこの日本民族の血を受け継いだ人間の一人として、冷静に見極めたいと思っている。即ち、日本人は、本当にアニマ好きになったのか。嗜好が急激に変化した理由は何故か。そして、その新生文化は本物であるのか、このまま日本社会に根付くと思って良いのかを。まず、日本の近代ペット文化の成り立ちを見ていると、これは紛れもなく、自国から発生したものではなくて、アメリカを初めとする、欧米のペット文化を、そのまま受け入れている事が分かる。敗戦後、日本は、それまでの封建主義から解放された反動で、一気に世俗化が進んで行った。民衆は、金髪に青い目で、白い肌で長身の、アメリカ人や、欧米人に夢中になった。彼らの装いや、建築や食生活、更には音楽に至る様々な文化を、砂漠の砂が、水を吸い込む様に吸収して、自国の文化からの脱却を図り、新たな文化として、受け入れ、社会の中で確立して行ったのだ。記憶にある限り、東京から、日本らしさが消滅して行ったと感じたのは、昭和50年代末辺りである。「ペットOK」のマンションが、出現を始めたのは、もう数年後になる。冷静に物事を分析してみれば、私は、日本人を打ち負かしたのが金髪で白い肌の欧米人ー、つまり、コーカソイドと言う人種ではなくて、黒人種である、ネグロイドであったなら、こうしたミーハーな狂乱は見なかったのではないかと思えてならない。我々黄色人は、自分の中にメラニン色素を持っている。ネグロイドは、更に多くの色素を有している。反対にコーカソイドは、その色素が全ての人種中、最も少ない。自分の人種にないものを、病的に憧れてしまっているだけなのではないだろうか。確かに、それに輪を掛けて金髪や、青い瞳と言うのは、とても美しい色彩だ。金色の髪は、相手がそう言わなかったとしても、モンゴロイドよりも、神に近い人種なのではないのかと、無知な人間には錯覚させる。ミーハーも、度が過ぎれば宗教的崇拝の色が濃くなって来る。日本人が、無批判に欧米の文化を取り入れ、それを尊び、有り難がり、誉めそやすのは既に、宗教的傾倒にまで、陥ってしまっているせいだと言って、過言ではない。結局日本は、敗戦と言う歴史的転換期を経験し、それまで信仰を捧げていた、神や仏を信じるのを止めて、(自国が敗戦したと言う事実の中で、神や仏は存在しなかったのだと言う、信仰を瓦解させる経験に、直面してしまったからである可能性が高い)代わりに、金髪碧眼の欧米人を、新たな「神」として、信仰の対象にしてしまったのではないだろうか。精神的な神々ではなくて、欧米人の駆使する、近代技術科学にこそ、絶対観と、万能観を見出してしまった。故に、欧米とは日本に取って、「絶対的存在」なのだ。現代の日本人は、あらゆる局面に置いて、「欧米ならこうしている」と、言う様に、彼らの文化や考え方を、行動の指針と見なしてしまっている。こうやって日本人の魂の遍歴をとき解いて読むと、やはりこの国の人々は、とても信心深く、敬虔な部分がその魂の奥に、連綿と受け継げられているのではないだろうかと感じて来る。勿論、この信心深さは、どちらかと言えば、求道者的な信心深さではなくて、むしろ信仰を求めるのではなく、信仰による支配を良しとする、無教養さや、意思の弱さ、そう言った欠点によって、導き出されて来るものなのだ。つまり、圧倒的な存在や力に屈し易く、洗脳をされ易い人々(つまり、一般の民衆)に見られる傾向なのだ。求道者は、何でも自分の心で考え、見極めようとするから、簡単にはそうした存在に左右される事がない。彼らに取って大事な事は、「凄いか」ではなく、「正しいものか」なのである。一般大衆は物事を分析するだけの、思慮深さに欠ける傾向がある為、集団心理に流されると言う欠点がある。マスコミが当時、ラジオや白黒のテレビの放送で、欧米の文化を賞賛を持って報道すれば、民衆はいとも簡単に、その称えられたものを欲してしまうのだ。彼らは、その社会に何らかの精神的指導者がいない場合では、烏合の衆と化してしまう。一人一人には、論理的判断を下すだけの、十分な知性を兼ね備えているにも関わらず、それを発揮出来ないのだ。彼らがそれを発揮するには、外側からの、精神的知性への呼び掛けが不可欠となる。そうした存在を欠いてしまっている世界では、彼らはさながら、海の中で群れ、それを全く崩さずに、一つの動きを維持する事だけを目的とする、魚たちの様なものなのだ。行動は常に、状況によって左右されるものであり、意思によって決定されているものではないのだ。そして、近代から歴史を遡ってみても、日本には悲しむべき事に、殆どの国民が認め、かつ、歴史の中で語り伝えて行く、精神的支柱となるべき、精神的指導者が、一度も出現した事がなかった。我々が道に迷った時、心に甦り、助けてくれる日本人を、誰か思い描く事が出来るだろうか?自分の個人的な支えではなくて、全ての日本人の、心の基盤になれる様な誰かを。歴史や、社会問題に詳しい人間でなくても、必ず思いだせる様な誰かを。日本の精神的支柱といえば、現実には天皇が挙げられるが、それも、位ゆえに崇め立てられていたのであって、我々に、特に精神的道標と成る様な、道徳的遺産を残してくれた天皇などはいなかったと思う。そしてまた天皇も、敗戦と共に、我々の社会の中から、精神的支柱としての、存在を失って行ってしまう。敗戦によって、神や仏に対しての信仰と、天皇に対する精神的拠り所を失った日本人は、その代わりに近代科学技術文明と、金髪碧眼と言う、この社会の人間離れをした容姿を持ったアメリカ人や、欧米人に、精神的支柱と、信仰心を見出してしまったのである。その結果、日本文化は否定され、壊滅状態に追い込まれた。我々は衣食住から、政治、余暇の過ごし方に至るまで、殆ど全て、欧米文化を継承してしまっている。ペット文化も、その中の大きな流れの一つである。崇拝する欧米人が、「ペット」を溺愛する以上、その誠実な信者としては、その風習を受け入れる事に全力を注ぐ義務があった。
2008.03.27
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・今後の施設展開計画私の所では、現在3つの柵に、凡そ100人強の犬が暮らしています。柵はそれぞれ独立していて、雄雌ではなく、喧嘩が起こらない様に、性格によって分けて住ませています。以前住んでいた所に、未撤去の柵が、約150枚あります。柵の大きさは、高さ2メートル、幅1メートルです。これを、それぞれの柵に振り分けて、一層広く、快適な環境にしたいと思っています。また、私の小屋さえ未完成な状況ですので、犬達は、それぞれテントで凌いでもらっていましたが、今年は、廃車を集めて、それを犬達の小屋に作り直します。木材や、草わらで作るのが、周囲の自然にも馴染みますし、一番望ましいのですが、いかんせん、費用や制作の時間がかかります。私と友人では、次の冬までに、とてもそんな時間は取れない為に、椅子を取るだけで済む、車の小屋を選択するしかありません。すでに、マイクロバスは、一台確保しています。今年の目標は、冬までに、柵の増設と、小屋を完全に整備する事。そして、繁殖を抑えさせてもらう為の、手術を終らせる事です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・エッセイー日本の新生ペット文化について35年間、日本で暮らして来た。生まれつき生き者好きだった私は、少なくてもそうではない人よりは、ずっとこの国や国民が、彼らをどう扱うかを注視して来た。東京を離れ、北海道まで来て10年近くも経ってしまうと、最近の「ペット事情」には大分疎くなって来ている事が否めない。かつてはそうした流行の最先端の地域で暮らしていたし、自分自身が犬界と言う、繁殖、ショー業界の一員だった為、「ペット事情」に関する情報には、非常に精通していたのだが。この、北海道の過疎地に来ると、都会では一般的な、愛玩犬の犬種名さえ、知らない人が殆どだ。町にペットショップもない為、様々な犬種を目にする機会がないのだ。こうした地域で暮らしていると、誰でもそういう世界の話には疎くなって行ってしまう。愛犬雑誌でも、何冊か毎月購入していれば別なのだろうが、私は生憎、そうした雑誌に興味がない。ただ、こうやってネットを接続していると、当然最近の「ペット事情」を目にする機会があるし、自分が保護活動をやっていると言う事情から、ボランティアに関する情報には、結構触れる事も出来る。私の生き者好きは、世間の人々とは、弱冠感性に於いて、相違があるので、こうした情報を、客観性を持って眺める事が出来る。しかし、そうやって見ると、今の日本人のアニマに対する文化や姿勢に、大きな疑問が湧いてくる。これは特筆するべきだと思っている。と、言うのも、私は子供の時分、日本の犬の飼い方が嫌いで仕方がなかった。「犬は外で飼うもの」と言う意識が徹底していて、欧米の様に、犬は大小問わず、人家で共に寝起きをする、と言う生活スタイルとは対極にあった。私は昔から、無類の生き者好きで、特にイヌ科の種族に対して、強い一体感を覚えていた。その為、生活の全てを、彼らと共有する事は、私にとって、なくてはならない事だったのだ。子供の頃の私はまず、犬と一緒に布団で眠る事が切望だった。私に取っては、家の畳や、糞尿や抜け毛の問題よりも、犬自身の方が大切だった。いつ如何なる時でも、私は犬に、自分と対等の権利を与えたかった。そうする事によって、初めて相手を大切にし、尚且つ相手の恩義に報いていると言う、(恩義とは、相手の存在に対する感謝である)安心感が持てたのである。しかし、当時の日本は、凡そ犬猫好きとは思えない国だった。犬は大抵、外の汚い小屋で、鎖に繋がれて、使い古した小鍋に、人間の残飯を入れてもらって食べていた。ドッグフードの種類も、今とは比べ物にならない位、少なかった。正直に言って、フードと言えば、「ビタワン」位しか、記憶にない。室内犬も飼われ出してはいたが、まだまだ圧倒的に、柴犬を筆頭に、日本犬か、日本犬の血が入った雑種が多く、室内犬を飼っている人達は、それだけで多少奇異な視線を向けられる事が多かった。犬と、ぬいぐるみの区別が付いていない、偏った愛犬家、そういう評価だった。当時は、いかつい雑種犬が一般的だったから、小型室内犬などは、返って犬に非ずと、見下される方が多かった。それを猫可愛がりする人間は、みっともない、とか、恥ずかしいとの評価を受けていた。ましてや、私の様に、屋外で飼うべき柴犬や、雑種犬を、室内飼いしたがる人間となると、これは完全に「犬キチガイ」の項に分類された。家族からは罵られ、学校へ行けば、男子生徒にひやかされる。中学3年の時には、家の柴犬が事故にあって、下半身不随になった為、学校を一ヶ月位休んで看病してた。その甲斐あって、奇跡的に完全に回復したのだが、勿論職員室に呼び出された。「たかが犬の為に、学校を休んで世話をするなんて、普通じゃない」と言われた。普通の人間は、自分の家族が事故にあって、下半身不随になって、誰も面倒を見てくれる人がいなかったら、学校を休んでも、自分で世話をするものではないのですか?と、教師に抗弁して、職員室を後にしたが、犬を「畜生」と捉えていた、この時代では、私は差別も偏見も、免れる事は出来なかった。だから、今の日本は、本当ならば、幼い頃の私が、夢見たままの世界であるのだ。今や犬は、雑種でも、室内飼いが普通になっていて、犬の権利や法律が叫ばれ、ドッグラン、等と言う、犬の為の運動場まで現れた。犬や猫を飼えるマンションも飛躍的に増えて来た。全国には、犬と泊まれるホテルやペンション、犬と入れる喫茶店もある。それなのに、私は今、世間の飼い主達を見て、好感も持てないし、彼らに混じって、見違える程に充実された、「ペットライフ」を謳歌しようとは思えない。別に、最近の愛犬家に対して、ひがみがある訳ではないと思っている。いいね~、あんたらは。私が子供の時なんか、犬を家に上げたかったら、家族がみんな、旅行に行ってくれるのを待つしかなかったんだよ。私は、伊豆や奈良や京都に行くのを断念して、(旅行好きの私がね!?)犬と布団で寝たい為だけに、一人で勉強の為、留守番してますと、嘘をつくしかなかったんだわ。今の皆さんがやってる事を、当時やってた私は犬気違いって、偏見の目で見られてたんだわ。恵まれてていいね~。最初っから、苦労しらずだね、あんた達は。などと言う根性が働いている訳ではない。それは、私だって人間だから、ドッグランなどと言うものを、当たり前の様に社会から与えられている最近の飼い主を見ると、私の子供の頃はね・・などと、頼まれてもいない、苦労話を語りたくなってしまう事はある。何しろ昔は、犬の運動場なんてなかった。しかし、そんな時代でも、犬を放して、自由に走りまわせてあげたい飼い主は大勢いて、私たちは、近所の公園や、街の少年球場などに夜遅くにこっそり集まって、それを叶えたものだった。(こうやって書いていると、自分が何だか60代になった様な錯覚が生じて来る)夜の九時を回ると、どこからともなく、犬を連れた人達が集まって来る。そこで、挨拶を交わしながら、犬をそれぞれ放すのだ。飼い主達は、ベンチなどに座り、犬達の糞や、喧嘩などに目を配りながら、世間話をみんなでしている。犬達は、暫く全速力で走り回ったかと思うと、今度は気の合う者同士でじゃれあったり、たまに順位争いで、喧嘩をしている。来ている犬は、8割くらいが雑種だった。そこに、たまたま通りかかった散歩中の飼い主が、その光景を見て、家の子も、一緒に遊ばせていいでしょうかと、訊ねに来る。どうぞどうぞと、みんなで歓迎して、新しいメンバーが加わるのだ。細かい決まりごとは別になかった。あるのは、ここに来る時間で、一番早くても、九時前には来ない様にと言う勧め。早い時間だと、子供や誰かがいたりするし、犬を怖がる人もいるから、なるべく公園や球場が、完全に無人になってから。うんちはきちんと持ち帰り。スライディングタックルを、一塁に向けてした子供の顔に、可愛いうちの子のうんちがつくのは悲劇だから。砂場で幼児が、かりんとうと勘違いして、糖分を補給しようと口に入れてしまうのも困る。自分達で、互いに常識を確認し合って、緩い暗黙のルールを決めていた。散歩時間は九時からで、一番長く遊ばせる人で、十一時までいる。我が家は二時間、フルタイム運動組だった。他は一切規制なし。雑種だろうが純血だろうが、関係なかった。勿論、お金なんか一円だってかからなかった。まだまだ、犬を飼う事について、理解が得られず肩身が狭かった時代、私達は、周囲に気を配って、時に「ここで放してはだめだ」と言う、身勝手な近隣住民の差別にも耐えながら、犬の遊び場を死守していたのだ。本音を言えば、真昼間に思い切り、太陽の下で走らせてあげたかった。しかし、それは不可能だった。輝く昼の時間は、当時人間の独占物だった。戦時中、犬の供出命令が下った時に、犬を愛する人間の中で、どうしてもそれに従えなかった人間が、周囲から隠して飼い続け、誰も通りを歩かない、真夜中にこっそり犬を散歩させる様に、私達にもまた、人が、「こんな時間は使えないからお前の可愛い子供にでも、くれてやったらどうだ。」と、放って寄越す、暗闇に飲み込まれた時間しか、彼らを放してはあげられなかった。勿論これは、都会に限った事情だったのかも知れないが。しかし、そんな苦労話を偉そうにしてやりたいとは思ってみても、現状を拒否する理由などないではないか。しかし、現状はそんなに理想的なものでもなかった。ほんの少し耳に挟んだだけでも、実際は、昔と日本は変わりなく、犬や猫や私に取って、居心地の悪い国だと言う事が、垣間見えているのだ。
2008.03.27
汎神論 メールマガジン 第00号 試作版O目次・メールマガジン発行について・殺処分撤廃の為の活動計画・今年の施設展開計画・エッセイー日本の新生文化ー「ペット文化」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・メールマガジン発行についてメールマガジンについては、私の活動に応援を寄せて下さっている、ある方から提案を頂きました。「倫理の進化」で書かれる様な様々な事を、メルマガの形で配信して欲しいと。そして、収益を、犬達の為に使ってはどうかと言うご意見でした。丁度、殺処分に関する意識調査のブログを、最近作ろうと私は考えていました。しかし、これまでの自分のブログに対する反応から、立ち上げる姉妹ブログに、私自身のブログが障りにならないかと言う事を、危惧しました。ご存知の通り、私の意見や思想は、現代人のそれとかけ離れていると言う理由があって、正しく賛否両論が沸き起こります。と、言うより、私が一度思想的なコメントを書くと、必ずそこで、論争が発生すると言う結果が生じます。折角作ったブログが、私への誹謗や中傷や、それに反論くださる方達の、論争で、埋め尽される様な事になっては、何の意味もないのです(私も参戦しかねないし))。メールマガジンと言う形の配信なら、批判目的の読者の目にも触れませんし、もう一つのブログへの、影響も減じる事が出来ると、最終的に自分の中で、葛藤の解決を見る事が出来ました。これまで、楽天ブログの「倫理の進化」の中で、綴ってきた、思想や、日常、散文。今後は、メールマガジンとして、それを続けて行きたいと思っています。ブログは、便利なものではありますが、逆に、個人が特定されている人間には、非常に危険な要素も孕んで来ます。昨年の、支援代表の方が発端となった事件では、私への嫌がらせに、犬達の事も省みず、行政をけしかけたりされました。役場で働いていた友人も、そうした嫌がらせの電話などを、職場に寄せられて、結局退職勧告を受けて、辞職する事になりました。そうした嫌がらせに、断じて負けたくない意地と、共生の精神を、どうしてもネットに流して行きたかったから、リスクを承知でここまで続けて来ました。今回、ある方からメルマガと言う提案を受け、これまでよりもいい形で、訴える事を続けて行けると、気が付き、大変感謝しています。私としては、最低限の、基本的な事は、あらかた書けたと言う思いがあります。ネット上で頑張るのは、ここまでで、一区切りを付けたいと思っています。最後に掲載する、「倫理の進化終章第二部」で、このブログは、役目を終えます。今後は、何か催しなどを行う際、日時などを報告するのに使うつもりはありますが、思想や、日記は、ここでは今後は掲載して行きません。今後は、「汎神論通信」と言うメールマガジンの中で、これまでよりも、多岐に渡った思想やエッセイを、提供して行きたいと思っております。勿論、読者数が増えて頂ければ、犬達の生活も安定します。私自身、午前中は子供の世話で、午後から夜中まで毎日働いています。幾ら生活苦とは言え、これ以上のアルバイトは不可能である為、少しでも収入になれば幸いです。勿論、最初は購読者数も限られていると思います。倫理の進化の様な、共生型の世界観に、関心を持たれる方などに、勧めて頂ければ大変有り難く存じます。メールマガジンは、4月初旬から配信を開始致します。原則として、回数は月に複数回以上。購読のお申し込みは、一年間ごとの振込みで、金額は5000円とさせて頂きます。振込みが確認されてから、連絡頂いたアドレスの方に、配信を開始致します。お申し込みの際は、お名前、メールアドレス、ご年齢、居住都道府県のみ、ご明記下さる様、お願い申し上げます。中途解約は可能ですが、原則として、未読分の購読料の返金は出来ませんので、予めご了承下さい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・殺処分撤廃の為の活動計画北原としては、今年の5月か6月頃に、まず釧路にて、殺処分問題を取り上げる為の催しを、行いたいと考えています。人と他の生命との、共生を謳い、生命の多様性を理解しようとする視点で撮られた映画、「地球交曲」の、第一番を、自主上映する計画を温めています。この映画は、環境や他の種族と、共存をしている人間達を、龍村仁と言う監督が、オムニバスの形で撮った映画で、出演者は、有名無名、様々です。映画の性格上、一般の映画館による上映が、中々進まず、一年も、映画は日の目を見ませんでした。そしてようやく、上映してくれる所が見つかったのですが、映画館側からは、まず、自分達で最低限度の、チケットを先に販売しておく事を、条件に出されました。観客が、全く見込めないと思ったのでしょう。そこで監督やスタッフ達は、自力で何百枚ものチケットを捌きます。そして、いよいよ上映になりました。映画は、宣伝費も広告費も、一切予算がなかった為に、チケットを買ってくれた人以外の、観客は、余り期待出来ないものでした。所が上映3日目辺りから、前売りチケットではない、当日券で映画に来る人の数が増え始め、それは日を追って増して行き、遂には当日券と、前売り券の観客数が、完全に逆転してしまうのです。上映最終日には、前売りチケットを買っていた人が、多く足を運んだにも関わらず、会場は満員で、前売り券の観客が、上映を観れないと言う予想を超える状態になってしまい、映画館側は、系列の別の劇場で、公開延長を決定しました。この映画を観た人々が、他の人々に感動を伝え、そしてそれを聞いた人々が駆けつけて来たのです。驚きは、まだまだ終りません。この映画を観た人達が、自分の町でも、上映をして欲しいと、強く切望し、監督に相談しました。ごく普通の、主婦の方達でした。しかし、その町で、上映をしてくれる映画館が見つからなかった為、女性は何と、自主上映に踏み切ったのです。何の専門知識も持たない、一女性。ただ、自分の家族や、友人や、地域の人々に観て欲しい、その一念で、行動を開始します。すると、彼女の傍には、自然に映画の上映知識や、経験のある人が、次々と現れて来るのです。その人達に、協力を頂いて、本当に自主上映は、実現してしまったのです。1992年の初めての公開以来、この映画は、現在まで第6番まで製作、公開されていて、今尚映画は、第1番から6番まで、常に全国津々浦々で、公開され続けています。「映画界の奇跡」と言われている作品です。私はこの第一番を、催しで上映したいと思っています。第1番の出演者は、ラインホルト・メスナー(アルピニスト。世界でただ一人、8000メートル級の山々の、単独登頂をやり遂げた人物)ダフニー・シェルドリック(アニマ保護活動家。アフリカのケニアで、密猟者に殺された象の、孤児となった子供を、育てて野性に返す活動をしている。最初に野生に帰った象のエレナは、同じ境遇の小象を見つけると、ダフニーの所に連れ帰り、彼女と共に、野生で生きれる様に成長する、手伝いをしている)野澤重雄(植物学者。バイオ技術も特別な肥料も使わず、一つのトマトの種から、一万三千個の実を付けさせた。トマトとの対話を、証明した学者)エンヤ(歌手)鶴岡真弓(ケルト美術研究者)(エンヤのルーツである、ケルト民族の世界観、自然観に迫っていく)ラッセル・シュワイカート(元宇宙飛行士。宇宙から地球を見た時、あらゆるものとの一体感を経験すると言う、神秘体験を得た)以上が第一番の、出演者です。特に、象のエレナと、母代わりのダフニーの姿、自分の意思を示した、トマトの樹、シュワイカートが宇宙で感じた、「一つの地球」。これらの事が、犬猫の命と、現状を見直す上で、多くの力を与えてくれると期待しています。会場では、同時に収容所で殺される犬達の、写真を撮ったカメラマンの、写真展も開催します。そして、モニターを持ち込んで、殺処分をされている犬の苦しみを、ガス室の外側から撮った、「残された命」と言う、アライブと言う団体が作成した、ビデオの上映も致したいと計画しています。そして、龍村監督に、共生についての講演をお願いして、北原自身も、演壇に立ち、汎神論の理念と、共生の重要さと、殺処分の撤廃を、訴えて行きたいと思っています。会場では、殺処分に対する、意識調査アンケートと、撤廃を望む、署名活動も致します。この催しの狙いは、人間として、両極端の、自然や生命に対する姿勢を、鮮明に打ち出して、我々の光と闇を、明確にする事です。その上で、人間はこれからこの世界に於いて、どう生きて行くか、どう他の種族と共存して行くかを、問い掛けます。共存でしょうか、それとも、従来通りの支配でしょうか。だとしたら、ガスで殺される犬達の悲鳴に、あなたは無視を決め込むのですか、と。この催しの実現に関しては、映画のフィルムの借用費が凡そ10万円。監督の公演費が5万円。往復の航空費を、5万円くらいで、見積もります。ポスター、チラシ、チケットが、合計2万ほど。会場費が、2万5千円くらい。後は、監督の宿泊費、お食事代など、諸経費です。写真展の写真は、一日千円で、貸し出して下さっています。簡単な試算で、30万円ほどを、見積もっています。この経費に関しては、私も知人達から、募金を募ってみますし、また、ご理解頂ける皆さんに、僅かずつでもご寄付を募りたいと思っています。資金の調達が、具体化して来たら、スケジュールの調整に入ります。映画のチケットは千円ほどで、販売されます。売り上げがあった場合には、次の催しに資金を回します。今回の催しが成功したら、全国で、同じものを開催して行きたいと思っています。それには、それぞれの地方に住まれる皆さんのお力が不可欠ですので、催しの報告をご覧になって、ご自分の地元でも、是非、やってみたいと思われる方は、連絡下さい。全国で、殺処分を改めて考え直し、他の種族を尊重し、共生をもう一度、始めて行ける様に頑張りましょう。行動しましょう、皆さん。座って、祈っていても、殺処分は終りません。本当の祈りは、行動と共にあるのです。収容所で、或いは街角で、或いは、明日にでも収容所へやってしまおうと相談している飼い主の元で、助けを待つ彼らの所へ、行進して行きましょう。解放の報告を届ける為に。催しにかかる、細かい費用の計算は、第一号の、メルマガで掲載致します。ー続くー
2008.03.27
皆さん、今晩は。北海道も、とても暖かくなりました。今日、福寿草が可憐な花を、咲かせているのを見ました。こちらは今、最後の試練の季節でして、毎日空洞だらけの地面と格闘しています。バンパーも、左側の一部が、こうした格闘の中で、もぎ取られてしまいました。それでも、春はもう届いています。悲しいかな、温暖化のお陰で、いつもよりは、一ヶ月も早く、雪解けの季節を迎えています。試される大地の連載も、そろそろ終わりになって来ました。踏んじゃだめー・・。今日は、皆さんに、ご報告したい事があります。こちらのブログを、実質的に、停止させて頂こうと思っているのです。時期は、4月の初旬までを目処に。停止に合わせて、FC2ブログの方で、殺処分に対する、意識調査のブログを開始させます。こちらでは、ただ単に、「殺処分が、社会に取って、必要と思いますか?不要と思いますか?」と、言うような質問のみを呈示させて頂いて、これまで「倫理の進化」で綴って来た様な、思想や日記は、一切掲載しません。新しく作るブログは(正確には、もう作ってあるのですが)、これまでの様に、私の意見を述べるブログではなくて、皆さんの意見を語っていただく為の、ブログです。殺処分撤廃の為に、より具体的に、障害になっている事を、浮き彫りにして行きたいと、考えています。毎回、こちらで、答えて頂きたいテーマを書きますので、それに対する意見を、コメントして下さったら、幸いです。全ての質問は、随時コメントを募集して行きますので、古い質問にも、遠慮なく意見を下さい。また、以前このブログで書いた様に、原則として、コメント欄での、反対意見の応酬は、禁じさせて頂きます。http://plaza.rakuten.co.jp/yaieyukar/diary/200709120000/ネットで、自分の意見を述べ、それについて、訪問者達で議論をなさるのも、ネット文化の中に於いて、既に確立されているのは承知していますが、やはり、不毛な努力の継続にしかならないと、思っています。実際の会議の場では、一同顔を揃えて、最後まで論じ合いますから、それなりの成果が期待出来ると思うのですが、ネットですと、時間を決めて、参加している訳ではないので、全く議論が進まなかったり、かと思えば、一日中応酬が続く事もあります。仕事のある方や、子育てに忙しい方は、時間が空いた時しか、コメント出来ませんから、反論を呈示されてても、すぐには答えれない事情があります。反対に、お仕事をされていない方とか、時間がある方は、パソコンの前にずっといられる訳で、どうしても、議論を行う時間が、平等に取れないのも、ネットの議論を推奨出来ない理由の一つです。議論をしている方が、一方の方が、返事をして来ないから、「逃げた」とか「答えれない」等と、責めたり、勝ち誇ったりされているのを、よく見受けます。実際は、単に体調を壊して、寝ていただけ、とか、身内の集まりがあったから、その時間が取れなかったとか、色々理由がある事でしょう。ですから、そうした争いを起こさせない為にも、コメント欄で、反対意見の応酬は、ご遠慮して頂たいと思っています。一つの意見、疑問に対して、それぞれが思っている事を、述べる事は有益ですが、等しく時間の取れない相手と、ぶつかり合うのは不毛ですので、それならいっそ、捨てアドレスなど教えあって、第三者を巻き込まず、当人同士でお話をされるのが、一番解決の為には、建設的だと思っています。それが出来ないのなら、せめて喧嘩は控えるべきでしょう。ある方が出されたコメントに対して、真摯に一般の意見を募った方がいい、と判断した時は、コメント主に、許可を得て、議題にさせて頂く事も、検討しています。また、読者の方から、「こういう事について、一般の方がどう考えておられるか、意見を是非とも募って欲しい」と、言う様な要望があった場合は、前向きに検討して行きます。ブログタイトルは、「殺処分問題会議」にしてありますが、一般の環境ではない、ネット上の会議だと言う事を意識して、一般の会議よりも、無責任な発言が多い事をまた考慮して、コメント欄での反対論の、応酬の禁止、と言う、特殊なルールを、設けて行きたいと思っています。知り合いの方のブログで、「一座建立」と言う言葉を、勉強させて頂きました。元は世阿弥の言葉だったそうなのですが、茶道の世界でも使われていて(私の祖母は、茶道の先生でしたが、知りませんでした)、亭主はお客にそそうをさせずお客は亭主にそそうをさせずと、言う概念だそうです。年末に関わったある方のブログで、余りに掲示板が荒れたのに、管理者が放置されていたので、まるで場末の飲み屋だ、と私は酷評をした事があります。店の風紀を守るのは、店主の仕事です。そして、店の品位を高めて下さるのが、お客さま達の器量です。これは、長年ホステスをしていた私の、信条でもあります。FC2ブログは、意見を乞う為のブログですから、ブログを荒れさせない為にも、この姿勢を、徹底的に貫いて行きます。「倫理の進化」は、今後はメールマガジンと言う形で、希望される方のみに対して、個別に配信、と言う形で継続して行きます。お試し版の、メールマガジンが出来ましたので、内容の吟味の為に、これに続けて掲載致します。ブログから移行する詳しい理由は、そちらにも書いてあるのですが、*個人が特定されていて、以前、犬や友人に対して、圧力を加えられ、大変な迷惑を被った為、ネットでこちらの情報を呈示して行く事に対して、子供達を危険に晒すのではないかと、ずっと潜在的にあった危惧。*新しいブログの、妨げにならない為の措置。*ブログで呈示したかった、最も最低限の事は、書ききったと言う思い。実際は、とにかく書きたい事、伝えたい事が山の様にあって、それでブログを続けて来ましたが、今回ある方から、メールマガジンにしてはどうかと、意見を頂いて、これまでよりも、精神的な負担が少ない手段で、ブログが続けられると思いました。提案して下さった方は、うちの経済安定の為に考えて下さって、メールマガジンは、有料にして、年間購読料、5千円でやってみたらどうかと言うご意見でした。今まで無料のブログを、有料にするのに躊躇があって、一番古い頃からの、リンク頂いている方に、相談してみました所、値段は手ごろだし、本当に読みたい人に、読者が限られて来るので、賛成です、と言う返事を頂きました。ですので、頂いた意見通りに、メールマガジンは、有料制にさせて頂きます。内容は、これまでのブログと少し異なり、思想を中心にして、四季の報告や、時事問題など、多岐に渡らせます。元々、特に時事などは、とても扱いたかったのですが、ブログがまず、犬猫の殺処分問題に的を絞っているので、敢えて掲載を止めていました。今後は、「マガジン」ですから、内容は豊富な方がいいですし、やっと、書きたいものが素直に書けるのだと、喜んでいます。お試し版をご覧になって、購読のご検討をして頂きたいと思います。今後は購読お申し込みの、バナーなどを、掲載出来ると思いますが、日数がかかるかも知れませんので、それまでは、お申し込みの方は、ブログ左側、下方にある、「メッセージを送る」から、若樹の私書箱の方に、お申し込み下さい。直接、アドレスをご存知の方は、そちらにご連絡お願い致します。これまで、リンクを頂いていた皆様、そして、いつも読みに来て下さった皆様。本当に有り難うございました。リンク頂いた方達には、今日、明日中に、個別にお礼を申し上げに参ります。お試し版の、作成に追われ、メールの返信を待って頂いている方もいらして、本当に申し訳なく思っていました。倫理の進化は、今月末から、4月初めに「倫理の進化終章第二部」を掲載して、実質的な停止とさせて頂きます。文章は既に出来ているのですが、お試し版が、中々の長文ですので、お読み頂く方の苦労を大きくさせてしまわぬ様に、そちらを咀嚼して頂いた頃に、掲載したいと考えています。その時に、FC2ブログを開始させますので、アドレスを掲載しますから、どうぞご訪問下さい。それでは、最後のお礼は、その時にまた、改めまして。補足:この文章は、昨日仕上げておいて、今日細かい手直しをしました。 そこで、試される大地の終了をほのめかしてしますが、本日夕刻、雪は降るわ、 友達は埋まってるわ、JAFはまた、諦めて降参するわ、助けに行った私も埋まる わ、予約の時間に帰れなかったわ、明日、友人の車の救出に、中標津から友軍機( タイヤショベル)が向かって来るわ、まだまだ終りそうもありません、くそう!!! 殺処分廃止の為の新しい行動になるブログを、一日も早く開始したいので、予定は 変えません。 試される・ガッデム・大地は、メルマガで続けます。 このブログは、もう一つのブログの為に、一切私の思想や日常は、掲載しませんが、 (FC2に、こっちの批判を書かれると収拾がつかないので)春から計画している、 活動を行う際についての、予定や日時、結果報告などは、その時々に応じて、掲載 して行きたいとは考えています。
2008.03.26
うんざりする程時間を掛けて、土曜日が過ぎて行く。まるで朝方見た悪夢の様に、まとわりついてあざ笑っているかの様に。悪夢の一日の、忌まわしい残り香を、苛立ちながら、この手で必死に振り払う。翌日曜日。空は晴れ渡り、世界は光に満ちている。昨日がこうであったら良かったのに。車はまた、林道を抜けてそろそろと進んで行く。道はどこも水溜りだらけ。牧草地を抜け、川が左に現れる。身を乗り出して流れを確認しようとしたら、車が孤を描いて左に寄った。珍しく、友人と息が合ったらしい。そこにあるのは静かな清流だった。たおやかに、小さな小波を立てて川が流れる。繊細な心の営みの様に。その姿から、昨日の轟音を立てて流れる、荒ぶる姿は想像もつかない。ただ、ざっくりと下段を切り取られ、薄い刃先の様に流れに研磨された、川岸に残る氷の層が、昨日の荒ぶる川の記憶を、無言で証明しているだけだ。ほっとして、深く溜め息をつく。問題ない。川は渡れる。昨日埋まった所は、空に輝く太陽が、地面に陰影をはっきりと与えてくれているお陰で、昨日よりも、残酷に見える。その姿が、浮き彫りになってしまうから。何とか危ない所を避けて、地面がしっかりしている所まで行こうと言ったが、やはり今日も車は落ちた。また、新しい穴を作ったね。ツルハシで、地面を掘り返す。カラスが空を旋回し、大きな声で、仲間と私の子供達に、私たちが、ここにいると知らせている。家の山の方から、別のカラスの答える声が僅かに聞こえる。カラスだって、家の子のご飯を狙っている。私がいなければ、自分達も、おこぼれに預かれないのだから。私を待つ気持ちは、子供達とそう遠い心情でもないのだろう。車はまた、良家のご子息よろしく、恭しく運転手から世話を受けて、穴ぼこから救い出され、何不自由ない走行を取り戻した。そして車はもう、二度とは埋まらず(その日は)、私達は川の前まで辿り着いた。子供達の歓声が聞こえる。それに混じってカラス達の歓声も。川はここでも、昨日の事など私の見た幻だったと言うかの様に、穏やかな、いつもの顔を見せている。私の長靴は、大きな亀裂が入っていた。承知で、川にバシャバシャ入って行く。ここを渡れる喜びで、水が入る事など厭うはずもない。足を入れて二歩目で、長靴を履いている意味などなくなった。長靴が、川の中で水の抵抗の中を、水中遊泳するかの様に歩くが如く、私の足もまた、長靴の中で、同じ水中遊泳を繰り返している。ようやく対岸に辿り着いた。長靴を脱いで、逆さにして水をこぼす。それから靴下を脱いで、手で何回か絞る。素足を長靴に再び戻し、家に向かって駆け出した。子供達が、ジャンプしながら迎えてくれる。慌ただしく、目をあちらこちらに動かしてみる。具合の悪そうな子はいないか?全員元気だろうか?柵に次々飛び込んで、喜ぶ子供を制して、先に全員の顔色を確認する。どの子も大丈夫。お腹はぺこぺこだろうが、元気一杯だ。大体、言いたくないけど家の連中、半数以上は肉の付き過ぎなんだから。太らないのは、遺伝上、ドーベルマンみたいな、細身の体質を受け継いでいる子達くらいなのだ。ヨーデル&柚子アダム&ロゼルけんた(私がつけた名前じゃない)秋くんパム&紬アダム、紬、ラッセル、雫、モリー、葉月ほたる逆光で失礼。お名前は?「以前このブログで、一世を風靡した、世界一可愛いゆっちゅでち。」うんうん。ママにだけは、今もそうだよ。子供達は、お腹一杯になって、日光を浴びて、日向でまどろむ。ようやくみんな落ち着いた。この日、日曜日。私は以前から、未整備の道を、車が通れるか、どこにつながって行くのか、歩いてみるつもりでいた。上の道は、後1ヶ月半は、最低でも車は通れない。下の道は、約30メートル位に渡って、地面の下が空洞になっている。いずれ全て、車が埋まる事によって陥没するが、その前に車が壊れてしまう。別の道を、是が非でも確保したかった。そこで、ずぶ濡れの足のまま、その未整備の道を、探検してみる事にした。再び川を渡って、向こう岸に戻る。車に乗り込み、1キロくらい進んで行くと、左手に、山へ登って行く、熊笹で覆われた旧道がある。道の入り口には、倒木があって、車の進入を防いでいる。その少し先には、道の中央を微妙に外して、樹が育っている。樹齢は凡そ30年位。つまりこの道は、それぐらい誰も使っていなかったのだ。歩きで熊笹を踏み分けながら、道を登って辿って行く。野美やちったんは、初めての道を行くから、嬉しくておおはしゃぎをしている。道なき道になった熊笹道路は、歩くのが困難。山を暫く登って、今度は下の道と平行に走っている。木立と熊笹で、実際には、下の道は見えないけれど。これは、谷地を避ける為に作ったんだろうか?どこまで続いているんだろう。ちゃんとした道路に出られるのか?それとも、どこかで林道にぶつかるんだろうか。道にはまだ、至る所に残雪が残っている。通るものとていない道は、雪解けも思うようには進まない。そう考えながら、苦労して雪を漕いで歩く。足が感覚がなくなって来た。行けども行けども、出口は見えない。今日は長靴もびしょ濡れだし、そう無理も出来ない。もう少し行って、林道も出口も見えなかったら、引き返そう。そう思って、足元の雪を見ながら歩いていた時、とんでもないものを見つけた。雪の上に残っていたのは、まだ新しい熊の足跡!!昨日の雨に、破壊されていない足跡は、ここ一日以内についたものだ。ほんの一時間前だって事もあり得る。まだ3月中旬だが、そう言えば、熊撃ちが言うには、早い熊で、今頃から巣穴から出て来ると言っていた。その上今年は雪が少なくて、2月から急に暖冬になって行ったのだから、例年よりも、巣穴から出て来る時期は早いはずだ。もう、かなりの熊が、冬眠から起きていると、思った方がいい。この林道、もっと奥まで歩くなら、それなりの準備はしないといけない。せめて、熊避けの鈴くらいはぶら下げておかないと。今日はここまでにしようと決めた。さっきよりも注意して、元来た道を歩いて行く。犬は鼻がいいから、この子達が吠えないならば、この付近には、恐らく熊はいないだろう。或いはじっと、どこかの熊笹に隠れて、風下からこちらを見ているのかも知れない。そうであるなら安全だ。後は音に気をつければいい。バーン、バーンと、羆が地面を叩く音。こっちへ来るなと言う警告音。道を見下ろす、山の稜線を見回してみる。まるで神社に来ている様だ。人が手を入れていない自然の中は、何故こうまで神秘的な空間になれるのだろう。私たちの家を作った所に、初めて来た時の事を思い出す。一昨年の6月の末。あそこは草の一束でさえ、刈り取られてはいなくて、大地は一面下草の緑。黒い地面は全く見えていなかった。そして頭上は、若葉に埋め尽くされていた。まるで緑の宝石だった。今のあの土地の、何と味気ない事だろう。私達がつけた道で、大地が顔を剥き出しにしている。本来なら、下草が大事に覆っていた、大地が。タイヤショベルと、ユンボでつけた、大地の傷跡。人間は、どうしてこうも、自然への振る舞いが不器用なのか。この手は、繊細さに欠ける。この体は、本質的に、重機と何ら変わりはないのだ。歩きながら、この道を、そっとしておきたいと、思う気持ちが募って来る。そしてまた、事情故に、それを退けようとする気持ちが錯綜する。熊と一緒に歩きたい。それが、人の道でもある。私達の道は、生命の道であって、車の為の道じゃない。重機の為の道じゃない。それは、自然を破壊する道だから。私は事情に負けるかも知れない。下の道も、上の道も、問題だらけ。整備するにはお金がかかる。みんなで生き抜いて行く為に、この道に自分の車を通すかも知れない。そうしたら、熊はまた、もっと山の奥へ行かざるを得ないんだろうか。私がどかせてしまうんだろうか。彼らの道を奪うんだろうか。一緒に、歩かせてはくれないだろうか。私の車には、毛者の匂いが染み付いているから。私はとても静かに道を走る。他の人間には、この道を教えたりしないから。いつか、私が車を、必要としなくなる日まで。共に歩いてくれないだろうか。俗世間での仕事を終えて、完全に山へ帰れるその日まで。あなた達が、去ってしまうのを見たくない。少しでも、近くで暮らして欲しいから。息を潜めて、道を通る。それがあなた方を失いたくないからだと言う事を、このキムンカムイ達なら、きっと察してくれると信じて。知床にてキムンカムイ。どうか、どこへも行かないで。私達と、ここにいて。____________________________補足翌朝胴長を買いました。ワーイ♪
2008.03.19
車は林道を離れ、再びアスファルトが引かれている道から、もう一つの林道を目指した。この道は、1月の下旬以降通っていない。あの、JAFのジープまで、落ちてしまった時を最後に。下の道と一変して、こちらはまだ、想像以上に雪が深かった。林道の入り口の、上り坂さえ最後まで登れない。車を降りて、ここから橇を引いて行こうと言う話になる。男友達がいるから、橇は交互に引けば済むが、自分がいつも使う、ストックとかんじきを、忘れて来てしまったのが、悔やまれた。雪はまだ、浅い所で膝上まである。吹き溜まりは、実に腰が埋まる高さから、自分の頭を越える程まで。去年は、最初の方だけは何とか除雪して、後はひたすら、橇を引いて道をつけて行った。何もしていない今年の冬、ここは全く通れたものではなかった。多少は進んでみたものの、二人で埋まって、全く前に進めなかった。遭難するぞ、と友人が言った。確かにそうだろう。去年はしっかり対策を立てていた。こうやって、道を埋め尽くす程の雪があった時は、近くのとほ宿から(男女別相部屋制度の、旅人宿)、一番大きい、埋まりにくいスノーシューを借りて、まず友人に行進してもらい、踏み固めながら、橇を進ませて行ったのだ。今回は、急な状況で回って来てしまったから、何の準備も出来ていない。これも明らかに自殺行為だ。もう一回、下の道へ行こうと、私が言った。何とかして、川を渡ろう。川の近くに倒木がある。それをずらして行って、掴まる手すりに出来るかも知れない。車はまた、元来た林道を戻って行く。隣で友達が私を怒る。本当なら、とっくに今日は諦めなきゃいけない所なんだぞと。そもそも、常識で出来る範囲を超えているんだから。仕事を休もうかな。車を持って来て、私もご飯を食べないで、ずっと川の反対で一緒に我慢しようかな。友達の意見を聞き流しながら、ぼーっと一人、仕事を休んで子供の近くにいようかと考えてた。車はまた、埋まりやすい道を慎重に進んで行く。するといきなり、ガクンと落ちた。車が斜めになって止まる。二人で顔を見合わせた。落ちた?みたいだね。穴あったの?あったんじゃない?気付かなかった。バッカ、と、車を降りて、その状況に息を飲んだ。落ちてるとか、可愛いものじゃなかった。道そのものが、陥没してしまっているのだ。車は片側、前輪も後輪も、陥没した道に落ちて嵌ってしまっていた。雪が少ない分だけ、凍れが酷かった今年の冬。霜柱は、高い所で私の膝ほどまで地中の水分を凍らせて、地面の表面を押し上げていた。その、霜柱が融け始めて、押し上げられた地面の下が、空洞になって、数十メートルも続く落とし穴になっていた。これじゃ、車が通れない。兎に角何とかしなければと、車の前後を、剣先スコップで掘って行く。でも、凍ってる所もまだまだあって、簡単には掘り進めない。ようやく、タイヤ一つ分だけ掘り終えると、掘り返した土を均して、車を揺さぶって溝から出した。どこまで融けているのだろうと、私の身長より高い丸太を、地中に開いた横穴の中に差し入れてみたら、すっぽり入って、しかも全く行き当たらない。ここで、とうとう今日は諦める事に、同意せざるを得なくなった。剣先スコップでは、凍った土を簡単には掘り返せない。店にある、ツルハシがなければ進めない。友人も、夕方から仕事がある。店に取りに行って、また戻り、埋まって掘ってを繰り返しながら、時間までに川を渡る手はずはつけられない。家へ帰れなかったのは、今年の冬、初めての事だった。まだまだ、新しい土地に慣れていない。ここで起きる、色んな事態の予測が追い付いて行かない。経験不足なんだ。明日には、川の水も引くし、ツルハシがあれば、埋まってもどうにか行ける。明日出直すぞと、言われて、仕方なくここで引き下がった。目の前に広がる、通れない道を虚しく見詰めた。帰り道、道路脇の山々を見ながら、車に積んである、ご飯を持って帰らなければならない悔しさに押し潰されていた。憮然として、薄く霧がかかった世界を見詰める。時間は、もう午後三時頃。仕事も大遅刻。でも、私はせめて、子供の為に、食費を稼いでおくしかない。朝が来るまでは、他に出来る事なんてないんだからと。
2008.03.19
毎年、3月の下旬に最後の猛吹雪がやって来る。「彼岸荒れ」と、ここの人達は呼んでいる。今年は、どうやらそれが来る気配がない。代わりに、何と雨がやって来た。寒い北海道の冬、春が来るまで空から贈られてくるものは、美しい六花の結晶だけ。雨粒は、春の到来を告げている。それが、事に最近の温暖化で変わって来ている。去年も、2月に雨が降って、道路は惨劇。スケートリンクの上に水が溜まり、そして流れる。車はあちこちで道路から落ちていた。金曜日の夕方から、土曜日にかけて雨が降ると言う予報だった。例年なら早すぎる。雨なんて、4月くらいから降り出すのが通常なのに。もっとも、今年は特に春が早いから、それも致し方ないのかも知れない。予報では、ずっと弱い雨が続くと言う。川の事を考えたが、弱い雨なら、水かさもさして増えるまい。所が金曜日の夜から、雨は本降りになって来た。築50年は経っているだろうと言う、古いこの店の中で、外から聞こえる雨音が、会話の声を時に掻き消す程に、響き渡って来た。まるで、ドラムのスティックで、建物中を叩かれているみたいだ。一晩中、雨音は、打楽器の様に軽快なリズムを刻みながら、耳の奥まで鳴り響いていた。朝、雨はまだ本降りのまま。道はどうなっているだろう、橋は?不安を抱えて、友達のRVRに乗り込んだ。予報では、雨は午後までらしいと言う。確かに、車が走っている内に、だんだん小降りになって来た。少しだが、肩の荷が降りて、体から緊張がほぐれる。店から凡そ15キロ程走って、林道へ入って行く。車のシートベルトを外し、体を自由にしてから、悪路の衝撃に耐えやすい様に、態勢を整える。まずは下り坂。残雪の上を、水が細い川となって流れている。牧草地を抜け、いよいよ自分達で一昨年整備した、30年近く、釣り人以外は通る人もいなかった林道へ。木立の中に入って行く時、左手に川の流れが現れる。家の前を通っている川だ。水は大地が溶け込んだ茶色。川面は波立ち、普段の数倍も増水している。これは渡れないんじゃないか、と友達が言う。また、体に緊張が帰って来る。行ってみよう。短く答えて、残雪と流水と、ぬかるんで埋まり易い、危険だらけの林道を睨んだ。車は綱渡りの様に、間一髪を繰り返しながら進んで行く。途中に難所が幾つかある。解け始めている谷地や、谷地から既に流れ出している、小川が寸断している段差。その小川の一つが、何と氾濫してしまっていた。段差を越える為、そこには何本かの丸太を置いている。水はいつもはちょろちょろと、申し訳程度にその丸太の下を流れているだけ。それが今日は、丸太は完全に水没していた。小川は昨日までの、静かな姿と全く異なって、まるで見知らぬ他人の様な表情を見せている。昨日まで、どんな時でも自然は優しいと、勝手に信じていたのに、ふと裏切られる瞬間。自然には、私の心を越える心が備わっているのだ。たまらず車を止めて、友達が水位を測りに行く。長靴を、川に差し入れてみれいる。水没しない。大丈夫だ、まだ渡れるだろう。川の両側の土を蹴って、車の重さに耐えられるか、硬度を今度は調べている。土は全く落ちて来ない。土の中は、まだ凍ったままなんだ。友達が車に乗り込んで来る。行けるわ、と言いながら。体を支えておけよ、と言われて、左手で助手席の窓の上の取っ手を掴み、右手でダッシュボードを抑え、体を固定する。ウォーターコースターです。アスレチックワールドへようこそ。私が軽口を叩く。こんな時は、ユーモアが不可欠だ。緊張を緩和させ、精神を安定させ、仕事に集中出来、なおかつ失敗しても、責められずにフォローされると言う、安心感が生まれる。イヌイットの様に、厳しい環境に暮らす民族ほど、ユーモアを兼ね備えている、と言う人類学者の指摘を思い出す。そう、過酷極まりない世界で生きて行く為には、逆境を皮肉る、柳の様に、柔軟な精神が不可欠なのだ。でなければ、嵐がやって来たが最後、ぼっきりと折れて倒れるだけ。RVRが前進を始めた。体に力が思い切り入る。川の下は、全く今は見えないが、Vの字の段差がある。ガン!!大きな衝撃を受けて、頭を天井に打ち付けた。一瞬、フロントガラスが、跳ね上がった水しぶきで、何も見えなくなった。次の瞬間、RVRが段差を乗り越えた。成功!わっと歓声を上げながら、興奮と安堵が全身に漂う。取り敢えず、川までの難所は全て越えた。第一関門は突破出来た。谷地も抜け、山を少し登って、下り坂になる。するとその下り坂は、融けた雪が凍って、道の半分ほど残っていて、その上を、水が小さな滝の様に流れ落ちている。二人で思わず息を飲む。・・・これ、下りたら登れるのか?友達が尋ねる。大丈夫だよ・・・。私が答える。鯉の滝登りってあるじゃない。登れるさ。水しぶきを上げながら、RVRが駆け下りる。さあ、もう家は目の前にある。川の間近で車を止めた。子供達が、大急ぎで呼びかけて来る。車から降りて、川を確認に行った。多少の増水は予想していたが、それをまだ上回っていた。去年の雪解けの濁流ほどじゃない・・・。私達で架けた、「御成り橋」(私の生まれ育った家の、すぐ上に架かっていた、一番思い出深い橋の名前。多摩川の支流に架かっていた)を押し流してしまった、あの流れに比べれば、まだそこまでは。行こうよ。私が促す。どうやって?歩きで川を渡って、向こうから、ロープかワイヤーを持って来て、そことそこの樹に縛らせてもらおう。歩き?無理だろ。車で渡ろう。その方が安全だよ。私と違って友人は、車に相当無茶をさせる。私なら、以前乗っていたジムニーにだって、こんな流れは渡らせない。しかし、今は友人の車は、本人がいいのなら、私はどうなっても構わない。大切なのは、子供だけ。何としても、この川を渡る。友人と、再び車に乗り込む。車は道を走るもの。川を泳ぐ様な能力はない。こんな人の手の届かない様な所にずっと暮らして、車をアスファルトではなく、主に悪路を走らせていると、車の限界ばかりが見えて来る。タイヤが一本でも穴に落ちたら、車は自分で脱出出来ない。ジャッキアップして、穴に丸太や石を詰めて、まるで赤ちゃんの世話をする様に、面倒を見てやらなくては、動く事もままならない。車は便利な乗り物ではあるが、自分の面倒が、全く見られないのが欠点。なまじ図体がデカイだけに、一度動けなくなるや、こんなにとんでもない障害になるのも、そうはない。車を見ていると、人体とは、何て見事に作られているのだろうと感心してしまう。歩く事も、走る事も出来るし、雪や泥に埋まったら、自分で引き抜く事も出来る。走りや、運搬の能力の差は歴然であったにしても、人間の力は、弱いものだが、桁違いに優れている。車がゆっくりと川を目指す。あの静かな川が、また牙を剥いて、あらゆるものを水の腕の中に、掴んで流れに道連れにしようとしている。上流に目を向ける。大きい流木が流れて来たりはしないかー。水が怒鳴っている。自分の中に、入って来るなと命令している。この轟音は、彼らの警告なのだ。近寄るな、止まれと。こんなに怖いのは初めてだ、と、私が告白する。怖い。入りたくない。まだ、歩いて行った方がいい。泳げる分だけ、車などより、流されても、自分の方が信用出来る。やっぱり、車は止めるかと、友達が同意する。歩いて渡ってみるか。車を降りて、私は杖になる様な、長い枝をすぐに捜した。少しでも、バランスを取れるものがあれば違うはず。川幅は、凡そ4メートル。深さは?一番浅い所で、膝を完全に越えるくらいだろうか?取り敢えず、オレが先に行くよ、と、第一陣が出発する。足を川に入れた瞬間、水流の速さに、いきなり足を取られて、バランスを崩した。深い!多分、私の想像以上だ。友達に、さっき渡した、杖を川の中に差し入れて、深さを測ってくれ、と叫ぶ。濁流の轟音で、叫ばないと、すぐ近くにいても、相手に声が届かない。友達が、少し戻って、杖を川に差し入れる。しかし、流れが強すぎて、杖が全く垂直にならない。それでも、瞬間的に、数回だったが杖は川に対して垂直に立って、丁度、目印になる、木の皮がはがれている部分があった為、かろうじて判別する事が出来た。水位は、そこのすぐ真下を横切っていた。友人から、杖を受け取り、自分の足に合わせる。何と水位は、私の太ももの丁度中央まであった。それを、RVRのタイヤに合わせてみた。水位は、タイヤの上まであった。これじゃ渡る所か、最悪下流に流される。この車、あちこちぶつけていて、隙間もかなり出来ている。水の勢いに負けて、立ち往生して、中に水が入って来たら終わりだ。RVRの屋根によじ登って、バーに掴まって、車がどこかに引っ掛かるまでは、リトル・コロラドラフティングだと、ユーモアを頼りに乗り切るしかない。この川が、もっと下流で、車が沈む程に深くなったら、助かる見通しは薄れて来る。特に、カナヅチで、水を思い切り怖がる友人は。最も濁流に飲まれては、泳ぎが出来るかどうかなんて、問題じゃないのだと思うけれど。上の道を行こう、と、友人が言い出した。渡れないよ。上を行ってみよう。それしかなかった。再び川を見る。渡れて、半分までだ。そこで限界が来て、動けなくなって立ち往生する。上流から押し寄せる流れに、何分も足は持ち応えられないだろう。膝が崩れたら万事休す。息がある内に、手が川岸から伸びる、倒木を掴んでくれる事を祈るだけ。だめだ。幾ら何でも、今ここを渡ろうとするのは間違ってる。余りにも分別に欠ける。そう、自分に言い聞かせた。上の道を行こう。子供達に、上から回って、そっちへ行くからと、声を掛ける。でも、よく分かってないよね。吠え声が、何で行ってしまうの、って言ってるよ。
2008.03.16
今週の、月曜日の夜中から、件の病気のダメ押しがやって来た。それはもう、筆舌に尽くし難い痛みだった。それが何なのか、私にも人権があるから、全てを公表する事は出来ない(断じて出来ない)。ネットでお付き合いのある人で、この全貌を知っているのは、たったお一人しかいない。兎に角、地獄の痛みがあった。それがようやく終ったのは、水曜日の、午後二時頃。流石に疲れ切って倒れた。今回、骨身に染みた事は、「どんなに苦しくても、薬は程々に」と言う事だった。つまり、とんでもない副作用に捕まったのだ。その日、予約が3時半から入っていたから、店は閉めたまま、出張に伺った。途中、何回か貧血で朦朧とした。これが終ったら休むんだ、そう自分を励ましていたら、携帯に予約の電話が来てしまった。私が病気で倒れていた時、二回もお断りさせて頂いてしまった方だ。恥ずかしくて、もう、断れない。祈るような気持ちで、二件の予約をそちらからお受けした。店に戻ってから、小鍋に少量のお米を入れて、お粥を作り始めた。実は、今に至るまで、ずっとお粥しか食べていない。野菜や、お肉を最後に入れる。量にしてみたら、ご飯一膳か、一膳半くらいのものだろう。それを三回に分けて食べる。疲れ切っていた私は、時間まで、ほんの少しだったが、横になっていた。そして時間が来たから、重い体を引き起こして、仕事に向かった。鍋を火にかけたまま。それを思い出したのは、火にかけて、3時間近く経ってからだ。いきなり記憶が炸裂して、台所の鍋を思い出した。パニックになる。ボヤくらいは仕方ない。借家を燃して、借金が出来てもそれはいい。でも、二階には、猫と犬が暮らしているのだ。煙で死んでしまったら・・・。友達に、すぐに行ってもらおうと、考えた。仕事先よりも、少し近いから、それに私は今、手が震えて、運転が恐ろしい。友達に電話をかけるも、手は震え、何度も間違い電話をしてしまう。消防車のサイレンは聞こえていない。大丈夫だ。まだ、すぐ向かいのパチンコ屋さんもにぎやかな時間だし、並びの喫茶店も開いている。何かあったら、すぐに通報されているはずだから。ようやく、友人の所に電話が繋がって、火を点けっ放しにしている、すぐに消しに行ってと叫んだ。火は消えてても、ガスが出てたら?二階に充満してたら?後で電話して、と、言ってる内に、友人が電話を切ってしまって、私は生きた心地がしなかった。こんな体調で、働くからいけなかったんだ。火をかけ忘れるなんて、生まれて初めてだ。動悸に耐えながら、仕事を続けた。携帯を凝視しながら。5分経った。もうついてるはずだ。電話は?まさか、火を消してて、その余裕がないんだろうか?それとも今頃、二階の子達を、車に急いで避難させているんだろうか?8分。まだ連絡はない。15分が過ぎて、何事もなかったら、大丈夫だったと思っていいだろう。火事になってたら、もうそろそろ、消防に連絡が行って、サイレンが町の中にこだまするはずだから。時計のデジタル表示を、書き足したいほどじれながら、15分が経過するのを待つ。とうとう15分が過ぎた。やっと人心地をつける。20分が過ぎた。もう大丈夫だ、みんな無事なのだ。心から安堵した。誰にともなく、心の中で、有り難う、と繰り返す。暫くしてから、別の友人から電話が来た。私を病院へ連れて行ってくれた人。コンビにの店長で、前日も、体調を直すお茶や、豚汁や、煮豆などを、差し入れてもらった。お礼がてら、仕事が終わって、友達に電話して、家の事を聞いてから、店に行ってみようと考える。どうせ、お粥はなくなってしまったから、レトルトのものでも買わないと。今から作る気力はないから。ようやく仕事が終わり、まず、友人に電話して、家の様子を聞いてみた。自分が行った時には、もう火は消えていたよ、と。で、ガスが出なくなってた。焦げ臭いから、換気扇は回しておいた。良かった、ガスが止まっていたなら、子供達も、何も心配ない訳だ。お礼を言って、電話を切った。安心して、車に乗って、コンビニに行こうとした。所が、私は迷子になってしまった。まだ、頭が朦朧としていたのだろう。よく知りきった場所で、全く知らない道に、どんどん入ってしまっていた。行き止まりになって、初めて迷った事に気が付いた。コンビニで、店長の優しい顔を見るや、泣きたくなった。帰る時、時間切れのお弁当を持って行きなさい、と言ってもらったが、まだ、普通のご飯を見ても、食欲が湧かない。自然に食べたくなるまで、お粥を続けよう。昨日から、疲れのせいか、今度は熱が上がって更に体調を崩してしまった。一人だけ、仕事を受けて、早々に体を休めた。まだまだ、回復には時間が必要らしい。ようやく今日、体を引き起こして、山へ帰った。暖冬で、雪が異常に少ない今年。友人のRVRは、何と川の手前まで(つまり家の土地の向かいまで)、車で行ける様になっていた。私のトムトムだったらとても無理だろうけど。どちらにしても、谷地があるから、雪解けになったら通れない。地面がまだ、凍っているから何とか行ける。ただ、今夜から明日にかけて、雨が降ると言う。それによっては、ぬかるんで、また通行不可になってしまうかも知れない。それにしても、こんなに雪の少ない年は初めてだ。日曜日には、まだ、未使用の古い林道を確認に行ってみる事にしている。途中に倒木もあって、整備が必要だが、もし、そこが道路に通じていれば、谷地を通らなくて済む。そうすれば、上の道が開通するまで(こっちは下の道の、3倍は雪が積もる)、車で通れるかも知れない。川は歩かなくてはならないが。少しずつ、慣れて、土地に精通して、生きる知恵が身について来る。柵の中の雪も融け始めて、子供達は、一番嫌いな時期がやって来た。ここの方がいいの。(紬ちゃん談)今年は寒かったのか、暖かかったのか。1月、連日20度越えを続けていた。毎冬、毎日気温表をつけている知人がいると言う、ウチのお客様が、その方から聞いた話では、今年はいつもの年よりも、20度越えが、多かったと言う。つまり、晴天続きで、雪が降らなかったのだ。晴れた夜は、どこまでも気温が下がる。放射冷却と言って、空に雲の蓋がないと、地表の熱は、空高く吸い上げられて、地上は凍り付いてしまう。雪雲が蓋をしてくれれば、地熱も維持され、温かい。だから、雪の少ない年は、寒いのだ。但し、今年は、ダイヤモンドダストや樹氷を、殆ど見なかった。毎年うんざりする程見るのに、今年は朝の7時でも、外にいても、大気は光輝かない。20度は連日越えたけど、30度近くまでは、殆ど行かなかった。普段の年なら、28~9度くらいは、何度かあると言うのに。そして、酷く乾燥していた。雪不足のせいだろう。去年の夏から、明らかに旱魃の傾向になっている。2月、気温はかなり上がり始めた。平年よりも、明らかに暖かい。心配される吹雪も、一度来ただけ。そう、私が胆嚢に穴を開けた頃だ。そして今月から、気温は更に上がって行って、周囲はまるで、4月の中旬並の景色。山も殆ど雪が融けている。もしかしたら、このまま終るのかな、と、最近みんなが口にし始めた。毎年、彼岸荒れと言って、お彼岸の頃に大きな吹雪が一回来る。それが来て、いよいよ本格的な雪解けがやって来る。今年はどうなるんだろう?余りにも、短く終ろうとしている、今年の冬。地球の為には、個人としては辛くても、本来の厳しい冬を求める。ホッキョクグマが、氷の大陸を探して泳ぐ姿を見る訳にはいかないから。人間が、生き方を変える事によって、温暖化の現状を、止める事が出来ます様に。ウチの目の前の川には、まだ、雪と氷で架けられた橋が残っている。後何日、この自然が与えてくれた橋は持つのだろうか。ママがいなくて、寂しいパムちゃん。切ないダス・・・。
2008.03.14
モニターには、私の胃が移っていた。 ピンクの肉壁。 そこに何故か、とても不思議なものが沢山映っている。 先生が、首を傾げてモニターを見ながら訊ねる。 「ゴマ・・・・沢山食べた?」 「いえ(あっ、そう来ます?私はですね、「砂場に行って、大きいカレースプーンで、二、 三杯、砂をすくって食べたかな」、とボケようかと思ってましたよ)。」←まだ殆ど喋れない。 ははあ・・分ったよ。 と、先生が腑に落ちた顔でモニターを見詰めた。 これ、砂だよね? みたいです・・・(と、言うか、それ以外の何とも・・)。 胃の中は、正しく砂まみれだった。 砂、砂、砂。 それから先生は、腸の映像を見せながら説明する。 腸と言われた部分は、素人でも分るほどに、真っ白で病んでいる。 胆嚢に、砂が溜まっていたんだね。 それが、穴が開いて、腸に流れ出した。 で、沢山吐いたから、それが胃に逆流して、胃の中が砂だらけになったの。 ・・・・はー・・・。 十二指腸も、ただれてる。 胃は大丈夫、潰瘍も、ガンもないよ。 腸から来てるね。 穴が開いたからね~、痛かったね。 先生、原因は何ですか? やっと声を出して、イエス・ノー以外の言葉が言えた。 うーん、あのね、普通は太ってる人がなるの。 あなたみたいな人が、罹る病気じゃないんだよね。 だから原因は恐らく・・・。 ストレスや過労ですか? 私が後を受けて先に応じた。 うん。そうでしょう。 これはつい最近どうの、じゃないよ、随分前から、徐々に溜まって来てたんだよ。 あんまり、無理しない事だね。 胆嚢に砂。 それが、穴が開いて、腸に流れ込んだ。あのストレスや、過労が、まさかこんな所で体に溜まって来ていたとは。ある意味で、人体の不思議だ。普通は、胃や、皮膚や、呼吸系統に、現れやすいものだと考えていた。実際、私は子供の頃から、そうした精神的ストレス性の、悪性喘息を患っていた。あれが治って来たのは、北海道に越して来てからだ。子供達の為に決断した移住が、図らずも、私を喘息から救う結果を齎した。それ以外は、熱が出やすいくらいで(これは最近、ビタミン剤を飲む事で克服してる)、むしろ驚いていた。しかし、現実は、体に少しずつ、毒になって溜まっていたとは。 まあ、前向きに解釈しておこう。 体内に溜まっていた砂が、これで排出されたのだ。 落ち着けば、前より理論上、(あるいは細かい非検査上は)健康になった事になる。 かなり乱暴な肯定ではあるけれど。 一番辛い時は、もう乗り越えてるから、大丈夫。 昨日の薬は効かなかったよね。 今日、ちゃんと効く、別の薬を出すからね。 貧血が酷いから、今日からでも、少しずつ食べる練習をして行きなさい。 初めは、ポカリみたいなものからでいいからね。 と言う事で、急性胃腸炎だと盲信していたお陰で、入院は免れた、今回の病気。 しかし、流石にダメージは大きく、まず、10日を寝込み続けた。 これにはある三人の方が、事情を知って、フードやお金を支援して下さった人達がいて、お陰で子供の食費を余り心配する事無く、10日も休業する事が出来たのだ。 そうじゃなければ、倒れて運ばれるまで、仕事を受けていただろう。 この人達のお陰で、初めて養生が可能になった。 その間、子供は全て、友人に世話をしてもらった。 こちらも本当に感謝をしている。 私自身は、3月3日の月曜日から、山へゆっくりと帰り、仕事も、一件、二件と、 数を制限しながらこなしてみた。 すると、どうやらまだ回復には早すぎたらしく、続く水曜日と木曜日、再び 胃腸の痛みにのたうち回り、寝込んでしまった。 金曜日、懲りずに仕事を再開する。 山へ行くのは、貧血が酷くなるから少し我慢で、土曜日と二日間、仕事だけをやってみた。 土曜は、結構忙しくて、日曜の朝は暫く、疲れで動けなかった。 しかし、折角の日曜日、午後から仕事はないのだから、山へ頑張って帰宅した。 これまで集めておいた、トンコツや、犬好きの人から頂いた、チーズにささみジャーキー を、お土産に帰った。その夜は、疲れで電気をつけたまま寝入ってしまった。月曜日、何とか山と店と、両方をこなした。今日は、朝は疲労で動けず、友人に任せて、休む事にした。仕事を少し、こなしてみる。 以下は、私の養生中に、子供達を心配していた私に、山でのみんなを、友人が撮って くれた写真と、日曜日、私が撮った写真である。 体が全開するのが、いつになるか、正確には分らない。 開いた穴は、自然に塞がるが、こうして無理をするのが、それを遅らせてしまっているから。 しかし、のんびり回復を待てる身分ではないので、見切り発車で働いている。 普通の倍の時間を掛けて、治しながら、生活して行こうと考えている。仲良くしてたのね~。うし、うし。チーズにトンコツ、ジャーキーまで食べたの。ちったん、ママ後ろのミモザちゃん、撮ろうとしたのよ、もういいや、限界来たんで撮影止め~。
2008.03.11
せっかちな友人は、JAFのヘッドライトが見えるや否や、車から飛び出して誘導しに行った。もう、動く気もない私は、じっとその光を凝視していた。5分。10分。遅い。何をしているんだろう?状況が掴めず、じれて来た時、友人が車に戻って来た。「降りて!」「何?」「JAF入って来れないって。送ってくれるって。オレは残って、もう暫く頑張ってみるから。」時間は九時過ぎ、友人も朝以降は何も食べていない。大事なスコップも途中に置いてきてしまって、申し訳程度の剣先スコップしかない。ついでに車はガス欠寸前。気温は氷点下13度。まだまだ下がる。あんたここで自殺する気かと、呆れ返ってそれを制した。「やりたい」のと「やれる」のは、ここでは特に、訳が違うんだ。思いもしない、JAFのスピード却下に、ショックで強迫観念からか、アドレナリン全開になっていた、友人の目から、少しずつ錯乱の炎が消える。明日、私の車で来ればいい。スコップも積んであるし、吹き溜まりを掘れば、車は出せる。牽引ロープだって積んでいる。腐っても四駆なんだから。私の説明を聞きながら、ようやく落ち着いて、引き上げる事に、友人も同意した。確かに、自殺行為だわな、と、繰り返して。ヒーターの効いたJAFのジープに乗り込む。この車で入って来れないとも思えない。まあ、真っ暗闇の中で、坂道をバックで入って、道から落ちる事を避けたいのだろう。恐らく正しい判断だ。「リスクは最小限に」私と同じ、慎重派なんだろう(一方で、必要な場合は、どろ船でも躊躇しないで飛び乗る大胆な部分もあるが)。帰り道、風は止む事無く吹き荒れて、真っ暗な世界に白い斑点模様を重ねている。時折細かい雪が、天の川の様に、眼前に流れる。道路では、地吹雪になって運ばれる雪が、風に抱かれて、海蛇の様な、華麗な動きを見せている。これが、あの美しい砂漠の風紋を作るのだ。丁度道路の除雪が入ったらしく、道は綺麗に開いていた。ふと、行きにはこの道が、通行止めになっていた事を思い出した。JAFの人に声を掛ける。解除されたんだね。うん、開いてるよ。何時に開通したのかは、聞かなかった。それ以上、声を出すのが億劫になっていた。寮に戻ると、間もなく弟子屈小学校の鐘が、午後10時を通告して来た。疲れ切っていて、何か少しでも食べなきゃいけない、そう考えながら、崩れ落ちた。翌朝、体は危機感を覚える程に、衰弱していた。依然食欲は全く出ない。貧血で目眩がする。車を友人に預け、私は別の親しい人に連絡を取った。すぐに、病院へ連れて行って欲しいと頼んだ。かかりつけの個人病院。入院施設はないが、先生が好感を持てる。いよいよ入院が必要になったら、絶対釧路の病院にさせてもらおう。この町にある、唯一入院出来る病院は、友人のお母さんの、鼻血も止めれず、釧路に回した所だから(学校の保健室以下・・・?)。待合室に連れて行ってもらって、そのまま椅子の上で体がズルズルと崩れて行く。何でもいいから、待つなら一時間でも待つから、兎に角寝かせて、そう祈っていた。先生がやって来て、どうした、どうした、と声を掛ける。診察室へすぐに入れてくれて、やっと診察が始まった。倒れて四日目、もっと早くに来るべきだったのだろう。嘔吐と下痢が木曜日の夜中から始まった事、以来何も食べれない事、胃腸の痛みを説明した。血圧を測ってみると、上が80の下が60。そりゃ、体がだるい筈だと、納得行った。血液検査と、尿検査をやろう。点滴を受けて、明日全く変わっていなかったら入院ね。先生、釧路に紹介状を書いてねと、心で思って、はい、と答えた。点滴を受けて、迎えに来て貰って、処方された薬を飲んでも、胃腸の痛みは引かなかった。友人が山から戻って来て、アクエリアスやゼリーを差し入れてくれた。子供達はどうだった?あ?あいつらは別に平気だよ。車は出せたの?ああ、結構簡単に出た。JAFの車な・・・やっぱり、入って来れたよ、暗くて分らなかったけど、そんなに酷くなかったんだ。そうか、良かったね・・・・。また、眠りに落ちた。翌日、再び病院へ。点滴のお陰で、血圧は上がって来ていた。でも、検査で原因が判らないと先生が言う。貧血は凄いんだけどね、食べてもいない訳だから・・・。薬は効いた?あんまり・・・痛いな、やっぱり。よし、じゃあ胃カメラをやろう。やった事ある?ううん、ない。胃カメラ。経験者の話を聞いて、死ぬまでやりたくないと思っていた検査の一つ。中でも「バリウム」なる飲み者の恐ろしさが意識に根付いている。どろっとして、思わず吐きそうになると言う。先生には告白済みだが、私は粉薬もニガテで飲めない。オブラートなしにはすんなり入って行かず、戻しそうになる。子供の頃は、薬全般が一切だめだった。喘息の持病があったから、錠剤程度は克服出来たが、今でもニガテな薬を持たされると、子供の様に、薬を持ったまま、凝固する。まだ飲んでないの?さっさと飲みなさい!!無理難題を、押し付ける恨めしい母の姿が脳裏に甦る。コーヒーも好きになったし、ピーマンもにんじんも好きになった。寿司に入る、ワサビも今では大歓迎。自分の子供の頃から、未だに変われていないダメ部分を、上げれる下手したら唯一のものが、錠剤や、カプセル錠以外の薬嫌い。しかし今回は、病気の辛さが何にも勝った。噂に聞くバリウムは、想像してた程どろっとしていなかったし、量も少なかった。水分が足りてない私としては、もう少し飲ませて欲しいくらいだった。検査室へ入り、始めて胃カメラと言うものを目にして、その長さに驚いても(これは身長測定器並の長さだな、と)辛さが勝って、どうでもいとさえ感じていた。喉にカメラを通すから、痛くないように、喉に麻酔をするからと、仰向けにされて、粘液状の薬を口の中に流し込まれた。結局、これが一番辛かった。飲まないで、しばらく溜めてね、と看護婦さんに言われて、極限まで耐えはしたが、とうとう体が限界が来て、一気に床に吐き戻した。先生は暫く考えて、私の体も検査所か衰弱してるが、原因が分らないとどうにもならないと、結論に至って、強気で続行に踏み切った。まず、点滴を受けて、体を休ませて、それから検査再開と、話が勝手にまとまっていた。一時処置室で、ベッドに寝かされ、点滴を受けて、やっと体が少し落ち着いた。周囲を見回すと、壁に何枚かの版画が飾ってある。芸術好きには有り難い目の保養。近視だから、詳細まで見えないが、あれは聖フランチェスコだろうか、等と、描かれている人物達に、思いを馳せながら、暫く浅い睡眠に漂っていた。窓から差し込む日差しが、大分西に傾いて来た頃、先生が検査再開を指示した。元々嘔吐の症状があった私に合わせて、今度は粘液状じゃない、スプレー式の麻酔が喉の奥に噴霧された。私の頭上のモニターには、ローマ字で私の名前が映し出されていた。さあさあやるよ、と、先生が、手をもみ合わせながら、テンションを上げて登場する。そう言えば、この先生は、胃カメラ上手だって地元の人の話だったと、思い出した。得意な事を、やるのは楽しい。趣味でも仕事でも、同様な事だろう。これはニシキヘビの一種ですか、と訊ねてみたくなる姿形をしている「カメラ」そう言えば、凄い細いカメラが開発されて、もう使われてるって、いつかニュースで報道していた。あれがこの田舎町にも、届くまで検査の機会は預けておきたかったと、考えている内に、ニシキヘビが口の中から喉の奥に入ろうとしてやって来る。たまらず吐きそうになって咳をする。大丈夫だ、飲むんだよ、飲み込めば楽になるからね、と先生が声を掛ける。所が飲み込んで終るものじゃない。ニシキヘビは、先生の手元向こうにその、長い体を待機させているし、奴の頭から首辺りは、すでに私の喉から胃を目指している。余程途中で検査を止めてもらおうかと考えた。しかし、そういう意思を伝える術はない。意思の疎通には、通常言葉が必要だし、その言葉は、ニシキヘビの、立派な体が押し潰してしまっている。胃の中が、モニターに映り出したらしい、先生が、見てごらんと声を掛ける。生憎と今、ニシキヘビを体に突っ込まれるので手一杯なもので、そのお仕事には手が回りません。まだ、多少のユーモアが、頭の中で頑張っていた。さー、腸の中にも行ってみようねと、先生が幼稚園の園長さんの様な、優しい声で話してくれる。私は初めてだから、上手い下手は分らないけど、この先生、胃カメラが上手いと言われる理由の一つは、この、園長先生みたいな優しい物言いで、患者を安心させれる為じゃないのかなと、ふと考えた。最も私も、子供の頃、地元でよく通った、優しい小児科医の町医者だった、思い出の先生を彷彿とさせる、この先生が好きで来たんだけれど。ニシキヘビが、腸を映す為に、お腹の中で暗闇で迷った人間みたいな動きをしている。痛くて痛くて、耐えるのが精一杯だった。ようやく検査が終わり、先生が可愛いペットを、私の体から引き出してくれた。出来たら二度と、このペットには再会したくない。さて、モニターを見てね、と先生が言う。OK,今なら見えます。但し、体までは動かせませんが。
2008.03.09
病気と言うものは、怪我と違って、知らずに体内で進行している。溜めておいた、毒を出して、自然に治癒を図ってくれるものもある。今回私は幸いだった。そうした種類の病気だったのだから。2月21日の夜10時過ぎ。その日最後の仕事の最中だった。出張中で、お客さんの自宅で仕事をしながら、いきなり強い吐き気と、下痢の気配に襲われた。トイレをお借りして、上から下から全て吐き出したかったが、仮にも人様の健康に、僅かながらも奉仕する仕事。決して不調は表に出したくなかった。間違いなく急性胃腸炎だろう、そう思った。ここの所、ストレスが続いていた。丁度前日と、その日にストレスのピークがやって来たのだ。貧血が起こり、それを我慢して耐えていると、今度は脂汗が額ににじんで来る。何度も何度もトイレを借りる事を考える。でも、今借りたら両方出る。とても、ちょっと生理的現象で、と、笑顔で騙しは利かせられない。仕事が終わるまで、後一時間。何とか持ち応えてくれと、我が体に祈った。仕事が終わって、よろめきながら、車に乗り込み、蛇行しながら店へと帰った。丁度その日、そのお宅のすぐ近くのラーメン屋さんから、いつも犬にくれるトンコツが出たから、終ったら取りにおいで、と言われていた。子供達の、一番の楽しみ。私もそれを受け取りに行くのが、とても幸せな時間だった。しかしその時、足は迷わず店を目指した。店に着くと、安心したのか吐き気がやや引いて来た。このまま頑張って、吐かずに済ませたいと考えた。これ以上、貴重な体力を失う事は避けたい。そう考えてる間に、猛烈な吐き気と腹痛に襲われ、たまらずビニール袋を掴んでトイレに駆け込む。上から下から食べた者が飛び出して行く。何度か吐いて、少し落ち着き、取り敢えずこれで、明日の朝には回復して来るだろうと思った。二階にふらふら上がって、コタツに入るや、そのまま力尽きて眠りに落ちた。翌朝になると、体調は更に酷くなっていた。耐え難い胃痛と、腸の痛みが襲って来る。これは間違いなく、急性胃腸炎だろうと考えた。流石に動けない。予約をキャンセルして、今日は休む他はない。ちび達の世話を、友人に頼んで、薬を飲んで、倒れこんだ。その日から丸二日間、胃と腸の痛みで七転八倒した。余りの痛みに眠る事も出来ず、胃痛などの薬も全く効かない為、睡眠薬を飲んで眠るしかなかった。それでも土曜日、どうしても断れない仕事が二件出来て、前日から何も食べてない体で、吐き気と痛みを堪えながら仕事をした。子供の食費の為にも、自分の薬代の為にも、少しでも働きたかったし、その時はまだ、自分の体が本当にどういう状態かは知らなかった。二件終えるや、店を閉めて、また七転八倒を繰り返す。私の体調不良を察したお客さんが、スープを幾つも買い込んで来てくれて、何とか一缶口にした。翌日曜日、久しぶりの吹雪だった。異常気象と言い合うくらい、雪が少ない今年の冬。久々に、家への道が、吹雪の為に、途中で通行止めとなった。こうなってしまうと、友人の腰が途端に重くなる。一日くらい、食べなくても何ともないよ、あいつらは、と、言い出す。私はイヤだ。何が何でも毎日しっかり食べさせたい。暴風雪が来ようが、何が来ようとも。面倒だが、ずっと遠回りをすると、開いている道路がある。100パーセントと言う訳でもないが、標茶は弟子屈よりも荒れは少ない。恐らく通行止めになっていない道がある。吹雪の日に、車で外出したがる弟子屈人はいないだろう。ここは道東でも指折りの吹雪の町。風が荒れ狂い、1メートル先さえ見えなくなる。事故を覚悟しないと、外へ出る勇気は出ない。行きたがらない、友人の気持ちはよく分る。だからそれを動かすには、私が助手席に乗り込むしかないと考えて、もう三日、何も食べていない体を、防寒着で包んだ。降参した友人が車を出す。今年久々に見た、本格的な冬の嵐。こうでなくちゃね、と、私が言う。こいつが二、三回来ないと、春だって来ないってもんだよと。瞬間、全てが吹雪の中に包まれた。前を走る車も見失った。白い闇。もしかしたらこれは、黒の闇よりも恐ろしいのでは、と、いつも恐怖に駆られて考える。そう、白い闇の方が、黒い闇よりも息が詰まる。どこにも安心感が存在しない。悲鳴を上げて、払えるものなら追い払いたい。危うく前の車にぶつかりそうになる。何と前の車、全く視界が無くなった時に、車を止めてしまったのだ。こっちでは、逆にそれは、危険な行為と認識されている。後ろの車に追突されるからだ。だから、どんなゆっくりでもいいから、兎に角止まるな、何とか走れー。みんな、そう互いに忠告をし合う。ようやく暴風雪を抜けると、空には薄日が差して来ていた。案の定、こちらは通行止めもなく、山の入り口へと、無事に辿り着いた。これからが問題。吹き溜まった雪を、スコップで掘ったり、車で体当たりで破りながら、少しでも前へ行こうとする。もう危険だから、ここから歩きにしよう。そう言う私の忠告を全く無視して、友人が車を無理やり前へ進め、何度も埋まる。そのせいで、ガソリンが一気に少なくなった。これでは、帰りに持つかどうか、ギリギリとなって来る。三回目埋まった時には、もう車は自力で脱出する事は不可能になり、流石に学習能力を欠くに欠き過ぎる友人を、私が叱責した。少しでも前へ行ければ楽になる、必死で説明する友人に、ここは端からリスクがある。冒険をすれば、大きいリスクがこうして生じるだけなんだから、賢く最初から、小さいリスクを負って行くのが正しいのだと説き伏せる。何せここは、携帯の電波さえ届かない。JAFを呼ぶのだって、片道4キロ歩かなくては、公衆電話がないのだから、「埋まってはいけない」これが基本原則なんだと。私は吐き気は収まっていたものの、下痢は全く止まらず、水を飲んでもトイレに駆け込む。その日でもう三日間、殆ど何も食べていなかった。最初の予定では、兎に角山まで友人を連れ出して、後は車で休んでいようと思ったが、やはりここまで来ると、子供が恋しい。ストックを握って、ふらふらしながら、家を目指した。友人が、新雪に埋まる橇と格闘している。本来なら今日、私があの仕事をするはずなのに。歩くのが精一杯なのが、とても悔しい。川は大分氷が融けていた。来月、いつまで歩いて渡れるかな、と友人が独り言を言う。去年の雪解けを思い出していた。手作りの橋を、押し流した春の濁流。この静かな流れが、牙を剥いた様にその表情を一変させた。家にまで辿り着き、何とか全員の無事を確認する。それが限界だった。山小屋で横になろうと考えたが、恐らくそのまま立ち上がれなくなる。食事も取れない、薬もなく、薪を焚き続ける力もない。前に住んでたバスと違う。あそこは少なくとも、気密性はあったし、風は完全に防げた。大急ぎで作ったこの小屋は、あちらこちらから雪が吹き込んで来る。まだ修繕が必要なのだ。何とか自力で車に戻らなくては。子供達に、一緒に頑張ろうね、すぐに元気になるからと言い聞かせて、後ろ髪を引かれながら、車に行く。倒れこんだ。ガソリンが少ないので、エンジンがかけられない。三日も食べてない上に、吹雪に巻かれて凍った体に、有り難い環境だと皮肉って耐える。胃と腸の痛みがぶり返し、それ以上に氷点下10度の寒さに耐え兼ねていた頃、ようやく友人が、車を出す為の、足場用に橇に積んだ薪を持って現れた。そこで悪夢の告白。私がいないと、しきりに悪さをしたり、脱走を試みる悪童数人を、山を降りる時は、外へ繋いでおくのだが(許して坊たち。春になったら、お前達用に、頑丈な柵を作るからね)、その子達が、友人の言う事を聞かず、外に出せなかったと言う。しゃあねえべや。友人の口癖。しゃあないで済めば、母は苦労はしないんだわ、と、再びストックを持って、家へ向かう事にする。おい、死ぬかも知れないぞ!と、後ろから掛ける友人の言葉は、全く冗談の匂いがない。それでも有り難い事に、歩き出すや、急に吹雪が鎮まった。空を覆う雲が晴れて来て、夕焼けが山の上に広がり始めた。風が止んで、体感温度も急激に変わる。これなら行って来れる。雲の上を歩いている様な、半ば意識が薄らぐ世界。行き先は、体が覚えている。きっと半分意識がなくても、足は必ず子ども達の所に私を運んでいるだろう。再び子供達の声に山が包まれる。私の言う事しか聞かない頑固者ちゃん達。全く、ママには素直でいい子なんだけどね、と額を寄せて、溜め息をつく。精一杯、可愛い顔をして見せる我が子。ふらつく私に、今日は子供は遠慮がち。飛びつきたくて、うろうろしながら、私の顔を舐めに来てくれる。柵の中で、二、三度足がもつれて倒れこんだ。ようやく外に出す子を出して、細かい日本語が通じるのを、期待などせず勝手に状況を説明する。これこれこういう訳だから、みんな少し、辛抱してね、と。最後の力を振り絞り、もう一度車を目指す。太陽はもう、山の向こうに沈んでいて、周囲を照らすのは、この日最後の残照だけ。午前10時には寮を出たのに、随分時間がかかったものだと、溜め息をつく。友人は、薪を使って車を無事に出していた。やっとエンジンのかかった車で、体を温められる。車はゆっくりと、また雪を掻き分けながら、もと来た轍を辿って行く。しかし、帰りは行きよりも大変だった。吹雪は収まったものの、風はまたしても強く吹き荒れ、地吹雪になって雪を運んでいる。所々で、轍はすっかり雪に覆われ、車はまたしても、何度も埋まる羽目になった。日も完全に落ち、夜の8時を時計が回ったと言ってみても、私たちは以前山で格闘を続けていた。友人は雪と。私は胃腸の痛みと、寒さと。そして、とうとう友人が白旗を揚げた。もう、車は出せない。JAFのジープがいる。かと言って、この寒さで、公衆電話も目指せない。なるべく近くにある、農家に電話を借りて来よう。救急車を呼んででも、一分でも早く床につきたい私はようやく安堵した。体力所か、気力も限界。車のエンジンをかけて、ヒーターをつけておく事にした。この日あちこちで車は埋まり、JAFはどうやら大忙しだった様で、頼んでもすぐには来れなかった。真っ暗な林の向こうに、こちらに呼びかける様なジープのヘッドライトが点ったのは、時計がもう、九時は過ぎたと、大して興味もなさそうに、私たちに告げてからだった。
2008.03.08
まず、motokoさん、お元気ですか?この前は有り難うございました。今日、やっとお手紙出しました。昨日、一つ、大きな挑戦をやりました。それを報告したくて、今日まで返信を置いてたんです。詳しくは、手紙に書いてあるので見て下さいね。体は大丈夫ですか?ファイト!ね(^^)それから、ついこの前、一ヶ月ぶり位に銀行へ行ったら、存じ上げていない方々から、支援金が届いていたので驚きました。誰からも、口座を教えたとか、伺っていなかったから。皆さん連絡先も分かりませんし、御礼を伝えられないから、せめてここでお礼を言わせて下さい。承諾を得ていませんから、お名前と金額は伏せますね。もし、ブログを見て下さってたら、連絡下さい。 K・E様 1月11日 M・A様 1月23日 M・T様 1月28日 T・H様 1月31日フードの原料高騰で、大変だったので、本当に助かりました。(アフリカでは、小麦の高騰の為、いずれ虐殺が始まるとさえ言われています。 大変なのは、どこも同じでしょうね。バイオ燃料も、食糧から生産するのは間違いです)本当に有り難うございました。ここ最近になって、やっとカラスの被害が減って、ご飯が残るくらいになって来ました。私はずっと、前日のご飯が、少し残る量を目安にして、昔からフードを与えて来たので、ようやく元に戻って来たようです。フードを買う量も、少しですが、減らせました。まだ、それでもカラスが結構いますから、頑張ってテグスを張り直しています。
2008.02.15
昨日、とある友人からメールが来てまして、開けてみたら、1月12日に書いた、件のブログで、Aさんが、私の事で、掲示板で戦っている、と言うものでした。そこでちょっと掲示板を見てみた。するとそこのブログ、私やAさん達の書き込みがなくなってから、閑古鳥の状態になっていて、とても寂しいのか、ある方が、必死に私を槍玉に挙げて、掲示板を活気付けようと努力をしていたみたいです。それに他の方が反論して、若樹叩きが始まった所、我慢し切れなくて、Aさんが参戦・・で、管理人さんも、若樹ネタなら自分の掲示板が盛り上がると言う発想で(恐らく)で、私の事を、ブログで書いて下さってるらしいのです(見ないですけどね、自作自演ブログ、残念ですけど私は。見ないと決めたら、絶対見ない性格だから。未だに2ちゃんも、見ないですし)。ざざっと見て、すぐにAさんに対して、相手をする必要はありませんよと、申し上げたのですが、いきなり活気付いた掲示板で、次々書き込まれる内容に、どうにも我慢がならないようで、残念ながら、私が抑止力を発揮出来ません。しかし、私は件のブログは、本当に見切りを付けさせて頂いていて、コメントする気もなければ、ブログ自体の記事も、掲示板の内容も、確認する気も全くないのです。今日も行ってないですし、まだ荒れていると、連絡を受けただけです。ですので、あちらにコメントする意思はありません。でも、Aさんを何とか止めたいと考えていますので、ご本人に、直接メールしても効果を及ぼせなかった為、ブログで書きます。Aさん、もう止めましょう。私を槍玉に挙げて、Aさんが出てきてくれなかったら、閑古鳥のブログなんて(失礼)、相手にする必要ないではありませんか。Tさんご自身の日記で、議論が出来ないブログだと言う事ですから。それで、Aさんの溜飲が少しでも下がる様に、昨日ほんの少し見た、コメントに対する感想を書いておきます。私が避妊・去勢をしていないと書いていた人がいましたが、私は自分のブログで、不妊手術をしている旨を、書いていますから、あれは根も葉もない中傷です。私は避妊・去勢反対派ですが、家の様に、保護場所になって、多頭飼育する様な所は例外だと。私の意見ははあくまで、手術をするなら、卵管を縛ったり、パイプカットをしたり、或いは女の子の陰部をカバーで覆うなどして、妊娠を避ける努力の方が、人道的と書いているのです。避妊・去勢を声高に叫ぶ人に対して、私はこう言います。自分の体にしてから言いなさい、と。自分がされてイヤな事は、他人にしてはいけません。それをするなら、余程の覚悟が必要ですし、努々罪悪感を、忘れるべきではありません。だから、アメリカ人がやっている、「5ドル貰って、犬猫を避妊しよう!(州によっては、自分の犬や猫を手術に連れて行くと、5ドル辺り、ご褒美に貰える所があるのです)」の政策は、つくづく人間として、見習いたくない意識だな、と、私は思います。アホしか育ちません。それから、私を直接ご存知なくて、ブログも満足に読んでいないで批判される方々は、皆一様に、うろ覚えのマスコミの報道を元にしているみたいです。幾つかそういう書き込みも見られましたから。でも、その拠り所の報道って、実はかなり、胡乱なものです。一昨年のTBSのイブニング5の取材でね、取材班が、私に手術はしているのか、全く質問しなかったと言うのに、放送では、うちは避妊・去勢をしていない、とはっきり言い切っていて、抗議の電話をしました。手術をした、病院教えますから、確認して、訂正して下さい、って言いました。そうしたら、そんな必要はありませんと。公共の放送で、デタラメを流して、迷惑掛けて、訂正の必要ありません、です。いつぞやの北海道新聞を思い出しますが、本当にあの時はハラワタが煮えくり返りました。さすがに去年の夏の取材殺到の中で、イブニング5は直接来れませんでしたね。仕方ない事です。それからマスコミが以前、140頭の犬、って書きましたが、そんなにいません。あれは全て、家に取材に来る前に、適当に数をでっち上げて報道したんです。私のプロフィールを見て下さいね。どこに140って書いてありますか?その頃の報道、「140頭の犬放し飼い」です。だーれーが、140頭を、放し飼いにしてますか、ちょっと。で、皆さん、私の土地で、許可を出して撮影されてから、「140頭放し飼い」の文字はぴたりとなくなって、「狂犬病予防法に反対する女性・・」になった訳です。みんな柵の中で、ラブたちは、当時柵がなかった為、繋留飼いしてたから、私がいる時に、自分の土地の中で、遊ばせていましたけどね。そんな大規模の放し飼いは、全くでっち上げだった訳だから。他にも、私が捨て犬を集めているとか報道されてました。集めてませんよ~。私は捨て犬、捨て猫コレクターじゃありませんよ~。ただの一度だって、「お飼いになっている犬と猫で、いらない子がおりましたら、当方まで、ご連絡下さーい。」と、拡声器持って、車を流した事はありませんよ~。本気で勘弁して下さいよ~。何かをまさかりで、叩いてやりたくなりますからね。スイカによく似て、叩くと真っ赤な汁が飛び散る何かとか(いえ、冗談ですけど~笑)。まあ、こんな調子なので、余り報道を、信用するべきではありません。程ほどに聞いておくのが一番だと思います。最も私は、いつかマスコミの報道が、きちんと信頼出来るものに、なって欲しいと期待してはおりますが。それと、狂犬病予防法についてですが、私これも、取材に応じる時に、ブログではっきり、反対する理由と、それによって行う法律違反の刑罰を、進んで引き受ける旨を、書いていますよね。ブログと言うのは、本を買われる方と違って、文章を読むのが得意な人ばかりが見る訳ではない。だから、本当に苦労して、行間を空けたり、詳しく様々な説明を加えたりと、そういう人にも理解し易い様に、自分の決意を書いたのです。でも、書き込まれる反対意見を読んで感じた事は、「これでも分かってなーい!!」と、言う事でした。狂犬病予防法が、納得行かなくても、それを無視するのはいけない、と言う様な。いえ、だからですね、法がどうあれ、無視するのが犯罪行為に当たるのを承知していますから、敢えて無視する代償として、自分の顔と、名前を全国に明かした訳なんですよ。そして、告発を求めた訳です。つまりね、「言われるまでもない」んですわ。指摘されている事を、先回りして全てやっているのです。警察にも、自分から逮捕を願い出ていましたしね。何で分からないのでしょうか??でも、事件性がないと言う事で、結局逮捕がなくなっている模様です。ですので今、弁護士の方の力を借りて、次の行動を計画してます。何としても、動愛法を、法廷に私は持って行きたいのです。法廷は、犯罪を裁く所です。例え私が敗訴しようが、この法律が、法廷に持ち込まれる事に、大きな意義があるんです。司法と政府と市民に対し、これ以下には、一歩も引かない事を表明するのです。無理を通せば、道理が引っ込む。ずっとそうして、命を尊ぶと言う道理を、押しやって来たのでしょう。でも、ここは断じて譲りません。断じて無理に、道を譲ったりは致しません。私は戦います。憲法では、全ての人間は、己の良心を守る権利が保証されています。悪法を元に、命が簡単に殺される国に於いては、己の良心を守る為に、その法律に反対する権利が、つまり保証されているのです。私が、一切暴力的な方法に拠らず、その責任として、法的処罰を引き受けるなら、です。勿論私が勝訴すれば、法的処罰を受けるのは、尊い命を何千万も殺し続けた、国だと言う事になるのです。素晴らしいでしょう?命を無下に奪えば、罪は必ず裁かれるのです。それがこの国の掟ではないのですか?それとも、犬猫相手なら裁かれませんか。では何故、動愛法に、彼らを殺した場合の刑罰が記されているのでしょうか?私は、人に人を裁く権利があるとは思いません。その人間が善か悪か、他人が全てを知り得る事は出来ません。でも、行為が正しかったか間違っていたかー、少なくとも、それを裁く事は出来ます。にも関わらず、それを集団で圧力を掛けて、妨害しようと言うのは、人権侵害なのですよ。狂犬病予防法違反よりも、重い罪です。Aさん、もうこの辺で、お相手するのは止めましょう。新聞製作の準備をしましょうよ。昨日、デジカメ借りて来ました。印刷もね、綺麗に出ない訳が、お客様のお陰で分かりました。何とかなりそうですよ。議論よりも、行動しましょう。ネットで議論は身を結びません。このストレス社会。匿名で、言いたい放題出来る道具を与えたら、何が起きるか理の当然でしょう。まともな議論など不可能ですよ。ここ二年ほど、ネットに関わって、よく分かりました。ストレス社会に、匿名発言権は、最悪の組み合わせなのです。あなたが提案してくれた新聞を充実させ、私は少しずつ、ブログは停止して行きます。ネットではなく、現実の世界で、どんどん動いて行きたいから。例の掲示板で、誰にも返答もされず、必死に私を叩いていた人を、あなたは批判してくれていましたが、でも、相手にする程の人ではないでしょう。そうやって批判する人で、私に直接、自分のメルアド付きで、私書箱に意見を下さった人はいません。直接意見するのは怖いんですね。ですから、反若樹のブログで攻撃すれば、周りの援軍が期待出来ると思って必死に口撃を加えて来る。誰からも相手にされないから、必死になって、より過激に私を批判するのです。それで、共に私を糾弾する仲間を作って、誰かと繋がっていたいのでしょうね。それも、ストレスと、繋がりを失った社会が生んだ切望なのかも知れません。でも、私は一対一で物を言えない、公開掲示板で、味方を頼める所でなければ意見出来ない人は、相手にしません。それから最後に、あそこの掲示板で書いてる誰かが、直接北海道へ、確かめに行っては?って書いてたけど、私有地不法侵入で、写真などが、ネットに流れたらですね、当然ですけど、プライバシー侵害も加わって、刑事事件になりますよ。家は、外から伝染病を持ち込まれるのを防ぐ為、私の許可と、消毒のない立ち入りは、一切禁じていますから。人に行ってみたらと言う位なら、逮捕されて、顔と名前を日本中に晒す覚悟で、自分が来る方が、よっぽど見所ありますけどね(ほら、ネットの掲示板発の事件って、とても注目度が高いし)。私はね、嘘の「レスキュー」を書く方のブログを、見ている必要はないと思うんですよ。時間が勿体ないから。Aさん、あなたが私の為に頑張ってくれてたら、私も無視なんか出来ません。でも、あそこのブログに、こうして時間を使いたくはないのです。書かなきゃならない手紙、ブログ、溜まっています。時間がとても足りないのです。お願い、今度こそあそこはもう、無視して下さいね?このブログで、あなたの溜飲が下がってくれる事を祈っています。
2008.02.12
もう、ずっと前から、一週間のうちで、日曜日が一番辛い一日になった。働き過ぎ。その疲れが、日曜日に押し寄せる。平日は、午後から夜中まで仕事ー店は23時までだから。その緊張感が、疲労を大分遠ざけてくれる。仕事中、疲労感がない訳ではないが、元々好きな仕事の為、集中力が出て、そんなに体の疲れに、負けたりはしないのだ。それが、日曜日になると、全く体が動かない。仕事は休みと言う安心感が、今日も23時(場合によっては25時まで)まで働き切るぞと言う、緊張感が齎す気力の力を、損なわせてしまうのだ。体力は、数年前に尽きたまま。毎日が、ただ、気力と根性の勝負になっている。特にこんな、橇引きが不可欠な毎日では。日曜日は、何もかもが辛い。橇の重さも、普段の倍ほどにも感じる。足元もふらつき、中々前には進めない。4日の日曜日は、晴れのち、曇りのち、最後に雪模様。休日は、家でやりたい事が山ほどある。でも、休日こそが、最も体が過酷さに、悲鳴を上げる日でもある。いっそ、休日も仕事を夕方からでも請けようかと何度も思案する。そうすれば、緊張感が助けてくれる。気力が疲労に打ち勝ってくれる。それでも、唯一十分な睡眠を取れるのも、ただ日曜日だけなのだ。この休みを潰して、自分が春まで橇を引く体力を、維持出来るか心もとない。決心がつかないままに、もと来た道を、戻って行く。灯油が、1リットル100円にもなった今年。ガソリンも150円平均で売られる様になってしまった。バイオ燃料の供給の為に、原料のとうもろこしと、小麦粉が高騰して、子ども達のフード代が、信じられないくらいに跳ね上がった。同じく原料高騰によって、牧畜農家も、牛のご飯代の急騰に、悲鳴を上げて、JAに抗議。乳化の値上げを、僅かだか勝ち取った。家には、そんな保護措置は存在しない。子供のご飯は、一切減らしたくないから、畢竟灯油代を、限界まで削っている。山暮らし、この厳寒の時期は、薪ストーブともう一つ、小さな灯油ストーブが不可欠になる。薪は、足さなければすぐに消えてしまうのだ。寝入ってしまえば、たちまち屋内も、氷点下2桁の世界になる。その寒さの中で耐えるには、多くのエネルギーを体は必要とし、限界まで働いている、私には、その体力を供給する力がない。友人が年末に仕上げてくれた山小屋は、まだまだ隙間だらけ。雪があちこちから吹き込んで来る。この未曾有の原油と原料高の時代では、山小屋まで、灯油を買う余裕がない。命を繋いで行く為に、コタツで眠れる、寮に夕方帰って行く。早く、春が訪れるといい。人工的な世界から隔絶された、山の中で過ごす夜の一時は、至福の時間なのだから。夏の夜には、すぐ後ろの川のほとりで、ふくろうが静かに歌っていた。銀の滴降る降る周りに金の滴降る降る周りに昼間では、さほど感じられない、川を流れ去る水達の足音。海で暖められた、水蒸気達が、生涯の中の一瞬、私の目の前の川を過ぎ去る。まるで世界が雨に包まれた様に、水音が暗闇の森の中で、響き渡る。子供達は、満腹を抱えて、安らかな眠りに落ちている。私はガンディー・ジーや、キング牧師や、ショル兄妹、イスラエル兵役拒否者達の書物に溺れる。ランタンの、小さな炎を明かりにしながら。あらゆる苦労から、私を救う、最も満ち足りて、平和な時間。電気を点けて、本を読む生活は空虚なものだ。小屋で横になって、頭上に置かれた窓から、数多の星々を見ながら眠る、解放された一時。街灯の届かない、森の奥深く。車で戻る途中、耐え難い睡魔に襲われて、仮眠を取る事にした。凡そ一時間経って、目が覚めた。まだ、とても運転出来る状態じゃない。再びシートに倒れ込む。もう一時間。目覚めた時、辺りはもう薄暗く、粉雪が風に流されていた。ただ、この毎日は、過酷であるが故に、自然の最も美しい姿を、見る事が出来る毎日でもある。それが、常に私を救う。日々、苦しみを負って、日々、忍耐が打ち勝ち、日々、新たな世界を発見する。月曜日、体は前日よりも、動きが軽い。とは言え、80キロの橇引きは楽なものじゃない。橇を引きずる労苦に耐え兼ねて、歩みを止めて、空を見上げた。いつもこう。苦しくなると、自然に顔は、大空に向けられる。その目は、暫く体の苦しみに耐えかねて、硬く閉じられ、体内の虚空を彷徨っているのに。そして吸っては吐き出される、寄せては返す波の様な、正しい呼吸のリズムが取り戻されて来ると、ようやく目は、再び周囲の光を捉え始める。今日は晴天。光り輝く青空が、私の頭上に広がっている。私のすぐ横で、大きな白樺の樹が、青空を貫く様に、大地から、天に向かって立っている。幾本にも分かれた白樺の枝が、青い空に、さながら白い閃光の様に映えている。それはさながら、大地から天に向かって放たれた、雷の光。瞬間の瞬きである、美しい、剣の様な雷の光が、消える事無く青空で輝き続けている。かつてない感覚が、一度は現実に、経験してみたかった感覚が、今この身に訪れる。 時が止まった世界を見る事。時を司る神よ。私は今、過ぎ去らない時間の中で、雷光とたった二人、世界から隔絶された時間を共有している。世界は時を止めている。私達だけが、今、生きている。
2008.02.06
2月1日来年の私へ体力は確実に低下しています。今日、ようやく、橇引き快調に行きました。土曜日から始めて、今日。今は何とか、道路から2キロは車で強行して、残り2キロを歩いています。今日、やっと1時間を切りました。何と45分・・・。そう、でも覚えていますね?2007年は、橇を引いて3日で、随分ペースが上がったのでした。今年はその倍です。去年から、腰は大分曲がってしまいましたし。来年は、更に数日、体が慣れるまで掛かる事でしょう。来年のあなたが、今から365日ほど経過しただけの、私であるって事は、恐らく何かの間違いですから、体に気をつけて、頑張って下さい。心からご同情申し上げます。久しぶりに、雲一つない晴天。頭上で空が、葉を落とした冬の木立に臨まれながら、青く光り輝いていた。冬の青は、絵の具でも表せない美しさ。何としても、この腕を、その空の中に差し入れたくなる。きっと私のこの腕も、青く透き通って行くのだろう。群青色の、海とは違う。どこまでも、澄んで輝いている。呼びかけている様な、触れられる事を拒んでいるかの様な、計り知れない青の心の中。そこで偶然、空を見上げられた者だけが、得られる恍惚の時間。雲一つない夜、空を横切る天の川に、魂を奪われる瞬間の様に。ああ、ヒマラヤの、もっと深い、青い空を思い出す。空に近づけば近づく程、青は一層深みを増す。まるでそれは、あたかも天の、深遠に踏み込んで行くかの様に。川の氷の融解は、ますます進んでいた。野美ちゃんとちったんは、デビーに安全な迂回を教わって、自分で川の上を渡ってくれた。私は、川を渡ってフードを降ろした。いつも、水を汲む場所は凍っているけれど、あそこは深い。間違っても落ちたくない。カラスは更に減っていた。子供達にご飯を与え、柵の中の川が、完全に凍ってしまった「良い子達コーナー」(家には他に、問題児コーナーと、野犬コーナーの、計3つの柵がある)の子達に、水を上げる為に、ポリタンクを橇に載せて、川へ行く。ここには、人口的な穴が、川の氷の上に空いている。まさかりで、毎日穴を、氷で塞がれない様に維持している。ここから、水をタンクに汲み上げる。冷たい水に、手を入れながら、タンクを川の中へ押し込んで行く。二度、三度水中でタンクをひねらかせて、タンクを有機水で、満タンにする。それを渾身の力で引き上げる。約、20リットル入るタンクを二つ。引き上げてから、橇に載せて運ぶ。これを二回。タンクはずぶ濡れだし、川の斜面を引き上げれば、水はタンクの口からこぼれて、毎回防寒具のズボンはびっしょりになる。橇に載せて、柵の前まで来てから、タンクを下ろす時に、自分のズボンを見たら、濡れてる部分が見る間に白く変わって行く。殆ど瞬間冷凍されてる訳だ。被った水は全て、ズボンの表面で、氷になった。指で触れるとパラパラ落ちて行く。そう言えば、昨日見た天気予報で、この地域は、朝9時頃で、零下15度くらいの予想だった。20度以下なら、大して寒いとも感じなくなって来た、9年目の北海道。風の凪いだ晴天の日なら、むしろ暖かくさえ感じられる。そうか、こんなに気温は低かったのだな、と、独り言を呟いていた。水上げが終って、時間を見ると、まだ20分ほど余裕がある。うんこ掃除をするには時間が足りないし、遊んじゃおうか、と子供の柵に入る人身御供。途端に集団暴徒に襲われる。中でも強い子が、大地に引き倒されて、五体投地でうつ伏せる私に跨って、前足で私の体を抑え、他の子等を、寄せ付けない様に凛々しく威嚇する。大好きな(そうであると信じたい)ママを、独り占めする為の、可愛い仕草なのだが、その様はどうみても、さながらインパラを引き倒したライオンの姿。どうにかその子の腹の下から抜け出して、新鮮な空気を吸おうと前を見た瞬間、正面に並んでいた、ティアラかニアか若菜(多分ティ)の繰り出した、ショートパンチをまともに食らって、プライドで、負けた曙宜しく雪原にダウンした。殴られた口元が、妙に温かく、しょっぱい味がする。口元を、手で拭ってみたら、流血してた。そのまま、口の中に血を垂れ流しにしながら、零下15度の世界で子供と遊んだ。時間になって、仕事に行く時、容器に入れた水を見たら、既に氷が張っていた。柵の中の高い樹に、5~6羽のカラスがいて、空腹を抱えて、子供のフードを眺めていた。*追記・今日も残業、午前12時40分まで・・・。ふひ。
2008.02.01
1月31日川の氷は一層融けていた。真っ白に生まれ変わった川の真ん中ほどに、暗い水底を湛えた楕円形の、氷の割れ目がある。インドのゴームクを、ふと思い出した。ヒマラヤ山脈の中、ガンゴートリーの遥か上。ガンジス川の源流、大氷河・・・。氷河に開いた口。その中から、水が濁流となってほとぼしる。インドの人々は、それをゴームクー牛の口ーと呼んだ。丁度、そんな感じだった。今日は、避けては通れない。凍って、雪がしっかり積もっている所は、水底も深い。氷は全体的に薄くなっているはずだし、危険は冒したくない。フードを一つ一つ、肩に担いで、慎重に川の中に入って行く。まだ、水は増水していない。かんじきが、川底の石に滑らされる。ストックを持って、足場を定める。まだ割れていない、氷の上に、フードをよいしょと放り上げる。野美や、ちったんも、もう簡単には渡れない。犬の体重だから、遠回りしてくれれば、難なく歩いて渡れるが、子供達は、私が通った所しか、見ようとしない。片手で一人ずつ抱きかかえて、対岸へ降ろす。真冬の様な、春の到来の様な、氷を融かして現れた、暗い水底、流れる清流。カラスは未だ、諦めない。
2008.01.31
去年の分も、完成していないけれど、それはさておき今年は、記録風に、少しずつ橇引きの様子を、綴って行こうと考えています。来年も、多分引くだろうし、色々自分で、来年の参考に出来る様に・・・。1月30日朝はうっすらと雪が舞っていた。今朝は、とても暖かい。雪が降るといつも、寒さがとても和らいでくれる。まるで、繊細な雪の結晶に、大事に守られているかの様に。壊れない。柔らかい、しんとした寒さ。いつもの様に、橇に10体の、8キロ入りフードを詰めて、一人で引っ張る。この仕事、なるべく自分でやり遂げたい。男友達に手伝ってもらえば、楽は楽だが、体がそれに慣れてしまうと、いざ、一人で引かなきゃならない時に、全く無力になってしまう。いつでも、最悪の場合に備えて、自分で出来る様に、体を慣らせて鍛えておきたい。だから極力、友人を頼まないで、一人で頑張る。橇の重みにも、大分耐えられる様になって来た。とは言うものの、やはり80キロは過酷だ・・。緩い上り坂が、全く体を休ませてくれない。マイペースで前を歩く、野美とは別に、ちったんが、先に走って視界から消えたと思うと、弾丸の様に、私の元に飛んで戻って来て、一緒にまた歩く。熊が出る季節になったらどうしよう。この子達は、寮に置いて来ようか。熊は、犬を嫌うし、犬は人間より早く熊を見つける。でも、この子達が危ない目に合うより、自分一人で対処した方が賢明だろう。熊とは今まで何回も遭遇してる。私一人でも、何とかやり過ごせるだろう。でも、毎日山へ行けないと、悲しむだろうな。そんな事を、子供達の背中を見ながら、悩みながら、ゆっくりと橇を引く。それから今度は、次の吹雪の後の事を考えた。次はどれくらい積もるだろう?どっちにしても、新雪の橇引きは、半端なものじゃない。1メートルでも積もられたら、命に関わって来る。体力が尽きたら、前進も後退も叶わず、凍死するしかない。せめて、橇だけでも、楽に引く事が出来たら。ふと、閃いた。橇の下に、スキーを取り付けるのは?長いスキーなら、恐らく、決して新雪にもそうは埋まらないだろう。これは、やってみる価値がある。私が埋まるのは仕方ないが・・・。橇を、スキーを履いては引けない。今のかんじきでは、新雪なんか、空気を踏む様に埋まってしまう。スノーシュー。あれを買うか、借りるかしないと。あれなら接地面が大きく、スキーほどでなくとも、埋まりにくいはず。後から後から、悩みの種が、頭に沸き起こって来る。心が重くなると、まるで余計に、橇の重さが増した様に感じる。そうこう悩んで歩いている内に、橇引きも、終点間近。家の土地の前にある、川へと着いた。ここで、フードを、用心の為に半分に減らす。万一氷が割れたら、橇ごと流されて行く。女の力で、水の勢いに抗えるとは思えない。40キロ程度なら、耐えて引き上げる事は出来るだろうと思う。所が、とんでもない光景を目にした。何と、川の真ん中の、氷が融けてなくなっている。昨日、今日の暖気が、こんなに氷を融かしたのだ。まだ一月下旬。オホーツクでは、流氷が接岸を始めている。一番寒い時期だと思って、油断していた。長靴は、丈の高いのを履いている。この静かな流れなら、転ばない限りは、ギリギリ水の浸入は防げるはずだ。でも、出来れば渡りたくない橋。水が入ったら万事休す、下手したら足の指を、凍傷で切断されてしまう。胴長。まだまだ、買う余裕はない。何とか凌がないと。フードを一つずつ、肩に背負って川を渡る事にした。片手に、スキーのストック。万一足元の氷も割れたら、絶対に走ってはだめだ。まず、ストックで、体を支えて、体勢を維持する。それから、慎重に、川の中を歩く。川の上に踏み出して、ゆっくりと足を運んで行った。川の真ん中で、氷がミシミシと、音を立てる。慎重にー、この音なら、多分大丈夫。持ち応えるだろう。氷は、フードを背負った私の重みに耐えて、割れて水の中に落とす事もなく、私を対岸に渡してくれた。八回、慎重にそれを繰り返した。ママの帰宅を知った子供達が、大騒ぎで急き立てる。いつもは、すぐに姿が見えるのに、今日は何でこんなに時間がかかってるの?大声で訊ねて来る。色んな状況があるんだよ。簡単には家に帰れない。ママの事を、信じて待っていなさい。カラスが、いつもよりも、静かだ。ようやく全てのフードを運び、再び橇に載せて、子供達の前に着いた。休む間もなく、繋いでいる、問題児達を、次々放して、柵の中で遊ばせる。飛び跳ねて、満面の笑顔で私を見やる。何て可愛い子達だろう。ご飯をあげる前に、全員の顔を見て、調子を崩しているのがいないか、確認する。これで、やっと大きく安堵する。今日も、一日みんな、健康で平和で暮らしてくれて、有り難う。親孝行ちゃん。元気で、いい子で(柵とか破壊しないで)いてくれた日は、毎日全員、この渾名で呼んで挙げる。「親孝行ちゃん。」子供は可愛い。あの子達に関する事は、何でも「ちゃん」付けで呼んでしまう。ご飯でさえ、子供が食べるものだもの。家ではみんなに、「ご飯ちゃんは食べた?」って質問して回る。友人達に言わせると、私は親ばかではなくて、ばか親なんだそうだ。まあ、好きに笑ってくれ。愛し愛され、幸せな家族の勝ちだよ。ねえ、ママの「可愛いちゃん」達。ご飯を上げて、すぐに気がついた、カラスがいない!いや、正確にはいるのだが、近くに寄って来ないのだ。空を埋め尽くす程のカラス達。子供のご飯の、3割は最低奪われている筈だ。追い払っても、追い払ってもやって来る。いつも願う、頼む鹿撃ち。鹿を仕留めたら、残滓を少し、彼らに置いておいてやってくれ。それが許されなくなってから、大挙して、カラスが家に来る様になった。カラス対策には、頭を痛めた。一番効くのは、テグスを張るか、カラスの死体をぶら下げる事。テグスを張ると言っても、家の柵は余りに広いし、カラスを殺す事も、ちょっと出来かねる。正直、殺してやりたいくらいの横暴振りではある。殺すのは簡単な方法で済む。高い所に、農薬を混ぜたフードを置けばいい。食べたら、一羽は必ず死ぬ。それを下げておけばいい。そう、でも、出来るかそんな事が。幾ら腹が立ったって。テグスを張るにも、時間がなかった。仕方がなく、ロケット花火で応戦してた。これは無意味だ。カラスはすぐに戻って来る。子供達の方が、返ってパニックになって、柵を壊して逃げようとする。それでも、ちょっと離れただけで、カラスの大群が、フードのある地面に居並ぶ光景を見ると、思わず花火を探してしまう。少し前から、少しずつテグスを張り出した。厳寒のこの時期。灯油代だけでも捻出するのがやっとなのに、そうそう大量のテグスも買えない。少しずつ、乏しい所持金から、テグスを何とか買い溜めた。そうして、先週から、時間を見て、友人に手伝ってもらいながら、張り始めたテグスが、功を奏したらしい。カラスは、警戒して地面に降りれない。殆どのカラスは、すぐ近くで鳴いているものの、姿さえ見せなかった。注意して、張ったテグスを見ると、所々、切れて風に吹かれている。カラスがかかって、暴れたのだろう。その仲間を見て、他のカラスが警戒をした。良かった。これは本当に大きな問題だったから。これからも、極力テグスを維持しなければ。カラス達、私は、お前達も、養う余裕はないんだよ。ここには見切りをつけて、他の食べ者を探して、生き延びて行ってくれないか。新たに今日も、テグスを300メートルほど、追加して張り巡らせて、仕事に行く為、家を後にする。真っ白な雪の上に、無数のカラスが踊る光景は見られなかった。こんな毎日が続きます様に。
2008.01.30
下記訂正します。熊さん、2月は出て来ません。早いお方で、3月から出てらっしゃいます。書くつもりが忘れてました。本日クタクタで、仕事をサボりたくて、仕方のない若ちんでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先週の、木曜日と金曜日に暴風雪が到来。吹雪は、弟子屈の冬の風物詩です。これがなければ冬は始まらないし、春だって陰も形も見えては来ない。私にしてみれば、橇引き開始の合図の笛の音になる訳ですが、嫌がったって、吹雪は来る。ならば、とっとと迎え撃とう。木曜日、これがこの冬、自分の家まで車で帰れた、最後の日になりました。フードは、金曜日の分まで、運び込んでおいたのです。金曜日、友人の車、RVRなら、雪道を突破出来るかも、と、一緒に山へ向かってみましたが、全く無理でした。家の家へ帰る道は二つ。普段使っているのは、山を登って行く林道。夏はいいのですが、冬は途中、吹き溜まりが、天空高く、聳えて通行一切不可。去年は、歩きでこの道を行きました。もう一本の道は、山の下を、川沿いに登って行く道。この道は、とても緩やかな上り坂が続く道です。途中に谷地が幾つもあって、泥が道を埋め尽くしてしまう為、夏場は全く車は不可。上の道と違って、アップダウンが少ないから、歩きやすいのは利点ですが、問題が二つ。1・私の土地の目の前にある、川を渡らなければならないが、橋がない(以前作ったが、去年の5月3日に流された)。2・熊さんが出る。1・2共に、いずれ劣らぬ難題です。川は、丁度浅瀬があるから、そこを歩けばいいのだけれど、幾ら浅いとは言え、この季節、氷を割って、落ちたら凍傷は100パーセント。とってもイヤ。2・熊さん。何でイヤかは説明省く。上記の理由で、金曜日、手ぶらで上の道を行きました。RVRは、林道の上り坂の上、吹き溜まりで、雪山に、家へ帰れと言われてしまった。風邪気味の友人と、犬の野美ちゃん、ちったん(ちとせ)に、吹雪で辛いから、ついて来ないで待ってなさい、と、置いて行く事にした。中々立派な吹雪だったから、念のため、4時間待って、戻らなかったらレスキュー宜しくと、言い残すのを忘れなかった。雪自体は、そんなに降らなかったけど、吹き溜まりは、60センチは軽くあって、そういう所では、太ももまで、雪に埋もりながら、前に進んだ。時々風が強まって、雪の結晶が、無数の刃物になって、顔に突き刺さる。足を止めて、ひたすら、風が弱まるのを待って前進する。氷点下7度。強風が吹き荒れて、体感温度はその倍。氷の風の中で、歩いてかいた汗が、たちまち冷え切り体温を奪う。一時間10分をかけて、戻った家では、子供達が大はしゃぎで出迎えてくれた。しばらく雪が降らなかったから、余計にはしゃいでいるみたい。ついつい母親も童心に帰ってしまう。三つの柵の子達に、ご飯を全部食べさせた後、凍った川の上で、子供と一緒に追っかけっこ。長靴スケート!!と、川を滑る私を、きゃあきゃあ言いながら、子供達が追いかける。この時点で、お店遅刻は必死だったので、残念だが、遊びは一旦切り上げて、(まだ、遊び足りないと言う柚子から、飛び蹴りを食らって吹っ飛んだ)もう一度、雪の中を歩いて帰る。さて、ようやく道路に出る坂道。みんな、退屈してだろうな・・・と、思って眺めてみたら、RVRが落っこちてました。山に登る道は、両側が斜面です。その、片側に車体が斜めに落ちてて、(崖下まで落ちた訳ではなく、斜面にずり落ちていたのです)雪に埋まってる。タイヤの跡を見ても、全然雪に振り回された形跡がない。どう見ても、自分から喜んで落ちている。野郎、必殺「後ろを見ないで雪道バック」をやりやがったな。もー、本当に、我が友の、安全確認のずさんさは、恐ろしい程なのです。運転中も、普通に助手席や、後部座席の人間の、顔を見て、話しながら運転しくさる。実はこの日の朝も、軽く埋まった時、後ろを見ないでバックしたから、叫んだばかり。で、運転手は留守で(電波が繋がらないから、公衆電話まで行っていた)、野美ちゃんとちったんは、助手席で重なって寝てました。車に何とか乗り込んで、少し待つと、友人が、JAFのジープと戻って来ました。そこで、何とか引き上げようとしたのだが、JAF、更に下に車を落とした・・・。大体ねえ、斜めに落ちてる車、坂の下から後方に引っ張って、道に引き戻せる理屈があるかい。軽だって、そのやり方で引っ張られたら、上がったって壊れるわ。牽引ロープも、掛け具が壊れ、それでも今度は前から(今さら)引っ張ってみようと、JAFが試みて、中々上がらず、夢中になって引く内に、ジープ、足場の確認を大忘れしまして、これ以上下がるなと言う、私の悲鳴も届かず下がり、埋まってしまった。・・・・・結局、JAFのお知り合いの、近所の方に、トラクターで来て頂いて、JAF共々、救出されました。車は一応無事だったと思いきや、今日になって、激しい故障が発覚しました。トラクター、かなり力任せのサルベージを敢行なさいましたし。可哀想なのは、自業自得とは言え、トラクターの稼動手当てに、車の修理費まで被った友人。これに懲りて、無謀運転の癖が、改められればいいのだけど。さて、私は土曜日から橇引き開始しました。前人未到の80キロ、雪山橇引き犬の世話。橇、動きませんでした。上の道の、最初の坂、橇がまるで、氷で固められた様に、どんなに踏ん張っても、びくともしない。諦めて、傾斜の緩い、川&熊さんが迎え撃つ、下の道を選択しました。流石にこちらなら、歯を食いしばって行けば、何とか橇も引けました。まだ、新雪なので、橇が埋まって、相当な体力を消耗します。連載途中だった「試される大地」現在進行形に、戻りました。この土地を紹介してくれたお爺さんを、昨日、お爺さんの、飲み仲間を連れて訪ねました。めぐみちゃん、まだあそこで頑張ってるのか。勿論だよ。あそこはなあ、女一人じゃ生きて行けないぞ。たかちゃん(友人)だって、いつまで手伝えるか分からんだろう。あそこで生きて行くなら、旦那さん貰うか、馬を飼え。馬飼います(即答)。結局、この先体力の衰退を考えると、馬に橇を引いて貰うのが、一番確実だそうです。スノーモービルより何より、馬が一番頼りになる。今よりもっと厳しい、開拓の北海道を生き抜いて来た人達の、教訓でした。馬は、一度歩いた道は、絶対間違えない。どんなに雪が積もって、道が分からなくなっても、馬に任せれば、必ず帰れる。犬ぞりは、訓練しなかったら、無理だけど、馬なら、手綱を引けば、一度で覚える。大自然の中で生きるには、それに対応して生きて行ける、馬の力が不可欠だそうです。もう一人のお爺さんが、めぐみちゃん、馬飼うなら、昔馬追いしてた時に使った、セズナにわらび型(??)、一式揃ってるから、全部やるよ。と。馬に、橇を引いて頂くのに、用いる道具の数々なのだそう。実は馬大好きで、千葉にいた時、厩務員の、アルバイトをした事がありました。世話なら何とかなるでしょう。今年は無理でも、来年には、馬さんをお二人、当「シリエトク(地の果て)農場」に、お迎え致したく存じます。そんな訳で、2008年冬橇毎日、スタートを切りました。
2008.01.28
我々の内の、何かがこの母なる惑星に調和を仕切れない。それを我々は、魂の奥で知っている。オオカミを見るがいい。美しい獣。体の血肉の一欠けらまで、この母なる星と共鳴をしている。オオカミはこの星。この星はオオカミ。他の全ての種と同じ様に。紛れもない母君の御子。美しい調和。最高の楽譜。天上の調べ。それはプリズムを通して見た光。ああ、阿字の子ら 阿字より出でて また立ち返る 阿字の故郷。生み給うた命と、生み出だされた命。一から広がり無限に広がる、一から全てを与えられた命達。どこまでも、これらの者は、争わずに重なり、溶け合う調和を続ける。では、何故我々はこの身の内に、母なる方と、調和し切れない何かを感ずるのだろう。まるで何者かが、故意に我らをこの調和の外で、生きる事を宿命付けた様に。我が種よ、まるで呪いにかけられたかの様に、忌まわしい宿命が人類を覆う。この宿命は、いずれ我が種を滅ぼし、その結末として、この偉大な母の命も奪うのだろう。オオカミを見よ、梟を見よ、美しい肢体の鹿達、海を抱く神なる鯨。彼らはみんな、地球との調和の中で生きて行く。彼らは全て、魂の中に、正しい存在の理を持っている。でも、我々にはそれがない。意識をするまでもなく、息をするかの様に、事もなく調和を叶える彼ら。それに引き換え人間は、魂を常に、母君の魂の中に、沿わせる事を、意識しなければ、すぐに不調和音を出す。生命の均衡を崩してしまう。人よ、忘れるなかれ。我々は、他の兄弟の様に、無意識のままに大調和に至れない。常に意識を鍛えていねば、この世界を破壊する。私は思う。自覚こそが、我々に悲劇を齎したのだと。ああ、神よ、今こそ悟った。今正にこうして、自分は何者かと考える事、それこそが、不調和への始まりなのだ。{コギト・エルゴ・スム}目覚めた知性が、永遠に我々をこの世界から分けてしまっていたのだ。その暴走を止める為に、我々には、精神の覚醒が必要なのだ。認識ではなく理解の力。「そうして、人間は汎神論を紡ぎ出したのだ。」それが答えだった。この星の、調和の中に、再び我らが帰還する為に。我々に宿った未知の認識。それを、母なる大地と、兄弟姉妹を愛する心によって、封じて行こう。決して、この力に踊らされて、二度と生まれた世界を滅ぼす事のない様に。目覚めたままに、今度は永遠に全ての命の、輪の中に還って行かなくてはならない。そうして我々は、汎神論を、紡ぎ始めた。昔、昔、ある人達から伝え聞いた、神様と、この世界の、一つの神話。カムイ・ユーカラ「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ」人間らしく、ある人間
2008.01.23
「そして創造主は、老齢期に入られた。主は最後の子として、3人の神を生み参らせた。二人の男性神と、一人の女性神。女性は日の神としてお成りになり、男性の内のお一人は、夜の神にお成りになった。日の神は、類い稀な正義感で、世界を照らす白光となって、夜の神は、類い稀な慈悲深さで、全てを覆う、玄となった。そして共に、互いの性質に惚れ込まれていた。光と闇が、無上の愛によって結ばれた。このお二方は、遍く神々の中でも、最も優れた方々と歓迎されて、創造主は、老いたご自分のお代わりに、生命を紡ぐ仕事を、お二人に任せられる事にした。まだお若いお二人は、しかし創造の原理をご存知なかった。そこで創造主は、最後に一つ、新たな星を設けられた。他の星々と違って、「何か」の使命の基に創った星ではない。ただ、根本的な、命の創造の原理を、お二人の神に、学ばさせるのが目的で、原始的な生命が広がる、辺境の惑星で良かったのだ。それがこの地球なのである。創造主は、命の元である炎が、冷えて丸く固まって、蒸気が雨となって、水が生まれる過程から、水の中に、最初の原始生命が誕生し、やがて進化を遂げて、最後に人に成る所までを、基本の学習として、この地球の成長を通して、若い神々に教えられた。飽くまで基本の学習であるから、この星の人間には、一般の知性を与えなかった。人形を取れれば、それで創造主には、十分だった。主はもう高齢で、人間に高い知性を与える、あの、緊張感に包まれた、慎重な仕事に耐える集中力が、減退しておられたし、優秀なお二人の神々には、そこまで力をお貸しにならずとも、最低限の学習を施せば、後はご自分で経験によって、完成なさるとお分かりになっていたのであったから。そう、だから、地上に人類が誕生して間もない頃、あなた方は、裸のままで歩いていたのだ。他の全ての種と同じ様に、生まれたままの姿で。あなた方は、人形をした、ただの美しい、哺乳類に過ぎなかった。あなた方は、何も疑問を持たず、他の種と同じ様に、狩りをして、他の命を得て、毎日を生き、自然の理によって、体の命じるままに、子を成して、生み、育てて、死に運ばれて行った。それは地上の楽園で、あなた方は、何もかもを受け入れていた。稚児の様な、何の智恵もない、無垢なる存在。思考よりも、究極の存在に対しての、理解が存在する世界。彷徨い人よ。昔あなた方は、オオカミの様に、大鷲の様に、イルカの様に、犬の様に、純粋で驕りもなく、この世界の一部だった。それは調和の中にあったのだ。また、高い知性を持たない人類は、我々神々にも、緊張感を齎す事無く、慰めになっていた。我々は、無欲の箱庭を愛していた。そして事に、若いお二人は、この、最初に自分達が、創造を目の当たりにした、美しい星の虜になった。あなたが敬愛する、あの美しいオオカミは、日の神が、初めて自ら創造された命。その精神性、芸術を極めた体。神々以上の種を創られたと、我々は日の神を心から称えた。あれが人間であったなら、神のお役目を、オオカミ族に敬譲出来たのに、そう心から。ここから先は、余り語る事を許されていない。だから彷徨い人よ。語れる限りの事で、何を今後、あなた達地球の人間が、成すべきなのかを見極めて欲しい。きっとあなた達になら、正しい答えが見出せるはずだから。とある最高位の神様が、若い神々に妬みを抱いた。いつかあなた方の耳にも知れる。己ご自身を、「妬む神」と呼んだお方の事を。その神は、日の神が、最も愛したオオカミがいるこの星を、残虐な争いで滅茶苦茶にして、日の神を、苦しめようと思われた。その動機となった心情については、誰も語る事は出来ないが。日の神を苦しめる為に、気の毒な、無垢のままの、人間達が使われた。「妬む神」は、蛇を使って、人間の女に、神々の食べ者を与えられた。それを口にした瞬間、女は人間として、目覚めてしまった。ここはどこか、自分は何者か、考える種になってしまった。何ひとつ、考える事なく、疑う事なく生きて来た、あなた方であったと言うのに。幸福な楽園から、疑問の暗い森の中に、入ってしまったのだ。女は、次々と、自分の仲間を覚醒させてしまった。「妬む神」は、彼らに降りて、自分を唯一神と、崇めさせた。それまで共に、同じ星の家族として、共存していた兄弟を、「妬む神」は、人間の為に、神が贈った「資源」に過ぎないものだと説いた。そして、人間による、他の種への蛮行と略奪、皆の星であった、地球の独占が始まった。分かるだろうか。あなた方は、「妬む神」の行動から、本来の種とは、違った生命になってしまった。創造主は、こんな風に、あなた方を創らなかった。文明を、生みだせる様な種には。その為あなた方は、何をしても、この星に痛手を与えた。それこそ「妬む神」の思惑の通りに。自然と調和しながら、文明を創り、維持するには、高位の精神を必要とする。あなた方には、その精神が、生まれつき与えられてはいなかった。あなた方は、他に害意を持たなかったとしても、己の望むままに振る舞うだけでーそれは決して、高い精神性を与えられていなかった故にーあらゆる破壊と迷惑を、この、星と兄弟らに齎してしまう。今更、事が起きる手前に、時を戻す事も出来ない。我々の世界は、螺旋を描いて、進行して行く。過去には、いずれの者でも、戻れはしない。強引に時を過去へ戻そうとするなら、世界は形を失い、崩壊してしまう。我々は、「妬む神」の負の精神に、打ち負けてしまいたくはなかった。この惑星が、殺伐とした地獄の星に、堕ちたままでいさせられる訳もない。残った望みは、我々も力を尽くしながら、あなた方の心に、この星と、全ての者と調和出来る、高い精神を、完成させる事しかなかった。彷徨い人よ。神々は、幾度もあなた方の傍に降りた。時には肉体を持った人間に転生し、時には荘厳な野けものとして転生し、あなた方に、悟りを求めた。誰もが、あなた方が、精神の完成を見る事を願っている。今ではきっと、あなた方のもう一人の生みの親となった、あの、「妬む神」でさえも。オオカミは我らに連なる者。真理を求めなさい。それは老子の語った様に、名もなく、地味な、生命の道以外ではないのだが。明けの明星が、あなたの意識を記憶から離したとしても、陰から知識はあなたを支える。我々は、あなた達に、精神の進化を心の限りに請う。」
2008.01.23
汎神論と言うのは、人がまだ、狩猟、採集によって生活を営む時代に生まれた。遠い遠い昔。まだ、大きな歯車が、狂う事無く回転をしていた地球。テレビも、車も、電話も、パソコンもなく、私たちは、土から焼いて作った器、木を削って作った弓矢、木の皮を編んで作った敷物、同じく木の皮の服、魚の皮で作った靴ーそんな素敵なものに、囲まれながら暮らしていた。遠い時代。ああ、でも、変わらず星は巡り、太陽は眩しいほどの、光を降らせていた。私たちは、他の鳥獣兄弟に比べて、同じ地上で生きるのに、とても身を守る体毛が薄く、手もまた、大地を歩く為に必要としない。我々はそういう種なのだ。私たちは、日ごと、夜ごと、考える。生きる事について、世界について、星々について、我々が、この世界から異端となってしまわない様に。何故だろう。体の中を流れる、赤い水が気を抜いてはいけないと、しきりに警告を与えて来る。特に、こんな澄んだ時間、闇が支配する空、煌めく星が、世界の謎へ、招待を与えてくれているかの様に、感じる時間には。「地上に人類が誕生して間もない頃、あなた方は、裸のままで歩いていたのだ。他の全ての種と同じ様に、生まれたままの姿で。」私たちは皆、答えを求めていた。この地上で目覚めた私たち。我々は、一体何者であるのだろうか。何故、他の兄弟は持たない疑問を、私たち人間だけが感じるのだろう。同じ地球の子であるのに。でも、誰も答えてはくれなかった。目覚めてしまった時から、異質になってしまった私たち。この世界との間に、見えない壁が作られてしまった。私たちの前にあるものはただ、雄大にして、偉大な、母なる大地。そして、兄姉なる全ての兄弟種族たち。大空を風の様に飛翔する者。大地を美しく走り抜ける四足の兄弟。水の中に、世界を持った鰭のある者達。私たちにとって、己自身を知る為の手がかりは、ただ、この人々だけだった。「語ってはならない事がある。人と神の世界とは、いつも入り口で、繋がっているとは限らない。時として、我らの子である人間にも、決して語れぬ事がある。」私たちは、自然の生命の中で、常に答えを求めて歩いた。多くの場合、最も己の魂が呼応する、特定の種に。私たちを、この世界と結びつける導師と成す為。いつしかそれは、ヴィジョン・クエストと言う儀式になった。わたしはオオカミの魂に魅せられた。完全なる、父性と母性を併せ持つ。地上で最も完成された精神。彼らを称える為に日は登り、彼らにひれ伏す為に、日は沈む。全能の者の、慈悲深き瞳。それは神的世界への入り口。見詰めるその眼差しの中で、我々は、その門をくぐる資格があるか、見極められる。美しいその肢体。大地を水が流れる様にすべる、その歩様。神秘の被毛。飾りなき王者の装い。ああ母なる大地は、この方々の、被毛を創造される為に、凍て付く世界を創り給うたのか。樹木の体を突き抜け、世界を振動させる、神々の遠吠え。これこそが、わたしが求めて止まない神の世界。朝な、夕なと、私はオオカミを求め、歩いた。オオカミを通して、世界の答えを掴もうとする為に。オオカミは私を愛し、至る所で私を待った。遠い山の頂、古の森の奥深く。湖の、鏡の世界の向こう側。明け方に消え残る、夢の世界の残照の中。「それでも我々の中の、何かが、あなた方に、このまま全てを隠す事を好まない。原因と結果が、ある者達に、決定的な影響を及ぼしてしまった時、神もまた、一人の迷える子山羊となる。調和への道を見出す為には、何かに挑戦をする必要がある。それが時には、人間達に、神が助けを請う事であったとしても。」この世界は美しい。昨日見た、オオカミのあの姿の様に。全てが神秘の中にある。それらの声は、耳で感知出来ない天上の囁き。その姿は、明けに夜を、薔薇色で染め上げる荘厳な光。語れ、語れ、偉大な天よ。この取るにも足らない人間が、その恩恵に添えずとしても。「あなた方の生い立ちを少し話そう。どんなにか、それを求めているか、知っているから。彷徨い人よ、この広大な宇宙には、様々な人間達が住んでいる。あなた方は、その、他の星の人々と、少し異なる理由の基に、誕生した。あなた方と、他の人々を分ける最大の違いとは、あなた方は、彼らと違い、初めから知性を、授かってはいなかったと言う事にある。かつて創造主は、変幻自在な我らの現し身として、固定の体を持つ生命を求められた。我らの現し身として、人間を誕生させたのである。」体の中に、心の耳を澄ませて行く。聞こうとすればする程に、わたしの心は体と離れる。神秘は全て、夜明けまだ遠い、深夜の眠りの中で、短い間、啓かれる。
2008.01.23
愛護団体や、活動家さんの内、やたらと専門家気取りになって、他人を批判したり、評価しようとする方々を見ていてふと、昔の自分に重なる部分が見えて来ます。私の場合は、愛護活動で、と言う意味ではないのですが、昔犬の業界ー犬界にいた時に、こんな勉強をした事があります。17歳の頃でしたか、千葉へ越す前なのですが、私はショーカットが勉強したくて、神奈川の某繁殖所(メインはポメラニアン)で働いていました。そこはショーに力を入れている所で、ご主人も、審査員の資格をお持ちでした。知る人ぞ知る、「スーパーマン」と言うポメが、一世を風靡していた時代です。確か交配料が、一回30万以上だったと思います。私がいた繁殖所も、ハドレー(イギリスにある、ポメの最高クラスの犬舎)の名犬がいて、一回の交配料は、18万。ハドレーの子は、600万辺りで、クラフト展(イギリスで行われる、世界で最も権威があるドッグショー)で、チャンピオンを「取る前」に、買ったそうです。下手にクラフト展で、チャンピオンを取ったら、一千万は値が付くからだそうです。(但し、チャンピオンが、BIS=ベスト・イン・ショー即ち全ての出陳犬の、最高峰を指すのか、BOB=ベスト・オブ・ブリードつまり、その犬種の最高峰を指すのか、どっちでしょう、確認しませんでした。当時はBOBで、1千万くらいだと思っていました。BISなんて、本当に、出してみないと分かりませんからね。全犬種の争いですから)まあ、そんな所で働いていて、数百万クラスの犬達を世話したり(勿論タダ同然の台雌の子も大勢いました)していると、本当に、犬種標準、と言う認識の中で、目が異常に肥えて来るのです。私がいた繁殖所は、ポメの世界ではトップクラスだったから、ショードックも沢山いたし、オーナーご夫婦のお仲間も、そういうショー・ドッグの飼い主や、プロ・ハンドラーばかり。委託を受けて、犬にショー・ドッグの訓練を行っていたから、まあ、「名犬」を拝する機会に、事欠かない訳です。当然、犬種標準で、犬を見る目を、厳しく養われます。各犬種ごと、「ルーツ」になる名犬がそれぞれいて、同じ犬種でも、顔や骨格など、特徴が分かれます。犬の顔を一目見て、老若男女が判断出来るなぞ、基本も基本。プロなら、顔を見て、その犬種の系統を見分けられなくてはなりません。例えば「スーパーマン」の血を引いた犬は、飼い主は、当然スーパーマンの特徴を受け継いだ子が欲しい訳だから、その血を色濃く受けた子を、ショーに出陳させて、いい成績を残し、また、スーパーマンの血を、栄えさせて行く訳なので、当然顔に、系統がはっきり出て来るのです。それを見極められて、一人前、と言う事です。私は本当に犬好きだったので、犬に関する勉強なら、食事を生きる上で取るがごとく、当然の様にこなして行きました。各地で開催される、ドッグ・ショーに足を運び、それぞれの犬の、犬種標準を暗記して、自分の手で犬の体に触り、正しい骨格の形とか、歯の咬み合わせなども、勉強しました。しかし、その過程で、大事なものを、失っていた事に、ある日気が付きました。ある休日、母親とたまたま、喫茶店でお茶を飲みながら、街を歩く人や、犬の姿を眺めていました。すると母が、一人の散歩中の、犬を見て言いました。純血種の子です。今となっては、犬種までは思い出せません。小型犬なのは確かですが。「可愛い犬ね~。」私は素早く、その犬の体や歩様に目を走らせました。頭蓋の形、背線のライン、尾付き、歩様・・。とてもその犬種の犬として、及第点には及びませんでした。決して、ショー・ドッグになれない犬です。マルならマル、ポメならポメの、犬種標準を下げる犬です。愛護家さんに批判される、三流の繁殖所出身の様な。ペットショップに、ただ「純血種」と言うだけで、何とか置かれ、安値で売られる子。小さいうちは可愛いが、大きくなったら、うちの犬、本当に純血種なの?他のマルより大きいし、雑種みたいなんだけど、と飼い主さんが、首を傾げる犬です。その犬を見て私は、こんな風に言いました。あれはダメだよ。マズルが長すぎるし、頭蓋も大きすぎる。キ甲も下がって、背線も歪んでるし、スロープやパスターンの角度も悪い。尾付きも低すぎるし、歩様はガニマタ。あの犬種は、シングル・ステップ踏まないとダメなのに。母は、ぽかんと口を空けて、私を見ていました。専門用語の羅列。普段、これで全て通じる人達と一緒に働いている訳だから、私も説明の習慣などついていません。彼女は、何を私が批判しているか、分かりません。でも、その時私は、あるとても重大な事に気が付きました。それは、「自分が、犬を見て単純に可愛いと、思えなくなっている事」です。それまでは、どんな犬でも私の目には愛らしかった。犬種に関係なく、全ての犬が、です。それが、繁殖所で、ショー・ドッグのプロフェッショナル達から、犬を全て、犬種標準で判断する視点を、教育されている内に、専門家としても知識や認識は、飛躍的に増したものの、犬に関わる人間として一番大切な、「犬は可愛い」と感じる、純粋な精神を損なわされてしまっていたのです(交配料が、一回で何十万とか、犬が一人数百万の世界で生きてる人間達は、すべからくこうした精神を衰退させています)。そして、中途半端な知識は、人間に勘違いを起こして、傲慢や尊大の過ちを犯させます。母と一緒で、何故私に、専門家としての口調が必要だったのでしょうか。自分が得た知識、共に行動する、犬に関しては数段普通の人々よりも、上の世界の仲間達を、ただ、それとはなしに、自慢して、ひけらかしたかっただけです。彼女に、専門家として学んでいる、自分との差別化を、図りたかっただけです。それを、自分が喫茶店で、上記の事を語った瞬間気が付きました。最も衝撃的だったのは、自分の犬を見る目が、曇ってしまっていた事。普通に犬を「可愛い」と評価する事を、「低レベル」と勘違いする様になっていたのです。何ていう自尊心の落とし穴でしょうか。それを、非専門家で、犬好きでもない母と、自分が語った言葉の違いによって、初めて悟ったのです。その時から私は、この専門家達の思想に、決して感化されない様に、常に自分の意識を健全な状態に保つ様にしました。可愛いものを見て、可愛いと感じる心を、死守しなければならないと。その純粋な精神は、どんな専門知識だろうが、及びも付かない程に崇高なものです。愛護活動をされている方達を見ていて、Tさんに代表される様な、他人への思いやりが一切なくなった、「専門家達」の言動を見ていると、この、17歳の時の自分を思い出します。この人達は、ネットや本や、愛護団体さんに関わり、何でも「犬の正しい飼い方=法令遵守」「殺処分廃止=避妊・去勢」と言う、「動物愛護哲学(宗教?)」の専門的教育に酔いしれてしまって、その立場から全て判断してしまう。その過程で、犬を助けたい、猫を助けたいと思う人を、共感を持って労わる、精神が損なわれてしまっていませんか。私には、そうはっきりと見えてしまいます。「こういう飼い方はだめ、こういう飼い主はだめ、いいのは動物愛護の、飼養管理士の様な、資格を持っている事など。自分達には、間違った飼い主や、活動家を正す役目がある。」こうやって、何でも自分たちの、杓子定規で計る習慣がついてしまって、専門家的優越感に酔いしれて、ただ、他者との差別化を図ってはいませんか?愛護活動に勤しむなら、何よりも、同じ犬猫の為に、精一杯の事をしている人間達が、それを評価して、共に頑張る姿勢がなくてはならないのではありませんか。多頭飼育を、何故そうなってしまったか、普通誰より理解が出来るのは、愛護家さん達であるはずなのに、残念ながら、この人方の多くは、それは「動物虐待」と、平気で非難します。これに対してむしろ、共感を持って理解してくれるのは、愛護に特別関心のない、一般人の方々の方です。犬や猫を、次々押し付けられて苦労しただろう、でも、捨てられないから、そんな山の中まで行ったのか、大変だったね、困ってる事はない?頑張ってね。そういう、「普通」の感覚を、持って接してくれます。これが「普通の人間」です。人の痛みを分かる気持ち。苦労を思いやる気持ち。専門家気取りになり過ぎると、人は得てして、そういう一般的な姿勢を失いがちになるのです。「特別な活動家」になってしまう余りに、「普通の良心」を、損なってしまっているのです。ただ、可哀想と思う気持ち、そうした優しさを、教養の低さ故と見下して、小馬鹿にする姿勢を持ってしまうのです。ご自分達の目が、心が、曇ってしまっていないか、よく見極めてみて下さい。あなたに、同じ犬猫を抱えた人間を、労わる気持ちはありますか?よく頑張ったねと、称える優しさは残っていますか?何か困ってる事はありませんかと、思いやれる気持ちは失われていませんか?その人が、犬や猫と頑張れます様にと、祈る気持ちは存在していますか?それがなくなって、ただ、一つの飼い方、一つの価値観から、同じ活動家を批判する気持ちしか自分の中に感じられなかったならば、あなたは活動家として、一番大切なものを、知識と引き換えに、活動と引き換えに、失ってしまっているのです。少し、専門知識や、専門家としての認識と、距離を置きましょう。一般論しか知らなかろうと、「心」がある人ならば、専門知識を学んでいなくても、決して間違いは犯さないものです。即ち、生き者を虐待しません。殺したりしません。優れた精神や心は、どんな専門知識にも勝ります。動物行動学者達は、「動物」を擬人化する事を禁忌としていて、例え僅かでも、それを行った場合は爪弾きにされます。ですから、行動学者は、アニマの心を想像する事を恐れます。学会から、追放されたくはないからです。西洋学識の中では、アニマはデカルトが16世紀に語った、「動物とは魂のない機械である」との考えを、未だに継承していて、果敢にその偏見に立ち向かう学者達を、とても困難な状況に置き続けています。その為、本当に犬や猫、アニマを正しく評価し、表現出来るのは、「動物行動学者」よりもむしろ、一介の、犬猫好きの、優しい人間であったりします。同じ、飼い主に裏切られた犬猫を、必死に背負って生きる活動家に、愛護家が、唾吐く真似をして、極々一般の方の方が、その苦労を慮れると言うのは、恥ずべき事です。本当なら、誰よりも、同じ活動をする方達こそ、互いの苦労を理解出来合えるものだし、支え合う事が可能なはずではありませんか。愛護活動家としての意識の発露が、非人間的な姿勢へと人を変えて行くのなら、そうした活動は、あなたにとって、全く道徳心の発露にはなり得なくなるのです。全ての、愛護団体さん、活動家さん、今一度、人間としての原点を再確認しませんか。もし我々を、専門知識が分かつなら、我々は友愛を取り戻す為に、そうした足手まといになる、専門知識は捨てましょう。純粋な人間に戻って、他人を大切に出来る心を取り戻しましょう。我々の活動を、成功させる事が出来るのは、専門家や、活動家としての驕りではなく、命を尊いと思う、仲間を慈しもうと思える、純粋な精神のみであると思っています。
2008.01.16
言動不一致に、最近の日本人は慣れすぎです。 私なら、差別法に反対する人間が、まず、その法律を尊守するから、撤廃行動にご理解 下さい、なんて言っていたら、この軟弱者が!と、突っ込みますよ。 こういう行動の取り方を理解出来ない方は、概ねこういう事も、仰ります。 犬が可哀想。里親に出さないのは虐待。 収支報告は?携帯電話代は、どうしてるんですか? つまり、自分が人権侵害や、プライバシーの侵害をしていると言う事を、全然分かって おられない方に、とっても多いのです。 犬が可哀想って言うのは、捨てる人間に言って下さい。 押し付けられた私に、限界で育てられないなら、捨てられた子を、私の手で、保健所に連れて 行けと言う訳でしょうか。 (それとも、ネットで里親を探せと? 私はこの活動では結構な古株で、パソコン所か、ポケベルさえ 、なかった時代からなんですよ。 ついでに、パソコンを自由に使える様になったのは、B君からパソコンを頂戴した、去年の2月?辺り からです。それまでは、友達の家で借りただけ。しかも、里親が決まらなきゃ、ずーっと自分で面倒 見る訳なのですよ) 何だって、私がそんな役目を引き受けなくてはならないんです? 真っ平ご免被ります。 そうしないと、他の犬が可哀想? 他の子の為とは言え、捨てられた子も、保健所になんか連れて行けません。 だから多頭飼育には、初めから最後は、死ぬ覚悟が必要なんです。 必ず崩壊するのだから。 必ずです。 私が今も、ギリギリで持ち応えているのは奇跡です。 まさか35歳まで、生きて続けているなんて、初めて命を捨てる覚悟をした、20歳の頃なんて 思いもしなかった。 30歳前には、崩壊して、私も子供と共に、死ぬだろうと考えていた。 里親制度を、私はここで、本気で批判した事はありません。 それは、里親譲渡を行って、頑張っている愛護団体さんを、意見や考えは違えど、成功 する様に、祈っていたからです。 でも、里親に出さないと、家の子が可哀想だとまで、赤の他人に言われるなら、私も言います。 里親制度は、全く見も知らない人間への譲渡なんです。 ネットや、会場で、初めて会った人に、条件文や、契約書にサインしてもらえば、渡せます。 友人でも、何でもない人です。 どうしてその人が、最後まで大事にしてくれると犬や猫に、保証が出来るんですか? 里親に出したはいいが、最近の様子を知らせてくれないから、見に行ってみたら、懐かなかったと 言う理由で、既に保健所にやられていた。 虐待目的の人間だと、見抜けずに渡してしまった。 アニマ実験業者に、売られてしまった。 後から知って、声を上げて泣いたと言う、愛護団体さんの話は、枚挙に暇がないんです。 里親制度とは、必ずそういう危険を含むのが、宿命なんです。 多頭飼育の宿命が、崩壊である様に、里親制度は、後で犬や猫を平気で殺す人間の手に、 必ず、どの子かは、当たってしまうのが宿命なんです。 決して全ての子を、幸せにはしてやれないと言う事が。 だから、どちらも正解じゃない。 どっちも大きなリスクが伴う。 一人、二人の犬や猫を捨てて、捕まった個人が一人でもいるんですか? 保健所に連れて行ったって、それは合法なんですよ。 素性の分からない人間に、法整備もされていない、生命倫理も徹底されていないこの社会で、 無力な犬猫を渡したら、何人、或いは何十人に一人は、そんな運命になる、子がいて当然じゃないですか。 何を、分かり切った結果で泣いているんです? そのリスクを踏まえないで、里親探しをしてるなら、多頭飼育者なんて比較にならない位、無責任な 事ですよ。 何の保証もない他人の手に、渡される犬や猫が可哀想です。 所詮、この社会で、責任の取れない事をやっているんです。 一度、保健所から、命からがら助かった子を、もう一度、保健所に入れて、殺させてしまったんです。 健康な、幸せになって欲しかった犬や猫に、実験室で、病気の細胞を、植え付けて殺させたかも 知れないんです。 想像してみて下さい。 みなさんの犬や猫が、他人の手で、保健所に行く所を。 実験室で、むりやり病気にさせられて、白衣を着た人間達が、経過を記録している所を! 里親制度には、必ずその可能性が付きまとう。 里親に出された子のうち、必ずそうなる子はいるんです。 この国は、実験を規制している国でも、殺処分がない国でも、生命倫理が徹底されている国 でもないのですよ? 私に、うちの子を、里親に出せと言う方は、そういうリスクを真剣に考えていますか? そして、うちから里親に出した子が、そういう運命を引き当ててしまったら、どう償ってくれるんですか。 死んでお詫びをする覚悟があって、私が自分の命よりも、大切にしている子供達に、それをしろと 言うんですか? 里親に出されたばかりに、残酷な死を迎えた子達に向かって、何と仰るつもりなんですか。 私は、愛護団体の方々が、こうしたリスクを覚悟の上で、他に方法がないからと、神様、仏様に 祈りながら、必死で相手を見極めようとして、犬や猫を託しているのを知っています。 ですから、それを批判する気は毛頭ない。 どうか、愛護団体さん達の願いが、叶えられます様にと、私もいつも願っています。 どうか、里親に行った、全ての子が助かっています様に。 でも、私は臆病で、とてもそれが出来ない。 百万に一つの可能性でも、私の助けた子が、保健所や、実験室で死ぬ可能性がある限り、 それは絶対に出来ない。 だから多頭飼育の人生を選んだんです。 愛護団体や、活動家の人達も、私があなた方の思いと努力が、必ず通じます様にと祈っている 様に、この私達も、どうか崩壊する事なく、殺処分が終る日まで、持ち応えてくれる様にと、 祈っては頂けないのでしょうか? 互いの成功を、祈りあってはいけませんか? この絶望的な状況で、犬にも猫にも、100パーセントの答えは、誰も出せない。 だからこそ、その中で、それぞれの選んだ方法で、頑張りあってる仲間達に、エールを送り合う事は 出来ないんですか? 全部なんて助けられないんですー私も、愛護団体も、活動家さんも。 助け合いながら、励ましあいながら、時に一緒に泣きながら!!何で社会を変える為に、 共に戦う事が出来ないんですか! 潰し合いをして、一番そのリスクを負わせられるのは、犬や猫だと分かって、他人の否定をやって いるんですか!? こんな精神の低さで、何でボランティアなんてやっているんですか? 犬や猫を、余りにも、甘く見ているのではないですか? 人間に対してのボランティアさん同士で、愛護団体同士みたいな、下らない争いはあるんですか? ボランティアって、奉仕よりも、自分達が、一番正しいと、証明する事の方を差すんですか? こんな否定ばかりが、書き込まれては、本当に気力が奪われてしまいます。 携帯電話の支払いは? 収支報告は? 法を違反している人間ふぜいが、何をモラルを問いているんですか? こうした書き込みをする人方は、みんなこういう精神みたいです。 支援募集をしていないのだから、テレビや雑誌に出ても、支援金や物資など、殆ど実際には 集まりません。 これは誓って本当です。 せいぜいが、2、3人の方から、フードやお金が、一度の報道で、殆ど全て、一度だけの援助で、 送られてくるくらいなのです。 報道されても、全くない方が多いくらいです。 支援の収支報告とは、支援募集をしなければ、発生するものではありません。 個人でやってる人間に、「携帯電話はどうしているんですか?」 これは、人権侵害です。 プライバシーの、著しい侵害です。 支援金のみで運営している、団体さんには、全ての収支報告の義務があります。 支援募集もしていない、個人の人間に対して、ネットで携帯電話代をどう捻出しているか、 答えて下さいと言ったら、立派な人権侵害なんですよ。 こんな事さえ分かっていないから、私が法に立ち向かって取る方法も、その真実が全く理解 出来ないんです。そういう人方には。 私は臆病者なので、支援募集は出来ません。 昔からみんな、私が生活で苦労してると思うと、この二つの言葉の、どちらかしか言って くれなかった。 「里親に出したら?」 「保健所にやっちゃいなよ。」 100パーセント、どちらかです。 私と子ども達の、共に過ごしている一日、一日の重さを、誰も考えてはくれない。 私達の、お互いに対する愛情を、ほんの少しも考えてくれない。 育てるのが大変なら、里子ーか、保健所。 物じゃないんです。 一分一秒、色んな瞬間を交わし合いながら、一緒に生きて来たんです。 共に明日を生きる未来を、生活苦だからって、簡単に捨てられれはしないんです。 最後まで、みんなで幸せに、頑張って生活したいんです。 でも、それしか言ってくれない。 だから、強がって生きます。支援募集はしません。 支援募集もしていないのに、支援報告をしろ、なんて人が平気で発言出来る世の中では、 私は怖くて、お金なんか集められません。 いつも、理解あるコメントを下さる皆様、こういう方が、私のブログでまた騒ぎ始めました。 これ以上、日常で悩みの種を、増やす訳には行きませんので、上記の理由から、無期限で、 コメント欄は閉鎖致します。 私へのコメントは、たまに私書箱でも、ご利用して頂けたら、とても嬉しいし、励みになります。 波乱で幕を開けてしまいましたが、今年も宜しくお願い致します。
2008.01.12
Tさんのブログは、私がお邪魔した時、丁度「多頭飼育崩壊レスキュー」って言う、私の大嫌いな話題でした。愛護団体の、個人多頭飼育崩壊に関しての非情さは有名です。とにかく、叩く、叩く、叩く!!同じ、犬猫を見捨てられなかった人間、なんて言う思いやりは、目に見えないチリ程もありません。こう言っては失礼ですが、所詮愛護宗教の、覇権争いで年中内紛をやっておられる方々です。崩壊した多頭飼育者なんて、自分達の権威を示す、カモでしかないのです。駆けつけて、必殺「レスキュー」(何でカッコつけて、英語で言いたがるんですか、愛護論者って。多頭飼育崩壊は、「アニマルホーダー」なんだって。自分でアニマルホーダー言いながら、私が生き者を、「アニマ」と呼ぶのにTさん難癖つけます。ブッシュ大統領の、失言並みに、完璧過ぎるボケで突っ込めない。違う世界の人間なんですね、きっと)の手柄を取って、周囲に多頭飼育者をこきおろして、威張る威張る。本当に、鬼の首でも取った様です。で、丁度そんなご自分の手柄話で、正直、斜め読みしかしていませんでした。しかし、何度か書き込ませて頂くうちに、登録してしまったのが、その日記のページだったから、毎度目に付く訳です。で、何度かに分けて顔をしかめて読んでいたら、これがとんでもない内容でした。Tさんは、「東京都の動物愛護推進員」と言う事で、活動をされているそうなんですが、12月10日の日記で、前日の日曜日、行政と保健所の人間と、ある多頭飼育をしている、50代の、女性宅へ伺った模様です。そこでは、34人の犬が飼われていました。他に、7人が、病死して、床下に埋められていたそうです。死んだ犬達は、飼い主さんが、「漢方療法」で治そうとした様ですが、結局助からなかったそうです。Tさんのお仲間の、若い方が「何でこんなに増やしたんだよ!」とか、「アンタねえ、獣医にも見せずに死なせちまって、可哀想だと思わないのかい?」等と、かなり慇懃無礼な口調で、その女性に詰め寄りました。Tさんも、感情的になって、女性に詰め寄る所、仲間に抑えられた、とあります。ちょっと嫌味になってしまいますが、Tさんは、自称「鬼舅」で、常に、若い方達の、モラルや感情的になる所を、教育する立場だそうです。失礼ですけど、これは嘘でおられます。もし、本当にそんな教育をしておいででしたら、恥ずかしくて、自分が教育を施した「若い衆」の、人様に向かって、「アンタねえ~ちまって、~思わないのかい?」と言う様な発言を、ブログでは普通書けません。自分の指導力が不足していた証明ですから。で、結局その皆さんは、女性から犬を全て取り上げて、愛護センターに連れて行こうとしていたのですが、女性はそもそも、ご自分から助けを求めた訳ではない為、当然拒否しました。それを、所轄の保健所の方が、説得をしている間に、Tさん達は、犬を自分達の車に乗せた、とありました。女性はその時、手放す為の、契約書にサインしたそうですが、いざ、車に乗せられた、我が子達の姿を見て、泣き叫びながら、車の周りを回ったと言います。Tさんは、女性が犬に対して、「ごめんね」と言う言葉を言わなかったと、見下した文章で切り捨てていました。結局、女性は精神科に、Tさん達の判断で送られました。犬は、愛護センターに送られました。「愛護センター」です。「愛護団体」ではありません。そして、自分たちが、女性の借りている、借家の大家さんから、お金を頂かないで、遠慮した様子を、誇らしげに書いていました。行政と、保健所も、「日曜日に休日出勤」したと、感謝の言葉を綴っています。本当に不快と疑問を持って、何故もっと、同じ命を愛する人に対して、思いやりを持った手助けが出来ないのか、何故、奪い取った犬を、愛護センターに送ったのか、訊ねました。ここら辺から、Tさんの、コメントへの返信がなくなりました。次のブログで、「犬は愛護センターに送った後、団体譲渡の手続きをして、自分達と懇意の、愛護団体へ移されました。」と、ありました。続けて、件の女性が、自分達と近隣住民と行政を、「東京地裁」に訴えた、とありました。Tさんは、緊張するでも、何でもなく、「何故、家賃を滞納する人間に、切手代があるのでしょうか。疑問です」と、本当に、ここまで見下すかと、思う程の潰し方をしてました(他人に、たった80円のお金があったら不可解ですか)。この日記に納得が行きませんでした。愛護団体は、どこも手一杯です。34人、一気に受け入れられる、施設なんて普通ありません。犬達は、本当は愛護センターで殺されたのではないかー、そういう恐怖が、まとわり付いて離れませんでした。Tさんに、譲渡した愛護団体を、教えて下さいと、掲示板で書いても、全く無視されました。そして、次の日記で、「29~30日の2日で、29頭の犬が、里親さんに引き取られた」とありました。残りの犬は、遺伝病などで、獣医さんにいるそうです。自分は、水頭症の子を、引き取ると、美しい文言で書かれていました。たった2週間で、テレビ報道もなく、29人の成犬が、飼い主を見つけるなんて、あり得ません。そんな簡単なものではありません。いよいよ、犬達が愛護センターで殺された可能性が、高くなったと思って、私は直接、1月7日に、東京都の、「動物愛護推進員」制度を作った、保健局の、環境衛生課と、東京の愛護センター本部である、世田谷の愛護センターに電話をしました。万一ー、百万に一つでも、Tさんの話が本当なら、その女性に、一人でも二人でも、犬を返してあげる様にお願いだって、しなくちゃならない。するとまず、「動物愛護推進員」に、Tさんなる、該当者はおりませんでした。更に、もっと驚く事に、愛護センターに、9日、(以外でも)34人の犬が、動物愛護推進員と、行政、保健所の職員の手によって、収容されたと言う事実は、全くなかったのです。愛護センターで、応対頂いた方は、女性が自ら、手放す意思がない犬を、女性が錯乱するほどの状態で、行政が連れ去る事は、あり得ないです、と言っていました。東京都は、無料で避妊、去勢をしてくれる獣医さんを紹介するなどして、捨て犬などから、多頭飼育になってしまった方に、協力をするのが方針です、と。まして、飼い主を精神科に送るなど。それは、犬の所有権と、女性に対する、人権侵害です。本当にその方、東京の推進員ですか?と、私が逆質問を受けた程です。ここで初めて、それがまた、ネットだからこその、自作自演だった事に気が付きました。あぜんとしましたがー、犬が、愛護センターに連れて行かれた事が、嘘であって良かった。犬の飼い主さんが、精神科に送られる様な、心が壊れる、悲劇がなくて良かった。逆に、私は安堵しました。(正直、こうした事には既に免疫がありますから)さて、掲示板は、この間に大荒れ・・。リモートホスト公開なんか、何の効力もありません。ババアだな、コイツだの、元旦に犬を亡くした方が、それを「死なせたのですね?」なんて書き込みをTさんにされて、感情が爆発して、暴走したメールを続ければ、他の方が、大丈夫ですか?正気をなくしましたか?元々正気じゃないか♪と言うコメント(この方は、後に削除して下さったけど)。正月早々、吐き散らかすかと思いました。ごめんなさい神様、ずっと看病してた犬が他界して、それをブログで報告したら、「死なせましたね?」なんてコメント受けて、正気でいられる方とは、私は近所に住みたくありません。別の意味で、医師の力が必要な人です。それでは・・。まあ、本当に凄かったです。で、Tさんの日記が、間違いだと分かってからは、Tさんについての話題がなくなったのですね。それまでは、「Tさんの活動はとても素晴らしいものです。何故、批判なんかするのでしょうか。」みたいな書き込みと、私や他の人の、「犬は本当はどうなったか、もっと飼い主を思いやる判断は出来なかったんですか?」と言う書き込みが、拮抗していたのですが。そもそも、一番犬達と、女性を心配してた私が、行政に電話して、事実を確認して、嘘だと分かって、Tさん責める所か、「嬉しい~」で、ケリつけてしまったもので。あのまま、「何で嘘ついたんですか、それとも証拠があるんですか、答えて下さい!」を続けていたら、以前の騒動と同じ、Tさんのブログ閉鎖しかなくなるかも知れないと思いまして。それで、私はもう、嘘だと分かったし、Aさんに対する否定を止めて下さいと言うお願いも、無視された以上、もう、書き込む事は何もないので、お暇しました。しかし、お暇乞いをするほんの少し前から、Tさんネタがなくなった掲示板で、「若樹叩き」が始まりまして。このブログでも、散々お馴染み。狂犬病注射も打たずに、拒否するなんてそれでも日本人か、って言うアレです。で、その人達が、私があちらの掲示板に行かないもので、こちらにまで、次々おいでになって来た訳です。
2008.01.12
皆様、今年も宜しくお願い申し上げます。さて、コメント欄を、新年早々閉鎖する事にした、経緯をご報告致したいと思います。発端は、私のヤフーブログでリンクをさせて頂いている、仮に「A」さんと呼びましょう、その方のブログに、ちょっと常識外のコメントが、連日朝から晩まで、書き込まれる事でした。それは、とある「動物愛護推進員(自称)」の方によるもので(以下Tさん)」、平たく言えば、愛護活動家同士の諍いでした。ご存じの方も多いかと思いますが、愛護団体同士や、活動家同士の、仲の悪さは有名です。彼らは、「動物愛護」に向けて、方針や見解を異にしている訳ではありません。殺処分を減らすには、去勢、避妊手術が不可欠(殺処分自体は放置でしょうか)。殺処分までの、猶予期間の延長を。犬の放し飼いは禁止すべし。つまり、根幹は、私と違って全く同一のものなのです。私の場合は、殺処分そのものの撤廃。野良を肯定しよう。犬は繋ぐと気性が荒くなる。避妊、去勢は、他人の体にする以上、基本的に肯定出来ない。少ない数の犬や猫を飼育してる場合は、女の子の陰部に、カバーをつけるなどして、避妊をすべき。どうしても手術するなら、極力、パイプカットや、卵管を縛るなど、生殖本能への影響を、最小限に抑えられる手術を選択しよう。ですので、意見が異なって当然なのですが、何故か愛護活動家さん同士、基本的に、意見の完全一致を見ているのに、あっちもこっちもで言い争いがあります。大きな問題では、裁判までなされている方達もおられます。何で争っているのかと言うと、つまりは宗教同士の、内紛と全く同じの様です。一つの宗教が、宗派や派閥に分かれて争っているのです。こうした争いの理由は、最も大きなものとしては、覇権争いです。何しろ根幹の教義は、幾つ派閥に分かれても、全く同じものなのだから。その宗教が合わないとなったら、別の真理を求めれば良い訳で、それをせず、そこの宗教に帰属したまま、派閥に分かれて争う事は、結局は、人間同士の合う、合わないが、宗教の教義よりも、重んじられている訳です。つまり、犬猫を救おうと言う精神が、人間同士の好き嫌いを超越出来ないのです。(余談かも知れませんが、私は以前、「愛護と愛誤」と言う日記に書いた通り、愛護論者ではなく、汎神論者です。その為、思想がそもそも異なりますから、常にこうした争いを、客観的に見ています)Aさんのブログへの、Tさんの書き込みは、正しくそうした、別の派閥の方に対する攻撃でした。昨年から、犬猫問題について、ネットやブログで関わり始めたばかりのAさんに、これはよく起きる事だから、お気になさらない様にと申し上げて、(私はどうぶつ愛護論とは、真っ向から異なる意見を持っていますが、考えが違えど、犬や猫を愛する心があって、他人の考え方を否定しない方は、基本的に全て好ましく思っています)その内落ち着くだろうと、静観をしていました。また、Tさんの書き込みによる、世論誘導が原因となって、Aさんのブログで、集団心理が発生して、ブログが炎上しない様に、Tさんのコメントを無視した、普通のコメントを、たまに入れたりしていました。所が、書き込みの執拗さは半端ではありませんでした。私だったら神経が持たないと感じる程、朝から晩まで(引退された、ご老人でおられるらしいので)続く書き込み。Aさんも、よく仕事の手を止めて、お付き合いすると思うほど。でも、これに関しては私はとてもよく分かります。こうした嫌がらせコメントって、放置しておくと、必ずブログで世論誘導をされますから。一つ、二つ入ったら、炎上大好き2ちゃんねるから、お客さんが押し寄せて来ますからね。反論して、自衛に出ないと、早晩ブログが潰されます。ま、やっても意味ない事が多いので、そうなったら、さっさとコメント欄は、閉鎖した方が利口ですね。時間のある方なら取り合わず、片端から削除する事で、対処が出来ますし・・。私が傍観出来なくなったのは、Tさんが、Aさんの、日記の内容問わず、執拗に書き込むのを見続けてからでした。Aさんが、ご自分の、行政や世間に対する、考えを書いた日記で、批判するならまだ気持ちも分かります。でも、Tさんは、当時Aさんが、愛護センターから引き取った、年を取った、心臓に問題がある、ななちゃんと言う犬の、闘病日記まで、構わず書き込みを続けました。ななちゃんは、胸に大きなこぶを持った子で、飼い主が愛護センターに連れ込んだ所、見兼ねたAさんに救われました。ななちゃんは、手術を受け、こぶは取れたのですが、心臓は安定しませんでした。もう、年である事もあって、Aさんは、無理に何とかするよりも、新しい自宅で、好きなものを食べさせて、ゆっくり余生を、と、思われた様です(獣医さんの勧めでもありました)。それが、「気に入らない」と、病院に連れて行かないのは虐待だ、最低の飼い主呼ばわりでした。ななちゃんが、起きたりする事が減って行くに従って、Aさんのブログは、ななちゃんの介護日誌に変わって行きました。AM:何時、ななちゃんおトイレ、PM:何時、何々を食べる・・・と言う様な。そこに朝から晩まで書き込みです。Aさんが少しでも返信が遅れると(自営業で、ななちゃんの介護をしながら、他の犬や猫の、面倒も見られている方です)、「答えられないのですね。」「あなたが間違っている事が証明されました。」等々・・。たまりかねたAさんが、あなたの血液型は何ですか?と、皮肉交じりにコメントしたら、延々血液型の議論が始まるのです。本題はどこへ行ったのでしょうか。でも、いつもこんな書き込みばかりです。本題は交わして、Aさんの文章力を批判したりー日本語をきちんと使えと。文章が混乱したら、もう、目も当てられない意地の悪さの中傷です。日本人です。多少の混乱した文章くらい、文脈を理解して、内容を把握できないのでしょうか?少なくとも、Tさんの書き込みで、本題である愛護精神や、活動についての書き込みは、本当に、僅かしか見ませんでした。ななちゃんが、何時に何を食べた、とかの日記です。読めば誰だって、弱ってるんだな、付き添いが必要なのだな、と分かるはずです。でも、Tさんは、どう見ても飼い主さんから、付き添いの時間を奪ってでも、自分とネットで言い争って欲しいとしか、思えませんでした。これに便乗して、Aさんに、「テメー」だの、「ババア」だのと言った、問題外の台詞で、喧嘩を仕掛けて来る人間もいました。仮にその人を、「12」さんと呼びますが、するとTさんがAさんに対して、12さんがあなたに言ってる事は正しいと、指摘するのです。「テメー」ですよ。「~しやがっただろうが!!」こんなコメント、持ち上げたら人間性が疑われますよ。流石にここで、私の忍耐も終ってしまいました。そこで、Tさんと12さんを名指しさせて頂いて、もう止めましょうよ、と、お願いしました。そうしたら、今度はTさんは、私に向かって、「ブログ主さんが、ななちゃんに洋服を着せる事は間違っています。犬は元々、自然の「くぼみ」を利用して生きて来ました。うんたらかんたらで、若樹さんはどう思われますか?」と言う質問をなさいました。どーーーーでもいいですよ。寒い冬の時期に、病床の老犬に、保温の為に洋服を着せるかどうかなんて、飼い主さんの判断でしょう。何の専門知識が必要だと思いますか?服を着させれば寒くない事を、認識してれば十分ではありませんか。ついでに、犬は「くぼみ」を普通利用しません。自分で掘った穴を利用するんです。元々野生で生きてた犬は、外敵から、身を守る本能があるのです。くぼみなんかで寝ている所に襲われたら、逃げ場がありません。戦いと言うのは、上から仕掛けた者の勝ちなんです。くぼみは、低くて逃げられない上、四方八方から攻撃される。穴の中なら、正面から来る敵を、入れさせなければやられません。家の子で、自然のくぼみで寝る子なんていません。普通犬は、平たい土の上を好みます。陽が当たる所が大好きですから(勿論夏は日陰ですが)。それか、自分で掘った穴です。でも、出産や、天気の悪い時くらいしか、それほど穴の中には入りません。穴堀はみんな大好きだけど、そんなに利用はしないのですよ。あの時は、余りにも本題がずれるから、適当にしか答える事が出来ませんでしたが。こんな様な議論も、延々続きました。ななちゃんの容態を伝える日記で。いつまで止めてもやめてくれない。痺れを切らして、Aさんのブログで、「AさんとTさん、どちらが先に議論を止めるかで、お二人の、ななちゃんに対する気持ちの、真贋を見極めさせて頂く!」と、仲裁に入った人間が、本気で怒ってどうする状態で、コメントしました。それでも、そのコメントを読んで下さった瞬間、Aさんは、コメント欄を閉じました。余りにもTさんの書き込みが止まらないから、Aさんのブログに見える、他の方達も、私も、ずっとコメント欄の閉鎖を、お願いしていたのです。一方Tさんは、そういうコメント攻撃の合間に、ご自分のブログを、FC2に作られました。ただ、こちらの掲示板は、用心深い事に(後で全く無意味だと証明されてしまいましたが)掲示板に書き込むと、リモートホスト名が、自動的に公開される様になっています。アラシ行為を防ぐ為、と断っておられましたが、なるほど自分がそうした行為をされる方は、そうした書き込みへの警戒を、十分にされるのだと、感心しました。私としては、Aさんに、掲示板を閉じて頂いた以上、再開した時に、またこの方が現れて、同じ事を繰り返されない様に、ほんの少しでもいいから、お二人の仲立ちをしておかねば、と思ってました。Aさんは、私のコメントでコメント欄を閉鎖された訳ですから、一日も早く、安全に再開出来る様に、根回しするのも、提案した自分の責任。そう考えていました。そこで、リモートホストを公開されるリスクを分かった上で、Tさんの掲示板に、お邪魔させて頂きました。で、まあ、愛護活動家同士、喧嘩は止めて、協力し合えないものでしょうか、といつもの長ーい文章で、人様の掲示板で散々お願いしましたが、お答えはNO!!でした。
2008.01.12
PINKHEAT様、コメント欄を閉鎖するのに、タッチの差で間に合って、コメント頂きました!明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。そして、コメントを有り難うございます。実はまた、非常識なコメントが続くと思われますので、暫くコメント欄を閉鎖します。詳しい事情は、後ほど書きますね。私は、断じてコメント欄は、二度と荒らさせない方針ですので、皆様宜しくお願いします。やっと、正月明けの忙しさが終ったので、今夜中に(遅くても明日には)ブログが更新出来ると思ってます。さー、自由だ!好きな事書くぞおおお!!(^0^)/(おっと、常識の範囲でですよ♪)
2008.01.09
今日が仕事納めでして、明日から山でまた暮らします。テントが寒すぎて、風邪をこじらせてから、友達に乏しい材料で、「兎に角中で、薪ストーブが焚ける家を作って。」とお願いし、色んな仕事と平行してやってたから、完成が遅れに遅れ、やっと何とかなりました。明日は、最低限必要なものを運び込んで、寮から引越しです。余談ですが、明日は大晦日。北海道では、この日に盛大なご馳走を頂きます。私にも、お客様から、先程年越しのお誘いがありました。お相手は、町の名士。お家の飾り棚の中にも、カミュの、ナポレオンブックとか、沢山あります。いや~、悪魔の誘惑でした。引越しを、一日ずらせば、大ご馳走にありつける訳で。今月、出費が半端じゃなかったですもん。年越しだろうが新年だろうが、ラーメンにもちを入れるしか出来ません。クリスマスは、ラッキーな事に、もっと贅沢で、仕事が終わって、以前バイトしたコンビニに、ゴミ袋を買いに行ったら、店長と会って、期限切れのお弁当を頂いた。カツ丼に、同じく賞味期限切れで、半額のビール。これは贅沢でした。ってな食生活の人間に、ナポレオンブックのあるお家からのお誘いは、普通の方なら、高級ホテルの、スイートルーム、無料招待に与る様なものでしょうか。断ってきましたよ~。鉄の意思を持って。明日は、子供の所に引っ越して、一緒に年越しをするんだと。ラーメンにもちしか食べれなくても、私は子供を年越しの相手に選ぶんだと。やー、断れた自分に拍手。明日のご馳走想像したら、ヨダレが足元に、池でも作りそうなんだけど。子供にとっては、グレゴリウス暦など、全く意味ないのにね。単に、自己満足の年越しなのに。やっぱり、子供が一番目に大事なんですよね~。こうやって親の愛情を証明してたら、いつか飛び蹴り愛情表現とか、勘弁してくれる様になったりしますかね。だめか~、甘やかし過ぎか~・・・・。「今の蹴りは効いたぞ・・。」とか、抵抗しないで言ってちゃだめだね。そんな訳で、まだ大晦日の夜が明けていない内に、年内最後のご挨拶を致します。今年も色々お世話になりました。今年は去年より、ブログ更新する時間も体力もなく、書きたい事が書けなかったのが、とても悔やまれるのですが、過労働は、如何ともし難くて。本当に申し訳ありません。来年も、頑張りますので宜しくお願い致します。あっ、年賀状はいつプリントされて来るんだろ??出すの、早くて3日になりそう。うはは。うち、仕事初めは2日からだから、最初のお客様、年賀状を手渡ししそう。大恥、生き恥。それではどなた様も、良いお年を。 若樹
2007.12.30
書きたい事が山とある。でも、眠いのです。疲れてる。今日はまだ、昼食も食べていないし。取り敢えず、まずこれだけは書かねば。週間女性自身、明日発売の号に載るはずです。取材は15日で、最初は年明けの号、って伺ってましたが、早まったみたいです。前回、今回は、取材側の目線が主役の記事です。2月の取材は、私の訴えたい事が中心になります。本当は、橇を引く間ももどかしく、今すぐ行動に移したい計画が山とある。でも、どうしてもまずは最低ラインでも生活しなきゃ。そんな訳で、山小屋の薪の準備にも追われています。子ども達の家も、もう少し何とかしたいし。時間も、何もかもが足りない。こうしてる間にも、毎日殺される子達がいます。クリスマスは平日だったから、ケーキの代わりにガスを吸わされ、処刑された子もいたでしょう。或いは薬殺で。やっと引越しもほぼ終ったし、私の山小屋も友達が、明日で完成させてくれる。まだまだやらなきゃならない事は、山積みだけど、それでもようやく整い出したこの時期に、丁度冬を迎えるのが悔しいです。これからは、橇引きにかかるから、殺処分撤廃活動の開始を、春まで待たなきゃだめか。やりながら、計画を実行に移せるか。体が持つか。明日殺される子達がいます。こんなに頑張っても救ってあげれない命。死んだら、二度と取り戻せない。その目に、二度と光は戻らない。その子達に対する思いが、私を急かさせ、急かさせて、時間が足りないのを、無力感で取り巻かれる辛さ。人生で、暇を感じた事がない。退屈を感じた事もない。時間が余ってる人達のそれを、私に分けてもらえたら。
2007.12.26
最近、犬や猫や、コンパニオン・アニマルの葬儀社で、詐欺的行為が横行しているそうです。ご遺体を受け取った後で、最初の取り決めの金額では火葬に不足だから、更に数十万を、支払うように強要されるとか・・。家人は、泣く泣く大金を、詐欺と分かって支払うそうです。心ある方でしたら、何としても、最後はお供養してあげたいですものね。その心理につけ込んだ、問題業者の被害が、加速度的に増えているそうです。業者は、ネットで依頼者を募集しているそうです。詳しくは、私は知らないのですが、きちんと企業として、運営している様子ではないのかも知れません。某マスコミでは、この問題にとても危惧を感じていて、被害者の声を集めて、問題の業者の実態に、肉迫して、不正を暴きたいと頑張っています。その、情報集めの為に、私にも今日、連絡を頂きました。私は、自分のブログ以外、情報をお願いする術がありませんので、この場を頼って、訪問者の皆様に、こうした被害に合われた方や、被害者のお知り合いの方に、もし、訴えたい事がある方がいらっしゃったら、情報提供をお願いしたいと思います。私書箱に連絡下さいましたら、情報を探しておられる、マスコミの方に仲介申し上げます。彼らは、業者を暴くために、多くの情報の、助けを借りたいと思っておられます。失われた命の、亡骸までが、人間の金欲に辱められるのは、同じ人間として、非常に耐え難い事です。どうぞ、この世に現れた命には、最後まで一歩引いて、傲慢になることをなく、尊重の精神を忘れません様に、ご遺体を辱める、業者の方の良心が、覚まされる事を信じて止みません。その為にも、彼らがその行いを、一日でも長く、社会にて放置される事がありません様に。彼らに、やってはならない事を、社会が教えて、それを止める事が出来ます様に。報復ではなく、制止の力となる為に、告発のご協力をお願い申し上げます。*この日記は、転載して下さって構いませんし、もし、大まかな内容だけでも、ブログをお持ちの方は、ご自分のブログで紹介して下さったら、幸いです。
2007.11.19
まだフジテレビの取材の報告さえ出来ていませんが・・・女性自身の記事、好評でしたようで、また更に二回、12月、2月と、取材が決定しました。12月の取材は、我々の越冬準備が中心になりますが、2月の取材は、私の訴えたい事を、中心にして下さるそうで、やりました。雪山で、橇引きながら、殺処分撤廃、命は金よりも尊いと、命の限りに訴えます。(実際、本当に八甲田山だから。)ちょっと心配なのは、ライターさん、余りの限界体験に、私の主張を忘れて、雪山橇引き体験談に転ばないかなと・・・こんな体験させちゃう訳だし。今年は全員集合だから、もっと重いなあ。去年は60キロで楽だったな(これからと比較すると)。箱根五区とかは、別にして・・・(異名を持つ坂)。今、午前中全力でやってる事、もうじき終ったら、子供達に、大祝賀パーティーを企画。この日の為に、9月、熱を押して毎日曜日、オホーツクまで行って、釣り人が捨てた、鮭を橇に入れて拾って回った。何せね、みんなイクラだけ欲しいものだから、酷いんだ、雄は全部釣って捨てるの。雌も、お腹を裂いて、捨てて行く。有名なんだ、釣りする人のマナーの悪さ。だもんで、その、捨てられる魚を拾いに行きました。重かったな。お姉ちゃん、よくそんなに乗せて引っ張れるな、と感心されたけど、冬に取った杵柄さ。帰ってから、捌くのほんとーに、大変でした。一日15人も鮭さん捌かせて頂くと、流石に血と内臓の匂いに・・・・。こうやって調理。箸でかき回す、とかのレベルじゃないの。剣先スコップ使うの。頭も大好き。栄養あるんだよねえ。有り難いなあ。アイヌの人は、「カムイ・チェップ(神の魚)」と、呼ばれたんだよねえ。こうやって開いて。内臓も全部捨てないの。骨も煮て、柔らかくして食べさせる。待ってなね~。また頼むぞ、標茶薪ストーブ1号。「合点承知!!」しかし、でけえ柵だな・・・二つ繋げたからなあ。「いや、ほんの金魚鉢だよ。(通りすがりの一息子:画面手前、尻尾のみ写り込み)」はい・・・・。
2007.11.15
お店を頂いて、独立させてもらった・・(うそ・・・)。まだ事情が飲み込めない。ケイエイシャって、何ですか、せんせい。何をしたらいいんですか。ほんとーーーに、私に店をくれてしまって、後悔しませんか。で、今日からケイエイシャになった私は、何をどうすんだろうか。(帳簿をつける?)取り敢えず、相変わらず、悪運と強運の持ち主だと、改めて痛感する。普通、何の自己資金もなく、店を誰が出せるだろう。しかも、お前が一年以上もやって来て、常連さんもついてるだろ、の、先生のお言葉通り、すでに常連さんがいる店。北原35歳、どう考えても、今まで人様から頂いたものの中で、一番高価なものを頂戴しました。クリスマスも、エイプリル・フールもまだ早いし、誕生日には遅すぎる・・。実感湧くまで、あと、二ヶ月は必要そう・・・。これまた先生談:いいか、自分の店になったらな、俺に気を使わず、体調悪い時は休んでいいんだよ。二ヶ月も熱を放っておく奴があるか。なるほど・・・・。ケイエイシャとは、そういうものなの。
2007.11.03
暫くぶりです。お約束の第二部、取り掛かってはおりますが、体調不良で、文章が進まず、中断しています。申し訳ありません。8月下旬から、熱が下がりません。そろそろ体力も限界で、これだけはしたくなかったけど、お店を2日ばかり休んで、養生に努める他はなくなりました。ただ、明日から、火、水曜日と、フジテレビの取材が入っています。夕方のニュース番組で、関東圏だけなんですが、「殺処分」についての特集で、何と20分枠!!!!やっと、待ちに待ってた、殺処分の特集です。私も、殺処分反対派として、取材を受けます。他にも、処分数の多い地域の、収容所の取材、それから何と、犬猫を連れ込む人間にも、取材をしたいと言っておられます!頑張って!!!!もう、動けない程に体力を消耗している状況ですが、この取材だけは、石にかじりついても受けます。(たった今、取材班の方が、こちらに向かってます、と、電話頂きました)待ってて犬猫たち、絶対助けるからね。テレビ局は、中立を貫かなければならないから、殺処分は悪!と、はっきり言えないって言う事情があるから。私が断言してくるからね。一度倒れる前に、まずそれだけは。エミリア 私の女神
2007.10.29
某ブログ仲間兼実社会友人から、さる「カメ」さんの写真を、見たいと執拗に迫られていた。今日、中々いい写真が撮れたので、掲載をさせて頂きます。ご紹介します。お客様の家の、「ガメラ」ちゃんです。陸ガメで、「箱ガメ」と言う亜種の方です。首を甲羅に入れると、パタンと全部蓋しちゃうんです。15歳くらい。体長15センチほどで、長距離マラソンランナー並みに、部屋を走り回ります。若樹は、カメさんなる者は、屋台の緑亀さんくらいしか知りませんでした。本当に、大昔から地球にいる、古代生命の姿を維持する、この種に、感動しました。これまで、爬虫類と、両生類は、得意ではなかったのに、カメさんファンになりました。ガメラちゃんは、部屋でおしっこをします。若樹は、仕事中に、それを踏んでしまいます。飼い主さんには言いません。言ったら、遠慮なさって、次から別の部屋に、閉じ込められてしまいます。2回、踏み抜きましたが、内緒にしています。また、ガメラちゃんは、客人と、家人の区別をつけていて、馴染みのない客人は、「食糧」と受け止めます。仕事中、何回も、ガメラちゃんから「味見」を受けました。結構いい顎をお持ちです。言ってません!!ガメラちゃんに会う為なら、味見で食いつかれても構いません!!更にガメラちゃん、凄い遊び好きな子で、仕事中、私のバッグによじ登り、下にバランスを取りながら、滑落する、と言う遊びを作りました。落ちる時、ギリギリのタイミングで、鼻面で、降下を受け止め、緩やかに着地します。ずーーーーっと、見守っていましたら、まず、4回繰り返して遊んでました。5回目、大分余裕が出来て、ガメちゃん、バッグの上で、金具を咬んでみたり、余裕のあるとこ見せていました。その、緩みのまま、滑空をデーイとやって、バランス崩して転がり落ちました。嗚呼。君が腹を見せて、お口を開けて、じたばたもがいたあの愛嬌。生涯私の心に残ります。大爆笑をする私と無関係に、ガメラちゃんは、じたばた体制を取り戻しました。そして、二度と再びバッグに登りませんでした。しかし、ガメちゃんには、もう1つの野望があります。それは、「自分の意思で隣の部屋に行く」と言うものです。ガメラちゃんの前には、家人の方が対抗措置として置かれた、円筒状の、ダンボールが立ちはだかっています。ガメラちゃんは、挫けません。何度も挑み、私の瞳の中で、失敗して一回転して、元に戻るとも、あくなき挑戦を続けます。今日は、そんな貴重な努力の瞬間を、携帯カメラで収める事が出来ました。皆さんも応援して下さい。「ガメラ立つ!!!」の、図です。ファイト!!ついでにもう一人、お客様の家の子紹介。「ラン」君です。一度闘犬デビューなさいましたが、性格的に、土俵は不向きであったそうです。もっぱら、若樹を相手に、アマレスを楽しんでおられます。彼のお父様は、「後ろを見せると、飛びつかれるぞ。」と、忠告して下さいますが、事若樹に対しては、彼は前も後ろもありません。一回掴んだら、二度と放さぬ根性です。ランと、私の関係を、知っておられる方は、笑って救ってくれず、ランを怖がる方は、また、全然全く助けてくれません。毎回、地面に突っ伏して、歩伏前進で、奴から逃げる若ちんです。にへら~と、笑って「可愛がって」くれる、家の子供並みに酷い坊ちゃんです。
2007.10.03
コメント欄、まだ一度も削除をかけていません。皆さん、私の訴えを、とてもご理解下さったみたいで、心から感謝しております。とりあえず、当分はコメント欄を、開放したまま、ブログを継続出来そうです。本当に有り難うございます。それと、週間「女性自身」に、私の取材が掲載されています。(今週号ですね)先月取材をお受け致しました。北海道は、明日発売ですが、首都圏では、もう発売されているんですね。掲載して下さった写真は、文句なしに家の、一番カワイイ連中。柚子のような、凶悪な娘達に、虐げられている私の写真も、撮って頂いていたのですが、やっぱりヤクザみたいな連中は載りません。ある意味、ああいう連中こそ、我が家の子ども達の、真骨頂なんですが、やっぱり、常識的に考えて、「犬」のカテゴリーに、納めにくい連中ですから・・。まずいですよね、週刊誌で、飼い主が犬達に、「集団暴行を受けている一般市民」のごとき、暴行を加えられている写真は・・。普段の子供達との触れ合いは、安全ヘルメットが必要です。弱冠、大自然の中で、天真爛漫にさせ過ぎている気がします。何で親の髪の毛に食いついて、グバグバ引っ張ってくれるのか、合点が行きません。遊ぶときは、周囲を子どもに囲まれますから、私の後ろに回った子は面白くない。だから、こっちを向いてと、後頭部をはたかれます。それでも首を回せないでいると、悔し紛れに全力で背中をほじくって私を苛めます。(のわわわわ!!とか、叫びます)首にまで食いついて来るやつがいます。誰であろう柚子です。私の頭をべちべち叩きながら、頭から首まで食いつきます。相手の気持ちがよくわかりません。記者さん達は、寒い雨の中、取材を本当にお疲れ様でした。家の悪童共所か、止めにご近所の、土佐犬の相手まで巻き込んでしまいました。限られた文字数の中で、私の伝えたい事も、組み入れて構成して下さって、本当に感謝しています。また、家の子ども達の、素顔以上に、可愛い写真を、本当に有り難うございます(嬉泣)。
2007.10.03
「茶色の朝」を買ったら、本の表紙の裏に、三つ折りにした紙が一枚挟まれていた。私が買ったのは、第10刷目の発行のもので、これまでの読者の反響と手紙を、紹介しているものであった。この本を読んだ方の、掲載された手紙の幾つかを、以下に紹介させて頂きます。「今の日本人にとって「国が決めたんだから仕方がない」と他人事のようにやり過ごすだけではなく、自ら考え、流れに逆らう勇気も必要な事を教えてくれる、素晴らしい一冊です。(31歳・男性・書店勤) 」「 「やさしい、ふつうの人々」が、行き着く先は「茶色の朝」でしかなくなってしまう怖さ!「茶色の朝」を迎えたくなければ・・・私達がなすべきこと・・・友人たちと話したいと思います。(54歳・女性・事務手伝い) 」「この本の通りの生き方をしている自分に身ぶるいした。(72歳・男性) 」「何度も繰り返し読み、静かに、私は黙らない、と、胸の奥から温泉のように力が湧いてきました。恐ろしい本なのになぜこんなにあたたかいのでしょう。今年の卒業生20人に、この本を贈りたいと思います。(女性) 」以下に、今度はこの本の、後記として掲載されている、高橋 哲也氏(東京大学大学院総合文化研究科教授、哲学者)の、メッセージから、抜粋したものを紹介して行きます。「ファシズムや全体主義は、権力者が人びとを一方的に弾圧し、恐怖政治をしくことによって成立するだけではありません。とくに、いちおう「民主主義」を制度として前提する社会では、はるかに多くの場合、人びとがそうしたものの萌芽を見過ごしたり、それに気づいて不安や驚きを覚えながらも、さまざまな理由から、危険な動きをやり過ごしていくことによって成立するのです。「茶色の朝」は、私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な原因であることを、じつにみごとに描き出してくれています。「茶色の朝」が与えてくれるのは、こうした問題を、まさに私たち自身の問題として考える為の手がかりです。「私たち自身の問題」と言いましたが、「私たち」とはだれのことでしょう?それは、排外主義者や差別主義者を先頭に立って推しすすめている人たちでも、それらに強く共感し、それらを支持している人たちでもありません。要するに、排外主義者や差別主義者や国家主義者ではないのです。むしろ、政治家の暴言や在日朝鮮人の人々への嫌がらせの事実を知れば、「ちょっとひどいな」と眉をひそめ、国旗・国家であれなんであれ、権力的強制にたいしては「やり過ぎじゃないか」と疑問を感じ、日本がふたたび「戦争をする国」になっていくことにたいしては、一抹の不安を覚えているような、そんな人たち。つまり、おそらくは現代社会における「ふつうの人々」こそが、ここで言う「私たち」なのです。私たちが持ち出す理由、じつをいえば言い訳は、「俺」(主人公:若樹・注)やシャルリー(友人:若樹・注)のそれと似たようなものです。仕事があるし・・・。他にやりたいことがたくさんあるし・・・。被害者にあまり(この物語の中では犬と猫:若樹・注)同情的になっても仕方がないし・・・。権威筋の話にも一理あるように思えるし・・・。「流れに逆らった言動をすると、かたよった人間と見られ、仲間はずれにされる」。たしかに、流れに逆らうためには勇気が必要です。孤立することもあるでしょう。不安につきまとわれたり、面倒なことに巻き込まれることもあるかも知れません。でも、ひとりの人の言動をきっかけに、もしかすると、それまで言いたくても言えないでいた、動きたくても動けないでいた「ふつうの人々」のだれかが、第一歩を踏み出す勇気をもてるかも知れないのです。「茶色」が一日一日と濃くなっていく日本社会のなかでは、「かたよった」意見だといわれても、「茶色」の色眼鏡をはずしてみれば、それこそが真っ当な意見であるかもしれないのです。なによりも、孤立を恐れてみなが流れに棹さしてしまえば、行き着く先は「茶色の朝」でしかなくなってしまうでしょう。「なんだかんだ言っても、私たちはまだ自由じゃないか。権力の弾圧など受けたことはないし、毎日の生活でとくに不自由を感じることはない(犬猫には、聞かせれない言葉:若樹・皮肉)。いろいろな法律が国家統制を強めるとか言うけれど、いまのこの自由が近い将来なくなってしまうなど、想像出来ない」。こんなふうに感じる人にこそ、「茶色の朝」の物語の意味を十分に考えてほしいと思います。私たちがいまも感じているこうした「自由」-それが、すでに相当程度「茶色」に染まった自由であり、「茶色の自由」でないと、だれが言い切れるでしょうか?私たちがすでに「茶色に守られた自由」のなかにいて、(犬や猫が人に危害を加えるとか、財産を傷つける「かも」知れない「危険」から、法律や条令によって、犬を繋留したり、柵に閉じ込めたり、猫に室内飼育を義務付けて、市民を「守る」事は、完全に、「茶色に守られた自由」の中にいるのです。:若樹・脳みそに刻み込んどけ・注)まさにそのために自分たちが染まっている「茶色」の濃さを実感できずに、「それも悪くない」と感じているだけだとしたら、どうなるのでしょう?まさにそのために、自分たちを待ち受けている「茶色の朝」の衝撃を予感すら出来なくなっているのだとしたら?」(抜粋・以上・・・要注:若樹・皮肉、及び、若樹・脳みそに刻み込んどけ・注は、あくまでユーモア。)私のブログに対して、反感や共感を感じるのは、その人間の意識によって、異なるものだ。反感を持っての、コメントの削除を決めた理由は、全体主義による、弾圧から自由な発言と、思想を守る為である。それを批判する事が、どういう事なのかを、全体主義的コメントを寄せられた、全ての人に考えてもらいたい。今、一度だけ、コメント欄を開放する。これで批判を、「弾圧」に属するやり方でしか、(私の意見を書く場で、それを規制する事。反対意見ーつまり、私の意見の抑制は、自分の意見を公表する場所で、「特定個人」ではなく、「特定意見」に対して、可能な限りの、分別ある言葉の選択によって、自由に行うべきもの。それが無理なら、2ちゃんにGO!!私は行かないから好きにやってれ。:若樹・私は人間辞書か・注)行動出来ない人々が、またこのコメント欄を荒らすなら、私は即座にコメント欄を閉鎖する。そうなった時は、私がいつか、多数派の賛同を勝ち取る事が出来るまで、ここのコメント欄は、その人方が、閉鎖に追い込む事になる。所で最後に。「茶色の朝」は、日本では「大月書店」から、定価1000円で販売されている。そして、パヴロフが全体主義者の事を、「茶色」に例えた理由とは、初期のナチス党は、茶色の制服を着用していて、「茶シャツ隊」が、フランスではナチスの別名になっていた為である。追伸 どうもこのブログ、殆ど内容は読まず、所謂斜め読みで、書き込みしている人を、多く見受けます。ですから、数日はコメント欄は開放しません。少し、時間を持って頂いて、内容をよく読みこんで下さった後に、書き込みされたい方は、どうぞコメント下さい。2~3日、経過してから、コメント欄は開放します。宜しくお願いします。
2007.09.27
全体主義へと、本筋を戻したい。ー疑問を持つ前に、法律に従う人間の、一体誰が、社会に疑問を持てるのだろうか??正常で、民主的な社会とは、異なる視点からなる思想や意見に、誠意を持って、語る場を与えるものだ。日本と言う国があって、国民の税金を用いて、年間40万の犬猫を、何の危険な病気の保菌者でもないのに、殺処分をする制度がある。これに対して、深い疑問を抱かないで来た、国民であれば、まず、その事実の是非を放置して、一市民として、税金を納め、市民としての務めを果たして来た。それはそれで良かろう。しかし、ここで、それは生命に対する、許し難い暴力だと唱える人間が出てきた。自分は、生命を等価のものと考える故に、こうした虐殺をする国家に於いては、納税の義務に従えないと。殺処分と言う、現実がある社会で、また、命を人間第一と見る者もいれば、等価のものと考える者も、当然いるはずの社会で、その人間の主張は、一定の理に叶っている。即ち、批判に論理だった筋道が通してある。理論的考察を排除した、荒唐無稽な意見ではない。反対意見を出すだけの、知識と経験とを(そしてアニマへの愛を)、持ち合わせている訳だから。少なくとも、例え如何な少数派であれ、生命尊重の視点から、自国のやり方に納得行かない人間がいれば、これはその意思を、容認されなければならないはずだ。何故ならこの人間の主張通り、税金で犬と猫が殺されているのは事実であり、それが人道的に、必ずしも肯定されない行為である以上、こうした税役拒否者を生むのは、国家の方針に、税役拒否ー即ち、良心的不服従者を生む、土壌がある為である。市民の中から、こうした一定の価値観に基づいた反対があった場合には、民主主義を重んじる国家は、直ちにその市民が訴える、問題について、誤りがなかったか、法律そのものを、洗い直す義務がある。少なくとも、私が多数派の人間で、こうした少数派を見つけた場合には、私ならこう言う。一定の道理に基づいている以上、その人間には自らの信条を尊重される権利がある。裕福な会社社長や、政治家が、更に私腹を肥やそうと、脱税をしているのとは、明らかに事情が違う。この税役拒否には、人道的精神と言う、動機が確実に存在している。そうである以上は、こうした批判を否定する事無く、その主張に耳を傾けるのが、民主主義と言うものだ。しかし、その人間に対して、批判するならまず、定められた悪法を守れ、と言うのは、民主的な方法では、全くない。それは正しく全体主義の思想だ。多数派と少数派、どちらが多くの同意を取り込んで行けるかは、オセロ・ゲームに通じるものがある。勿論、現実社会では、オセロの様に、完全に白や、黒では終らない。灰色の意見の人間もいれば、突飛な意見の人間もいる。重要なのは、「どの」意見が、多数派を占める事が出来るかだ。私と言う人間が、今の日本社会に現れた、オセロの「黒」の、駒としよう。周囲は殆ど「白」ばかり。そこに「灰色」もいるだろう。私が、自分のブログで、対立意見のコメントは掲載しない、と言ったのは、私が「黒」として、盤の上に出る事を、阻害されたくない為だ。物事を公平にする為に、「白」の意見の人は、自分のブログを通じて(ホームページでも良いが)、「白」を増やす権利があると、同意している。しかし、それは、私のブログではやらないでくれと。互いの意思の自由を侵害せず、尊重した上で、堂々と、社会にどちらを選択するのか、決めてもらえばいい。それは、賛同者、並びに批判者、そういう、第三者の方々が、議論すべき事なのだ。国の隔離政策と、私が打ち出した共生の社会。国や行政は、こう言っている。北原は、こう言っている。どちらを民衆が支持するか。(今の段階では、私に勝ち目はないけれど)議論とは、意見を押さえ込ますことなく、発表した上で、第三者達が、良し悪しを判断し合うもの。意見の段階から、圧力をかけるのは、民主社会じゃない。私はまだ、訴え出したばかりだ。ブログのコメント欄を開放すれば、意見そのものに否定と言う、圧力をかけて来られるのでは、私はその先を続ける事が、出来なくなる。違うだろうか?私のブログで、対立意見は載せないといった事に、批判や疑問を呈した、全ての人に、私は逆に疑問を持った。何故なら、多数派と、多数派に迎合している少数派が、私が自分の意見を持って、賛同者を少しずつ得ようとしている所で、私の行動を批判する人間のコメントの、掲載権利を求める事は、オセロに於いて、私が白を、黒に変えて行こうとする事に対して、口を挟む権利を求めている事に等しいからだ。個人攻撃をせずに、自分の私見を守ることが、皆には出来ないのだろうか?私は、自分の意見によって、自分のブログを読みに来てくれている人の中で、意識が変わり、賛同したとして、コメントを下さる人の意見を、載せようとしている。それによって、状況は進んで行くからだ。そこに「白」が口を挟む事は、邪魔をせずに、相手の手を受けた上で、自分の手を打つ事ではない。「黒」に、手を打たせない事だ。意見が多数である事を強みにして。それは所詮、少数派の封じ込めでしかない。私のコメント欄を読むと、「多数派の賛同を得られる形で、行動すべき」と言う意見が多くある。翻って言うなら、「多数派が認めるやり方でなければ、行動に反対する」と言う事である。そして、多数派の意見に従った上でなければ、如何なる行動も認められないと言う、主張。これは、オセロでなら、「黒」として現れた私に対して、「白」になってからでなければ、ゲームには参加させないと言う理屈に等しい。「まず、白くなれー、意見を乱すな、白のやり方に倣え。意見を言っていいのはそれからだ。」まだ、お分かり頂いてないのかも知れないが、私が多数派と、正反対の行動を選択したのは、多数派の是認している価値観や、常識が、決して受け入れ難いものであるからだった。だから、自分の意思で、自分の生き方を決めて来た。それは、誰も傷つけるものじゃない。自分が犠牲になる戦法だ。それすら市民は認めようとはしない。この国で、多数派以外の視点から、物事を考えてはいけないと言うのだろうか?これは、本当に民主的社会の意見じゃない。むしろ全体主義の教科書通りだ。私は、人道的理由から、法に逆らう理由を明らかにしている。そして、刑事処罰を受ける義務を前提として、道義的理由から、暴力行為を伴わない、違反行為に及んだ人間を批判する権利は、社会には普通ないのだ。社会が、諭したり、批判したり出来るのは、私が違法行為をして、同時にその、責任も否定しようとしている場合である。そして、暴力に訴えて行動を起した時だ。全体主義的意見に陥っている人々は、自分達のしている事が、全体主義と意識など、してみた事もないだろう。悪意による全体主義だとは、私は考えていない。批判者の中には、「全体主義」と言うものを、知っているのかさえ、怪しい人が、かなりいる。突き詰めて言えば、他人を客観的に理解出来なく、主観のみでしか、判断し得ない人間にとっては、自分自身の言動に対しても、それと同様だと言う事だ。己に対して客観性を堅持出来ない人間は、己の言動の正否の、判断基準を持たないも同然である。唯一すがれる判断基準は、「全体」の意見と、自分の意見が、一致しているか、どうかのみになる。再び「茶色の朝」の、警告している事に耳を貸して頂きたい。主人公と友人は、何も犯罪的な人間ではない。ごく一般的な性格の持ち主で、反社会的な所は一切ない(少なくとも、今の私と違って)。批判精神すら乏しい、大人しくて、平和主義(のように見える)者達だ。にも関わらず、ナチズムやファシズムの基盤となる、「全体主義」を貫いているのは、反社会的で、行動に至る人間ではなく、社会に争う事無く、従順に対応している、こうした一般市民なのだ。少なくとも人種差別や、奴隷制の名残の時代に、反社会的な存在となり、人種平等の為に戦った、そして、今現在も、目の前の差別と戦っている少数派の中に、全体主義に迎合している人間はいない。危険で、寛容がなく、全体主義的な社会を作っているのは、あなた方が、違法行為の角で、社会の為にならない問題行動を取っていると、批判をしている私ではないのだ。ナチズムを作っているのは、否定者達の方である。少数派の意見を、多数派的に変えるように強要、要求、要請、説得、懇願した時、社会はすでに、民主的性格を失っているのだ。私の意見を元に、賛成派、反対派が分かれて、この主張が正しいか否か、話し合う社会は、まだ正常だ。しかしこれ以前に、そもそも「異なる意見と、姿勢を認めない」と言うのなら、日本は全体主義国家であり、多数派の原理以外は、排除をすると、言う訳だ。
2007.09.27
こんな事は、日本でもずっと続いていた事だ。明らかに、難民として保護されなければならない人間を、文字通り見殺しにする政府達。弱者切り捨ての、全体主義。著者はそうした社会を批判して、自分の本の中で、この、「茶色の朝」を紹介した。すぐに私は、注文してこの本を手に入れた。それから、友人、知人に、何人にも、貸して読んで貰った。全体主義とは、どういう事か。「全体主義 個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想および体制」「全体主義国家全体主義を原理とする国家。多くは一国一党制をとる。代表的なものはナチスードイツ・ファシストーイタリア。全体国家」 (広辞苑より)分かりにくい人もいるかも知れない。つまり、全体主義とはこういう事だ。「多数派が認める原理以外を、その集団ー地域、社会、国家でもー内では、一切認めない事。多数決の、数的優位による、権力を肯定した社会」私の行動への、今回の批判運動は、この全体主義の、お手本のようなものだ。誰もが、社会の絶対的優位の思想を押し付ける。それは、税金によって、犬猫が殺されている事は、事実上認めても、それに反対するのは、まず初めに、国で規定された、税金を納めてからでなくては、認められないと言うもの。つまり、犬猫の命は、国民として、税金を納めると言う義務の前に、優先して議論する事は、許されないと言う事だ。狂犬病予防法。こちらについても、同様に、国民は、法律が間違っているかいないか、疑問を持って行動する前には、まず、法律に従ってからでなくてはならない、と言う訳だ。「ワクチン接種をして、きちんと登録を済ませてから。」それが「社会常識」になっている事を、多数の犬の保護者として、十二分に認識している私に対して、こんな基本を教えようと言う人は、或いは私が全く、一般常識を、知識の上でも理解が出来ていないと、思っておられるかも知れない。しかし事実はこうだ(ちょっと本筋が、全体主義から、犬の生態学に飛んでしまうが)。私はそれが法によって定められていて、つまり国民に義務付けられているのも知っているし、狂水病の知識についても、一般の飼い主よりは、余程勉強をしている。様々な側面からこの法律に光を照射し、その上で、「殺処分」を何より容認する基盤となっている為に、この法律は、有害無益と判断した。最も、ワクチン接種が文字通り「金のなる木」である、獣医師達には、無害有益な法であると思うが。私はこれまで、実生活でも、ネットでも、自分以外の一般の、犬の飼い主で、狂水病の、ワクチン名まで、調べて暗記している人に、出会った事はない。また、恐らくは、私に犬の事で書きこまれた方の、全員より、人生で多くの犬を育てている経験があり、その習性、行動についても、その人方よりは、遥かに知識がある。私は、基本的に、避妊、去勢手術は反対派で、(勿論我が家には、パイプカットや、卵管を縛る手術は不可欠だが)その為に、手術によって、心身を改造されていない、犬達をとてもよく知っている。また、家にも去勢、避妊の手術を、止むを得ない理由によって、受けている犬や猫がいる。犬は野生に帰れないと断言する人々は、生まれてから、一年以内に皆、避妊、去勢の手術を受け、生殖本能や、狩猟本能と言う、野生で生きる為に不可欠の本能を、手術によって、奪われてしまった犬猫しか知らないのだ。「本物」の犬猫を知らない。去勢された人間の男性を見て、「人間の男とはこういうものだ。」と、確信を持って信じる程に、それは愚かな思い込みだ。実際は、避妊や去勢の手術を受けていない犬猫は、実によく、野生や野良の状態で、生き延びて行くものなのだ。私の伯母は、自分の雄猫を去勢してしまった。彼は狩猟が得意な猫だった。川崎にいた時代に、一緒に暮らした猫だが、何度もねずみや、小鳥を狩って、連れて来た。所が去勢をして、暫く経つと、彼は驚く程の変貌を見せた。大きなねずみを狩った猫が、バッタを見るなり、逃げるようになってしまった・・・。去勢のお陰で、狩猟本能を失ってしまった。生殖本能もなくした彼は、マンションから自由に出たいと言う、意欲も乏しくなった。生きたぬいぐるみ。一種のロボトミーの様に、彼の人格を、大きく変化させた。明らかに、彼の生存能力は失われ、それが精神面にも、大きな影響を生じさせた。私の子供達。避妊をした子はみな、子犬を恐れるようになった。まるで、その猫にとってのバッタのように。近づかれたくない。生理的に、拒むような素振りすら見せる。怖いのだろうか。それとも、体がもう、幼い命を受け付けないのだろうか?失われた子宮が、母性愛をその心から奪い去ったよう。当たり前なのだろう。子宮。そして精巣。この、最も重要な器官達が、喪失された時、精神は、一体どうなるのだろう?ホラーの巨匠、スティーブン・キングが、「ペット・セマタリー」(注:実際はセメタリーが、正しい英語だが、子どもが作ったペット霊園の為、スペルを間違えている設定になっており、原題もこのまま、セマタリーとされた)と言う作品の中で、主人公が、自分の猫を、新居の前に横たわる、大きな道路による事故から守る為、近隣の住民から、去勢を勧められる。それに対して、主人公が、こんな葛藤を胸に抱く。「-しかし大半を占めるのは、ある漠然とした、だが強い感情なのだーそうすることでチャーチの中のなにか、自分の尊重しているなにかが失われる、チャーチの緑色の目の中にある、あの``勝手にしやがれ”と言いたげな不羈奔放なものが消えてしまうというおそれ。ー略ー去勢すれば、チャーチの猫としての本能は損なわれるだろう。まだ若いうちから、肥った老いぼれ猫に変わり、だれかが目の前の皿に餌を入れてくれるまで、ただぬくぬくとラジエーターの上で惰眠をむさぼるだけになってしまうだろう。チャーチには、そういう猫になってもらいたくない。いまのままの、痩せて、抜け目のないチャーチでいてほしい。」(ペットセマタリー スティーブン・キング 文春文庫)北海道で、野良猫が生きてはいけないだろうと、お考えの、北海道の方から、幾度もコメントを頂いた。札幌の方であられたと記憶している。私の住む地方は、北海道でも、もっとも寒い地域の一つである。北海道は、内陸の旭川周辺と、道東の阿寒湖周辺が、最も気温が低くて、毎冬最低気温を争っている。ここ、弟子屈では、冬は平均零下25度位。時には30度を越える事もある。札幌は、20度なんて、まず行かないと、札幌出身の方が言う。零下15度位が平均だとか。この町は、野良猫がとても多い。歓楽街の人達に、アニマ好きがとても多く、野良猫たちに、ご馳走を振舞って、可愛がってる。でも、誰も住処は提供していない。猫達は、自分の住処をどこかで持ち、ストーブの力に一切頼らず、自力でしっかりと冬を越す。友人の家の、常連の野良猫は、推定年齢15歳で、野良猫の現役を引退していない。何年か前、暫く留守をする友人の、猫達を通いで世話に行っていた頃、勿論通いの野良猫にも、食事を提供した。彼は2日目から、私へのお礼にと、スズメをくれるようになった。その時で、10歳を軽く超えていたのである。この様に、自然の狩猟、生殖本能を奪われていない、犬や猫が、如何にたくましく、野生や野良で、生きて行けるか、私はよく知っている。私の子どもが、鹿を狩った所も見ている。ぶらりといなくなった犬が、半年経って、元気に帰って来るのは、普通である。最高で、2年間野生で過ごし、帰って来た犬もいる。誰かに飼われていた訳ではない。毛は、私と離れていた期間だけ、誰にも撫で付けられた事がない。元、トリマーとして、犬の毛の事なら、専門家である。被毛の状態から、生活環境は、簡単に判断が付く。都会と、山奥の、環境を両方経験しているこの身なら、尚更犬の毛を見れば、飼い犬であったか、野生で生きたかは、見極めやすい(首輪の跡があるか、ないかも、重要な要素になる)。元々彼らは、野良であり、野生の生き者なのだ。その条件で、生きて行けない方が不思議な事なのだ。幾ら人工交配を繰り返され、人間に体の大きさや、毛色を弄くり回された種だとしても、結局は犬同士、猫同士のの交配である。犬とウサギをかけ合わせた訳じゃない(最も相手がうさぎなら、野生の血には事欠かないが)。今の犬に、野良で生きて行く能力がもうない、なんて断定は、黒人は、奴隷になって、白人に養われる以外、生きて行くことは出来ないと言った、昔の白人並の妄信である。犬や猫には、野良で、或いは野生で生きる能力がある。それを人間が、避妊、去勢手術で奪ってしまっているだけだ。(ねずみが野生で生きているのだから、もっと大きなポメラニアンが生きれない道理はない。ポメから、牙と爪と、俊敏な足を、奪えた繁殖者はいないのだから。勿論土佐犬より、外敵の種類は多くなるけれど。心配なら、少し頑丈な犬種と、血を混ぜてあげればいい。最もそこまでしなくても、近親交配を止めればそれで済む。元々、ポメの原種の大きさは、柴犬や、シェルティークラスなのだ。近親交配によって、あんなに体が小型化されてしまっただけなのだから。血統にこだわらない繁殖者の所には、シェルティーと同様の大きさのポメが、ごろごろといる。それこそ「優良血統」と、私は呼ぶ。何故なら殆ど、近親交配が行われていないからだ)私は、私より犬達の事について、知識も経験も、勉強も足りない方々から、犬達の事に関しては、新しい知識が頂戴出来るとは、偶発的な例外を除いては考えていない。少なくとも、学問体系に組みこめる様な知識は。だから、そうした人々の意見を、私が余り、必要とは認識していない事も、察して頂きたいと思う。意見を下さる方々よりも、もっと経験し、もっと学び、もっと考え、もっとリスクを受け続けた上で、出した判断なのだから。私が意見を欲し、受け入れられる相手は、私よりも更に経験をし、勉強をしている人々で、それは正論なはずである。犬の狩猟能力に関しては、北海道なら、熊撃ちと言われた人々に勝る知識人はなく、私は常に、知人の元熊撃ちの狩猟家から、狩りの際の、犬の行動パターンや、能力について、せがむように、教えを仰いでいる。私は幼い頃から、ずっと保護を続けて来たのだから、これまで世話した犬、猫の数は、相当数のものである。法についても、この社会についても、そして犬猫についても、重々理解して、考えた上で行動をしている。処分場にも、うんざりする程足を運んだ。自分の目で、普通の人以上のものを見てきた。犬界の人間として、繁殖業の裏側も、全て見てきた。雌犬への、集団レイプ。それが繁殖の実態。私は少なくとも、ここに書き込みされている方の殆どよりは、多少は犬猫の事には詳しいつもりだ。でなければ、これだけ多数の犬の、保護なぞ出来ないし、国に逆らう発想も生まれるはずもない。
2007.09.27
フランク・パヴロフ、あなたの国で、どこかのビストロに、二つばかり席を見つけて、カフェでもテーブルに飾って話をしよう。そう、降り注ぐ陽光にそぐわぬ物憂げな瞳で、私達の共通の心配事を。それはひょっとして、口を操れないくらいに、重い問題かも知れないが。ジャン=マリー・ルペンと言う、カリスマ的極右の政治家が、1980年代末頃からフランスで支持を集め出し、人権運動家であり、心理学者であるパヴロフは、強い危機感を感じていた。ネオ・ナチ、ネオ・ファシスト達の台頭。人種差別と、排外主義で知られる、極右の政治家率いる、国民戦線。それが支持を集めている事、ナチズムを、再び胸に抱こうとしている人々。パヴロフは、11ページの本を書いた。タイトルは「茶色の朝」印税を全て放棄して、たった1ユーロの定価で出版した。フランスを、ファシズムやナチズム、全体主義から回避させる為に。11ページの寓話は、全体主義に変貌して行く国家や、悪法に抵抗せず、多少の危惧を感じながらも受け入れ、批判や抵抗と言う行為よりも、妥協と自己保身の為の従順を、選択して行く市民の行く末を書いている。「茶色の朝」 最初に社会で、猫の増えすぎが問題になった。科学者達が、解決の為、あらゆる実験をした結果、「茶色」の猫以外は、都市生活にも不適応で、子孫も多く残し過ぎるから、全て「排除」する法律を国が設けた。それを行き過ぎた法律と、叩く新聞は全て政府によって廃刊とされ、残った新聞は、「茶色新報」だけになった。市民は茶色以外の猫の、「処分」を受け入れた。国に逆らって何になる?それが増えすぎの問題を解決するなら、市民は従わねばならないものだ。国や行政のお陰で、市民は生活が保証されているのだし。そうしたら、次は犬への新法が成立された。これまた、「茶色」の犬以外は、存在させてはいけないと言う。市民は猫の時より驚いた。犬は、猫よりも人間の相棒的な存在だし。でも、主人公の友人は、主人公が自分の猫を安楽死させたと同じ様に、自分の犬を安楽死させた。猫と同じ様に、犬もまた、茶色の毛色の者だけが、人間社会との生活に適していると断定されれば、それは仕方ない事だろう。そう、自分に説明を与えておかねば、疑問を感じかねない問題だ。すっきりしない。でも、自分を言い聞かせる為に、感傷に背を向けるのは大切な事だ。でなければ、人生は、危険な空間の中に入って行く。別に、犬や猫が禁じられた訳じゃないのだ。茶色のやつを、飼えばいいだけ。あそこで、足元で死んでいる、白いプードルの為に泣いている男の子にも、いつかそれが分かるだろう。犬や猫の単語の前に、「茶色」の言葉がない本などは、みんな発禁書に指定をされた。気の毒に。「茶色」ってつけなきゃいけない事、出版社だって、分かってなきゃならないんだから。じゃなきゃ、政府のしている事を、否定しているも同然だ。それでは違法行為になってしまう。すっきりしない、からと言ったって、違法行為までするのは行き過ぎだろう。主人公達は、そして周囲の多くの市民も、政府のやりに、僅かな不安を感じても、特別批判的な思想は持たなかったし、公言さえしなかった。まして、その思想を元に、違法覚悟で、自分の犬や猫や、贔屓の新聞社を守る事も。何となく、それが流れなら、と、受け入れた。多少の窮屈さは我慢しても。それで、主人公と友人は、茶色の犬と猫を飼ったんだ。「茶色の動物たちは横目でおたがいの様子をうかがっていた。どちらのチームが勝ったかもう覚えていないが、すごく快適な時間だったし、すっかり安心していた。まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば安心が得られて面倒にまきこまれることもなく、生活も簡単になるかのようだった。茶色に守られた安心、それも悪くない。」でも、そんな安心は有り得ない事だったのだ。ある日、友人が、街の「自警団」に捕まった。どこへ連れて行かれたのか分からない。「茶色ラジオ」が、そのニュースを流した。逮捕者は凡そ500人。その中の一人が、主人公の友人だ。「ペット特別措置法」が、新たな規制を設けて来たのだ。現在、茶色の犬猫を、飼っていたとしても、過去に一度でも、茶色以外の犬猫を、飼った事がある人間は、「国家反逆罪」に相当すると。そしてなおかつ、本人が法律に違反する犬や猫を飼った事がなかったとしても、家族や親族の誰かが、生涯でたった一度でも飼った事があるのなら、酷く当人も面倒な事態になるのだと。「ひと晩じゅう眠れなかった。茶色党のやつらが最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、警戒すべきだったんだ。けっきょく、俺の猫は俺のものだったんだ。シャルリーの犬がシャルリーのものだったように。いやだと言うべきだったんだ。抵抗すべきだったんだ。でも、どうやって?政府の動きはすばやかったし、俺には仕事があるし、毎日やらなきゃならないこまごましたことも多い。他の人たちだって、ごたごたはごめんだから、おとなしくしているんじゃないか?だれかがドアをたたいている。こんな朝早くなんて初めてだ。・・・・・陽はまだ登っていない。外は茶色。そんなに強くたたくのはやめてくれ。いま行くから。」11ページの、短い寓話。極右の排外主義者、ルペンは、2002年の大統領選で、社会党の候補者を抑えて、何と第二位に躍り出た。シラク大統領との、一騎打ちになったのだ。人種差別と排外主義者。ナチズム的思想の候補が、大統領選の、決選投票に居残った。それまで現実よりも、自分の暮らしだけに関心を持って生きていた、多くのフランス人が、この時初めて目を覚ました。何かが起こっている。無視していては、いけない何かが。民衆は、初めて周囲を本気で見回した。そして自分達の死角となっていた所に、11ページからなる、たった1ユーロの、「茶色の朝」が存在していた事に気づいた。この本は、民主主義対、全体主義の、大統領選の対決の時、ルペン候補を敗北させた。ナチズムを再び、闇の中に葬った。(20世紀の、未だ浄化されぬ亡霊よ)私がこの本に出会ったのは、土井香苗と言う若い弁護士が書いた、「ようこそと言える日本へ」(岩波書店)と言う本の中でだった。この本は、様々な理由から、国で迫害を受け、日本に難民となって逃れて来た人々の、とてつもない不遇を暴露した本だった。彼らは日本政府に、難民として認定を受けれず、「収容所」に拘留されている。家族もバラバラにされて。政府は彼らに向かって、国に帰るなら、ここから解放する、と言い渡す。帰らないなら、何があっても、外には出さないと。国に帰れば、殺されかねない人々だ。彼らは絶望し、収容所で、自殺を試みる者も少なくない。その、国を逃れて来た人々の、人権と難民申請を受理させるべく、戦う弁護士の一人が、その本の著者なのだ。(私は、私の活動と同じくらい、彼らの活動が成功する事を、毎日心の底から願ってる。迫害から逃げてきた人々を、収容所に入れるなんて、狂気の沙汰だ。恥を知れ、日本。恥を知れ。)私が少し前、ある、ブログ仲間の方の呼びかけで、イギリスに逃れた、イラン人女性で、レズビアンである人の、本国への強制送還反対の、署名運動をブログに転載した。イギリス政府は、2000年頃にも、「メンデ」と言う、奴隷にされたスーダン人女性に対しても、難民申請を却下して、危険なスーダンに強制送還の判断を下して、国際世論の批判を浴びた。結局、メンデは、2002年、難民として認定され、イギリスの永住権を得た。(メンデ 奴隷にされた少女 メンデ・ナーゼル ダミアン・ルイス共著 ソニーマガジンズ刊より)こうした難民に救いを求められた各国は、私の例に倣って欲しいと思う。即ち、目の前の命を、断固見捨てず、そうした被害者が生まれた、戦争や、社会問題を解決する事によって、難民や、行き場のない、犬猫が生まれない世界を創るのだ。
2007.09.27
今日は忙しかったから、コメントする時間もないので、次の更新をするまで、書き込み禁止にします。人が仕事してる間に、他人のブログをどうする気なんだか、皆さん。前にも書いたけど、書きたい事は、私のブログにぶら下がらないで、自分の疑問や意見として、自分のブログに書いて下さい。その上で、私に読んで欲しいと思って下さるなら、コメント欄にお誘い下さい。アラシ行為なんてしませんから。私のブログは、他人の所有物ではありませんよ。自分のブログではなく、私のコメント欄でしか意見できないなら、それはつまり、「私」の意見がなければ、書く程の疑問も意見も、ないと言う事です。単独で、疑問を持つ事が出来ないと言う事。そうでないのなら、ご自分の意見は、ご自分のブログで公表しましょう。
2007.09.18
「若樹さんはネットでの議論に時間や心を使うべきではないと思います。若樹さんのところに残ろうコメント欄は、若樹さんを擁護する側、批判する側に分かれて相互にやりあう形が間々見られます。それを容認していては、ますます乱れるばかりです。大体、文書でお互いの意見のすり合わせをするには無理があるのです。長い文章の要点を理解することなく、瑣末な枝葉の部分にしきりに議論をふっかけてくる輩が少なくありませんからね。コメント欄を閉じるか、レスしない形にしたほうがいいでしょう。取り上げるに足ると思う疑問へは、ブログできちんと説明していけばいいと思います。「こんな質問がきました。それに関する私の考えはこうです」という形で。思想を発表する場であること。できれば同志がみつかればいいと考えていること。同志がみつからなくても、こんなことを考えている人がいる、と知ってもらえればいいだけだということ。その基本に立ち返って、ネットでの議論を排除したほうが、若樹さんのためだと思います。若樹さんの文章を読んで、10人が10人全ての意見に同意することは難しいのです。2人に届けばいいと思いながら書き、違う意見の人の疑問や反発や意見は流したほうがいいです。結局、そういう人たちとわかりあうことは難しいのですから。」この様なメールが、13日に、友人から私書箱に届きました。私にとっては、とっても客観的で、的を得た最良のアドバイスでした。私は、幾度かのネットの問題を経験して、ネットに失望し、閉鎖を決めたのは、この前書いた通りです。ただし、自分が頑張って続けたものを、惜しむ気持ちもありました。それの区切りが欲しくて、コメント欄を開放したのです。荒れてしまえば、踏ん切りもつくでしょう。所が意に反して、「止めないで欲しい」と言うコメントを、幾つも頂いた。人間ですから、心が揺れます。止めてしまいたい。でも、読んでくれる人の、気持ちにも応えたい。それで、何日か考えました。で、荒れ出した当日、出勤して、待機中にブログを見て、二つ決心しました。一つ、ブログは継続する事。二つ、コメント欄での入り乱れての、議論は削除。こうして続行は決めましたが、私のコメントへの返事に、また関係ない書き込みも来る。そうして、また荒れ出した。削除すべきものは削除しましたが、それでも収まらない。心配した人達から、電話やメールで、コメント欄を閉じた方がいい、と助言を貰いました。その時、解放によってやっとコメント出来ると、共感の書き込みをして下さった人の事を思い出した。閉めちゃっていいのかな。コメント欄を閉めなきゃ、継続出来ないブログに何の意味があるんだろう?どんどん悩んで行きました。その内我慢ならなくなって、安定剤を、常連のお客様から、夜食と一緒に頂いたビールで、通常の2倍を飲みました。折りしも大雨で、熱がずっと下がってなかったから、今夜は暖房もない、テントに帰るなよ、と、釘を刺されていたし。ちょっとした酒乱。とうとう悩みに限界が来て、もう、ブログを閉めて、解放される事で頭が一杯でした。でも、どこにあるかが分からない。そういえば、前に友達が、やっぱり閉じ方分からなくて、暫くかかったと言ってたのを思い出して、一旦諦めて、不満に耐え兼ねて、愚痴だけ書いたのです。翌日、昨日、信頼ある催眠療法の先生が、旭川まで来ると言う連絡があって、合同セッションだから、金額は安いし、友達と行って来ました。幸運な事に、セッション中に、個人催眠まで受けられたし、終った後で、皆さんでお茶に行ったのですが、先生とたっぷり、二人で話しこむ事も出来た。結構晴れ晴れと、帰る途中で、携帯から自分のブログを見たら、コメントだらけ・・。憶測から批判から、自分の考えの押し付けまで。少し放っておいて貰えないんだろうか、と思いました。誰だって、悩む事もあるのだし、一度決めても、状況が変わればまた、考える必要は出て来る。その狭間なのに。昨日は友達の車で、こっちに向かう途中、睡眠薬を飲んで寝させてもらって、起きてから、また、色々考えました。ネットの問題。閉じないで欲しいと言う人々。ストレス解消に嫌がらせに来る人達。コメント欄を開けて、喜ぶ2種類の人達。共感したい人。荒らして面白がりたい人。このブログ、どうするべきか?今日、仕事しながらずっと考えて、こんな結論はどうだろう、と思いました。このブログ、少数派の為のものにするのは。元々、多数派の、否定派には、用のないものです。(別に、彼らのストレス発散の為に、しんどい思いして書いているのではないですし。)しかし、数的有利に敗北し、家族の中、友人の中、或いは職場の中。こんな人間中心社会は間違っていると、言いたい人はいるでしょう。でも、言う場がない。こうやって、私の様に発言すると、全否定されるのが分かっているから、間違ってると思っても、言葉に出来ない。そうした人達が、発言出来る為に、コメント欄を開けておこうかと。否定派の書き込みは、削除させてもらう。何故なら、今の社会は、自然や共生との否定、拒否派が言論の自由を握っているんだから。ここに来る否定派のコメント、本当に無意味です。何故なら、私も、他の少数派も、常に自分が属する社会の中で、全く同じ事を、繰り返し言われて来たのだから。暗唱出来る位に、私なんか言われて来ました。全て、人間本意、人間至上主義が動機にある、自己主張。少数派にも、意見が述べられる場が必要でしょう。我々にも、言論と思想の自由を守る場が。多数派に、数的有利でやり込められないで、発言出来る場が。そして多数派も、こうした意見を客観的に知る事によって、異なる価値観を、発見する機会が出来る訳です。私は、経験や失敗によって、成長して行く人間です。今日、正しいと思ってる事が、明日もそうであるとは限らない。ガンディー・ジーも、仰っている通りです。状況をよりよくする為には、その時、その時で、最善と思える方法を、敢えて試みるしかありません。私は、このブログを去年始めました。その殆どの期間を、読者の方との交流を断絶していたものであるに関わらず、存続を希望される方々が、驚く事にいらっしゃった。継続するなら、コメント欄の、再び閉鎖しか、ないようなブログなのに。それがとても、気持ちを重くしてしまう。だから、少数派の意見を掲載する、コメント欄にしたいと思います。多数派や、否定派の意見は、掲載しません。(少数派でも、否定的な意見は不掲載にします。少数派さんは、否定なんかしている暇があったら行動して下さい)思想や、有意義な意見のみを受け付けます。排他的と思われるでしょうが、そういう意図ではありません。少数派には、意見を出せる場が必要なのです。多数派から、そして、気弱故に、少数派でありながら、改革の否定に回る人々の、叱咤や否定に、怯える事なく、発言出来る場が。ここが、その場を確立する事が出来るか?やってみましょう。失敗なら、その失敗から学び、新たな方策を、模索しますから。それと、言い忘れですが、断食は、子供の返還の為の、最後の切り札です。不可避の事態になれば、必ず断行します。私の意志の強固さは、他ならぬ、行政の方がご存知ですし。くどい質問をお受けしますが、他の子を残して死ぬのが目的ではありません。
2007.09.17
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