全15件 (15件中 1-15件目)
1

今日は奥琵琶湖銀輪秋逍遥です。京都から永原へは敦賀行き新快速で1時間数分。 JR湖西線永原下車。ひとまず宿の「GFC奥琵琶湖」に立ち寄り、荷物を部屋に置いて、持参の自転車・トレンクルを組み立て、大浦・菅浦へと走る。(いざ出発。琵琶湖を眺めながら湖岸の道を走る。) 先ず、大浦にある「丸子船の館」に立ち寄ることとする。(丸子船) 丸子船というのは、二つ割にした丸太を胴の両側に取り付けた琵琶湖独特の船にて、北陸と京、大阪とをつなぐ湖上水運に活躍した。最盛期の江戸時代には、1400隻が湖上を往来していたとのこと。展示されているのは現存する2隻のうちの1隻だそうな。と申し上げてもイメージしにくいでしょうから、館内展示のジオラマ(下掲)をご覧下さい。 大浦から菅浦へと自転車を走らせる。湖面を渡り来る風は秋風にて冷んやりと肌に心地良い。沖には竹生島も見えている。岸辺に立てばさやさやと寄せる波の音。水は澄み、人影絶えて閑寂な秋の風景。しばし、写真でそれをお楽しみ下さいませ。(大浦から菅浦へ)(琵琶湖もこの辺りまで来ると、のんびりした気分になる。) ヒガンバナも今を盛りと咲いていました。琵琶湖に花はよく似合う。 北淡海 花こそ似合へ 寄す波の 音も連れなり 秋をし行かむ (偐家持) 彼岸花にはクロアゲハでしょうか、蝶が遊びに来ています。 金色( こんじき)の 稲田のさきの にほの海 青み悲しき 秋の日照れば (偐家持)(走っている道はこんな道ですが、行き合う車も殆どない。)(青葉越しの琵琶湖もいい。)(対岸の岬が海津大崎。遠くには比良の山々が青く。) 大浦からは半島の陰になって見えなかった竹生島が見えて来る。間もなく菅浦の里である。(竹生島) 菅浦の集落が見えて来た。浜辺の小舟の上で何やら作業をしている麦藁帽子の男性。こういうものも絵になってしまう長閑な風景である。(菅浦の集落。上に見える道が琵琶湖パークウェイ。) 琵琶湖パークウェイとの分岐を右に行くと菅浦の集落である。入口に茅葺の小さな門がある。昔はこれが集落の入口であったのでしょう。(西四足門) 菅浦は葛籠尾崎(つづらおさき)の半島の西側小湾入部にへばりついたようにしてある小さな集落。かつては陸の孤島とも呼ばれたそうだが、今は琵琶湖パークウエイが開通していてそういうこともない。それでも、集落に入ると今尚別の時間が流れているような不思議な気分になる「隠れ里」ではあるようだ。(須賀神社) 村にある須賀神社には淳仁天皇が祀られている。これは天平宝字8年(764)藤原仲麻呂の乱後に帝位を剥奪された淳仁が行在したという伝説によるらしい。孝謙上皇の寵愛を受けた道鏡に政治の実権が移ってゆくことに焦った仲麻呂が権力を自己に取り戻すべく孝謙の排除を目論んだのが「仲麻呂の乱」であるが、仲麻呂に擁立された天皇である淳仁としては、この乱に際してどっちつかずの立場をとるしかなかった。そのことで孝謙の怒りを買い、乱後に廃帝となり淡路島に流される。淳仁は淡路で没したとされ、宮内庁が淳仁天皇陵とするものも淡路島にあるのだが、この地ではそうではないらしい。須賀神社の本殿はその石組の形から舟形御陵と呼ばれ、淳仁の御陵とされているのだから。 参道の坂道を登って行くと石段があって、これより先土足禁止とある。かくてヤカモチも靴を脱いで石段を登って行くのでありました。(大伴足持?)(拝殿)(本殿)(裸足でも行けるよう飛び石がある。) 須賀神社の参道の途中に菅浦郷土資料館がある(日曜日のみ開館)が、その前庭に万葉歌碑がありました。(万葉歌碑)<2013年4月27日追記:菅浦を旅行中の友人利◎氏から本日メールがあり、上の万葉歌碑の写真を送って来て下さいましたので、写真を差し替えることとしました。コチラの方が鮮明なので。> 高島の あどのみなとを 漕ぎ過ぎて 塩津菅浦(しほつすがうら) 今かこぐらむ (巻9-1734 小弁(こべん))(高島の阿渡の港を漕ぎ過ぎて、塩津菅浦の辺りを今頃は漕いでいるだろうか。) 鎌倉時代から明治初期にかけて作られた村落や漁村生活を記録した「菅浦文書」(全65冊)がのこされていて、菅浦郷土資料館に保存されている。 それによれば、隣接の大浦荘が寺門(園城寺派)の円満院領であったのに対抗して、菅浦は平安末期には全村が竹生島の神領となり、建長4年(1252)には山門(延暦寺派)の檀那院領になったとのこと。 また、この頃、菅浦の住民は禁裏の供御人をもつとめ、南北朝期から室町時代には、惣と呼ばれる厳しい自治体制がとられていたとのこと。村の出入口に立つ門(四足門)がそのことを偲ばせもする。 江戸時代までは、四足門の内によそ者は住めず、地区で火事を出したり、道理に反する行為をした一家は地区外に追放するなどという厳しい掟があったそうな。 字数制限です。続きはまた明日です。<追記・注>「万葉歌碑」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.09.30
コメント(10)

京都から奥琵琶湖を銀輪散歩して来ました。 京都駅でトレンクルを組み立て出発。NHK大河ドラマに因んで、坂本龍馬関連コースとしました。(京都駅) 八条口から跨線橋を越えて七条通へ出て鴨川へ。七条大橋を渡って、三十三間堂の前を過ぎ、東大路通を北へ。八坂の塔への石畳道を登って、左に入り、高台寺の南側の坂道を登った処、京都霊山護国神社の上に坂本龍馬の墓がある。桂小五郎とその妻幾松の墓もある。(鴨川・七条大橋東詰から) 三十三間堂にもちょっと立ち寄るが、写真が少しボケてしまいました。(三十三間堂)(法観寺五重塔)(坂本龍馬・中岡慎太郎の墓) 坂本龍馬の最後は下掲の写真にある通り。 墓前から振り返ると京都市街が一望できる。右手には京都御苑・御所の緑が見える。(坂本龍馬墓から西北方を望む。) 龍馬の墓の北側に桂小五郎の墓もあるので、ついでにお参りに。妻の幾松の墓と並んである。(桂小五郎の墓)(妻・幾松の墓) 墓参りのついでに円山公園にある坂本龍馬・中岡慎太郎像も見てゆくことに。八坂神社境内を自転車を肩に担いで通り抜ける。(八坂神社)(坂本龍馬・中岡慎太郎像<円山公園内>) 円山公園を出て知恩院の前から坂を下って、辰巳大明神から白川沿いに川端通に出る。鴨川に沿って北へ。三条大橋を渡り、池田屋跡の碑を見て、高瀬川沿いを北へ。高瀬舟がある一之舟入跡で西に入り、河原町通に出た処にあるホテルの前に桂小五郎の像。(知恩院)(祇園白川・辰巳大明神)(白川・大和橋から)(池田屋跡碑)(高瀬川の高瀬舟・一之舟入跡)(桂小五郎像) 河原町通を北へ。丸太町通に出た処で左折し西へ。京都御苑を通り抜け、梨木神社へ。明治18年創建の、三条実美を祀る神社である。(梨木神社) 萩まつりの最中とあって、意外に参拝の人が多い。境内には萩が沢山植えられていて、枝には一般の方が作られた俳句でしょうか、短冊が一杯下げられていました。鳥居の傍らには湯川秀樹博士の歌碑もありました。 梨木神社の前から京都御苑を真っ直ぐに突き抜けると、「禁門の変」の蛤御門である。蛤御門から烏丸通を南へ、京都駅の方へ引き返す。東本願寺の門前を通り過ぎる。 京都駅から伏見に向かう。伏見稲荷大社に立ち寄り、寺田屋まで。寺田屋は偐山頭火氏と銀輪行で立ち寄って以来の久々の訪問。京阪伏見稲荷から伏見桃山までは電車で移動。帰途は近鉄電車で桃山御陵前から京都駅へ。京都からJR湖西線で永原へ。湖北のサイクリングであるが、これはまた明日にアップします。(蛤御門)(東本願寺)(伏見稲荷)(千本鳥居)(京阪電車・伏見稲荷駅)(寺田屋)(寺田屋の前の川・宇治川派流)(伏見は酒蔵の町) 最後に鴨川の橋三題。(七条大橋)(五条大橋)(三条大橋)
2010.09.29
コメント(14)

偐万葉・真澄篇(その9) 偐万葉シリーズ第73弾。 本日は偐万葉・真澄篇(その9)をお届けします。 今回で真澄篇の歌も丁度200首となりました。 真澄さんの絵のお陰で200首もの歌が出来た、ということになります。1首位はいい歌があれば、と願って居ります(笑)。 <参考>過去の偐万葉・真澄篇はコチラからどうぞ。 真澄さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が真澄郎女に贈りて詠める歌20首並びに俳句1句わが屋戸(やど)の 簾(すだれ)うごかし 夕風の 音のさやけく 君し来るらし (偐額田王) はちす葉は かくしぞあれや 横笛を 吹きて今宵の 宿借らましを(借りぐらしのヤカモッチ)はちす葉の さざなみ立たば 咲きのこる 花し奏(かな)でよ 清き調べを (弦楽家持)花笠の 揃ひて揺れぬ をとめらの 白きかひなに 高々の月 (花笠家持) かぼちゃの灯 かざす闇はも なくあれど 秋立ちぬれば うちにぞ見ゆる 野つ鳥の 声の響(とよ)みて 目覚むれば 劫河(ごうが)のほとり 光る朝なり (注)劫河=ガンジス川 夕風の 簾(すだれ)に吹きて 君待てば 花くれなゐに 百日紅(さるすべり)咲く 濡れ縁の 葭簾(よしず)の蔭に 夕風の ほのかに見えて 夏の暮れゆくにがうりの 熟れ行くころや 龍笑みて 雨も降らざり 飛天の舞へば 落つる日の 朱(あけ)に染み行き 酒汲めば はや秋の虫 簾(すだれ)に鳴きぬ夕影に 咲きまされりと 朝顔の 花咲きぬれば 秋づくらしも をみなへし 咲くをうれしみ 行く妹の うしろ影かも 夕日に染みぬ朝露を 負ひて咲きぬる 初萩の 愛(は)しき妻かも たぐひてもがも 撫子の 花咲く秋野 なつかしみ 絶えず通はな 石根(いはね)踏みてもわが待てる 秋もさり来(く)や 風の音(と)の ポンと鳴れかし 風船葛風船の 夢を葛に 秋の風 (筆蕪蕉) 白砂(しらすな)の 浜に人なく 風紋の 見果てぬ夢の をとめの舞ひぬ (秋葉原白秋)橿の実の ひとり行く兒に 恋ひてかも 尾花吹き越し 添へる秋風 (注)橿の実=「ひとり」にかかる枕詞 くくみらは 妹とし摘めど 花咲かば 摘まず眺めむ 手にはな触れそ (食用と観賞用)もみぢせる 葉をや染めてき 吹く風の あらしといふや 山道(やまぢ)にさやぐ (空家の安いで) 西域の 神々招(を)きて 舞ふらむか 秋野に蝶の 飛び行く見れば (注)掲載の絵画は全て真澄さんのブログからの転載です。
2010.09.21
コメント(10)

本日は若草読書会の日。智麻呂邸に集い、凡鬼さんの「子規と漱石」と題するお話を拝聴する。 今回は智麻呂・恒郎女様ご夫妻と凡鬼さん、祥麻呂さん、槇麻呂さんにけん家持の6名と、いつになく少ない参加者となりましたが、内容はとても充実していました。 子規と漱石の交友は司馬遼太郎著「坂の上の雲」にも登場しているが、二人の出会い(1884年、明治17年)から、子規が35歳で病死する(1902年、明治35年)までの間の、二人の交友や、子規の俳句・短歌の革新や文章の革新活動の意義など、また、俳人としての漱石の一面などを、深く掘り下げてお話下さいました。大変興味深く拝聴いたしました。 折しも9月19日のこの日は子規の命日でもあったのであってみれば、まことにタイムリーなお話であったということになります。 子規の絶筆三句 をととひのへちまの水も取らざりき 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな 痰一斗糸瓜の水も間に合はず 子規から見た漱石像、漱石から見た子規像など大変興味深く、二人の友情の素晴らしい在り様に心が動きました。 レジメに書かれていた司馬遼太郎氏の文章も、なるほどと思いましたので転載して置きます。(子規全集の解説「文章日本語の成立と子規」の中の一文とのことです。)「私どもが夏目漱石と正岡子規を、もしくは森鴎外を所有していることの大きさは、その文学以前に、かれらが明治三十年代において、すでにたれもが参加できる文章日本語を創造したことである。文章を道具にまで還元した場合、桂月も鏡花も蘇峰も一目的にしか通用しないが、漱石や子規の文章は愚痴も表現できれば、国際情勢も論ずることができ、さらには自他の環境の本質や状態をのべることができる。本来、共通性へ参加してゆく文章語はそうあるべきものといっていい。」 資料 凡鬼「坊っちゃんと子規に逢う旅」 同・レジメ「子規と漱石」 同・「漱石の俳句・子規の俳句と短歌」 同・「子規・漱石対照年表」(今日の空) 獺( かわうそ)の 祭見たよな 空の雲 (偐芭蕉) (注)獺の祭見て来よ瀬田の奥(芭蕉) 子規の命日は獺祭忌とも言うそうな。
2010.09.19
コメント(8)

本日は大学同窓会の囲碁サークルの例会の日。 今回も自転車で自宅から中之島近く、裁判所の傍にある会場の青雲会交流センターまでひとっ走りしました。 日陰は涼しくて風が心地よいのだけれど、日陰ばかりを走れる訳でもなく、さすがに会場近くに来た頃にはかなり汗をかいていました。 早く着き過ぎたので、御堂筋から堂島川沿いにちょっと入った処にある、行き付けの喫茶店「なかおか」でアイスコーヒーを飲みながら身体を冷やすことに。約30分休憩してから、会場へ。冷房で身体も十分に冷え、汗も乾いた。交流センターに入ると、皆さんもう来られていて4組の対局がもう始まっていました。小生は9番目の到着にて対局者が現れるまで、しばし皆さんの熱戦を観戦することに。 そうこうするうちに神○さんが来られたので、お相手願うことに。前半はやや優勢かと思ったが後半から上手く打たれてしまう。少し負けたかと思ったが石を並べて目を数えてみると小生の勝利でした。次に、(ちょっとお名前をど忘れしてしまいましたが)某氏とお手合わせ。これは大敗。次に場所を変えて 岩○氏と対局。これは大石を二か所も死なせてしまった岩○氏の自滅にて、小生の中押し勝ち。次に山○氏が「やろう」とお声を掛けて下さったのでお相手をする。終盤に見落としあり左辺下の石が死んでしまい、8目の負け。 ということで、本日は2勝2敗。例会でのこれまでの戦績は3勝6敗。囲碁大会での4勝を加えて、青雲会に於ける小生の成績は9勝8敗と、まあ一進一退であります。 次回例会は後輩現役学生との交流とかで大阪大学囲碁部の学生との対抗戦らしいのだが、小生はその日、他の予定を入れていて参加できない。まあ、小生では如何ほどの戦力にもならぬから参加・不参加いずれであれ影響はないでしょう(笑)。 終了後、再び自転車でGo。日も傾き、黄金色になっている。天満橋を渡っていると、丁度、大川(旧淀川)に水上バスが。これもブログネタになるかと写真に。(水上バス。天満橋の上から。右の白い桟橋がバス乗り場。) そう言えば、大阪に長年暮らしているのに、この水上バスに乗ったことがないなあ。
2010.09.18
コメント(0)

今朝になって前日の記事中のセンニンソウとヤマゴボウの写真が「偐万葉」用にと録取していた、木の花桜さんの写真であることに気が付きました。慌てて削除編集し直しました。 PCのマイピクチァに写真を取り込んだ際に、直前に取り込んでいた木の花桜さんの写真と並んでしまったこと。小生もセンニンソウ(ボタンヅルかも?)の写真を撮っていたこと。ヤマゴボウの写真は撮っていなかったが、目にしていたので撮った気になったいたこと。以上のようなことが複合して、間違って掲載してしまったようでした。大失敗(苦笑)。 まあ、早くに気が付き他の写真に差し替えましたが、それ以前にブログをご覧になった方には、あれっと思われたかも知れず、このページをもって訂正の告知とさせて戴きます。木の花桜さんがお気付きでないことを祈るばかりですが、知らんぷりも偐家持とは言え、信用にかかわりますので、茲にお詫びかたがた事情のご報告を申し上げて置きます。 さて、そんなことで、ついでと言っては何ですが、昨日の記事で掲載できなかった写真などを添えて、追補記事をアップさせて戴きます(笑)。(鶴林寺) 鶴林寺は、ラッキー・ガーデンから少し先に行った処にあります。山越えの前に芭蕉句碑の処で出会った男性が仰っていた、漫才師大助花子さんのお住まいもこの辺りにあるのでしょうかね。 この寺は行基開基とも伝えられ、山号は鬼取山である。「鬼取」とは役行者(小角)が儀学、儀賢という二鬼を捕えたという伝承から来ているとか。鎌倉時代の「諸山縁起」にこの寺の名が出ているらしいから、古くからある寺である。 ラッキー・ガーデンの羊さんの写真。他のもあるので掲載して置きます。 ラッキー・ガーデンのホームページはコチラ。(ラッキー・ガーデン「羊コーナー」)(只今お食事中。まあ、年中お食事中の彼らですが。) 奈良県側の棚田の写真掲載していませんでしたので、ここにアップして置きます。(棚田)(案山子も) 秋の色もありました。 見かけた花は下記のようなものですが名前の方は?です。はじけてや 白き花火の 山陰に 咲きてぞ秋の 風と戯る (偐家持)白木綿(しらゆふ)の 花と咲きぬる 岩陰に 蝉まだ鳴けば かなし秋風 (偐家持) 下は前ページにも掲載のチカラシバですが、万葉集では「しばくさ」として登場しています。(チカラシバ<力芝>)立ちかはり 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生(お)ひにけり (万葉集巻6-1048 田辺福麻呂歌集)畳菰(たたみこも) へだて編む数 通(かよ)はさば 道のしば草 生(お)ひざらましを (万葉集巻11-2777)
2010.09.17
コメント(6)

本日の銀輪散歩は久しぶりに暗峠(くらがりとうげ)を越えて生駒市までの山越え往復コースでありました。 国道308号を例によって枚岡公園入り口の椋ヶ根橋まで坂道を何とか漕いで上る。ここで、ペットボトル入りのスポーツドリンクを買い求め、少し休憩。この先の急登は自転車を押して上る。芭蕉句碑のある処の東屋に立ち寄ると男性二人の先客。しばし世間話。暗峠越えで南生駒まで行くと言うと、漫才師の大助・花子の家が峠を少し下った処にある、などと話しておられました。 更に上ると豊浦橋。赤い橋は絵になるかと対岸に渡り、写真に撮ってみる。渓谷の写真は残念ながらピンボケでした。(豊浦橋) さらに自転車を押して行く。坂の傾斜が少し緩やかになった処では漕いで上るのだが、直ぐに急登となって息が上がる。盗人萩、ヤマゴボウなど花を見つけては撮影を口実に休憩しながら、ゆっくりと上る。(盗人萩)よしわれを ぬすびとはぎと ひといへど めげずや咲かな 秋さり来れば (偐家持)(センニンソウ? ボタンヅル?)(ヌルデ?)(イラクサ?ヤブカラムシ?カラムシ?) ヤブカラムシと誰かに教えて貰った記憶があるが、カラムシとの違いがよく分からない。カラムシはイラクサの仲間。しかし、イラクサとカラムシの違いもよく分からない。葉にギザギザがあって毛深い葉がヤブカラムシだと覚えていたが、ヤブカラムシという植物が実在するのかどうか怪しい状態(笑)にて、ネットで調べても出て来ない。 さて、カラムシはと言うと、その茎を蒸して皮を剥ぎ、繊維を取り出して織物にした。万葉にも「むし」として登場する。藤原不比等の息子4兄弟の一人、藤原麻呂の歌がある。むしぶすま 柔(なご)やが下に 臥せれども 妹とし寝ねば 肌し寒しも (巻4-524) 前方から下って来た軽トラックがすれ違いで停車し運転手さんが窓を開けて「この少し上に道路を渡っている亀がいる。車に轢かれては可哀相だから捕まえて道の外に逃がしてやって下さい。」と仰る。おやすいこと故、合点承知と更に上って行くと、確かに道端に亀さんが居りました。写真に撮ってから、谷の方へそっと投げてやると下の谷川の方へ斜面を転がって行きました。(亀、写りがもひとつでした。)(蜘蛛) ほどなく暗峠に到着。棚田の眺めはいつ見ても素敵なのだが、もう刈穂を干している田もありました。これも亦いい眺めである。(暗峠の棚田、大阪府側)(同上) 峠の茶屋「すえひろ」から奈良県となる。少し下った処にある行きつけの喫茶店「友遊由」は本日定休日でありました。(峠の茶屋「すえひろ」)(同上)(同上)(喫茶「友遊由」と愛車MTB) (本陣跡碑) (チカラシバ) 店の前に「本陣跡」の石碑がありましたが、説明板もなく、それらしき跡地もないので、よくは分からない。こちら奈良県側の棚田もいい雰囲気である。この先は一気の下り。犬養先生の万葉歌碑を過ぎて、更に下った処で葛の花が散り敷いているのに出くわす。見上げると崖の上に葛の花が沢山咲いている。道の反対側にも葛の花。 (注)上の犬養万葉歌碑はこのページに掲載されています。 (クズの花散り敷く道の辺)(葛花) 更に下ると、南生駒への国道308号と宝山寺方面への県道との分岐に出る。ここで、南生駒へという当初の考えを変更、県道に入る。(分岐点)(宝山寺への道)(道の辺の民家) アップダウンの曲がり道を行くとラッキーガーデンという洒落たレストランがあったので、寄ってみる。テラスに設えられたテーブルに着くと南生駒の市街と後方の矢田丘陵が一望できなかなかの眺めである。アイスティー(アイスコーヒーを注文したら、ないと言われたので、仕方がない。)を注文して、しばし休憩。(ラッキー・ガーデン)(テーブルからの眺め)(羊) このレストランのことはよくは知らないが、道を挟んで反対側には羊が放牧されていて、その奥には何やらギャラリーがあるらしいのだが、小生は自転車なので、羊さんを写真に撮って、帰路に。一気に下って来た分を今度は四苦八苦して暗峠までまた上らなくてはならない。峠の茶屋で今度は珈琲にありつく。 茶屋を出るとあとは下るだけ。とは言っても転げ落ちそうな急坂なので、常にブレーキを掛けながら、慎重に下る必要がある。茶屋を出る時、「あとは下りですから楽です。」と云う小生に、茶屋のおばさんは「下りは却って危ないから、ブレーキに気を付けて・・」と云って居られたことなど思い出しながら、それでも、下りは下り、軽快に走り下って行くのでありました。 帰宅して30分もしないうちに雷が鳴り、激しい雨に。いい時間に帰って来たものだ。ラッキー。3時間半の近隣散歩でありました。
2010.09.16
コメント(2)

偐万葉・半兵衛篇(その1) 半兵衛氏は愛知県ご在住にて、昨年10月中旬頃から当ブログをご訪問戴くようになり、小生も同氏ブログを訪問させて戴くようになりました。その際のコメントに添えた歌も19首となりましたので、この辺で偐万葉にアップすることと致します。偐万葉シリーズ第72弾であります。 <参考>半兵衛氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が半兵衛(なかのへうえ)に贈りて詠める歌19首 並びに半兵衛の返しける歌1首ハナミズキ ほつ枝にたわわ 赤き実の 空高々に 白雲の行く 我が背子に よきことあれと からすうり 鈴にぞ生(な)りて 夕映えに燃ゆひぐらしの 来鳴く夕べの 木(こ)の暗(くれ)に 咲きてかなしき 玉章(たまづさ)の花 (注)たまづさ=「たまづさ」は手紙のことであるが、 カラスウリの別名でもある。 たまづさの 赤く熟れ行く 秋風の かそけき音ぞ 恋ひ待ち居れば山にあれば 妻が手枕(ま)きて 寝しものを 道に臥(こ)やせる 狸のあはれ (偐聖徳太子) 人はみな 弱き心の あるなれば 鰯の頭も 神となるなり (脳の中の恐竜)まもりたい いろんないのち まもりたい せいじかせいめい まずまもりたい(カラス山由紀夫) わが丘の おかみに言ひて 降らしめむ 雪(ゆき)は雪(ゆき)でも 雪(せつ)の雪(ゆき)なり (政界夫人) 半兵衛の追和せる歌 鳩が丘の おかみに言ひて 降らしめむ 雪は雪でも 由紀の雪札 (不知読人)あらたしき いのち生まれぬ ほよ取りて このきさらぎの よき日祝はむ (注)ほよ=ヤドリギ 桜はや 咲きてはあれど 朝床に もぐらむと来る 吾家(わぎへ)の猫は吹き来るは あけびの花の 咲きゆける うすきむらさき 春風ならし 心にも 隠れて棘の あるならむ 蛇結(じゃけつ)茨(いばら)の 花にあらねど初夏の風 吹きや返せる 浅茅原(あさぢはら) つばらに見つつ ひとりし行かむ (銀狐家持) 禊(みそぎ)せぬ 人は何をか 申すべき 苦(にが)きちさの実 食(く)ふは民(たみ)のみ (注)ちさの実=エゴノキの実尻笑ひ 猿はすなるか 夏選挙 蝉は変らず 腹で鳴くなる (民々蝉) これやこれ いづち行かれる モグラ殿 右往左往の 大暑なりけり (焼けモグラ)やあやあと お出迎へなる 向日葵(ひまはり)の 顔みな笑みて 炎天もよし (猛暑家持) わが屋戸の クロは蝉とり 茶太郎は 仔鼠仔雀 もっぱらなりき (偐半兵衛)むすめらの 笑声して 空青く 胡桃(くるみ)は生(な)れり 里山の秋 (注)掲載の写真は全て半兵衛氏のブログからの転載です。
2010.09.15
コメント(4)

本日は「第63回智麻呂絵画展」のページをプリントアウトして智麻呂さんにお届けして参りました。ご夫妻としばし歓談のあと、銀輪散歩に。 恩智川を南に走り、八尾市に入った処で前方の空が黒くなっていたので、右折、西に進路を取り、あてもなく銀輪(MTB)を走らせる。そのうちに見覚えのある風景に出くわす。今年の5月6日に若江岩田から八尾市の山本へと銀輪散歩した際に立ち寄った木村重成墓のある公園、八尾市西郡地区の辺りまで来ていたのでした。 その折には気が付かなかった神社がありましたので、立ち寄ってみることに。西郡天神社とある。(西郡天神社) 境内にある「西郡廃寺址」の石碑には、「境内の手水鉢は西郡寺の塔利柱礎石である。この地は錦織連の居住地で、その寺院の地といわれ、八間堂の字名がある。塔心礎は、高さ60cm、縦120cm、横160cmの自然石の中央に直径67cm、深さ37cmの柱穴があり、その中央に直径21cm、深さ18cmの舎利孔がある。白鳳時代に属し、昭和49年大阪府から考古資料として指定された。また、この境内から鎌倉時代の石灯篭の台座も出土した。(八尾市教育委員会)」とある。 錦織(にしきおり・にしこおり・にしこり)の地名は、大津京址のある大津市錦織やこのブログでも度々ご紹介している錦織公園のある富田林市錦織を始め、宮城県、岐阜県、岡山県、滋賀県長浜市、同野洲市などにもあるようですが、朝鮮渡来氏族の錦織氏一族の居住地に由来するものであるのでしょう。錦織氏は天武天皇の時代に「連(むらじ)」の姓(かばね)を賜っている。 このあと、木村重成墓に立ち寄り、玉串川を渡り、恩智川辺に戻って、更に東進し、旧東高野街道を横切って、生駒山辺の道を経て帰宅しました。ざっと2時間半の近隣銀輪散歩でありました。 ところで、民主党代表選は菅さんの勝利でしたな。スゲ替へは せじと山菅(やますげ) 勝ちはすれ 道は小沢の 秋の夕暮 (民主灯) <参考> 若江岩田から山本へ(上) 若江岩田から山本へ(下)
2010.09.14
コメント(2)

第63回智麻呂絵画展 本日は智麻呂絵画展です。智麻呂絵画のファンの皆さまお待たせいたしました。本日、恒郎女さまからお電話があり、完成した絵がかなりたまっているので、お手すきであればお越し下さい、とのことで、「お手すき家持」早速にお伺いし、新作を仕入れてまいりました(笑)。 全15作品一挙公開であります。(グラタンと鰆のムニエル) いきなりメイン・ディッシュでありますが、これは先日智麻呂ご夫妻がお嬢様と楽しまれたランチ(ディナーだったかな?)の料理の一つです。(葡萄) これはデザート。ではありません。岡山の木の花桜さんがお届け下さったピオーネです。枝葉もついていて智麻呂さんの絵心をいたく掻き立てたようであります。明日にはこの原画は木の花桜さんのもとに郵送される筈です。 ピオーネの 色あざやかに 秋の気の 露と光れる 朝にしあれり (偐家持)(ヤマホロシ) 上のヤマホロシ、下のキキョウ、ツユクサは小万知さんからの花の写真をもとに描かれたものです。猛暑続きの昨今、野外での写生も無理とあって、苦肉の花写生でありますな。(桔梗)(ツユクサ)(通天閣) 通天閣は和郎女さんからの絵ハガキを写生されたもの。タイガースファンの智麻呂さんへと、タイガースファッションの通天閣の絵ハガキを送って下さったのでしょうな。阪神タイガースしっかり頑張ってやぁ。(トマト) トマトはデイサービスで描かれたもの。今回は薄い紙ではなくやや厚めの紙でありましたから、施設の方も少しは気が利くようになられたのですな。(ピーマン) ピーマン、パプリカは智麻呂さんが絵に描きたいからと恒郎女さんに買って来るよう頼まれたものであるらしいです。今はもうサラダになってしまっているとは思いますが・・。(パプリカ) パプリカも 添ひてたぐひて あるならし 妹と来し道 思ひしやれば (偐家持) (ナス) 茄子も智麻呂さんの絵によく登場しますが、これについては情報の持ち合わせがありません。しかし、とてもいい絵です。(トウモロコシ) トウモロコシは初登場でしょうか。この絵も素晴らしい。傑作の一つですな。 唐黍の 熟れてぞ夏の 去り行ける 夕べの今は 何しか悲し (偐家持)(アシスト自転車) これは恒郎女さんの愛車です。お嬢様達からのプレゼントで、とても重宝されています。それにしても、智麻呂氏の絵の対象がどんどん広がっていますな。下の靴やシャツや昇降機の絵がそれを表しています。(靴) この靴は誰の靴? お孫さんの靴かと思いきや、恒郎女さんの靴でした。お嬢さまから先日プレゼントされたものらしいです。それにしても可愛らしい靴ですな(笑)。下のシャツもお嬢さまから智麻呂さんに贈られたものです。いづれもブランド物、なかなかお洒落です。 花柄の 沓(くつ)もゲゲゲの シャツもよし 愛(かな)しき子ろの 思(も)ひにしあれば (ゲゲゲの女房)(シャツ)(昇降機) デイサービスや外出の行き帰りに車から車椅子(車椅子から車)へと移る際に使用する昇降機です。智麻呂さんの相棒として、いつも身近に在る物にてあれば、やはり一度は描いて置くべきと思われたのかも知れません。例によって、恒郎女さんは「バランスが悪い」と絵の出来については辛口の評をされていました(笑)。<参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~
2010.09.12
コメント(10)

日が落ちて虫の声しきり。吹く風も何処となく秋らしくなって来ました。 今日の銀輪散歩は北へ。大東市の野崎観音から四条畷神社経由権現川沿いの坂を上って御机神社、国中神社を経てJR四条畷駅前から、深北緑地に出て、外環状道路を南に戻り、JR跨線橋の前で右折、西へ。寝屋川から恩智川沿いの道を迂回して、再び外環状道路に戻り、東大阪市に入った処で西へ右折、加納緑地公園で一休み。恩智川沿いに花園中央公園へ。ざっと北河内周回銀輪行となりました。(東大阪市野崎付近) 先日の台風による雨によるものか、野崎観音への途中、東高野街道から生駒山の方を眺めやると、家並みの背後の山肌に土砂崩れの跡が認められました。(国中神社への道) 御机神社から少し北に行った処に国中神社という神社がありました。祭神は天照大神、国常立命、猿田彦命、菅原道真。(国中神社鳥居)(国中神社本殿)(黄花コスモス) 道の辺に黄花コスモスが咲き乱れていました。日差しは夏のそれですが、やはり秋ですな。丁度、小学校の下校時間なのか、国中神社から出て坂道を下り始めると、小学生たちと次々すれ違う。その中に二人連れの男の子が何やら楽しそうに顔を寄せ合って笑っている。覗くとネコジャラシで「草相撲」をしているのでありました。文字通り「道草」ですな。(道草)(飯盛山?) 国中神社を出て南東の方を見返ると形の良い山が。飯盛山か、それに連なる山か?飯盛山はご飯を盛ったような形からの名でしょうから、全国に同名の山がワンサカあるんでしょうな。(黄色のハイビスカス?) 加納緑地(緩衝緑地公園)付近まで戻って来ると、稲田が広がっていて長閑な眺め。(稲田・加納付近。後は生駒山。)(加納緑地・暫く休憩です。) 日も傾き、西日に木の葉が透けて見える。やわらかな葉洩れ日が、風景をやさしいものにしてくれる。「さて、花園公園に戻って、一回りしてから帰ることとするか。」
2010.09.10
コメント(12)

昨日は大学の同窓会(青雲会)の幹事会、幹事会終了後はいつもの通りビヤホール「梅田スーパードライ」で懇親会。 本日は梅田スカイビルで囲碁の会。と2日続きで大阪市内に出掛けましたが、同窓会幹事会は夜の会食があるということで、また、本日の囲碁の会は台風の影響で大雨かもということで、いつもとは違って、自転車(MTB)ではなく、電車で出掛けることとしました。 昨夜は雨が少し降りましたが、大雨洪水警報が出ている地域が大阪府内でもありましたが、こちらは、本日は雨が降らず、結果的には自転車でもOKの天気でありました。静岡県や神奈川県など猛烈な雨で河川が氾濫したり、浸水被害なども出ているようですが・・・。 さて、本日の囲碁、出席者は竹○氏、荒○氏、平○氏、村○氏と小生の5名でありましたが、小生は竹○氏と2局打っただけでありました。1局目は終盤で受け間違って負け、2局目は上辺に結構な地が出来て勝利。1勝1敗でした。 ということで、今回は関連する写真がありません。今月初めのお墓参りの折に撮った六地蔵さんの写真でも掲載して置きますかな。 「何で六地蔵の写真なのだ?」 「さあ、それがよく分らんのですな(笑)。」
2010.09.08
コメント(6)

偐万葉・くまんパパ篇(その2) 本日は、くまんパパこと坂本熊麻呂(さかのもとのくままろ)氏に贈りたる歌(と言っても戯れ歌ですが<笑>)による、偐万葉・くまんパパ篇(その2)であります。 <参考>偐万葉・くまんパパ篇(その1)はコチラからどうぞ。 くまんパパ氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が坂本熊麻呂(さかのもとのくままろ)に贈りて詠める歌18首五月雨は 侍青(サムライブルー)の 三(さん)ゴール せきとむるひまも あらじとぞ思(も)ふ (デンマーク皇女(のひめみこ)) (元歌)五月雨( さみだれ)は 美豆(みづ)の御牧(みまき)の 真菰草(まこもぐさ) 刈り干すひまも あらじとぞ思ふ (後拾遺和歌集206 相模)蹴る時し 神に祈りの ことありて 美しかりし 球の軌跡(きせき)言ふ (本田蹴佑) (元歌)抱(いだ)くとき 髪に湿(しめ)りの のこりいて 美しかりし 野の雨を言う (岡井隆 歌集「斉唱」<昭和31年・1956>)吾(あ)が蹴ると 本田に言ひて 吾(あ)が決めし シュートの軌跡(あと)も 美しかりき (遠藤保偐)今はもや さ寝をさ寝ぬる 元気なく 歌にうつつも いかほなものか (駄洒落家持) (元歌)伊香保ろの 八尺(やさか)のゐでに 立つ虹(のじ)の 顕(あらは)ろまでも さ寝(ね)をさ寝(ね)てば (万葉集巻14-3414)玉砕も 珠玉なりての ことならむ いづれの歌も ゆかしとぞ見ゆ淡路の 野島が崎は 地震(なゐふる)の あとやのこして 浜風の吹く (淡路風麻呂) (元歌)淡路の 野島が崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹き返す (万葉集・巻3-251 柿本人麻呂)うたへずは われもほろびむ みじかよの いのちのすゑに それとしるさめ (奥会津家持) (元歌)歌はずば 言葉ほろびむ みじか夜の 光に神の 紺のおもかげ (塚本邦雄・歌集「閑雅空間」<昭和62年・1977>)ぎざぎざの 轍に咲ける 花ひとつ 置き去りにせし 愛のこと思ふ (ひねらぬ家持) (元歌)そぼそぼと 降る雨音の おだやかさ 愛した人の 悪口を言う (東直子 第一歌集「春原さんのリコーダー」<平成8年・1996>)命令形 滅び行くらし をのこらの 立ち位置弱く なりてもあれば (絶滅危惧種)廃村を 告げる活字に 桃の皮 ふれてもかはく ひだもなき空 (乾燥家持)面の皮 厚くなりゆく ねじけ人 ずるり剥かなむ 桃の皮もが (桃太郎) (元歌)廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり来て (東直子 第一歌集「春原さんのリコーダー」<平成8年・1996>)朝なさな 咲けるかほ花 我妹子の 笑みとし見えて 恋ひつつぞ居り 世はなべて 草食系に なりぬれば 建(たける)の裔(すゑ)も 髭のなからむ祭礼(まつり)とて 白き腕(かひな)を 突き上ぐる 卑弥呼の裔(すゑ)は 神輿(みこし)の上に (元歌)祭礼( まつり)とて 濃き口髭を たくはへし 建(たける)の裔(すゑ)を 探しにいかむ (塘(つつみ)健(けん) 第一歌集「火冠」<昭和58年・1983>) 熱中症 なりや比古星(ひこぼし) 天の河 酷暑この夏 梶の音(と)絶えて (熱帯夜家持) (元歌)天の河(かは) 楫(かぢ)の音(と)聞(きこ)ゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夕(こよひ)逢ふらしも (万葉集・巻10-2029)よられつる 菅も小沢も かぎろひて 民は猛暑の 上(うは)の空かも (東行) (元歌)よられつる 野もせの草の かぎろひて 涼しく曇る 夕立の空 (西行)さるすべり ほつ枝に白き 花咲けば いよよ大空 青くぞ澄める 白雲の ごとや咲きたる サルスベリ 見つつしのはめ 吾が恋妻を(注)掲載の写真はくまんパパ氏のブログからの転載です。
2010.09.06
コメント(4)

パソコンのマイ・ドキュメントを整理していたら、書き止めてあった俳句が出て来た。内容から見て、昨年の秋口から冬にかけてのもののようである。削除するに当たって、ブログに掲載して置くことといたします。多分、色んな方のブログのコメントに添えた俳句(川柳)などかと思います。賞味期限切れの句もありますが、ご容赦賜わりたく。 題して、「筆蕪蕉俳句集」であります(笑)。観音も 育児休暇の 大須かな島山も 腰かがめてや 秋を恋ひ白たへの 菊を浮かべて 月見酒地蔵盆 暑気を送りて 秋迎へ 桐の実の ただカラカラと 秋の風田の水の 沸くを気付かず 茹で蛙 (鈍感力)蝉時雨 止みて蜻蛉(とんぼ)の 風涼し麻衣(あさごろも) 脱げて民主の 鳩が飛ぶ (浮動票)青空を 飛ばせてみたし 胡蝶蘭風の音(と)も 秋となるらし 奈良の萩 玉兎(ぎょくと)まだ 半身(はんみ)の秋の 夜空かな (注)玉兎=月無花果(いちじく)を 鳥と分け合ふ 奈良の人 (無果花(あだばな))パンパスの 尾花が下の 石ぼとけ (或然陳(あるぜんちん))石仏(せきぶつ)も インディオに見ゆ パンパスグラス (アミーゴ)江戸前の 鳩が気になる 秋大和柿の実の 色もほのかに 秋は来ぬ乞食(こつじき)の 始めの朝や 秋澄めるわらはめの はにかむ笑みの 春は来ぬ道草も もみたふ頃や 赤とんぼ夜ふかしの 芋名月や 雲切れず (注)雲切れず=句も切れず秋薔薇は 風の音(と)映し 咲くならむ 藁の香の 納屋の板屋根 初しぐれはぜの実の はぜて北山 雪降れりコスモスの 咲く日だまりに 猫二匹風まかせ 雲とし行かむ 柿の道 (渋柿曽奈)薄原(すすきはら) 白き穂波の 冬立ちぬ柿の実を みっつ残して 冬立ちぬ 一茶忌や 一枝(ひとよ)のもみぢ 折りにけり一茶よし 一酒なほよし 一茶の忌 三人(さんにん)の をみなが笑ふ 木通(あけび)の実次郎長が かぶりつきたる 次郎柿 (次郎鴨)たんぽぽの ほどの無邪気さ なくすまじ (秋目漱砂) ひま人も わけなくせはし しはすかな (暇蕪蕉) ろうそくの 実の白くなる 北の風暮れゆけば 出で湯恋しき 軒つらら
2010.09.03
コメント(16)

本日は梅田スカイビル21階での囲碁の日。炎暑の中やはり自転車(トレンクル)で出掛けることと致しました。本日の出席者は、青○氏、平○氏と小生の3人だけ。青○氏と2局して2勝、平○氏と1局して1勝。3戦3勝でありました。 話は変りますが、先日(27日)眼鏡のフレームの螺子が折れてレンズが外れてしまいました。大丸梅田店の11階にある眼鏡コーナーが小生の行きつけの店なので、本日、梅田に出たついでに修理に出し、囲碁が終わって帰りに寄ると修理が完了していました。この数日予備の眼鏡で過ごしていましたが、やはりいつも掛けている眼鏡がしっくりしていい。眼鏡に続いて29日には電気カミソリが故障した。MTBのディスクブレーキの故障といい、この処いろんなものの故障が続いているが、これも異常な猛暑の所為でありますかな(笑)。 さて、自宅から梅田スカイビルまでの銀輪行は汗だくの銀輪散歩となりましたが、汗を一杯かくと身体が軽くなったみたいでなかなか心地よいのであります。 以下は行き帰りの写真です。(雀たち・大阪城のお堀端で)(鳩の孤独・同上) 逆光なのでカラスみたいですが、カラスではありません。 以上は往路の写真。以下は帰途の写真です。(大川<旧淀川>)(石の詩) 上は大阪城公園の一角にある石像ですが、今日初めて気付きました。見ていても目に入らぬものが結構あるのですな。心和む石像です。3人の乙女に見つめられながら(3人とも目をつむってるぞ。<笑>)、像の前で暫く休憩しました。 あとは一気に自宅までひた走り。
2010.09.01
コメント(14)
全15件 (15件中 1-15件目)
1