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煤逃げ第二弾の本日は、銀輪散歩・巽の犬養万葉歌碑であります。 自宅を出たのが10時28分。 本来なら偐山頭火氏と箕面市萱野2丁目にある萱野三平宅を訪ねる処であったのだが、同氏の都合が悪くなり中止となったので、忠臣蔵から万葉に切り替えて、けん家持単独行にて大阪市生野区巽西3丁目の横野神社跡にある犬養万葉歌碑を訪ねることとする。 近鉄奈良線の南側の道を西へ走り、国道479号(地下鉄千日前線の走っている通り)に出て左折、南へ。南巽駅の手前で右折、西へ。平野川分水路(城東運河)に架かる入了目橋を渡り、東大阪朝鮮中級学校を右に見て、その先二つ目の辻を右折した処に、横野神社跡の碑がある。 住宅地の小さな一角にネットフェンスで囲まれてその碑があるのだが、平成4年3月にこの地に犬養孝先生揮毫の万葉歌碑が建立されたのである。(横野神社跡碑) (横野万葉歌碑) 紫之根延横野之春野庭君乎懸管鶯名雲(注)碑文の「鶯」の字は、貝二つの下に鳥を書くのが原文だが、このブログでは使えない文字なので鶯としました。紫草(むらさき)の 根ばふ横野の 春野には 君をかけつつ うぐひす鳴くも (巻10-1825)(歌意)「紫草が根を張る横野では、あなたを心にかけて思ってウグイスが鳴いていますよ。」 横野は、むらさき草の根が太く真っ直ぐに延びる様をいったものとか、細長い野をいったものとかの説もあるが、地名説ではこの横野神社辺りのこととされている。 日本書紀仁徳天皇13年の条に「冬十月和珥池を造る。是の月に横野堤を築く。」とあり、この付近を流れていた橘川(古平野川)の氾濫を防ぐため巨大な堤防が築かれたとのこと。横野神社は、その堤の安全と河川の流れの平穏を祈って造営されたのがその始まりという。 祭神は第11代垂仁天皇と皇后日葉酢媛との間に生まれた第一皇子の五十瓊敷入彦命(いにしきいりびこのみこと)(古事記では「印色入日子命」)である。古来より印地之宮、又は西之宮と呼ばれた式内社であったが、明治40年の神社合祀令により、南東方向、巽南3丁目にある巽神社に合祀され、廃社となる。 さて、続古今集にも横野を詠った歌があるので、それも掲載して置きましょう。霜枯の 横野の堤 風さえて 入り汐遠く 千鳥鳴くなり 昔はこの辺りは海岸近くで、千鳥の鳴く声も聞かれたということであるのでしょうが、密集した住宅などの建物とアスファルトの道、聞こえるものは車の走る音のみである。偲ぶれど 横野の堤 影もなく 家並みぞ道は 車行き交ふ (偐家持)(平野川分水路<城東運河>。入了目橋から北を望む。) 近くにある円徳寺、念仏堂を訪ね、巽神社を回って帰途につくべく道を取ってかえす。(円徳寺)(本堂・元禄14年に再建されたものとのこと。) 円徳寺は東本願寺の末寺。 室町時代の長享2年(1488年)に、第9代将軍足利義尚配下の地侍、上場又三郎正欽が蓮如に帰依して僧となり開創した寺とのこと。(念仏堂) 巽神社に向かう頃から雨がポツリ、ポツリ。神社は中止にして、国道479号を北へと引き返す。段々と雨が本降りに。地下鉄小路駅前で道路脇の喫茶店へ雨宿りと昼食を兼ねて飛び込む。 昼食を済ませ珈琲。それでも雨は止む気配がない。仕方がないので、ザックから雨具(雨衣上下)を取り出し着込む。着込みながら店のママさんと話をしていたら、彼女も自転車で転倒事故を起こして脇腹辺りの骨を骨折していて未だ治療中とか。小生も自転車事故で骨折の体験ありなので、そんなことで話が合いましたが、長居は無用。雨対策完了で出発です。 雨はレインコート着用で問題なく走れるが、スピードを上げると顔に冷たい雨がかかってちょっと不快である。 東花園駅前の洋菓子店でショートケーキを購入。煤逃げ銀輪なので、昨日の凡鬼さんの俳句に倣って、「そっとさし出そう」という魂胆である(笑)。母はケーキは好みではないので、和菓子屋にも寄って和菓子を購入。 花園ラグビー場の前を通って帰ることに。今は高校ラグビーの第90回全国大会が開催中なので、その賑いも撮影して置こうという次第。(花園ラグビー場正面入口)(雨は少し小降りになって来たが・・)(この少年ラガーマンは東大阪市の「ゆるキャラ」マスコットである。) 試合の様子は入場しないと撮影できないのであるが、遮蔽シートの隙間から一枚だけ撮影しました。どの対戦であるかは知らない。(試合の様子) 帰宅したら午後2時。雨も殆ど止んでいました。やがて日差しも。 煤逃げの天罰か、雨の間だけ走ったことになる(笑)。 さて、この記事を以って、「偐万葉田舎家持歌集」は今年の打ち止めといたします。今年もご愛読いただき有難うございました。 皆さまどうぞ良いお正月をお迎え下さい。 新年が皆さまにとって素晴らしい年でありますようにお祈り申し上げます。 来年もよろしくお願い申し上げます。<参考>回り損ねた巽神社の写真などはコチラからどうぞ。<追記・注>写真2枚(「横野万葉歌碑」)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.12.30
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本日到着の凡鬼さんからの読書会案内状に凡鬼さんの次のような俳句が記されていました。 煤逃や土産にケーキそっとだし (凡鬼) 凡鬼さんの解説によると、「煤逃(すすにげ)」とは年末の季語とのこと。本来の季語は「煤払」で、これから派生して、煤払いから逃げ出すことを意味するらしい。外へ逃げる代りに部屋に閉じこもるのを「煤籠(すすごもり)」と言うとか。 もうカマドもなくなったので、払うべき煤もないのではあるが、年末の大掃除やオセチの準備で家人は忙しくしている。しかし、こちらの偐歌人はと言うと役立たずで、妻と母と娘に任せてと言うか、その邪魔にならぬように「煤逃」又は「煤籠」なのである。 もっとも、払うべき煤もなき昨今、煤払い、よりも「ヤニ拭き」ですかな。喫煙を止めぬけん家持の書斎は全てがヤニで汚れていることでしょうから、「ヤニ拭き」、「ヤニ逃げ」、「ヤニ籠り」が季語として相応しいかも。 それはさて置き、とにもかくにも、本日は、午前中は「煤籠」、午後からは「煤逃」のお墓参りと相成りました(笑)。 「煤逃げ」であれ「ヤニ逃げ」であれ、「逃げ」でありますれば墓参のあと少し銀輪散歩しようと自転車MTBで出掛けることといたしました。 墓への坂道は途中でギブアップ。押して登りました。(墓は生駒山地の山裾の高みにある。) 墓地のシンボルツリーとも言える楠の大木が、「煤払」ならず、枝打ち払われて何とも情けなき姿になって居りました。今月初めに来た時は未だ堂々たる姿であったのに・・小生が散髪に行って伸び過ぎた髪を切ったのに合わせて楠さんもサッパリしたお姿に・・であります(笑)。 (墓石裏面) (枝うち払われし楠ぞわれ。)(元の姿はこんな風でした。2年半前の写真です。) 墓参のあと、山沿いの道を銀輪散歩。近くに東大阪市立郷土博物館がある。勿論、年末の今は休館しているが、その前庭でちょっと休憩。この付近には山畑古墳群と呼ばれる6・7世紀の古墳群があり、前庭にもその内の一基22号墳がある。(東大阪市立郷土博物館)(山畑古墳群22号墳)(同上、墳丘)<参考>郷土博物館と山畑古墳群(39号墳)(38号墳) 博物館から少し坂を下って南へ、再び坂道を上って行くと「奥ノ宮道」という古びた石碑があった。その示す処に従って行くと、道は段々と細くなり、自転車を乗っては進めなくなる。押しながら更に行くと、山道になってしまい、最後は行き止まり。古墳が二つばかりありましたが、説明板などはない。引き返すことに。 宮おろか 道もなきなり 山里の しるべたばかる 奥の宮道 (幻惑家持)(こんな道になって、この先は更に悪路となる。)(古墳)(この古墳の前で行き止まり。) 煤逃げの 墓参のあとの 銀輪は 古墳の先で 立ち往生や (行き止まりの家持) さて、明日は何処へ煤逃げいたしませうぞ(笑)。やはり、ケーキ屋さんのあるコースでないといけませぬかな。<追記・注>写真3枚(「墓石裏面」「枝うち払われし楠ぞわれ」「こんな道になって、この先は更に悪路となる。」)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.12.29
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偐万葉・どち篇(その2) 本日も偐万葉です。まるで年末「大蔵ざらえ」ですな(笑)。 偐万葉シリーズ第88弾、偐万葉・どち篇(その2)であります。 偐万葉シリーズはこれが本年最後です。 来年もまた皆さまのもとにお邪魔して勝手コラボの偐万葉を続けさせて戴きたく存じますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。 今年一年どうも有難うございました。 <参考>過去の偐万葉・どち篇はコチラからどうぞ。 偐家持がオガ朝臣国麻呂に贈りて詠める歌14首あじさゐの 花うすべにに 咲く道は 母の墓参(ぼさん)や たなぐもる空 行く先は あはじまなるに 背子の読み あひてありけり 越の粟島(あはしま) (後村上院稗島)落合と 折り合ひわろし オガクニの もみつ言の葉 おはりもなきか葉の裏も 尋ね見てみよ 花も実も 時こそたがへ 生(な)りてあるなれ山茶花の 花も咲くらし 我背子の 生(あ)れやましける 日にしぞあればよき人の よしといませや 千代にもが 登美の小川の 水脈(みを)し絶えせじ 雲がゆき 水の流るる ままにぞや 行かむとぞ思(も)ふ 年の暮かなオガクニの 刈り過ぎたるや 似非庭師(えせにはし) 降らずありけり その雪柳春一番 嵐ものかは 我が背子の 庭にぞ蘭の 花は咲きたり背子がゆく 加賀の春べや 犀川の 花は含(ふふ)めり 雨な降りそねオガクニに 敬意払ふや オバマすら 今年は無帽で 門くぐるらし (表敬家持)我背子の 何と問ひたる 金枝梅(きんしばい) 今しや盛り 名告(なの)り咲くらむ わが背子は 人にしあれば 雨雲の 雷(いかづち)の下に ゴルフせぬかも (偐麻呂)夕風は 秋づくらしも わが鳩の 巣立ちの時の 近付きぬれば (注)1.オガクニマン氏のブログはコチラから。 2.上記写真はけん家持撮影のものです。 偐家持が虫飼朝臣蝶麻呂に贈りて詠める歌1首河口湖 うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雲ぞたなびく (湖部白人(うみべのしろひと)) (注)上記写真は蝶麻呂氏撮影のものです。 偐家持が楽老に贈りて詠める歌2首足柄(あしがり)の み坂遠みか 鶏(とり)が鳴く 吾妻のことも 忘れ始(そ)めにき散りてこそ 花は花なれ 我もまた 一夜嵐に 散らまくの欲し 楽老の贈り来たりける歌1首今は亡き 老いた教授が 飲む酒は 説教ならず 腰にぞ効けり 偐家持の返しける歌1首腰に効く 酒のお陰ぞ 楽老の 今しぞあれる ことにやあらむ 偐家持が楽老に贈りてまた詠める歌2首楽老の 奥の細道 えげれすの 菜の花敷ける 丘にやあらむ (楽家持)はちす葉も 濁りに染まる 味しめて そばなる玉も つゆもあざむく (乱玉庵) (注)楽老氏のブログはコチラから。
2010.12.28
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偐万葉・雑詠篇(その3) 昨日に続いて偐万葉・雑詠篇です。 シリーズ第87弾となります。 <参考>過去の偐万葉・雑詠篇はコチラからどうぞ。 偐家持がきんくん氏に贈りて詠める歌1首母御前(ははごぜ)の ありがたかりき 御念(みおも)ひの 海底(うなそこ)深く 潜(かづ)く白玉 (注)きんくん氏のブログはコチラから。 スギゴンの郎女の贈り来たりける歌1首ふる里は 今も変らぬ やまと歌 咲き乱れぬる 常春の園 偐家持の返しける歌1首とこ春と 訪(と)ひ来るひとの ありがたき わが山里は 冬にしあるを (注)スギゴン氏のブログはコチラから。 未詩央郎女の贈り来たりける歌1首恋し野の 真土くるとも 東より 春の嵐か 花びらの蝶 偐家持の返しける歌1首真土山 東風(こち)とし越えむ 花びらの 蝶にあらねど 紀道(きぢ)恋ふわれは 偐家持が未詩央郎女に贈りて詠める歌8首又兵衛の さくらの花も 咲きぬれば 追ひて咲くらむ み吉野の山 真土山 越えて散るらむ 桜花 見まく欲しきと 妹待つらむか桜花 咲きや匂へる 望月の 妹し生まれし この日の幸(さ)きけ 未詩央郎女の返しける歌1首生まれしは ピンクの道を 通り抜け 空の蒼さに 赤白黄色石走(いははし)る 垂水(たるみ)と咲くや 枝垂(しだ)れつつ 花も溶けゆく 春盛りなり み仏の 顔拝み見む 花越しに 大野のみ寺 春盛りなり奥山に 枝垂れて八重に 咲く花の 人知れずこそ 思ひ始(そ)めしか見る人の なけれ古里 山の辺に みつばつつじの 咲きてぞありぬ 夕されば 人や恋(こほ)しき 千鳥浜 満ち来る潮に 思(も)ひつつぞ居り (注)未詩央氏のブログはコチラから。 偐家持がCHOCOの郎女に贈りて詠める歌3首美しき 兒(こ)ろに流るる 春風の 愛(は)しき花かも 咲き匂ひぬる我妹子(わぎもこ)は 妹背の山に 照れる日の 白木綿花(しらゆふはな)に 咲きてぞありぬ高々に ラピュタの塔の 立ち行きて 見上げつ行ける 人の声あぐ (注)CHOCO氏のブログはコチラから。 偐家持がHIRYU氏に贈りて詠める歌1首閉まるまで ゆるり待たなむ エレベーター ここふらんすの 街にしあれば (注)hiryu氏のブログはコチラから。 偐家持がピーチマン氏に贈りて詠める歌1首下野(しもつけの) 安蘇(あそ)の川原の 桜花 空ゆ来たれり 今しぞ咲きぬ (注)ピーチマン氏のブログはコチラから。 偐家持が腰痛ギャンブラー氏に贈りて詠める歌2首コマキャラの タイは間近に 寄りて見よ 虫と見えしは 車なりけり (タイ家持)たこ焼きの シールで結ぶ ネクタイの 柄は浪花の 心意気なり (春団治家持) 腰痛ギャンブラー氏の返しける歌3首たこ焼きを ほおばる顔を 思いだし 夫婦のきずなを 再度認識 (憂鬱山)シールから にじみ出ている やさしさに 心を打たれて 感謝感激 (憂鬱山)ネクタイが 取り持つ縁の 不思議さに 結び目かたく 笑顔あふれる (憂鬱山) (注)腰痛ギャンブラー氏のブログはコチラから。 偐家持が森のくま氏に贈りて詠める歌1首二上(ふたかみ)に 鳴くほととぎす 声聞けば 祖母のことしも 思ほゆるかも (注)森のくま氏のブログはアドレスなどの手許資料なしです。
2010.12.27
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偐万葉・雑詠篇(その2) 偐万葉シリーズ第86弾、偐万葉・雑詠篇(その2)をお届け致します。 少し古いものになりますが、年も改まりますので、この辺でアップして置くことと致しました。 <参考:過去の偐万葉・雑詠篇はコチラからどうぞ。> 偐家持が大和の国のまほろばの麻呂に贈りて詠める歌3首 併せ俳句1句ソプラノの 声はり上げる 春の鵙(もず) バンクーバーの 空に届けと (金銀銅家持) 山目覚め 橡(くぬぎ)の大木(おほき) 切り倒す 春興醒めの 里山の道春待ちて 切られたりける 橡(くぬぎ)かな (筆蕪蕉)茶(ちゃ)椿(つばき)の 花はこぶりに 春たけて ひとりわびすけ 釜など磨け (注)1.大和のまほろば氏のブログはコチラから。 但し、現在は休止中です。 2.上の写真は大和はまほろば氏のブログから の転載です。 3.過去の偐万葉・まほろば篇はコチラから。 偐家持がピカ氏に贈りて作れる歌12首水仙の 咲きて揺れける 丘の上(へ)に 白き家あり 春日(はるひ)は照れり 白壁に 光れる春の 音(こゑ)聞かむ 通ひ慣れにし 道にはあれど槻の木の ほつ枝の風の 音聞くや 工場(こうば)の屋根の 上なる坊主それぞれに それぞれありて 我なるも 他を押しのけず 和してそれぞれ君が家(や)を 見つつも行かむ 春雨の 過ぎにしあとの 光るこの道ほつ枝には 空も青みか 霞立つ 目久尻川の 浅き春ゆくミモザ咲く 青き窓辺の カーテンに 日は差して居り 午後の静寂 土踏みて そぞろゆきたし 白壁の 家も標(しるべ)の 春日(はるひ)の道はこの道の 先やいかにと 思ほえば 知らじや我も 絵の中の人をちこちの 妹が見し街 横浜を 廻りて春の この日過ぐさむ青き海 赤き車の ひとつあり 白き江の島 真夏日の色水色は 春の色にも あるやらん 窓辺に咲ける 花の色なり (注)1.ピカ氏のブログはこちらから。 2.上記絵画はピカ氏のブログからの転載です。 偐家持がカンジ氏に贈りて作れる歌9首背子追ひて 我もゆきたし 見が欲しと 背子見し街を 見しがままにと元町の 丘の苑辺の 木間(こま)の道 白く照りたり ゆくひとひとり夏よけれ 白き水際(みぎは)の 街なりて コットンハーバー 都びにけり 小止みなく 雨は降りたり 瑞穂橋 ゆく人なけれ 雨は降りたり高々の 青きクレーン 音止みて 舟もや眠る トタン屋根の小屋木(こ)の下の 道吹く風は 寒けれど 遠き山の端(は) 霞ぞ立ちぬ大崎の 果てなる崖に とどろ寄す 波は砕けて 光りて散りぬ波乗りの 青き軌跡の いちしるく をのこや二人 波の間を行く あめりかの 山にしあれり 横浜の 秋たけ軽(かろ)き 日の照るもよし (注)1.カンジ氏のブログはコチラから。 2.上記の絵画はカンジ氏のブログからの転載です。 偐家持が半兵衛(なかのへうえ)に贈りて詠める歌4首賞味期限 過ぎて酸っぱく なりぬれど なほし居座る 人ぞうたてし (ヨーグルト仙人)天上の 花にしあれど 畔(あぜ)にては モグラ避(よ)けなる マンチューシャカは (土竜皇子(もぐらのみこ)) コスモスの 咲く日曜の 朝なるに どでかい顔の アマリリス来た (困惑半兵衛)ゴンボなら 食(く)へもすなるが 妄人(ねぢけびと) ゴンボウ食へと まつりごとなしそ (権兵衛) (注)1.過去の偐万葉・半兵衛篇はコチラから。 2.上記写真は半兵衛氏のブログに掲載されていたもの の転載ですが、半兵衛氏のブログは閉鎖され現在は 閲覧できません。
2010.12.26
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本日は知人の茨田童子さんのお誘いもあって、大阪府交野市の星田妙見宮の境内に建立された万葉歌碑の除幕式に参列して参りました。 歌碑に刻された歌は万葉集巻17-3900の歌、天平10年(738年)大伴家持が21歳の時に作った歌です。 織女( たなばた)し 船乗(ふなの)りすらし まそ鏡 清き月夜(つくよ)に 雲立ち渡る(万葉歌碑。除幕式後に撮影したものです。) 天気もよし、で自宅から自転車で星田妙見宮目指して走ることに。少し早いが、と思いつつ自宅を7時10分に出発。大東市、四条畷市、寝屋川市を経て交野市へ。四条畷あたりで雨が降り出し、少し濡れましたが、濡れそぼつ前に雨は上り、交野市に入った頃は青空になっていました。星田妙見宮に着いたら8時26分。1時間16分で到着。 境内の鳥居前では茨田童子さん達が式の準備に余念のないご様子。声をお掛けすると、「早いですなあ。」と驚かれたようだが、それもその筈、式は10時開会なのだ(笑)。お邪魔をしてもよくないので、付近を暫くサイクリングして時間を潰すことにする。<参考:茨田童子さんのホームページはコチラです。>(星田妙見宮参道の桜並木) 藤原俊成の歌にもあるように、古来から妙見さんは桜の名所なのである。 またや見む 交野の御野の さくら狩 花の雪散る 春のあけぼの 昨日が冬至というこの時期、花の雪散る景色は望むべくもない。桜木は全て葉を落とし、来たるべき春に備えて今はひっそりと眠りについているのである。桜木の傍らに「花の雪」ならぬユキヤナギが群生していて、見事に黄葉しているのだが、黄葉したユキでは洒落にもならぬか。(星田妙見宮参道脇のユキヤナギの黄葉) まだもみつ 交野の御野の ユキヤナギ 冬至過ぎたる 朝にしあるを (偐家持) 来る途中に星田神社があったので、そこに立ち寄ってみることにする。隣には真言宗のお寺、通称「星の寺」、星田寺(三宅山華岳院星田寺)がある。(星田神社) 鳥居の前には門松飾りがされていて、早や元旦の準備完了ですな。(星田寺) 山門を入るとお堂の中に十一面観音像が安置してある。 ガラス越しに撮影。ということで写真写りは今ひとつです。(十一面観音像) 上の説明文の小松寺というのも付近にあるようにて、来る途中に案内表示板があったが名前と矢印だけでは距離が分り兼ね、今回はパス。 星田妙見宮の鳥居を潜って直ぐの処に「小松神社」と刻された大きな石碑がありましたが、星田妙見宮は本来は小松神社というらしい。してみると、このあたりの昔の地名は小松というのであったのかも知れない。 再び妙見川沿いの参道の坂道を登って星田妙見宮へ。歌碑前に行くと茨田童子さんが「Nさんが来られていて拝殿の方へ行って居られる。」と言うので、自転車を公園に停めて、N氏の後を追って拝殿に向かう。拝殿は結構な高みにあるので、急ぎ足で行くと少し息が早くなる。(星田妙見宮拝殿) 星田妙見宮の祭神は「妙見大菩薩」またの名を「天之御中主神」、「太上神仙鎮宅霊符神」といい、それぞれ仏教、神道、道教に於ける北辰を指す。 北辰信仰は、天界と地底界とを貫くようにそびえたつ宇宙樹(世界樹)から万物が生まれたと考え、その頂点である北辰にある星は、この宇宙の秩序を司る神であるという、最も古い形の信仰で、世界各地に共通して見られる信仰である。 星田妙見はその北辰信仰に基づくものであるが、ご神体は織女石(たなばたせき)である。織女は七夕の織姫であると同時に、北辰の神格を指す。また、ご神紋は北斗七星ならぬ北斗八星である。北斗八星は北斗七星の柄の端から二つ目の星の隣に見える星を含めて八星とするもので、空海が持ち帰った星曼荼羅には北斗八星が描かれているという。北斗八星も北辰の神格を指す。 地球は地軸が傾いているので首振り回転をしている状態にあり、地軸の指す北辰の場所は26000年周期で巡っているらしい。13800年前は織姫星(ベガ)が北辰であり、4000年前は北斗七星が北辰であったそうな。 織姫星は北辰の神格を持ったまま西へ移動したため、北辰から西王母と名が変り、天を支配する神となる。同時に天の川の対岸にある彦星は東王父という地を支配する男神とされることとなる。 余呉湖には8人の天女が降臨したとする羽衣伝説があるが、これは北斗八星から天女が降臨したことを表している。そして、平安時代の歌集(「袖中抄」)には、余呉湖の段に「織姫子孫、河内天の川にあり」と記述されている。ここ交野の天野川にも羽衣伝説がある。 北辰信仰と羽衣伝説、七夕伝説は繋がっているのである。(以上、星田妙見宮配布の「交野ヶ原と星田妙見宮の北辰信仰」より抜粋要約) という訳で、北辰信仰の星田妙見のご神体が織女石であり、ご神紋が北斗八星であることがうなづけ、この地に七夕歌の万葉歌碑が建立されることも亦うなづけるのである。(織女石)(河内名所図絵より)(貝原益軒「南遊紀行」より)(星田は文字通り「星降る里」であるのですな。) 色のない写真が続きましたので、境内の名残りの紅葉もご紹介して置きましょう(笑)。 N氏と落ち合って語らいながら鳥居前の歌碑の場所に戻ると、参列の人々も集まって来ていて、いよいよ除幕式である。<参考:N氏のホームページはコチラです>(除幕式の開会前の様子) 除幕式終了後、昼食を済ませてから、天野川に出て、その川沿いに枚方市へと走る。(逢合橋)(天野川畔の道) 禁野橋で左折。天野川と別れ、京阪枚方市駅方向に向かう。枚方公園駅近くに在住の友人オガクニマン氏を訪問するための回り道である。待ち合わせ予定の枚方公園駅前の喫茶店は生憎とお休み。オ氏に電話して喫茶店前の路上で待つこと数分。オ氏も小生に合せて自転車で登場である。但し彼の自転車は電動アシスト自転車。「そんな軟弱な自転車ではいかん。」などと憎まれ口をたたきながら、彼の案内で枚方市駅の東側、商工会議所前の料理屋仙亭の喫茶コーナーへ。そこで4時まで談笑。他愛もない話や共通の友人の消息話などであるが、くつろぎ過ぎて2時間半も話し込んでしまいました。<参考:オガクニマン氏のブログはコチラです。> 帰途は京阪香里園駅の先から外環状線道路に入り、一路南へ。第二京阪道路の讃良横断歩道橋を渡る頃にはもう夕日が沈みかかっていました。(第二京阪道路と夕日) かくて自宅到着は5時42分。1時間40分を要したことになる。もうすっかり暗くなっていました。<追記・注>写真2枚(「万葉歌碑」「十一面観音像」)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.12.23
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またまた、ブログの更新をサボってしまいました。どうも最近はサボり癖が付いてしまったようです(笑)。 で、何と言って話のネタもないのでありますが、銀輪散歩を記事にしてみます。(淀川)(シャリンバイの実)(同上)銀輪(ぎんりん)の 道にしあれば 車輪梅(シャリンバイ) 実の黒々と 生(な)るも洒落(しゃれ)なり (偐家持)我妹子は 葡萄のごとと 言ふなるも 鳥も食はぬか シャリンバイの実 (偐家持) シャリンバイ(車輪梅)は、その枝の分岐する様子が車輪のスポークに似ている処からこの名が付いたそうだから、銀輪散歩の道の辺にてよく目にするのは理に叶っていると言うべきか。 (参考:シャリンバイ・Wikipedia) 奄美大島の大島紬の染料はこの木から採るらしいが、最近は公園や街路でよく目にするのは、乾燥や大気汚染に強い木であるからだそうな。 シャリンバイと共によく見かける木にトベラがある。 トベラは「扉(トビラ)の木」がなまったものらしいが、それはこの木が枝葉を切ると悪臭を発することから、節分に魔除けとして鰯の頭などと共に戸口に掲げられたことに由来するらしい。 (参考:トベラ・Wikipedia)(トベラの実)(トベラの実・はじけた後)(トベラの実・はじける前)とべらの実 はじけて痛き 傷なれば 触れずもあらな 心のうちは (偐家持)節分は 鰯の頭 扉(とべら)の木 鬼も避(よ)くなる 屁屎(へくそ)ものかは (偐家持) トベラの枝葉がどんな匂いなのか今度しっかり確かめてみることとしますが、ヒイラギはその棘が買われて節分に鰯と共演するのに対してトベラは悪臭が買われて共演するのでありますな。しかし、悪臭を歌にするとどうしても品のない歌になってしまいますな(笑)。屁屎葛も苦笑いであります。 ところで、このトベラの実のはじけた様は何やらギョッとする生々しさで、痛々しい傷口を連想させますな。眺めて余り気持ちのいいものではありませぬ。 鳥はこの実をついばむようだが、それは傷口をつついているようでもあり、更にも気持ちのよいものではありませぬ。(枯れススキの原) はじけたトベラの実は見るにノーサンキューだが、枯れたススキの原は目にさやかである。日に輝いて風に靡く様はことに美しい。枯れた葉擦れの乾いた音も軽やかで素敵である。風の吹き渡って行く様が何とも感興をそそるのである。銀輪を停めてしばしたたずむヤカモチであります。枯れ薄、というと何やら侘びしいイメージであるが、群生する枯れ薄の風にそよぐ様の美しさは格別のものにて、枯れ薄も侘びしいばかりではないのである。銀色の 風の波立つ 小春日は 妹と行かまし すすきの原を (偐家持) 光る枯れ薄の原を掲載したついでに、光る川面の写真も。花逍遥の表題からは逸脱ですが、こちらは、光の華でありますな(笑)。(光る川面)銀輪(ぎんりん)の 走るに合はせ 光るらし 跳ねて川面(かはも)に 風吹き来れば (偐家持)冬こそは 光の雨の 降るならむ 川面(かはも)に跳ねて 見れども飽かず (偐家持) 花のない花逍遥でありましたが実のあるものとなりました(笑)。 実のありついでに、 自宅庭のアオキの実も登場させますかな。(12月22日追記)(アオキの実)アオキの実 赤く熟れゆく わが屋戸に 小鳥しば鳴く 朝は来にけり (偐家持)<追記・注>「トベラの実」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.12.21
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偐万葉・ビッグジョン篇(その3) ブログ更新しばらくサボっていました。 1週間ぶりのブログ更新。本日は偐万葉シリーズ第85弾、偐万葉・ビッグジョン篇(その3)といたします。 <参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラからどうぞ。 ビッグジョンさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が交野歩麻呂に贈りて詠める歌19首併せ俳句2句秋茄子も 言はれて見れば 思慮深き 色にありたり 哲学すらし (偐トーマス・アクィナス)秋茄子に 口あんぐりや アウグスティヌス (低浜茄子) 紫蘇の実を 煮る香も秋の 色なりて 噛めばいよしぞ 秋の香益さる (佃煮家持)天つ船 いつしか来(く)らむ 夫婦岩(めをといは) 星降る里に 寄り添ひ待ちぬ (貴種流離) 花はオクラ 味は苺の ミルクにて 広葉風鈴(ひろはふうりん) 酸漿(ほほづき)なるか (珍鬼灯綴り方教室)もんしろの 翅(はね)さし交はす 甘藍(かんらん)の 恋のしとねに 日の燦々と (恋の紋四郎) (注)甘藍=キャベツ いのちある もののごとくに ひとすじの けむり立ちゆく 過ぎにし日々の (煙麻呂)秋刀魚焼く 空の青さよ 椿の実 はじけて今し こぼるるならむ椿の実 はじけて空は 鰯雲 (筆蕪蕉) しなやかに しなる若さよ 柿の木の たわみて今は 力をためよ無理強ひの 笑ひと言はむ 割れ石榴 かくも酸っぱき ものにしあれば (酸麻呂) エチオピアの 空いや青み 松明の 火の百合の花 今し群れ咲くわたつみの いろこの宮ゆ 神々の 持ちや来たれる うなそこの花 地中海の 青き海面(うなも)に 泡と咲く 花持ち来たり 此処し植えけむ丹生都比売(にうつひめ) 照れるもみぢの 丹(に)の色の 衣(ころも)にし吹く 天野里風(あまのさとかぜ) 遅れ播く はうれんさうの 芽の出でて 冬いそしまむ 春また待たる (交野畑麻呂)黙々と 作るウインナー たがためぞ 蕪蕉家持 吾が事に非ず (物草定家) 霜月の 果つる朝なり 露置きて 光るスギナを 踏まず野良行く (野良踏麻呂)屎葛(くそかづら) 絶ゆることなく 尽くしてよ 実のなる秋の ふたり行く道 (灸郎女) さ丹(に)の実は 今し食べ頃 青き実は 葉陰に潜む それぞれの秋 (赤実青鳥) 木更津の すみれ愛(かな)しと 恋ふわれぞ 日も夜も置かず 通ひけるかも (千葉赤人) (注)掲載の写真は全てビッグジョンさんのブログからの転載です。
2010.12.16
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第68回智麻呂絵画展-小万知作品展併設 本日智麻呂邸を訪問。新作6点を撮影して参りました。展覧会開催のための作品点数には達していませんが、小万知さんの手芸作品が4点ありますので、それとの併設にて、第68回智麻呂絵画展を開催することといたしました。どうぞごゆるりとご覧下さいませ。 なお、小万知さんの作品はクリスマスツリーなどの飾りとして作成されたものと存じますが、智麻呂さんの部屋を楽しく賑やかに飾っていましたので撮影させて戴いたものであります。このような形で作品展になるなんぞとはよもやも思って居られなかったであろう小万知さんには、むろん無断での開催であります(笑)。ウィキリークスの真似をした訳ではありません。これがヤカモチ流なのであります。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(愛宕ナシ)(苺) 上のナシとイチゴは、先日の読書会にけん家持が持参したものですが、恒郎女様が絵画用にと別に取って置いて下さったようにて、このような立派な絵になりました。(銀杏の落ち葉) 前回は桜の落ち葉の絵でしたが、今回は銀杏の落ち葉です。銀杏の葉は虫も食わぬと見えて、恒郎女様が拾われた葉と智麻呂様が拾われた葉とにさしたる差異はないようであります。(鯛) おめでたい鯛であります。恒郎女様はウサギの絵を望まれたようですが、智麻呂様は何故か鯛を描かれました。兎よりも鯛の方が絵心を刺激したようであります。もっとも刺戟されたのは絵心だけではなかったのかも? いづれ新年にはこの鯛が皆さまの門口に「おめでたい」春をお届けすることになるのでは、と思ったりもして居りますが・・。(春をや待たむ) 上の桜とチューリップは小万知さんが前回の読書会にお持ち下さったものです。桜が今を盛りと咲いて智麻呂さんのお部屋はひと足早い春の風情でありますが、この桜は冬に咲く桜であるそうな。 そして下のサンタは小万知さんがお作りになったXmas用の飾り付けの作品を写生されたものです。現物の写真は下の小万知作品展に掲載して居りますが、どう見ても写真の方が負けて居りますな。(サンタクロース)<併設・同時開催>小万知作品展 「Merry Xmas」 智麻呂邸は小万知さんの作品で早くも「楽しいクリスマスムード」一杯でありました。 ということで、勝手にこれらを「小万知作品展」として並べてみることに致しました。 (サンタさん) (サンタの靴下) (雪だるま) (星とツリーと杖) どうぞ皆さま、良いクリスマスをお迎え下さいませ。 智麻呂絵画展はこれが今年最後となると思われます。年末に掛けて、城崎への旅行、コンサートと結構お忙しくされるご様子にて絵の点数はちょっと期待出来ません。次回は年が明けてからということになるでしょう。 ということで、少し早いですが、年末のご挨拶と感謝を申し述べさせて戴きます。 智麻呂絵画展への、この一年のご愛顧、ご支援、ご協力、ご来場、どうも有難うございました。 来年もまた頑張りますので、相変りませず宜しくお願い申し上げます。 絵師 智麻呂 館長 偐家持<追記・注>写真6枚(「春をや待たむ」「サンタクロース」「サンタさん」「サンタの靴下」「雪だるま」「星とツリーと杖」)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.12.09
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昨日(7日)は大学の同窓会幹事会の忘年会で夕刻から梅田へ。酒の席であり、夜も遅くなるので、自転車ではなく電車で出掛けました。 そして、今日は囲碁の日。こちらはいつもの通り、自転車で梅田へ。 出席者は青○氏、竹○氏、福○氏、平○氏と小生の5名。前回、前々回と連敗して居り、今日も一局目の平○氏との対戦で負け6連敗となりましたが、次の福○氏との対戦でようやくにして勝ち、連敗をストップすることができました。 3局目の青○氏との対戦は負け。ということで、本日の成績は1勝2敗。まだ不調が続いている。今回で囲碁の会の今年の例会は終了。年間の成績は次の通りとなりました。 参加回数 19回 対 局 数 57戦 勝 敗 33勝24敗 来年は1月5日が初打ちの日となります。今年終盤の不成績を引きずることなきよう、また来年頑張ります(笑)。(囲碁会場の梅田スカイビル21階から淀川を望む。) 梅田スカイビルまでの往復銀輪散歩での、写真拾い撮りのご紹介です。 本日は中之島公園経由でスカイビルに行きました。整備工事も完了し、中央公会堂周辺は洒落た雰囲気に様変わりしている。(中之島中央公会堂) 新しい発見は三好達治の詩碑でした。彼は大阪市の出身であったのですな。 <参考>三好達治(中之島公園にある三好達治の詩碑)(同上) 中之島公園を出て、御堂筋向いの日本銀行大阪支店の前の銀杏がいい雰囲気であったので、信号待ちの間に1枚撮影しました。(日本銀行大阪支店) 囲碁が終わったのは午後4時35分位。帰路も梅新交差点から御堂筋を南へ。中之島公園のイルミネーションを撮影してみようとの目論見であったが、少し時間が早過ぎたのか未だ点灯されていないものが殆ど。待てないヤカモチは点灯しているのを少しばかり撮影して、早々に退散。帰宅する途中ですっかり暗くなってしまいました。(梅新交差点。正面奥の右が阪急百貨店。左がJR大阪駅ビル。)(イルミネーション)(同上)
2010.12.08
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少しブログ更新をサボってしまいました。別に忙しくしていた訳ではありません。何となく・・という奴です(笑)。 2日は元の勤務先の仲間、先輩後輩立ち混じっての15名での忘年会で梅田へ。夜の北新地を歩くのもいつ以来のことやら。楽しいひと時を過ごしました。鯨麻呂氏と草麻呂氏は先月16日の天王山ハイキングでご一緒したので別として、他の12名の方は久し振りの再会でありました。(大阪駅前。阪急百貨店の夜景。梅田の陸橋の上から。) さて、紅葉もそろそろ見納めですかね。 今日は南へ銀輪散歩。柏原市青谷地区の金山彦神社まで走って来ました。さしたる発見もありませなんだが、紅葉散歩、写真でご報告です。 金山彦神社は今年の2月5日以来の再訪ですが、今回は午後2時を過ぎてからの銀輪散歩となったので、信貴山まで登ってしまうとか、奈良県側まで行くとかいうのはさすがに無理。神社までで切り上げ、帰宅しました。<参考>2010年2月5日記事(金山彦神社)(本殿)(紅葉越しに・・)(落日に燃え立つ紅葉) あづま屋の傍にはドウダンツツジも散り残った葉が美しく燃えていました。(ドウダンツツジ) 池を挟んで向かいにある青谷寺は門を閉ざしていましたが塀越しにパチリ一枚。 府道183号(本堂高井田線)は、大和川が大きく蛇行して、芝山を廻る辺り、青谷橋交差点から一気に登り坂となる。金山彦神社や青谷寺のある大池の前まで一気に坂道を上るとさすがに少し息が荒くなる。神社からはさらに延々と坂道は続くのであるが、本日はここまで。既に日は西に大きく傾き、影が長くなっている。(青谷寺の紅葉) 上って来た分は言わば貯金。下りはそれを一気に下ろして爽快に坂道を下るのである。再び、青谷橋交差点で大和川と出合う。川を挟んだ向かいの小山は芝山という。高橋虫麻呂の長歌に出て来る「島山」はこの芝山のことだという説があるようだが、万葉人たち、虫麻呂も藤原宇合も聖武天皇も、そしてわが大伴家持殿も眺めた景色であると思えば、「つばらにぞ見む」である。(芝山。手前は大和川。橋は芝山橋。鉄道はJR関西本線。) 上の写真は往路に、柏原東高校のある高みから撮影したもの。以下は復路、府道183号線を走りながら撮影したものである。(芝山。手前の建物は衛生センター。)(芝山のもみぢ映して大和川)(芝山遠景。道路は府道183号線。) ちょっと季節が符合しませぬが、島山の登場する虫麻呂の歌を掲載して置きましょう。 難波に経宿(やど)りて明日(あすのひ)還り来し時の歌一首並びに短歌島山を い行きめぐれる 河副(かはそひ)の 丘辺(をかべ)の道ゆ 昨日(きのふ)こそ わが越え来(こ)しか 一夜ひとよのみ 宿ねたりしからに 峯をの上うへの 桜の花は 滝の瀬ゆ 落ちて流る 君が見む その日までには 山下やまおろしの 風な吹きそと うち越えて 名に負へる社もりに 風祭かざまつりせな 反歌い行相(ゆきあひ)の 坂のふもとに 咲きををる 桜の花を 見せむ児もがも (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1751,1752)(歌意)島山を行き巡っている川沿いの岡辺の道を、昨日私は越えて来たばかり。たった一晩泊っただけなのに、山の上の桜の花は、激流の早瀬の上に落ちて流れている。君がご覧になるその日までは、山おろしの風は吹かないでくれと、竜田道を越えて、風の神として名高い社で、風祭をしよう。(反歌・歌意)行き合いの坂の麓に、今を盛りと咲いている桜の花を見せてやる、可愛い少女がいたらいいのだが。(注)島山=水に面した土地を水面を隔てて眺めていう語。ここでは 大和川に沿った対岸の山地をいう。風祭=風災を鎮め豊作を祈る祭。または、花を散らさないでくれと風に祈る花鎮めの祭。い行相の坂=国境の坂。隣り合った国の境は双方の国の神様が同時に出発して出会った地点を国境と定めたという伝説から来る表現。行き逢ひの 坂にしあれど 秋暮れて もみぢ葉散れり われひとり行く (偐家持) (大和川。対岸は柏原市国分の町並。) 国豊橋を過ぎると道は国道25号となる。車の走行が激しくなるので、大和川堤防上の自転車道を走ることとする。柏原市役所・リビエールホール前で右折、国道170号に入り、太平寺で左折、恩智川沿いの道を行く。よく立ち寄る喫茶店nanaは既に閉店なのかシャッターが半分降りている。時計を見ると4時半を過ぎていた。MTBのスピードを上げる。東花園駅前を通り、花園ラグビー場・花園中央公園を横切り、西空が茜色に染み、やや暗くなりかかる5時少し過ぎに自宅に帰着。3時間の軽い(しかし坂道はそれなりにいい運動の)近隣散歩でありました。<追記・注>「青谷寺の紅葉」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.12.05
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今日から師走。師たる人まで走るという何やら気忙しくなる月のようでありますが、ヤカモチも早速に銀輪で走って参りました(笑)。と言うのも本日は囲碁の日でありましたから、いつもの通りトレンクル君で自宅・梅田の往復銀輪散歩です。 囲碁は、竹○氏、福○氏、荒○氏、村○氏と小生の5名が出席。小生は荒○氏、竹○氏と各一局打ち、2戦2敗。前回辺りから負け癖が付いてしまったようですな(笑)。 囲碁は不本意な成績となりましたが、銀輪散歩の方は大阪城公園の美しい黄葉を眺めたりと、快適な走りとなりました。 往路は中央大通りを中心に西へ走り、大阪城公園で黄葉を愛で、帰路は、御堂筋を南へ難波まで走り、難波から千日前通りを東へ、というコースとしました。日が随分短くなって、帰宅する頃には、もうすっかり暗くなっていました。では、先ず往路の景色から。(荒本交差点付近) 大阪城公園は只今銀杏の黄葉真っ盛りにて、照る日に美しく、まさに黄金色に輝いているのでありました。しばし、その黄葉をお楽しみ下さいませ。(大阪城公園)(大阪城公園の桜の紅葉)(降り積む落ち葉と木立の影のコントラストが美しい。) そして、黄金色に輝く銀杏です。背後の建物はNHK大阪。(銀杏の黄葉) 西行は「花の下にて春死なむ」と願い、その通りに往生を遂げましたが、こういう銀杏を見ていると、「願はくば 銀杏の下に 秋死なむ その霜月の もみぢ散る頃」という気に、けん家持はなりますな(笑)。(照る照る銀杏)(大阪城のお濠に映る銀杏)(仰ぎ見ると青い空に映えて) 大阪城にお別れして、天満橋を渡り大川沿いを走る。(大川端の黄葉) いつものアポロ・カフェで昼食。梅田スカイビルに到着すると、ドイツ・クリスマス・マーケットが開かれていました。(新梅田シティ・ドイツXmasマーケット) 午後4時20分、帰途に。いつもの帰途コースと違って、今日は梅新交差点から御堂筋を南へ走ることに。(JR大阪駅前)(堂島川、右は大阪市庁舎) 今日午後6時に中之島公園をイルミネーションで彩る恒例の催しの点灯式が、この市庁舎前であったらしいが、そうとは知らぬ小生は一時間早くにこの前を通り過ぎてしまったようです。 御堂筋の銀杏も見頃でした。(御堂筋の銀杏、淀屋橋交差点)(暮れなずむ御堂筋) 帰宅する頃はすっかり暗くなっていて、自宅に近くなった処で、クリスマスのイルミネーションが灯っていましたので、中之島のイルミネーションには及びませぬが、掲載して置きましょう。(自宅近くの手作りイルミネーション)<追記・注>「仰ぎ見ると青い空に映えて」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2010.12.01
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