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偐万葉・英坊篇(その9) 今月始めにアップしたばかりなのに英坊さん関係の歌が随分とたまってしまいましたので、本日は偐万葉・英坊篇(その9)と致します。 <参考>過去の偐万葉・英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌18首併せ俳句4句 並びに英麻呂が詠める歌7首併せ俳句4句 英麻呂が贈り来れる歌1首越・越の 桜咲き追い 阿賀野川 笑みで迎えの キクザキイチゲ 偐家持が返せる歌1首高岡の 花は散りぬと キクザキの 咲(ゑ)みしイチゲと 越後で花見 (菊咲家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首汗をして 思いの場所に 着きにけり 目もかがやきて したり顔得る 偐家持が返せる歌1首したり顔に したたれる汗 いかなると われにな問ひそ 冷や汗なれば (偐汗持) 英麻呂が贈り来れる歌1首上をみて 悦にいりしも わざわいを つゆもしらずに 紫煙をゆらす 偐家持が返せる歌2首噴き出づる 水にぞ濡れて むらさきの 煙の夢も 醒むや我背子濡れざれば まだ醒めやらず 紫の 煙の夢を 見つつやあらむ雨つつみ 常するわれも やぶなみの 雨はまことと 妹には告げむ (本歌)荊波(やぶなみ)の 里に宿借り 春雨に 隠(こも)り障(つつ)むと 妹に告げつや (大伴家持 万葉集巻18-4138) (注) 雨つつみ=雨障み(あまつつみ)。雨が障害となって行けないと いう風に、雨を口実、言い訳にすること。 やぶなみ=荊波。高岡市和田辺り、荊波神社がある。 英麻呂が贈り来れる歌1首くれはしを 恋を背負ひて わたりしも 足を見つれば 箸の橋かな 偐家持が返せる歌1首唐橋に あらそひかねて 瀬田の月 恋のわりなき 橋渡るらむ 英麻呂が贈り来れる歌1首追い越しの 禁止ラインと おなしいろ 照りをあわせて ねがう安全 偐家持が返せる歌1首山口の 道に帯なす 黄を問へば ガードレールの 色にしあれり (偐家道)撞かるるは さだめなれども 乱れ打ち 撞かるはくるし ごんごん祭 (偐鐘持) 英麻呂が贈り来れる句並びに偐家持が付けたる脇句各4句 簪に 似たり五月の つつじかな (英爺) にほへをとめの 髪にささまし (偐家持) 時を知り 咲きにほひけり 花のさが (英麻呂) 飽かずめでけり 人のさがなり (偐家持) 名は知るが その見事さに 輪を脱し (英麻呂) 知るも知らぬも 逢坂の花 (偐蝉持) 付けけなくて よいともおもう名 蝮ぐさ (英麻呂) それ里芋と たれや思(も)ふらむ (偐家持) 古(いにしへ)の 布勢の名残りの 蜻蛉(あきつ)池 水脈(みを)しな絶えそ 見つつしのはむ 雄神川 居群れ騒げる 童(わらは)らし 河原に立ちて 凧上げるらし (偐凧持) (本歌)雄神川 くれなゐにほふ 少女らし 葦附採ると 瀬に立たすらし(大伴家持 巻17-4021)韓国(からくに)ゆ ま楫(かぢ)しじぬき 越の津へ 来たるや大船 万葉の里 (波母尓(はもに)麻呂) 英麻呂が返せる歌1首韓くにの 両班サラメ 贅つくし 東のくにに 銭をふるまう 太閤の 山はた遠み 大門の 橋を渡りて われ帰り来(こ)し (銀輪家持) (注) た遠み=遠いので。「た」は接頭語。 「形容詞+み」で「~なので」バラの名は バラに任せよ われは花 そのとりどりの 色楽しまな (偐薔薇持) これやこの おとぎの森に 咲きたれば 知るも知らぬも メルヘンローズ (偐薔薇丸) (本歌)これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 (蝉丸 後撰集・雑1 小倉百人一首10) 英麻呂が返せる歌1首薔薇の名は 付ける勝手で バラバラに 時と人の名 多彩なりける摘まず来し 薔薇ゆゑなほし 咲くもあり 摘むも摘まぬも 花がまにまに わが恋ふる 花にやあらむ 薔薇の花 窓辺に咲けば 去(い)にし辺(へ)思ほゆ窓の辺(へ)に 咲かぬ薔薇さし 何なると 君尋(と)ひけるは 五月なりけり (偐笠郎女)あなかしこ われもやすまな 親鸞の ゆかり尊き 足洗潟(あしあらひがた) (求道家持) <注>掲載の写真は全て英坊3氏のブログからの転載です。
2012.05.31
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本日は昼過ぎから雷鳴が轟いたり、激しく雨が降ったりと、天気予報通り、不安定な空模様。それを予測した訳ではありませぬが、銀輪散歩は朝のうちで切り上げ。正解であったようで、帰宅して直ぐに雷雨となりました。 ということで、本日は石切神社上之宮の紹介です。字数節約のため、詳しい説明は、下記のリンク先参照とさせて戴きます。 <参照:石切劔箭神社上之宮> <参照:石切神社上之宮> (石切神社上之宮)(同上)(同上)(同上・拝殿) 上之社も本社(下之社)と同じく、祭神は饒速日尊<ニギハヤヒ>と可美真手命<ウマシマデ>である。 <参照:石切神社 2008.6.30.>(八代龍王社)(婦道神社) 祭神は、夫、ヤマトタケルのために海に身を投げた弟橘姫。これを婦道の鏡とするのは今時無理筋と言うべきでありましょうな。(登美霊社) 祭神は三炊屋媛命<ミカシキヤヒメ>。三炊屋媛は長髄彦の妹でニギハヤヒの妻となりウマシマデを産む。古事記では登美夜須毘売とあるから「登美霊社」という名はそちらからのものですな。(御滝入口) 上之社の鳥居前に「石切夢観音堂」という怪しげなと言うか、悪趣味と言うか、妙な建物がある。これも石切神社が建立したものらしいが、開いているのを見たことがない。 <参照:石切夢観音堂>(茶室) 観音堂の裏には茶室もある。石切神社とは何でもありの神社ですな。(石切夢観音堂) 上之宮社から少し北に行くと近鉄の廃線跡がある。(旧孔舎衛坂駅) ここの写真は以前にも掲載したことがあったかと。廃線跡にある自転車は小生の愛車のMTBであります。<参考:銀輪花遍路 2010.3.31.>(旧生駒トンネル跡)(同駅ホーム) (くさか滝道の碑)
2012.05.29
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第100回記念智麻呂絵画展 本日は第100回記念智麻呂絵画展であります。 2008年7月4日に第1回展を開催して以来、4年弱で100回目を迎えることができました。これもご訪問下さる皆さま、温かきコメントで応援下さる皆さまのお陰であります。心より感謝申し上げます。 それではごゆるりとご覧下さいませ。 今回の出典作品13点を加え、当絵画展に掲載の智麻呂絵画も854点を数えるに至りました。年間200点を超えるペースで絵を描かれている訳で、智麻呂氏の意欲の旺盛さには脱帽であります。 これからもお元気に作品をものされ、智麻呂絵画ファンを大いに楽しませて下さるよう願って居ります。(椿) 椿には凡鬼さんの句でコラボであります。女塚伝わる悲劇や落椿 (凡鬼)大輪の落下椿や苔の上 (凡鬼)(蘭from偐山頭火) この蘭は偐山頭火さんが昨年お持ち下さったものですが、その鉢植えが今年も咲いた、という訳で再び絵になりました。NHK大河ドラマは本日いよいよ「保元の乱」でありますが、「偐山頭火のラン」は蘭にていと雅なのであります。(フリージア)(サイネリア<和名 富貴菊>) この花の名は小万知さんから教えて戴きました。今回出典作品の中では最も早い時期に描かれたものであります。(夏蜜柑のクレープロールケーキ) 上のロールケーキ、下の「ちびきゅう」と「ジャム」は偐家持持参の土産を絵にされたものであります。ラベルなどに記載の文字までも忠実に写し書きしてしまう処が智麻呂絵画の特長でありますな。(ちびきゅう) (ニ十世紀梨ジャム) (花菖蒲) 上右の「花菖蒲」はデイサービス先で描かれたもので、智麻呂さんの大好きなアヤメの仲間とあって、短冊状の用紙にとても程良くと言うか、品よく丁寧に描かれています。夕闇に白菖蒲のみ力増し (凡鬼)菖蒲園行けば雨降ること多し (凡鬼)花菖蒲ゆったりとして大家かな (凡鬼)(ワケギ)(エンドウ) これはご近所の可愛いお友達のSちゃんが届けてくれたエンドウです。豆は普通のエンドウ豆で、鞘の方も食べられるという品種だそうです。原画の方は、小生の撮影が済んだということで、もうSちゃんの手許に行っているかも知れません。(ポット) 七宝焼きのポットですかな。ま新しいもので、最近智麻呂さん宅でお茶を頂戴する時にお見掛けすることがあります。 恒郎女様曰く「何でも絵に描いてしまうので・・」と当惑されていましたが、察するに、智麻呂さんは茶瓶を描きたかったのではなく、そこに描かれている花や実が描きたかったということであったのでしょうな。◎◎Collectionという文字までは描かずもがな、と思うのであるが、やはり智麻呂絵画は「嘘は付かない」のでありますな。(テッセン)(紫陽花) このアジサイの色の具合、いとやさしく、何やらぬくき心地して・・いといとをかし。紫陽花の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思(しの)はむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)あぢさゐの 八重咲く如く 八つ代にも 描かませ絵画 継ぎて見が欲し (偐家持) 御礼ご挨拶 今回で智麻呂絵画展も100回と相成りました。 これも今日まで色々な形で応援下さった皆さまのお陰であります。 心より感謝申し上げます。 これからも精進相努め、皆さまに絵を楽しんで戴けるよう頑張る所存であります。 引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。 智麻呂 恒郎女<参考>今日までに智麻呂絵画展にコメントを下さった方々 (敬称略、最初のコメントを下さった日付の早い順に)小万知 nanasugu ビターc マッチャ 偐山頭火 modoki カマトポチ 今日子 momo 松風6923 るるら オコジョ siinomi1566 カコちゃん08 真澄 ひろろdec りち女 木の花桜 miyuta 未詩央 楽老 腰痛ギャンブラー アメキヨ ビッグジョン7777 かおり 童子森の母 凡鬼 マダムゴージャス 英坊2(現、英坊3) 以上29名(温かいコメント有難うございました。) <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~
2012.05.27
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本日は大学の同期会で心斎橋まで。 午後6時からということで、5時頃に家を出ました。黄昏迫る頃の外出。蝙蝠ですな。 難波から心斎橋まで、久々に雑踏を歩きましたが、一筋手前で右折してしまいました。直ぐにそれと気付きましたが、そのまま進み、次の脇道を左に入って、本来の通りへと向かいました。 そのお陰で山頭火と出会いました。心斎橋にも山頭火が居られたのですな。「ら~めん山頭火」でありました。 今回、この店は何の関係もないのでありますが、山頭火とあっては見過ごす訳にも行かず、写真に撮りました(笑)。 さて道を間違ったか らーめん屋がある (心斎橋山頭火) (元句) さてどちらへ行かう 風が吹く (種田山頭火) <この項、6月26日追記> 会場はいつもの中華料理の店です。 このところは、毎年5月と11月の最終金曜日ということに決めて、関西近辺在住の同期で同期会を開催しているのであります。 今日はいつもより盛況、参加者が20名もありました。 常連組の古◎、堀◎、前◎、佐◎、山◎G、山◎D、黒◎、出◎、中◎、谷◎、広◎、油◎氏と小生の13名に小◎、大◎、藤◎の3氏、初参加の枦◎、三◎、西◎、深◎4氏を加えての総勢20名で、これまでで最多人数の参加となりました。 常連組の守◎、道◎、竹◎、田◎、仲◎氏らが所用ありで不参加であったのは残念なことでありましたが、新顔その他の参加で賑やかなこととなりました。今回初参加の三◎氏と深◎氏とは以前にも顔を合わせて会食したこともある仲であったが、枦◎氏と西◎氏は卒業以来の再会であり、その「変わり果てよう(笑)」も面白く、また昔の面影がほの見えてあるのも嬉しく、懐かしさもひとしおでありました。 山◎G氏の発声で乾杯、各人近況などを紹介し合って、歓談、飲食、旧交を温めました。8時半頃にお開き、7月の同窓会総会と次回11月同期会での再会(再会できる人は再会しよう程度の)を約して別れました。前◎君と近鉄難波駅まで、雑談しながら歩いて、駅ホームで彼とも別れて家路に・・蝙蝠も帰宅であります。今回も谷◎氏には連絡とその取りまとめのお世話をお掛けし感謝です。(同君曰く)「365連休のNHK(Nihon Himajin Kyoukai日本暇人協会<組合だったかな?>)の人間」とは言え、お忙しい中、有難うございました。
2012.05.25
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偐万葉・ビッグジョン篇(その12) 本日は偐万葉・ビッグジョン篇であります。 ビッグジョンさんの花その他の写真と偐家持の戯れ歌とのコラボ第12集であります。 <参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラからどうぞ。 ビッグジョンさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌18首併せ俳句1句 並びに歩麻呂が作れる歌2首桜には 遅れにしわれ 山吹の 山訪ね見む 井手の玉川 歩麻呂が返せる歌2首古(いにしへ)の 貴人(あてびと)植ゑし 山吹の 花訪ね来(こ)よ 井手の玉川 (歴史知らず)歩をとめて なほ水買はむ 初夏(はつなつ)の 日差しは強し 汗の玉川 (汗人知らず) 木蓮は 言はずも朱華(はねず) 桃杏(すもも) 辛夷(こぶし)も何ぞ 桜に劣る(百花歩麻呂)春花は 桜のみかと 言ふ君も 花は桜と 能勢の黒川 (偐桜持) 弘川は 花の盛りに 春訪ねむ その如月の 望月の頃 (歩行法師) (本歌) 願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃 (西行法師)思ほえど 未だ踏むを得じ 弘川の 寺のうらなる 花山の道 (歩式部内侍) (本歌) 大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 (小式部内侍)若水を 汲むや少女(をとめ)の ゐ群れ行く 泉のかたへ 堅香子の花 (本歌) もののふの 八十をとめらが く)みまがふ 寺井の上の かたかごの花 (大伴家持 万葉集巻19-4143) 家持の 帰(かへる)の道の 今庄に 歩麻呂かたかご 見むとや来しか (蛙麻呂) (本歌) 可敝流廻(かへるみ)の 道行かむ日は 五幡(いつはた)の 坂に袖振れ われをし思はば (大伴家持 万葉集巻18-4055) 春山は 笑ひ過ぎたか 今日の雨 まだ滴れる ほどにはあらね (春山夏子)春山は をのこ相手の 店なれば 額田は言へる 秋山われは (額田駅前店主) 花見酒 さくらにあらず つつじかな (不詳詠人) にほへをとめと 咲ける今宵は (偐家持) 大和には 多(さは)に川あれ とりよろふ 飛鳥の川ゆ 出で立ちて 川廻りせな 川の辺は 風もさやさや 川原は 花ぞ咲き咲く うまし川ぞ あきづ島 大和の川は (除名天皇・息長不足日寺川天皇(おきながたらずひてらかはのすめらみこと)) (本歌)大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ 海原は かまめ立ち 立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は (舒明天皇・息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと) 万葉集巻1-2)あぢさゐの 八重咲くごとく 八十路あり 生駒越え行く 君の幸(さ)きかれ (本歌) あぢさゐの 八重咲く如く 八つ代にを いませ我が背子 見つつしのはむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448) 照る月の 影は変らね 常ならぬ 人はそれぞれ 思ひあるらむはるけくも つなぎて来しか 今咲ける タチのスズシロ いのちはたたじ (偐太刀持) (注)タチのスズシロ=タチスズシロソウ。琵琶湖岸に群生地がある アブラナ科の絶滅危惧種植物。 寝る前は とてもカモミール とてもよし うたがふよりも のむ人ぞ好き (オレオレオレッ)緑なす 陰は深みか わが里の 木々とふ木々に 夏は来にけり くさふじの むれさくみれば なつかしき とみのをがはぞ おもほゆるかも 酢醤油に 蒜つきまぜて 鯛召せや いにしへ人も しかいふなれば 金柑は 見ずや淡竹(はちく)を 並べたる 君金環食の 朝にあるらし<注>掲載写真は全てビッグジョンさんのブログからの転載です。
2012.05.22
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本日は、日本各地で金環日食で盛り上がったようであるが、当地は薄曇りにてよくは見えませんでした。と言う訳で、偐家持の日食観測はTV画面で、ということとなりました。元々観測用のグラスの準備もしていないのであれば、これが相場というものであります。金環は 妹が指にし あらましを 今日と知りてか 空にしあれる (偐家持)(NHKのTV画面を撮影しました。) 友人の偐山頭火さんも同様であったようで、若草メールで送信されて来たメールにはTV画面の写真が添付されていました。もっとも、手前にはワインのボトルが写っていましたので、金環日食が主役なのか酒が主役なのかよく分からぬ処が山頭火的なのでありましたが。 同じ若草の仲間である、東京のリチ女さんはしっかりと「リチ気」に天体望遠鏡で観測されていたようで、メールにはその写真(下掲)が添付されていました。 日食には天体望遠鏡で、夕食にはワインでありますから、偐山頭火殿、くれぐれもお間違えなきように(笑)。(訂正注記) 偐山頭火氏のメール写真でワインのボトルと見たものは、小生の 見間違いで、お茶のペットボトルの上に、外用薬の「キンカン」の 瓶を乗せたものでありました。偐山頭火さんの洒落に気付かず、 山頭火=酒、という先入観でワインのボトルと見間違ったようで す。どうやら小生の頭もキンカンになっていたようであります。 お詫びして訂正して置きます。(写真提供:リチ女氏) 若草の仲間を話題にしたついでに、先般4月28日の田原本~桜井の銀輪散歩を偐山頭火氏が「銀輪万葉集・草の細道<その3>」として纏められ、河内温泉大学図書館にて公開されていますので、ご紹介して置きます。偐家持もご要請により歌を数首作成提供いたして居りますので、ご興味ある方は覗いてみて下さいませ。 銀輪万葉集・草の細道<その参> 田原本から桜井・忍阪へ銀輪散歩(その1) 同 (その2)
2012.05.21
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さて、先日から続いている花逍遥の続編であります。今回の花逍遥はこれにて完結といたします。 この時期はやはり卯の花でありますな。ホトトギスの声は聞かねど、卯の花は其処此処に咲いているのであります。(ウツギ) ウツギにも「タニウツギ」だとか「ハコネウツギ」だとか「ヒメウツギ」だとか色々品種があるようですが、小生にはそのような区別は出来ませんな。 この時期に咲いて、それらしいから「卯の花」であろうという程度のことで、ウツギと申し上げているに過ぎませぬ。(同上) 「卯の花の 匂ふ垣根に ほととぎす はやも来鳴きて しのび音もらす 夏は来ぬ」の作詞者は佐々木信綱博士であるが、以前にこの歌を「くまんパパ」さんがブログでご紹介されていたのに悪乗りして「冬は来ぬ」と替え歌にしたことなんかも、この花を見ると思い出したりもするのである。 <参考>偐万葉くまんパパ篇 2010.6.19.(同上)卯の花も いまだ咲かねば 霍公鳥(ほととぎす) 佐保の山辺に 来鳴き響(とよ)もす (大伴家持 万葉集巻8-1477)卯の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥(ほととぎす) 雨間(あまま)も置かず 此間(こ)ゆ鳴き渡る (大伴家持 万葉集巻8-1491)(これも卯の花) ピンクの花も華やいで可愛いが、この白く透き通ったような色の美しさは格別。しばし見惚れていました。ホトトギスな散らしそ、であります。(シャガ) 木立の下陰、シャガが静かに群れ咲いている。これも亦、見惚れる光景でありました。(同上) しかし、美しき花たちに惚然としていた目に忽然と立ち現われて映ったものは、何とも不気味な姿形の植物。ネットで調べると「マムシグサ」という名であるらしい。(マムシグサ)(同上) 茎の下部を覆っている皮の模様も蛇の縞模様に似ている。蛇嫌いの女性には好まれそうもない植物であるが、なかなかにインパクトがあり、違った意味でヤカモチは暫し見惚れているのでもありました。(同上)
2012.05.18
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本日の銀輪花逍遥は、お馴染の「やあ~」の花たちから始めましょうかね(笑)。(キンポウゲとスミレ) キンポウゲは道の辺や野原でよく目にする花。傍らにはスミレも咲いていました。 スミレと来れば「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の山部赤人の歌であるが、キンポウゲにはこのような粋な歌はない。 あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ (種田山頭火 昭和15年「草木塔」) ぬれるだけぬれてきたきんぽうげ (種田山頭火 同上) まあ、山頭火の上の句のように、キンポウゲの方からすれば身も蓋も無い句があるっきりなのである(笑)。 「山頭火」というのは納音の一つで、甲戌・乙亥の年の納音がそれであるが、山頭火の生まれ年の納音が「山頭火」なので、それを俳号に使用したのだと思っていたら、そうではなくて単に気に入っただけのことであったそうな。彼の生まれ年の納音は楊柳木である。因みに偐家持の納音は「霹靂火」である。青空の ずっと向こうでも ひょっとして 寝転んでいる きんぽうげ咲き (誰田霹靂火)(スミレ) 話が脱線しましたが、まあ、スミレとこのように並べて見れば、キンポウゲさんには悪いがそれも仕方がないか、というものでありますな。 漢字で書くと「金鳳花」と立派過ぎる名が却って仇となっているのかも知れませんな。種田山頭火さんも「きんぽうげ」と仮名書きしているのは、漢字表記のものものしさに扱いかねるものを「感じ」たのでしょう。(不明) またまた、名の知れぬ「つれなき」花であります。菜の花の仲間ですかな。 前ページの名前の知らぬ花の名と共に、小万知さんからこの花は「草の王(草の黄)<クサノオウ>」だとご教示戴きましたので追記して置きます。(5.18.) 次は、山つつじと山藤。「にほへをとめ」と「藤娘」であります。(ツツジ)(同上) 藤と葛は共に大木に絡み付いて自身の勢力を伸ばすのであるが、葛は古代仁徳天皇の時代に勢力を誇るが雄略天皇の時代に没落、藤は天智、天武、持統朝で基盤を築き、以来今日まで命脈を保っているあたりは、この植物のしたたかさというべきか。(藤1)(藤2) 藤の歌はご本家の家持さんにお任せすることと致しましょう(笑)。藤波の 影なす海の 底清み 沈く石をも 玉とぞ我が見る (大伴家持 万葉集巻19-4199)(藤3) 最後は、オダマキ。水路の脇に咲いていました。たぎち流れる水の白とオダマキの紫との取り合わせが「をかし」とて・・。(オダマキ)オダマキの 花は咲きたり 花の下 たぎつ水あり 白きウズマキ (マキ麻呂)
2012.05.17
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銀輪散歩で目にする花たち。名を知っている花は「やあ~」なのであるが、多くは名を知らない花たち。 そんな花を以下に掲載です。ご存じの方居られましたらご教示下さいませ。(上の花は「カキドオシ」<シソ科>だそうです。5.18.追記) オオイヌノフグリが咲き群れている・・と思って近付くと、花の形が全然違う。よく見る花のようでもあり、初めて見たようでもあり、であるが、いづれにせよ名前が分からない。マツバウンランのような薄紫色の花であるが、色の白っぽいものもありました。(これは「ウワミズザクラ」だそうです。5.18.追記) コチラは白い穂のような花。一応ネットで調べてみて似た花にヤマブキショウマというのがありましたが、違うようでもあり、よく分からない。 隣に白い山アジサイがもう咲いている・・と思ったが、これもよく見ると、花の付き方や形が微妙に違っていて、アジサイではないようだ。 最後はサクラソウみたいな可愛い花。背丈は30~40cm位。(これは「シレネ<別名「袋撫子」>」だそうです。5.18.追記)名も知らぬ 花はつれなし 銀輪の 道にし逢へる 兒やたれならむ (偐家持)
2012.05.15
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第99回智麻呂絵画展 久し振りに智麻呂邸を訪問。新作絵画が沢山たまっていました。本日はその中から11点とお孫さんのナナちゃんの絵1点をご紹介いたします。残りは次回第100回記念展まで取って置くことといたしました。では、智麻呂絵画ファンの皆さま、第99回展、ごゆるりとお楽しみ下さいませ。 今回は例によって、ヤカモチの勝手選びにて、凡鬼さんの俳句もコラボして戴くことといたしました。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(今盛りなり。) 智麻呂さんのご自宅の近くの恩智川沿いにある桜並木の絵です。花の盛りの頃に散歩の道すがらに描かれたものであります。風吹けば 花の絨毯 散歩道 赤ちゃん顔して 智麻呂が行く (恒郎女) 歌は恒郎女さんがお作りになられたのですが、花に見惚れて「赤ちゃん顔」になってしまわれている智麻呂さんの可笑しさとそれを見つめる恒郎女さんの眼差しのやさしさが感じられて、とても楽しい歌であります(笑)。 (ムスカリ)繰り上げ戸残す宿場や燕子花(かきつばた) (凡鬼)山麓の小寺の首塚花菖蒲 (凡鬼)(カキツバタ) これは、以前にもありましたが、間引きされて道端に打ち捨てられていたカキツバタを、ご夫妻が救出保護し、花を咲かせて上げたというものであります。間引かるは あはれ惜しとふ うま人に 逢ふをうれしみ 杜若咲く (偐家持)(白い花)※名前が分りません。マーガレットとは葉が違うよう。 野菊の一種でしょうか。天網は遁れるすべなし芥子の花 (凡鬼)(ナガミヒナゲシ)逍遥の道々に待つ山躑躅 (凡鬼)(ツツジ) 五月は躑躅の花が咲き匂う季節。桜とはまた一味違った美しさでありますが、古来日本人は桜と共にこの花を愛して参りました。智麻呂さんの手にかかると一層その美しさが際立つようでもあります。 下のツツジ2は寺◎氏がご自宅の庭に咲くのを一枝手折り、智麻呂さんにプレゼントして下さったものにて、昨日ヤカモチが訪問した折、その直前に仕上がったもので、一番新しい絵ということになります。(ツツジ2)(タケノコ)竹の子の先のとがりに力満つ (凡鬼)堀時をのがし竹の子存(ながら)える (凡鬼)竹の子の皮脱ぎ捨てて一人立ち (凡鬼)(シラン) 万葉集巻17-3967と3968の大伴池主の歌の序文に出て来る「けい」(漢字では草かんむりに恵と書くが、このブログでは使えない文字なので仮名書きしています。)はこのシランのことだとされる。 歌は、天平19年(747)2月29日に病床にあった家持から池主に贈られた歌に対する返しとして、3月2日に池主が家持に贈った歌である。家持が病に臥せってしまい会えないことを残念がった歌となっている。池主は家持が越中守であった時に次官の「掾」であった。越前掾に転出した後も家持との交流は続いている。この歌の10年後、天平勝宝9年(757)に、池主は橘奈良麻呂の乱に与したとして投獄され死亡している。山峡(やまかひ)に 咲ける桜を ただひと目 君に見せてば 何をかおもはむ (巻17-3967)うぐひすの 来鳴く山吹 うたがたも 君が手触れず 花散らめやも (巻17-3968)(サザエ)一歩足入れたくなるや紫雲英田(げんげだ)に (凡鬼)(レンゲソウ) 上のレンゲソウの絵はとても可愛い絵で見る人の心を楽しくさせるような明るさとリズムが感じられます。 これも寺◎さんが、いつぞやの土筆と同様に、ごっそり根こそぎに春野を掘り取って、お届け下さったものを絵にされました。(さばのふりかけ、ナナちゃんの作品です。) 最後はおまけの絵、お孫さんのナナちゃんの作品です。 バザーで販売する手作りの「さばのふりかけ」のラベルをナナちゃんが作りました。よく出来たラベルでありますが、さあ、これで売上倍増となりますかどうか。 余り「サバを読まず」に地道に販売努力をすることが肝要である、なんぞと水を「ふりかけ」る野暮は言いますまい(笑)。
2012.05.13
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秋吉台銀輪散歩の記事は昨日で終了しましたが、短歌を全然記していませんでした。今回も「銀輪万葉」にてあればとて、以下に歌を記して置きます。秋よしと 言へど銀輪 初夏(はつなつ)の 風もまたよし カルストの道丘々の 襞もやさしみ 流れ行く 雲へとわれも 行かなこの道山頭火 笠ぬぐ空を われもまた 帽子無用と 銀輪駆けぬ辛(から)き坂 喘ぎつ行けば 藤の花 咲きてわれ待つ 鐙(あぶみ)の峠田の水に 映せる山の 影清み 群れて菖蒲の 花も添ひにき桂木(かつらぎ)の 名をなつかしみ その山に 出づる厚東(ことう)の 川に添ひ行く媼(おうな)一人 田の辺(へ)にありて 稲川(いねかは)と 告げにしその名 われ忘れめやどんどこと 子ら打つ太鼓の 音すれば 青くなるらし 嘉万(かま)の空かな猿田彦 この道ゆけと 言ふなるか みたびあひにし このたびの道きよすぎの 媼(おうな)の笑みの やさしみと 知らず昼餉(ひるげ)は 此処と決まれり 更に、秋吉台に行って秋芳洞を見ないというのも如何なものか、にてあれば、これも少しご紹介して置きます。秋芳洞は昔に未だ独身であった頃、父とこの近くを旅したことがあり、その際に立ち寄って以来の再訪ということになる。(洞窟入口) (黄金柱) (巖窟王) (龍の抜け穴) (縮緬石) 秋芳洞から新山口駅前までバスで約40分。 新幹線側の駅前広場には、山頭火の像がありました。(新山口駅・在来線側)(新山口駅・新幹線側)(山頭火像) 台座に刻された句は「まったく雲がない 笠をぬぎ」というもの。 山頭火の直筆を復元したものとか。 今回は山頭火所縁の湯田温泉にも山口市内の中原中也記念館にも立ち寄らずでした。彼の詩「冬の長門峡」の長門峡公園もまたの機会ということに。夏の長門峡では「汗は流れ流れてありにけり」で「蜜柑色の夕日」もギンギラギン・・。行くならやはり冬かと。(味処・山頭火) という訳で、昼食を「山頭火」で喰って、新幹線で早々に帰途につきました。
2012.05.12
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(承前) 山口秋吉台自転車道は全長31km。国道262号線が椹野川に架かる橋の袂を起点に、椹野川沿いを南に進み、上郷駅前でJR山口線を渡り、国道9号線沿いに南下し、新町交差点で右折、県道28号線に入り、これに沿うようにして山間部へと進む。新町交差点から国道9号線を更に3kmほど南下し矢足交差点を左に入ると新山口駅である。大阪から新幹線で行くなら新山口駅前から新町交差点まで走り、この自転車道に入ればよい。新町交差点から暫く行くと道は上りとなり、二本木峠まで約7km、途中何カ所かの下りはあるものの、ずっと上り坂が続く。 峠から2kmほど下った湯ノ口三叉路で県道28号線は31号線にぶつかる。ここから自転車道は31号線に沿って進む形になる。中国自動車道美祢東JCTの脇を通り500mほど先の民家の前で31号線から左に大きく外れ、厚東川に沿って走る。下郷休憩所の処で県道240号線に出る。これに沿って左へ進む。国道435号線と交差する手前200m位の地点から道は厚東川の支流の稲川沿いになる。稲川沿いに2.5kmほどで終点の秋芳洞前である。 <参考>山口秋吉台自転車道 今回はホテルが秋吉台側なので、終点の方から山口を目指して走り、二本木峠の手前で折り返し帰って来る形となった。往復28km程度の走行である。(下郷休憩所前の案内図・終点秋吉台から6km位) 秋吉台から6km位の地点、県道240号線を渡った処に休憩所がある。休憩所の石テーブルの上にアイホンの充電器が忘れ置かれたままになっていましたが、帰り道に立ち寄ったら、まだそのままになっていました。(十文字峠付近・終点秋吉台から8km位)(オーガニックライフ「きらら」・終点秋吉台から13.5km位) 「きらら」の少し手前付近から道はゆっくりと上り坂となり、二本木峠を越すと一気に小郡へと下って行く。峠を越えて下ってしまうと帰りがきつくなるので、峠の手前で秋吉台へと引き返すこととする。山口からのこの道往復はまたの機会に譲ることとしました。 秋芳洞バスセンター前からホテルまでは延々の坂道。さすがに自転車では、半分も乗っては進めない。カルストロードの方に大回りして行けば傾斜が幾分緩やかになるので、乗ったまま行けそうだが、来てしまったものは仕方がない。前のめりになりながら、息喘がせつつ、ホテル玄関先まで「登山」ウォーキングとなりました。前半のカルストロードから嘉万市へと回る、秋吉台一周銀輪散歩と合せて、午前9時から午後4時半までの7時間半の銀輪散歩となりましたが、これにて無事終了です。今回もお付き合い下さり有難うございました。字数に少し余裕があるようなので、今回見掛けた道の辺の花を以下に掲載して置きます。
2012.05.11
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(承前) 青景八幡から更に何カ所かの集落を抜けて、漸くに県道31号線に出た。ホテルで貰った地図はデフォルメされた絵地図のようなもので、距離が分らない。想像したよりもずっと長い道のりでありました(笑)。今、思うとよくもあのような略地図で道を間違えなかったものである。(嘉万小学校)(嘉万の里)(厚東川の支流の小川。県道31号線と嘉万小学校の間を流れている。) 嘉万で県道31号線に入り、秋吉交差点目指して走る。途中何処かで食事をと思うが、ずっとそれらしき店がない。コンビニさえ一軒もなしでありました。(厚東川と秋芳瀬戸洞門) 秋吉交差点で左折し、秋芳洞方向に走る。結局、食事の出来そうな店は秋芳洞バスターミナル前まで一軒もありませんでした。(秋吉八幡宮)(同・拝殿)(同・本殿)(またもや、猿田彦大神の碑。秋吉八幡宮境内) またまた、猿田彦である。 さて、秋吉八幡の手前から坂を上り切り、右へとカーブして行く道を下って、GSの前で左折して行くと「ようこそ秋芳洞へ」という看板が出迎えてくれ、バスターミナル前に着く。一番手前の店で、おばあちゃんが笑顔で迎えてくれたので、「きよすぎ」という店に入って昼食とする。(秋芳洞観光センター、バスターミナル付近)(土産物店・レストラン「きよすぎ」) この店の裏が「山口・秋吉台自転車道」の終点の駐輪場兼公園である。(山口秋吉台自転車道終点)<参考>山口秋吉台自転車道(小郡まで21Km、山口まで31Kmとある。)(稲川) この川の左岸が自転車道になっている。農作業をされているおばあちゃんに川の名を尋ねたら、稲のイネ、イネ川だと教えて下さいました。 いよいよ、山口秋吉台自転車道を走ることとなるが、字数制限の関係で、ここでページを改めることとします。(つづく)
2012.05.10
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(承前) 秋吉台カルストロードから県道329号線に入って直ぐの処に小さな神社があった。三島神社とある。(三島神社) 神社の由来などは知らぬが、鳥居の脇にあった猿田彦の碑が目を引いた。この後、何度も同じ碑を目にすることになるのであるが、この地方では猿田彦は身近な神様のようである。道祖神と同一視されているのであろうか。 猿田彦はニニギが天降りした際に、これを出迎え葦原の中つ国へと先導する役回りで登場する異形の国つ神であるが、天狗の原形ともアマテラスに先だって伊勢で信仰されていた太陽神であるなどとも言われる「謎の神」であるが、道祖神と同一視されたり、「サル」ということで、庚申講と結び付いたりと色んな顔を持つ不思議な神である。 旅人の神でもあれば、ともかくもご挨拶(小生の「ご挨拶」とは「写真に撮る」ということに過ぎないのであるが)して行くことに。(猿田彦大神石碑)(鐙峠へと向かう坂道を上りながら眺めやると谷間に一軒の家が。)(県道239号線)(鐙峠手前の道の辺に咲く藤の花)(鐙峠から少し下った辺り。)(峠から下って来た人里。既に田植えの準備が始まっていました。)(此処にも猿田彦が・・。)(奥の高い山が桂木山) 猿田彦の碑を撮影していたら、近くの民家からご婦人が出て来られた。桂木山はどれかと尋ねると指さして教えて下さった。文字こそ違え、大和河内にも葛城山があるので、どの山か気になっただけのことであったが。 大阪からやって来たと申し上げると、大阪の豊中市に親戚があると仰っていました。(青景八幡宮)(同・拝殿)(同・本殿)(同・鐘楼) 文字数制限一杯です。続きは明日です。(つづく)
2012.05.09
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秋吉台国定公園のカルスト台地を通り抜ける「カルストロード」そして「山口・秋吉台自転車道」を銀輪散歩して来ましたので、本日より何回かに分けて掲載致します。(ホテルの窓からの眺め) 朝9時にホテルを出発。秋吉台のハイキングコースを少しばかり自転車を押しながら散策した後、カルストロードに出て、銀輪散歩の出発であります。(展望台下にある秋吉台の石碑) ハイキング道が縦横に通じているが、勿論、舗装はされていない。石、岩、砂、土の自然の道にて、自転車で走れるような道ではない。押して歩くか担いで歩くことになる。(展望台からの眺め) 歩いての散策はそこそこにし、秋吉台カルストロード(県道32号線)に出て、銀輪を走らせることとする。(秋吉台カルストロード) カルストロードは湯田温泉から美祢へと通じる国道435号線から分岐、秋吉台国定公園内を走り抜け、秋吉台サファリランドの前を通って、宮の馬場で県道28号線と繋がる県道32号線の愛称である。 アップダウンの山越えの道。上りは大変であるが下りの爽快さは格別。眺望の素晴らしさと相俟って、まことに素晴らしい道である。 カルストロードは車も走るが、時たまのことにて殆ど気にならない。雄大なカルスト台地の眺めを独り占めにしての快適走行が楽しめる。(長者ヶ森)(地獄谷)(同上) この山(烏帽子岳395m)の中腹を縫うようにしてカルストロードが走っている。上の写真と下2枚の写真は同じ場所から方向を変えて撮ったものである。高みから下って来て再び少し上り坂となる辺りで振り返り谷越しに、来た道を撮ったのが上の写真と下1枚目の写真である。下2枚目は道の前方を撮影したもの。道はここで大きく半円を描くようにカーブしているのである。 この坂の先、左にゆっくりカーブする辺りから再び下り。下った処が大正洞と秋吉台エコ・ミュージアム。秋芳洞とは山の反対側の位置になる。 更に進むと道は左右に分岐し、右に行くと秋吉台サファリランド、左に行くと景清洞、秋吉台リフレッシュパークである。左に進む。左の道は、県道239号線。ここでカルストロードとはお別れであるが、本日はここまでとします。(つづく)
2012.05.08
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昨夜は満月であったのですな。ベランダに出て見ると月が空高く皓々と光を放っていました。今月20日が金環食とのことですが、これは太陽が主役、月は脇役、文字通りの黒子ですな。 しかし、和歌の世界にあっては、「雪月花」や「花鳥風月」にて月こそ主役、太陽はものの数ではないのでありますな。 「寄物陳思」、物に寄せて思ひを陳べる歌というのは、相聞、騎旅などと共に、歌集の部立ての一つにて、万葉集にても既に見られるものであります。古来、日本人は月に寄せて多くの歌を詠んで来ました。 月の歌あまたある中で、本日は万葉ではなく、西行の月の歌を書き出してみることと致します。桜と月の歌人、西行。西行一人に絞ってみても月の歌は数限りなくあります。拾い出しているだけで疲れてしまいますが、字数制限内で書き出せるだけ書き出してみることと致しましょう(笑)。(2012年5月5日の月)ゆくへなく 月に心の すみすみて 果てはいかにか ならむとすらむなげけとて 月やはものを おもはする かこち顔なる わが涙かなこととなく 君恋ひわたる 橋の上(へ)に あらそふものは 月の影のみ弓張の 月に外れて 見し影の 優しかりしは いつか忘れむおもかげの 忘らるまじき 別れかな 名残りをひとの 月にとどめてしきわたす 月のこほりを 疑ひて ひびの手まはる あぢのむら雲影さえて まことに月の あかき夜は 心も空に 浮かれてぞすむ心をば 見る人ごとに 苦しめて 何かは月の とりどころなるさのみやは 袂に影を 宿すべき 弱し心よ 月な眺めそ月に恥ぢて さし出でられぬ 心かな 眺むる袖に 影の宿れる露けさは 憂き身の袖の 癖なるを 月見る咎に 負ふせつるかな月の夜や 友とをなりて いづくにも 人しらざらむ 住みか教へよひとりすむ 片山かげの 友なれや 嵐に晴るる 冬の夜の月月ならで さし入る影の なきままに 暮るるうれしき 秋の山里眺むるに 慰むことは なけれども 月を友にて 明かす頃かなひとりすむ 庵に月の さしこずは 何か山べの 友にならましあはれなる 心の奥を 尋(と)めゆけば 月ぞおもひの 根にはなりける憂き世いとふ 山の奥にも したひきて 月ぞ住みかの あはれをぞ知る憂き身こそ いとひながらも あはれなれ 月を眺めて 年の経ぬれば世の中の 憂きをも知らで すむ月の 影はわが身の 心地こそすれ隠れなく 藻にすむ虫は 見ゆれども われから曇る 秋の夜の月さらぬだに 浮かれてものを おもふ身の 心をさそふ 秋の夜の月真木の屋に しぐれの音を 聞く袖に 月の洩り来て 宿りぬるかないつかわれ この世の空を 隔たらむ あはれあはれと 月をおもひていかでわれ 心の雲に 塵すゑで 見る甲斐ありて 月を眺めむ眺めをりて 月の影にぞ 世をば見る すむもすまぬも さなりけりとは雲はれて 身に憂へなき 人のみぞ さやかに月の 影は見るべき来む世にも かかる月をし 見るべくは 命を惜しむ 人なからましこの世にて 眺め馴れぬる 月なれば 迷はむ闇も 照らさざらめや来む世には 心のうちに あらはさむ 飽かでやみぬる 月の光を鷲の山 おもひやるこそ 遠けれど 心にすむは 有明の月鷲の山 くもる心の なかりせば 誰も見るべき 有明の月鷲の山 月を入りぬと 見る人は 暗きに迷ふ 心なりけり鷲の山 誰かは月を 見ざるべき 心にかかる 雲しはれなば悟りえし 心の月の あらはれて 鷲の高嶺に すむにぞありける雲はるる 鷲のみ山の 月影を 心すみてや 君ながむらむ分け入りし 雪のみ山の つもりには いちじるかりし 有明の月見ればけに 心もそれに なりにけり 枯野のすすき 有明の月あらはさぬ わが心をぞ 怨むべき 月やはうとき をばすての山あま雲の 晴るるみ空の 月影に 恨みなぐさむ をばすての山くまもなき 月の光を 眺むれば まづをばすての 山ぞ恋ひしきをばすては 信濃ならねど いづくにも 月すむ峰の 名にこそありけれ花におく 露に宿りし 影よりも 枯野の月は あはれなりけり冬枯れの すさまじげなる 山里に 月のすむこそ あはれなりけれ霜さゆる 庭の木の葉を 踏み分けて 月は見るやと とふ人もがないづくとて あはれならずは なけれども 荒れたる宿ぞ 月はさびしき山おろしの 月に木の葉を 吹きかけて 光にまがふ 影を見るかな山深み まきの葉わくる 月影は はげしきものの すごきなりけり神路山(かみぢやま) 月さやかなる 誓ひありて 天(あめ)が下をば 照らすなりけりこれや見し 昔すみけむ 跡ならし 蓬が露に 月の宿れる月すみし 宿も昔の 宿ならで わが身もあらぬ わが身なりけり雲の上や ふるき都に なりにけり すむらむ月の 影は変らで何ごとも 変りのみゆく 世の中に 同じ影にて すめる月かな涙のみ かきくらさるる 旅なれや さやかに見よと 月は澄めども眺めつつ 月に心ぞ 老いにける 今いくたびか 春にあふべき山の端に かくるる月を 眺むれば われも心の 西に入るかな闇はれて 心の空に すむ月は 西の山べや 近くなるらむ(同上) ざっと57首列挙できました。さて、皆さまのお心に共鳴音を響かせた歌はどれでありましたでしょうか。<参考>元永元年(1118年)佐藤義清誕生。 保延 6年(1140年)出家。法名円位、西行と号す。 保元元年(1156年)鳥羽院崩御、保元の乱。 治承 4年(1180年)6月福原遷都。8月頼朝挙兵。 建久元年(1190年)2月16日河内の弘川寺にて入寂。
2012.05.06
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偐万葉・英坊篇(その8) 本日は、偐万葉シリーズ第140弾、英坊篇(その8)をお届け致します。 <参考>過去の偐万葉・英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌16首併せ 英麻呂が詠める歌4首立山(たちやま)に 降り置く雪の 峰に恋ひ 崎の荒磯(ありそ)を 踏みつつぞ来(こ)し 英麻呂が返せる歌3首磯の香に 酔うひまもなき 域の間に 女岩男岩(めいはをいは)と 美(うるは)しの山峰(やま)我ほこり みさかいもなく かける声 ちから入りても 同賛の声あり立山の 美山の様は 雪と雲 仰ぎ観るれば 加う荘厳 神からや 雪の立山 撮り来れば よしとや言はれ 我が禿増さる (鏡坊3)(本歌)神奈備の 磐瀬の杜の 呼子鳥 いたくな鳴きそ 吾が恋まさる (鏡王女 万葉集巻8-1419) 神奈備の 磐瀬の杜の ほととぎす 毛無(けなし)の岡に いつか来鳴かむ(志貴皇子 万葉集巻8-1466)(注)「励まし(禿増し)」、「貶し(毛無し)」という英麻呂の駄洒落に追和せ し歌なり。なお、「毛無」については「ならし」と訓む説もある。立山(たちやま)の 神したまへる 水清み 富山羨(とも)しも 春はさらなり ふくれしは(29048) 見(3)惚(10)れしこころ(04556) 咲く(39)花(87)に(2) 言ふはをこなれ(1280570) 空(9)腹(29)な(7)し(4)と(10) (花より団子)(注)をこ=烏滸、尾籠。おろかなこと、馬鹿げたこと、馬鹿。西行に なりたる心地 われもして 歌など詠まむと 花やめぐれる菊浮かめ 呑むもよかりき 桜花 はかなく散るは さらにもよかり (偐散持) 沈香(ぢんかう)も 焚(た)かずにあれば 屁もひらず 平(ひら)に凡凡 馬鹿ボンボンと (人畜無蓋)春雨の しくしく降れば 知らず間に ゆかし桜の 色の道かな花筏 流し今年も 行くや春 惜しと踏みつつ 春雨の道朝に夕(ゆふ) 背子は羨(とも)しも 立山(たちやま)を 行き来(く)と見らむ 背子は羨(とも)しも (偐淡海)(本歌)朝裳(あさも)よし 紀人(きひと)羨(とも)しも 亦打山(まつちやま) 行き来(く)と見らむ 紀人羨しも (調首淡海(つきのおびとあふみ) 万葉集1-55) 早月(はひつき)の 川は遠しも 我背子は 胸ポケットに たたむと言へり 英麻呂が贈り来れる歌1首酒に酔い さかづき挙げて 花仰ぎ 飲んで下され 真紅色まで 偐家持が追和して詠める歌1首酔(ゑ)ひ酔(ゑ)ひて 浅き夢見に 咲く花と たはむれ散らな 春のうちにぞ (いろは家持)はしけやし 栄え少女(をとめ)と 咲き匂ふ 古城の桜 今盛りなり桜花 貴婦人大橋 立山と いづれか主役 引きぞわづらふ (偐三位頼政)(本歌)五月雨に 沼の石垣 水こえて 何(いづれ)かあやめ 引(ひき)ぞわづらふ (源頼政 「源平盛衰記」) 五月雨に 沢辺の真薦(まこも) 水越(こえ)て 何(いづれ)菖蒲と 引(ひき)ぞ煩ふ (同上 「太平記」) おのが庭に つばらに椿 咲きたるに などて野の花 追ふべきものか (庭花持)(注)つばらに=本来は「些細な点も詳しく、一々に、じっくりと」という意味 であるが、一つ一つ丁寧に、というような意味で使用しました。 多箸(おほはし)の 詰めたる橋の 愛(め)づらしく われ貸さましを 天(あま)の箸置き (高箸虫麻呂)(本歌)大橋の 頭(つめ)に家あらば うらがなしく ひとり行く兒に 宿貸さましを (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1743)<注>掲載の写真は全て英坊3氏のブログからの転載です。
2012.05.03
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本日は囲碁例会の日。生憎の雨で、MTBで行くことは諦め、電車で出掛けました。そんなことで、途中の道草もなく、取り上げるべき写真もありませぬ。それで、囲碁会場に使っている部屋のベランダから撮った写真を掲載して置くこととします。 今年の4月から、部屋は梅田スカイビルのタワーイースト21階から、アネックス棟の5階に移転しています。梅田スカイビルは東西のタワービルとアネックス棟2棟がオフィス部分、ウェスティンホテル大阪棟がホテル部分で、この両者を合わせて、新梅田シティと呼ぶ。ホテル棟部分とオフィス棟部分は地下駐車場で共用壁を通して接している。つまり建物はホテル部分とオフィス部分とに区分所有された二戸一の区分所有建物ということに法的にはなる、という次第。 まあ、そんなことはどうでも宜しい。新しい囲碁の部屋はベランダが付いていて、外に出られる。小さなベンチが設置されていて、風に吹かれながら、気分転換が出来るのである。本日はそのベランダから撮った写真を掲載ということであります。「余程ネタがないと見える」と言われそうですが、その通りです(笑)。(アネックス棟の5階ベランダから北西方向を見る。) 写真の手前の森は「中自然の森」と名付けられている。「大自然」には及ばないので、ということであるが、森の中には小川も流れているのであります。森の向こうがウェスティンホテル大阪。遠くには最近建った高層マンションが見えますな。(中自然の森) 同じく5階ベランダから見下ろした中自然の森です。カメラを右に振ると、下の写真の「滝」となります。(滝) 滝と言うより噴水でありますが、地下の飲食街「滝見小路」の店に入って中からガラス越しに見ると滝を裏側から眺めている感じになるのですな。 さて、囲碁です。雨の所為か、ゴールデンウィークのさ中の所為か、出席者は平◎氏、竹◎氏、福◎氏と小生の4名だけでありました。 先ず、平◎氏と打ち、数目の勝ち、続いて竹◎氏と打つが、これは終盤にかけて右下隅の石を殺されてしまうという手違いがあって投げ、中押しで負けました。次に、福◎氏と2局続けて打ち、いづれも相手側が序盤で不用意な手を打ったことで、小生ペースの展開となり連勝。今日は3勝1敗。これで、今年に入ってからの成績は18勝13敗、何とか勝ち星先行を維持しています。
2012.05.02
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4月28日の偐山頭火氏との銀輪散歩の主目的であった、太安万侶の分骨が埋納される松の下古墳(参り塚)を見つけることは出来なかった。しかし、翌日に偐山頭火氏が車で再訪し、それを見つけて下さいました。その写真を送信して下さいましたので、追録としてご紹介申し上げます。 既に同氏のブログで紹介されているのであるが、あちらはヤフーブログ、こちら楽天ブログ、と屁理屈つけて、重複を憚らず、記事アップであります。 その場所は多神社の裏地ではなく、神社から南東900mの処にありました。多神社が所有する田圃の中にある小円丘の塚で、「松の下古墳」とも「参り塚」とも呼ばれ、古来、太安万侶の墓と伝承されて来たものだそうな。 1979年に高円山の裏手、奈良市の田原の里で発見された円墳が、出土墓誌から太安万侶の墓とされ、それが定説となったようにて、墓はそちらに譲らざるを得ないこととなった。しかし、元々この辺りは安万侶の一族、多氏の根拠地であり、この松の下古墳周辺に太安万侶の邸宅があったとの伝承もあることから、この塚も多氏や安万侶に所縁のものであることは間違いなく、古事記撰上1300年の今年を記念し、多神社が遺骨を保管している寺院に分骨を申し出て、この度それが実現することとなったもの。この塚への納骨儀式は安万侶の命日の7月6日にこれを行い、周囲に石垣を廻らし、記念碑を建てる計画であるらしい。 あちらの墓があるのも「田原の里」、こちらの塚も「田原本市」にある。同じ田原である処が、偶然なのか、何か関係があるのか、ちょっと面白い。まあ、田原という地名はあちこちにありますから、それだけのこと、というのが落ち着き先のようですな。 いづれにしろ、安万侶の骨はそのふるさとの地に帰って来るという訳であります。安らけく 眠れとてかや ふるさとの 多にし帰す 安万侶の骨 (偐骨持) 安万侶曰く、「静かに眠るというのも、なかなかに骨が折れることである。」(寺川<左>と米川<右>との合流点) 先般の銀輪散歩では、上の写真の寺川沿いへと走ったのであるが、松の下古墳は、写真に写っている白い二階家の手前の道の右側の田園の中にありました。(松の下古墳) 上の写真では分り難いかも知れませんが、正面の民家の前の田の中に見える小さな円丘がそれです。下の拡大写真でご覧下さい。(同上)(注)写真は全て偐山頭火氏の撮影によるもので、同氏のご了解の下、掲載いたして居 ります。但し、3枚目の写真は小生にてトリミングしたものです。<参考>偐山頭火氏のブログ記事「太安万侶分骨墓探索」 田原本から桜井・忍坂へ銀輪散歩 (1) (2)
2012.05.01
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