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本日(29日)は、日本経済新聞社主催の「第9回文楽の夕べ」に行って参りました。小生は文楽についてはそれ程「好き」というのでもないが、友人の偐山頭火氏は文楽がお好きなよう。今回も同氏が申し込んで居られたようですが、急なご都合で行けなくなったので、宜しければと「参加証」を当方に回して下さったもの。 ということで、偐家持が偐山頭火になりすましての参加でありました。ニセがニセのニセになった訳で何ともややこしいことでありますな(笑)。まあ、今日の演目もそうであるが、文楽の出し物には、別の人物になりすましていて、実は私は・・というのが多いようですから、こういう参加もいいでしょう。因みにその正体を明らかにする場面が一つの見せ場というか山場になっているのですが、大夫はその語りで人物の違いを出さなければならない。それは「声を変える」のではなく、「息を変える」ことによって、語り分けるのだそうな。 文楽については、大阪市長が補助金を出さない云々で物議を醸しましたが、日本経済新聞社は大阪の伝統芸能・文楽を広く一般の方に親しんで貰おうとこのような催しを毎年続けて来られて、今年で9回目になるのですな。 下のプログラムにも記載の通り、対談と来春公演の「義経千本桜・すしやの段」と「ひらかな盛衰記・松右衛門内の段」の「さわり」の部分のミニ公演の二部仕立てになっていて、文楽初心者にも親しみ易い構成になっている。(プログラム) 演じられるのは、まさに「さわり」の部分にて、映画の予告編ではないが、もう少し、という処で幕が下りてしまう、些かもの足りないものであるが、これは「来春の国立文楽劇場へお運び下さい」と言うことでもあり、最後に出演者の座談会も盛り込まれてあるとなれば、致し方のないことでありますな。 なお、参考までに本日の出演者竹本文字久大夫のブログを下記にご紹介して置きます。 <参考>文楽、竹本文字久大夫の気ままな絵日記(プログラム裏面の解説) 会場は、中之島中央公会堂。午後6時開演で、5時半から受付開始。小生が公会堂の前に着いたのは5時10分になるかならない位であったかと思うが、既に多くの人が並んで居られました(下掲写真)。小生は並ぶのが嫌いなので、中之島の夕景などを写真に撮ったり、珈琲を呑んだりしながら、離れた場所で時間を過ごすこととしました。(公会堂の前には受付開始を待つ人の列が長く延びて・・。) 5時45分。受付が始まり、建物前の人影が全て建物内に消えたのを見計らって、小生も公会堂の方へと向かいました。 入場するとホールは既に人で一杯。後方の席に陣取りました。開演中は撮影禁止なので、開演前の場内風景を2枚撮影しました。(開演前場内風景)(同上) 会場に入る前の時間潰しで撮影した、中之島公園の写真を付録で掲載して置きます。イルミネーションが美しく、また、川面に映るビルの灯りや水上バスの姿など、水都大阪らしい風景でもあるかと。(イルミネーション)(同上)(土佐堀川・奥の橋は淀屋橋)(カフェテリアのイルミネーション)(水上バスもやって来た。)(同上)
2012.11.29
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偐万葉・カマトポチ篇(その4) 本日は偐万葉・カマトポチ篇(その4)とします。 カマトポチさんは当ブログをお気に入りにご登録戴いた2番目の方で、自転車ご愛好家でもあり、親しみを感じてブログ交流を続けさせて戴いて居りましたが、昨年の7月23日の記事を最後にブログの更新が途絶えています。 お気に入りご登録1番目はビターcさんでしたが、この方も現在はブログを休止されていて、交流が途絶えて久しくなりました。 ということで、カマトポチ篇もこれが最後となるかと存じますが、未掲載分を纏めて置くこととします。何れも1年~2年前の古いもので、すっかり忘れていたものや微かに覚えているものなどにて、懐かしい気がします。 <参考>過去の偐万葉・カマトポチ篇はコチラからどうぞ。 カマトポチさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持がカマト朝臣ポチ麻呂に贈りて詠める歌16首そはそはと 背子も行くらし 桜花 咲きや始(そ)めける 堀の道かな (江戸家持) (桜2010年春)暮れゆけば 水際(みぎは)の桜 火(ほ)明かりに 浮かみて恋(こほ)し ことのあれこれ (夜桜家持) (浜離宮夜桜)背子ゆくや みやこの春の 花逍遥 なごみこころの 澄みゆくならむ (花家持)虚木綿(うつゆふ)の 隠(こも)りて白き 無垢の花 人こそ知らね うちにぞ咲きぬ (祈家持) (注)うつゆふ=「隠り」にかかる枕詞 (美しき挑発「レンピッカ展」)ちょいワルを 気どるにあらず サングラス 人な笑ひそ パグも眩しいねん (パグの郎女) (パグも眩しいネン)仰ぎ見つ 天つみ空を なほめざし 継ぎてぞ咲きぬ 青き容花(かほばな)大空の 色うつし咲く 朝顔は 雨も似合ひの 花にしあれり (秋雨家持) (ヘブンリーブルー)箱根山 秋恋ひ来れば たたなづく 山とふ山の もみたひにけり (箱根)バーミャンの 仏も画伯も 今なけど なほし仏の 道をたづねな (偐玄奘) (バーミャン石窟・「大唐西域壁画」平山郁夫)来(こ)し道は 青き野にあり いちしるく 何そ津波の 流さうべしや (偐山魁夷(にせやまくわいい)) (東山魁夷「道」<試作>)<市川市東山魁夷記念館ホームページより転載>自粛など 言ひけむ人は 誰やらむ 猫も花見を するものなるに (復興支援花見猫) (猫たちのお花見)昭和はや 遠くなりけり 春うらら 千葉の森にぞ その名をとどむ (ホキ美術館)我が為に のべられたるを そのみ手の 傷にし何を 我は捨てしや主のみ手の やさしき招き 塵泥(ちりひぢ)の 我にもあるや 祈りのゆふべ聖母子を 囲める子らの 目をや見よ ひとみなもとは かくしぞあるを (キリスト像) (聖母子像)昨日今日 暑しと朝顔 植ゑや始(そ)む 秋の簾ぞ をその風流士(みやびを) (泥縄麻呂(どろのただまろ)) (西洋朝顔)(注)掲載の写真は、東山魁夷「道」を除き、カマトポチ氏のブログから の転載です。
2012.11.27
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今日は朝から雨。黄葉・紅葉もいよいよ終盤でしょうか。 もみぢ葉を訪ねての銀輪散歩もあと暫くのことでしょうね。 さて、今日は、小生の銀輪散歩の起点基地でもある花園中央公園の「もみぢ」をご紹介して置きましょうか。写真は21日撮影のものです。 この公園は、銀輪散歩の折によく立ち寄ることもあり、またその一角の桜広場はこの処の若草読書会のお花見の場所となっていることなどもあって、当ブログには度々登場して居りますが、「もみぢ」を取り上げたことはなかったような気がするので、今日はその「もみぢ」に焦点を当ててみました。(桜広場の紅葉) では、暫し、花園公園の紅葉をお楽しみ下さいませ。(同上) 毎年のように「もみぢ」の写真を掲載し、「もみぢ」の歌も何首作ったか知れないのですが、今日は「歌」どうしましょうかね(笑)。 その年のもみぢはその年限りのものにてあれば、一期一会なのでありますが、試みにざっと遡ってみたら、「もみぢ」に関連する記事は実に沢山ありました。<参考>「もみぢ」関連の過去の記事(抄) もみぢ 2008.11.6. 談山神社 2008.11.24. 大阪城、大川端のもみぢ 2008.11.25. 夕照散歩 2008.11.27. みたび竹田城址へ 2008.12.6. 明日香小旅行下見 2009.11.24. 囲碁と銀輪散歩(大阪城公園) 2009.12.9. 天野川銀輪散歩 2010.11.25. 銀輪と囲碁と黄葉と 2010.12.1. 近隣紅葉銀輪散歩 2010.12.5. 墓参・もみぢ散歩 2011.12.3. 銀輪もみぢ散歩 2011.12.5. 写真をクリックして拡大画面でご覧戴くと、 「もみぢ」の世界が一層広がります。 もみぢは日に透かして見ると美しさが増す。 目の中まですっかりもみぢ色に染まって・・・。 カメラ目線を低くして見ると、 そこにも、もう一つの「もみぢ」が・・。 落ち葉も亦「もみぢ」なりせば・・。サクサクと もみぢ葉踏みつ 行くわれに やがて夕陽は やさしく笑みぬ (偐家持) 蟻や蛙や鼠は、そして野良猫たちも、こんな風に、 花園の夕陽を眺めている、のでもあるか(笑)。
2012.11.23
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第110回智麻呂絵画展 本日は智麻呂絵画展であります。 今月2回目、通算第110回展であります。 新作11点一挙公開です。どうぞ、ごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(里の家) 先ず登場は、錦織公園の「河内の里」にある「里の家」(上掲)と「水車小屋」(下掲)であります。 当ブログでもご紹介致しましたが、先月24日に小万知さんご夫妻、偐山頭火氏、智麻呂・恒郎女ご夫妻と偐家持で、大阪南部羽曳野丘陵の南裾にある錦織公園にピクニックに出掛けました。その折の写生であります。 <参考>錦織公園秋逍遥(上) 2012.10.26. 錦織公園秋逍遥(下) 2012.10.27.(水車小屋) 錦織公園にもアケビは生っていましたが、これは、公園のそれでは勿論なく、小万知さんの庭に生っていたアケビです。(アケビ<通草>) アケビの絵は、実物の写生なのか小万知写真集からの写生なのかは定かではありませんが、次のノブドウの絵は小万知写真集からのものであります。(ノブドウ<野葡萄>)(ポインセチア) ポインセチアの真っ赤な葉がいいですね。クリスマスもあとひと月余りに近づいているのでありますな。(すみれ1) 菫の絵もこの絵画展には度々に登場していますが、今回も3点が登場しました。それぞれ、可愛らしく素敵な絵になっています。(すみれ2)(すみれ3) この菫の鉢植えはお孫さんのナナちゃんの学校でのバザーで販売されていたものとのこと。ナナちゃんやそのお友達の皆さんが、この洒落た素焼きの鉢も含め、このような花の鉢植えをお作りになったようだが、とてもよく出来ています。はい、勿論、絵の方も素敵です。 もう一つ寄せ植えの鉢がありましたが、これは未だ絵にはなっていませんでした。細かい花、複雑で込みいった形の葉、ちょっと難物な画材でありましたから、果たして絵になるのかどうか、これは、智麻呂さんのご気分次第ですな(笑)。(カタツムリ<蝸牛>) カタツムリの絵は初登場だと思います。黄色い房のような花が葉の間から見えますから、金木犀の木でしょうか。(ザクロ<柘榴>) 次は、割れ柘榴。これは錦織公園で木から落ちた柘榴の実をいくつか拾いましたので、それかと思いましたが、その柘榴ではなく、デイサービスに行かれた際に、そこで目にされた柘榴を描かれたもののようです。弾けた果皮から瑞々しい薄紫色の実がこぼれて、これも亦、秋でありますな。(柿と蜜柑) そして、秋と言えばやはり柿です。最後は柿と蜜柑の絵で締め括ることと致しましょう。言わば、本日のデザートであります。 本日もご来場、ご覧下さいまして、有難うございました。
2012.11.21
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本日(18日)は大学同窓会有志の集い、青雲塾の第3回万葉ウオークでありました。 桜井駅前午前10時集合で、桜の井、若桜神社、土舞台、吉備池の大津皇子・大伯皇女歌碑、磐余池跡、万葉の森、哭澤の杜、藤原宮趾、耳成池万葉歌碑などを廻って参りました。 既に、下見で歩き、当ブログで紹介済みでありますので、それぞれの場所についての紹介は割愛です。当該記事を未読で、興味をお持ちの方は下記の記事をご参照下さい。<参考>磐余銀輪散歩(1)・桜の井から土舞台へ 磐余銀輪散歩(2)・今日のみ見てや雲隠りなむ 磐余銀輪散歩(3)・ときじくの花 磐余銀輪散歩(4)・夏過ぎて秋来たるらし 磐余銀輪散歩(5)・走り過ぎて脚に来たるらし 磐余銀輪散歩別巻(1)・万葉の森 万葉ウオーク下見(1)・桜井駅から石寸山口神社まで 万葉ウオーク下見(2)・春日神社から古池まで 万葉ウオーク下見(3)・古池から奈良文化財研究所まで 万葉ウオーク下見(4)・哭澤の杜から藤原宮趾まで 万葉ウオーク下見(5)・持統天皇歌碑と藤原宮趾 万葉ウオーク下見(6)・醍醐池から耳成山公園まで 参加者は、三◎氏、塚◎氏、海◎氏、中◎氏、黒◎氏、佐◎氏、道◎氏、前◎氏、仲◎氏、松◎氏ご夫妻、醍◎氏と案内役の小生の13名。 下見で来た時に見付けて置いた、駅前のお弁当屋さんで、昼食用弁当を作って戴くべく、少し早めに家を出る。 近鉄布施駅で奈良線から大阪線に乗り換え、桜井へと向かう。 大阪線ホームに行くと、画家で友人の家◎氏とバッタリ出会ったのは愉快なことでありました。氏は教会の礼拝に向かわれる途中でありました。列車待ちの時間の短い立ち話。 急行で桜井駅到着が9時15分位。駅改札で松◎氏ご夫妻と一緒になり、共に駅前のお弁当屋さん兼喫茶店でお弁当を注文。そうこうしているうちに参加者の皆さんも順次来られて、全員集合。10時少し過ぎに桜井駅前を出発することが出来ました。 最長老の三◎氏は第1回にもご参加下さいましたが、今回のコースは坂道も結構あったりしたのが応えたか、万葉の森での昼食後、3~40分程度歩いた奈良文化財研究所の前でギブアップ。バスでお帰りになることとなりました。(八木駅まで松◎夫人がご同行戴くこととなりました。)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<参考写真>万葉の森のもみぢ 万葉の森のこの木の下でお弁当タイムとしました。 風が吹くともみぢ葉がハラハラと舞い散り、頭上に落ちかかって来るのでありました。万葉の森のマユミの実 万葉の森のマユミの実です。下見の折には未だ赤くなりきっていませんでしたが、すっかり色付いて美しくなっていました。一部には弾けているものもありましたが、先日(8日)の富山県氷見市の十二町潟水郷公園のマユミの実はどれも皆弾けて中身が露出していましたから、富山と奈良では、やはり秋の深まりに相当の差があるようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ウオークは健脚度に個人差があるので、コース設定に苦労する処であるが、今回のコース設定は、小生の母と同年齢の三◎氏には少しハードであり過ぎました。それでも、耳成山公園を出たのが午後3時45分、八木駅到着が4時少し前で、予定解散時刻の午後3時20分より3~40分遅れた程度で済みました。解散後、急ぐ人を除き7名で駅前の喫茶店に立ち寄り、珈琲タイムを暫し取った後に、それぞれの帰途につきました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<参考写真>醍醐池の紅葉 藤原宮趾の北側の醍醐池の桜の紅葉ですが、昨日の雨の所為もあってか、桜木はあらかた葉を落としてしまっていて、期待したもみぢのトンネルは見ること叶いませんでした。 醍醐池から畑中の道を辿り、集落の道に入った処で、今回出迎えてくれたのは、大きな、大きなザボンの実でありました。ザボン 本日のウオークに寄せて偐家持が詠める歌1首青雲(せいうん)の どちとし行ける 今日の道 いづれの隈も 今は恋しき (偐家持) ついでに、本日参加者に配布した資料の片隅に掲載して置いた、偐家持作の戯れ歌1首も記して置きます。耳無しの 山にし咲けば くちなしの 花は目かくし してぞ摘まさね (偐家持)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 小生は、往路とは異なり、京都方面へ帰る同期の道◎氏と今回の参加者では飛び抜けて若い大学院生の醍◎君と3人で、近鉄京都線で帰ることとしました。ご両名とは大和西大寺駅でお別れ、そこで小生は近鉄奈良線に乗り換えて家路へ。帰宅は5時35分。もう暗くなりかかり、空には三日月が掛かっているのでありました。 ご参加戴いた皆さま、どうもお疲れ様でございました。お世話下さった青雲塾ご担当の松◎さんご夫妻と青雲会事務局の黒◎さん、どうも有難うございました。三日月 <参考>関連記事 青雲塾第2回万葉ウォーク 2011.6.5. 万葉ウォーキング 2009.5.10.
2012.11.18
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昨日(15日)は若い頃からの親友オガクニマン氏のご招待にて、家内同伴で、同氏ご夫妻と北新地の料亭「うかむ瀬」で食事会でありました。夫婦で御馳走になってしまった訳で、まことに恐縮なことでありました。 彼とは長いお付き合いであるが、奥様にお目に掛かるのは初めて、彼も小生の家内とは初対面でありましたが、とても明るくてチャーミングで、親しみの持てる奥様にて、料理もさることながら、寛いだいい雰囲気の中、とても愉快で楽しいひと時を過ごさせて戴きました。 オガクニマン氏は、当ブログの偐万葉シリーズでもご登場戴いているので、或いはご記憶の方もいらっしゃるかも知れませぬが、下記をご参照下さいませ。プライバシーの問題もありますので、不用意な紹介は慎むこととし、ネットにて覗い知れる範囲にとどめることと致します。 <参考>偐万葉・オガクニ篇 オガクニマン氏のブログ (注)うかむ瀬=天王寺七坂というのがある。 大阪市天王寺区の 夕陽ヶ丘地区にある、上町台地から西へと下る七 つの坂のことである。その坂の一つに清水坂という のがある。江戸時代に、この清水坂の北側(現在の 星光学院の敷地内)に、当時日本全国に名の知ら れた大坂を代表する料亭「浮瀬(うかむせ)亭」があ ったらしい。 滝沢馬琴、芭蕉、蕪村など多くの文人が通った料亭 だそうな。この料亭ではあわびなどの貝殻を利用し た貝の盃(うかむ瀬)を使ったことで有名になり、や がて、店の名も「うかむ瀬」と呼ばれるようになったと のことである。(以上、ブログ「おおさか村」の記事を 参考にしました。)今日の北新地の「うかむ瀬・うか むせ」がこれと同じ名であるのは、如何なる関係であ るかは分りませぬがこの名を採っているのでしょう。 そして、本日(16日)はグループ企業OB会である「関西◎風会」に出席して来ました。囲碁の会の碁仇でもあり、先輩でもある、青◎氏のお誘いで、言うなれば「仕方なく」出席したものであります。 この会は昼食会でも夕食会でもなく午後3時から5時までという中途半端な時間にあって、グループ各社の現役役員さんが各社の現況やトピックスをご報告戴き、その後、乾杯、食事付きの懇親パーティーとなるのであるが、ご参集の皆さんが大先輩過ぎて、小生などは、ちょっと、という感じで、つい足が遠のいているのである。それでも、青◎氏からの要請というか、お誘いのあった時だけは参加させて戴いている次第。 わが社の総務部長の板◎氏もお世話係で来て居られましたが、現役時代に親しくさせて戴いていたSC社の総務部長のお顔も久々に拝見、また、わが社の近況報告のため来て居られた内◎常務とは担当は違えど色んな局面で共に仕事をした仲間でもあったので、そういう方々のお元気な姿を拝見できたことは、愉快なことでありました。 まあ、この会は同窓会のようなものですから、そういう知った顔があると会話も楽しめるというもので、まあ、寛いだ時間を暫し過ごさせて戴きました。 という訳で、昨日、今日と関連する写真がありません。 両日共に、場所が地下鉄御堂筋線の淀屋橋下車でありましたので、関係はないのですが、中之島公会堂の写真でも掲載して置きます。 今日、会場へ向かう前に少し時間の余裕があったこともあって、中之島公園を少し散策したりもしたので、何とはなしに撮影したものでありました。公園の其処此処で公会堂を写生している人が居られたので、小生もつられて写真を撮ったものかも(笑)であります。(中之島公会堂。後ろの建物は大阪市役所)
2012.11.16
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本日は久々に囲碁例会に出席しました。 2回連続して欠席しましたので、1カ月ぶりということになります。 今日の出席者は竹◎氏、青◎氏、福◎氏、平◎氏、荒◎氏と小生の6名。小生は、青◎氏に負け、荒◎氏に勝ち、平◎氏に負け、福◎氏にも負け、で1勝3敗と振いませんでした。これで、今年のこれまでの戦績は33勝28敗。あと例会は2回あるだけですから、何とか5割以上は確保できそうですが、最近少し負けが込んで来ているので頑張らなくてはいけませんな。負ける時というのは、やはりよく読まずに、感覚で不用意な手を打ってしまっているようです。 さて、スカイビルの里山ですが、稲刈りも済んだようにて、刈り取った稲が干されていました。(梅田スカイビルの里山も稲刈りが終ったようです。) そして、中庭(これを「ワンダー・スクウェア」と呼んでいるようですが。)では、早くもクリスマス・ツリーが登場していました。金曜日(16日)から、恒例のドイツ・クリスマス・マーケットが開催されるようで、その設営が着々と進んでいました。 大阪駅近辺までお出掛けのことがありましたら、どうぞ、このドイツ・クリスマス・マーケットにもお立ち寄り下さいませ。 いよいよ、今年も残すところ、1カ月半。何となく気分も慌しくなります。衆議院の解散も16日と決まったようですが、世間も政治局面も慌しいことになるようであります。「紅旗征戎吾が事に非ず」、まあ、どの道、世捨て人、偐家持、偐定家の知ったことではありませぬが(笑)。(クリスマス・ツリー)<参考>ドイツ・Xmas・マーケットやXmasツリーの写真は 下記ページにも掲載されています。 2010.11.10. 囲碁と銀輪散歩 2010.12. 1. 銀輪と囲碁と黄葉と 2011.11. 9. 囲碁例会・ガウラとサフランほか 2011.12. 7. 囲碁例会・銀輪散歩・ドイツXmasマーケット
2012.11.14
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偐万葉・英坊篇(その15) 本日も偐万葉であります。シリーズ第160弾、英坊篇(その15)をお届けします。 <参考>過去の偐万葉・英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈れる歌14首併せ4句 並びに英麻呂が贈り来れる歌10首併せ4句 英麻呂が贈り来れる上の句に偐家持が付けたる下の句の歌3首 案山子とて へのへのもへの 顔したい (英麻呂) したいやうにと 鯛も言ふなり (偐家持) しぶちんの 下痢と腹いた どうしよう (英麻呂) 屁屎も出すを 惜しめるむくひ (偐家持) 割れ柘榴 実の落つを耐え 木にしがみ (英麻呂) なほ己が身を 笑へるはよし (偐家持) 英麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌2首りんどうは 綺麗可愛い 花ゆえに そしりを受けて 竜の胆とは (英麻呂)竜胆の 花よりもなほ われはまた 腹の痛みに 根こそ欲しけれ (浅野内匠頭短慮) (本歌)風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせむ (浅野内匠頭長矩) (注)リンドウは根が薬用(健胃薬)となり、それが余りにも苦いので 「竜の胆のよう」ということで「竜胆」と呼ばれたとのこと。電車窓 身をよじり見る 山の辺は 浅き紅葉(もみぢ)の 二上の山 (英麻呂)忍忍の 電車にしあれ 今しばし 忍び待つべし 二上もみぢ (服部半紅) 英麻呂が贈り来れる歌1首知らずとも みてほしいよと 実を結ぶ 橘の木も 葉花も知らず (無知麻呂) 偐家持が返せる歌1首蜜柑とも し難きことよ 知らざれば たちばな我を 立ちてみに来よ (橘もろええ) 英麻呂が贈り来れる歌1首知らぬ熊 狐狸技(こりわざ)金に 眼が眩み あけび栗売り 無くす蓄え (英麻呂) 偐家持が返せる歌1首西の市に 通草(あけび)を売れば 商(あき)じ狐狸(こり) 金は落ち葉に 変りけるかも(偐熊麻呂) (本歌)西の市に ただ独り出て 目並べず 買へりし絹の 商(あき)じこりかも (万葉集巻7-1264) 英麻呂が贈り来れる歌1首音を読み 韻を踏まえの さぐり歌 芯がぼけても 平気のへいざ(英麻呂) 偐家持が返せる歌1首初霜の おきまどはせる しらきくも よまばやきかむ 手さぐりの歌 (凡河内のみねうち) (本歌)心あてに をらばやをらむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 (凡河内躬恒 小倉百人一首29 古今集277)千保川は 千代に八千代に 流れ橋の 上に番置きて 銭の取るまで (千保共和国国歌) (本歌)君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで (千保川・一文橋)冬立ちぬ もみぢしぐれか かさささず 笹津の橋ゆ 飛騨に入らまし秋の葉の 色も移ろふ 追ひ及(し)けと 飛騨の秋山 背子は越ゆらむ移ろふは 花ももみぢも ならひなれ 追ふも追はぬも ひとときの夢 (偐秋丸) (笹津橋) 英麻呂が贈り来れる歌1首踊らぬは 損損だよと 輪に入り 心で唄い 阿波の手踊り 偐家持が返せる歌1首風の盆 われはなりなむ 見る阿呆 君が手慣れの 阿波舞ひなれば 英麻呂が贈り来れる歌1首キトキトと いわれてみても 知らぬわれ もしやお顔の 脂のことか (英麻呂) 偐家持が返せる歌1首キトキトを 奇と見しわれも あらたしき こと言ふなりと 知りてキトキト (キト麻呂) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句 うかつにも 歌碑の元にて 昼寝する (英麻呂) これうたたねと 言ふもかひなき (偐家持) (注) うたたね=「うたた寝」と「歌タネ」とを掛けている。 かひなき=「歌碑なき」と「甲斐なき」とを掛けている。 英坊3氏が贈り来れる歌1首家持の 遺徳をしのぶ おのこあり 奈良の息吹が 氷見のそこここ 偐家持が追和せる歌1首家持の 事跡(ことど)辿りつ われこしに 別れ惜しめる 歌の碑(いしぶみ) (注)こしに=「来しに」と「越に」とを掛けている。 英坊3氏が贈り来れる歌2首たけのこは 伸びて若竹 根も張りて なまずの揺れも 耐えるタケヤブ (珍竹林)バガボンの パパはうわ手だ 風の盆 いいよるギャルに うれしい悲鳴 (珍竹林) 偐家持が返せる歌2首地震(なゐふ)れば 竹の林に 避(よ)くるとも 猛(たけ)きその根に 手焼き音(ね)を上ぐ (偐畑麻呂)バカボンの ママこそうはて バカボンの パパに言ひ寄る ギャルなきと知る (アホボン)<注>掲載写真は英坊3氏のブログからの転載です。
2012.11.13
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偐万葉・ビッグジョン篇(その15) 本日は偐万葉・ビッグジョン篇(その15)であります。 <参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラからどうぞ。 ビッグジョン氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が歩麻呂に贈れる歌20首万両は ゆづるみと言はむ あらたしき 実の色づくを 待ちて落つらむ (万両集) (マンリョウ)寡黙なる をのこのひとり 秋風に 揺れもせぬかや 柘榴熟れゆくにほのうみに 映せる影の 清みかも はしきとわが見む みかみの山は (注) にほのうみ=にほ(鳰)はカイツブリのこと。琵琶湖は「鳰の海」 とも呼ばれる はしき=愛(は)しき。いとしい。うるはしい。 みかみの山=三上山。近江富士とも呼ばれる。 (三上山)玉梓(たまづさ)は 秘め置くべきや 烏瓜 かしまし雀の 瓜には見せじ (京都烏丸) (注)玉梓=手紙を梓の木に結び付け、玉を括り付けて届けたことか ら、手紙のことを玉梓(玉章)と言った。すずめうりは ふしみに見しを すずめうり 川瀬流れて 枚方に咲く (雀瓜丸) (注)すずめうり=「雀売り」と「雀瓜」の駄洒落。伏見稲荷の門前では 雀の丸焼きが売られている。 (スズメウリ) (絵手紙のための画材)玉梓の 絵の日にあれば 吾妹子は 秋野に出でて 花摘むならし(偐歩麻呂)玉梓に 添へる絵にせむ 吾妹子が 秋野に摘める 花々ぞこれ (偐歩麻呂)じゃんけんぽん チョキってクーたら パーになる カエンタケなり 猛毒きのこ (買えん茸)見るからに まがまがしかり カエンタケ 摘みて食ふ人 売る人ぞなき (売らん茸) (カエンダケ) (秋分草)これ何と きけばキクにし あるなるか みれば地味なる 花秋分草 (草本見聞録)緋牡丹の お竜も行くや 六甲(むこ)の山 かたぎの衆にゃ 迷惑かけぬ (須磨の次郎長) (ハイカー) (ヤブラン)花よりも 根こそ長しと 山菅を 人言ふなれど 花ぞ見が欲し (本歌)咲く花は 移ろふ時あり あしひきの 山菅の根し 長くはありけり (大伴家持 万葉集巻20-4484) (注)山菅=ヤブラン説、リュウノヒゲ説などがある。地獄には 行きたくなけど 覗きたし 怖きを見るも 楽しみならむ (偐往生要集)鋸の 山より針の 山や見む いづれおのれが 行くやも知らねば 鋸の 山はよけども 針の山 よけて行きたし 常世の道は (注)鋸山=千葉県、安房と上総の国境にある山。関東百名山の一つ。 地獄のぞきがある。 (鋸山・地獄覗き) (高尾山)秋の葉の 匂へる時に いざ行かな 名にしぞ負へる 高尾にあれば (高尾行乗)ホトトギス ヤマもヤマジも あるなれど ほとほと見分け つかず咲きぬる (山辺のホトトギス)ほととぎす さきつるやまぢ わがくれば ただあきかぜの 音ぞのこれる (藤原花定) (本歌) ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの 月ぞのこれる (藤原実定 小倉百人一首81) (ホトトギス) (竹の根)たけのこは よしと思へど 竹藪は ご免と柵で タケヤブヨケタ (妙竹林)バカボンの パパにしあれば 風の盆 恋と言はるも 鯉かとぞ思ふ (青塚不二夫)<注>掲載の写真は全てビッグジョン氏のブログからの転載であります。
2012.11.12
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(承前) 本日(9日)は旅の最終日。チェックアウトと同時に自転車は宅配便で自宅へ送ってしまったので、徒歩にての散策となります。 初日(7日)に見付けることの出来なかった加納八幡神社の場所をフロントの女性に教えて戴いて、氷見駅とは反対方向となるが、先ず其処に向かう。この神社の境内に万葉歌碑があるからである。 神社は国道160号線加納北交差点を左(西)に入って300m位の処にある。(加納八幡神社)(由緒書き)(万葉歌碑)玉桙(たまほこ)の 道に出で立ち 往く吾は 君が事跡(ことと)を 負ひてし行かむ (大伴家持 万葉集巻19-4251) <道に出で立ち、これから出発する私は、あなたの業績を背に負って 行くことと致しましょう。> 大伴家持は、天平勝宝3年(751年)8月、少納言に昇任し京へと帰ることになる。この歌はその上京の旅に立つ日の朝に詠まれた歌である。8月5日(現在の暦で言えば9月3日)早暁、部下達に見送られて家持は出発する。射水郡の大領・安努君広島の屋敷の前までやって来た時、予ての手筈通りであったのだろう、その門前の林の中でまたまた送別の宴席が設けられる。前夜の宴席でも「しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも(巻19-4250)」と詠んで別れを惜しんだ家持であるが、ここでは、次官の内蔵縄麻呂の乾杯の歌に答えて、上の歌を詠んだのである。 家持が越中で詠んだ最後の歌がこの歌である。氷見銀輪散歩を締め括る歌としても、(内容は別として)この歌が相応しいであろう。(明治天皇歌碑) 拝殿を囲む玉垣の前、参道両サイドに建てられている石柱、これは何という名なんでしょうね。その石柱に歌らしきものが刻されている。よく見ると明治天皇・皇后御製歌であった。国といふ くにのかがみと なるばかり みがけますらを 大和だましひ (明治天皇)おくふかき 道もきはめむ ものごとの 本末をだに たがへざりせば (昭憲皇太后) この歌は、臨時国会が始まりましたが、今の政治家諸兄にこそよく味わって戴きたい、そんな気もしないではありませぬ。(昭憲皇后歌碑) 神社には下の写真で言えば鳥居の左側の道の奥からやって来たので、気が付かなかったのであるが、鳥居の前方に神社名を刻した碑が建っていて、その揮毫者が犬養孝先生なのでありました。 十二町潟水郷公園の「万葉布勢水海之跡」碑に続いての犬養先生との再会でありました。(犬養孝先生揮毫の神社名碑) 八幡神社を出て、ブラブラと氷見駅に向かう。 駅前到着は11時過ぎ。10時55分発の電車が出た後で次の電車は12時06分発。またしても1時間待ち。駅近くを散策して時間潰し。(伊勢玉神社) この神社も、その由緒書き(下)によると、大伴家持が当地に社殿を造営したのが始まりという伝承があるとのことで、ここでも亦、家持さんである。 今回は「家持づくし」の旅となりました。これで土産に菓子の「家餅」を買って帰れば、「完璧かなあ」などと思いつつ、待ち時間をやや持て余しているヤカモチなのでありました(笑)。(由緒書き)(氷見駅) ついでに駅も撮影です。(同上) 高岡には12時35分頃に到着。昼食を済ませたる後、連れが買い物をしている間を利用して、高岡大仏から古城公園を独り散策。 高岡には何度となく来ているが、新しい発見もありましたので、それをご紹介して置きます。(高岡大仏・旧大仏の仏頭) 高岡大仏の台座の中は回廊になっていて、旧大仏の仏頭や仏画が展示されているのであるが、作家の堀田善衛氏の、大仏に寄せる詩というのが掲示されていることに今回初めて気付きました。(「高岡の大佛寄す」堀田善衛) 帰宅後、気になって「堀田善衛全集(筑摩書房)」を引っ張り出して調べてみたら、第一巻(1974年6月20日発行)の「詩篇」の中に収録されていました。そこでは「高岡大仏寺の写真に寄す」というタイトルになっている。 推察するに、「高岡大仏寺の写真に寄す」が元の題で、後日に依頼されてこの詩をこのような形で展示するということのため、詩を筆記されるに当り、氏ご自身が題を「高岡の大佛に寄す」と改められたのでありましょう。題としては勿論こちらの方がいい、と言うか、元の題がそもそもなっていないですな(笑)。(古城公園・本丸広場)(前田利長像) この像は知っていましたが写真には撮ったことがなかったので、ハイ、ポーズであります。何しろ、ゆるキャラでは、利長クンは家持クンの弟分でありますからね。 そして、新発見は、この利長像の裏手にあった、歌碑でありました。(古城公園、与謝野晶子・鉄幹の歌碑) これにて氷見銀輪散歩は完結であります。長らくのお付き合い有難うございました。=完=
2012.11.11
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(承前)(もみぢ、小境海岸付近) 小境海岸を抜けて国道160号線に出る。もみぢ葉を楽しみつつ、再び北上。 国道が左に大きくカーブする処で、国道を取らず直進すると、小さな漁港がある。大境漁港である。(大境漁港) 漁港を回り込むと白山社である。白山神社の祭神は白山比羊大神。別名、菊理媛尊。イザナミとイザナギが泉平坂(よもつひらさか)で千人所引(ちびき)の磐石を挟んで対峙した時に登場する神が菊理媛(くくりひめ)であり、何やらイザナギがよしと褒めるようなことを言ったらしいが、よくは分からぬ神である。 (注)上記、白山比羊大神の「羊」は「口扁」に「羊」ですが当ブログに は使用できない文字なので、「羊」にしてあります。 この神社も白山社とあるから、祭神は菊理媛なのであろう。 地図では白山社ではなく菊理像石神社と表示されているが、地元の人は通常どちらで呼んでいるのでしょう。(白山社)(同上・拝殿) 拝殿の裏は巨大な岩塊にて、洞窟になっている。本殿は洞窟の入口に鎮座している。(同上・本殿)(鰤大敷網発祥之地碑) 氷見と言えば「鰤」ですが、この地が鰤大敷網発祥の地であるのですな。と言ってもそれがどのような網であるのかは、全く存じ上げないのではありますが(笑)。(史蹟・大境洞窟住居跡) この巨大な洞窟は住居としても使われていたとのことで、洞窟住居跡として国の史蹟に指定されているようだが、これについても知識の持ち合わせがない。興味ある方は現地説明板の写真でご覧下さい。(同上説明板) かなり暮れても来たので引き返すことに。帰途は国道160号線をひたすら走るだけ。(吊るし柿のある風景) 柿が干してある。何か懐かしく心地良い眺めである。 海辺では、カモメたちが群れて、何やら語らってもいる。話題は明日の天気のことだろうか。(海辺で語らう鴎たち) こちらでは男たちが4人語らっている。 来る時は浜辺を走ったので、この人たちの前を自転車で通り過ぎた。「こんにちは。」と言葉を交わしたのであるが、未だそのままの場所で何をお話されているのでしょうな。国道の方からカメラでご挨拶して置くこととしました(笑)。(海辺で語らう男達)(阿尾川橋) これにて8日の銀輪散歩は終了。暗くなる前にホテルに帰り着きました。暗くなってから雨が降り出しましたが、銀輪散歩中は好天気に恵まれ幸運なことでありました。 未だ字数に余裕があるようなので、掲載を省略した写真を二三掲載して置きます。 県道沿いで目にしたお店の建物(上)です。ちょっと変ったデザインと、カメラを向けたのですが、翌日9日にも似た建物(下)を目にしました。 この地方独特の建て方なのかも知れない。 堀田交差点から藤波神社へと向かう道の途中(注)で目にした美しい紅(黄)葉の写真も此処で掲載して置くこととします。 (注)氷見銀輪散歩(4)の項で「布勢の水海」から上陸したよう、と形 容した、県道296号線の坂を上り切った処にある「もみぢ」であ ります。 これは、ドウダンツツジであったでしょうか。撮影している時に雲間から太陽が顔を出し、下のような写真になりましたが、急な明るさの変化にはカメラは対応できないのですな。この時、カメラは、人間で言えば、目が眩んだ状態になっていたのでしょうな(笑)。 次回は、11月9日(最終日)の散策記録です。(つづく)
2012.11.10
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(承前) 氷見港万葉歌碑前の東屋で休憩していると、左手前方に五重塔が見える。犬を連れて散歩に来られたご老人にお尋ねすると、寺院ではなく個人のお宅の庭に建っているのだという。昔の網元のお宅だそうな。 いかな情熱にてあるか。氷見にも変った御仁が居られるのでありますな。ものはついでと寄ってみることに。(民家の庭に五重塔) 五重塔のみか観音像まである。 さて、海岸沿いを阿尾城跡へと走ります。ブロ友英坊3氏のご紹介にて写真では既に承知の岬の姿が見えて来る。(阿尾手前の公園からの眺め・南方向)(同上・北方向、城ヶ崎を望む。)(城ヶ崎ズームアップ。塔のある処が阿尾城本丸跡)(足元に目をやると、波しぶき)(榊葉乎布神社・阿尾城跡入口)(同上) 鳥居を潜って直ぐの処に万葉歌碑があった。(万葉歌碑)英遠(あを)の浦に 寄する白波 いや増しに 立ちしき寄せく 東風(あゆ)をいたみかも (大伴家持 万葉集巻18-4093) <英遠の浦に寄せる白波がいよいよ増して、次々と押し寄せて来る。 あゆの風が烈しいからからだろうか。> この歌碑が目当てにやって来たのであれば、これにてもう用は足りているのであるが、榊葉乎布神社は大伴家持が越中国守時代に勧請したのが起源とする伝承があるとあっては、立ち寄らぬ訳には参りませぬかな。(榊葉乎布神社参道) 榊葉乎布( さかきばおふ)神社の由緒は下の写真をクリックしてお読み下さい。(神社由緒書き)(本殿)(参道のケヤキ) 榊葉乎布神社と向かい合う形で崇徳天皇を祀る白峰社があり、その奥に阿尾城本丸跡がある。(白峰社)(同上)(本殿) 本殿の裏を更に奥へと進むと、「本殿跡地の碑」がある。旧本殿跡地ということですな。これが本丸跡かと思いましたが、更に細い道が岬の先へと続いて居り、「本丸跡→」の案内表示がある。(旧本殿跡地の碑) ここが本丸跡の「憩いの広場」。鉄塔と木製の展望台がある。他には何もない。上ってみるしかありませんな(笑)。 しかし、予想した以上にいい眺めである。はるか遠くに二上山も見えるではないか。(阿尾城本丸跡)(本丸跡展望台からの眺め。二上山も遠く望まれる。)(同上)(同上) 阿尾城跡にお別れして県道373号線に戻り、再び北上。 小境地区に入って目に止まった寺、大栄寺にて、しばし休憩。浄土宗のお寺である。越中の宮こと後醍醐天皇第8皇子の宗良親王のお墓が境内にあるとの伝承があるらしいが、それらしきものには気付きませなんだ。宗良親王の墓というのは静岡県の引佐町にもあるというから、真偽の程は?である。(大栄寺)(同上)(同上)(小境海岸) 小境海岸は人影もなく美しい。海岸べりを走り、大境へ。 県境か七尾駅までという計画であったが、初日のトラブルで、初日に回るべきであった布勢の円山や藤波神社などを廻るのに今日の半分を費やしてしまったため、県境までというのもどうやら無理のよう。暗くなる前にホテルに帰り着くには、白山社辺りで引き返すのが無難なようだ。 このアト大境洞窟住居跡・白山社へと向かい帰途につきますが、これは次回です。(つづく)
2012.11.09
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(承前) 布勢の円山を後にして、野道を辿る。振り返り 振り返り行く 銀輪の 足は進まず 布勢の円山 (偐家持)(布勢の円山)(同上)(布勢の水海、左の小山が円山)(同上) 農道を南へと下って行くと、県道296号線に出る。これを左に取って、堀田交差点を過ぎた辺りから坂道となる。どうやら「布勢の水海」から上陸したようである。古代には水海に突き出した半島になっていた部分に差し掛かっているのだろう。これを横断して向かいの岸辺に出れば藤波神社の筈(笑)。 坂道を上り切った処にもみぢの美しい処がありましたが、それは追って別にご紹介するとして、先を急ぎます。竹林の道を下ると藤波神社の前に出た。 (藤波神社への道・竹林を潜って・・)(藤波神社)(藤の木)(藤波神社本殿) 本殿の裏に家持歌碑がある。(大伴家持歌碑)藤(ふじ)奈美(なみ)能(の) 影(かげ)成(なす)海(うみ)之(の) 底(そこ)清(きよ)美(み) 之(し)都(づ)久(く)石(いし)乎(を)毛(も) 珠(たま)等(と)曽(そ)吾(わが)見(み)流(る) (大伴家持 万葉集巻19-4199) <歌意は、氷見銀輪散歩(1)の中の橋南詰・万葉歌碑の項参照> この歌は、天平勝宝2年(750年)4月12日に内蔵縄麻呂、久米広縄らと布勢の水海を遊覧した際の歌である。題詞に「船を多古湾に泊てて、藤の花を望み見て・・」とある通り、藤波神社のある此処、田子の地の辺りで船上から岸辺に咲く藤の花を望見して詠んだのであろう。 歌碑を見ていると20名余の団体さんがドヤドヤとやって来られて一気に賑やかになる。地元のウォークの方かとお聞きすると、東京からで、芭蕉の足跡を訪ね歩くことを目的としたグループだとのこと。今回は奥の細道コースからの寄り道か、大伴家持も訪ね見むとて氷見まで足を延ばされたようでした。(同上) 気が付けば、12時になっていました。国道160号線に出て、適当な店はないかと北上。店はあっても営業していないなど、なかなか見つからぬまま30分程走った処で、「うどん、そば。営業中」という表示が目に入り、此処で昼食と決める。 店に入ろうとしたら、見事なヤドリギの鉢植え(正確にはヤドリギに寄生されている桜か何かの木の鉢植えと言うべきか。)が店先に飾ってありました。(ヤドリギ)(同上) よく目にするのは、上のヤドリギだが、店の方にお聞きすると下のもヤドリギだそうな。 この金色の実が人々に神聖なものを感じさせるのか、ヤドリギが信仰の対象となる聖なる木とする考え方は世界的な広がりを持ち、わが万葉人も、これを生命の木と見ていたようであります。(同上) ヤドリギは、万葉では「ほよ(保与)」と言う。あしひきの 山の木末(こぬれ)の 寄生(ほよ)取りて 插頭(かざし)しつらくは 千年(ちとせ)寿(ほ)ぐとぞ (大伴家持 万葉集巻18-4136) <あしひきの山の梢のヤドリギを取って髪に挿すのは千年の寿を祈 ってのことであります。>(同上) 昼食後、家持歌碑<氷見銀輪散歩(1)参照>のある十二町潟排水機場まで国道160号線を北上し、ここで右(東)に入り、県道415号線に移って北上。氷見港の旧道の駅近くにある万葉歌碑を目指す。(氷見港)(氷見港・万葉歌碑) この歌(万葉集巻17-4011)は、題詞、左注によると、狩の能力に優れた鷹を手違いで逃がしてしまい、残念に思っていたら、夢枕に娘子が立ち、近々その鷹を捕まえることが出来るであろうと告げたので、これを喜んで作った長歌とのこと。 タカがタカ、されどタカでありますな。それはさて置き、この歌に「氷見の江」という地名が登場するので、その部分だけを刻んで歌碑にしたよう。この句の直後に「多古の島」とあるから、この方式だと先程の田子の地にもこの歌の碑を建てること可能ですな。(同上) 本日はここまで。続きは明日です。(つづく)
2012.11.08
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(承前) 十二町潟水郷公園の続きからです。 ドウダンツツジが美しく紅葉している。(十二町潟水郷公園・ドウダンツツジ) マユミの実が弾けている。(同上・マユミ)(同上・ユズリハ) そして、目を惹いたのはユズリハ。 すっかり新しい葉に入れ代った青葉が美しく、藍黒色の実がたわわに生っているのでありました。(同上) 万葉では「ゆづるは(弓絃葉)」という名で登場するが、弓削皇子と額田王が交わした歌は有名。(万葉集巻2―111、112)(同上)(同上) 何が、と言うのでもないが、何故か木の佇まいが感じ良くて、気が付けば5枚も写真に撮っていました。いにしへに 恋ふるわれかも ゆづる葉を 知らずや五枚 撮れども飽かず (偐家持)(同上) 十二町潟水郷公園を出て、農道を行くと、「←布勢の円山○○km」の木製標識があるのに気付く。道の隈ごとにあるそれを便りに走るうちに、仏生寺川に出る。川岸にはススキが銀色の穂を風に靡かせている。(仏生寺川・下流方向)(同上・上流方向) 川を渡って右に大きくカーブする道を行くと前方にこんもりとした小さな森が見えて来た。多分それが「布勢の円山」だろうと行くと、果たしてそうであった。(布勢神社)(同上)(同上・83段の急勾配の石段) 随分急な階段である。数えながら一気に上ると83段あった。息も少し荒くなる。更に5段上ると本殿。左側に回り道がある。これが、角川源義氏の句碑(前頁時参照)にあった女坂であるのでしょう。(同上・本殿)(同上・大伴家持遊覧之地碑) 家持の布勢の水海遊覧のことは前頁で触れたので繰り返さないが、それを記念する碑が神社本殿脇に建立されている。 此処、円山は当時は、布勢の水海に浮かぶ島であったようだ。詳しくは下の写真をクリックして拡大画面で説明文をお読み下さい。(布勢の円山説明板)(同上) 本殿の裏に回ると御影社と家持歌碑がある。(大伴家持歌碑)明日の日の 布勢の浦みの 藤波に けだし来鳴かず 散らしてむかも (大伴家持 万葉集巻18-4043) <明日の日の布勢の浦廻りで目にする藤の花には、多分ホトトギス が来て鳴くこともなく、むなしく花を散らしてしまうのでしょう。> (注)この歌は田辺福麻呂の次の5首(直接には5首目の歌)に答え て詠まれた歌である。 玉くしげ いつしか明けむ 布勢の海の 浦を行きつつ 玉も拾はむ 音のみに 聞きて目に見ぬ 布勢の浦を 見ずは上らじ 年は経ぬとも 布勢の浦を 行きてし見てば ももしきの 大宮人に 語り継ぎてむ 梅の花 咲き散る園に われ行かむ 君が使を 片待ちがてら 藤波の さき行く見れば ほととぎす 鳴くべき時に 近づきにけり 福麻呂が「明日の布勢の海遊覧は楽しみですな。藤の花が咲いて、ホトトギスの声も聞くことが出来るかなあ。」と言っているのに、家持さんは「多分、ホトトギスは来ませんな。」と水を差しているとも読める。これは宴会での冗談口であったのでしょう。福麻呂と家持の親しい関係も覗わせる。 歌碑の隣には家持を祀る祠まである。(大伴家持を祀る御影社)(布勢万葉歌碑と御影社の説明板)家持の 影をしたひて 来しわれぞ 見つつしのはめ 布勢の円山 (偐家持) (円山から眺める現在の布勢の水海) この後、藤波神社へと向かいますが、字数制限により、ページを改めます。(つづく)
2012.11.08
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(承前) 前日の天気予報では終日「雨」であったが、青空も覗く好天気にて、絶好のサイクリング日和。朝8時半頃にホテルを出発。先ず、有磯高校に再度立ち寄り、前日の不本意な写真を撮り直すこととする。撮影後、国道160号線に戻り、氷見トンネルを越えて「十二町潟水郷公園」を目指す。(氷見トンネル) 氷見トンネルを出て、坂を下り切った朝日丘交差点を右(西)に入ると、十二町潟水郷公園である。湊川を渡って仏生寺川との間の農道を西へ進むことにする。裏口(南側)からの進入となる。(布勢の水海の地図。万葉の頃は海が内陸深くまで入り込んでいた。) 十二町潟は、水害対策もあって干拓が進み、水域は随分と小さくなって、今はその周辺が水郷公園になっているが、万葉時代には海が内陸深くまで入り込んで、「布勢の水海」と呼ばれていた。 大伴家持は天平20年3月23日から26日まで、橘諸兄の使者として奈良の都からやって来た田辺福麻呂を歓迎する宴を開いているが、24日の宴で、布勢の水海の風光の素晴らしさが話題に上ったのであろう。「明日はその布勢の水海をお見せいたしましょう」ということになり、25日には共に水海遊覧に出掛けている。 (注)田辺福麻呂の来越の目的については、橘家の墾田視察のため、 万葉集の編集に関する目的、台頭する藤原仲麻呂への対抗策に 関する目的、など諸説があって、定まらないが、橘諸兄派の家持 にとっては、橘家の家人であり、優れた歌人でもあった田辺福麻 呂は歓迎すべき使者であったようだ。(十二町潟水郷公園付近。奥の丘陵は朝日山。) 小生が銀輪で走っている処は、家持の時代には海面だった処。してみれば、舟で遊覧した大伴家持、田辺福麻呂、同行の久米広縄、遊行女婦土師たちは舟の上から朝日山を眺めたのであるかも知れないのである。(十二町潟水郷公園南側入口) 美しい紅葉が出迎えてくれました。野鳥観察の男性が一人、巨大な望遠レンズを装着したカメラを三脚に据えてファインダーを覗いて居られました。声をお掛けすると、「今来たばかり・・」とのことで、目指す鳥の姿を未だキャッチ出来ていないご様子。盛んにあちこちとカメラの角度を調節して居られました。(十二町潟水郷公園)(同上・湊川)(同上・横断橋) 帆船のマストのようにも見える面白いデザインの橋が川の両岸を結んでいる。公園のシンボルとなっている橋とのこと。板敷きなので、自転車に乗ったまま渡ると風鳴りのような音がして、これも亦面白い。(同上・横断橋の上から十二町潟を望む。)(同上・横断橋)(十二町潟) 横断橋を渡って川下に少し行くと芝生の広場があり、そこに「万葉布勢水海之跡碑」がある。これは予てより承知の犬養先生揮毫の碑である。此処に立ち寄った目的の一つがこの碑の撮影であるので、先ずこれを写真に収める。角川書店創業者の角川源義氏の句碑も近くにありました。富山ご出身の同氏でありますから、此処に句碑のあるのは極めて自然のことでありますな。(万葉布勢水海之跡碑)(同上)(角川源義氏句碑) 黄落や 歌の神辞し 女坂 この後廻る布勢神社の正面階段が男坂、左脇の回り道が女坂と呼ぶようだが、小生は上りは男坂、下りは女坂を使いましたが、それはこの句の影響では勿論ありませぬ(笑)。(同副碑)(十二町潟・網所漁の仕掛けと船) これは、この地方独特の昔の漁法、「あど(網所)漁」の仕掛けの復元展示。以前にブロ友の英坊3氏(高岡市ご在住)が、ブログでご紹介されていたので、記憶にありました。何やら旧知に出会ったような感慨を覚えました。しかし、前夜の雨の所為か、小舟には水が浸水して、いささかうら寂れた感じになってしまっていましたですな(笑)。 ともあれ、この公園、小生はとても気に入りました。 園内を暫しそぞろ散策であります。(十二町潟水郷公園・蓮池) ハスは枯れ始めている様が、小生の好みに合っている。その所為で、ついカメラを向けてしまいます。(同上)(カラタチ) 葉を落とし尽したカラタチに黄色く熟れた実が残っている様もなかなかに宜しい。(同上) もう暫く園内の散策を続けるのですが、文字数制限一杯です。続きはページを改めます。(つづく)
2012.11.08
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本日7日より9日まで氷見を銀輪散歩であります。トレンクルを氷見市内のホテルに送って置き、サンダーバードで高岡へ。北陸トンネルを越えると雨に。津幡で列車が停まる。石動付近で落雷により信号機が故障したからとのこと。いつまで経っても動かない。車掌に言って此処で途中下車させて貰い、タクシーで倶梨伽羅越え、高岡へ向かう。 高岡駅到着13時。12時50分発には間に合わず、14時12分発まで列車待ち。本来なら13時17分に氷見に到着している筈が・・幸先の悪い旅となりました。(氷見市内地図・駅前の案内板より) 14時39分氷見着。氷見線に忍者ハットリ君電車が走っていることは先刻承知であったが、タクシーも「ニンニン」でありました。そして、バスは怪物クン。(忍者ハットリ君電車)(忍者ハットリ君タクシー)(怪物クン・バス) 予約していたホテルが駅前と思い込んでいたが、かなり遠方であることに気付く。幸いに雨も止んでいたので、遅れついでに、と歩いて向かうこととする。ニンニン(笑)。 ホテルは国道160号線沿い、上庄川を渡って直ぐの処、加納地区にある。途中で道に迷ったこともあってホテル到着は15時をかなり過ぎてしまっていました。チェックイン後、自転車(トレンクル)で少しだけと、走れるだけ走ってみることに。(大伴家持歌碑、諏訪野・上庄川左岸排水機場) わが欲(ほ)りし 雨は降り来ぬ かくしあらば ことあげせずとも 年は栄えむ (大伴家持 万葉集巻18-4124) <私が願っていた雨が降って来た。このようだとことさらに口に出して 言わなくても、今年は穀物が実り栄えることであろう。> (注)ことあげ=「言挙げ」、ことさらに言葉に出して言うこと。言葉に出 して言うと言霊の力が働いて、良きにつけ悪しきにつけ物事に影 響を与えるという考え方に基づくものである。基本的には、みだり に「言挙げ」はすべきものではないとされる。物事があるべき形に なっている時は「言挙げ」はしない。あるべき形になっていない時 には「言挙げ」することによって、それが正されるという考え方。 言わば「言挙げ」は物事を正すための非常手段であって、通常は 言挙げしないことが良いこと、美徳とされる。我々日本人の文化 の基底にある言霊信仰、価値観に根差すものである。 家持さんは国守という立場上、雨を「願っていた」と仰っていますが、銀輪家持としては雨は「願い下げ」にして戴きたいという次第。旅の最初の歌碑がこれでは、この先いかなることにやなるならむ(笑)。(有磯高校前庭万葉歌碑) 国道160号線幸町交差点南西にある有磯高校に立ち寄る。前庭に万葉歌碑が3基ある。もっとも、早や暮れかかって、今にもまた雨が降りそう、加えて「学校関係者以外の者の立入り禁止。」という立て札もあって、前庭で歌碑を探すのも何かそわそわして落ち着かない。2基は見付けたが、もう1基が見つからない。何れも卒業記念に建立されたもののようだが、大伴家持さんの歌であるので、掲載して置きます。この雪の 消遺(けのこ)る時に いざゆかな 山たちばなの 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226) <この雪の消え残っているうちに、さあ出掛けよう。そして、ヤブコウ ジの実が照り輝いているのも見よう。> (注)山たちばな=山橘。ヤブコウジのこと。(同上)新(あらた)しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと) (大伴家持 万葉集巻20-4516) <新しい年の始めの初春の今日を降りしきる雪のように、めでたい 事がもっともっと重なれ。> もう一つの歌碑は、次の歌なのですが、発見できなかったので写真はありません。鮪(しび)衝(つ)くと 海人(あま)のともせる 漁火(いさりび)の ほにか出ださむ わが下念(したもひ)を (大伴家持 万葉集巻19-4218) <鮪を突こうと海人がともしている漁火のように、はっきりと出してし まいましょうか、私の心の内を。> 大阪に比べて富山の日没は少し早い、加えて厚く垂れ込めた雨雲の所為で、薄暗くなっていたためもあってか、有磯高校前庭の歌碑の写真はピントがうまく合っていなかったよう。上の2枚は翌日8日朝に再度訪ねて撮影し直したものです。 同様に以下の歌碑等の写真は8日撮影のものです。(中央町・中の橋) 中の橋は、湊川に架かっている。県道415号線が通る。この橋の畔にも大伴家持の歌碑がある。(中の橋南詰・万葉歌碑)藤浪の 影なす海の 底清み しづく石をも 珠とそ吾が見る (大伴家持 万葉集巻19-4199) <藤浪を映す海の底が清らかなので、沈んでいる石も私には玉と見 えます。>(十二町潟排水機場・万葉歌碑、窪地区) 国道160号線沿い、仏生寺川の右岸にある十二町潟排水機場敷地内にある家持歌碑です。布勢の海の 沖つ白波 あり通ひ いや年のはに 見つつしのばむ (大伴家持 万葉集巻17-3992) <布勢の海の沖の白波のように、絶えず通い続け、毎年毎年見たい ものだ。> 雨がパラつき出し、雷も鳴り出したので、ホテルに帰ることに。ライトを点けなくてはならない程度には暗くなっていました。ホテルに帰り着いたら雨。明日8日の予報も終日雨であったのだが、予報は見事外れました。 しかし、字数制限です。続きはページを改めます。(つづく)
2012.11.07
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偐万葉・若草篇(その9) 偐万葉シリーズ第158弾、若草篇(その9)をお届けします。当ブログにご訪問下さりコメントを戴いた若草読書会の方への返事コメントに添えた歌などを集めたものが、若草篇であります。 <参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラからどうぞ。 偐家持が小万知に贈れる歌6首並びに 小万知が贈り来れる俳句2句と偐家持が付けたる脇句2句 小万知が贈り来れる俳句2句並びに偐家持が付けたる脇句 雲囲い 雨だれ一つ 紫陽花に (小万知) こぼれて近し 葛城の山 (偐家持) 梅の実の 香り放たれ 梅雨の入り (小万知) 小万知が梅酒 漬ける頃なり (偐家持) (写真提供 小万知氏)忍ぶれど パンク二度もや 我が銀輪 もはやこれまで 徒歩(かち)となりけり (徒歩家持)忘れまじと 植ゑしはなから 忘るるは 勿忘草(わすれなぐさ)も 醜草(しこぐさ)ならし (偐アホ草)これやこの クマもアブラも 木のなくは 是非に及ばず 若草の門 (後蝉丸) (本歌) これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 (蝉丸 後撰集1090 小倉百人一首10)アガぺーの 花が運べる 涼風に しまし憩へと 声もやすなる (蘭麻呂)撫子は 銀の色にし 咲くといへど 金の色にも 咲きまさりけれ (五輪娘子) (本歌) 朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ (万葉集巻10-2104)お犬様 いづく行かるや 輪タクの 車夫となり行く 疾駆のあるじ (犬上家の人) 偐家持が偐山頭火に贈れる歌9首併せ俳句5句 並びに偐山頭火が贈り来れる歌1首併せ俳句4句競(きほ)ひ咲く 花菖蒲(はなせうぶ)には あらざれど ともにしまたも いづちや駆けむ (銀輪家持) 偐山頭火が贈り来れる俳句並びに偐家持が付けたる脇句 行乞も パン喰うなれば ましな旅 <偐パンク> されどやかもち つかれもぞする <偐ヤカ餅>河童橋 何んの河童と 思へども さはに人あり 銀輪行かず (河童麻呂)梓川 清き瀬に立ち 高々に 穂高見つつや 妹は行くらむ (偐・偐山頭火) (梓川 写真提供 偐山頭火氏) 偐山頭火が贈り来れる句と偐家持が付けたる脇句 寅さんと 龍野芸者が よく似合う (偐山田監督) 蜻蛉群れ飛ぶ 秋野の日暮れ (偐寅持)二上の 山は見が欲し 我背子が 行き来と見らむ 山ぞ見が欲し (本歌) あさ裳よし 紀人(きひと)ともしも 亦打(まつち)山 行き来と見らむ 紀人ともしも (調首淡海(つきのおびとあふみ) 万葉集巻1-55) (左 富山県、二上山 右 越中八尾 写真提供 偐山頭火氏 )青雲の たなびく八つ尾 坂の道 響(とよ)む胡弓の 風の音(と)聞かな (幻聴家持) 風の盆 過ぎて胡弓の 風が吹く (幻偐山頭火)肥後はよし 素行問はずや 来よとふみ 山鹿ゆ来たり 背子行くらしも (山猫素行)腿痛い 磐余(いはれ)の道は 可も不可も なけど伊勢道(いせぢ)に 脚の攣(つ)れるは (大吊皇子) (本歌) ももつたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠(がく)りなむ (大津皇子 万葉集巻3-416) 偐山頭火が贈り来れる歌1首喜六清八(きぃ~とせぇ~)の 目指す欅が 銀輪に 休めと示す 秋の夕暮れ(おかげらが 目指す欅で 銀輪に 休めとしめす 秋の夕暮れ) 偐家持が追和せる歌2首弥次喜多も 回りかねたる 三輪の道 喜(き)ぃ公清(せぇ)やん 槻の下行く (上方偐兵衛)月々に 槻見る槻は 多けれど わが足つるは この槻の土(つち) (大吊皇子(おほつりのみこ)) (本歌) 月月に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (不詳読人) 偐山頭火氏が贈り来れる発句並びに偐家持が付けたる脇句 急成長 公開すれば ストップ高<偐未公開株投資家> 買ひて後悔 するも知らざり <偐家持投資顧問会社> 偐山頭火が贈り来れる発句並びに偐家持が付けたる脇句 手が届く 柿と牡蠣には 気をつけよう (食い逃げ太郎) 餓鬼と言はるる 歳にあらねば (偐家持) (注)偐山頭火氏のブログはコチラからどうぞ。 凡鬼が贈り来れる俳句1句並びに偐家持が付けたる脇句 十薬や わが青春の 懺悔かな (凡鬼) 雨に濡れつつ 辿る道の辺 (偐家持) (注)十薬=ドクダミのこと。開花期のドクダミを乾燥させたもの は生薬として利用され、十薬と呼ばれる。
2012.11.06
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銀輪散歩で見掛けた珍しい蜘蛛です。 人生楽ありゃ、蜘蛛あるさ、 などと駄洒落を呟きながら写真に撮り、 さて何という蜘蛛かと調べてみると、 蜘蛛ではなくサソリやダニに近い虫、ザトウムシでありました。 どう見ても蜘蛛ですが、蜘蛛にしては足が異常に長過ぎる。 身体が頭部と腹部に分れてなくて寸胴一体型。糸を吐かない。 しかし、ちょっと見は、やはり蜘蛛ですね。 「蜘蛛隠れにしダニの虫かな」(雲隠れにし夜半の月かな)、 という駄洒落にもなりますかな(笑)。 <参考>ザトウムシオオナミザトウムシ posted by (C)けん家持 ザトウムシにも色々と種類があるようです。 これは、オオナミザトウムシ、オオナガザトウムシ、マザトウムシのどれかだろうと思いますが、写真からは何とも分からない。 一応、オオナミザトウムシということにして置きます。 実際に目にしたのも、身体部分は米粒かそれ以下という極めて小さなものであったので、よくは見えませんでした。蜘蛛の一種という思い込みから、よく観察しなかったのが悔やまれます。責めてもっと接近して撮影して置けばよかったですな。 ザトウムシの生態を紹介した動画はコチラからどうぞ。 まあ、蜘蛛が苦手なお方にはお薦め致しませんが・・(笑)。オオナミザトウムシ (2) posted by (C)けん家持 このザトウムシは足が5本しかない。本来は8本であるから、外敵に襲われて3本を無くしたのでしょうか。手負いの、いや、足負いのザトウムシであります。オオナミザトウムシ (3) posted by (C)けん家持 ザトウムシは殆ど目が見えず、その細長い足で微細な振動を感知することによって、外界の状況を察知しているのだという。足自体が触角(いや、聴覚と言うべきですかな。)の働きをしているのですな。 長い足で前方を探りながら進むので、座頭のよう、ということで座頭虫という名が付いたらしいが、実際の動きは、そんなたどたどしいものではなく、とてもスムーズで素早いものである。 まあ、何にしても奇妙な虫である。 デザイン的にも面白い。 この虫の設計を担当した神様はなかなかセンスが良いと思う。 今度お目にかかることがあれば、じっくり観察させて戴くことと致しましょう。(ザトウムシ「よした方がよござんすよ。」)
2012.11.05
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第109回智麻呂絵画展 さすがに秋。智麻呂画伯の筆も進むようにて、またまた、智麻呂絵画展の開催であります。 ヤカモチ館長も忙しい(笑)。今回は10作品です。 皆さまのご来場心よりお待ち申し上げます。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ 先ず、ホテイアオイです。 これは、当ブログ掲載の写真を絵にされたもの。続く3点の絵も同様に当ブログ掲載写真からのものであります。写真では出せない味があって、何れも素敵な絵になっています。ホテイアオイ posted by (C)けん家持<参考>磐余銀輪散歩別巻(2)・本薬師寺 2012.10.16. 奈良県橿原市の本薬師寺に咲いていたホテイアオイです。ウメバチソウ posted by (C)けん家持<参考>裏磐梯銀輪散歩<4>・五色沼逍遥(瑠璃沼、青沼)・小野川湖 2012.10.1. 福島県裏磐梯の小野川湖への道路脇に咲いていたウメバチソウです。ヤブキリ posted by (C)けん家持<参考>裏磐梯銀輪散歩<8>・桧原湖一周(4)・曾原湖ほか 2012.10.5. これも、裏磐梯のホテルの外壁に止まっていたキリギリス、ヤブキリです。また、下は、五色沼の自然探勝路に咲いていたアケボノソウです。アケボノソウ (2) posted by (C)けん家持<参考>裏磐梯銀輪散歩<2>・五色沼逍遥(毘沙門沼)2012.9.29. 下の花もアケボノソウです。こちらは先月24日に錦織公園に遊んだ際に、公園の片隅に咲いていたのを写生されたものです。 <参考>錦織公園秋逍遥(上)2012.10.26. 同 (下)2012.10.27. 五色沼で見たアケボノソウよりも花は小振り。花弁の模様も少し違っていましたから、生育地の環境による個体差という奴なのか、品種が違うということなのかは、花に疎いヤカモチには何とも判断がつき兼ねます。アケボノソウ posted by (C)けん家持あけぼの草 花の綾目は たがへども いづれ劣らぬ まぐはしの花 (偐家持) 次は、マユハケオモトです。 小万知さんが、ご自宅のそれを株分けして鉢植えにし、智麻呂ご夫妻にプレゼントして下さったものです。 先日(11月2日)の日記に、その鉢植えの写真を、ひと足早くアップしましたが、絵は、写真撮影の時には既に描き上がっていましたので、絵の方が先輩ということになります。絵画展開催が遅れた関係で、掲載の順序が逆になってしまいました。マユハケオモト posted by (C)けん家持 次の綿の実も、錦織公園の「河内の里」に生っていたものの写生であります。 横に添えられている実はモミジバフウ(別名アメリカフウ)の実でありますな。錦織公園の散策で拾われたものでしょう。小万知さんが拾って下さったものかも知れません。綿の実とモミジバフウの実 posted by (C)けん家持 そして、モミジバフウの落ち葉です。錦織公園もみじ散策のお土産でありますな(笑)。モミジバフウ posted by (C)けん家持ハロウィン posted by (C)けん家持 最後は奈良県五条の柿であります。智麻呂ご夫妻の二の姫のお嬢さま、と言うより、この絵画展のご常連の皆さまには、「ナナちゃんのお母さん」と申し上げる方が分かり易いですかな(笑)、そのナナちゃんご一家は奈良県にご在住。そんなことで、奈良から手土産にお持ち下さったものであります。柿 posted by (C)けん家持 以上、新作10作品、お楽しみ戴けましたでしょか。 今回もお運び戴き、最後までご覧下さいまして、 有難うございました。
2012.11.04
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今日は墓参。 朝食を済ませてから墓へ。お墓は生駒山系の山裾の高みにある。自宅からは歩いて10数分と近い。毎月初旬に墓参というのが、長年に亘っての小生の行動パターンになっている。今日もそのパターンに従っての墓参でありました。墓地からは大阪平野が一望。墓参の後は山裾の野道を暫し散策して帰る、というのがいつの頃よりか習わしのようになっているが、本日も同様でありました。 野の道を辿ると、ススキの穂が朝日に輝いて、そよ吹く風にやさしく靡いていました。写真に撮ってみたら、光線の関係か、背景が暗くあった関係か、図らずもススキの穂が(思ったよりも)風情ある感じに写って居りました。芒 posted by(C)けん家持 一見、夜の写真のように見えますが、夜の写真ではありません。朝の写真です。カメラが寝惚けていて未だ「夜」と判断したようです。芒 (2) posted by (C)けん家持 ススキは「薄」とも「芒」とも書きますが、この写真には「芒」の字が似合いますかな。また、「尾花」とも言いますが、これはその穂に注目してこれを「花」と見ていたからの呼び名でしょうな。一方茎や葉に目を向けての呼び名は「茅・萱・かや」ですが、「み草」などとも呼ばれることも。万葉集には40首以上も詠われていて、萩に次いで秋を代表する植物でありますが、小生は萩よりもススキの方が秋らしい、と思いますので、昨日の日記でも取り上げた、下の万葉歌の作者と意見が合います。人皆は 萩を秋と云ふ よしわれは 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ (万葉集巻10-2110)その他のススキの万葉歌も、何首か掲載して置きましょう。秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の京(みやこ)の 仮廬(かりほ)し思ほゆ (額田王 万葉集巻1-7)<秋の野のススキを刈り取って来て屋根に葺いて泊った、あの宇治の都 での仮のやどりが思われることだ。>秋づけば 尾花が上に 置く露の 消(け)ぬべくも吾(あ)は 思ほゆるかも (日置長枝娘子(へきのながえのをとめ) 万葉集巻8-1564)<秋になると尾花の上に置く露のように、消えてしまいそうにも私には思 われます。> 恋が外に現れることを「色に出る」と言うが、それを「穂に出る」と重ね合わせることによって、ススキは「恋の歌」にも度々登場する役回りとなっています。さ男鹿(をしか)の 入野(いりの)の薄(すすき) 初尾花 いつしか妹が 手を枕(まくら)かむ (万葉集巻10-2277)<男鹿の踏み分け入る入野のすすき、その初尾花のように、初々しい あの子の手をいつになったらと枕とするのだろうか。>婦負(めひ)の野の 薄押しなべ 降る雪に 宿借る今日し 悲しく思ほゆ (高市黒人 万葉集巻17-4016)<婦負の野のすすきを押し倒し靡かせて降る雪の中で、一夜の宿りをす る今日こそ、悲しく思われることだ。> 上の黒人の歌の歌碑は富山県呉羽山の峠茶屋の三叉路に建っている。昨年5月の銀輪散歩で歌碑を訪れている。<参考> 神通川銀輪万葉(その1)2011.5.25. さて、ススキにかかずらい過ぎました。話題をムグラに移します。ムグラは「葎」と書きますが、「葎」は、このカナムグラやヤエムグラなどを総称した名のようです。 ヤエムグラは、小生も夙にその名は知って居りましたが、実際の「葎」がどんな植物なのかは何となく曖昧なままで来ました。今回、たまたま、それとは知らず、名前不明で写真を掲載したら、小万知さんから、「カナムグラ」であるとご教示戴き、これを機に、「葎」調べてみて、ヤエムグラ、カナムグラのことなどが、よく分った次第。カナムグラ(雌花) <再掲載> ということで、「葎」に因む万葉歌を掲載することと致します。いかならむ 時にか妹を 葎生(むぐらふ)の きたなき屋(や)戸(ど)に 入りいませな (田村大嬢 万葉集巻4-759)<いつのことになるのでしょう。、あなたをお迎えして、このむさくるしい わが家にお入れ申し上げるのは。>思ふ人 来むと知りせば 八重葎(やへむぐら) おほへる庭に 珠敷かましを (万葉集巻11-2824)<思う人が来ると知っていましたなら、八重に葎が覆っている庭にも、玉 を敷きましたものを>玉敷ける 家も何せむ 八重葎(やへむぐら) おほへる小屋(をや)も 妹とし居(を)らば (万葉集巻11-2825)<玉を敷いた家とて如何ほどのものでもない、八重葎が覆っている小屋 でも、妻と共にいるのなら・・>葎はふ 賤(いや)しき屋戸も 大君の 坐(ま)さむと知らば 玉敷かましを (橘諸兄 万葉集巻19-4270)<葎のはびこる賤しいわが家でも、天皇がおいでになると知っていたな ら、玉を敷きましたものを。><参考>カナムグラ(鉄葎)Wikipedia ヤエムグラ(八重葎)Wikipedia
2012.11.03
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(承前) 昨日の銀輪花逍遥の続きです。 銀輪散歩で通りかかった民家のお庭にフジバカマが咲き匂っていました。 山上憶良が詠った下記の歌から「秋の七草」の一つとされる藤袴であるが、万葉集にその名が登場するのは、この歌だけにて、萩には勿論のこと、女郎花や尾花にも及ばず、藤袴だけを単独で詠った歌が1首もないという、七草の中では、その花姿の良さにも拘わらず、影の一番薄い花である。 萩の花 尾花葛(くず)花(はな) 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(をみなへし) また藤袴(ふぢばかま) 朝貌(あさがほ)の花 (万葉集巻8-1538)フジバカマ (3) 野生の藤袴を見掛けることは先ず無いが、畑や庭や公園などで植えられているので、比較的よく目にする花ではある。 元々は中国の花で香料として使われていたものらしいが、我が国に入って来たのが遅く、万葉の頃には未だ一般には馴染みのない花で、生活と結び付くような花でなかったということが、上の憶良の歌を除き、万葉集に登場しない理由かも知れない。フジバカマ (2) フジバカマ 赤紫の花が多いが、白い藤袴もある。これを「紺屋の白藤袴」と言いますな。紺屋で連想。尾崎紅葉「金色夜叉」の寛一の台詞。 「今月今夜のこの月を、きっと僕の涙で曇らせてみせる。」 尾崎鷹揚「紺色夜叉」なら、 「今月紺屋のこのツケは、きっと僕の力で払はせてみせる。」となって、少しも色っぽい話ではないのでありますな。これも亦「紺屋の白藤袴」なのであります。フジバカマ (白) ススキは尾花とも呼ばれ、藤袴と同じく秋の七草の一つですが、このススキにも色々と種類があるようです。下の写真のもススキなんでしょうが、普通見るススキに比べて葉が細く華奢です。ススキに似た植物で荻と言うのがありますが、これとススキとの区別がよく分らない。ススキ 人皆は 萩を秋と云ふ よしわれは 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ (万葉集巻10-2110) 萩のよさこそ秋。万葉集に最多登場の花が萩であれば、人が皆そう言うのは尤もなことでありますが、この歌の作者は尾花の穂の良さこそが秋だと言って居りますな。まあ、これは人それぞれの好みでありますから、論じても始まりません。チカラシバ これは、実に立派なチカラシバです。道の辺によく見掛けるチカラシバは穂の色がもっと黒っぽいので、これはそれとは品種が違っているようですな。「お前はチカラシバか」と聞いてみましたが「シラバクレ」て答えませんでした。色変り 太き株にと なりぬれば ここの芝草 気取り生ひにけり (偐家持) (本歌)立ちかはり 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生ひにけり (田辺福麻呂歌集 万葉集巻6-1048) ナシ そして、秋の果実、ナシの実もアリ。 次は、ガマズミの木。小さな赤い実が鈴生りに。ヤマヅミのガマズミの実であります。 この実は熟すと食べられるらしいですが、小鳥たちに残して置くのが礼儀というものでしょう。ガマズミ そして、アケビ。やはりアクビをしていました。アケビ アケビ (2) 最後は、銀輪散歩ではなく、智麻呂邸で目にした珍しい花を掲載して置きます。小万知さんが下さった鉢植えだそうですが、名は不明です。近く智麻呂絵画展にこの花の絵も登場しますので、どうぞ、お楽しみに。不明 不明 (2) <追記>上の花はマユハケオモトとのこと。詳細は、下記、小万知さん のコメントをご参照下さい。
2012.11.02
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本日は銀輪散歩で見掛けた花などをアップです。 先ず、赤トンボ。 夕焼け小焼けの~、ではなく、昼下がりの赤トンボです。 とまっているのは、棒杭の先。赤トンボ 飛んで飛んで 止まって止まるよ 赤トンボ 道頓堀筋 トボトボひとり (蜻蛉麻呂) トンデ、トマッテ、トンボ、ドウトンボリ、トボトボと音の類似を遊んだだけのナンセンス歌であります。 戯れ歌のことはさて置き、物置き、このトンボはアキアカネ。 木の葉が紅葉するに合わせ、このトンボの赤色も深くなる。 そして、秋は深くなる。 振り返るとこちらは黄葉。黄葉 そして、何とヨモギの、よもやの紅葉。 何故か、道端のヨモギの中で、このヨモギだけが美しく紅葉しているのでありました。ヨモギのもみぢ、初めて見ました。 大伴家持は「・・ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の 菖蒲草(あやめぐさ) 蓬蘰(よもぎかづら)き 酒宴(さかみづき) 遊び慰(な)ぐれど・・」(万葉集巻18-4116)と詠っていますが、香りの強いヨモギはその香によって邪を避ける呪力があると考えられていました。 端午の節句にはヨモギを髪飾りにして遊ぶという習俗があったことが、この歌からも分かりますが、これもその呪力を身に帯びようとする行為であったのでしょう。さて、大伴家持さん、秋になって紅葉したヨモギを見たら、どんな歌にしたものやら、などと考えるのも面白い。酒宴(さかみづき) 呑み過ぎたれば 早やも秋 かざしの蓬(よもぎ) もみたふらしも (偐家持)ヨモギの紅葉 その傍らに酔いどれモグラの昼寝。と思いきや、屍でありました。よく見るとお尻の後と背中に牙の痕と思しき痛々しい穴が。野良猫にでもガブリとやられたのであろうか。死後かなりの時間が経っていると見えて、すっかり固くなってしまっている。草叢に埋葬して上げることに。鴨山の 岩根しまける 吾(われ)をかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ (柿本人麻呂 万葉集巻2-223) <鴨山の岩を枕にして(死のうとして)いる私を、そうとも知らず妻は待 っていることであろう。> (注)鴨山=島根県浜田市旧城山の亀山説、同邑智郡邑智町湯抱大 字鴨山説、同江津市二宮神村説、同益田市沖合にあっ た鴨島説、石見国国府(浜田市下府)付近説、奈良県葛 城山中の鴨山説など諸説ある。 モグラ君、敵の牙に噛み付かれた時に、上の人麻呂氏と同じようなことを思ったであろうか、なんぞと思うヤカモチなのでありました。モグラ (2) 加茂山の 猫にし負ける われをかも 知らにと妹は 待ちてやあらむ (もぐら麻呂)モグラ 今日今日と 待ちし君はも 加茂川の 草に交じりて ありと言はずやも (もぐ羅娘子)ミョウガ 遠目には笹の葉かと見えましたが近付いてみると茗荷でありました。押し分けて根元を見ると、間違いなく茗荷です。ミョウガ (2) そして、川辺には、草苺の葉に似た葉の蔓性の植物。見慣れぬ、花(?)と思しきものを付けていましたが、何と言う名の植物なんでしょう。不明 (2)不明 <追記>この花はカナムグラの雌花だそうです。葎は万葉植物ですか ら、追って、再掲載する予定です。 知らない花で終るのも締まりが無いので閉まりません。サルビアの花をアップして置きましょう。真っ赤に群れ咲く花、何やら元気が出て来る花でもあります。咲きサカるサルビアですな。サルビア 今日は、いえ、今日もまた、取り止めも無いお話でありました。
2012.11.01
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