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偐(にせ)万葉 二十万(ふたとよろづ)の アクセスを 得てやめでたく 年を越すなり (偐家持) 本日、アクセス累計数が20万を超えました。 20万件目のアクセスを踏まれた方がどなたであるのかは今の処分りません。若し楽天のブロガーさんなら楽天の方からメールで通知があるのではないかと思いますが、大晦日では、それも入らないのでしょうかね。 何れにせよ、2012年最後の日に20万に到達、新しいステージで2013年を迎える、というのは、何やら出来過ぎた話でもあります(笑)。 「ブログの歩み」というカテゴリーで書いている記事を参照すると、10万アクセス到達が2011年1月11日、15万アクセス到達が同年12月16日でありましたから、10万から15万までについては約11カ月で5万アクセスを数えた計算になります。これに対して15万から20万までの5万アクセスには12課月半を要したことになります。これで類推すれば、咋年に比べ今年1年間のアクセス数は約12%(6500件程度)減少したことになります。ここにもデフレ現象が生じて居りますかな(笑)。楽天中央銀行の一層の金融緩和が望まれます(笑)。 まあ、それはさて置き、このように一つの節目を目出度く迎え、年を越せるのは有り難いことであります。 この1年、当ブログをご訪問下さいました方々、コメントをお寄せ下さいました方々、どうも有難うございました。 どうぞ、どちら様もよいお正月をお迎え下さいませ。 新年が皆さまにとってよき年でありますようお祈り申し上げます。よき人の よしとよく見て よしと言ひし よき年よく来よ よき人よく待つ (偐武天皇) 偐万葉にあっては、天武天皇ならぬ偐武天皇でありますので、上のような歌となりますかな(笑)。来年もこんな調子でやって参りますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。(花園夕照 あ~した天気になぁ~れ。)(注)この写真は2011年3月9日に撮影のものにて、同日の記事に掲載し たものの再掲載です。本日の写真ではありません。TV等では、こう いう場合「資料映像」とか「イメージ写真」と言っているようですが、 当ブログでもその手法を使わせて戴きました(笑)。
2012.12.31
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今日を含めて今年もあと3日。押し詰まって参りました。 明日が雨の予報なので、毎年30日に行っている墓参を一日早めて、本日済ませることに。 年末とあって、墓参の人影もいつもよりは多い。今日はMTBでやって来たので、墓への長い急な坂道では、息も絶え絶え。最後の急坂では自転車を降りて押して上ることに。(墓地の最上部からの眺め) 墓参の後、MTBで山裾を南へ銀輪散歩。 このコースは東西には道が整備されているが、南北の道は迷路のような路地をジグザグに進むしかない道にて、何度来てもよくは分からないままに、方向だけを頼りに、その都度違った道を南へと辿ることになる。(極楽寺付近) 上の写真(左)の石段を上って行くと、楠木正行、正時兄弟の碑があるが、今日はパス。 <参考>正行・正時の碑は、夕照・銀輪散歩 2008.12.15.参照。(楠木正行終焉所碑・霊光院) 二本松古墳へと向かう途中に迷い込んだ道の辺で「小楠公終焉所」と刻まれた石碑に出会う。 <参考>二本松古墳は、近隣銀輪散歩、山麓の道をゆく 2011.8.25. をご参照下さい。 由緒などは分からぬが背後には小さな御堂(霊光院)が建っている。楠木正行を祀っているのであろう。 これも何かのご縁と、正行所縁の往生院まで足を延ばすこととする。(往生院) 往生院は以前にも記事に取り上げているので重複する写真は省略します。下記1.の記事をご参照下さい。また、往生院の説明は、上の写真で足りているでしょうから、これも省略です。もっと詳しくお知りになりたい方は下記2.をご参照下さい。 <参考>1.銀輪散歩・往生院から玉祖神社へ 2010.11.27. 夕照・銀輪散歩 2008.12.15. 2.岩滝山往生院六萬寺 ここも、墓参の人が多い。墓苑があるのである。駐車場には沢山の車が。小生もMTBを駐車場の片隅に停めて、墓苑に入ってみる。(往生院墓苑・六地蔵)(墓苑休憩所の窓から)(奥の院) 墓苑の一番奥の高みに「奥の院」との扁額のある御堂が建っている。 そこから西を望むと大阪平野が一望である。下の写真の左上隅に遠く写っているのが日本一の高さとなった「あべのハルカス」(工事中)のビルである。ほぼ、同じ位置に四天王寺の五重塔があるのだが、これは写っていませんかな。往生院からは彼岸には太陽は四天王寺の五重塔に沈むと言われて来たが、今後は「ハルカス」のビルに沈むということになるのでしょうな。(奥の院からの眺め) 以下は、一般の者には立ち入り禁止区域となっているらしく、お寺の方から、注意されてそれと知り、退散しましたが、撮ってしまった写真は別に問題もないでしょうから掲載して置きます。(指月堂)(岩滝山遺跡出土庭園復元石組)(同上)
2012.12.29
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昼前から雨が降り出しました。 それで、と言う訳でもありませんが、本日は、年賀状や新年会で使えそうな万葉歌を参考までに拾い出してみました。(作者名の付されていないのは作者不詳の歌。歌番号も付して置きました。) これは、今日拾い出したという訳ではなく、何年か前の若草読書会の新年会の資料用に拾い出したものがパソコンのマイ・ドキュメントに残っていたので、それを流用したに過ぎません。 年賀状用の参考にということなら、もう少し早い時期にアップすべきでありましたが、新年会の話題とか乾杯の挨拶の「前振り」なんかには使えるでしょうから、ご参考になれば幸いです(笑)。 新(あらた)しき 年の始(はじめ)の 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと) (大伴家持4516)新(あらた)しき 年のはじめに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは (葛井諸会(ふぎゐのもろあひ)3925)新(あらた)しき 年のはじめは いや年に 雪踏み平(なら)し 常かくにもが (大伴家持4229)あしひきの 山の木末(こぬれ)の 寄生(ほよ)取りて 插頭(かざ)しつらくは 千歳(ちとせ)寿(ほ)ぐとぞ (大伴家持4136)霞立つ 春のはじめを 今日のごと 見むと思へば 楽しとぞ思ふ (大伴池主4300)山の際(ま)に 雪はふりつつ しかすがに この河楊(かはやぎ)は 萌えにけるかも (1848)時は今 春になりぬと み雪降る 遠山のべに 霞たなびく (中臣武良自(なかとみのむらじ)1439)睦月立つ 春の始めに かくしつつ あひし笑みてば ときじけめやも (大伴家持4137)うちなびく 春来たるらし 山のまの 遠き木末(こぬれ)の 咲き行く見れば (尾張連(おはりのむらじ)1422)梅の花 いまさかりなり 百鳥の 声の恋(こほ)しき 春来(きた)るらし (田氏肥人(でんしのうまひと)834)浅緑 染(し)めかけたりと 見るまでに 春の楊は もえにけるかも (1847)うちなびく 春さり来らし 山の際(ま)の 遠き木末(こぬれ)の 咲き行く見れば (1865)正月(むつき)立ち 春の来らば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき竟(を)へめ (大弐紀卿(きのまへつきみ)815)山の際(ま)の 雪は消(け)ざるを みなぎらふ 川の楊(やなぎ)は もえにけるかも (1849)昨日(きのふ)こそ 年は極(は)てしか 春霞 春日の山に はや立ちにけり (1843)ふゆ過ぎて はる来(きた)るらし 朝日さす かすがの山に 霞たなびく (1844)巨勢(こせ)山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな 巨勢(こせ)の春野を (坂門人足(さかとのひとたり)54)川上(かはかみ)の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢(こせ)の春野は (春日老(かすがのおゆ)56)石(いは)走る 垂水(たるみ)の上(うへ)の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも (志貴皇子1418)うち上(のぼ)る 佐保の河原の 青柳は 今は春べと なりにけるかも (坂上郎女1433)(犬養万葉歌碑 2009.5.3.奈良青葉散歩掲載写真の再掲です。)うち霧(きら)し 雪は降りつつ しかすがに 吾家(わぎへ)の苑に うぐひす鳴くも (大伴家持1441)霞立つ 野の上(へ)の方(かた)に 行きしかば うぐひす鳴きつ 春になるらし (丹比乙麻呂(たぢひのおとまろ)1443)ひさかたの 天の香具山 この夕べ 霞たなびく 春立つらしも (1812)古(いにしへ)の 人の植ゑけむ 杉が枝に かすみたなびく 春は来ぬらし (1814)うちなびく 春立ちぬらし わが門の 柳の末(うれ)に 鶯なきつ (1819)春霞 流るるなへに 青柳の 枝くひ持ちて 鶯鳴くも (1820)冬ごもり 春さり来らし あしひきの 山にも野にも 鶯鳴くも (1824)うちなびく 春さり来れば しかすがに 天雲(あまぐも)霧(きら)ひ 雪はふりつつ (1832)風まじり 雪は降りつつ しかすがに 霞たなびき 春さりにけり (1836)梅が枝に 鳴きて移ろふ うぐひすの 羽(はね)しろたへに 沫雪(あはゆき)ぞ降る (1840)ももしきの 大宮人の かづらける しだり柳は 見れど飽かぬかも (1852)春がすみ 立つ春日野を 往き返り 吾は相見む いや年のはに (1881)新(あらた)しき 年の始(はじめ)に 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖(ふなど)王4284)
2012.12.28
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友人の偐山頭火氏撮影の写真がNHK大阪放送局主催の「あなたの“ええトコ”in大阪」アトリウム写真展に入選したということは、既に17日の日記でご紹介申し上げて居りますが、本日は銀輪散歩も兼ねて、NHK大阪まで行って、写真展を見て参りました。まあ、ちゃんと見て置かないと彼に叱られますからネ(笑)。 <参考>ラグビー神社など銀輪散歩 2012.12.17.(写真展 証拠写真ですな。)(NHK大阪) 写真展は上のNHK大阪の建物の1階アトリウムで行われていました。囲碁の例会で梅田まで行く時は、毎度この建物の前を自転車で通っているのであるが、建物内に入るのは久し振りのことでありました。 NHKの前は難波宮跡である。既に当ブログでも何度かその写真は掲載しているかと思いますが、目の前なので、久し振りに立ち寄ってみました。(難波宮跡) 乙巳の変(大化の改新)の後、孝徳天皇は都を難波に遷す。難波長柄豊崎宮である。 <参考> 「冬十二月(しはす)乙未(きのとのひつじ)の朔(ついたち)癸卯(みづのとうのひ)に、天皇、都を難波長柄豊碕(なにはのながらのとよさき)に 遷す。」(日本書紀・孝徳紀大化元年十二月の条) 大化の改新と呼ばれる革新政治は、孝徳天皇と甥で皇太子の中大兄皇子を中心として、この難波宮で執り行われたのであろうが、白雉3年(652年)9月に宮殿が漸く完成するものの、両者の間に亀裂、軋轢が生じるようになっていたのか、都を大和・飛鳥に戻そうとする中大兄とそれを許さない孝徳とが対立し、(傀儡であることをよしとしなかった孝徳を孤立させるための中大兄の策略とするが)翌年には中大兄は大臣以下官人を引き連れて飛鳥に帰ってしまう。皇后の間人皇女(中大兄の同母妹)も一緒に飛鳥へと去ってしまう。無念の孝徳天皇が間人皇后に送った歌がこれ。鉗(かなぎ)着(つ)け 吾が飼ふ駒は 引出(ひきで)せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか (日本書紀・孝徳天皇白雉4年の条)<(逃げないようにと)鉗木をつけて私が飼っていた馬は(どうしたのだろう。)、厩から引き出しもせず大事にして私が飼っていた馬を、どうして他人が見たのだろう。> 白雉5年(654年)10月10日に孝徳天皇は無念のうちに難波宮にて崩御する。彼の死によってその息子の有間皇子の悲劇的な運命も亦、決まったのであった。 天武天皇の時代になって、難波が再び都となる。天武12年(683年)に天武天皇は複都制の詔を発し、飛鳥と並んで難波が都となる。 以上を前期難波宮という。(大極殿跡) 聖武天皇の時代になって、神亀3年(726年)、藤原宇合が知造難波宮事に任命され、平城京の副都としての難波宮の造営が始まる。そして、天平15年(744年)には難波に遷都するのであるが、翌年1月1日には紫香楽宮に遷ってしまう。 以上を後期難波宮という。 この後期難波宮を詠った藤原宇合の歌がこれ。難波宮造営責任者として、見事に完成した難波宮を自画自賛している歌でありますかな。昔こそ 難波(なには)田舎(いなか)と 言はれけめ 今は都引(みやこひ)き 都びにけり (万葉集巻3-312) 難波宮は海辺の近くであった。NHK大阪の先から西へと下り坂になっている。万葉の頃はすぐ近くまで海が迫っていたのであろう。 そんな情景を彷彿とさせる歌が田辺福麻呂の次の歌である。あり通ふ 難波の宮は 海近み 海人娘子(あまをとめ)らが 乗れる船見ゆ (田辺福麻呂歌集 万葉集巻6-1063)潮干(ふ)れば 葦辺に騒ぐ 白鶴(しらたづ)の 妻呼ぶ声は 宮もとどろに (同 万葉集巻6-1064)<関連記事> 難波宮跡の写真などが掲載されている当ブログの他の記事 大槻能楽堂自主公演能 2009.6.6. 囲碁例会・比賣許曾神社 2012.2.8.(歩兵第8聯隊跡碑) 難波宮跡公園の一角に「歩兵第八聯隊跡」の碑がありました。 碑の左後に写っているのが小生のMTBである。碑の巨大さがお分かり戴けるよう敢えてツーショットとしました。背後の建物は国立大阪病院です。 碑の趣旨は下の副碑をお読み下さい。難波宮跡には万葉の痕跡と共に先の戦争の記憶も刻まれていました。(同上) 帰宅したのは5時少し前。自宅に近づく頃、生駒山は傾いた夕日に照らされて輝いている風でもありました。山の端には白い月がポッカリ浮かんでいるのでありました。(生駒山の上にはポッカリと白い月。午後4時半の月であります。)
2012.12.26
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今夜はクリスマス・イヴ。 どうぞ皆さま、よいクリスマスをお迎え下さいませ。 教会から離れて久しくなり、クリスマス礼拝にもご無沙汰しているが、手許の聖書を開いてみると、新訳聖書の「ルカによる福音書」の第2勝の1~21節にしるしを付けて「'68Weinacht」という小生の筆跡の落書きがしてあるのに気が付きました。 多分1968年のクリスマス礼拝でこの部分を読んだのであろう。当時は我が師の智麻呂氏は牧師をされていて、この聖書の部分を取り上げてクリスマス礼拝の説教をされたのではないかと思われます。大昔のことゆえ、勿論、説教の内容などは記憶の彼方にであるが、このようにして古い記憶の断片が甦って来るというのも悪いものではない。 その頃、天下の人を戸籍に著(つ)かすべき詔令(みことのり)カイザル・アウグ ストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし 時に行はれし初(はじめ)のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、 各自(おのおの)その故郷(ふるさと)に歸る。ヨセフもダビデの家系(いへすぢ)また血統(ちすぢ)なれば、 既に孕(はら)める許嫁(いひなづけ)の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリ ラヤの町ナザレを出でてユダヤに上(のぼ)り、ダビデの町ベツレヘム といふ處(ところ)に到(いた)りぬ。此處に居るほどに、マリヤ月満ちて、初子(うひご) を生み之を布に包みて馬槽(うまぶね)に臥(ふ)させたり。旅舎(はたごや)にをる處なかり し故なり。 この地に野宿して夜、群を守りをる牧者(ひつじかひ)ありしが、主の使その 傍(かたは)らに立ち、主の栄光その周囲(まはり)を照らしたれば、甚(いた)く懼(おそ)る。 御使(みつかひ)かれらに言ふ「懼るな。視よ、この民、一般に及ぶべき、 大(おほい)なる歓喜(よろこび)の音信(おとづれ)を我なんぢらに告ぐ、今日ダビデの町にて 汝らの為に救主(すくひぬし)うまれ給へり。これ主キリストなり。なんぢら 布にて包まれ、馬槽(うまぶね)に臥しをる嬰兒(みどりご)を見ん、是その徴(しるし)なり」 忽(たちま)ちあまたの天の軍勢、御使(みつかひ)に加はり、神を賛美して言ふ、 「いと高き處には栄光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ 人にあれ」御使等(みつかひたち)さりて天に往きしとき、牧者(ひつじかひ)たがひに語る「い ざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起(おこ)れる事を見ん」乃(すなは)ち 急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽(うまぶね)に臥したる嬰兒(みどりご)とに尋ねあ ふ。既に見て、この子につき御使(みつかひ)の語りしことを告げたれば、聞 く者はみな牧者(ひつじかひ)の語りしことを怪しみたり。而(しか)してマリヤは凡(すべ)て 此等(これら)のことを心に留めて思ひ囘(まは)せり、牧者(ひつじかひ)は御使(みつかひ)の語りしごと く凡(すべ)ての事を見聞(みきき)せしによりて神を崇め、かつ賛美しつつ歸れ り。 八日みちて幼兒(をさなご)に割禮を施(ほどこ)すべき日となりたれば、未(いま)だ胎内 に宿らぬ先に御使(みつかひ)の名づけし如く、その名をイエスと名づけた り。 (新約聖書・ルカ傳第2章第1~21節) イエス・キリストの誕生は左のごとし。その母マリヤ、ヨセフと 許嫁(いひなづけ)したるのみにて、未だ偕(とも)にならざりしに、聖霊によりて 孕(みごも)り、その孕(みごも)りたること顕(あらは)れたり。夫ヨセフは正しき人にして 之(これ)を公然(おほやけ)にするを好まず、私(ひそか)に離縁せんと思ふ。斯(かく)て、これら の事を思ひ囘(めぐ)らしをるとき、視よ、主の使(つかひ)、夢に現れて言ふ 「ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納(い)るる事を恐るな。その胎(はら)に 宿る者は聖霊によるなり。かれ子を生まん、汝(なんぢ)その名をイエス と名づくべし。己(おの)が民をその罪より救(すく)ひ給ふ故なり」すべて此の 事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言(ことば)の成就せん 為なり。曰(いは)く「視よ、處女(をとめ)みごもりて子を生まん。その名はイン マヌエルと稱(とな)へられん」之(これ)を釋(と)けば、神われらと偕(とも)に在(いま)すとい ふ意(こころ)なり。ヨセフ寐(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納(い)れ たり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。斯(かく)てその子 をイエスと名づけたり。(新約聖書・マタイ傳第1章第18~25節)(c.s.ルイス「悪魔の手紙」) この年であったか、教会のクリスマス・パーティで、C.S.ルイスの「悪魔の手紙(the screwtape letters)」という小説から着想を得て、悪魔の裁判所に於いて牧師を裁判にかけるという寸劇をやったことがありましたが、お年寄りの信者さん達の中には「不謹慎、悪ふざけ」と眉を顰めた方もかなり居られたらしい。 この小説はキリスト教徒でなくてもなかなかに示唆に富んだ内容で面白く読めるのではないかと思います(この本は行方不明にはなって居らず、書棚の片隅に今もありました)。悪魔のスクリューテープが新米悪魔で甥のワームウッドに宛てて書いた書簡で構成されている小説で、神の立場からの善悪、価値基準とは裏返しの悪魔の立場からの善悪、価値基準で論が展開されていて、思わずニヤリとしてしまう場面が多々あったかと。しかし、これも大昔に読んだ本にて、詳しい内容は殆ど記憶の外であります(笑)。 <追記> Xmasらしい雰囲気に欠けるページ仕立てとなっていましたので、その後に、小万知さん、景郎女さんがお届け下さった若草メールに添付されていました写真を掲載させて戴きます。(小万知さんから) (イルミネーションとキャンドル)(景郎女さんから)(野の花文庫の子供たちと作ったクリスマス折り紙作品)(押し絵のサンタさん 和郎女さんの作品とのこと)
2012.12.24
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愈々今年もあと10日。 無為に1年をやり過ごしましたが、まあ、これは毎年のことでありますので、悔やむことではない(笑)。 ご本家の大伴家持殿はうつせみは 数なきみなり やま川の さやけきみつゝ みちをたづねな (万葉集巻20-4468)と言って居られるのでありますが、「求道」とは生来無縁の偐家持、早々と俗世は捨てたものの、道を尋ねるのは銀輪散歩で道に迷った時ばかりにて、道草ばかりの懲りぬ輩、どうしようもありませんですな。 辰年から巳年へ。干支は廻る。 南方熊楠の著作に「十二支考」というのがあります。 (平凡社・東洋文庫) 随分の昔に読んだ本であるが、いつの頃よりか書斎の本棚から消えているから、何方かに貸したか何かで行方不明となっているのでしょうな。十二支に登場する動物についての古今東西のお話が一杯詰まっている面白い本でありますから、一読をお勧めします。 小生は南方熊楠氏のような博識ではありませんので、「十二支考」は無理。言葉遊びの愚にも付かぬ「十二支笑」なら出来るかと・・。まあ、これはブロ友のビッグジョンさんのブログで知った「言葉遊び」(一種の駄洒落ですな。)なのですが、十二支でそれをやってみました。 <参考>ビッグジョンさんのブログ「歩人のたわごと」から 2012.10.22. 楽しい額 2012.10.24. 続・楽しい言葉 この年末の忙しい時に何を馬鹿なことを・・という向きは、烏賊は、いや以下は、パスして下さいませ(笑)。 子(鼠) 寝ずにネズミ 丑(牛) 後からウシ 寅(虎) 囚われのトラ 卯(兎) ふさぎこむウサギ 辰(龍) 炬燵のタツ 巳(蛇) へべれけのヘビ 午(馬) うまく走れないウマ 未(羊) 密事を洩らすヒツジ 申(猿) サルもくさる 酉(鳥) 取り分のないトリ 戌(犬) いるのにイヌ 亥(猪) 私心なきイノシシ <番外> 考えるカンガルー 見ているだけならラクダ カバンなくしたカバ 昼寝のアヒル よく噛まないカメ コネのないネコ モグラのねぐら オケラの桶屋 常陸の国のイタチ はたちになってもイタチ タヌキも田植え きつめのキツネ すり寄るリス じらせるクジラ ブタのかさぶた 気力が足りんキリン 雑煮は苦手だゾウ 負んぶにラッコ 隈なく探す熊 白菜きざむサイ しかと分からぬシカ ヒョウに一票 鰯て置けば言い鯛ボウダラ キクも涙カタクリも涙 バケツのツバキ タバスコが好きなナデシコ すき焼きが好きなヤギ 私の大豆な人 小豆はお預け ゆるめのスルメ 涼しめのスズメ 欲張りのヒバリ 意気地なしのキジ 無キャベツ殺人 けろりとしているセロリ 久し振りのブリ マグロの気まぐれ 蕎麦食うサバ 船酔いのフナ
2012.12.21
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年賀状投函のついでに、暫し生駒山麓の道を南へ銀輪散歩。八尾市に入り、八尾市歴史資料館の先の坂道を上ってみた。この道は高安山への登山コースの長い坂道である。もう限界という処まで上った処でストップ。殆ど息が切れそう(笑)。変速ギアで調節しながらであるが、それでも最後は立ち漕ぎしないと上れない急な坂道となり、長く立ち漕ぎを続けていると、息も絶え絶えとなる。天の助けか、そこで携帯に電話が入る。友人からの電話であった。 ストップしてしまうと、もう先を上る気力も失せて、坂道を下ることとする。もっとも、もう少し行けば、立石越えの山道となり、自転車では無理な道となるのであるから、何処で引き返すかの違いはあれ、引き返す他はないのである。下りは一気だ。大阪平野の眺望を楽しみながらの一気の下りは、爽快。 今日の銀輪散歩も何と言ってテーマもありませんので、「師走の空」ということにしてみました。 (師走の空・服部川八幡神社境内<大阪府八尾市>) <参考>服部川八幡神社関連記事 2008.05.11.桐の花散りにけるかな(同上)ほつ枝吹く 風にも冬の 影あらむ 晴れたる空に 雲の惑へる (偐家持)旬日に 年も極(は)つれば 今更に あれやこれやの ことの思はる (偐家持)(師走の空・心合寺山古墳にて) すっかり葉を落とした木々のほつ枝を風が吹き渡って行きます。 晴れたる空の明るさも、冬のそれにて何やらもの寂しさが漂う。 もう10日余りで、今年も終ると思えば、何事もなさず今年も空しく暮れて行くのであるかという気分になりますが、そんなことを思わせるのも亦「師走の空」というものであるのでしょう。(同上) 背後の山は生駒山系の山地。写真には入っていないが、画面の外、ずっと右に行くと高安山、信貴山である。高安山は天智天皇の時代の「高安の城」の、あの高安山である。「高安山に照る月を長瀬の川に映すとき・・」というのは小生の高校の校歌の一節であるが、思えば「高安山に照る月」を実際に見た記憶がない。勿論、長瀬川に映る月影も見た記憶がない(笑)。(心合寺山古墳) 高安山の麓から少し北に戻って、東大阪市域に入る手前が樂音寺地区であるが、ここに5世紀前半の築造と見られる、全長約160メートルの巨大な前方後円墳がある。心合寺山(しおんじやま)古墳である。 誰の墓かは定かではないが、この地域を支配していた氏族の首長の墓だろうと言われている。何度となく銀輪散歩では立ち寄っているが、今回も此処で暫し休憩。 <参考>心合寺山古墳関連記事 2010.11.27.銀輪散歩・往生院から玉祖神社へ 2010.04.02.銀輪花遍路(その2) 2009.08.22.秋の気配 2008.05.11.桐の花散りにけるかな(同上) 堀端の遊歩道沿いに植えられているユキヤナギが美しく紅葉して、暮れかかる時にしありて風は寒くあれど、道の色ほの温かくもあるかな、であります(笑)。夕暮れて 今かと妹を 待つ道に なほしぞ赤く 雪柳燃ゆ (偐家持)(心合寺山古墳と雪柳のもみぢ葉)
2012.12.19
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本日は午後から銀輪散歩。 花園中央公園・花園ラグビー場から吉田春日神社に立ち寄り、花園駅前で近鉄奈良線を南に渡り直進。玉串川沿いを走り、山本駅前で近鉄大阪線を渡り、更に南へ、玉串川と長瀬川の分流点に出て、長瀬川沿いに走り、安堂駅前で大和川べりの柏原市役所に到着。そこでひと息入れてから帰途に。帰途は恩智川沿いのいつもの道を走る。 途中から雨がパラつき出す。 雨宿りを兼ねて、喫茶nanaで珈琲ブレイク。 日暮れ前に帰宅。帰宅すると偐山頭火氏から封書が届いていて開封すると、「NHK大阪放送局/アトリウムイベント」の「あなたの"えぇトコ"in大阪」アトリウム写真展のページを打ち出したペーパーが同封されていました。 同氏の写真がこの写真展で入選(ご本人は「入選」というようなものではない、と仰っていますが)したらしく、「偐山頭火」の名と共に同氏撮影の「あべのハルカスと四天王寺五重塔の写真」が掲載されていました。今月28日まで、NHK大阪放送局のアトリウムで展示されているとのこと。 入選おめでとうございます。 この場をお借りしてお祝い申し上げます(笑)。(偐山頭火氏の写真・NHK大阪放送局ホームページより転載) さて、本日、立ち寄った吉田春日神社であるが、先日のNHKの番組でラグビー神社として紹介されていたので、立ち寄ってみたものでありますれば、これも亦NHK絡みなのであります(笑)。(吉田春日神社) 東大阪市の花園と言えば花園ラグビー場である。間もなく全国高校ラグビーフットボール大会が、ここで繰り広げられるが、高校生ラガーマン達の憧れの地でもある。 この吉田春日神社は、その花園ラグビー場の西数百メートルの処にあり、大きな木製のラグビーボールが奉納されていて、別名「ラグビー神社」と言うのだそうな。 この神社の近くはしょっちゅう自転車で走っているのであるが、周辺は入り組んだ路地になっていて、メインの通りからは外れているので、NHKの番組を見るまで、小生はこの神社の存在に全く気付かないで来ました。(同上)(同上。拝殿の左側に見えているのが木のラグビーボール)(木製の巨大ラグビーボール)(同上) 神社本殿は市の指定有形文化財になっているそうですが、由緒などは下の説明板の写真から読み取って下さいませ。写真をクリックすると拡大写真に移行することが出来ます。(吉田春日神社の由緒) 神社を出て路地を適当に曲がってジグザグに走っているうちに、花園駅前に出た。玉串川沿いに山本駅方面まで走ってみるかと、当てもない気儘銀輪散歩なれば、気の向くまま、風まかせ、道まかせであります。 で、山本駅も通り過ぎ、玉串川の終点、長瀬川との分流点まで来てしまいました。(玉串川と長瀬川の分流点。右が玉串川へと流れて行く。) 長瀬川。写真の奥方向へと長瀬川沿いに走ると、我が母校の八尾高校の前を通って、長瀬駅(近鉄大阪線)、そして小阪駅(近鉄奈良線)へと至るのであるが、今日は、反対の上流方向へと走る。大和川に出て終点となる。 途中から雨がパラつき始める。柏原市役所前で暫し休憩も兼ねて雨宿り。しかし、大した降りでもないので、帰途に。安堂駅前を通って、今度は恩智川沿いを走る。こちらの方が銀輪散歩としては走り良い。 少し雨が強くなって来たのと、珈琲が飲みたい気分でもあったので、いつもの喫茶店nanaに立ち寄って、暫し雨宿り。 時間はと見ると4時過ぎ。雨も小止みになったので、店を出る。自転車(MTB)に乗って走り出そうとすると、店の人の声が後から・・ザックを置き忘れていたようで、店の方が追っかけて持って来て下さったのであった。(長門橋)(恩智川の遊歩道) ということで、暗くなる前には自宅に到着。 新潟のブロ友・ふぁみり~キャンパーさん風に言えば、本日はラグビー神社など近隣散歩のお話でした(笑)。
2012.12.17
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第111回智麻呂絵画展 本日は今年最後の智麻呂絵画展であります。今年は、1月2日に第92回展を開催したのを皮切に合計20回を開催することができました。出展の智麻呂絵画数も184点の多数を数えました。これも皆さまのご支援、ご声援の賜物と深く感謝申し上げます。この一年、智麻呂絵画展にご来場下さいました皆さま、温かいコメントをお寄せ下さいました皆さま、心より厚くお礼申し上げます。 偐家持美術館の今年の営業は、本日を以って終了でありますが、来年も頑張って絵画展を開催して参りますので、引き続き宜しくご愛顧賜りますれば幸甚に存じます。 それでは、皆さま、どうぞよいクリスマス、よい新年をお迎え下さいませ。 God be with you till we meet again. 美術館長 けん家持 絵師 智麻呂 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(白い花) この花の名は分かりません。 オトギリソウの仲間のビョウヤナギ(未央柳)の花は黄色であるが、その色を白くしたような感じの花なのである。しかし、葉の形はビョウヤナギのそれとは全然違って、ツバキの葉を小さくしたような感じです。ということで、仮の名をビョウツバキ(未央椿)とでもして置きましょうかね(笑)。白妙に 咲きたる花は 花でよし 名などな問ひそ 鈍(をそ)の風流士(みやびを) (偐家持)(シロタエギクとタンネンバウム) 白っぽい葉の植物はシロタエギク(白妙菊)でしょうね。その後の緑のトゲトゲの葉の植物はモミの木でしょうか。小さな花を咲かせているのは何という花であるか分りません。先月、智麻呂邸をご訪問した際に卓上にあった花の寄せ植えが絵になっていました。前回の絵画展の記事の中で、小生はこの鉢植えを「絵にするのは難物」と評したのでありましたが、智麻呂氏はちゃんと絵にされましたですな。しかし、シロタエギクとモミの木に名の分からぬ花のコラボとあっては、どんなタイトルを付けたらいいのやら。モミの木はドイツ生まれ、ドイツ語でTannenbaumと言うそうなので、「シロタエギクとタンネンバウム」としましたが、芸のないことです(笑)。(モミジ)ひとつとて 同じものなし 黄葉(もみぢば)の 散りたる後(のち)も 愛(は)しきその色 (偐家持)(銀杏)(メリークリスマス) これは、お孫さんのナナちゃんとユカちゃんからのクリスマスの贈り物に添えられていた絵です。描いたのはナナちゃん。お二人からのクリスマス・メッセージも貼り付けての撮影と相成りました。 今年は、ナナちゃんの絵は第99回展(5月13日)と第103回展(7月17日)に出展されていますので、今回で3作目の出展となります。今回の絵の左上の「さばのふりかけ」は第99回展にも登場していますので、ご記憶のお方もいらっしゃることでしょう。(ハム) これは、五◎さんからの贈り物のハムです。お礼状に添えられて五◎さんのお手許に届くこととなるのでしょう。 では、この辺でコーヒーブレイクと致しましょう。 ケーキなどをご用意させて戴きました(笑)。(紅いもタルト) 紅芋タルトについては情報を得て居りませぬ。 下のケーキも含め、お好きなものをどうぞご遠慮なくお召し上がり下さいませ。お飲み物は珈琲、紅茶、どちらにいたしましょうか?(笑)(和風ケーキ) 上の和風ケーキと下のショートケーキはヤカモチが手土産にお持ちしたものです。 ショートケーキの方は、先月28日にご訪問した際にお持ちしましたが、絵に描きたいものとして智麻呂氏ご自身に選んで戴いて、皆さまにお召し上がり戴くべく、別に取り分けて置いた2個であります(笑)。(ショートケーキ) 今年の締め括りの絵はツワブキと致しましょう。 ツワブキは初冬の季語であるというのは、凡鬼さんに教えて戴いたかと記憶します。漢字では「石蕗」と書きますが、蕗に似た形の葉に光沢がある処から「ツヤハブキ(艶葉蕗)」と名付けられたものが訛って「ツワブキ」となったものらしい。(「アツハブキ(厚葉蕗)」が訛ったもの、自生地が海岸であることから「ツハブキ(津葉蕗)」が訛ったもの、などの異説もあるとのこと。) 花言葉は「困難に負けない」だそうです。来年も色々と困難があるかも知れませんが、負けずツワブキのごとツヤツヤと元気に乗り切ることと致しましょう。(ツワブキ)時雨たる 道にありとも 石蕗の 葉こそ変らず 今日も照りたる (偐家持) 立つ冬の 野辺にし咲ける 石蕗の 花にもがもな 焦がれて居たし (偐家持)
2012.12.14
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昨日(11日)は友人の◎倉氏と二人だけの忘年会でした。こういうのを忘年会と呼ぶのかどうか分かりませんが、同氏から「忘年会をしましょう。」とのメールが入り、「やりましょう。」と返信してのものにてあれば、まあ、忘年会でいいのでしょう(笑)。店は同氏が手配してくれて、心斎橋の「中国鍋・漢城」という店。半個室のようになっていて、落ち着いた、いい雰囲気のお店でした。 小生は友人の凡鬼さんから「もう少し食べることにも関心を持った方がいい。」と言われる程に料理や、食事や、味には無頓着な方なので、料理については説明を省かせて戴きます(笑)。(中国鍋・漢城) 食事を終え、近鉄難波駅前で◎倉氏と別れて、電車に。車内で携帯に着信。電話帳に未登録の番号からの電話にて、誰からのものか分らぬままに出ると、何やら早口で話す男性の声。よく聞き取れない。車内なので折り返し電話する、と告げて、ひとまず切る。電車を降りてから着信番号に電話すると、先程の男性が、高◎が、荻◎がどうのこうの、とまくし立てる。口調と声の感じから畑◎君かな、と思ったが、定かではないので、「ところで、どちら様でしょうか?」と間抜けた質問をする小生。果たして、畑◎君であった。小生の勤めていた会社の後輩で、同期の高◎君や荻◎君と忘年会をやっているのだという。席上で小生のことや小生のブログのことが話題になったとかで、電話をくれたよう。畑◎君や高◎君のお元気そうな声を久々に耳にでき、愉快なことでありました。また、荻◎君は最近、囲碁を始めたそうで、小生に挑戦したい、とか(笑)。是非、囲碁サークルに入って下さい、と勧誘して置きましたので、来年には1人囲碁サークルのメンバーが増えそうです。 さて、その囲碁サークルですが、本日(12日)が今年最後の例会でありました。本日もMTBで銀輪散歩を兼ねて梅田スカイビルまでサイクリング。アポロカフェで昼食後、里山を少し散策して、会場へ。青◎氏が既に来て居られたので、先ず同氏とお手合わせ。次に福◎氏と。そして最後に青◎氏と再戦。何れも小生の勝ちで3勝0敗。いい締め括りとなりました(笑)。もっとも、青◎氏との2局目の1戦は「持碁」といって盤面上は同じ目数で「引き分け」なのであるが、ハンディ戦のルールにて、「持碁」の場合は、白番の勝ちとなっているので、辛くも小生の勝ちとなったものであります。 これで、今年の成績は38勝30敗で、勝ち越しとなりました。年初206点だった持ち点も214点に上っての年末となりました。 (対戦者の持ち点差に応じてハンディを決めますので、碁の実力が一定であるとすると、理論上は、持ち点が高くなるほど勝ちにくくなり、持ち点が低くなるほど勝ち易くなる、ということになります。) では、梅田の里山の今日の紅葉をご覧下さい。そろそろ、モミジも終りですが、今の時期の紅葉は「冬紅葉」と言うのでしょうか。友人の凡鬼さんの句に次のようなのがありました。 一心に色極めたる冬紅葉 (凡鬼) 歳時記の栞に一枚冬紅葉 (凡鬼) 参道の石段隠す散紅葉 (凡鬼) 雀羅張る門前落葉吹き溜まる (凡鬼)(ドウダンツツジ) ナナカマドの実もすっかり赤くなっていました。(ナナカマド)(同上) 午後4時20分頃に梅田スカイビルを発って帰途に。帰途は大阪ビジネスパークを通ってJR大阪環状線沿いの道に出る。第二寝屋川の大阪城前の水上バス乗り場には、夜化粧のイルミネーションに飾られた水上バスが停泊していて、乗船するお客様を待っているのが目撃されました。 森ノ宮駅前から中央大通りへ。あとはいつものコース。途中ですっかり日が暮れ、ライトを点灯しての走行となりました。(水上バス)
2012.12.12
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昨日は銀杏の落ち葉散り敷く道を銀輪散歩し、黄色の世界を堪能致しましたが、「銀杏」で思い浮かぶ短歌と俳句は・・と思い返すも意外に浮かんでは来ない。金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に(与謝野晶子) と鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺 (夏目漱石)位なものでしょうか。(大阪城公園の銀杏) 考えてみれば、銀杏は万葉集には登場しない。古今集や新古今集には登場するのかどうか、調べてはいないので知らないが、古歌とはあまり馴染まないのが「いてふ」のようでありますな。 何でも、銀杏は中国原産で我が国には平安時代から鎌倉時代にかけて入って来たとされているようです。源実朝が殺されたのは鶴岡八幡宮の銀杏の大木の陰に隠れ潜んでいた公暁によってでありますから、鎌倉時代には銀杏の大木が存在する状況であったことになる(笑)。 藤原定家は知っていたが大伴家持は知らなかった。それが銀杏でありますな。万葉で「もみぢ」と言えば「黄葉」と書くのが一般的で「紅葉」と書くのは1首あるのみとのこと。奈良時代に銀杏の木が普通に見られる状況であったら、大伴家持もきっと「銀杏」の歌を詠んだに違いないと思うのですが、残念です(笑)。しぐれたる のちの晴れ間を いざ行かな もみついてふの 葉の照るも見む (偐家持) (本歌) この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226)(同上)(同上) 街路樹に最も多く採用されているのが銀杏の木であるらしい。大阪の御堂筋がまさにそれですな。それかあらぬか銀杏は大阪府の木でもあり、大阪大学の木でもある。そして八尾市(大阪府)の木も銀杏だそうな。(同上)(同上)(同上)
2012.12.06
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昨日(4日)は大学の同窓会幹事会の忘年会でした。 会場は大阪駅ビル梅田大丸の14階のレストラン・フロアにある「燦」という店、午後6時からの幹事会の議事。議事終了後、懇親会(忘年会)となり、同窓の諸氏との楽しいひと時を過ごさせて戴きました。9時頃に散会、帰宅は9時55分。(燦・梅田大丸店) 本日(5日)は囲碁例会で、梅田スカイビルまで自転車(MTB)で銀輪散歩。大阪城公園で見事な銀杏の黄葉を楽しんだりの快適な朝の銀輪散歩でありました。 JR環状線森ノ宮駅から大阪城公園の南側に沿って上町台地へと上る坂道は一気に走り上ると息が切れるのであるが、その疲れ具合が言わばその日の体調を占うバロメーターにもなっている。今日は比較的軽い感じで走り切れ、さほどに息も切れませんでしたから、調子がいいということでありますな(笑)。 では、道中の銀杏などの黄葉を共にお楽しみ下さいませ。(大阪城公園南側沿道。坂を上り切るとNHKと府警本部の建物がある。) 道路端に散り敷く黄葉も散り残る黄葉も美しい。(大阪城公園の銀杏)(大阪城公園の銀杏とモミジ) 見事な銀杏の黄葉を愛でつつ坂道を上り切ると、NHK大阪の独特のデザインのビルが迎えてくれる。そのまま直進すると御堂筋に出る。本町である。しかし、大抵はここで右折、緩やかな下りを天満方向へと走るのが小生のお決まりのコース取りなのであります。本日もそれに従う。(NHK大阪)(大阪城) 大阪城の堀の石垣にも美しいモミジが見える。振り返ると大阪府庁舎である。並びの建物前の紅葉が美しい。(大阪府庁舎)(大阪城公園の紅葉) 梅田スカイビル到着11時15分。里山の「花野」をひと廻りして中庭(ワンダースクエア)へ。中庭では年末恒例のドイツXmasマーケットが開催中で賑っていました。山里は「冬ぞ寂しさまさりける」であるが、梅田の里山は冬も寂しくはないようであります。山里に あらね梅田の 里山は 冬も賑ひ かれぬと見ゆる (源家持) (本歌) 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬとおもへば (源宗于(みなもとのむねゆき) 古今集315、小倉百人一首28)(梅田スカイビルのドイツXmasマーケット)(梅田スカイビルの「中自然」。囲碁会場の部屋からの眺めです。) スカイビルの駐輪場に自転車を預けてから、アポロカフェへ昼食に向かう。 先月から、駐輪場が有料(3時間以内は無料)になり、車輪止め金具が設置され、1台ごと整然と駐輪出来るようになった。無料であった時には雑然と言うか、乱雑と言うか、溢れんばかりに駐輪されていて、出し入れにも一苦労なのであったが、有料化されたことで、駐輪台数も大幅減、スッキリして気持がいい。出し入れもスムーズである。しかし、以前は溢れんばかりに駐輪していた多くの自転車は一体何処に行ったのでしょう? スカイビル西隣の公園を抜けて左に行くとアポロカフェである。この店をやっている女性二人が小生の高校の後輩ということで、昼食は此処と決めているのである。それはさて置き、この西隣の公園も銀杏が美しい。身も心も黄色に染まってしまいそうな気がする(笑)。(スカイビル西隣の公園)(同上) 昼食を済ませてスカイビルの会場に入ると、小生が一番乗り。未だどなたも来られていない。碁盤や碁石を整えていると、青◎氏がお見えになり、先ず1局。打っていると、平◎氏、続いて荒◎氏が来られ、隣で両氏が対局。そこへ福◎氏、竹◎氏が来られて、本日の出席者は小生を含めて6名。 本日の戦績は青◎氏と1勝1敗、竹◎氏に負け、福◎氏に勝ち、で2勝2敗でありました。午後4時過ぎ、未だ勝負の決着のつかない青◎氏と荒◎氏が対局中であったが、竹◎氏、福◎氏と小生は、ひと足先においとますることに。この季節は暮れるのが早い。帰宅した頃には暗くなってしまっていました。
2012.12.05
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今日から師走。今年も余すところ1カ月。 歳月人を待たず。年々に1年が早くなります。 昨日(11月30日)は大学の同期会にて、心斎橋まで出掛け、旧交を温めて参りました。 今回は、黒◎君、小◎君、佐◎君、谷◎君、道◎君、中◎君、原◎君、枦◎君、古◎君、堀◎君、前◎君、守◎君、山◎君と小生の14名の出席で、前回(20名)より少なくなりました。 席上、この会の名を決めようとの守◎君の提案で「よいよいの会」と決まったようだが、もひとつしっくり来ないので、小生は、これを「夕々の会」と表記することにしようかと思う(笑)。「夕」は「ゆふ」とも「よひ(宵)」とも訓みますから、これでちと風情が出ますかな。 下掲の写真は会場である心斎橋・大成閣に向かう途中に撮ったもので、この会とは関係ありませぬが、「夕々の会」なれば、大阪ミナミの夕景もミスマッチではないでしょう。夕々(よひよひ)に またも逢はめや 思ふどち ともにせる春 いや遠そけど (偐家持)(松竹座)(道頓堀川) そして、本日(12月1日)は、月例の墓参。 墓から望む、本日朝の大阪平野であります。(大阪平野)(同上。左奥のひと際高いビルが工事中の「あべのハルカス」。) 墓への道の辺には銀杏や蔦や櫨などの黄葉がまだ十分に美しくありましたが、そんな中にノブドウの実も「そっとさりげなく」といった風情で色付いているのでありました。(ノブドウ)野葡萄の 実の生(な)るなへに 黄葉(もみぢば)を 踏みつつぞ(来し 吾子(あこ)が奥津城 (偐家持)
2012.12.01
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