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<承前> 8月27・28日の銀輪散歩を6日間にも引き伸ばしてのブログ記事となりましたが、愈々今回で完結であります。 復路も往路とほぼ同じコースとなりますが、途中で少し寄り道して変化を持たせます。(能登半島・七尾方面遠望) 再び有磯海を見つつの銀輪行である。「ありそ」は「あらいそ」の短縮形。「荒磯」である。この原形は「現石(あらいそ)」。海中や海岸に露呈している岩石を意味した言葉で「波の荒い磯」と言う意味は本来は持っていなかったと思われる。しかし、岩がゴツゴツと露出している浜はその岩に砕けて波が飛び散るから、「波の荒い磯」というイメージと容易に結び付く。で、「荒磯」となったのでしょう。 この荒磯を最初に歌にしたのは大伴家持。既にこの旅の日記でも紹介済みのこれらの歌である。渋谿の 崎の荒磯に 寄する波 いやしくしくに いにしへ思ほゆ(その2参照)かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も 見せましものを(その3参照) 家持は単に普通名詞として使用したに過ぎないが、やがてこの一帯の海を指す固有名詞に変化し、後世の歌人たちによって歌枕となって行く。表記も「有磯」に変化する。 芭蕉も「奥のほそ道」の旅では放生津から田子の藤波神社や氷見へと行こうとしていたようだが、宿もないと脅されて諦め、金沢へと向かっている。渋谿の有磯の海を芭蕉も眺めたかったのだろう。 <参考> 那古と云、浦に出、擔籠の藤波は、春ならず共、初秋の哀、とふべきものを と、人に尋れバ、是より五里、磯づたひして、むかふの、山陰に入、蜑の苫 ぶき、かすかなれバ、一夜の宿かすもの、あるまじと、云ィおどされて、か ゞの国に入(奥の細道・曾良本) 氷見ヘ欲行、不往。高岡ヘ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。 高岡ニ申ノ上刻、着テ宿。(曾良旅日記) で、詠んだ句が、これ。 わせの香や分入(わけいる)右は有ソ海(有磯海の青三態) 氷見植物園前のハマナスの実にもう一度ご挨拶して行く。まあ、写真は往路で撮ったものの転用ですがね(笑)。 浜茄子の 熟れて左に 有磯海 (筆蕪蕉) 蕉翁と 向きが反対 筆不精 (筆蕪蕉) (再びハマナス) 雨晴海岸駅、義経岩、つまま公園を過ぎ、女岩を左手に見つつ坂道を上って行くと、道の辺に葛が繁茂して、花を付けていました。(葛花)萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝がほの花 (山上憶良 万葉集巻8-1538) 坂を上り切って少し行くと岩崎鼻。渋谿の崎である。相変わらず立山連峰は雲の中である。マンホールの立山連峰の絵で我慢して置きましょう。既に此処は高岡市であることをマンホールが教えてくれる。 (同上) (高岡市のマンホール) 往路は海の眺めを楽しもうとトンネルの上の道を、言わば「山越え」したのであるが、帰りはトンネルを直進である。(雨晴トンネル・国道415号) トンネルを出ると越中国分。伏木へと帰って来た。 気多神社口で国道から左に外れて、光暁寺へと向かう。この寺にも万葉歌碑がある。(光暁寺境内万葉歌碑)春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ少女 (大伴家持 万葉集巻19-4139) 此の歌は家持の歌の中でも特によく知られた歌の一つ。天平勝宝2年(750年)3月1日の作であるから、高岡駅前の「かたかごの花」の歌(3月2日作)の前日に作られている。家持は何故かこの3月1日から3日までの間に15首もの歌を作っている。 光暁寺の隣が伏木神社。立ち寄って行く。しかし、字数制限に近付きつつあるので、神社については下の由緒とWikipedia参照とさせて戴きます。(伏木神社)<参考>伏木神社・Wikipedia(同上・由緒) (同上・鳥居と神馬像) (同上・拝殿) 伏木神社の前には水神公園がありました。赤坂の水神様がこの近くにあるようですが、よくは分からない。(水神公園)(同上)(同上・ハゲイトウ) (同上) (赤坂古道の標石) ごちゃごちゃと路地を走り抜けて伏木駅前に出ました。 駅前の県道24号を右に行けば矢田交差点で国道415号に合流。その先は往路と同じ道を逆に走るだけ。城光寺橋を渡り、やがて、万葉線と並走。駅前帰着は午後5時過ぎ。朝8時半頃に出発しましたから、休憩や見学・昼食などの時間も含めて約8時間半の銀輪散歩でありました。(JR氷見線・伏木駅) わずか8時間半の銀輪散歩が5回分の記事にもなってしまい、全6回もお付き合願うこととなり、恐縮です。これにて完結とします。長らくのお付き合い有難うございました。=完=
2015.08.31
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<承前> 松田江を過ぎて、氷見駅手前の川に架かる橋に差し掛かった処でアオサギを見掛けました。(青鷺) 写真を3枚撮った処で、「もう、いいかい。」と鷺は飛び去って行きました。鷺を見送って振り返ると、街路灯の上に鳶。「サギがトビ去ってトビ」とは駄洒落のような登場の仕方。「仕方なく」トビも写真に(笑)。一瞬、トビなのかタカなのかと迷いましたが、こちらの心を読み取ったのでもあるか、「ピーヒョロロ」と鳴き声を上げました。間違いなくトンビ。物真似上手なタカでなければ、でありますが。(鳶) 名前の何とも知らぬ川を渡り1kmほど行くと今度は名を知る湊川。この川の上流に十二町潟水郷公園がある。3年前に訪ねている。また、写真に見えている橋のもう一つ先にある「中の橋」のたもとにも万葉歌碑があったことも覚えている。しかし、その歌碑は既に過去のブログで取り上げているので、今回はパス。 奥に見えている丘が朝日山公園。英坊3氏が何度かブログでご紹介されている上日寺があるのだが、立ち寄るかどうか決め兼ねている。 <参考>十二町潟水郷公園の記事はコチラ 中の橋の万葉歌碑の記事はコチラ(湊川) 川を渡った処に「魚取」という珍しい名前のというか、如何にも氷見らしい名前の小さな神社があったので、撮影。(魚取神社) やがて、目の前に白い巨大な橋柱が見えて来るのだが、比美乃江大橋である。その橋の手前にあるのが、ひみ漁業交流館・魚々(とと)座。これは通り過ぎただけ。(ひみ漁業交流館・魚々座) 比美乃江大橋を渡る。右手の芝生広場にある構築物は比美乃江展望台。そこに上って湾内に浮かぶ唐島の写真を撮ろうという次第。 展望台には一組の若いカップルが先客でした。「こんにちわ」と声を掛けると「コンニチワ」と返って来た。それで、てっきり日本人だと思い込んでいたら、二人の会話は中国語。中国からの観光客のよう。(比美乃江大橋)(唐島)(同上・説明板) この唐島は内陸にある光禅寺が全島を所有しているとのこと。光禅寺と言えば、漫画家・藤子不二雄Aこと、安孫子素雄氏の生家。帰途に少し覗いて行くこととしましょうかね。<参考>唐島 その前に、道の向かいの道の駅・ひみ番屋街を少し覗いて行きましょう。(道の駅・ひみ番屋街) もう少し先まで走っても良さそうだが、一応の当初予定は此処までであったので、高岡に向けて引き返すこととする。 内陸側の道を走り、例の五重塔(興味あるお方はコチラをご覧下さい。)を再度拝見して、県道373号から国道415号を走る。 <参考>今回は五重塔の写真は撮って居ませんが向かいの観音像を撮影 (台座の「魚招」の文字は中曽根康弘筆とある。)(光禅寺) 光禅寺に立ち寄って行く。と言っても門前から覗いてみただけである。ご覧のように忍者ハットリくんなどの漫画キャラクターの石像が本堂前に並んでいる。(同上・本堂) 氷見駅にも一応ご挨拶してから、海岸べりのサイクリングコースに戻る。結局、朝日山公園はパスしてしまいました。(氷見駅) 往路でアオサギとトンビの居た橋に出て、来た道を引き返すこととする。道路に並んでいるオブジェはブリを意匠化したものでしょう。氷見市側のサイクリングロードにはずっとこれが並んでいていい目印となりました。(氷見の海岸) 遠く、岩崎鼻が見えている。あの岬を越えれば伏木である。 帰りなんいざ。 字数には未だ余裕があるようですが、完結まで行くには記事分量が多過ぎるよう。ということで、本日はここまでとします。アト1回で完結となりますので、どうぞ飽きずに最後までお付き合い賜れば幸甚に存じます。(つづく)
2015.08.30
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<承前> 前ページの記事がもみじ姫公園から国道415号に出た処で終わりましたので、其処からの出発となります。国道が上り坂から下りになった処に小さな緑地。つまま公園とある。そこにも万葉歌碑がありました。タブノキが植えられた処に古びて殆ど判読不能の歌碑。副碑がそれを補っている。「つまま(都麻麻・都万麻)」と来れば此の歌しかありませんな。磯の上の つままを見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159)(万葉歌碑<つまま公園>) 「つまま」はタブノキというのが定説。他にイヌツゲ、シロダモ、ホソバタブ、イヌガシ、ハマヒサカキなどの異説もある。(同上・副碑) つまま公園から国道の下をくぐって海岸に出られる小径がついている。女岩の向かいの海岸に出ることが出来る。地元の若者だろうか三人の男が遊泳に興じていた。(女岩) 国道を更に下ると観光駐車場。そこにも万葉歌碑があるのだが、同じ「つまま」の歌でもあり、以前(2012.6.28.記事)にも紹介しているのでパス。義経岩へ。(義経岩の前の踏切) 義経岩へは従来は踏切がなく、列車の来ないのを確認して、自己責任で線路を渡っていたのだが、観光客が増えたこともあってか、新しい踏切ができたようです。このことは、英坊3氏のブログ記事で既に知っていましたから、今回は実地確認ということですかな。 <参考>義経岩もパスしましたが下記の過去記事にてご覧戴けます。 高岡銀輪散歩(その7)2012.6.29.(雨晴海岸駅) 雨晴海岸駅の先の小さな踏切を渡ると海岸べりの自転車道へと入る。(雨晴海岸・自転車道)(サイクリングマップ 氷見駅前の看板)(雨晴海岸) 大伴家持が若くして亡くなった弟・書持(ふみもち)に見せてやりたかった海を見やりつつの銀輪行でもあります。いざ、氷見へ。(同上) (オオマツヨイグサ) マツヨイグサは富士山だけでなく、青い海原ともよく似合う。 (雨晴園地) (名前不詳)(追記2015.9.8.)上の名前不詳の花はウンラン<海蘭>でした。 (ハマニガナ) (ハマゴウ) 浜辺には懐かしき花たちの姿も。ハマニガナは鳥取砂丘以来か。ハマゴウは象潟銀輪散歩で象潟から岬公園へ行く途中の浜辺に群れ咲いていたのが思い出された。花たちもこうした過去の記憶と重なることによって、その表情がより豊かになり、自身の花への思いも深まるということであるのだろう。 島尾海水浴場付近で道は海岸べりから離れて一般道と合流する。マンホールの図柄から氷見市に入ったことが分る。鰤であるところが氷見らしい。(氷見市のマンホール) 松林が続き、道の辺のハマナスが赤い実を付けている。松林の向こうは青い海。それらの景色を楽しみつつ銀輪を走らせていると氷見市海浜植物園の建物が見えて来た。4階にレストランがあったので、ここで昼食とする。(氷見市海浜植物園)(二上山) 植物園4階のレストランから二上山が一望。勿論、海も一望であったが、ヤカモチさんだけに玉くしげ二上山の方に目が行く。(ハマナス) 植物園の前の道沿いにはハマナスがずっと植わっていて、沢山の赤い実が目を楽しませてくれる。 昼食を済ませて道に戻ると植物園の先に、犬養先生揮毫の松田江の長浜の碑がありました。思わぬ処で犬養先生と出会うことが出来てラッキー。(松田江の長浜の碑)(同上・副碑) となれば、この場所で長浜の景色を写真に収めなくてはなるまいと、松林に入り砂浜に出てみる。(松田江の長浜・南方向)(同上・北方向) 氷見漁港も真近くなりましが、制限字数です。(つづく)
2015.08.29
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<承前> 27日の銀輪散歩の続きです。万葉歴史館口交差点の万葉歌碑で前ページ記事が終わりましたので、其処から始めます。 万葉歴史館口から200mほど行くと気多(けた)神社口。(気多神社口) 此処にも万葉歌碑があった。秋の田の 穂向見がてり わが背子が ふさ手折りける 女郎花かも (大伴家持 万葉集巻17-3943) これは、天平18年(746年)8月7日に越中守の館で開かれた宴会で家持が詠んだもの。万葉集から知ることの出来る出席者は、主人役の家持のほか、大伴池主、秦八千島、僧玄勝、土師道良である。主賓の池主がオミナエシを持参したのに対して、主人の家持が「これはあなたがお持ち下さったオミナエシですね。」と詠んだもの。これに対して池主は「女郎花咲きたる野辺を行きめぐり君を思ひ出たもとほり来ぬ」と答えている。 因みに、この宴席で僧玄勝が口誦した古歌が大原高安の歌と伝承される「妹が家に伊久里の森の藤の花今来む春も常かくし見む」である。小生はこの伊久里の森のことをかつてブログ記事にしたことがあり、その記事が契機となって、ブロ友の英坊3氏を通じて、新潟のふぁみり~キャンパー氏のブログを訪問することとなったというようなこともありました。この歌碑からこのようなことも懐かしく思い出されたのでありました(笑)。(万葉歌碑<気多神社口交差点脇>) 気多神社に立ち寄って行くこととする。気多神社訪問は、調べると1995年6月25日以来で、実に20年ぶりということになる。 気多神社への途中に越中国分寺跡がある。現在ある薬師堂は金堂跡に建てられているとのこと。(越中国分寺跡)(同上説明板) 国分寺跡から400mほど北西に行くと気多神社である。(気多神社) 気多神社のこの社名石碑は平成元年建立とあるから、以前来た時にはこれは無かったことになる。しかし、そのような細かいことは勿論記憶の外である。 <参考>気多神社(同上・拝殿)(同上・本殿) (空海の真筆という「一宮」) (神馬像) 気多神社本殿のお隣に大伴神社がある。 家持生誕1200年に当たる1985年(昭和60年)に地元有志の大伴家持卿顕彰会によって建立された神社である。以前訪ねた時は建立されて10年、朱色も鮮やかな真新しい社殿であったという記憶があるが、それから20年、「年深からし神さびにけり」で、すっかり周囲の雰囲気に馴染んでいる。 この神社の祭神は大伴家持。しかし、デラシネの家持。彼には遺骨も遺品もない。それで、生誕地の奈良、越中国庁跡、越中国守館跡、彼が亡くなった地と見られる多賀城、遺骨が流された隠岐の5か所の土地の土を壺に入れたものをご神体としているそうな。(大伴神社)<参考>大伴神社(高岡市)・Wikipedia (大伴神社由緒碑) (大伴家持卿顕彰碑の脇石) 気多神社境内、大伴神社の前、一段低い場所に大伴家持卿顕彰碑が建っている。これも大伴家持卿顕彰会により建立されたもののよう。(大伴家持卿顕彰碑) 顕彰碑の奥には立派な万葉歌碑がありましたが、これもやはり家持さんの歌でした。(万葉歌碑<気多神社境内>)馬並めて いざ打ち行かな 渋谿の 清き磯廻に 寄する波見に (大伴家持 万葉集巻17-3954) この歌も上述の宴会で詠まれた歌である。宴会の終わり頃に「明日は皆で海岸に出て打ち寄せる波を見ようではないか」と詠ったもの。この歌の通りに翌8月8日に海に出掛けたかどうかは万葉集からは分からない。 この後9月25日に家持は弟・書持の死を哀傷む歌を作っている。弟が亡くなったという知らせが都から届いたのであろう。その哀傷歌に付された短歌2首の内の1首がこれ。かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も 見せましものを (同巻17-3959) 或は、宴会での歌の通りに、皆と渋谿の磯に馬を並めて波を見て居り、前月のその楽しかった思い出と重ねて、弟の死が一層悲しく悔しいものに思えたのかも知れない。その渋谿の海がこれである。(岩崎鼻付近からの眺め) 気多神社から国道に戻り、雨晴トンネルの手前で迂回の坂道を上り、トンネルの上を行くことに。清き海見に、である。(同上 伏木港方向) この方向に立山連峰が見える筈だが、湧き立つ雲に隠されている。残念。能登半島氷見から七尾方向はくっきりと島影が見える。眼下の氷見線もいいアクセント。(同上 能登半島七尾市方向) 道から少し入った処に小さな公園。もみじ姫公園と記されていたように記憶する。そこから階段を下りると国道415号である。雨晴トンネルの出口に当たる。 再び国道を走る。(もみじ姫公園から国道415号へ)本日はここまでとします。(つづく)
2015.08.28
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本日(27日)朝、高岡駅前のホテルを出発。万葉線の走る通りに沿って北へ。片原町交差点で右折、右に古城公園の叢林、志貴野中学校などを見つつ東へ。(万葉線の電車 志貴野中学校前電停)(ワルナスビの実)<追記>これはワルナスビではなくイヌホウズキのようです。ビッグジョン氏の 2015年10月26日のブログ記事から、その間違いに気が付きましたので、 訂正します。ワルナスビには棘がありますが、これにはそういうものは ないようです。(2015年10月26日) 国道8号と立体交差する江尻交差点脇にワルナスビが実を付けていました。これは有毒であるから、齧ってはいけない。 米島口駅を過ぎて右へカーブする万葉線とお別れし直進。米島交差点で右から来る国道415号が直角に右折する形になっているので、この先からは国道415号を走ることになる。米島交差点から500m程行くと城光寺橋。小矢部川を渡る。(小矢部川<城光寺橋の上から>) 小矢部川は万葉に詠われる射水川である。「射水川 い行き廻れる 玉くしげ 二上山は・・」の「二上山の賦」(大伴家持 万葉集巻17-3985)にある通り、二上山に沿って蛇行しつつ流れ伏木で富山湾に注ぐ。その河口近くに架かっている橋が城光寺橋である。高岡から伏木へと銀輪散歩する場合はこの橋や一つ上流の米島大橋などを何度となく渡っているので、ヤカモチにはお馴染みの橋である。 城光寺橋から直進すると氷見線伏木駅に至るが、国道は矢田交差点で左に入って行く。矢田交差点から500m位先、古府小学校という看板がある脇道を左に行くと古府小学校である。この小学校の正門を入った処に、万葉歌碑がある。 上の「二上山の賦」に付された短歌2首の内の1首である。玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり (大伴家持 万葉集巻17-3987) もう一方の短歌はこれ。渋谿の 崎の荒磯に 寄する波 いやしくしくに いにしへ思ほゆ (同巻17-3986) これらの歌の左注には「右は、三月三十日、興に依りて作れり。大伴宿祢家持」とある。天平19年(747年)3月30日、時に家持30歳、越中に赴任しての初めての春に作った歌である。厳しい冬を初めて体験し、待ちわびた春がやっとやって来た喜びが「興に依りて」であろうか。 渋谿の崎はこの先、雨晴トンネルを越えた辺りに「渋谷」という地名が今も残っているが、岩崎鼻の辺りから雨晴海岸にかけての何処かであるのだろう。(万葉歌碑<古府小学校正門脇>) 伏木古府交差点にあった万葉歌碑はこれ。しなざかる 越に五年 住み住みて 立ち別れゆく 惜しき夕かも (大伴家持 万葉集巻19-4250) これは大伴家持が国守の任を終えて都へと帰る際の送別の宴で詠んだ歌である。 山上憶良の「天ざかる鄙に五年(いつとせ)住(すま)ひつつ都の風俗(てぶり)忘らえにけり(巻5-880)」を意識した歌でもあるか。(万葉歌碑<古府交差点>) 交差点から100mほどで伏木中学校である。この前にも万葉歌碑。椙(すぎ)の野に さ躍る雉(きぎし) いちしろく ねにしも哭(な)かむ 隠妻(こもりづま)かも (大伴家持 万葉集巻19-4148)(万葉歌碑<伏木中学校前>) (同上側面) この辺りは越中国庁の後背地、椙野というのはこの地一帯のこととされるというのが、此処にこの歌碑がある由縁という次第。 越中国庁跡は現在は勝興寺。勝興寺は今回立ち寄らずに行く予定であったが、直ぐ傍を通って立ち寄らぬのも失礼と少しだけ覗いて行くこととする。(勝興寺本堂) (同上) (越中国庁跡碑 裏面<右>が万葉歌碑) この碑も以前(コチラ)に紹介済みであるが、歌だけは再掲して置きましょう。安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等理天 可射之都良久波 知等世保久等曽あしひきの 山の木末(こぬれ)の ほよ取りて かざしつらくは 千年(ちとせ)寿(ほ)ぐとぞ (大伴家持 万葉集巻18-4136) 次にあったのは、万葉歴史館口交差点の万葉歌碑。 こちらは、「立山(たちやま)の賦」に付された短歌2首の内の1首。(万葉歌碑<万葉歴史館口交差点脇>)立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし (大伴家持 万葉集巻17-4001) 立山の賦及び短歌2首は、左注によると4月27日に作られているから、先の二上山の賦及び短歌2首より1ヶ月後に作られたことになる。夏にあっても消えることのない雪を戴いた神聖なる山、立山への「見れども飽かず」という賛美の歌である。越中の人々が神そのものとして崇めて来た立山。それが「神からならし」という表現となる。<追記訂正>上掲写真の歌碑は大伴家持の歌ではなく、その歌に和して大伴池主が詠んだ下記の歌であることが、2019年10月5日の当地銀輪散歩によって気がつきましたので、遅ればせながら訂正させていただきます。立山たちやまに 降り置ける雪の 常夏とこなつに 消けずてわたるは 神かむながらとそ (大伴池主 同巻17-4004)(立山に降り積もった雪が夏中ずっと消えないのは、神のご意志だというぞ。) さて、その立山連峰の雄壮な姿を、この後雨晴海岸付近から眺めることが出来るのかどうか。しかし、制限字数のようです。続きは明日とします。(つづく)
2015.08.27
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26~28日と高岡に出掛けて来ましたので、26日に遡ってブログ記事とします。高岡のブロ友の英坊3氏が北陸新幹線開通後の高岡のあれこれをご紹介下さっていましたが、ヤカモチとしては高岡も氷見も2012年以来の久々の訪問で、新幹線開通後は初めての訪問となる。<参考>高岡銀輪散歩(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7) 氷見銀輪散歩(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7) 高岡も氷見も主な処は銀輪散歩済みなのであるが、伏木から雨晴海岸経由の氷見までの海べりの自転車道は未走破なので、今回はこれを走るのが目的。ついでに1995年6月以来の気多神社・大伴神社にも立ち寄ってみようというもの。 自転車道を走るのは27日にて初日の26日は夕刻前に古城公園などを散策しただけであります。(北陸新幹線・新高岡駅) 京都からサンダーバードで金沢まで、金沢で新幹線に乗り換えて新高岡へ。新高岡から城端線に乗り換えて高岡へ、と従来より不便になった気がする。(高岡駅) 新装なった高岡駅も初めてです。駅改装工事中は何処へやらお隠れであった大伴家持さんも駅前に復帰されていました。場所は以前の駅前正面から少し隅っこに追いやられている感じもしないではないですが、先ずはめでたしであります。 以前のそれと何やらイメージが違っているのは、塗装が新しくなったからでしょう。家持卿は少し太られたようにも見えます。<参考>以前の像の写真はコチラに掲載しています。 高岡銀輪万葉・たまくしげ二上山 2010.6.13.(高岡駅前の大伴家持像) 像の台座にはこの歌が刻まれている。もののふの 八十をとめらが くみまがふ 寺井の上の かたかごの花 (大伴家持 万葉集巻19-4143)(高岡大仏) 日本三大仏と地元では言われているようですが、日本一のイケメン大仏であるとも。 (射水神社の新しい鳥居 ※説明板はクリックして大きいサイズでご覧下さい。) 古城公園内にある射水神社の拝殿前に新しい鳥居が出来ていました。先の伊勢神宮式年遷宮で、外宮の板垣北御門の鳥居がこの神社に下賜されたようです。 (前田利長公像と与謝野鉄幹・晶子の歌碑) 上の前田利長公像も歌碑も以前のブログ記事にその写真を掲載済みでありますので、今回は小さく掲載して置きます。 歌碑の歌は以下の通りです。高岡の街の金工たのしめり 詩のごとくにも鑿の音を立つ (与謝野鉄幹)館などさもあらばあれ海こえて 羅津に対す本丸の松 (与謝野晶子) (古城公園の濠)(同上) (同上) 古城公園のベンチにくつろぐ猫ちゃん。(古城公園の猫) 本日はここまでとします。 明日(27日の記事)から銀輪散歩です。(つづく) (ラベンダーとアサガオ)
2015.08.26
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昨日の日記で岬麻呂氏からの旅便りが届いたことを申し上げましたが、実はこれに先立って土曜日だったか日曜日だったかにメール添付で旅の写真が4点送信されて来ていたのでした。 ということで、本日は岬麻呂氏の旅便りのご紹介です。早いもので同氏の旅便り「旅・岬めぐり報告」も今回が174号となる。その全てを当ブログで取り上げた訳ではないのですが、今回は珍しく長崎からのものでありました。 今回は、佐世保ご在住のご友人(「温泉とビール一杯の会」のお仲間だとご紹介されていました。)の病気見舞いも兼ねての8月19日~21日のご旅行とのことでありました。(九十九島・展海峰展望台から)(九十九島・遊覧船上から)(島原城)(諫早湾干拓道路・有明海<左>・干拓地淡水湖<右>・雲仙岳<奥>) こういう写真を見ていると九州も走ってみたくなって来ます。北九州、福岡、大分、別府、熊本、阿蘇、宮崎、鹿児島、佐賀、長崎など、結構、九州も旅はしているが、銀輪万葉には九州は殆ど登場していませんから、全て2007年以前ということになりますかね。銀輪万葉としてはこれからということになりますが、はたして、いつまで走れるものやら、ではあります。
2015.08.25
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本日は大学時代の同級生の楽老君と道〇君と京都で会食でした。 楽老君は横浜方面在住。兄上の病気見舞いで来阪するついでにと小生らにメールし、京都で会わないかと言って来たもの。もう一人守〇君にもメールで声掛けしたようだが、彼はお嬢さんがカナダに在住で、カナダ旅行とかち合うとのことで欠席。道〇君と小生がその召集に応じたという次第。 似たようなことが以前にもあったと調べてみると、一昨年の10月にも同じくこの3人で会っているのでした。此の時は、小生は自転車(トレンクル)持参で、彼らと別れた後、万葉の故地、石田の杜などを銀輪散歩しているのでありましたが、今回はそういうことはなしでありました。 楽老君とはその一昨年10月以来の再会。道〇君は今年5月の同期会(夕々の会)以来ということとなる。 <参考>友人とランチのち銀輪散歩・石田の杜 2013.10.4. 楽老君のブログはコチラからどうぞ。 そんなことで、何と言って記事になるような写真もありませんので、行き帰りの電車の中からの写真でお茶を濁して置きます。最近この手の「お茶を濁す」ことの多いヤカモチであります(笑)。 自宅から京都へは、近鉄電車で西大寺に出て、そこで近鉄京都線に乗り換えて京都まで、というのがお決まりのコース。近鉄特急で西大寺から京都までは30分である。 途中三つの川を渡ります。南から木津川、宇治川、鴨川という順で川を渡ると京都ということになる。その川を車窓から撮った写真を並べてみます。(木津川・上流側)(宇治川・上流側)(鴨川・上流側) この三川ともに銀輪散歩では何度も走っている川であるので、当ブログでもこれら川の写真は何らかの形で登場していると思うが、近鉄電車の中からの写真というのは初めてだと思います。 電車で通過するのは一瞬のこと、構図も何もあったものではない。写ればそれでよしというものである。 京都駅で楽老君、道〇君の到着を待つ間に撮った京都駅の写真も添えて置きましょう。(JR京都駅・中央改札口<烏丸口>) 向かいにはお馴染みの京都タワー。(京都タワー) 4時45分か50分頃に解散。 5時発の奈良行き特急(下掲写真)に間に合ったので、これで帰ることに。往路の指定席と反対側の指定席であったので、上掲の三川の下流側を眺めることとなるということで、その写真も撮ることとしました。(近鉄特急・奈良行き)(鴨川・下流側)(宇治川・下流側)(木津川・下流側) この三つの川は何れも最終的には淀川へと流れ込むこととなるので、淀川水系の川ということになる。 鴨川は嵐山・嵯峨野から流れて来る桂川に流れ込み、桂川と宇治川と木津川の三川は石清水八幡宮のある男山の北側で合流し、淀川と名を変えるのである。 従って、自宅から宇治や京都や嵐山や加茂などへは、距離さえ厭わなければ、山越えをしなくても、川沿いに自転車で往来できるのではある。それぞれに川沿いに自転車で走るに快適な道が整備されている。 帰宅すると、友人の岬麻呂氏から「旅・岬めぐり報告174」の旅便りが届いて居りました。当ブログは一日に複数の記事を書かないというのを原則にして居りますので、これは追って日を改めてご紹介することとします。若き日の どちとしあれば 酒飲まぬ われにありても ここだ楽しき (下戸家持)
2015.08.24
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本日は大学の同窓会・青雲会の囲碁大会でありました。第12回大会ですが、小生は2010年の第7回大会が初エントリーで、以後毎年欠かさず参加していますので、これで6年連続参加ということになります。(会場の「マイドームおおさか」) 会場は昨年同様、「マイドームおおさか」の8階サロン会議室。午後1時開会。今年の参加者は16名(玉〇氏、山〇氏、中〇氏、三〇氏、安〇氏、田〇氏、金〇氏、五〇氏、岩〇氏、新〇氏、岡〇氏、若〇氏、下〇氏、神〇氏、廣〇氏と小生)でありました。 トーナメント形式の対戦にて、抽選の結果、小生の初戦の対戦相手は玉〇氏と決定。同氏はアマ7段の実力者で、負けを覚悟しての対局でありましたが、ハンディと同氏の終盤でのミスに助けられた形て逆転勝ち。次の相手は中〇氏。これに勝てばベスト4、準決勝進出でありましたが、序盤での打ちミスで終始相手ペースとなり、大差で完敗。5-6位決定戦に回ることとなる。 5-6位決定戦の初戦は田〇氏が相手。中押し勝ち。続く岡〇氏にも中押し勝ちで5位を獲得しました。昨年度は4位でしたから一つ順位を下げたことになりますが、まあ入賞圏内には踏みとどまりました。 (5位賞品) (盤面A) 盤面写真はそれぞれ何方と何方の勝負のそれなのか、メモを取っていなかったので今となっては曖昧で、間違ってもいけないので、敢えて記さず、といたします。 何れも真剣勝負・熱戦であります(笑)。 (盤面B) (盤面C) 優勝戦は中〇氏と五〇氏との対決となりましたが、20目余の大差で中〇氏の完勝。同氏の初優勝となりました。玉〇氏と五〇氏は所用にて懇親会には出ずお帰りになられましたが、他の14名は一階のレストランに移り、表彰式兼懇親会。賑やかに和気藹藹の時間を過ごしました。 (優勝者・中〇氏<右側>) (懇親会風景) 今回、持ち回り方式の優勝トロフィー授与の写真が無いのは、前年度優勝者の新〇氏が会場に持参するのをうっかり忘れられたためであります。<参考>2014年第11回青雲会囲碁大会 2014.8.2.
2015.08.22
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第164回智麻呂絵画展 昨日、智麻呂邸を訪問、新作画9点を仕入れて参りました。先に撮影の2点と合わせ全11点となりましたので、本日は智麻呂絵画展と致します。 今回で掲載の智麻呂絵画総数は1497点(絵画でないものや、下書きスケッチなどの未完成段階で掲載したものなどはカウントから除外)となり、1500点到達も目前となりました。次回は言うなれば1500点達成記念展となり益々楽しみなことですが、それはそれとして第164回展、始まり、始まりであります。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ 先ずは先撮りの2点から。 この百合は、前回展に登場していた百合と同じものですが、花はその後に咲いたものです。花屋さんで買い求めた時に既に咲いていた花が前回展のそれで、その時に未だ蕾だったものが後日咲いたのが今回の絵です。 そのことを証明しているのが雄蕊です。前回展のそれは雄蕊の先がカットされていました。花屋さんは花粉を警戒して雄蕊のその部分を切除して売るのが普通。智麻呂邸に持ち帰ってから咲いた花には雄蕊にちゃんと花粉のある尖端部分があります。(百合) この鬼灯も前回展に登場しているのと同じもので、ご友人の坂〇さんからの戴き物です。再度絵にされました。(鬼灯) 下記3点は花の智麻呂が描く虫たちであります。 智麻呂さんも時々「虫麻呂」になられるのでありますな。(カマキリ) ヒトリッキリのカマキリです。(ショウリョウバッタ)キチキチと飛び立つ飛蝗秋の風 (筆蕪蕉)(クマゼミ)クマゼミの声のはた止む盆の朝 (筆蕪蕉)(リンドウ) このリンドウは智麻呂さん行きつけの理髪店のお隣の花屋さんで買い求められた花。お盆直前とあって、仏花が中心で目ぼしい花がなく、リンドウに落ち着いた、とは奥様の恒郎女さんの弁。 雀瓜であったか瓢箪であったか、そのようなものもその花屋さんでは売っていたようで、智麻呂さんはそれを買いたかったそうですが、食べられない瓜や瓢箪は駄目と恒郎女さんに却下された、とは智麻呂さんの弁。(ケトル) 可愛らしいケトル。こういう図柄となると、薬缶とか茶瓶とか言うよりもケトルと言う方が似つかわしいか。智麻呂邸にて日常使われているものです。 こういう身の回り品が絵の題材に登場し出すと、普通は智麻呂画伯が絵の題材不足に陥って居られるということが多いのですが、これはそういうことではなく、その可愛らしい図柄が絵心を刺激したということであるのでしょう。 さて、最後の4点はヤカモチ絡みの作品です。 前3点は当ブログ記事に掲載の写真から絵にされました。(ハマナス) 上のハマナスは北海道・神威岬で撮った2枚の写真を合体させた絵です。元の写真では蕾と開花した花一輪はそれぞれ単独で別々の写真に写っています。 <参考>神威岬で見た花たち 2015.7.21.(ナデシコ) これも同じく北海道・小樽の高島岬に咲いていたナデシコです。(エゾフウロ) 上も神威岬に咲いていた花。エゾフウロという名が正しいのかどうかは判然とせぬまま、ヤカモチがその写真をブログに掲載するに当たりこの名を付したに過ぎない。 ハマフウロとかアメリカフウロとかハクサンフウロ、イブキフウロ、エゾフウロなどフウロ草には色々な種類があるようだが、神威岬に咲いているのだから、という理由だけで、エゾフウロとしたもので、その真正なるを保証するものではありません。(稲田桃) 最後は稲田桃。これは、第二寝屋川沿いにある稲田桃の並木になっていた実を3個ばかり失敬して、智麻呂さんの画材にと、ヤカモチが提供したものであります。実の大きさはピンポン玉乃至は梅の実程度の小さなものです。 決して「デザート」という意味で最後に掲載した訳ではありません。ご来場の皆さまに於かれましても、万一食される場合は「自己責任」でお願い申し上げます。 以上です。今日もご覧戴き、有難うございました。
2015.08.21
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本日はSS会の夏の例会。SS会という名は小生が便宜的に付けている名称にて、実際の名は別にあるのだが、小生が勤務していた会社と資本系列を共にする各会社の法務・総務部門に在籍したことがある者の有志の会である。夏と新年との年2回のペースで集まって飲み食いを共にしているという会である。総員15名のうち本日は11名(福〇氏、福◎氏、山〇氏、古〇氏、早〇氏、石〇氏、川〇氏、矢〇氏、辻〇氏、沼〇氏と小生)が出席でした。 去年もそうであったが、今年も新年開催の例会を欠席したので、1年振りの皆さんとの再会である。 会場は、世話役の福〇氏が手配下さった、大阪マルビル8階の「たなごころ」というお店。午後6時開会。皆さん定刻前に集合、乾杯、いつもながらのワイワイガヤガヤの他愛も無い談笑で、8時過ぎまで楽しい時間を過ごさせて戴きました。 夜の会なので、さすがの銀輪家持もMTB(マウンテンバイク)ではなく、電車での「ご出勤」でありました。今日は8.19.で「バイクの日」らしいのだが、このバイクというのは自転車ではなくモーターバイクらしいから、銀輪家持とは無関係なのである。 尤も、単なる語呂合わせであるから、「俳句の日」でも、歩く方の「ハイクの日」であってもいいのであり、自転車の方の「バイクの日」であってもいいのではある。(大阪駅) ということで、写真は何とてもないので、大阪駅の写真と、会場の店がある大阪マルビルの写真とその店の入口の写真でお茶を濁して置きます。 「お茶を濁す」という言葉は「茶道の作法などをよく弁えぬ者が、適当にお茶を濁らせて、それらしき抹茶に見えるようにして取り繕う」という処から来ているとのことだが、小生のブログではこのようなやり方もまた正統な作法の一つなのでありますから、決して取り繕っている訳ではないのではあります(笑)。(大阪マルビル)(新和食・たなごころ)<参考>鵲の森・SS会2014夏 2014.8.18.
2015.08.19
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偐万葉・ビッグジョン篇(その28) この処は、銀輪散歩も低調にて、新しい写真がありません。ということで、本日は、偐万葉シリーズ第240弾、ビッグジョン篇(その28)をお届けすることとします。 <参考>過去のビッグジョン篇はコチラから ビッグジョン氏ブログはコチラから 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌15首ほかあれやこれ 咲きぬる花の 数を多み 歌を忘れた ヤカモチなれり (カナリヤ家持) 歩麻呂が追和せる歌1首あれやこれや 咲きぬる花の 名を調べ すぐに忘れる 歩人にあれり (痴呆人) (ニリンソウ) 歩麻呂の戯れ詩に追和して偐家持が作れる戯れ詩 「上戸」(酒原酒也) 「湖上」(中原中也) ポッカリ月が出ましたら、 ポッカリ月が出ましたら、 酒を燗して飲みませう。 舟を浮かべて出掛けませう。 酔ひはヒタヒタ来るでせう。 波はヒタヒタ打つでせう。 つまみも少しは食ふでせう。 風も少しはあるでせう。 飲み過ぎたらばいかんでせう。 沖に出たらば暗いでせう。 呂律まはらぬ繰り言は 櫂から滴垂(したゝ)る水の音は うたてきものに聞こえませう。 昵懇(ちか)しいものに聞こえませう。 ーー追加の酒はほどほどに。 ーーあなたの言葉の杜切れ間を。 (注)赤字部分は歩麻呂の作。二匹行けど イタチなりけり 今日来しは イタチに似ずも ニタチなるらむ (川嘘) (謎の動物、ニタチ?)長過ぎる カメリア・エリナ カスケード 姿はよしも 歌にはならじ (シタカム・ナニヤ・アルケード)ルナリアは 花もよけれど 種見ねば 話のネタにも ならざルナリア (夜更かし種明かし) (カメリアエリナカスケード) (ルナリア<合田草>)みな底に 青き空あり 浮かむ葉の 赤きをよしと などてわれ見し (青池赤人) (赤い落ち葉)石根(いはね)踏み 志賀の山寺 わが来れば 楓や寺の あるじなるらむ (平歩度)(本歌)行(ゆ)きくれて 木の下かげを やどとせば 花やこよひの あるじならまし (平忠度) (崇福寺跡)小笠原 た遠き海路(うみぢ) 思ほえば ふみもまだ見ぬ 父母(ちちはは)の島 (小笠原家持)囲碁勝負 流れてのちの 花菖蒲 勝ち負けなくも 見るかちあらむ (偐紫田舎家持)ラスカルは 餌を求むと 里に出で 隣の庭の 罠にはまりぬ (枚方皇子)(本歌)むささびは 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の猟夫(さつを)に あひにけるかも (志貴皇子 万葉集巻3-267)アライグマに 罪はなけれど ひとさまの 都合によりて いのちこれまで (アライグマ)千日を みたび重ねて 懲りもせず 銀輪駆けて ブログを書くかにはとこの 赤き実もあり 青き海 神のまします 岬への道眠りたる いのちの水の たるはこれ たるもたらぬも たるとこそ知れ (中樽鎌足)夏の庭に をちこち咲ける 鬼百合の 知らず増えたり 苦しうもなし(本歌)夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ (坂上郎女 万葉集巻8-1500) (鬼百合) 歩麻呂のブログに掲載されたる小林一茶の句に偐家持が付けたる脇句1句 みそ萩や 水につければ 風の吹く (一茶) 千の風さへ 家路か盆は (煎茶) (ミソハギ)(注)ミソハギ(禊萩)は、別名を「盆花」と言い、信州地方では、お盆には この花を水につけ玄関先でお祓いをして祖霊を迎えるとのこと。み薦(こも)刈る 信濃の土産 酒三本 ありてうれしや 飲めと言はむかも(大伴呑人)(本歌)み薦刈る 信濃の真弓 わが引かば 貴人(うまびと)さびて いなと言はむかも (久米禅師 万葉集巻2-96) み薦刈る 信濃の真弓 引かずして 強ひさるわざを 知ると言はなくに (石川郎女 同巻2-97) 歩麻呂が追和して詠める歌1首信濃なる 千曲のドライブ 我待てば 妹(娘)が買ひたる 清酒三本 (呑父)(本歌)信濃なる 千曲の川の 細石(さざれし)も 君しふみてば 玉と拾はむ (万葉集巻14-3400) (注)歩麻呂が追和せる歌は本記事掲載後にそれと知りたるにつき、追記せしも のにてあれり。 (信濃の土産)<脚注>掲載の写真は全てビッグジョン氏のブログからの転載です。
2015.08.18
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今朝は左膝の疼きで目が覚めました。 左膝は大昔に山登りで痛めて以来の古傷。時々、このように痛むのであるが、いつの間にか気にならなくなっているという程度のもので、今はさ程気にならなくなっている。とは言え、膝に不安があるので本格的な山登りは自重、専ら自転車で山麓を走り回るのみというのが最近のヤカモチという次第。 その銀輪散歩もこの処の猛暑続きで、遠出はせず近隣をちょろっと走る程度でお茶を濁している所為で、「銀輪万葉」もネタ不足であります。「偐万葉シリーズ」の記事や「ブログの歩み」の記事はこういう時のために設けたものであるのですが、本日は、その「ブログの歩み」カテゴリの記事であります。 本日午後、先程、累計アクセス件数が45万件を超えました。 9日に444444件になったことを記事にしたばかりなので、1週間で「またか」という記事になりますが、5万件ごとに記事にしている関係で、「またも」であります。まことに申し訳なき仕儀にて御座候(笑)。これは、4並びと45万とは5556の差しかないという特別の事情によるものでありますが、そろそろ「5万件ごと」というのは止めて、「10万件ごと」に記載基準を引き上げた方がいいかも知れません。 2007年 4月29日 ブログ開始 2009年10月13日 50000件 2011年 1月11日 100000件 2011年 3月18日 111111件 2011年12月16日 150000件 2012年12月31日 200000件 2013年 8月 2日 222222件 2014年 3月27日 250000件 2014年11月 7日 300000件 2015年 2月22日 333333件 2015年 3月25日 350000件 2015年 6月 2日 400000件 2015年 8月 9日 444444件 2015年 8月 16日 450000件 このカテゴリの記事には関連写真というものがないので、適当な手元の写真をアップするのが慣わし。今回はこれです。これは、6月28日の銀輪散歩で撮影したものです。(第二寝屋川と放出操車場の橋梁) 第二寝屋川は池島町で恩智川から分流して東大阪市と八尾市の市境をなしつつ西流し、南から流れて来る楠根川を取り込み、これと合流して北流に転じ、中央環状道路を越えて北西方向に流れ、中央大通りを越え、この付近で再び西に向きを変えて、大阪城の先で大川(旧淀川)に流れ込むという川である。 この付近は東大阪市と大阪市との境目になる。写真の橋の先をJR学研都市線(片町線)が走り、左側奥をJRおおさか東線が走り、放出駅の手前で合流している。この合流点辺りから先は大阪市域になる。なお、他地域の方のために付言すれば、「放出」は「はなてん」と読みます。難読地名の一つです。 前にご紹介した稲田桃の木が植えられているのが、この川の左岸である。この日(6月28日)の銀輪散歩も実は稲田桃や如何にということでやって来たのでしたが、未だ殆ど色づいていなくて、青いままでありました。そういうことで、写真に撮るのは諦めて、川沿いに下流へと走っていたら、この橋梁に出くわしたという次第。 <参考>歌留多の桃でいかにも稲田桃だな芋煮会でも物足るか 2015.6.17. 囲碁例会・稲田桃など 2015.8.5. この橋梁の手前の橋(新金五郎橋)から撮ったのが上の写真です。新金五郎橋を渡って東方向に、入り組んだ住宅街の路地を適当に走っていて出くわしたのが下の教会でありました。(日本基督教団稲田教会) この稲田教会には学生であった大昔に訪問したことがある。小生が所属していた小阪教会の青年会の方たちと一緒に訪ねたのでした。近隣の教会の青年会の人たちとの交流を図ろうという活動の一環であったかと思う。この時期、八尾教会、八尾東教会、奈良教会などの青年会の人たちとも交流を持った記憶があるが、この稲田教会もそうした教会の一つであった。 卒業して就職した会社で、入社早々に上司の課長のお伴で長野営業所に出張するということがありましたが、その営業所の大〇所長が、この稲田教会の当時の牧師であった大〇牧師の弟さんだということを知って、その偶然に驚いたものですが、そんなことも思い出された懐かしい稲田教会との再会でありました。 1記事当たりの制限文字数に未だ余裕がありますので、花の写真も追加で掲載して置きます。脈絡もないのが、この種記事の写真であります。(ロシアンセージ)(同上) 紫がかった青い涼しげな花で残暑お見舞いという趣向であります。 この花の写真も6月撮影のものにて、ちょっと時期遅れでありますが、四の五の言わずにご覧戴ければ幸いに存じます、ということで45万と繋がってオチが付いたようでございますれば、これにて失礼申し上げる次第にて御座候(笑)。
2015.08.16
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偐万葉・LAVIEN篇(その3) 本日はシリーズ第239弾、偐万葉・LAVIEN篇です。LAVIEN篇は昨年の7月末以来ですから久々ということになります。ブロ友LAVIEN氏とは2013年12月からのブログ交流となりますので、1年8ヶ月余のお付き合い。当初、偐万葉ではラビ麻呂とお呼びしましたが、同氏の方で「羅美麻呂」と表記されましたので、以来、羅美麻呂とお呼びすることと致しました(笑)。 なお、lavien10氏はブログ・コメント欄では殆どお見かけすることのないお名前かと存じますが、楽天プロフィールの方に時々コメントを下さっています。 <参考>過去の偐万葉・LAVIEN篇はコチラからどうぞ。 LAVIEN10氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が羅美麻呂に贈りて詠める歌16首ほかくさぐさに 花木はあれど 苗字には 藤の花こそ 咲きまさりけれ (偐鎌足) (くさぐさに)凛々に あらねど今日も 輪々に ありて乱々 爛々ならじか (輪乱家持)月讀(つくよみ)の 持つとふ変若水(をちみづ) 欲しとなら 天の川辺に 月待て我が背 (偐家変若<にせやかをち>) (look younger) 銀輪「荒城の愚痴」 「荒城の月」 秋銀輪は 風よけど 秋陣営の 霜の色 もみぢは未だし 日の照れば 鳴きゆく雁の 数見せて 流るる汗の 止めがたく 植うる剣に 照りそひし 昔の力 今いづこ 昔の光 今いづこ (注)偐万葉掲載に当り「口上の月」を「荒城の愚痴」に修正。あっけらかん ぽんでもこんでも 立つ春に 梅招(を)き酒を 飲むべくあるらし (オレオレ旅人) (あっけらかん)まつといへば まつのほかなき 来ぬひとを 来むとまつわれ まつむしなりて (松虫人麻呂) 改作1首 まつといへば まつのほかなき まつむしの こむとこぬひと まつわれなるや (松人虫麻呂) (待ち人来たらず)三日あれば 美人もぶすも また同じ あきてなれると 人は言ふなり (三日坊主) (別嬪さん)はたらくは はた楽させる ことなりと 言ふはをこなり はたらかぬわれ (遊び人家持)はたらかぬ われにしあれば せめてもや はためいわくに ならじとぞ思ふ (隠居家持) (ハタラクダケカナ)連れあるも ひとりもよしの 銀輪の 道に咲きたる 花のなほよし敷島の 大和の国の あやうきや いづち行くらむ たらひの船は (海部青人)(本歌)島隠れ わがこぎ来れば ともしかも 大和へ上る 真熊野の船 (山部赤人 万葉集巻6-944) (盥舟)日は沈み 日はまた昇る なべてみな うつつもゆめも あすへと継がな (日は沈み日はまた昇る)夜(4)をこめて ブログアクセス 数ふれば よ(4)の六つ並び 狭(せ)きと見ゆなり (咳少納言)(本歌)夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言 後拾遺集940 枕草子第131段 小倉百人一首62)民のため 云ふはどの民の ためやらむ 邪道姑息の 解釈改憲語をこめて 理屈はいかに 凝らすとも よに九条の 葱は許さじ(本歌)夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (前掲参照)ああ葉月 日本の国は きな臭し それ集団的 自衛権の道(本歌)ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟 (与謝野晶子) (軍都東京ドンと花火)<脚注>掲載の写真は全てlavien10氏のブログからの転載です。 但し、キャプションは偐家持が勝手に付けました。
2015.08.13
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本日は1日に続いて今月2度目の墓参。 墓へと向かう坂道で今年初めてツクツクボウシの鳴く声を耳にしました。立秋を過ぎればこの蝉も鳴き出す、というのが小生の季節感であるが、猛暑は夏のそれなれど、蝉の声や咲く花などに「秋」の気配は無きにしも非ず、であります。 わが家の墓は墓石背面に刻まれた処によると昭和10年建立である。祖父とその弟達(祖父は男ばかりの6人兄弟の長男であった。)の名が建主として刻まれていて、横左面には曾祖父梅吉・曾祖母ノブの名が刻まれている。曽祖父の梅吉さんは昭和10年に亡くなったということであるのだろう。梅吉さんは小生が生まれるはるか前に亡くなって居られるので如何なる記憶も存しないが、曾祖母のノブさんは、小生が3~4歳の頃まで生存され同居していたこともあって、ぼんやりとその面影を記憶している。 ということで、この墓に入っている方は、曽祖父母、祖父母、父、父の妹(この女性は小生が5~6歳の頃、若くして亡くなっている。)、小生の妹(小学1年で水の事故で死亡)、小生の長女(生後6か月で死亡)の8名ということになる。まあ、彼らは千の風になって吹き渡って居り、「其処にわたしは居ません。」と言っているのかも知れませんが、小生が彼らを偲ぶ場所はやはり此処ということになる。 墓参恒例の今日の言葉は、月替わりのようですから、1日の墓参で見たのと同じにつき省略です。ということで、墓参の行き帰り恒例の花散歩と致します。(ハナトラノオ) 先ず目にしたのはハナトラノオ。ハナトラノオの「オ」は「尾」であるが、「ハナ」は「花」であって「鼻」ではない(笑)。 近くにはカラスウリが実を付けていました。秋が深まると赤く熟すのであるが、今は葉の陰にてその準備に余念がないといった処か。一つ目の秋の気配発見です。(カラスウリ) カンナの色も鮮やかな黄色にて、1日に目にした赤い燃えるようなカンナと比ぶれば、何やらやさしくふくよかな感じがして、こちらも秋支度といった風情に感じられなくもない。(カンナ)やはらかき カンナの花は 夢うつつ 揺れて咲きたり 風立つ秋に (眩家持)(ノブドウ)「おっ、ヤブガラシ」とその花と実から一瞬思ったが葉が異なる。ノブドウでした。これにも実が既に生っている。秋には青や紫など複雑な色に色付き目を楽しませてくれるのでもある。二つ目の秋の気配です。 (左:ノブドウ、右:ヤブガラシ) つる草と来れば、ヘクソカズラも健在。沢山の花が咲き出しています。(ヘクソカズラ)(ツユクサ) 可憐なツユクサも忘れないで撮って置きましょう。つき草の 移ろひやすく 思へかも わが思ふ人の 言も告げ来ぬ (坂上大嬢 万葉集巻4-583)(同上) そして、ブロ友のビッグジョン氏が畑の邪魔者とされるスベリヒユです。こちらでも畑から追い出されたのでしょうか、アスファルトの割れ目から芽を出して広がり始めています。黄色の小さな花を咲かせるが、これは未だ若造にて花を付ける余裕がないのだろうか。(スベリヒユ) この畑の嫌われ者のスベリヒユも実は万葉花なのである。万葉集の東歌に出て来る「いはゐつら」がこれだという説がある。入間路(いりまぢ)の 大家(おほや)が原の いはゐ蔓(つら) 引かばぬるぬる 吾(わ)にな絶えそね (万葉集巻14-3378)上野(かみつけの) 可保夜(かほや)が沼の いはゐ蔓 引かばぬれつつ 吾(あ)をな絶えそね (同巻14-3416)(クサギ・臭木) クサギもその独特の花を付けていました。しかし、葉などには触れずに置きましょう。その名の通り臭いのである。 さて、秋の気配と言えばやはりこれでしょう。三つ目の秋の気配です。(尾花)人皆は 萩を秋と云ふ よしわれは 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ (万葉集巻10-2110) 尾花が既に秋を演出していますが、ヨウシュヤマゴボウの方は未だ「支度中」のようです。カタバミは我関せずとニュートラル、秋でも夏でもいいと言って居ります。 (ヨウシュヤマゴボウ) (カタバミ) こちらは「アメリカで囲碁」ではなく、アメリカデイゴです。 コチラは「夏」に限ると言っているようですな。(アメリカで囲碁ではなく、アメリカデイゴ)(同上) そして、最後はヒョウタン。 自宅近くまで帰って来ると目に飛び込んで来たのがこれ。瓢箪も ぶらりお盆の 朝の風 何の糸瓜と 人の世渡る (瓢箪家持)(瓢箪もぶらりお盆の朝の風)
2015.08.11
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本日、アクセス累計数が444444件と4並びの節目を通過しました。 真夏の青い海には白い帆のヨットが似合う。 我がブログもそれに倣ったか、白い帆のヨットが6艘並んだという次第であります(笑)。 過去の「ブログの歩み」記事を参照すると、 111111は、2011年3月18日 222222は、2013年8月 2日 333333は、2015年2月22日であるから、半年足らずで444444になったことになり、今年に入ってからアクセス数が急増していることが分る。アクセス下さる方々に感謝です。 さて、ヨット6艘で思い浮かぶ万葉歌と言えば、これでしょうか。 勿論、万葉時代にヨットなどという言葉はないのであるが、「舟競ふ」という言葉が思い出されたのでありました。舟競(ふなぎほ)ふ 堀江の川の 水際(みなぎは)に 来居つつ鳴くは 都鳥かも (万葉集巻20-4462) しかし、上の歌のそれは、堀江の川の中の船であるから、海原の上のそれではない。ということで、堀江の川から大阪湾に出て、神戸の方に向かい、藤江の浦まで行ってみましょうか(笑)。沖つ波 辺(へ)つ波安み 漁(いさり)すと 藤江の浦に 船ぞ動(さは)げる (山部赤人 万葉集巻6-939) では、ヤカモチも追和して1首。あり通ひ ブログの海に 来し船の 白き帆六つも うれし立つ見ゆ (偐家持) (本歌)あり通ふ 難波の宮は 海近み 海人娘子らが 乗れる船見ゆ (田辺福麻呂歌集 万葉集巻6-1062)(白き帆のヨット6艘 写真提供:青海島育ちのマッサン氏)※写真は、青海島育ちのマッサン氏のブログ「山口県・長門市・今が旬」 の2015年7月25日記事に掲載のものを、同氏のお許しを得て、転載さ せて戴きました。
2015.08.09
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偐万葉・閑人篇(その6) 本日は、偐万葉・閑人篇(その6)です。偐万葉シリーズ第238弾になります。 <参考>過去の偐万葉・閑人篇はコチラから。 ふろう閑人氏のブログはコチラから。 偐家持が京閑麻呂(みやこのひままろ)に贈りて詠める歌18首ほか父祖父の わざ継ぎて来し 武蔵野の 御陵(みはか)の朱印 くっきり古紙に (昭和7年製御朱印帖)わが背子を 迎へてうれし 土師の里 咲きて桜も よろこぶならし (偐道真) (道明寺天満宮)すめろぎの みはかのたびの むすびにと 背子ゆくらむか かしはらの宮 (近鉄橿原神宮前駅)木仏(きぼとけ)は いづち行かめや 知恩院の 参道切株 根のみし悔し (怨空) (本歌)愛(かな)し妹を いづち行かめと 山菅の 背向(そがひ)に寝しく 今し悔しも (万葉集巻14-3577) (消えた木仏)帰りたき 日々は真綿の 雪降れる 春の始めの 朝にしあるや帰りたき 日ははつ夏の 薔薇咲ける 晴れたる空の 出逢ひの朝か帰りたき 日々を拾ひつ きのふけふ われは来にけり あすもかくなん帰りたき 日々はわれなし きのふけふ あすもその日に ありてぞあれば (鴨川)往き来多み 車にせかるる 今出川 けふはあはでも すゑにとぞおもふ (白峯院) (本歌)瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞおもふ (崇徳院 詞花集228 小倉百人一首77)長堤やさみだれに泣く蕪村の碑 (筆蕪蕉) (元句)旧里や臍の緒に泣くとしの暮 (芭蕉)栄西も やうやるわいと 渋笑ひ さて建仁茶 いづくや植えむ (ひろう閑人)さても今日 祇園精舎の 鐘の声 茶の芽出たりと 茶目にや聞こゆ (ふろう茶人) (茶の芽)樽置くは 水差すためぞ 張る水に 思ひ出したる 樽を置く意味 (樽麻呂)いちしろく 煙たてよや 差す水を 怠るなかれ 青葉の祭 (杉麻呂) (智積院青葉祭)水さすは 野暮にしあるを 智積院 青葉の祭は 水さすものぞ (水麻呂)湯の香立つ 建屋もすまに ともる灯の 淡き光に 浮かぶ鶴の湯 (注)鶴の湯=乳頭温泉郷の「鶴の湯」 (乳頭温泉・鶴の湯)坂の上の 雲に向かへる 人やたれ わが向かへるは 坂の上の墓 (司鹿遼太郎)初恋を 檸檬にたとへし 人もあり よしや未熟の ままに落つるも (悲恋閑人)ただ一つ 残れるレモン けふ落つは いまだ時には 非ずと言ふか (残念閑人) (落ちたレモンの実)<脚注>掲載の写真はふろう閑人氏のブログからの転載です。
2015.08.06
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本日は囲碁例会。先月(7月)は2回とも欠席したので久々です。 猛暑の中、懲りずにMTB(マウンテン・バイク)で、大阪城公園経由、梅田スカイビルまで、汗、汗、汗のサイクリングとなりました。10時少し前に家を出たのでスカイビル到着は11時10分。時間が早過ぎたこともあって、最近の昼食場所の一つになっている道中の「れんげ亭」は未だ「支度中」の札が掛かっていました。 ということで、昼食は、少し早くありましたが、梅田スカイビルの里山にあるWILLER EXPRESS Cafeというカフェテラスで昼食としました。 途中通過した大阪城公園では楓が早くも色づき始めていましたが、とても秋の風情という雰囲気ではなく、この猛暑で焼けているのではと思ってしまうのでもありました。(大阪城公園のカエデは赤く色づき始めていましたが・・)(里山の喫茶店、WILLER EXPRESS Cafe) 店内は禁煙なので、小生は毎度、外野席です。 これは、注文したタコライスが来るのを待っている処です。これが昼食と言う訳ではありません(笑)。この喫茶店の外観はコチラの記事に出ています。 昼食後、里山を散策していて、珍しい花を見付けました。(ミズアオイ) ミズアオイは絶滅危惧種になっているらしい。同じ仲間の外来種・ホテイアオイの旺盛な繁殖力に負けているようです。(空蝉) トクサに蝉の抜け殻が止まっていました。これはクマゼミですね。 シャカシャカと里山もクマゼミが賑やかに鳴いていました。 さて、囲碁例会ですが、本日の出席者は村〇氏、福〇氏、平〇氏で小生を含んで4名と低調。まあ、こう暑いと仕方ありませんですな。 戦績の方は、村〇氏と平〇氏に勝ち、福〇氏に負け、で2勝1敗。これで今年の通算は13勝15敗です。青雲会囲碁の方は9勝7敗なので、両方を合わせると22勝22敗と丁度5割になります。(稲田桃) 帰途は稲田桃や如何にと第二寝屋川沿いに入ってみましたが、ご覧のように鈴なりで赤くなっていました。出荷するための栽培なら、実を適当に間引きして、大きな実にするのでしょうが、此処のは自然のまま、生るに任せてですから、実は小振りです。 稲田桃については、コチラの記事に説明板の写真が掲載されていますので、興味ある方はご参照下さい。 <参考>歌留多の桃でいかにも稲田桃だな芋煮会でも物足るか 稲田桃の写真を撮っていると、友人から携帯に着信。MTBを手で押しながら、電話しながら、川俣神社境内へ。そこで暫し休憩でした。木陰の涼しい風の通り抜ける処で、火照った身体を冷却、という次第。(川俣神社) 川俣神社は以前に紹介しているので、詳しくは述べません。下記参考記事をご参照願います。 <参考>青雲会囲碁例会・川俣神社 2012.6.9.(川俣神社の鳥居脇の狛犬さん) 川俣神社での新しい発見は狛犬さん。その顔が何故か白くなっていて、白華現象なのか、鳥の糞害なのか、それとも誰かがペンキで悪戯したのか、よくは確かめませんでしたが、狛犬と言うより狛「猿」みたいな風貌で、なかなか愛嬌がありました。 神社の拝殿前の狛犬は普通のタイプ。鳥居脇のそれはちょっと変わったお顔立ちで可愛らしい感じです。
2015.08.05
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偐万葉・若草篇(その15) 本日は偐万葉シリーズ第237弾、若草篇(その15)であります。若草篇は若草読書会のメンバー各位に関連して偐家持が作った歌を取りまとめたものであるが、最近は、小万知さんと偐山頭火さんばかりになっています。これは当ブログ記事にコメント下さる方が、最近はこのご両名のみになっているという事情によるのであって、他の方々との交流が疎遠になっているということでは元よりありませぬ(笑)。 <参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラから 偐家持が小万知に贈りて詠める歌10首ほか如是偐(にょぜげん)の をのこ二人や 安威川の 愛は知らざり 恋は知るとも (注)如是偐の=「是偐の如し」で偐山頭火と偐家持の二人の意。 如是とは高槻市内の地名。淀川に注ぐ芥川の支流で女瀬川とい う川があるが、この地を流れている。近くを流れる川に安威川 があり、これは下流が神崎川になる。小松菜に われはあらざり 小万知菜の 花にしあれば 目にて楽しめ (菜の花小町)奈良街道を ゆく銀輪は 竜馬にあらず 菜の花の 駅過ぎぬれど 坂の上の雲 (大伴坂上郎雲) (注)上は577577の旋頭歌体の歌。かけよとは みづからきんず ことばなれ そっとキンズの はちをくわれはクッキーは そっと仕置けと 桃の花 言へる気のして ケーキを取りぬ青空に 競(きほ)ひ咲くらし 春の花 桜連翹 木蓮辛夷雨つつみ して日延べるも 磐余道 八重の桜は 我や待つらむ (改作)雨つつみ して日延べすも 八重桜 磐余の道に 我(わ)を待つらむか藪蛇となるが落ちなり偐蕪村 (元句)藪入りの寝るやひとりの親の側草枕 旅にしあらば 出で行くも 家にしあれば 銀輪出さず (銀輪雨旅人) (本歌)家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (有間皇子 万葉集巻2-142)おほなれる 金鶏菊も 愛(は)しかれど 過ぎては大和 撫子の危機 (大和鍋鹿)あゝせめて われカンナのごと カンカンと 照りつける日に 負けずありたし (金剛山の樹氷) (紫陽花) (蓮) (脚注)上記写真は小万知さん撮影のもの。 掲載の歌と直接の関係はありません。 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌8首ほか 偐山頭火が贈り来れる歌1首二日市 温泉に入る 山頭火 誰も偐とは 煙のみ知る (偐山頭火) (二日市温泉御前湯) 偐家持が追和せる歌3首山頭火 火にはあれども 偐なれば 立つは湯けむり ばかりなりけり (大阪旅人)大伴の 旅人よしとす 湯加減も われ関せずの ヤカモチ烏 (大阪旅烏)湯のことは youに任せて われはもや 銀輪駆けて 食って寝るだけ乙未(きのとひつじ) 年明けうしと 見し戌の 来たりて寅の よはりもぞする (犬子内親王) (犬が増えた)塵泥(ちりひぢ)の 身にしぞあれば 芥川 似合ひの川も 如是となるらむ (女瀬川如是偐) (高槻市、今城塚古墳)風なくは 龍にもなれぬ 鯉のぼり ぶらりさがりて 目刺しとなりぬ (登竜門家持)夏バテの つねのいらつめに 物申す スタミナ焼きよし にんにくとり召せ (大伴山頭火)やすやすと 焼くはゆるさじ はたやはた まだ絵を描いて われは居るなり (若草連老伯麻呂<わかくさのむらじおゆはくまろ>) (本歌)石麻呂に われ物申す 夏痩に 良しといふ物ぞ 鰻(むなぎ)漁(と)り食(め)せ (大伴家持 万葉集巻16-3853) 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を漁ると 川に流るな (同上 巻16-3854) (注)本歌の万葉歌二首は吉田連老(よしだのむらじおゆ)が痩せているのを大伴家 持がからかったもの。吉田老の名は石麻呂(いはまろ)。(脚注)偐山頭火さんのブログはコチラから。 掲載の写真は偐山頭火さんのブログからの転載です。
2015.08.03
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本日は月例の墓参。クマゼミたちが合唱する朝の道。墓への道は花散歩の道でもありましたが、さしたるものもなくあれば、夏の花として小生が先ず思い浮かべるカンナから始めることとします。 真夏の強い日差しにはこの花が似合う。今日は今年一番の暑さになりそうということで、朝の道も、既に日は高く歩き出すと忽ちに汗が吹き出すのでありました。(カンナ) 次はシェフレラ。カポックとも呼ぶようですが、観葉植物。智麻呂邸の玄関先にもその鉢植えが置かれているが、第147回智麻呂絵画展でもこの木の絵が登場している。 こういう実が生るのですね。今後どのように色づいて行くのか墓参の折に観察することと致しましょう。(シェフレラの実) 実と言えばこの柘榴。先月の墓参の時に比べて随分と大きくなり、ザクロらしい風貌になって来ました。(柘榴) 柘榴の隣にはミニトマトが鈴なりに生って、こちらはもう食べ頃のものも沢山です。(ミニトマト) 道を挟んで向かいにはいつもの門前の言葉のお寺。 今月は、こんな言葉でした。誰の言葉とも書かれていないので、当寺のご住職のオリジナルでしょうか。玉虫の絵が添えられています。玉虫色というのは余りいい意味では使われない気もしますが、自身の色を玉虫色で誤魔化すのではなく、何色としっかり見つめることから始めなさい、ということでもあるのでしょうか。それとも、何色にもなれる可能性を人は秘めているのだと励まして下さっているのでしょうか。 すでに真っ黒ヤカモチ。何色にも染まりようがありませぬが(笑)。(今日の言葉) お墓の入口近くの睡蓮の池は、今日も睡蓮が元気に咲いていました。手前にはシュロガヤツリとアジサイの青い葉。左側のピンクの花はよく見掛ける花であるが名前が出て来ない。(睡蓮の池) 墓の前の道路脇にはヤブガラシが繁茂していました。先月の墓参で白い花を咲かせていたヤブジラミはすっかり枯れてしまって干乾びていましたが、猛暑続きでさすがのシラミもダウンでしょうか。それに比べてヤブガラシの元気さはその名に恥じぬものであります。(ヤブガラシ) 獰猛とさえ見える繁茂力のヤブガラシ、ツルを巻き付かれる側の草木からすれば脅威というものでしょうが、このように見上げるアングルから撮ってみると、なかなかに可愛らしくも見える。ヤブガラシとて「すれっからし」とは限らない(笑)。(同上) ショウリョウバッタがやって来ました。「精霊バッタ」という名は精霊流しの精霊舟に似た形をしているからの命名らしいが、オスはキチキチと鳴いて飛ぶので、我々は子どもの頃は「キチキチバッタ」と呼んでいた。 写真のそれは体長4~5cm程度の小型であったから、オスでしょう。メスはもっと大型で倍位の大きさ、体長8~9cmである。 (ショウリョウバッタ)(同上) 草むらには昼顔も咲いていました。 万葉に登場する「かほばな(顔花・容花・貌花)」は昼顔のこととされている。アサガオ、カキツバタ、ムクゲなどの異説もあるが、そもそも「かほばな」というのは「美しい容姿の花」という意味だから、何であれ目立つ美しさの花は「かほばな」であってよいことになる。因みに「あさがほ」は桔梗説、ムクゲ説がある。うち日さつ 宮の瀬川の 貌花(かほばな)の 恋ひてか寝(ぬ)らむ 昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も (東歌 万葉集巻14-3505)(ヒルガオ) 上の歌の、「うち日さつ(うち日さす)」は、日の光に照り輝いている様をいう語で宮、都などに掛かる枕詞である。この言葉が使われている他の万葉歌は以下の通り。うち日さす 宮に行く児を まがなしみ 留むれば苦し やればすべなし (大伴宿奈麻呂 万葉集巻4-532)うち日さす 宮道(ぢ)にあひし 人妻ゆゑに 玉の緒の 思ひ乱れて 寝(ぬ)る夜しぞ多き (万葉集巻11-2365)うち日さす 宮道を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ (同巻11-2382)・・うち日さす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも・・ (同巻13-3234)うち日さつ 三宅の原ゆ 直土に 足ふみ貫き・・ (同巻13-3295)うち日さす 宮の吾背(わがせ)は 大和女(やまとめ)の 膝枕(ま)くごとに 吾(あ)を忘らすな (同巻14-3457)うち日さす 都の人に 告げまくは 見し日のごとく ありと告げこそ (山背王 同巻20-4473) 「うち日さす」の歌は万葉には8首(小生が数え漏らしていなければ)あり、それぞれに結構な歌であるが、うち日さす墓参の道は、真夏の「さか」道にて、いさ「さか」辛いのでもある。うち日さす 宮も都も よかれども 墓参の坂は 夏ぞからかり (偐家持)
2015.08.01
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