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(承前) 山中湖一周銀輪散歩も間もなく終了です。時刻もよしで、何処かで昼食をと思うのだが、店はあっても休業中であったり、閉鎖されていたりで、開いている店が見つからない。閑散とした雰囲気。そんな中で一軒の蕎麦屋さんが営業中でした。 選り好みできる状況でもなく、また、檜原湖一周の際の呼べども応答なしの主人の居ない蕎麦屋ではなさそう。雰囲気も悪くない。此処と決めました。で、この後はその料理と言うか蕎麦などを写真に撮って、その味や出来栄えの品評や店側の接客態度などについて論ずるのがブログの定石なんでしょうが、当ブログでは、そういうことは一切ありませぬ。食事を済ませて店を出た処から始まります。 店を出て100mも行かぬうちに明神前に出ました。やって来た道である国道138号に入り、忍野八海へと向かうこととする。(山中出口稲荷神社) 山中湖から少し坂を上った処に小さな稲荷神社があった。山中出口稲荷神社とある。 往路では、山中湖の出口ではなく入口に当たると言うべきで、名前が「出口」とある以上はご挨拶せぬままに前を通り過ぎるのが礼儀かとパスしましたが、復路では「出口」になるということで、一応ご挨拶申し上げることと致しました。 伏見の「千本鳥居」には及ばぬものの「十数本鳥居」にはなって居ります。 (同上)(山中出口稲荷神社隣の林) 山中湖を出て暫くは、国道138号は上り坂であるが、すぐに平坦となり、下り坂に転じる。往路とは打って変わっての快適な走行。忍野入口交差点にたちまちに到着である。(国道138号沿いの紅葉) 国道138号は、地図で見ると山中湖村と忍野村の境界に沿うようにして山中湖村側を走っているようで、忍野入口交差点から東に入ると直ぐに忍野村となる。(桂川) 桂川という馴染みの名前の川なので面白がって撮影しました。これは上流では新名庄川と名を変え、忍野八海から流れ出す水をも取り込みながら流れ下っている川であるのだということに、地図を見て後刻気がつきますが、撮影したこの時点では、そのことを未だ知っては居りません。京都の桂川なら保津川だが山梨の桂川は新名庄川という次第であるか。(四季の杜おしの公園の花富士) 富士山が見えない銀輪散歩の穴埋めにでもという心遣いでしょうか、道脇に「花富士」が雄姿(いや、優姿かな)を見せてくれました。 また観光案内図の隣には忍野村から見える四季の富士山の写真が掲載されていました。忍野から眺める富士山は忍野富士と呼ばれ、ひと際美しいらしい。(忍野村観光案内図) その忍野富士がこれです。富士山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなむ 隠さふべしやと額田王なら詠うのでしょうが、偐家持は富士山を 隠せる雲も 都合あり つねにもがもと 言ふべきものかと、雲にも頗る理解を示すのでありますな(笑)。(同上) 忍野八海へと三叉路を右に入ると、先程の桂川の上流になる新名庄川に架かる大橋のたもとに忍野八海の各池の位置案内図あるのに気付きました。 1番が出口池で、2番が御釜池などとある。先ずは番号順にと出口池に向かうこととしたが、案内図の設置場所が悪く、案内図の方位と現地のそれとが90度ずれていて、橋を渡って直進しなければならないのに、案内図の示す矢印のままに川沿いに下流へと行ってしまうミス。 まあ、お蔭でこのような素敵な景色を見ることができましたので、文句はないのですが、他にも180度逆に表示された案内図もあって、現地の方位に合わせるために頭の中でひっくり返してみるのだが、大まかな略図なのでなかなかうまく行かず、却って混乱する始末。このような杜撰な案内図や紛らわしい設置場所は見る側のことを全く考えていない一人よがりと言うべきで、むしろ無い方がいい。山なら遭難しかねない(笑)。(新名庄川)(同上)富士の山 隠せる雲の よしとかや もみぢの山の われこそと映ゆ (偐家持) 土産物店などが並ぶメインの広場には八海とは別の中池という大きな池があって、観光客で大賑わい。ここでも中国人観光客の多いこと。 山中湖の閑散とした風景の中を走って来たヤカモチは、何やら場違いの処に紛れ込んでしまった気分にて「これは失敗」と思いましたが、後の祭り。ともかくも八つの池だけは回ってみようと。 まあ、ブログなどというものをしていなければ、直ぐにも退散という選択をしたことでしょうな(笑)。(忍野八海の中心部・中池)(同上) 八海めぐりは、ページを改め、明日に。 本日はここまでとします。(つづく)
2015.10.31
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(承前) 旭日丘湖畔緑地公園では、夕焼けの渚・紅葉まつり(10.23.~11.8.)の最中。トレンクルを押して歩きながら会場のコースをひと巡り。前ページの紅葉の写真はその殆どがこの会場内コースで撮影したものでありました。(山中湖夕焼けの渚 紅葉まつりMAP) 紅葉に立ち混じって、立派なヤドリギも目に入りました。(ヤドリギ) ヤドリギは万葉ではホヨ(保与)と言ったことや、このホヨを詠んだ大伴家持の歌などが思い出されるが、詳しいことは以前の日記でも触れているので省略します。 大伴家持のこの歌は年賀状などに記載しても似合うかと。 <参考>あけましておめでとうございます。 2013.1.1. 氷見銀輪散歩(4) 2012.11.8. さて、山中湖畔のサイクリングロード。銀輪散歩を続けます。 旭日丘湖畔緑地公園の中ほどから国道413号となる。撫岳荘前バス停を過ぎた辺りから、湖畔を外れて国道沿いに自転車道も続く。(山中湖・撫岳荘前付近) やがて小さな川を渡った処、「山中湖交流プラザきらら」という公園の手前で自転車道は左折し、国道と別れて再び湖岸沿いの道となる。(山中湖・交流プラザきらら前の自転車道から南西方向を望む。) 道沿いに赤い実をびっしり付けた見慣れない木が目に付き始める。何と言う木の実だろうかと撮影しながら行くと、一本の木に「ズミ・バラ科」と書かれた札が掛かっていた。(ズミ)(同上) ガマズミはよく目にするが、ズミは初めて。ガマズミに なけどズミの実 しぐれては ヌレネズミとも その名ぞ呼ばむ (鼠小僧) この辺りから北岸のキャンプ場の先にかけての道が自転車道としては最も快適な道である。雨も止み、時折、日差しも。されど・・富士山は?(サイクリングロード山中湖西岸・平野地区)(同上・交流プラザきらら~みさきキャンプ場間)(同上) みさきキャンプ場へと向かう道は大きく左にカーブし、この付近では南向きになり、キャンプ場を過ぎると西向きとなる。天気が好ければ、前方左手に富士山が見えて来る筈なのだが・・。さて富士は いづこにますぞ やまなかの うみにしぐれて 甲斐路かひなし (偐家持)(山中湖・ブナ林) キャンプ場付近はブナの林。富士山麓のブナはフジブナと呼ばれて盆栽家に愛好されているそうな。(同上・説明板)(サイクリングロード・みさきキャンプ場を過ぎた辺り) キャンプ場前で道は直角に折れて西向きとなる。しかし、富士山は? もみぢ葉が散るばかり。雲な隠しそと言うも烏滸なり。 風が吹く。もみぢ葉がハラハラと散る。しきりに散る。恋ひぞ来し みぎはの道は ひとすじに 散るやはららの もみぢ葉の道 (偐家持)(同上) 赤い実が目に入ったので、自転車を停めて近付いて見ると、イチゴでした。葉が見慣れない形であったが、帰宅してネットで調べるとバライチゴという木苺であることが分りました。 上の写真の緑の部分がその群生であるが、こんなにも群生している木苺も目にするのは初めてです。 (バライチゴ<別名:ミヤマイチゴ>)(山中湖自転車道)(同上・葦の穂も秋の色に)(白鳥の湖) 山中湖は鯨の形をしているらしいから、「鯨の湖」と呼んでもいいのだろうが、この一角は「白鳥の湖」でありました。 白鳥が登場した処で、字数制限のようです。本日はここまでとします。(つづく)
2015.10.30
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(承前) 本日(29日)は朝8時半前後にホテルを出発、山中湖へと銀輪を走らせる。霧が立ち込めたようなお天気。国道138号に出て、これを南東へと坂道を上る。富士散策公園というのがあったので、立ち寄って行く。(富士散策公園) 公園に入って、自転車を押しながら、遊歩道入口の前に立ち、さて、丘の上まで行ってみるかなど思案をしていると、公園の管理をされている遠くの男性から、きつい口調の大声で「自転車は乗り入れ禁止。だめです。」という注意を受けた。、既に小生が乗り入れしたかのような叱声。こちらは、公園内車道脇の歩道に立っているに過ぎないという小生の認識とこの叱声とは些かのギャップである。「分かりました」と大声で返事を返したものの、気勢をそがれたと言うか大いに白けた気分になって、早々に退出。公園外周道路を少し走って引き返すこととしました。朝から叱られては、先が思いやられる(笑)と内心苦笑。美しい紅葉を眺めて気分転換であります。 禁止、拒絶などという否定的会話は遠距離・大声でしてはならない。先方も、小生の「分かりました」という返事に怒気を感じたかも知れないのだから、相互に気分を害しかねない。 (同上・外周道路) 国道138号に戻って来ると、坂の上の方から可愛らしいバスがやって来た。富士山駅へと向かう路線バスであった。バスの後ろからは自衛隊関係の大型車両が2台。陸上自衛隊北富士駐屯地が上にある関係であろう、自衛隊の車両と何台もすれ違いました。 この道は結構車の通行が激しい。これは想定外のことでありました。加えて、ひたすらの上り坂である。(富士散策公園入口の国道138号・路線バス) 富士散策公園から少し行くと山中湖村に入る。 少し雨がぱらつき出したのか、それとも霧の中を走っているのか顔に水滴が落ちて来るが、雨具を着用しなければならない程ではない。(これより山中湖村) 忍野入口を過ぎて少し行くと道は平坦になり、やがて下り坂となる。(山中湖まで4km) 細かい雨が降ったり止んだりしていたが、ともかくも山中湖に到着である。写真でもお分かり戴けるように、湖岸の反対側は霧がかかったようになっている。富士山が全く見えないので方角の見当がつかない(笑)というか、どちら方向に富士山が見えるのかの見当も瞬時にはつかず、頭の中で地図を描いて、こちらかな、などと思ってみたりしながら、取り敢えず時計と反対回りに湖岸の道を走ることとする。(山中湖到着・明神前付近)(山中湖周辺案内図) 上の案内図で茶色のルートが自転車道(サイクリングロード)である。北岸の一部に点線表示の部分があるが、これが最近整備されて一周サイクリングロードが全線開通したというのがネット記事に出ていて、それを偶々目にしたことから、今回の銀輪散歩を思い付いたという次第。(遊覧船) 遊覧船発着場を過ぎた辺りで、雨が少し強くなって来たので、上衣だけ雨具を着用する。しかし、すぐに雨は止み、昼少し前に、もう一度ぱらつくということがありましたが、後は降られることもないお天気でありました。(生憎としぐれて来ました。) 富士山を眺めながらの銀輪散歩という目論見は外れましたが、紅葉真っ盛りにて、もみぢ達がそれを補ってくれました。 では、それをとくとご覧下されませ。(湖畔の紅葉・旭日丘湖畔緑地公園)(同上)(同上) どのアングルでも一服の絵になるというものである。(同上・夕焼けの渚紅葉まつり)(同上)(同上)(同上・恋人橋)(同上)(同上)(同上) 水と紅葉の競演。競(きほ)ひつつ 水ともみぢの 織りなせる 秋こそまされ 山中の湖(うみ) (偐家持)(同上)もみぢまた もみぢなりけり やまなかの うみにそひてし なぎさのみちは (偐家持) 字数制限になりました。本日はここまでとします。(つづく)
2015.10.29
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山梨県富士吉田市に来ています。 明日、山中湖を一周銀輪散歩してみようと出掛けて来ました。 新幹線で新横浜まで行き、横浜線に乗り換えて八王子へ。八王子で中央線に乗り換えて大月へ。大月から富士急で富士山駅へ。という方法でやって来ました。(八王子駅・特急「かいじ」) (八王子駅)(大月駅・左がJR中央線、右が富士急大月駅)(富士山駅到着・フジサン特急) 富士山駅構内ではTVのロケをやっていて、見た記憶がある男優(だろうと思うが。)がカメラの前に立っていましたが、名前が思い出せない。まあ、関係の無いことなので、思い出せなくても一向に差支えは無い(笑)。(富士山駅・北口) 銀輪散歩は明日29日のこととし、本日は富士浅間神社にご挨拶申し上げたのみであります。(北口本宮・富士浅間神社) 旅先にてもあれば、じっくりと記事アップする気にもならず、略儀ながら、現地説明板の写真をお読み戴くことで、説明に代え、写真のみの掲載という手抜き記事でありますが、ご容赦のほど。(同上・参道) 長い参道を行く。杉の巨木が立ち並ぶ道。 参道の途中にこんなものもありました。 説明板については、写真をクリックすると大きいサイズに変換できます。その上でお読み下さいますように。(以下、説明板について同様とします。)(同上・角行の立行石)(同上) 神門に到着。(同上・神門) 神門を入って、先ず目の前に現れるのは神楽の舞台。 (同上・神楽殿) そして、拝殿。(同上・拝殿) 拝殿の右側にはヒノキの巨木。 (同上・富士夫婦檜) 拝殿の右側に回り込むと、西宮本殿があり、その脇が富士山登山口になっている。 (同上・西宮本殿)(富士登山口)(同上) (登山口にある石像) 最後に、境内の紅葉です。今夜はこれにてお休みなさいませ。もう眠くなってまいりました。(同上・境内の紅葉)(つづく)
2015.10.28
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北国は もみたひ雪も 降り来とや 里のもみぢは まだ見えなくに (偐家持) 北の方からの「もみぢ便り」が届き、北海道や東北では雪も降り、関東や近畿でも木枯らし1号が吹いたらしい。しかし、大阪の我が里では、桜の木などに少し色づきたる葉はあるものの、紅葉の本格的な季節はまだ先のようです。 銀輪散歩の途中に立ち寄った、小生がひそかに「紅葉の名所」と名付けている、とある場所の楓の木々も、未だ青い葉のまま。 そこで見つけたのは赤い実の木。名前が分からなかったが、ネットで調べてみると、ヤブサンザシであるということが判明。 サンザシ(山査子)には、オオサンザシ、ホソバサンザシ、ミサンザシ、クロミサンザシ、ヤブサンザシなどがあるようだが、赤い実で枝に棘が無いなどから、ヤブサンザシと判断したのが下の写真の木である。(ヤブサンザシ) ということで、紅葉の秋には未だ少し早い大阪。秋の実で「言葉遊び」と致します。題して「小倉百実一首」であります(笑)。(同上) 秋の野山には赤い実のなる木は多くある。ヤブサンザシもその一つに過ぎない。野辺みれば をちこち赤き 実のありて わが実ひとつの 秋にはあらず (薮山査子) (本歌)月みれば ちぢにものこそ かなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里 古今集193 小倉百人一首23)(同上) 赤い実と言えば、ハナミズキやサンシュユの実などもよく見掛ける。(ハナミズキの実) ヤブサンザシやサンシュユの実は食べられるがハナミズキの実は有毒にて猛烈に苦い。小鳥たちもこの実は食べないのだろうか。地面に沢山落ちている。あはれとも いふべきものか 地に落ちて 実のいたづらに なりぬべきかな (花水木) (本歌)あはれとも いふべき人は おもほえで 身のいたづらに なりぬべきかな (藤原伊尹 拾遺集950 小倉百人一首45)(同上) サンシュユは山茱萸と書く。茱萸はグミである。グミなら食える筈と試しに齧ってみたことがあるが、味は忘れた。美味しいものでなかったことは確かである。食ふことの たえてしなくは なかなかに 味をも実をも 忘れざらまし (山茱萸) (本歌)あふことの たえてしなくは なかなかに 人をも身をも うらみざらまし (藤原朝忠 拾遺集678 小倉百人一首44)(サンシュユの実)(同上)(同上)(モミジバフウ) 樹木にも個体差と言うか個性があるようで、花園中央公園では、このモミジバフウの木だけが早々と黄葉している。左奥にある同じモミジバフウの木は未だ青いままである。 モミジバフウの実はイガグリのように棘で覆われているが、栗のような鋭い棘ではなく、中途半端な棘である。この実の中の種子を食べる物好きな動物などいないという理由で、栗のように完全武装する必要がなかったのでしょうか。見上ぐれば イガまたイガの 栗のごと 実を似せたるを あはれとぞおもふ (紅葉葉楓) (本歌)わびぬれば いまはたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞおもふ (元良親王 後撰集961 小倉百人一首20)(モミジバフウの実) (同上) ナンキンハゼの実は黒くなっているものもあり、既に弾けている実もある。(ナンキンハゼ) しかし、実は随分高い処になっていて、弾けている様などがうまく撮影出来ないのは残念。弾けたる 実をば写せず 手近には とれる実の無き をしくもあるかな (南京櫨) (本歌)わすらるる 身をばおもはず ちかひてし 人の命の をしくもあるかな (右近 拾遺集870 小倉百人一首38)(同上) 次はトサミズキ。しかし、これは実が見(実)当たらない。実と見えしは芽にてやあるらむ。葉がさそふ あるやなしやも 知らぬ実の くもがくれにし この実なりけり (土佐水木) (本歌)花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり (西園寺公経 新勅撰集1054 小倉百人一首96)(トサミズキ)(ヘクソカズラの実)嗅ぐ人も なきや町家の 裏垣に なるやへくその 実も下がりつつ (屁屎葛) (本歌)こぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに やくやもしほの 身もこがれつつ (藤原定家 新勅撰集851 小倉百人一首97)(サルスベリの実) サルスベリの実が残ってしまいましたが、字数制限です。これまでとします。
2015.10.25
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ブロ友のビッグジョン氏やふろう閑人氏のブログ記事からも東北紅葉便りを戴きましたが、昨日は友人の岬麻呂氏(古い記事を見ると、当初は「岬野吾妻麻呂」とお呼びしていたようですが、いつの頃からか、省略形の「岬麻呂」に変っています。是より正式に「岬麻呂」に改名ということと致します<笑>。)からも、東北の紅葉便りが届きました。また、PCメールで写真も8枚届きました。 ということで、本日は「岬麻呂旅便り」をご紹介させて戴きます。(奥入瀬渓流)(中野紅葉山)<参考>中野もみじ山・黒石観光協会 上の中野紅葉山の写真を見て、この構図は何処かで見た、と思ったら、あすかのそら氏のブログ記事で拝見した、あらぎ島のそれでありました(笑)。 (あらぎ島・あすかのそら氏ブログから転載)みぢのぐの あらぎ島かも 中野なる もみぢの山は 秋こそまさめ (偐家持) (岬めぐり報告178) 上の「報告178」の記述から、岬麻呂氏も乳頭温泉・鶴の湯にご宿泊されたようです。この温泉は、ふろう閑人氏のブログ記事でも先般拝見した風情のある佇まいの宿ですが、すっかり紅葉して秋の色に染まっているのが見て取れました。 (鶴の湯・ふろう閑人氏のブログから転載)(釣瓶落の紅葉)<参考>釣瓶落峠・Wikipediaにしめやの みねとふみねの もみたひて つるべおとしに あきゆくならし (偐家持)(同上)(同上)(岩木山の紅葉) 岩木山の山頂付近は、「霧氷の冬景色。紅葉どころの騒ぎではない氷点下」とは岬麻呂氏の弁。(岩木山)お岩木の 山はすでにし 冬ならし 霧氷の花の 咲き散る見れば (偐家持)(岩木山・霧氷) 気の早いのは、東北の秋なのか岬麻呂氏なのかは存じ上げねど、紅葉便りには、このような「冬の便り」もどきも、紛れ込んで居りました(笑)。<注>過去の岬麻呂旅便りの記事はコチラからどうぞ。<追記:2015.10.26.>当記事をご覧になって、岬麻呂氏から送り漏れのようであったとして、今回の旅で最後に立ち寄られた弘前城の写真も送って来て下さいました。また、上で紹介した「あらぎ島」についても、「以前に撮った写真がある。」として、その写真も送って下さいました。以下に追加で掲載して置きます。 (曳行中の弘前城天守) (あらぎ島)
2015.10.24
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偐万葉・ビッグジョン篇(その29) 本日は、偐万葉シリーズ第245弾、ビッグジョン篇(その29)をお届けします。 現在、偐万葉各篇は全部で29篇あります。古い順で言うと、ビッグジョン篇は10番目になります。ブログ更新が途絶える等して各篇の更新が休止してしまっている篇も多くあり、現在も更新が継続している篇の中では、ひろろ篇、若草篇に続いて3番目に古いということになります。ビッグジョン氏とは、このブログ交流が契機となって、万葉ウォークもご一緒させていただくなど、ブログ外でのお付き合いも生まれるに至って居ります。 (注)篇は全部で30篇でした。ビッグジョン篇は古い順番では16番目でした。 現在も更新の継続している篇の中での古さでは、若草篇、どち篇、ひろ ろ篇、雑詠篇の次で、5番目となりますが、特定の個人を対象とした篇の 中では、ひろろ篇に次いで2番目の古さということになります。 (以上訂正追記2015年10月23日) では、ビッグジョン篇をどうぞ。なお、偐万葉では同氏は「歩麻呂」ということになって居ります(笑)。 <参考>過去のビッグジョン篇はコチラから ビッグジョン氏ブログはコチラから 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌18首 並びに歩麻呂が返せる歌3首「この苗木あげる」とakiが言ったから八月二十日はブルーベリー記念日帰宅したら玄関に誰かが置いたようで八月二十日はブルーベリー記念日ブログ記事に書いてあるを今日読んだから 八月二十日はブルーベリー記念日 (本歌)「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 (俵万智) 歩麻呂が追和せる歌2首実を食べて苗木を植える今日だから 八月二十日はブルーベリー記念日プレゼント苗木と実がそろったから 八月二十日はブルーベリー記念日道の辺に 咲きたる藤は いつもいつも 来ませと言ふや 時じけめやも (枚方刀自) (時じくの藤の花)(本歌)河上の いつ藻の花の いつもいつも 来ませ我が背子 時じけめやも (ふぶきの刀自 万葉集巻4-491) (注)いつ藻=「厳藻(斎藻)」。「いつ」は藻の美称。 ふぶきの刀自=「ふぶき」は「吹」+「草カンムリに欠と書く字で当ブロ グには使えない漢字」なので、平仮名表記とした。 「刀自」は年配の女性に対する敬称であり、戸主の意。たもとほり 来れば道の辺 時じくに いやめづらしき 藤の花咲く (枚方歩麻呂) (注)たもとほり=「徘徊り」。あてもなく歩き回ること。石山の 秋月ならぬ 新月に 集へるどちの みな幸(さ)きくあれ思ひ出せず シマトネリコの 名のことは いつ知りとてか なやましかるらん (ど忘れ麻呂)いにしへの 人もわがごと 行きたるか 宇治の田原ゆ 信楽の道 (歩君伊賀越えの人) (神君伊賀越えの道をゆく) 歩麻呂が返せる歌1首後の世の 物好きどもが 我が跡を たどりゆくとは 平和なことよ (あの世の神君)みぢのぐの 秋ゆく背子は 羨(とも)しかも 蔵王月山 鳥海錦繍錦秋と 言ふも烏滸なれ 八重垣に 襞なす山は もみぢ葉照れる (蔵王の紅葉) (蔵王・不帰の滝)恋ひ恋ひて 逢へる海月の 音もなく ゆらぎてわれに それもよしとふ (加茂水族館のクラゲ)立ち流る 霧は朝日に 輝きつ 山舐め行ける 鴫の谷地沼ヒットすと 君言ふ写真 いざやいざ 見れば霧立つ 鴫の谷地沼みなもなめ をかなめやまなめ ひたすらに いのちあるごと 霧たちのぼる (鴫の谷地沼)ウリカワの 花は八年 ぶりなれど 似たるクワイは 年ごとに見む (交野畑人)さまざまの ことこれありて ふしくれて ばけてやひとに にるぞかなし木 (能勢の山道)へらずぐち たたけるやかもち みぎひだり へらおもだかに はしらされけりかなし妹 いづち行かめや 絵手紙を 送るたどきも われは知らなく(注)掲載の写真はビッグジョン氏のブログからの転載です。
2015.10.22
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春は花、秋は紅葉であるが、もう一つ別の感じ方というのが我々にはある。春は光によってそれを感じ、秋は風の音によってそれを感じる、というのがそれである。光の春は花咲きて 風の音秋は葉ぞ匂ふ このフレーズは何年か前に「万葉調の歌に曲を付けたい」という友人の箏曲家・和麻呂氏からの依頼で、「万葉孤悲歌」と題して春夏秋冬の恋歌4首を作ったことがあるが、その時の副題として作ったフレーズである。「風の音」は「かぜのおと」ではなく「かぜのと」と訓む。 このフレーズを作る時に小生の頭にあったのは、ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ (紀友則 古今集84)秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる (藤原敏行 古今集169)などの歌である。 万葉集で秋風の音を詠った歌と言えば、この2首であろう。わが宿の いささ群竹(むらたけ) 吹く風の 音のかそけき この夕(ゆふべ)かも (大伴家持 万葉集巻19-4291)君待つと わが恋ひをれば わが宿の 簾動かし 秋の風吹く (額田王 万葉集4-448) ここで言う「風の音」は、風そのものが立てる音ではない。唸り立てる強風や吹き続ける強風ではなく、そより吹く風、或は一瞬にやや強く吹き抜ける一陣の風であり、その音は風そのものの音ではなく、風にそよいで何かが立てる音である。それを風の音と捉えて我々はそこに「秋」を感じるのである。 光の春は外へ外へと心が向かうのに対して、風の音秋は内へ内へと心が沈潜して行くのであり、沈潜した心が外界の音に対してハッと気づく、そういう形で我々は秋を感じたりもするのである。従って、それは「かそけき」音であったり、あるかなきかの「簾のゆらぐ」音でなければならないのである。 しかし、風の音を詠った歌は、調べてみると多くはない。殆ど無いと言ってもいい。それは、色や形で表現される視覚的な言葉の豊富さに比して、音を表現する聴覚的な言葉の少なさに起因しているのだろう。言葉がもっぱら音声によってのみ伝えられるものであった時代はそうでもなかったのかも知れないが、文字化されて音を伴わず視覚のみによって伝達されるということが主流となったこととも無関係でないのかも知れない。 そういう中で上の大伴家持の歌と額田王の歌は、見事に「音」を捉えて表現した名歌と言うべきだろう。そして、それは共に「秋」の歌であるというのも我々の心の向き方と関係しているのだろう。 尤も、こういうのは「ニワトリと卵の何れが先か」と同じで、「感じ方」が先か「歌」が先か、と考え出すと何とも分からなくなって来るのではある。我々はものを見て何かを感じるが、それは既に内側に蓄積されたものとの照射によって生まれるもの。上の藤原敏行や大伴家持や額田王の歌を知ってしまったら、それらの歌と無関係で「秋の風」の音を感じることが難しくなるだろう。そのように、個人個人の感覚もその者が立つ風土や歴史に培われた文化によって色付けされて行くのは不可避であるからです。 我々は、先人たちの歌や俳句などを心の襞にうち重ねて何層にもなる豊かな感受性を育てて来たと言うことでもあるでしょう。 秋と風の音ということで何とはなしに書き始めたこの記事、何処へ吹いて行けばいいのか迷走し始めています(笑)。 さて、ブログ記事も亦、視覚的な構成を取っていますから、音を表現するのは難しい。ということで、「葉ぞ匂ふ」の方でまとめることとしましょう。 わが里の本格的な紅葉の時期はまだ先であるが、それでもよく見ると既にチラホラともみじする木もあって銀輪散歩の目を楽しませてくれるのである。そして、サアーッと一陣の風が吹きも来て草や木々の葉がさやぐと更にも秋なのである。(サクラの紅葉)春花の 桜も良けど もみつ葉の 桜の秋も 見らくしよしも (花園紅葉) (同上)(同上) さて、ついでに昨日の大阪城公園で見たガマの穂も「秋」の景色でありますので掲載して置きます。(ガマ) (同上) 花園中央公園では、エゴノキの実が弾ける。(エゴノキの実・種子三態) しかし、ひょっとするとこれはエゴノキの実ではないのかも知れない。小生の記憶では、エゴノキの実の皮はもっと薄いもので、剥がれるように割れて、もっと真っ黒になった種子が顔を出す、というものであるからです。この実は表皮が厚く、皺が寄って来て弾けるように割れて茶褐色の種子が現れる。こういう種類のエゴノキもあるのだろうか。17日の記事ではないが、ウリカワのようになってもいけないので、断定は避けて深入りはしないこととします(笑)。(アキニレ) こちらでは、楡の実が風に揺れている。(アキニレの種子) ニレにはハルニレとアキニレとがあり、春に花咲き実を付けるのがハルニレ、秋に花咲き実をつけるのがアキニレ、とまことに分かり易い。 (同上) 楡に秋楡、春楡があるように、銀輪散歩にも銀輪春散歩と銀輪秋散歩がある。光と共に走るのが春散歩で風の音と共に走るのが秋散歩であるが、こちらの方は何やらよう分かりまへんなあ。まあ、銀輪は春もよし、秋もよしで、額田王のように秋に軍配を上げたりはしない。野に出でよ 光の春は 花咲きて 風の音(と)秋は 葉ぞ匂ふ 絶えず通はな をちこちの 万花千葉 銀輪の道 (偐家持) 結局、何やら訳の分からぬ記事のままに本日はこれまで。
2015.10.20
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17日の記事でウリカワだとしていた花がオモダカだろうと小万知さんからご指摘を受けました。この二つは花がそっくりで、花だけを見ていては殆ど見分けがつかない。葉を見てこれを見分けることになる。ウリカワの葉は細長い棒針状というか棒平状というか葉柄の無い葉。これに対してオモダカは矢尻型の独特の葉。オモダカの栽培種がクワイとのことだが、クワイと同じ葉である。17日の記事でウリカワとしていた花の葉はそんな矢尻型の特長のある形ではなかったような気がする。ネットで調べると、普通のヘラ状の葉のオモダカというのもあり、それはヘラオモダカという種類だそうな。 花・植物というものの見分けの難しさをあらためて知らされましたが、本日、この問題をハッキリさせるため、大阪城公園のその花の咲いて居る場所まで、銀輪散歩の足を延ばしました。すると、それはヘラ状の葉。ということは、ヘラオモダカになるか、という結論に達した次第。ということで、17日の記事と2014年10月3日の記事で、この花をウリカワとしている部分の記述をヘラオモダカに変更するなどの訂正を加えました。 名を知らぬ花を写真に撮る場合、その植物の名を知りたいなら、花だけでなく葉や実や茎などのその他の部分も撮ってより多くの手掛かりを持ち帰ることが肝要ということを学んだ次第。ウリカワと ウリふたつなる オモダカや ヘラオモダカの 花の面影 (偐影持) こういう歌を作って置けば、今後間違わぬよう気を付けるでしょう(笑)。 花散歩記事は、花の写真も在庫切れにて、暫く先になると申し上げたばかりでしたが、小万知さんのご指摘のお陰で、またも「花関連記事」と相成りまして候。 <参考>ヘラオモダカ・Wikipedia オモダカ・Wikipedia ウリカワ・Wikipedia ウリカワ・松江の花図鑑 (注)Wikipediaに掲載のウリカワの写真は、写っている葉の形状か ら、ヘラオモダカだと思われるので、松江の花図鑑の方でご覧 下さい。(ヘラオモダカ) 当初から、こういう写真も掲載して置けば、ウリカワという間違いを生ずることもなかったのでしょう。 (同上) この花には雄花と雌花があるということも今回初めて知りました。それで、探すと雌花もありました。雄花は花茎の上の方に咲いていることが多く、これに対して雌花は花茎の低い位置に咲いているようです。 うっすらとピンクかかった色に咲いている花もあるようです。これが雌花固有のものなのかどうかまでの観察は出来ていません。(ヘラオモダカの雌花) 雄花は前ページでも掲載していますが、比較のため本日撮影の雄花を掲載して置きます。雄花の花弁は皺が多いのに、雌花のそれはそうでもない。やはり雌花の方がしとやかにできています。これは、雄花が高い位置に咲くため風の影響を受けて皺ができてしまうというようなこともあるのかも知れません。男だからズボラとは限らない(笑)。(ヘラオモダカの雄花) 今回、ウリカワ、オモダカ、ヘラオモダカ、さらにこれらに似たアギナシもあるということで、この分野かなり詳しくなりました。駄洒落的には「クワイ」くなった、と言うべきですが。しかし、来年の今頃はすっかり忘れてゴチャゴチャになっているかも。いや、きっと(笑)。 さて、こうなると、ウリカワ、オモダカ、アギナシも、実物を見てみたいものであります。 <参考>アギナシ・Wikipedia
2015.10.19
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<本記事中のヘラオモダカは当初ウリカワとしていましたが、小万知さんからオモダカだとご指摘を受け、再度現地で確認した処、ヘラオモダカとの結論に達しましたので訂正を加えました。> 花の在庫写真整理のため、本日17日も銀輪花散歩とします。 昨日の記事で、大阪城公園には「ウリカワの花もありました」と書きましたが、それはウリカワではなくヘラオモダカのようです。 昨年10月に名前不詳の花として記事掲載したら、小万知さんからウリカワ若しくはオモダカだと教わりました(下記<参考>参照)が、以来、ウリカワとしてその名は覚えていて、1年振りの再会となった次第。ああ、ウリカワの花だ、とまるで昔からその名を知っていたかのような親しさで花を撮影したのですが、葉などをよくよく見るとオモダカだろうという小万知さんの言。ネットでも調べ、再度(19日に)現地に赴き葉を見て参りましたが、ヘラ型の葉にて、ヘラオモダカだろうというのが小生の結論となりました。 水田にあっては、ウリカワ同様に駆除・防除すべき雑草なんだろうが、その花姿は可愛らしい。しわくちゃの3枚のハンカチとも見える花弁がご愛嬌である。 <参考>ケヤキ、ジュズダマ、ウリカワ、サクラタデ、棉の花 2014.10.3.(ヘラオモダカ)オモダカは 火熨斗忘れて 出で来らし 咲きても皺の 取れなくあれば (偐家持)(同上) (同上・種子) 雄花と雌花があるようで、雌花が散ったアトは、びっしりと種子を付けた実となり、旺盛な繁殖力が推測されるというものである。(同上) 次はミゾソバ。棘がないからママコノシリヌグイではあるまい。昨日の記事のヒメツルソバと同じ仲間であるがヒメツルソバの花の何倍かは大きい花である。とは言え、写真で拡大したもので見比べる段には、ちょっと見分けがつかない。(ミゾソバ) (同上)<参考>(ヒメツルソバ)(ミゾソバ) 次は白花のフジバカマです。藤色ではなく白い花なんだから、シロバカマと呼ぶべきだが、植物分類学はそれでは成り立たないし、白袴は紺屋さんの専売で不二家さんは手が出せない、ということで、白くてもフジバカマである。ソンナバカナという洒落は受け付けません。(フジバカマ・白) フジバカマも万葉の花であり、秋の七草の一つとして、秋を代表する花であるが、万葉に登場すると言っても、山上憶良の秋の七種の歌で他の花と共に登場するのみで、小生の知る限りでは、この花単独を詠った歌は存在しない、ということで、万葉では七種の中で一番影の薄い花である。萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花 (山上憶良 万葉集巻8-1538)(同上) まるで、素麺の屑を振りかけたような花ですが、この花は、花弁を大きくして虫に目立つようにするという並みの方法は取らず、代わりに「素麺」を伸ばすという意表を突く奇抜な方法と意匠の妙で目立とうとした。こういうのを「かぶく」と言いいますから、歌舞伎花でありますな。 「だから、袴を穿いて居る。」と彼は言って居ります。(同上) 白・赤・白と花が並びましたので、黄色の花も。お色直しであります。 (キバナコスモス) 藤色のフジバカマの写真が撮れなかったので、藤色の他の花で代用。バーベナです。この花は墓参の道すがらの民家の庭先に咲いていたもので、名前が分からなかったのですが、ブログ管理ページに表示される広告にバーベナ・ボナリエンシス(三尺バーベナ)という花が偶然に表示されて、「ああ、これ」と知った次第。 広告はうるさいだけのものと思っていましたが、役に立つこともあるのでした。(バーベナ) 最後はクスノキ。多分クスノキだろう、と。(多分、クスノキだろう。) これは、今月4~5日の若草読書会一泊小旅行で訪れた神戸しあわせの村の、小生が宿泊した部屋のバルコニーの前に繁っていた木で、隣にドングリを付けていたカシの木を撮ったついでに撮ったもので、何の木とも意識していなかったのですが、よくよく写真を眺めると、どうやらクスノキであろうという結論に達しました。 葉か実かを手に取って匂いを嗅いでいたなら、その匂いで直ぐにそれと分かった筈ですが、そんな気もなしに撮ったものであったので、アトで写真を見てから、さて何の木であったかと迷った次第。 花には虫がつきもの。悪い虫がつかぬようにと、最後は防虫効果もあるクスノキを添えて置きましたが、ハナには「ハナハダ」ハタ迷惑であったかも。ということで、オチもつきましたれば、おアトよろしきようにて、これまでと致しまする。銀輪の 道に咲きたる 花いくつ かき数ふれば 七種はなし (山下ナマクラ) (本歌)秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 (山上憶良 万葉集巻8-1537)数ふれば オモダカみぞそば ふぢばかま きばなこすもす バーベナくすのき これで、花写真の当面の在庫は無くなりましたので、花散歩はまた暫く先となります。
2015.10.17
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最近の銀輪散歩その他で撮った花などの写真もそこそこの数になりました。この辺でまとめて置かないと記事アップの時機を逸してしまうことにもなり兼ねないので、本日も、昨日に続き、花中心の記事となります。 先ずは、智麻呂邸の向かいの小公園に咲いていたアメリカンブルーこと、エボルブルス・ピロスス。(アメリカンブルー) アメリカと来れば、アメリカセンダングサであるが、これはコセンダングサのようです。頭花の付け根を包む総苞がアメリカセンダングサでは長く伸びて四方に広がるが、こちらは短く、花を真上から見ると総苞が殆ど見えない。また、種子の刺状冠毛がアメリカセンダングサでは2本なのに対して、これは2~4本と色々。以上をたよりに調べてみると、コセンダングサであることが判明。(コセンダングサ) (同上)(同上・種子) センダングサの仲間の種子は、この尖端の刺状冠毛で動物や人の衣服などに取り付く、「ひっつき虫」である。 このように種子が広がってしまわず、総苞がしっかりあって花の形を失っていない状態の時は、それを摘んで上衣の胸などにくっつけて「勲章」としたり、遊び仲間の衣服めがけて投げつけてこれをくっつけたり、という遊びをしたものであるが、今の子どもはそんな遊びをするのだろうか。(同上) ひっつき虫と言えば、このヌスビトハギの種子もそうである。うっかり此奴の生い茂る草むらに踏み入ったりするとズボンの裾や靴下などにビッシリとこの「虫」がくっついて閉口する。まあ、実際には口を閉ざすことなく、ぶつぶつ文句を独り言ちながら、せっせと取り除く作業にいそしむのではあるが。(アレチヌスビトハギの種子) (同上) ひっつき虫で忘れてはならないのは、イノコヅチである。ひっつき虫の中では此奴が一番微小なので、取り付かれると取り除くのが更にも面倒になる。 (イノコヅチ)(同上) 花散歩と言いながら「虫散歩」になって参りましたですな。 次は、大きな木にまとわり付く木蔦。つる性植物も、巻き付かれる木から見れば「ひっつき虫」以上に難儀な植物でしょうな。それとも、難儀だけでなく、樹皮を齧って樹液を吸う病害虫から樹皮をまもるというようなプラス面もあるのだろうか。 (木蔦) (同・花) 花に戻りましょう。ホトトギスです。(ホトトギス) この花も接近して眺めると何やら獰猛な感じがして来るのは、このヒョウ柄模様の所為でしょうか。虫っぽい花である。 (同上) では、お目直しに小さな可憐な花を。(源平小菊) 低い姿勢で横に、横に広がる小さなキク科の花、源平小菊である。 その名の通り、この花は最初は白でやがてピンク色に変化する。 白から赤に色の変化する芙蓉は酔芙蓉と艶っぽい名で呼ばれるのに、小菊は「源平」と色気のない呼ばれ方なのは、菊の端正な佇まいと「酔」とは馴染まないからであろう。菊の名がつく酒が多いのに。(同上) 同じように、横に広がるつる性の小さな可憐な花。ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)である。道端などによく見掛ける花であるが、日本古来のツルソバと異なり、ヒマラヤ地方から持ち込まれた外来植物である。 ツルソバ、ミゾソバ、ザルソバ、トゲソバ、異質なのはどれか?(笑)(ヒメツルソバ) この花も接写して写真で見ると、肉眼での印象とは違って来る。写真だとミゾソバの花と見間違うが、ミゾソバのそれよりもずっと小さい花である。 (同上) そろそろ字数制限です。最後はタデ。 これは大阪城公園でのもの。同公園のサクラタデは昨日の日記で取り上げました。同公園にはウリカワの花もありましたが、これはまた、別の機会にしましょう。(タデ) (同上)
2015.10.16
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昨日、今日(14・15日)と枚岡神社の秋祭り。各地区からの太鼓台が東高野街道から一の鳥居を潜って神社へと向かいます。各地区から一の鳥居へ、一の鳥居から枚岡神社へと太鼓台が巡行するコースはこの両日諸車通行禁止となる。神社に集結した太鼓台の様子など詳しいことは、ちょっと古い記事になりますが、下記の<参考>記事にて紹介済みなので、それをご参照いただくとして、本日は、偶々出遭った太鼓台の一部のスナップのみで、委細は省略であります。 <参考>枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16. 太鼓台の写真リストはコチラ(太鼓台)(同上) 祭太鼓の練習の音が鳴り出すと金木犀が香り出す。 小さい頃からこの祭に慣れ親しんで来たヤカモチにとっては、金木犀の香と秋祭りとは切り離し難く結び付いていて相互に他の一方を連想させる関係にあるが、我が庭でも、亡き父が急死する直前に植えた金木犀の木が花を咲かせて甘い芳香を放っている。 秋は金木犀の香のいづくからともなく漂ひ来たるなどいとをかし。さ夜更けて闇深き中、そより風にあるかなきかに香の立ちまじりたるなども捨てがたく、祭り太鼓の音のはた止みて香のみ残れるなどはさらなり、などとは、かの清少納言も申しては居りませんですな。(金木犀)(同上) 金木犀の花は眼で見るものではなく、香を嗅ぐものと言うべきだが、カメラで接写してみると、このような形をしているのでありますな。 小さな花は肉眼ではその構造を認識することに困難を伴うが写真に撮って拡大すると、それがよく見て取れて、新しい発見・気付きがあったり、イメージが異なって見えたり、ということがあって面白い。 当ブログで名の知れぬ草花の名前などをよく教えて戴く小万知さんがお好きだというサクラタデなども、そういった花の一つでしょうか。 昨日の囲碁例会に出るべしで銀輪を走らせた際に、大阪城公園でそのサクラタデを見掛けましたので、ついでにご紹介して置きましょう。(サクラタデ) これでは、どんな花かも分からない。 ごもっとも。もう少し接近しましょう。(同上) さらに接近。(同上) 「もそっと近う寄れ。」 「かしこまって候。」(同上) ここまで近寄れば、ひとつひとつの花の姿も一目瞭然。 桜蓼と呼ばれる由縁も自ずからに明らかである。(同上) ヤカモチ:白花のサクラタデもあっ「たで」。 サクラ蓼:詰まらん洒落で白け「たで」。 (白花のサクラタデ) 小万知さんがお好きな花だとお聞きした記憶がありましたので、本日は写真増量でサクラタデをご紹介し「たで」、とまだやっているヤカモチ。凝りませんですなこの男(笑)。
2015.10.15
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今日は囲碁例会で、梅田スカイビルまでMTB銀輪行。 いつもの通り、大阪城公園を通り抜ける。大阪城は相も変わらず中国人観光客で一杯。観光バスで駐車場は満杯状態。(大阪城公園、観光バス専用駐車場) 途中、大阪天満宮の近くの「れんげ亭」で昼食。れんげ亭での昼食は6月10日以来なので実に4ヶ月振り。「あら、いらっしゃい。お久しぶり。」とママさん。未だ11時半になるかならないかの早い時間であったので、客は我のほかたれとてもなかりき、と言う奴でありました。(れんげ亭) 梅田スカイビルの駐輪場は先週は満車で、スグには入れなかったが、今日は空きがありました。 少し時間が早いので、一階の喫茶店で珈琲をしてから、里山を散策しましたが、早速、名前の分からぬ木に出会いました。(この木何の木、気になる。) 奇妙な花が咲いている。(同上) もっと近付いて撮ると、こんな花。(同上)<追記>小万知さんからのコメント(下記)で、この花はシコンノボタン(紫紺野 牡丹)であるとご教示戴きました。ウィキペディアの写真をお借りして下 に花の完全な姿を掲載して置きます。 (紫紺野牡丹) 隣にはクロモジの黒い実が生っていました。(クロモジの実) そして、玉簾のようなキブシの実も。(キブシの実) そして奇妙な形の実。これは、シマトネリコですかね。 (シマトネリコ) ナツハゼが色づいて、秋の色に。(ナツハゼ) 会場に入ると、既に福〇氏が来られていた。 同氏のゴリラの絵は前回の囲碁例会記事でご紹介しましたが、同じ系統の絵を別の或る展覧会に出品されていて、それが神戸新聞社賞に輝いたとのこと。その作品の写真を見せて戴いたが、さもありなんという大作、力作で圧倒的な迫力の絵でありました。 で、福〇氏とお手合わせ。これは終盤で小生の模様が破たんし、中押し負け。やはり、神戸新聞社賞には叶わなかった(笑)。対局中に竹〇氏、平〇氏、村〇氏が来場。 小生は、続いて平〇氏、村〇氏と対戦、何れも喧嘩碁ヤカモチの強引な攻めが功を奏して、中押し勝ち。ということで、本日は2勝1敗。これで、今年の通算成績は18勝17敗となり、勝が先行しました。昨年、一昨年と連続して負け越しとなっているので、今年は何とか勝ち越して終わりたいものであります。
2015.10.14
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偐万葉・閑人篇(その7) 本日は偐万葉・閑人篇であります。京閑麻呂ことふろう閑人氏のブログにコメントとして書き込んだ歌他が18首になりましたので(その7)としてまとめました。偐万葉シリーズ第244弾であります。 <参考>過去の偐万葉・閑人篇はコチラから。 ふろう閑人氏のブログはコチラから。 偐家持が京閑麻呂(みやこのひままろ)に贈りて詠める歌18首ほか受験生と 猿が遠慮の 百日紅 ここだもさける 猛暑の夏に (スベリヒユ) (注)「さける」は「咲ける」と「避ける」を掛けている。 「スベリヒユ」は「滑り比喩」を掛けている。 (百日紅と京都タワー) 偐家持が閑麻呂に答へて詠める長歌1首音もなく すこし降り来て 聞き耳を 立ててもいるや ポッカリと 月は頭上に あるでせう われら無上の 悦びに 酔ひてつぶれて 眠るその時 (酒原酒也) (元詩) 月は聴き耳立てるでせう、 すこしは降りても来るでせう、 われら接唇(くちづけ)する時に 月は頭上にあるでせう。(中原中也「湖上」の一節)伊賀の里 案山子作れる 好爺言ふ われはひまさへ 苦も無くなれり (伊賀仙人)居並べる 案山子見つつや 閑人言ふ われは真似さへ なせぬわざなり (枚方閑人) (伊賀の案山子)夏ならば 光る源氏も あるなれど 秋石山は 萩が月なり (蛍家持)西風の 花にしあらむ はつ秋の 墓のこみちに 真白にぞ咲く (タマニキズ家持) (注)西風の花=西風の神・ゼピュロスに因む花、ゼフィランサス(タマスダ レ)のこと。万葉歌 刻める蓋の もしあらば それぞ見まくの 欲しきマンホール (マン葉ホール)くさぐさの 草のあそびも 絶えぬれば ただいたづらに くさぐさの草 (秋場所)ぬすびとと ばれては萩も 無残やな 御用根こそぎ 刈られたりける (萩麻呂)萩に似て 萩に非ずと あるなれば われに世間も 寒き秋風 (萩原刈太郎) (ヌスビトハギ)にはみれば ていれのひびも しのばるる にはもにはかに にはにはならね (偐には師) (寺の庭)かづらきの 山の裾廻(すそみ)の 彼方(をちかた)の 野辺行く道は 秋こそまさめ若者に われ物申す えにしとは 石もて願ふ ものにはあらじ (大馬鹿家持) (本歌)石(いは)麻呂(まろ)に われ物申す 夏痩せに 良しと言ふものそ 鰻(むなぎ)漁(と)り食(め)せ (大伴家持 万葉集巻16-3853) (縁切り・縁結び碑)雲ありて こその名月 なかぞらに 隈なくあるは 間抜けてぞあり (偐迷月)岩根ふみ わが恋ひ来れば 鳥海に 散れるもみぢ葉 神からならし (鳥海山)恋ひ来れば 秋深みかも もみぢ葉の ここだも照れる 羽後の山々太平の 尾根にかかりて わが背子は 今か行くらむ もみぢなす道鳥海の 山ゆ君見し 柱列は 見しかもわれも いやなつかしき (鳥海山頂から) (太平山)<脚注>掲載の写真はふろう閑人氏のブログからの転載です。
2015.10.12
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本日50万アクセスを超えました。五十万(いそよろづ)を 八年(やとせ)あまれる 六月(むつき)かけ けふぞ超えたり アクセスの数 (偐家持)Thanks for 500thousand and Advance for next 500thousand 2007年 4月29日 ブログ開始 2009年10月13日 50000件 2011年 1月11日 100000件 2011年 3月18日 111111件 2011年12月16日 150000件 2012年12月31日 200000件 2013年 8月 2日 222222件 2014年 3月27日 250000件 2014年11月 7日 300000件 2015年 2月22日 333333件 2015年 3月25日 350000件 2015年 6月 2日 400000件 2015年 8月 9日 444444件 2015年 8月16日 450000件 2015年10月11日 500000件 偐万葉なんぞという正体不明のブログをご訪問下さった方々に感謝です。厚く御礼申し上げます。また、併せましてこの後も、懲りることなく、飽きることなく、引き続きご訪問下さいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げる次第にございます。百万(ももよろづ) 遠き峰にし あるなれど けふにし始め またも相見む (偐家持)ミリオンは オリオンほどには 遠からじ 銀輪駆けても 届くなるらむ (偐家持)(ドングリ) 写真は、この4日・5日の若草読書会一泊小旅行で訪れた神戸しあわせの村のひよどり棟の2階小生の部屋のベランダの前に生っていたドングリです。 クリのように食用にもならず(まあ、せっせとアク抜きをすれば、ならぬこともないのでしょうが)、役には立たたず、左程にも注目されず、人気があるというのでもない、しかし、それなりに愛され、一つの景色をなしている、それがドングリでしょうか。当ブログもこのドングリのような記事の集成でありたきものと存じ上げ候。しあはせの 村になりたる 団栗の ごとにくへなき 記事を続けな (団栗家持)
2015.10.11
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本日は大学同窓会・青雲会の囲碁サークルの例会。天気も好しで毎度同じくMTBで堂島まで銀輪散歩。今回は中央大通りのコースを取らず、外環状道路(国道170号)新町交差点から西へ入り直進、JR鶴橋駅前・近鉄上本町駅前経由、谷町筋を越えた次の辻で右折し北へ、高津宮の東側の道を法性寺の先まで走り、そこで左折、西に進んで松屋町筋を北上、農人橋で中央大通りに入り左折、堺筋に出て、これを北上、北浜の手前で左折、西へ、栴檀木橋を渡って中之島公園に入り、御堂筋に出て右折、北へ、大江橋を渡って右折し、いつもの昼食場所の喫茶なかおかで昼食、というコース取りで走りました。(久成寺と法性寺位置図) 途中での立ち寄り先は、上の地図で赤く囲みをしている久成寺と法性寺。と言っても予め立ち寄ると決めてやって来た訳ではない。自転車を走らせながら偶々「お初墓所」という石碑が目に入ったからに過ぎない。 曾根崎心中については当ブログでも関連の記事をアップしたことがあるので、お初さんの墓所とあればご挨拶申し上げずばなるまいという次第。 <参考>曾根崎心中 2009.2.3. わが待つ秋の近づくらしも 2010.7.27.(久成寺)(同上)(同上・本堂) お初さんのお墓のある墓地は本堂の裏手、こんな感じです。(本堂東側の墓地)(お初の墓) お初さんの戒名は「妙力信女」。墓石の側面には命日の「元禄16年4月7日」と「曾根崎心中お初之墓」の文字が刻まれている。確か4月7日は鉄腕アトムの誕生日であった筈。まあ、関係ないが(笑)。(同上・墓石側面) 平成14年(2002年)がお初300年忌に当たることから、この年に久成寺檀信徒有志によって、この墓が再建されたのだそうな。元々当寺に墓があったようだが、墓石が磨滅してしまったというようなことでか、いつの頃よりか行方不明となってしまっていたとのこと。詳しくは下の写真をクリックして大きいサイズの写真でお読み戴ければと存じます。 (寺に貼ってあった新聞記事とお初墓の説明書き) 久成寺から150mほど北に行くと法性寺という寺がある。 これも「ボードインゆかりの寺」という碑が見えたので覗いてみたものである。(法性寺・南門)(同上・西門) ボードウィンというオランダ人の事は存じ上げなかったが、阪大医学部の前身となる大阪仮病院の創設時に功績のあった人物で、彼が当時、この寺・法性寺を寓居としていたとのこと。ということで、この寺にもご挨拶をして置きました。(蘭医ボードウィン逗留の寺の碑) さて、囲碁例会でありますが、本日の出席者は山〇、安〇、神〇、田〇、岩〇、銭〇、中〇各氏と小生の8名。 小生は岩〇氏と2局して1勝1敗、その後安〇氏、銭〇氏、山〇氏に連敗、結局1勝4敗と散々なというか悲惨な成績でありました。これで、今年に入っての青雲会囲碁の通算成績は13勝15敗と再び負けが先行となってしまいました。それも亦よしである。 帰りは、何処にも立ち寄らず、でありましたが、大きなアヒルが目に入りましたので写真に撮りました。 このアヒルは以前にも見たことがあるとブログの過去記事を調べたら、2009年12月のことでありました。前回よりも今回はかなり下流に出現であります。 <参考>囲碁連勝ストップする。 2009.12.12.(中之島公園・土佐堀川に浮かぶ巨大アヒル)(天神橋から中之島公園を望む。) 或る日のアヒル、でありました。
2015.10.10
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先日、神戸しあわせの村で見掛けた奇妙な枝をご紹介します。(奇妙な枝) 木は椿か山茶花のように見えるのであるが、その枝の途中からニョキニョキと出ている異様な風体の枝のようなもの、これは何であるのでしょう。 最初はヤドリギのような寄生植物かと思ったのですが、よく見ると、そうではなく成長すると普通の枝に変身して行くようなのが見て取れますから、本体の木とは別の生物というのではなさそうです。下の写真では普通の枝に変身しかかっているように見える。 ニシキギの若い枝に生じる「翼」のようなものが枝の側面に飛び出しているが、それがやがて取れて普通の枝と変わらなくなるのかも。 それにしても奇妙な枝である。親とは似ても似つかない姿形で生えて来る若芽なのか、それとも第一印象の通り、やはり寄生植物であるのか、何ともよく分からぬ新芽と言うか若枝である。 思い浮かんだ言葉は鬼子。日本鬼子は中国語での日本人に対する蔑称であるが、親に似ない子、歯が生えて生まれた子、荒々しい子を「鬼子(おにご、おにっこ)」と言う。この木が山茶花であるなら、これは山茶花の鬼子と言うのが一等相応しい呼称かと。(同上) 次も、しあわせの村で見掛けたつる草であるが、名前が分からない。確かナントカ豆という名であったかと記憶するが、そのナントカが思い出せない。小万知さんに教えて戴いたのであるが、メモをして置くか、何かに関連付けて記憶するということをしなかったので、記憶を呼び起こすヒント・手掛かりがなく茫洋とした記憶の海を彷徨うばかり。しかし、突如浮かび上がって来た名はトキリマメ。 それで、ネット検索したら「吐切豆」で、これに間違いなさそう。ただ、よく似たのにタンキリマメ(痰切豆)というのがあるので、どちらであるかは小生には分からないのだが、小万知さんが仰っていたのはトキリマメの方であったのでトキリマメとして置きます。 まあ、痰が詰まれば息が切れるから「吐切豆」でも「痰切豆」でもいいようなもの。もっとも、「吐」は「吐息」ではなく「吐き気」の方かも知れぬから、若しそうなら、吐切豆は消化器系、痰切豆は呼吸器系で、病院の診療窓口も処方も異なることとなりますかな(笑)。 何とも剽軽な、と言うか、ユーモラスな雰囲気のマメである。 二つが程よい感覚で横に並んでいて、はじけた種苞と言うか豆莢と言うか、それが種子をしっかり繋ぎ止めているので、何やらゆるキャラの「眼」のようにも見えて来る。(愉快な豆・トキリマメ)<参考>花カテゴリの過去記事はコチラから 花(1)・2007~2011 花(2)・2012~
2015.10.09
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第166回智麻呂絵画展 本日は智麻呂絵画展であります。神戸しあわせの村で撮影した花の写真は、本日印刷して智麻呂邸にお届けしたばかりなので、それらのいくつかが絵になって絵画展に登場するのは少し先ということになります。いつになるかは智麻呂のみぞ知る、であります。今回は、今日までに完成した絵ということになります。 では全11点、早速にご覧戴くことと致しましょう。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ 前回の絵画展の冒頭を飾ったのはバッタでありましたが、今回はカマキリであります。(カマキリ) カマキリ君の眼が変ですね。昆虫の眼ではなく擬人化されたアニメ的な眼となり、位置も頭の両端上部にあるべき処、犬か猫のような位置に描かれているのは、智麻呂さんの悪戯心のなせるワザでしょうか(笑)。 まあ、前回のバッタも眼だけは昆虫のそれではなかったので、智麻呂さんにとっては昆虫のままの眼では感情移入ができないとか、リアリティが感じられないとか、何か別の理由があるのやも知れません。(ヒガンバナ) もうヒガンバナも季節外れとなってしまいましたが、つい先ごろまでは散歩の道の辺のをちこちにこんな風に咲いていましたね。いちしろく 壱師の花の 咲きし日も はや過ぎ秋も たけにけるかな (偐家持)(花園中央公園のキノコ) 上のキノコと下のエゴノキの実は花園公園のもの。当ブログ記事に掲載の写真からの絵であります。 <参考>久しぶりに石川へ 2015.9.11.(エゴノキの実) 万葉(巻18-4106)に出て来る「知佐・ちさ」はエゴノキのこととされている。もっとも、万葉に登場するのは「ちさの花」であって「ちさの実」ではない。ちさの花 咲ける盛りも ちさの実の 玉なす秋も 絶えず通はな (偐家持)(栗) これは、智麻呂さんが通うデイサービス施設の「アンデスのトマト」の月報に掲載されていた写真から絵にされました。 栗そのものを詠った歌は万葉には登場しないが、「みつくり(三栗)の」という枕詞が登場する。栗はイガの中に実が三つずつ入っていることから「なか(中、那賀)」の枕詞として使われる。三栗の 那賀に向へる 曝井(さらしゐ)の 絶えず通はむ そこに妻もが (高橋虫麻呂歌集 万葉集巻9-1745)(偐山頭火氏からのゴーヤと唐辛子) 偐山頭火さんのご自宅の菜園で収穫されたゴーヤと唐辛子です。 偐山頭火さんと言うと、大きな冬瓜を背負って自転車でこれを智麻呂邸まで運ばれたという逸話を思い出し、その折の姿などを想像してつい笑ってしまうヤカモチなのであるが、苦瓜なら背負っても背中の荷物を苦々しく思うことはなかったことでしょう。冬瓜に 懲りてや苦瓜 わが背子は にがにがしとも 思はで運ぶ (冷やかし家持) (注)にがにがし=「苦々し」と「荷が苦し」とを掛ける。 (ツユクサ) ツユクサは智麻呂さんの好きな花の一つ。この花の難点は摘んで持ち帰って花瓶などにさしても、直ぐに花が萎れてしまって、絵のモデルには不向きなことである。こういう場合は描きたいアングルで写真に撮って置き、その写真をモデルに絵にするのが一番であるが、これは摘んで来たものを手早く写生されたものであります。疾くかけや 萎れる先に 疾くやかけ 摘み来て言ふは 恒郎女 (偐家持)また摘みに 行くを惜しむに あらざれど 夕飯支度 われにしあれば (偐恒郎女) ヤカモチ館長はこんな光景を想像したりして、絵の裏側も楽しんで居りますな(笑)。(リンドウ) 上のリンドウも下の芙蓉も「アンデスのトマト」に咲いていたもの。リンドウは絵の題材に下さったもののようで、ヤカモチは智麻呂邸にて花瓶に活けられたこの花の実物を目撃して居ります。芙蓉は、流石にそうも参らず、施設の方で写生されたのでしょう。(芙蓉) 次の花束は、先の神戸しあわせの村での智麻呂さんの傘寿のお祝い会で、読書会メンバーからのプレゼントに添えた花束です。プレゼンターはリチ女さんが務められました。その下のミニカボチャは花束のオマケとして小万知さんがお持ち下さったものですが、ハロウィンも近いことで、絵の題材にもなれば、という小万知さんのお心遣いであったのでしょう。(祝花)(ミニカボチャ) 以上です。今日もご来場、ご覧下さり有難うございました。
2015.10.08
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本日は囲碁例会で梅田スカイビルへ。先月は2回とも欠席したので、久々の出席。朝10時に愛車MTB(マウンテンバイク)で自宅を出発。途中で早めの昼食を済ませ梅田スカイビルの駐輪場に到着したのが12時頃。何と、駐輪場が満車で入れない。こういうことは初めてのことで当惑。仕方なく隣の公園や里山で20分ほど時間を潰してから再度行ってみると、うまい具合に一つ空きがあり、事なきを得ました。係の人の話では最近は満車になることが多いのだそうな。付近の路上駐輪の取り締まりが厳しくなった所為かも、とのこと。こういうことが常態になるようなら、折りたたんで会場に持って入れるトレンクルで来場しなくてはならないかも、と思ったり。(今日の梅田スカイビル) 上は、梅田スカイビルの西側の公園から撮影したもの。 自転車を何処に駐輪すべきか思案しながら、公園のベンチに腰掛けている時に撮影したもので、取り敢えず「もう一度覗いて見て駄目ななら、そこで考えよう。」と決めたのですが、それが功を奏しました(笑)。 会場に入ると、それでも小生が一番乗り。直ぐに福〇氏がやって来られました。同氏は梅田スカイビルの空中庭園で16日から26日まで開催される展覧会に出品される自作絵画をご持参でした。同氏は専ら「猿」の絵を描き続けて居られるが、今回の絵もゴリラの絵(下掲)。同氏の絵は以前にも当ブログでご紹介申し上げているが、今回も無断で撮影しての勝手紹介です。もうプロ並みの油絵です。 絵のタイトルは「何か?」というものです。「何か文句ある?」と言っているのか、「何かご用?」、「何か質問は?」、「何かお手伝いしましょか?」などと言っているのか、それは「見る人」の「見方」「感じ方」次第でしょうか。「考える人」と同じようなポーズをしているのも面白い。(「何か?」) さて、その福〇氏と先ず1局。対局中に村〇氏と荒〇氏が来場、隣で対局が始まりました。福〇氏も小生も早打ちなので、局面はどんどん進み、結局小生の大差勝ちとなりました。隣の対局は未だ中盤にさしかかった処、対戦相手のチェンジが出来ないので、同氏ともう1局。これも福〇氏が序盤で無理筋を打たれたので弱い石が二つ出来てしまい、小生から両絡みで攻められる苦しい展開となり、中盤で投げられましたので、小生の連勝となりました。ここで、対戦相手をチェンジ。荒〇氏と対局。これは終盤に入って小生のミスが続き、中押し負け。続く村〇氏には勝って、本日は3勝1敗。 これで今年に入っての通算成績は16勝16敗と漸く5分に戻りました。 本日も特段の立ち寄り先はなく、梅田スカイビルと自宅を往復しただけなので、何と言って他の写真はありません。で、何か?(笑)<参考>囲碁関係の過去の記事はコチラから
2015.10.07
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「虫」という記事カテゴリを設定してからかなりの期間が経過したと思うが、虫を主役とする記事はなかなか無くて、これまで「虫」カテゴリに分類した記事は5件のみ。ということで、今日は虫を中心に記事をまとめてみます。と言っても珍しい虫が登場する訳でもありませんので、ご容赦を。銀輪散歩の道すがらその他でたまたま出会って撮影した写真による構成に過ぎませんので。 先ずは蝶から。(ベニシジミ)ベニシジミ・Wikipedia ブルーデージーの花にとまっているベニシジミです。(クロアゲハ)クロアゲハ・Wikipedia ペンタスの花に遊ぶクロアゲハ。せわしなく翅をバタバタさせるのでなかなかうまく撮れない。 以上のベニシジミ・クロアゲハは、神戸しあわせの村で撮影した蝶ですが、下のアゲハは智麻呂邸からの帰りに、同邸付近に咲いていたアメジストセージの花に戯れているのを見掛けたので撮影したもの。(アゲハ)ナミアゲハ・Wikipedia(イチモンジセセリ)イチモンジセセリ・Wikipedia イチモンジセセリは渡りをする蝶。一見蛾のようであるが、蝶である。もっとも、蛾と蝶の境目は必ずしも明確ではないようではあるが。(オオスカシバ)オオスカシバ・Wikipedia こちらは、昼行性の蛾らしくない蛾である。透明の翅を持ち、それを高速ではばたかせ、ハチドリのようにホバリングしながら花から蜜を吸う。オオスカシバというのは体が黄緑色の鱗粉に覆われている筈であるが、写真のこれは黒褐色で鱗粉がない。推測するに何らかの事情で鱗粉が全て剥落してしまったのではないかと。これも神戸しあわせの村で撮影したものです。(ハナムグリ)ハナムグリ・Wikipedia ハナムグリ、ショウリョウバッタ、イボバッタは墓参の道すがらにて撮影したもの。(ショウリョウバッタ)ショウリョウバッタ・Wikipedia ショウリョウバッタやトノサマバッタは子供の頃にはよく捕まえたものだが、イボバッタはその姿形が醜く、子供には魅力の無いバッタで、見掛けても「無視」という「虫」でありました。(イボバッタ)イボバッタ・Wikipedia 次はカマキリ。今回登場の中では唯一の肉食昆虫である。 これは既に智麻呂絵画になっていて、次回の智麻呂絵画展ではこれの絵画版を皆さまもご覧戴けますので、お楽しみに。 河内長野の観心寺への銀輪散歩の帰途に石川べりで見掛けた大きなカマキリです。撮影しようとカメラを近づけると、その前肢の大鎌を振り上げてこちらに立ち向かおうと言うのか、ファイティングポーズを取りました。この写真はその直前の姿です。(カマキリ)カマキリ・Wikipedia コチラはダリアの花蜜をせっせと集めているミツバチです。西洋ミツバチなのか日本ミツバチなのか、そんな区別はヤカモチには不可能でありますので、単にミツバチであります。(ミツバチ)ミツバチ・Wikipedia やがて虫たちには厳しい冬がやって来ます。それまでの命の営み。精一杯に輝かせよその命。今日は「虫めづるヤカモチ」でありました。
2015.10.06
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昨日・今日(4~5日)と若草読書会恒例の秋の一泊小旅行で、神戸しあわせの村に行って居りました。 今回の参加者は智麻呂・恒郎女ご夫妻、小万知さん、リチ女さん、祥麻呂さん、偐山頭火さんと偐家持の7名と宿泊はせずの部分参加の凡鬼・景郎女ご夫妻の2名で計9名となり、いつもより少数の参加者となりました。 ここでの読書会は今回が2度目。前回は2011年6月27~28日でした。 <参考>しあわせの村小旅行 2011.6.28. しあわせの村ホームページ 今回のテーマは安保法制と憲法9条で偐山頭火さんがスピーカーでしたが、この問題を論じ出すと際限もないこととなりますので、当ブログでは取り上げないことと致します。ただ、憲法9条の規定ですら、「集団的自衛権」は憲法が容認する自衛権の範囲内だと牽強付会の解釈をする政府与党(これは、憲法9条がなし崩しにされてきた今日までの政治の流れと軌を一にするもので、今更驚くべきことではないのであるが)。今回の集団的自衛権の行使を可能とする法文の解釈に於いても同様の拡大解釈の惧れは100%否めないだろうから、国民が余程しっかりと監視しないととんでもないことになりかねないということは間違いないだろう。まあ、国民の大多数がそれを望んでいるのなら、「われもはら知らず」と言うほかないのではあるが。 午後3時に現地集合。智麻呂氏ご夫妻のお嬢様3姉妹の一番上のお嬢様がこの近くにお住まいでいらっしゃることもあって、他のお嬢様たちも馳せ参じという形で、今年7月に傘寿を迎えられた智麻呂さんの遅ればせながらのお誕生会という賑やかな催しで開幕と相成りました。 お嬢様たちがご用意されたバースデイケーキです。 (80歳おめでとうございます。) われわれ読書会のメンバーからもささやかなプレゼント(小万知さんがあれやこれやと思案の末に素敵なものを選んで下さいました)。(しあわせの村・ひよどり棟) 上が、我々が宿泊した「ひよどり棟」。智麻呂ご夫妻の部屋は中央エントランスを挟んで右側2階の2番目の部屋。小生の部屋は右手の木立に隠れて見えません。 ハッピーバースデイは智麻呂ご夫妻の部屋に椅子やテーブルを他の部屋から運び込んで行いました。偐山頭火さん講師の安保法制論議の読書会は小生の部屋の右隣の小万知さん・リチ女さんの部屋に集合して行いましたが、メンバー全員が今回の安保法制には反対の立場ですから「議論白熱」とは参りませず、すぐに脇道へと脱線して行くのでありました。 (芙蓉) (柿) ひまわり棟のエントランス前で我々を迎えてくれたのは、たわわな柿と可憐な花たちでありました。「花の智麻呂氏」のご命令に従い、ヤカモチはその花たちの撮影にいそしむことに。まあ、これらの花たちは、何れ智麻呂絵画展にて皆さまと再会させて戴くことになるやも知れませぬ(笑)。 (ニチニチソウ) (マリーゴールド)(しあわせの村の案山子) (アベリア) (ジンジャー) (コスモス)(添ひてたぐひてコスモスの・・) 傘寿をお迎えになった智麻呂画伯、その大いなる支えとなって居られる奥様の恒郎女様。仲の良いお二人をこのコスモスの花に仮託してみました。 白が智麻呂さん。赤が恒郎女さん。ちょっと赤い花が反対方向に身を反らしているのが気になりますなあ(笑)。山河(やまかは)を 越えてはろばろ 幸せの 村に傘寿の 紅白咲きぬコスモスの 花にもがもな 白と赤 添ひてたぐひて この道行かな (カリン) (ブルーデージー) 下弦の半月が昇ったのは深更、日付の変わる頃。尽きぬ語らいもようやくにお開きと相成りました。 翌朝は、日本庭園などを散策。前回も日本庭園を散策しましたが、前回は初夏の6月、今回は秋の10月ということで、あきもせず、であります。と言っても以下の写真は、日本庭園のそれではありません。チェックアウト前の朝の散歩のものや日本庭園へと向かう道すがらのものなどです。(ブラックスワン、ぬばたま、檜扇の実) ヒオウギの実、「ぬばたま」は和歌には頻出の枕詞であるが、ブラックスワンという名札が立っていました。小生には意味不明です。(マユミ) マユミも万葉植物。もう少し真っ赤になるとパカッと割れて黄色い種が顔を出すのだが、まだその時に非ず、でありました。(クロアゲハ) ペンタスの花に遊ぶ「ぬばたまの」クロアゲハであります。(オミナエシ) オミナエシは秋の七種の一つ、これも秋を代表する万葉の花。 萩も尾花も藤袴も隣にありましたが、撮影し忘れました。(イタドリ) 万葉の「壱師の花」は一般にはヒガンバナのこととされているが、このイタドリの花だという説もあり、その説に従うなら、これも万葉植物であります。 「人みな知りぬわが恋妻を」のイメージに、どちらの花が似合いか、これは人それぞれの感性によりますかな。因みにヒガンバナは有毒だがイタドリは食べられる。有毒な花(恋人)の方がお好きなお方はヒガンバナ説をどうぞ。 日本庭園を出た処の喫茶店で軽い昼食をとって解散と相成りました。お天気にも恵まれ楽しい小旅行となりました。
2015.10.05
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暫くブログの更新をサボっているうちに10月になってしまいました。 昨日、PCをWindows10にアップグレードしました。アップグレード完了後音声が出なくなるなどの不具合が発生しましたが、サウンドドライバーをいったんアンインストールし、再インストールすると音声が出るようになりました。今の処、その他の不具合は認められませんが、細かな点で勝手の違うこともあり、余りウェルカムでもない。新しい機能などは小生には不要のことにてあれば、アップグレードの必要もなかったのでありますが、まあ、アップグレードしてしまったものは仕方がない、と言う訳であります(笑)。 さて、本日は月例の墓参でありましたので、この処の銀輪散歩で見掛けた花などと併せての記事で10月の幕開け記事と致します。(墓地からの眺め) 墓からの眺めをパノラマ撮影してみました。(同上) 近くに目をやると、近鉄奈良線の瓢箪山駅(手前)と東花園駅(奥)が見える。やや左奥、遠くにはアベノハルカスも見えている。 (同上) (墓地) 墓参恒例のお寺の門前の言葉は、「困ったら、困るのがよいのです。それを困るまいと我を張るから問題なのです。」というもの。困るまいとするから困るので、困ることもよしとすれば困らない、ということですかね。困っている自分を客観視すれば、左程困ることでもなかろうと見えて来るような本質的ではないことで人は往々にして「困った、困った。」と言ったり、考えたりしていることが多いのでしょうな。或は、困るまいと抗うことで本質を見失って、更なる「困った」状況へとはまり込み、いよいよ出口が見えなくなる、困ることに徹すれば、真剣に困れば、困ることに抗わずそれに身を任せれば、自ずからに違った景色も見えて来て、出口も亦自ずからに見出せる、ということでしょうか。(今月の言葉) 寺の向かいのいつものザクロはすっかり秋の風情にて、困っている様子は毫もありませぬ。(寺の向かいにあるザクロの木) 既にパックリと割れている実もあります。 (ザクロも秋の色) 稲田では稲が穂を垂れている。 実れる田の面は 見わたす限り 穂波のたちつつ 日影ににおう 垂穂は色づき 敏鎌を待てり いざいざ刈らずや 時すぎぬまにという讃美歌が思い出される。(稲も穂を垂れて)(リコリス) ヒガンバナはすっかり花を落としてしまいましたが、このピンクのリコリスは元気に咲き匂っているのでありました。(ルコウソウ) 池の畔では、ルコウソウが可憐な花を沢山付けて秋の風に小さく揺れている。(同上) ノブドウの実もようやく色付き始めている。 もっとも、以下の写真は、本日の墓参の道すがらのものではなく、以前の銀輪散歩で見掛けたものでありますが、記事の構成上、今日のこととして置きます。偐万葉であるから、これでいいのだ。(ノブドウ) そして真っ赤なガマズミの実。(ガマズミの実) ダリアの花も咲いている。 「縁の下では蜘蛛の巣が心細そうに揺れている」ということでもなかったが、「庭も柱も乾いて」今日は好い天気なのでありました。 ダリアの花を見ると、何故か祖母の面影が浮かぶ。彼女が好んだ花であるから。(ダリア)(同上)
2015.10.03
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