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昨日23日はポカポカ陽気。陽気に誘われて朝からふらりと銀輪散歩。 と言っても何処と言って行くアテもなく、花園中央公園から南へと走り、池島神社から池島の集落を横切り、恩智川べりの道に出て、これを南へ。近鉄信貴線のガード下を潜り、府道5号線を西へ。近鉄大阪線河内山本駅前に出て、天台院に立ち寄る。(紫雲山天台院)<参考>天台院・Wikipedia 今東光・Wikipedia 山本駅北西にあるこの小さな寺は、作家・今東光が24年間住職を務めたことがあるということで知られる寺。(同上・本堂) 開基は南朝の勤皇僧・文観上人とのこと。<参考>文観・Wikipedia(同上・説明碑) 境内には今東光の文学碑がある。東光太平記の書き出しの部分が刻まれているとのことだが、彼の作品は一作も読んでいないので、この「東光太平記」の冒頭の文章も今回が初見である。 境内に入って写真を撮っていると、モーターバイクに乗ったお坊さんが訝しげに門の外の道路側からこちらを覗って居られました。鍵が施錠されていないとは言え、閉められた門扉を開けての侵入ゆえ、何やら後ろめたい気もして、「写真を撮らせていただいて居りました。」と、努めてにこやかにご挨拶(笑)。怪しい奴ではないとご判断されたのか、無言のままバイクで立ち去って行かれました。 このお寺、現在は無住職にて、ご近所のお寺さんが見守って居られるのかもしれない。(今東光文学碑) 天台院を後にし、再び府道5号線に戻る。西へ。この道沿いに行けば母校の八尾高校の前に出る筈。そして到着。 久々の母校訪問である。写真は撮り忘れましたが、数年前の高校同期会の折に撮った写真が当ブログに掲載済みなので、その記事を参考までに貼って置きます。<参考>高校同期会 2010.10.31. 八尾高校前から長瀬川沿いに下流へと行くと右手に公園。八尾市公園である。ここで暫し休憩。梅の花が満開である。(白梅) 天台院で先程見た碑の文章をお借りするなら、「三千世界に梅ヶ香が匂っていた。」ということになる。(紅梅) そろそろお昼なので、昼食の店を探すべく、商店街の方に向かう。ついでに、商店街近くにある常光寺に立ち寄って行く。 この寺も上の参考記事「高校同期会」に写真を掲載しているので、当ブログとしては再登場ということになるが、今回は、もう少しつぶさに見てみようと思う。(常光寺)<参考>常光寺の歴史(同上) 境内に入って山門の左側に「河内最古之音頭発祥地」と刻まれた石碑がある。(河内音頭発祥地の碑)<参考>常光寺と河内音頭 常光寺「地蔵盆踊り」(常光寺と河内音頭) ひとまず、商店街で昼食を済ませてから出直すこととする。 商店街入口近くの喫茶店でランチ&珈琲。(常光寺説明碑) 昼食を済ませてから再び常光寺へ。(八尾別当顕幸墓)<参考>八尾別当顕幸墓 本堂の北側に楠公八臣の一人八尾顕幸の墓がある。 因みに、楠公八臣とは、和田和泉守正遠、安満了願(満仁王丸)、恩智左近満一、八尾別当顕幸、湯浅孫六入道定仏、宇佐見河内守正高、志貴右衛門朝氏、神宮寺太郎左衛門正師の八名。(同上・説明碑) 「藤堂家臣七十一士の墓→」という表示があったので、矢印の示す方向に行ってみる。お堂の裏の墓地へと矢印は示している。 庭先を通り裏の墓地へ。(常光寺の庭) 境内の表側にある八尾顕幸墓は南北朝時代であるが、庭を通り抜けて裏の墓地に入ると江戸時代初期・大坂夏の陣の時代へと280年ほども一気に飛ぶことになる。 大坂夏の陣(元和元年・1615年)では、此処・常光寺の門前で徳川方・藤堂高虎軍と豊臣方・長曾我部盛親軍が衝突、双方に多くの戦死者を出したとのこと。(藤堂家臣七十一士の墓) 藤堂軍側の戦死者は71名。その墓がこれである。(同上・説明碑)<参考>大坂夏の陣 高虎と七十一士位牌 血天井 で、更に時代が下って、こんな墓もありました。(河内屋菊水丸の墓) 菊水丸さん、亡くなられたのかと一瞬思いましたが、そんな筈はない。これは、同氏がその時のためにご用意されているご自身のお墓。生前墓・寿陵墓と言う奴ですな。 そろそろ帰るかと、常光寺をおいとましたが、常光寺の東方200mの距離にある八尾神社にも立ち寄って行くこととする。八尾別当顕幸墓に関連しての寄り道である。この神社の境内に八尾城址碑があるからである。(八尾神社)<参考>八尾神社・Wikipedia 拝殿は屋根部分が傷んだ無残な姿。(同上・拝殿) 拝殿の後ろに幣殿、その後ろに本殿。 主祭神はウマシマジであるから、物部氏系の神社である。 (注)ウマシマジ=宇摩志麻遅命(古事記)、可美真手命(日本書紀)。(同上・本殿)(同上・説明碑) 本殿の横、東側、裏参道に抜ける手前に矢尾城址碑がある。 南北朝時代の八尾の豪族・八尾別当顕幸が拠点とした城がこの付近にあったらしい。尤も、八尾城の所在地については別の説もあり、それによるとこの地から南東1km位の別宮付近、南本町、高美町、安中町辺りだと言う。(矢尾城址の碑)<参考>八尾城・Wikipedia 八尾神社を出て近鉄八尾駅前から近鉄線に沿って、山本駅前経由で恩智川べりの道に出て、これを北へ。昨日の記事の鳧を見たのは、八尾市域から東大阪市域に入った辺りの恩智川でありました。ケリの撮影にもケリをつけて再出発、花園中央公園を経由して自宅に帰着。近隣散歩もケリがついたという次第。
2018.02.24
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本日の銀輪散歩の帰り道、恩智川辺を走っていて見かけた鳥はこの鳥。 鴫とか千鳥の仲間のケリ(鳧)という鳥である。 ケッケッケッと甲高い声が聞こえたので川原を覗くと、この鳥が鳴いているのでした。(鳧) 鳥についての知識が余り無いので、最初に浮かんだ名前はシギ(鴫)とかチドリ(千鳥)であったが、帰宅して調べると、それらの仲間にてケリ(鳧)という鳥であることが判明しました。(同上) 日曜日のNHKのTV番組で、番組名は思い出せないが生き物の生態などを紹介している番組があるが、その番組で、とても気の荒い、喧嘩っ早い鳥として紹介されているのを見た記憶がある。(同上) 自分より大きいカラスやトンビに対しても果敢に飛び掛かり、巣に接近したこれらの鳥を追い払ってしまうという、なかなかに逞しい鳥のようである。飛び掛かって嘴で「突き」を入れたり、足で「蹴り」を入れたりして敵を追い払うのである。(同上) 「蹴り」でけりを付けるから「ケリ」という名になったのではなく、その鳴き声が「ケリ、ケリ、ケリ」と聞こえるから「ケリ」となったらしい。 因みに「けりを付ける」の「けり」は、「蹴り」とも、鳥の「鳧」とも関係なく、和歌など文語表現で使う助動詞「けり」に由来するようです。 「はや住吉(すみのえ)に着きにけり」(謡曲「高砂」)などの「けり」である。文章や語りの終わりに付くのが「けり」であるから、ごたごたが片付くこと、無事決着することを「けりが付く」と言う訳である。 折角に「けり」が付いたのに「蹴り」を入れてはなりませぬ。また喧嘩がおっ始まってしまうというもの。(同上) ということで、 ケリありけりで、 この記事も、けりがついたという次第。<参考> ケリ・Wikipedia
2018.02.23
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第199回智麻呂絵画展 本日午後から智麻呂邸を訪問、新作の絵画11点を仕入れて参りましたので、早速に智麻呂絵画展を開催させていただきます。<参考>過去の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ フォト蔵アルバム「智麻呂絵画集」はコチラ。 先ずは百合の花の絵から。(百合) 上の「百合」と下の「デルフィニウム」の花は、先月27日の若草読書会の新年会の折に、小万知さんがお持ち下さったものです。 どちらも見事な絵になりました。(デルフィニウム) 次の花も同じく若草読書会に凡鬼・景郎女ご夫妻がお持ち下さった花であります。花の名は・・忘れました(笑)。君の名はと尋ぬる人も無くあれば 何ともわが名今は名乗らじ(花娘子)君の名はと尋ぬる人の誰とてか 知らぬお人にわが名は告らじ(花娘子)と花もその名を教えてはくれませぬ。(凡鬼・景郎女ご夫妻からのお花) 次の梅の花も若草読書会に謙麻呂さんがお持ち下さった花と申し上げたいところなのですが、謙麻呂さんがお持ち下さったのは、星野富弘著「あなたの手のひら」(偕成社)という本。その本に所収の色々な花の絵は智麻呂さんを大いに楽しませたようでありますが、その中から梅の絵を模写されました。(梅の花A<模写>) 次の「梅の花B」も上の「梅の花A」と同様の模写であります。春さればまづ咲く宿の梅の花 ひとり見つつや春日暮らさむ (山上憶良 万葉集巻5-818)(梅の花B<模写>) 花の絵は一休みして、次はチョコの絵です。 二月と言えば、バレンタイン・チョコ。 今年も、お孫さんのナナちゃんからとご近所の可愛いお友達、ミズキちゃん・サキちゃん姉妹から、バレンタインチョコをいただきました。(ナナちゃんからのバレンタインチョコ) 上がナナちゃんからのもの。 下がミズキちゃん・サキちゃん姉妹からのもの。チョコチョコとチョコ食ふ月は多けれど チョコとふチョコはこの月のチョコ(チョコ麻呂)(本歌)月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月(作者不詳)(ミズキちゃん・サキちゃん姉妹からのバレンタインチョコ) 次は山茶花。(山茶花) そして、土筆。 春ですね。春の野のつくつくつくしつくつくと つみつや春のこの日つくさね(偐家持)(土筆) 最後は苺と林檎。恒例のデザート兼用の絵画であります(笑)。 これらは、偐家持が先の読書会新年会に持参したものですが、どうやら当絵画展のデザートにとご用意下さったもののようです。(苺) 上の苺の絵も素敵ですが、偐家持としては、下の林檎の絵が本日一番のお気に入りであります。人も無き国もあらぬか吾妹子と 携ひ行きて副ひてをらむ (大伴家持 万葉集巻4-728)(林檎)以上であります。本日も、ご来場・ご覧下さり、ありがとうございました。
2018.02.21
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偐万葉・ビッグジョン篇(その36) 久々の偐万葉シリーズ記事です。 シリーズ第288弾。そして今年初めての偐万葉記事でもある「偐万葉・ビッグジョン篇(その36)」であります。 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌24首並びに歩麻呂が詠める歌2首蓮芋はかくこそあるもの家持が 家なるものは芋茎(ずいき)にあらし (里の芋麻呂) (本歌)蓮葉(はちすは)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは芋(うも)の葉にあらし (長意吉麻呂 万葉集巻16-3826) (20170723蓮芋の花)ぎっくりの腰の痛みのおぼつかぬ 足取り見れば余も老けにける (腰痛家持)鵲(かささぎ)の治せる腰の痛みなら ひどくもならず余も歩けるに (腰痛家持) (本歌)鵲のわたせる橋に置く霜の しろきを見れば夜ぞ更けにける (大伴家持 新古今集巻6-620)明日ありと思ふ心のかき氷 君に後れずわれも食はめや (氷家持) (本歌)明日ありと 思ふ心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは (親鸞) (注)本歌は親鸞9歳の作。対する偐家持の歌は1299歳の作(笑)。 (20170821かき氷)もののふの八十うしがへるため池に ただよひ逃げずうたた寝すらし (嘘牛蛙) (本歌)もののふの八十宇治川の網代木に いさよふ波の行くへ知らずも (柿本人麻呂 万葉集巻3-264) (20170831ウシガエル)月下美人 目下美人に あるなれど 明けては焼酎 美人にあるか (百年の孤独、千年の眠り) (20170902月下美人)新世界 連れしなければ うらがなし 串カツ立ち飲み 横目にぞ行く (恵美須歩麻呂)新世界ともにしあらばうらがなしく ひとり行く児と酒汲まましを (恵比須家持) (本歌)大橋の頭(つめ)に家あらばうらがなしく ひとり行く児に宿貸さましを (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1743) (20170910新世界)指折りて かき数ふれば 二十七 わがブログにも 蕉翁の句碑水かさも 蝉も無くあれ 蕉翁の 待つらむ旅ぞ 山寺最上 山寺はいかな白さや秋の風 (筆蕪蕉) (元句)石山の石より白し秋の風 (芭蕉「おくのほそ道」) 閑さや岩にしみ入蝉の声 (同上) (20171016宝珠山立石寺)下り舟集めてはやる最上川 (水上コンビニ芭蕉店長) (元句)五月雨をあつめて早し最上川 (芭蕉 おくのほそ道) (20171010最上川水上コンビニ)山菅(やますげ)に 似たる花かも 吉祥草(きちじやうさう) 咲きて吉事(よごと)を 君が家(や)に呼ぶ (20171122吉祥草)またや君交野の畑に下仁田の 葱摘むらむか冬のあしたに (偐俊成) (本歌)またや見む交野のみ野のさくらがり 花の雪散る春のあけぼの (藤原俊成 新古今和歌集巻2-114)みやびにてめでたあでやかうるはしと 言ひもあざやかたふとやたくみ (言家持)波の音(と)も 吹き来る風も ただ青く 背子行くらむか 池間大橋 (20180122池間大橋)大橋を 行けば海さへ 波の音(と)も いや風さへも 宮古島なり (20180122池間大橋遠望)宮古島あれこれ良けど一杯の ビールをまずは飲むべくあるらし (偐歩麻呂) たまさかにあるはよかれど新年会 三連チャンは弱りもぞする(食傷内親王) (本歌)玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする (式子内親王 新古今集1034 小倉百人一首89)わが風呂に雪の花舞ふしなざかる 雪の越の湯わが恋ひ来れば (越前旅人) (本歌)わが苑に梅の花散るひさかたの 天より雪の流れ来るかも (大伴旅人 万葉集巻5-822) (20180211雪の中の露天風呂)思ひ出づる言の葉遊びのあれやこれ 語るも楽し人は知らねど (語鳥羽院) (本歌)思ひ出づる折りたく柴の夕煙 むせぶもうれし忘れがたみに (後鳥羽院 新古今集801) 歩麻呂が贈り来れる歌2首インフルに タミフルが効く ありがたさ 寝込む時間も 少なかるべしインフルと 認めてくれぬ 医者がいて 我なら飲むぞ 熱きヤケ酒 偐家持が追和せる歌2首インフレは 民富る(タミフル)なしに なかるべし 民振る(タミフル)ばかりの きのふけふかな (両イン協議会)インフルは さて置き適度 なるインフレ 久しく待ちて 弱りもぞする (苦労田惣菜) さきやまの さやけきみつつ わがくれば せんのみひかり みてらのありき (偐八一)この国に 幸(さきは)ふ山ぞ 先山の さやけき見つつ 道をたづねな (本歌)うつせみは 数なき身なり 山川の さやけき見つつ 道をたづねな (大伴家持 万葉集巻20-4468) (20180217先山・千光寺<淡路島>)生駒山 越えてぞ吾が来る 千光寺 数なき身にも 見まくの欲しと (注)こちらの千光寺は奈良県平群町所在の寺。<参考>過去のビッグジョン篇はコチラからビッグジョン氏ブログはコチラから(注)掲載の写真はビッグジョン氏のブログからの転載です。
2018.02.18
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インフルエンザで暫しのブログ休止をお知らせしたばかりですが、タミフル効果と言うべきか、病状は思った以上に急回復しています。 19日まで自宅謹慎・療養を仰せつかっていますので、銀輪散歩など外出は差し控えて、世間にウイルスを拡散しないようにするのが保菌者の礼儀・礼節・義務と心得、自宅謹慎は続ける所存。 そんなことで、体調のこともさりながら、ブログネタも当分はなかろう、従って、20日過ぎ位までは新しい記事ネタもあるまいと見込んでの休止宣言であったのですが、友人の岬麻呂氏からの旅便りが届いていたのでありました。 そのことを知ったのは、休止宣言をした翌日のことでした。妻も小生もインフルエンザの所為でそのことに気付かなかったという次第。で、休止明け最初の記事は、岬麻呂旅便りになるかと、未だ熱もあり、咳も頻繁、鼻水もしきりという中でぼんやりと考えていましたが、思いのほか体調の戻りが早いので、「休止」を休止することとし、本日これを記事アップすることとします。 相変わらずお元気な岬麻呂氏は、2月6日~9日の3泊4日のご日程で、またまた沖縄へのご旅行でした。今回は緋寒桜と沖縄国際洋蘭博覧会が目的のご夫婦旅であったようです。 だんだんとヤカモチさんも元来のズボラ癖が出て来て、手抜き編集。詳細は岬麻呂氏ご自身による「旅・岬巡り報告216」とその「写真説明」をご参照いただくことにするという、最近お決まりのパターンであります。 その前に、先ずは、今回の旅の「主テーマ」たる、桜と洋蘭の写真からご紹介申し上げることとします。<八重岳の緋寒桜><今帰仁城址の緋寒桜><沖縄国際洋蘭博覧会・気根で成長する洋蘭><同上・黒い洋蘭> そして、岬麻呂氏ご自身によるご報告であります。<「旅・岬巡り報告216」と「同写真説明」>※画像をクリックして大きいサイズの画面でご覧下さい。<備瀬のフクギ並木><沖縄本島・最北端・辺戸崎><ワルミ大橋の風景><古宇利島のオーシャンタワーから見下ろす古宇利大橋><屋我地島から見る古宇利大橋> やはり、南の島、海の色はいいですね。 インフルエンザで自宅謹慎の身には眩しすぎますかな(笑)。 しかし、元気印の岬麻呂ご夫妻にも人並みのスキがあったようで、直近のメールではこのご旅行からお帰りになった後にインフルエンザ発症、奥様はインフルエンザA型陽性。岬麻呂氏は陰性とも陽性とも判断付きかねるものの感染間違いなかろうとタミフルのお世話に・・という何やらヤカモチ一家と相似たりの状況であられたらしいとのこと。 奥様は既に完全回復。岬麻呂氏は風邪の名残を未だ少し引きずって居られる由。 我が家と同様と申しますか、女性の方が回復が早いと言うか、強いと言うか(笑)。これは、本件「旅便り」としては権限逸脱、僭越、出過ぎた「報告・感想」と相成りました。フェイクと指摘され兼ねませぬゆゑ、これまでといたしまする。<参考>過去の岬麻呂旅便り関連記事はコチラ。 フォト蔵の岬麻呂写真集アルバムはコチラ。
2018.02.16
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2月11日の記事で「八日目の蝉」ならぬ「八日目の咳」なんぞとふざけた所為か、翌日12日から咳。妻が前日から風邪でダウンしていたので、それを貰ってしまったよう。娘も同様に咳と熱。ということで、13日に家族揃って病院へ。すると、娘と妻はインフルエンザの検査で陽性反応。小生もインフルエンザに違いないのだが、発熱がなく検査は陰性。彼女たちはインフルエンザの薬、タミフルを処方して貰ったが、小生は様子を見ようと薬の処方はなし。帰宅して夕刻には熱も出て、頭痛、鼻水、咳。病院に電話するが、発熱してから12時間位経過しないと、検査しても分からないことが多いから、と翌朝の来院を指示される。 で、本日14日朝病院へ。今度は陽性反応。インフルエンザでした。小生もタミフルを処方いただく。インフルエンザに罹患していることが明白なのに、検査が陰性では薬が処方して貰えぬという不条理に遭遇。お蔭で病状がひどくなってからの投薬となりました。 自宅謹慎です。ブログは謹慎する必要はないのですが、頭痛や熱や咳やクシャミや鼻水で頗る不快。 ということで、しばらくブログお休みします。
2018.02.14
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当ブログには「言葉遊び」というカテゴリの記事がある。 ながらくこのジャンルの記事を書いていないので、ご存じでない方も多いかも知れない。今日は久々にこの「言葉遊び」でもしてみようかと。 先日の八尾界隈銀輪散歩で訪れた大信寺で、蕉門十哲の一人、宝井其角の句碑に遭遇しましたが、彼の句にこういうのがある。 けさたんとのめや菖の富田酒(けさたんとのめやあやめのとんたさけ) 富田酒についてはコチラ(高槻市インターネット歴史館・13.富田の酒づくり)をご参照いただくとして、この句は前から読んでも、後ろから読んでも同じ文になるという「回文」にもなっている句なのである。 其角さんは「のめやあやめの」が回文になっていることに気付き、これを句にしてみようと前々から考えていたのではないかと思うが、句会の席で咄嗟にこれを思い付いたのなら大したものである。 それはさて置き、回文などは「言葉遊び」としては高級なものであるが、当ブログの「言葉遊び」はそのように高級なものではない。単なる駄洒落の遊びである。確か、かなり以前のことになるが、ブロ友のビッグジョンさんが小生のそのような駄洒落コメントについて、これをブログ本文に格上げして、記事として掲載して下さったことがあった筈と調べてみたら、ありました。 続・楽しい言葉(2012.10.24.)というのがそれです。 ということで、「続々・楽しい言葉」ではないが、同じようなものを思い付くままに記してみようかと。(注)もう一つこのような記事もありました。 18歳と81歳の違い・けん家持編 2017.4.7. 野菜の値段が天候不良の影響で高騰しているらしいですが、野菜などを中心にした駄洒落としてみますかな。 先ず、藪から棒に・・、薮からゴボウ瓢箪から胡麻論よりショウガ下手の長ネギ立て板に水茄子無芸大根氏よりスダチ目の上の昆布すれっからし菜南無妙法レンコン、南無妙ほうれん草南無阿弥陀ウリ、南無阿弥陀ウド、南無アシタバ糠にクリ、豆腐にカラスガイ、沼にキーウィ、暖簾に茹で野菜他人のそら豆、他人のそらニラウリ霧中、ウリ矢理、ウリが通れば道理が引っ込む武士に煮豆は無い男ミョウガに尽きるカボチャッカ半島馬耳豆腐馬の耳に自然薯、馬の耳にニンニク胡瓜猫を噛むローマはイチジクにして成らず走れメロン・ダサいオサム作南総里芋発見伝・滝沢馬脚作海辺のカブラ・村上春花作八日目の咳・吐く田光代作 以上にして置きます。 こういうものは、面白がる気がなければ、一向に面白くもないもの。 面白がるコツがあるとすれば、光景を思い描くことであろうか。 例えば、目の上のたん瘤ならぬ「目の上の昆布」。実際に誰かさんの目の上に塩昆布が貼り付いている光景を思い描くと滑稽では。或は、胡瓜が猫に噛みついている光景は滑稽ではないか。 そんなナンセンスは面白くもない?そういうお方は言葉遊びに不向きですな。他で遊んで下さい(笑)。<参考>言葉遊びシリーズ
2018.02.11
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本日、午後2時24分頃に累計アクセス数が150万に達しました。 ブログ開設が2007年4月29日午後3時頃であるから、開設以来、10年9ヶ月余(3940日)で150万のアクセスをいただいたことになる。 アクセス数の節目などに当ブログの履歴を振り返ってみようと「ブログの歩み」なるカテゴリを設けて記事にし始めたのはブログ開設1000日目となる2010年1月22日のことであったろうか。 記事ネタが無い時の足しになるかという手前勝手な思いつきで始めたような気がするが、年月を経て読み返してみるとそれなりに自分としては面白いのではある。他人様には「何が面白い」という内容だと思うが、履歴書というのは所詮そうしたものである。 ということで、本日もその面白くもない記事となります。<参考>累計アクセス数の推移 2011年 1月11日 10万アクセス 2012年12月31日 20万アクセス 2014年11月 7日 30万アクセス 2015年 6月 2日 40万アクセス 2015年10月11日 50万アクセス 2016年 2月 3日 60万アクセス 2016年 5月27日 70万アクセス 2016年 7月22日 80万アクセス 2016年 9月21日 90万アクセス 2016年11月16日 100万アクセス 2018年 2月 9日 150万アクセスアクセスを 百五十万(ももいそよろづ) 数へつつ なほや励まむ ブログの日々を (偐家持)アクセスは 増えるばかりぞ 暴落の 株価尻目に 二月九日 (偐家持)(上:ブログ管理画面のページ 下:ブログ記事ページ)
2018.02.09
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sakamoto morita119さんのブログ「KAZU119」の2月4日の記事に許麻神社の「鬼追い式」の動画が掲載されていました。許麻神社というのは存じ上げなかったが、地図で調べると、久宝寺緑地から少し東に入った処にある神社であることを知りました。 わが母校の八尾高校にも近い。 ということで、本日はこの神社を訪ねて銀輪散歩することとしました。朝10時5分に自宅を出発。花園中央公園の前を通り、近鉄奈良線に沿った道を西へ、瓜生堂西交差点で中央環状道路に入って、これを南へ。久宝寺緑地の先、神武町交差点で左折、東へ。1kmほど行った処を左に入ると許麻神社である。神社到着が10時52分であるから、所要時間47分という近さ。(許麻神社)(同上・由緒) この神社は渡来系氏族の大狛連がその祖神を祀ったことに始まるとのこと。<参考>許麻神社 大狛百枝・Wikipedia(同上・正面鳥居) 上の大鳥居の傍らに居られる自転車の男性。この後、立ち寄った顕証寺の門前でも出会いましたので、小生と同じルートを巡って居られたよう。声掛けはしなかったので、詳細は不明。(同上・拝殿)(同上・本殿)(同上・境内) この後、顕証寺、念仏寺、大信寺と巡りますが、そのルートを示せば下掲地図の通りです。中央環状道路の神武町交差点から府道5号線をやって来ましたが、許麻神社から脇道を進みましたので、母校の八尾高校の前は通らずでした。八尾高校の東側を流れている川が長瀬川です。 高校時代の通学路は下の地図の右上隅にわずかに見えている線が近鉄大阪線で、当時の駅(近鉄八尾駅)はこの付近にありましたので、通学路とは無関係。学校よりも西方向に行くということはなく、許麻神社も顕証寺もその存在は知らずに来ました。(周辺地図)(A:許麻神社、b:大信寺) 許麻神社の正面鳥居の東側、鳥居と向き合う形にあるのが、許麻橋地蔵。(許麻橋地蔵)(同上・説明碑)<参考>許麻橋地蔵・八尾市観光データベース 地蔵堂の後ろに久宝寺寺内町の説明案内看板がありました。(久宝寺寺内町案内図)<参考>久宝寺寺内町公式ページ 今は、堀は見当たらないが、少し高くなっている遊歩道は土塁の跡のよう。顕聖寺の南側に沿って行ってみる。(顕証寺裏の遊歩道)(顕証寺)(同上)<参考>顕証寺(八尾市)・Wikipedia 久宝寺寺内町は奈良の今井町や富田林の寺内町などに比べると、昔の町並みは殆ど遺っていないのであるが、所々に往時の雰囲気を伝える建物もある。(久宝寺寺内町) 許麻神社境内の説明碑に記してあった、久宝寺観音院の本尊・十一面観音像が安置されているという念仏寺も覗いてみることとする。(念仏寺)(同上)(同上) そして、大信寺(八尾御坊)に向かう。<参考>大信寺(八尾御坊)・八尾市観光データベース 真宗大谷派八尾別院大信寺・Wikipedia この寺はわが母校の八尾高校と関係のある寺である。 八尾高校の前身は大阪府立第三中学校であり、明治28年(1895年)創立である。 創立当初、大信寺・八尾御坊の対面所建物を仮校舎として授業を始めた、ということであるから、この地は八尾高校発祥の地ということになる。このことは、以前から知識としてはあったのだが、大信寺を訪ねるのは初めてである。(大信寺・八尾御坊) 写真を撮っていると、この寺の方と見られるご婦人がやって来られました。ご挨拶申し上げると、本堂の中もご自由にお参り下さい、とのお言葉。(同上・本堂)(同上・本堂内部)(同上・由緒)(同上・お逮夜市の碑) 芭蕉の門人の宝井其角の句碑が本堂前にありました。(其角句碑) 河州八尾娶そしり(頭注) うすら氷やわつかに咲る芹の花 其角 本堂の北側に河内県庁跡の碑がありました。 河内県庁も対面所建物を仮庁舎としたようだから、対面所建物は此処に建っていたようだ。(同上・河内県庁跡) そして、説明碑を見ると、対面所のことも八尾高校のことも記されているではないか。 八尾高校発祥に関連する碑文などは無いものと思っていたが、河内県庁跡碑の説明のついでのような形であれ、これに言及したものが存在したことは何やら嬉しいことではありました。(同上・説明碑)<参考>河内県・Wikipedia 大阪府立八尾高等学校・Wikipedia 大信寺を出て、近鉄久宝寺口駅前から中央環状道路に戻り、来たルートを逆にたどって帰途につく。(近鉄久宝寺口駅) 上の写真が11時45分の撮影。 花園中央公園から恩智川沿いに北へ走り、水走交差点手前の喫茶店「ペリカンの家」到着が12時25分。40分かかったが、昼食には丁度いい時間帯の到着となりました。 ももの郎女さんと越の郎女さんの笑顔に迎えられての昼食でありました。食後の珈琲が出て来るまでの時間を利用して、店の表のベンチ(喫煙用)へ。其処では、お隣のリハビリ病院にご入院中の男性が先客で居られて煙草をくゆらせていらっしゃいました。この方とは先日このベンチで初めてご一緒になり、言葉を交わしたので、もう知り合いのようなもの。しばし雑談。 店内に戻ると珈琲が出て来ました。 秋に、ももの郎女さんが計画されている明日香方面のサイクリングの件、昨日、利麻呂氏にそのことを話したら、彼も参加したいと仰っていた旨申し上げると、彼女は大層喜んで居られました。 午後1時過ぎに「ペリカンの家」をおいとまし、「ヤカモチの家」へ。 以上で本日の少し軽めの銀輪散歩終了でありました。
2018.02.08
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本日は今年2回目の囲碁例会。よく晴れていましたが、水たまりには氷が張っているという寒い朝でありました。なれど、銀輪を走らせて梅田スカイビルまで、といういつものパターンです。 出掛ける前に福麻呂氏より電話があり、所用があり欠席するとのこと、また竹〇氏は昨日入院されたのでご欠席されるとも。どなたも来られなければ、空振りとなるが、ともかくも出掛けることとする。 大阪城公園まで来たところで、利麻呂氏から電話があり、出席するので昼食を一緒にしないかとのお申し出。梅田スカイビルの高速バス待ち合い室で待ち合わせることで合意。ということで、れんげ亭で昼食をと思っていたが、これを取り止め、梅田スカイビルに直行することに変更。 ということは、正午少し前に梅田スカイビルに着けばよいということになるので、少し大阪城公園で時間を潰すこととする。 桜広場の桜木は勿論まだ蕾は固いのであるが、そんな中に花を咲かせている桜の木が数本ありました。早咲き品種の桜である。早咲きの品種と言えば「河津桜」などしか名前が思い浮かばないが、これがそうであるのかどうかは、分からない。(早咲きの桜)(同上)(同上) 梅田スカイビル到着は11時45分。利麻呂氏との待ち合わせ場所のバス待合室を覗くが、同氏は未だ来られていない。で、ロビーを挟んで反対側にある馴染みの喫茶店に入る。珈琲と共に喫煙席で煙草を喫うためである。この喫茶店でも昼食が可能なので同氏にもこちらに来ていただくこととする。(喫茶店) この喫茶店は昔からよく利用している馴染みの店であるが、名前が何であるのか記憶にないのはどうしてであろう。忘れた、というのではなく、1階の喫茶店ということで済ませていて、その名を覚えようとしないままに今日まで来たようだ。 正午前だからか、いつもは店内に多くの客の姿があるのに、今日は入口近くの禁煙席の方に女性客が一人見えるだけで、こちらの喫煙席の方は、小生の他に客は居ない。 注文したホットコーヒーが来て、それを飲みながら煙草をくゆらせていると、利麻呂氏が現れました。本来は、地下の飲食店街・滝見小路に降りて、「四季彩」で昼食となるのであるが、今日は、この喫茶店で昼食を済ませることとする。 昼食後、会場の5階の部屋に上がり、利麻呂氏と2局打つ。利麻呂氏は未だ初心者で、準メンバー、番外の「指導碁」扱い。 利麻呂氏との二局目の終盤にさしかかった処で、村〇氏が来られる。今日は、村〇氏と小生だけの出席。ということで、同氏と2局打つが、2局とも完敗。よって前回の3戦全敗に続き、今回も2戦全敗。これで、今年は5戦全敗となり、未だ1勝もしていないことになる。勝っても負けても碁は楽しいのであるが、こう負けが続くと「楽しい」とも言っていられないというもの。そろそろ勝たなくてはいけませんですな。早咲きの桜はよけどはや打ちの 手筋の悪き囲碁は見苦し (凡因坊家持) 帰宅すると、TVのニュースで、司馬遼太郎記念館の菜の花が何者かによってごっそり切り取られてしまう、という心ない悪戯があったことが報じられていました。 今日の帰途は、司馬遼太郎記念館の二つ北側の道を走りましたので、現場は目撃していませんが、残念な事件です。この時期、司馬遼太郎氏の忌日が「菜の花忌」と呼ばれるのに因み、その周辺の道の辺のそこかしこに、菜の花が植えられるのが恒例になっている。今日の写真ではありませんが、去年の2月に、そんな菜の花を撮影した写真があった筈なので、これを掲載して置きます。(菜の花忌) そして、福井の大雪と台湾での地震のニュースも。頑張れ福井、頑張れ台湾です。<追記> 友人の偐山頭火氏より問題の菜の花事件の現場写真が送られて参りましたので追加掲載して置きます。 同氏の推理によると犯人は「偐ルパン3世」だそうです。所轄警察署の真ん前で犯行に及ぶというその手口の大胆さからの類推のようです。(問題の菜の花事件の現場)(同上)(事件現場の向かいは所轄警察署でありました。)
2018.02.07
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本日は墓参。 ロウバイの咲き匂う坂道を上り・・。(ロウバイの花)(同上) いつもの寺の門前の言葉を見て・・。(門前の言葉) 葉をすっかり落とした、ムクロジの木の前を過ぎ・・。(ムクロジの木) 池の畔のアキニレの木の枝になっている実なども見て・・。(アキニレの実) 山裾の墓地に到着です。 墓参を済ませた後は、山裾の小径を辿っての散策。(山裾の径)(同上・山側の眺め) 今日は、晴れてはいたけれど、遠くは霞んでいて見通しは余りよくない。 大阪の高層ビル街もアベノハルカスも霞んでいる。 六甲の山々も見えない。 今日は、節分。明日は、霞立つ春の日・立春であるから、景色は既に春のそれにて、霞んでいるのであろう。(同上・大阪平野側の眺め) この季節は、センダン(栴檀)の木が目立つ。 遠目には、花を咲かせているようにも見える。(センダン)(同上) (同上) (同上) ウンリュウグワは、葉を落とし、その捻じけた姿をさらしているのでありました。 雀が2羽とまっていたが、カメラを向けると飛んで行ってしまった。(雲竜桑) 野つ鳥の声を聞きつつの暫しの散策でありました。
2018.02.03
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スーパーブルーブラッドムーンなどという大層な名がついた月食を見ようと思っていましたが・・。 昨夜の月です。(20時51分の月)(左:21時22分の月、右:21時25分の月) (左:21時30分の月、右:21時35分の月) (左:21時40分の月、右:21時42分の月) この後に赤く染まった月が見えるというのが我輩の期待であったのですが、何も見えなくなってしまいました。雲に隠れてしまったということのよう。とすれば、直前の月食と思っていた月の欠けて行く様は、雲に隠れて行く様であったかも知れないこととなり、ちょっと鼻白む思いになりましたが、一応月食と見て、その写真を並べて置くこととします。自宅2階のベランダへ何度も部屋から出たり入ったりしながら撮影した写真でありますので。血の色の月を隠すか雲だにも こころあらなむ隠さふべしや (偐家王)三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなむ隠さふべしや(額田王 万葉集巻1-18) 2014年10月8日の夜も皆既月食でした。 母の米寿のお祝い会をしたこの夜の帰り道に、生駒の山の上に昇った月が赤く輝いていたのを見た記憶があるので、過去記事を調べてみたが、そのような記事は書いていなかったようで見当たらない。その母も今は亡く、既に1年2ヶ月が経過しようとしている。
2018.02.01
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