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いよいよ大晦日明日は新春・お正月であります冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ(清原深養父 古今集巻6-330)(花園中央公園夕照)この1年 偐万葉田舎家持歌集に 遊びにお越し下さいました皆さま どうも有難うございました この1年のご愛顧を心より感謝申し上げます 来たる2019年新年が 皆さまにとってよき年でありますようお祈り申し上げますけん家持(偐家持)(夕月) この1年、当ブログにコメント戴きましたお方は下記の通りです。 それぞれのコメント、まことに有難く、 楽しく拝見させていただきました。 あらためて茲にお礼申し上げますと共に、 明年も変らぬご好誼のほど宜しくお願い申し上げます。 ひろみちゃん8021氏 ふぁみり~キャンパー氏 ビッグジョン7777氏 小万知氏 ☆もも☆どんぶらこ☆氏 偐山頭火氏 英坊3氏 あすかのそら氏 ウーテイス氏 lavien10氏 ふろう閑人氏 岬麻呂氏 ひろろdec氏 童子森の母氏 オガクニマン氏 寺〇〇夫氏 幸達氏 ハートブルー氏 悪女6814氏 IISAKA氏 (コメント件数の多い順) 今年1年間の掲載記事件数は183件。 記事記入率50.14% ほぼ2日に1件のペースでした。 もう少し多く(200件以上)の記事を書こうというのが、 年初の目標でありましたが、今年もそうはなりませんでした。 <参考>過去10年間の年間記事件数の推移 2009年 216 2010年 203 2011年 222 2012年 233 2013年 251 2014年 241 2015年 210 2016年 178 2017年 183 2018年 183 今年のカテゴリ別の記事内訳は下記の通りです。 銀輪万葉 42(21) 花 20(28) 岬麻呂旅便り 17(16) 囲碁 16(22) 友人ほか 14(16) 偐万葉 13(18) 未分類 11( 1) 智麻呂絵画展 9(12) 近隣散歩 8(15) 万葉 6(16) 虫 6( 9) 若草読書会 5( 6) ブログの歩み 5( 3) 絵画 4( 3) 言葉遊び 2( ー) マンホール 2( 2) 和郎女作品展 1( 5) ※( )内は昨年の件数 あれこれとありしいぬ年けふ限り いぬる年かも亥年よまゐれ (偐亥持)野にあらば猪を追ふ犬の戌年は 亥年に追はる暦なりけり (暦家持) 偐家持がこの1年に作った歌もどきの歌は上の戯れ歌を含めて352首で、こちらも昨年の394首を下回りました。 また、偐万葉シリーズに掲載の偐家持作の累計歌数は今年末で298首増の5698首であります。 年間アクセス件数については、未だ少し時間を残していますので確定しませんが、45万件余と昨年よりかなり上回りました。 ということで、今年も13時間余を残すのみ、これを以って本年最後の記事とさせていただきます。 では、どちら様もよきお正月をお迎え下さい。
2018.12.31
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本日は、今年最後の墓参。 今月は7日にも参っているので2回目となる。 北海道や東北から北陸にかけての日本海側は大雪のようであるが、こちらはよく晴れた好天気。 しかし、気温は低く、上空にちぎれた雪雲の切れ端が少しばかり迷い込むのでもあるか、時に風花が舞ったりもしていました。(墓地のクスノキ) このクスノキの巨木は言わばこの墓地のシンボルツリーのようなもの。 ヤカモチが子どもの頃には、このクスノキの木のある一角に火葬場があって、村人たちの手で運ばれて来た棺桶がその火葬場の建物内に納められ荼毘に付されるのでありました。墓には屍を荼毘に付す仕事に従事する専門の墓守の人が居られ、現在は差別用語とされ使われないが、彼らのことを隠亡(オンボ)と呼んでいました。単独であったか複数人であったかは記憶の外であるが、彼或は彼らが屍を焼く火の加減や管理一切を行い、翌朝には遺族らが骨上げに出向くというのが通例であったかと思う。<参考>隠亡・Wikipedia 祖父、祖母の葬儀、そして祖父や祖母よりも早い時期に幼くして亡くなった妹の葬儀などの時は、この墓地にあった火葬場で荼毘に付されたのでした。 この墓地の東側、上の写真で言うとクスノキの向こうに見える建物の奥、山側に池が二つあり、池と墓地の間に細い小径が通っている。 今は、南側の池は埋め立てられて広場になっていて、子ども達がソフトボールの練習などに使っている。北側の池は現在も存在していて、今は釣り堀風の使い方がされている。任意の釣り好きの方々による会が管理・運営されていて、いつも何人かの人が釣りを楽しんで居られる。 今日は、お一人の姿があっただけでありましたが・・。(ため池) 墓参のアト、MTBで銀輪散歩。昼食に喫茶「ペリカンの家」に立ち寄りました。店主のももの郎女さんと店員の越の郎女さんと暫し雑談。 「風花が舞っている。」と申し上げるも、通じない。最近の若い人たちには「風花」は死語のようです。風花の説明を申し上げる。 晴れた空(必ずしも晴れていなくてもいいのだが)からどこからともなく散る花びらのようにまばらに降って来る雪のことを「風花」と言うが、それをイメージして貰うために、とりあげたのが大伴旅人のこの歌。わが園に梅の花散るひさかたの 天より雪の流れ来るかも (大伴旅人 万葉集巻5-822)(私の庭に梅の花が散る。<ひさかたの>天から雪が流れて来るのだろうか。) この歌は、散る梅の花びらを雪に見立てたもの。 風花は、雪の粒を花びらに見立てたもの。 丁度正反対の見立てということになるが、イメージとしては同じ発想であります。わが行ける道に風花舞ひてありいづくや梅の咲きて散るらむ(偐旅人) ペリカンの家は明日29日まで営業(但し、午後2時まで)とか。 ももの郎女さんから「明日も2時までやっていますので。」と、去り際に念を押されましたが、これは年内にもう一度ご来店を、という意味でしょうな(笑)。 花園中央公園に立ち寄ってから帰宅。 花園ラグビー場では全国高校ラグビー大会が開催中とあって、駐車場には大型バスが沢山並び、スタジアムからは歓声とどよめきの音。 熱い戦いが繰り広げられているようです。葦辺吹く風にし聞こゆ歓声は今しトライをあげたるならむ (花園家持)(葦原)(花園中央公園のラクウショウ)(同上・モミジバフウ)
2018.12.28
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今年最後の岬麻呂旅便りです。 昨日(22日)届きました。 今回の旅は、12月17日~20日の3泊4日の鹿児島・宮崎ご夫婦旅でありました。旅の写真添付の21日午後4時45分のメールには「20日に鹿児島・宮崎から戻りまして、『報告』を超スピードで完成させて、先ほど投函させていただきました(報告がやや雑になった感あり<笑>)。」とありましたが、先ずは、その報告をご覧下さい。(旅・岬巡り報告230&同写真説明)17日 関西空港~鹿児島空港~佐多岬~薩摩明治村(財宝温泉)泊(佐多岬展望台)(佐多岬・種子島方向)(同上・錦江湾方向、開聞岳遠望) 佐多岬は本州最南端、北緯31度に位置する。(同上・北緯31度モニュメント)18日 薩摩明治村~かのやバラ園~都井岬~南郷~青島温泉泊(桜島・薩摩明治村展望台から)(かのやバラ園)(同上・バラ色の郵便ポスト)(都井岬・野生馬)(都井岬灯台)(日南海岸・南郷)※左奥に見えるのが大島。鞍崎灯台がある。19日 青島温泉~宮交ボタニックガーデン青島~城山公園~日南海岸(南郷)~隼人温泉泊(青島の日の出)(青島の黄色いポスト)(折生迫の城山公園から青島遠望)20日 関西空港帰着 以上です。 これが今年最後の岬麻呂旅便りの記事でありますので、上掲の「旅・岬巡り報告230」に記載の岬麻呂氏の文章を以って、記事を締めさせていただきましょう。「今年も一年間拙い旅報告にお付き合いくださいまして有難うございました。どうぞ良い新年をお迎えください。」 <参考>過去の岬麻呂旅便りの記事はコチラ。 岬麻呂旅便り関連のフォト蔵写真集はコチラ。
2018.12.23
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今日は冬至。 お天気はイマイチですが、暖かい冬至です。 5人組ウオークの仲間の一人である健麻呂氏より旅便りが届いた。 今回もハノイの旅。どうやら最近は年末にハノイへご夫婦でご旅行というのが毎年の恒例になっているようです。(2018ハノイ・健麻呂旅便り)※写真をクリックして大きいサイズの写真でお読み下さい。<参考>〇健麻呂氏からの旅便り関連過去記事は下記の通り。 2016.7.15. 友人十色 2016.12.15. 梅田で囲碁・ハノイ・のらやで忘年会・古いアルバム 2017.12.6. 囲碁例会・健麻呂旅便り〇5人組ウオーク関連過去記事はコチラ。 また、友人の画家・家近氏から届いたのは、「邂逅展」のご案内。 来年(2019年)正月、元日から6日まで開催の共同展とのことで、家近氏のほか多数の方の作品が出展されるよう。主宰者の小〇氏は独文学者。かなり以前のことになるが、家近氏のお誘いで「つるの会」に出席した折に同氏とはお会いしているので、小生も面識のあるお方である。 今年(2018年)の正月にも同様のご案内状を頂いた記憶がある(出掛けず仕舞いであったが)ので、この展覧会も毎年正月恒例になっているのかも。 初詣などで、奈良にお出掛けになるようでしたら、皆さまもどうぞお立寄り下さいませ。(邂逅展)(同上) 本日も友人からの便りに便乗の記事でした。
2018.12.22
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この処、これという記事ネタもなく、ブログの更新を怠っているうちに6日が経過していました。風邪でダウンしていた訳ではありませんので、どうぞご安心を。 先日、東京の知人・K氏から本が送られてきました。同氏が著された自叙伝でした。本のタイトルは「塞翁が馬」。 K氏とは、もうながらくお会いしていない。年賀状をやりとりするだけのお付き合いになってしまっていたのに、自叙伝をご恵贈いただき、有難いことでありました。 (K氏自叙伝「塞翁が馬」) K氏とお近づきになった経緯は、次のような次第。 小生の現役時代、法務担当の課長だったか部長だったかの頃、監査役のスタッフも兼任していた関係で、日本監査役協会の関西支部に出入りしていた。そこでは、監査役監査実務要領か実務指針か何かそのようなものの改訂試案を作成する部会があり、それに参加していた。 日本監査役協会というのは、上場企業の監査役に向けて、監査関連の情報を提供したり、監査役の相互研鑽・勉強会の場を提供し、以って我が国企業の監査役監査の質の向上を図るため設立された社団法人であるが、その監査役を補佐するスタッフに対しても様々な情報を提供すると共に、毎年監査役スタッフ全国会議というものを開催している。 或る年の監査役スタッフ全国会議で、我々関西支部での上記改訂作業の進捗状況の報告や改訂試案の説明をしてくれということになり、作業部会の座長であるK社のA氏がこれを行うことになった。 ところが、全国会議の直前になって、A氏の都合がつかなくなり、代役で小生が急遽これをやることとなった。 そういうことがあった関係だと思うが、その全国会議で顔を合わせた、同業N社の監査役室長・O氏が声を掛けて来られた。M社、D社にも声を掛け、同業4社で監査役スタッフ連絡会なるものをやらないかとの話であった。小生もその場で賛同。その後まもなく同業4社のスタッフ連絡会が発足することとなった。 何回目かのスタッフ連絡会の席で、監査役も参加して貰ったらどうだろうかという話になり、各社の監査役もご参加いただくこととなった。 この会合で、小生はK氏と知己を得たのでありました。当時、K氏はM社の監査役をされていたのである。 知己を得たと言っても、酒席・宴会で雑談したり、ゴルフをご一緒したりという程度で、それ程、親しく深くお話をした訳でもなく、K氏ご自身の生い立ちやM社の監査役をされる前の経歴などは存じ上げなかったので、今回の自叙伝は大変興味深く読ませていただいた次第。 満州時代のお話、軍隊時代のお話、広島での被爆のお話や戦後の混乱の中での色々な事、父から聞いた話などとも重ね合わされる部分がある一方、何やらドラマを見ているような感じもあって、一気に読んでしまった。我々の世代とは比較にならない困難な時代を生きられたのだということを今更ながらに理解された次第。まさに塞翁が馬の人生である。 K氏は小生の父(故人)と同じ年の生まれだということも、今回初めて知りました(父が11月生まれであるのに対してK氏は10月生まれ)。 K氏の益々のご健勝をお祈り申し上げる次第であります。 本の写真だけではいささか絵柄的には物足りない気もしますので、ブロ友のfurano-craft氏から頂戴したメールに添付されていた写真を紹介して置きます。(富良野)ああ富良野 白銀の野よ いや遠に 神さび白き 十勝の山よ (山部白人) 北海道、富良野は、既にして白銀の世界のようです。 十勝連峰の白き山並み。神々しい景観です。<参考>furano-craft氏のブログはコチラ。 本日は、東京の知人、北海道のブロ友からのお便りに便乗してのブログ記事でありました。<追記:2018.12.19.17:44> 当記事をご覧になってfrano-craft氏からメールがあり、「その後、雄の蝦夷鹿と遭遇しました」と、その写真を添付してくださいましたので、これも併せ紹介させていただきます。(エゾシカ)富良野原に雪踏みしめて立つ鹿の 姿見る日々冬もかなしき (犬丸太夫)(本歌)奥山にもみぢふみわけ鳴く鹿の こゑきくときぞ秋はかなしき (猿丸太夫 古今集215 小倉百人一首5)
2018.12.19
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第206回智麻呂絵画展 今年最後の智麻呂絵画展となります。 今年は智麻呂絵画展は今回で9回の開催となりました。 出展絵画総点数は全84点でありました。 この1年、智麻呂絵画展にご来場下さった皆さま、コメントをいただきました皆さま、その他、絵の題材をご提供いただくなどご支援いただきました皆さまに心からお礼申し上げます。 どうぞ、皆さま、よきXmas、よきお正月をお迎え下さいませ。皆さまのご健勝、ご多幸をお祈り申し上げます。そして、来年も引き続き、智麻呂絵画展をご愛顧賜りますようお願い申し上げる次第であります。(智麻呂、恒郎女、偐家持拝)<参考>過去の智麻呂絵画展は下記からご覧下さい。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ フォト蔵の智麻呂絵画集写真はコチラ では、第206回展どうぞごゆるりとお楽しみ下さいませ。 先ずは、偐山頭火さんからの柿と燻製の絵であります。(五条の柿 from 偐山頭火) この柿は偐山頭火氏が奈良県五条市を旅された折のお土産。旅づとの五条の柿を三つ並べ 絵にかかすらむその秋の実を (偐家持)(本歌)たまきはる宇智の大野に馬並めて 朝ふますらむその草深野 (中皇命 万葉集巻1-4)(燻製 from 偐山頭火) そして、上の燻製は、偐山頭火氏が、趣味と言うか道楽と言うか、ご自身の楽しみとして、やって居られる「燻製」のお裾分けであります。 次は小万知さんからの蘭の絵であります。(蘭 from 小万知)小万知さんが真っ白な蘭の花持って 遊びに来たから今日は蘭記念日 (俵小万知)(本歌)「この味がいいね」と 君が言ったから 七月六日はサラダ記念日 (俵万智) 次は、ひろみの郎女さんからの水仙です。(水仙 from ひろみの郎女) ご自宅の庭に咲いていた水仙を摘んで、絵の題材にとお持ち下さったものです。水仙は智麻呂氏のお好きな花の一つ。これまでにも水仙の絵を沢山描いて居られます。水仙のその花にもが絵筆とり朝な夕なに描かぬ日無けむ (偐智麻呂)(本歌)なでしこのその花にもが朝なさな 手に取り持ちて恋ひぬ日無けむ (大伴家持 万葉集巻3-408) 次は、下仁田葱です。 故K牧師のご夫人から送られて来た下仁田葱です。K牧師とそのご夫人は共に、智麻呂氏にとっても恒郎女夫人にとっても学生時代からのご親友。K氏ご存命の時から、この時期になると下仁田葱が送られて来るのが毎年の恒例となっていましたが、K氏亡き後もご夫人が変わらずに送って下さっているという次第。 智麻呂絵画展のご常連様にはお馴染みの下仁田葱かと存じます。(下仁田葱 from K夫人)葱見れば 背子しおもほゆ 葱食めば ましてしのはゆ 下仁田ゆ 来たりしものぞ 絵に描けば 面影立ちて やあやあの声 (下仁田憶良)(本歌)瓜食(は)めば 子等(こども)おもほゆ 栗食(は)めば ましてしのはゆ いづくより 来たりしものぞ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ (山上憶良 万葉集巻5-802) 次も、智麻呂ご夫妻のご友人である五〇さんからのハムです。(六合ハム from 五〇さん)食べらくも見らくしもよし六合ハムを 絵にしぞなして年の暮れゆく (偐智麻呂) このハムの絵も、智麻呂絵画展ではお馴染みの絵であります。 親鸞の幼名は十八公麿と書いて「まつまろ」でありましたが、松という漢字を分解すると十、八、公となるから、「十八公」で「まつ」と訓ませたもの。もし、その時代にハムという食品があったら、もっと分解して「十八ハム」で「まつ」と訓む表記にしたかも、などと詰まらぬ連想をしているヤカモチ館長でありました。 次は、ゴッホの向日葵であります。(ゴッホの向日葵) 勇敢にも巨匠ゴッホの絵の模写に挑戦されましたが、完成させるや風邪でダウン。ゴッホ、ゴッホと咳しきりであったそうな。幸い軽快されて今は頗るお元気でありますので、どうぞご安心下さい。ソレイユのゴッホの祟りなるらむかゴッホゴッホとしばらくは寝し(咳麻呂) 最後は、シクラメン。(シクラメン) このシクラメンは夫人の恒郎女さんが、お花屋さんで買って来られたものであります。智麻呂さんに、絵の題材にと、お渡しされる際に「出会いの時のわたしのようでしょう」と言われたのかどうか、また、それに対して智麻呂さんがどうお答えになったのかは存じ上げぬことであるが、とても丁寧に素敵に描かれています。 いつの時であったか、智麻呂さんは鉢も狭しと咲き群れるシクラメンを前にして、どうしてもそれが満足の行く絵に描けないという「シクラメン症候群」にかかられて、しばらくはシクラメンが苦手という時期がありました。 どうやらシクラメン症候群を克服されたことは、この絵からも、はっきりしたようです(笑)。きっと、出会いの時の恒郎女さんの面影をこの花に重ねつつ絵を描かれたのでしょう。ご馳走様でした。 以上です。本日もご覧いただき、ありがとうございました。
2018.12.13
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今年最後の囲碁例会。 いつものように自転車で出掛ける予定でいましたが、細かい雨が盛んに降っていて、ちょっと無理。電車で出掛けることに変更。しかし、大阪駅に着いた頃には、青空。もう少し待って出掛けることにすれば良かったと思うが結果論、あとの祭である。 本日の出席者は、前回同様、福麻呂氏、村〇氏、平〇氏とヤカモチの4名。 福麻呂氏と平〇氏には勝ち、村〇氏には負けて2勝1敗。これで、今年の成績は、16回参加、18勝27敗。勝率4割丁度。全通算では253勝240敗(勝率513)と未だ少し勝ち越しているが、昨年に続き、今年も負け越しにて、「貯金」も少なくなって来ています。来年は頑張ろう(笑)。 昼食は里山のカフェテリア、WILLER EXPRESS cafeで。 昼食後、里山を少し散策。自転車での往復ではないので、立ち寄り先もなくあれば、里山の写真などを掲載して置きます。(梅田の里山) 紅葉もそろそろ見納めですが、このように美しく色づいている木も少しは残っている。(同上) 上の2枚の写真は、カフェテリアからの眺めです。(同上) センリョウが赤い実をつけていました。(センリョウ)(同上)大伴家持の歌に、 この雪の消(け)残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む(万葉集巻19-4226)という有名な歌がある。 この歌の「山橘」というのは、ヤブコウジ(藪柑子)のことで、センリョウではないが、センリョウの実の方がこの歌により似合っているという気がしないでもない。ヤブコウジの別名は十両。千両には及ばないから当然か。 尤も、ヤブコウジに比べてセンリョウは少し背が高いから、雪が消え残る時に漸く顔を出して、その赤い実を見せてくれる、というような微妙な味わいは、千両役者には望めないと言うべきか。<参考>一両=蟻通(アリドオシ)十両=山橘(ヤマタチバナ)=藪柑子(ヤブコウジ)百両=唐橘(カラタチバナ)千両=草珊瑚(クササンゴ)万両=藪橘(ヤブタチバナ) とにもかくにも、今年の碁の打ち納めでありました。
2018.12.12
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友人の岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回は、「温泉とビール一杯の会」のご友人たちとの、忘年会を兼ねての「伊予三湯<道後温泉・鈍川温泉・本谷温泉>巡り」の2泊3日の旅であったようです。<参考>過去の岬麻呂旅便りの記事はコチラ。 岬麻呂旅便り関連のフォト蔵写真集はコチラ。 さて、旅のご様子などは、例によって、ご本人からの「旅・岬巡り報告(下掲)」によってご覧下さい。(旅・岬巡り報告229・愛媛&同写真説明)※画像をクリックして大きいサイズの画像でお読み下さい。12月4日関西空港~松山空港~道後温泉・飛鳥乃湯泉(道後温泉別館・飛鳥乃湯泉) 岬麻呂氏からメール送信されて来た写真の中に、この飛鳥乃湯泉にあったという山部赤人の歌碑の写真が、オマケとして入って居りましたのでこれを掲載して置くこととします。 当ブログが偐万葉田舎家持歌集であることを忖度してのご配慮かと存ずる次第(笑)。(山部赤人の歌) この歌は、山部赤人がこの地に立ち寄った際に詠んだ歌である。 参考までに、岩波文庫版から、この歌とその反歌を以下に抜き書きして置くこととします。 山部宿祢赤人、伊豫の温泉に至りて作れる歌一首並びに短歌皇神祖(すめろぎ)の 神の命(みこと)の しきます 国のことごと 湯はしも 多(さは)にあれども 島山の よろしき国と こごしかも 伊豫の高嶺の 伊佐庭(いさには)の 岡に立たして 歌思(しの)ひ 辭(こと)思(しの)ひせし み湯の上(うへ)の 樹群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神(かむ)さびゆかむ いでましどころ (万葉集巻3-322)(代々天皇がお治めになっておられる国のどこにでも温泉はたくさんあるが、中でも島や山がよい国として岩のごつごつした険しい伊予の高嶺の射佐庭の岡に立たれて、歌を思い、言葉を考えられた、この温泉のほとりの木を見ると、臣の木も生い変わり茂っている。鳴く鳥の声も変っていない。遠い将来まで変わることなく神々しい姿を保って行くだろう。この行幸の地は。)(注)伊佐庭の岡=道後温泉の裏のにある伊佐尓波神社の岡。聖徳太子が碑を建てたという伝承がある。 臣の木=樅の木。伊予国風土記には、伊予国行幸の際に、舒明天皇が、宮の戸口にあった椋の木と臣の木に、イカルガとシメの鳥が集まって来たので、枝に稲穂を掛けてこれらの鳥を養ったという記述がある。 反歌ももしきの大宮人の飽田津(にきたづ)に船乗(ふなのり)しけむ年の知らなく (同巻3-323)(大宮人が熟田津で船に乗ったという昔は、もういつのことであったやら分からないことだ。) この歌は、歴代の天皇がこの地に行幸されたことなどに思いを馳せて詠まれた、いわゆる土地褒めの歌ということになる。 日本書紀には、舒明天皇11年(639年)12月~翌12年4月の行幸、斉明天皇7年(661年)1月~3月の行幸の記録がある。また、「伊予国風土記逸文」には、景行天皇、仲哀天皇、聖徳太子の行幸の伝承が記録されているという。 しかし、万葉集的には、上の反歌の文言から、斉明天皇行幸の折の額田王の歌を連想してしまう。即ち、百済救援のため斉明天皇が軍を率いて九州へと下る途中に船泊りした熟田津にて、額田王が詠んだ歌「熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな」(万葉集巻1-8)である。 巻1-8の歌の左注には、類聚歌林の記述からこの歌は斉明天皇の御製であると記されているので、赤人は同歌を額田王の歌ではなく、斉明天皇御製の歌と認識して詠んだかも知れないが、まあ、そんなことはどちらであっても構わない。赤人のこの歌がいつ詠まれたものかは分からないが、彼の活躍した時期は724年~736年頃であるから、それで類推すると、斉明天皇行幸は60~70年位前のこと、舒明天皇行幸は80~90年位前のことになる。12月5日臥龍山荘~大洲城~来島海峡大橋~今治城(臥龍山荘・不老庵)(同上 不老庵側から見た庭と臥龍院<茅葺屋根>)(同上 肱川対岸から撮影)(大洲城 左から高欄櫓、天守閣、台所櫓)(来島海峡大橋・亀老山展望台<大島側>より)(同上・糸山公園展望台<今治側>より)(今治城) 来島海峡大橋や今治城は、10年も前のことになりますが、当ブログの銀輪散歩の記事にも登場していますので、それを以下に貼って置きます。<参考>しまなみ海道(2)・伯方島~大島~今治 2008.11.14.12月6日タオル美術館~本谷温泉×~東予温泉~松山空港~関西空港(タオル美術館・43mのタオル)(同上・ムーミンの絵) 以上です。
2018.12.11
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偐万葉・雑詠篇(その7) 当ブログの偐万葉シリーズ記事は、ブロ友その他の方々のブログ記事へのコメントとして記した歌や逆にその方が下さった当ブログ記事へのコメントに対する返事コメントに添えた歌などを各人別にメモ帖に残して置き、その歌が一定数程度(最近は20首以上)になったら、偐万葉・〇〇篇として記事アップするという方式になっている。 従って、ブログ上の交流・往来が頻繁なお方については、歌数がどんどん増えるのに対して、そうでもないお方のそれはなかなか増えない。特に通りすがりのような関係の場合は、一期一会ではないが、最初で最後というようなこともある。 また、ブログ更新をされなくなったり、ブログそのものを削除されてしまわれたりして、往来が途絶えるということも生じる。 このようなケースでは、上記の「一定数」に達しない歌が散在するということになる。そこで、それらの散在する歌を集めて記事にしてみようと試みたのが雑詠篇である。 今年も残り少なくなりましたが、メモ帳に散在する歌も気が付けば相当数に達していました。メモ帳の整理も兼ねて、これらを記事にまとめることとします。即ち、偐万葉・雑詠篇(その7)であります。(注)過去の偐万葉・雑詠篇はコチラ。1.セメントマン氏のブログに書き込みたる歌11首きみ知らね 弥生九日(ここのか) 今日こそは きみ生(あ)れまして 三年(みとせ)なる日ぞ (偐セメ麻呂)(20140310三才の誕生日)さはさはと 寄す波の音(とも かなしかり 三原の海の 赤く染(そ)み行く(20150805瀬戸内の夕暮)秋づけばわれ誘ふらしさざなみや とびしま海道瀬戸の海かも (銀輪家持)(20150811玉野市田井マリーナ付近)朝床に 聞けばはるけし 瀬戸の海 出で行くらむか 船音(ふなと)高しも(注)第4句、第5句は初案「出でて行くらし高き船音」であったが、偐万葉掲載に当たり「出で行くらむか船音高しも」に修正した。(本歌)朝床(どこ)に聞けば遙(はる)けし射水川 朝こぎしつつ唱(うた)ふ船人 (大伴家持 万葉集巻19-4150)(20150911漁港を出て行く船)車とめ 出でて眺むる までもなし 桜まみれの 島の夕暮 (偐セメ麻呂)(20160405因島大橋と桜)遠目にもそれ見過ごせる筈もなし 立ちておほにし過ぎる大根 (偐セメ麻呂)(本歌)駒とめて袖うち払ふかげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ (藤原定家 新古今集671)(20160405大根のオブジェ)床下にわが背子もぐる宮島は 潮干にけらしわが背子もぐる (海辺黒人)(本歌)桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし鶴鳴き渡る (高市黒人 万葉集巻3-271)(20160408宮島・厳島神社)宮島に 潮満ち来れば 仕事無み 潮干の今ぞ 床の下見む (海辺赤人)(本歌)若の浦に潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る (山部赤人 万葉集巻6-919)歴史的なる日となるやならぬやは こののち次第鹿と見届けむ (鹿丸大夫)(20160411G7外相広島宣言)廃絶の道なほ遠しと人は言へ しかとぞわれも見届けたきもの (セメ丸大夫)(20160411宮島の鹿)社員旅行なには二泊(にはく)は疲れけめ 今日は奈良へのバスで居眠り (藤原セメ合)(本歌)昔こそ難波(なには)田舎と言はれけめ 今は京(みやこ)引き都びにけり (藤原宇合 万葉集巻3-312)(20170527奈良大仏殿)(注)掲載の写真はセメントマン氏のブログからの転載です。 セメントマン氏のブログはコチラ。2.くまんパパ氏のブログに書き込みたる歌10首ともしきろ 御井(みゐ)の処女(をとめ)の 影とかも 大和は梅の 今盛りなり(本歌)藤原の大宮仕(おほみやづか)へ生(あ)れつぐや 処女(をとめ)がともは羨(とも)しきろかも (万葉集巻1-53)(20140320梅)見て置くと上司の言ふは見ぬままに 企画を没とする腹ならむ (源不通(みなもとのとほらず))(本歌)みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに みだれそめにし われならなくに (源融(みなもとのとほる) 古今集724 小倉百人一首14)春の夜の 夢の浮橋 かこつけて コメントリンク 横槍のわれ (偐定家)(本歌)春の夜の夢の浮橋とだえして 峰にわかるる横雲の空 (藤原定家 新古今集38)塵泥(ちりひぢの 数なき身にも 眺むれば ここだも照れる 月のかげかも(本歌)月かげのいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ (法然) 熊麻呂が作れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首プロポーズ記念日としてクリスマス・イヴは光とともにめぐりく (くま麻呂)プロポーズ したる日いつと 覚えねど そひてたぐひて 幾十年(いくととせ)来しよき人に よしとよき年 来るぞよき みな人よしと よき年迎へな (偐武天皇)(本歌)淑(よ)き人のよしとよく見てよしと言ひし 芳野よく見よよき人よく見つ (天武天皇 万葉集巻1-27)山の民の 国のあれこれ あらためて 年の始めに きみにか学ぶ(注)山の民の国=アフガニスタンのこと。梅の花 咲ける月夜(つくよ)に 雪持ちて 行かむと待てど いまだ降り来(こ)ず(注)この歌は論理的に矛盾している。雪が降って来たら月夜ではなくなるから、雪を月夜に持って行くことはできない。従って、これは「行かない」ということを言っていることになる。(自歌迷解説)(本歌)闇夜(やみ)ならばうべも来(き)まさじ梅の花 咲ける月夜(つくよ)に出でまさじとや (紀女郎 万葉集巻8-1452)ヤカモチは 神にしなけど 雷の 上にし暫し 立ちてもありき (柿本人真似)(本歌)大君は神にしませば天雲の 雷の上にいほらせるかも (柿本人麻呂 万葉集巻3-235)(20140815大君は神にしませば)百万(ももよろづ) 迎へし背子の あと追へど 三十万(みそよろづ)さへ 遠き夕暮れ(注)掲載の写真はくまんパパ氏のブログからの転載です。 くまんパパ氏のブログはコチラ。 偐万葉・くまんパパ篇はコチラ。3.修楽7036氏のブログに書き込みたる歌1首君逝くや 折りたく柴の 夕けぶり むせぶなみだも とどめやかねつ(本歌)思ひ出づる折りたく柴の夕煙 むせぶもうれし 忘れがたみに (後鳥羽院 新古今集801)(般若心経)(注)掲載の写真は修楽7036氏のブログからの転載です。 修楽7036氏のブログはコチラ。4.アメキヨ氏のブログに書き込みたる歌1首朝なさな見つつにあるや富士の山 甲斐びと羨(とも)し旅人われは (河内黒人) (注)アメキヨ氏のブログはコチラ。 偐万葉・アメキヨ篇はコチラ。5.らふたまん氏のブログに書き込みたる歌1首われ先の 思ひが招く 渋滞ぞ 急がば譲れ 合流車線 (譲長)(本歌)もののふの八橋(やばせ)の舟ははやけれど 急がば廻れ 瀬田の長橋 (宗長)(注)らふたまん氏のブログはコチラ。6.IT-PLUS氏のブログに書き込みたる歌1首634(むさし)なる スカイツリーを 朝夕に 見つつや背子の 決意もあらた(20151104スカイツリー)(注)掲載の写真はIT-PLUS氏のブログからの転載です。 IT-PLUS氏のブログはコチラ。7.真澄氏のブログに書き込みたる歌2首夕暮れの しじまに咲ける 牡丹花 出で来ぬ月を 待つとやあらしおほなれる 牡丹の花は 夕暮れの かそけき風の 下(もと)にし見むや(注)上2首は真澄郎女のブログ日記に下記歌取り上げられたるに追和せしものなり。やはらかき 風吹きゆける 夕暮れに 牡丹の花の 咲きてありけり (偐家持)(20130430「牡丹」真澄画)(注)真澄氏はご自身のブログを削除されたようで、現在は存在しません。 偐万葉・真澄篇はコチラ。8.ボトックスマン氏のコメントに答へて詠める歌1首えぞしかも すぎて増えれば かのししと なりてきみにし 食はれけるかも (しかたなし麻呂)9.まりんばあくん氏のコメントに答へて詠める歌1首寒風(さむかぜ)に 負けず咲きたる 蝋梅の 花とり持ちて 来たる君かな10.龍水氏のブログに書き込みたる歌1首まとかたは たなばたつめの さとなるや かみのころもを つむぎをるとふ (ハットリくん)(注)まとかた=的形。松阪市西黒部町一帯の地の古名。<参考歌>ますらをがさつ矢手(た)ばさみ立ち向ひ 射る的形(まとかた)は 見るにさやけし (舎人娘子 万葉集巻1-61)(20140309神服織機殿神社)(注)掲載の写真は龍水氏のブログからの転載です 龍水氏のブログはコチラ。11.R・スズキ氏のブログに書き込みたる歌1首浅草の 市(いち)のカフェにし 行きてまた しかとぞ見たる あきじこりかも(本歌)西の市にただひとり出でて眼並べず 買ひにし絹の商(あき)じこりかも (万葉集巻7-1264)(注)商じこり=買い損ない12.赤い白狼氏のブログに書き込みたる歌1首赤きとや白狼の色いかに 思ひてひと夜寝ずにありける (白い山部赤人)(本歌)春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける (山部赤人 万葉集巻8-1424)13.夢猫犬氏のコメントに答へて詠める歌1首ナイスしたる ことはないすも これもまた えにしにしあれ ひととひ来たる
2018.12.08
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本日は墓参。今月は、2日(日)が母の三回忌法要であったこともあって、月例の墓参は、少し遅れて本日となりました。(今日の言葉)前(さき)に生まれん者は 後(のち)を導き後(のち)に生まれん者は 前(さき)を訪(とぶら)え (-安楽集- 親鸞上人「教行信証・化身土巻」) いつもの寺の門前の、今日の言葉は、親鸞のそれでありました。 親鸞の母、吉光御前は鎮守府将軍源義家の嫡男義親の息女。源義朝の従妹にあたる。夫、藤原有範との間に生まれた男子・十八公麿(まつまろ)が後の親鸞である。 平家全盛の時代、平清盛の仇敵・源義朝の従妹とあれば肩身狭く生きなくてはならない身の上。その父も母も、親鸞の幼少期に亡くなり、父の兄である藤原範綱に引き取られる。十八公麿9歳の時、頼朝や義仲が反平家の旗を掲げて兵を起こしたことを受けて、養父の範綱は、源氏の血を引く十八公麿の身の安全のためと、青蓮院の慈円僧正のもとで得度を受けさせることとする。 慈円が得度式を行うことの許可を求むべく中務省へ使いを出すが、使いがなかなか帰って来ない。慈円が「明日か明後日に出直して来なさい。それまでには中務省の許可を得て置く。」と言い、さればと、範綱が十八公麿を連れて帰ろうとした時に、十八公麿が口にした歌が「あすありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」であったという。 かくて、慈円も範綱も、使いの帰りを待つこととし、やがて、使いが帰って来て「裁可を得た」という報告。その日のうちに、9歳の子どもの得度式が行われ、法名・範宴の誕生となる。親鸞へと至る第一歩の歌が、上の「あすありと~」の歌であると言う訳であるが、何処までが本当の話かは存じ上げぬことにて候。(注)十八公を「まつ」と訓むのは「松」の字を分解すると十、八、公となるからである。 そんなことを思いながら、坂道を上って行くと墓地である。(墓地) 墓地の片隅に咲いていたのは、多分、ヒメジョオン。 ヒメジョオンは初夏から秋にかけての花の筈。 もう12月だというのに、まだ咲いているか、である。(ヒメジョオン)(同上) そのかたわらでは、アメリカセンダングサが、それなりの姿になっていました。(アメリカセンダングサ) アメリカセンダングサの花には、よく見るとカメムシがとまっています。撮影している時は気が付きませんでしたが、写真を大きいサイズにして見ると、それと気付きます。 アメリカセンダングサは、いわゆる「ひっつき虫」である。そのひっつき虫にカメムシがひっついているのは愉快である。(同上) で、もう咲いている花がこれ。(ロウバイ) まだ咲いている花もあれば、もう咲いている花もある。 12月というのに夏日になったりの最近の異常気象。 花も、咲く時期に些かの混乱あり、なのかも。 花ついでに、今日の墓参の折の撮影ではありませんが、こんなのも見かけましたので、掲載して置きます。(サンシュユの実) サンシュユの実は左程に珍しくもないのであるが、このようにびっしり生っているのは初めて目にしました。小鳥たちが喜びそうな光景であります。山茱萸と漢字表記するように、ヤマグミであるが、グミよりもずっと不味い。酸っぱい味であるが、甘みは殆ど無い。一粒齧ってみた感想です。 そして、アスパラガスの実です。(アスパラガスの実) アスパラガスが成長するとこんな草になるのも初めて知りましたが、このような赤い実を付けるということも、初めて知りました。(同上) こちらの赤い実は齧るのを忘れましたので、感想はありません。 以上、墓参と花散歩の記事でした。
2018.12.07
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本日は囲碁例会の日。 例によって、自宅から梅田スカイビルまで、銀輪散歩を兼ねての銀輪行でありました。 大阪城公園を通り過ぎ、(大阪城公園) 天満橋を渡って、滝川公園で小休止。 近くにある「れんげ亭」は、時間が合えば「昼食場所」となるのだが、今日は、未だ11時を少し過ぎたばかりの時刻。れんげ亭は「支度中」だろうと、昼食は梅田スカイビルに着いてからにしようと、扇町公園方向へと向かう。(扇町公園) 扇町公園はパノラマ撮影で撮ってみました。 JR環状線・天満駅前を通って、阪急の梅田高速バスターミナルを通り抜けて、梅田スカイビルに到着。(梅田スカイビル、ドイツXmasマーケット) 入り口ゲート前では、YMCAの子ども達が募金活動をしていました。募金箱には「クリスマス献金」という表示がされていました。可愛い声で「お願しまぁ~す」などと言われては、無視もできないヤカモチ翁、心ばかりの献金をさせていただきました(笑)。(同上) 今日は、里山のカフェテリアでも、いつもの喫茶店でも、地下の四季彩でもなく、ガーデン5棟1階のレストランで昼食。初めての店。昼食を済ませて、Xmasマーケットの出店を覗いたりしながら、ぶらぶらと里山方向へ足を向けましたが、今日は里山には立ち入らずでありました。その代り、パノラマ撮影にて、その全景を写真に撮ってみました。(梅田の里山) さて、囲碁例会の本日の出席者は、福麻呂氏、村〇氏、平〇氏にヤカモチの4名。3局打ちました。1局目の福麻呂氏には勝ったものの、村〇氏、平〇氏には負けて、1勝2敗と借金を増やす始末にて、今日も振るわずです。 これで今年に入ってからの通算成績は16勝26敗。一向に浮上しません。 例会は、次回12日を残すのみ。目標をグンと下げて、せめても借金をひと桁にして、今年を終えたいもの・・と。
2018.12.05
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我が家と道路を挟んだ向かい側隣地を買い取った業者による、建物解体、宅地造成工事が始まり、2階の書斎の窓などから見える、その様子の変化を、気が向いた都度、撮影して来ましたが、ほぼ、完成したようなので、その推移を写真により、振り返ってみることとします。 先ずは、まだ隣地の方がお住まいであった時の写真です。 これは、偶々大阪では珍しい雪の降り積もった日に撮影してブログに掲載したもので、今回の記事のための写真ではありませんが、在りし日の姿をとどめる我が手許に残る唯一の写真であります。<参考>春の雪 2011.2.15.うつろふは世の常なりき在りし日の 隣家の姿せめてとどめむ (近隣家持)(2011.2.14.雪の日の隣地旧建物<右側>) 昨年5月、解体工事が始まる。 (2017.5.15.建物解体工事始まる。) 建物解体工事が終了し、整地工事。 (2017.5.27.整地工事)(2017.6.5.整地工事完了)(2017.6.18.同上) 暫く、工事は中断。(2017.8.12.雑草が繁茂し始める。)(2017.10.6.同上)(2018.3.29.地盤嵩上げ・擁壁築造工事始まる。)(2018.4.1.同上) 再び、工事が中断し、夏草繁き姿に。(2018.8.3.夏草が繁る) 工事再開。(2018.8.6.工事再開)(2018.8.7.同上)(2018.8.同上)(2018.8.10.同上)(2018.8.22.同上) 擁壁築造工事に進む。(2018.8.29.同上)(2018.9.8.同上)(2018.9.10.同上)(2018.9.11.同上)(2018.9.15.同上) 擁壁一部完成。 (2018.9.21.同上)(2018.10.2.同上) 擁壁が出来上がり、土砂の搬入が始まる。(2018.11.4.同上) そして、ほぼ完成です。(2018.11.27.ほぼ完成) 仕上げ工事や周辺部の工事が全て完了すれば、宅地造成工事は終了。 次は、住宅建設工事になるのでしょうが、これは少し先になるのでしょう。4棟の建売住宅が建つような区画割のようですが、これが建てば、わが書斎の窓からの眺望はこれに遮られてしまうこととなる。まあ、眺望は、隣地に視界を遮るものが偶々存在しないということによって享受しているに過ぎない反射的利益であって、眺望権などと言う権利があるのでもなければ、これは甘受すべきものであります。 書斎にあっては、窓外の眺めを楽しむなんてことは実際上必要のないこと。加えて、もともとが大した眺めでもないのであってみれば、特にどうということもない、というのが吾輩の感想。<参考>追記隣地に関連した過去記事は以下の通りです。建物解体工事から8月頃までの写真は既に掲載済みであることが判明しましたので、今回の記事は、一部「二番煎じ」でありますこと、お詫び申し上げます。カメムシ 2017.8.10.隣の空き地の雑草たち 2017.10.6.
2018.12.03
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偐万葉・もも篇(その5) 今日から師走。師走にありても銀走家持、何と言って変りもなき日々の世捨て人の身にてあれば、常のごとに是有り候とて、本日は、シリーズ第299弾、偐万葉・もも篇(その5)の記事アップであります。<参考>過去の偐万葉・もも篇はコチラ。 ももの郎女さんのブログはコチラ。 偐家持がももの郎女に贈りて詠める歌20首 並びにももの郎女が詠める歌2首トネリコの 木(こ)の下隠(したがく)り 咲く花は 爆(は)ぜたりはせぬ 君子蘭なり (君子家持)(20180413クンシラン)爆ぜたりで 悪うござんす 爆ぜ蘭の 何処吹く風と 今しも芽吹く (爆家持)変若水(をちみづ)を 得てやハゼラン 芽を吹きて 年若からし 甦りける (爆家持)(本歌)磯の上に生ふるつままは根を延(は)へて年深からし神さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159)(注)つまま=都万麻。タブノキ(タモ、イヌグス)のこと。クスノキ科の常緑高木(20180413ハゼラン)朝(あした)見て 夕(ゆふべ)消(け)ぬるや 蒲公英(たんぽぽ)の 絮(わた)はいづちへ 旅立つならむ (絮家持)(注)上記の歌は2018年4月16日のももの郎女氏のブログ記事に寄せて詠むもコメントせず、メモに残したまま放置されていたものである。(20180416タンポポの絮)焼きそばと呼ばれくやしと春たけて マンネングサも若返るらし (万年家持)(20180412マンネングサ)田平子(たびらこ)の 絮(わた)も旅立ち 待つならむ われも明日より みちのくの旅(20180429タビラコ)ああはつ夏 杜の都は 青葉風 君も仙台 われも仙台 (与太野家持)(本歌)ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟 (与謝野晶子)(20180506仙台港)飯盛の 山にしあれば 昼めしは にぎりめしよし ハムも添へつつ (飯家持)(20180604飯盛山で握り飯)ペリカンの家にし咲けばもぢずりも 乱るることはなかりとぞ見ゆ(石切左大臣)(本歌)みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに みだれそめにしわれならなくに (河原左大臣 古今集724、小倉百人一首14)(20180611ネジバナ)あぢさゐの花摘むべきや摘むまじや 迷ひつ妹は見つつやあらむ (外野家持)(本歌)紫陽花の八重咲く如くやつ代にをいませわが背子見つつしのはむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)けふ咲きてあした切らるる紫陽花の 花にしあるかペリカンの庭 (橘諸切)けふ咲きてあしたも咲かむこの庭に 言ひて紫陽花店に出で来ず (橘拒否)(20180626今年最後の紫陽花) ももの郎女が返せる歌1首暑すぎて 紫陽花はちと 季節感 ずれてはいるけど 眺めつつ待つ朝露を 負ひて咲きぬる 朝顔を 描きて夕べに 影やとどめむ (偐智麻呂)(本歌)朝顔は朝露負ひて咲くといへど 夕影にこそ咲きまさりけれ(万葉集巻10-2104)秋楡に まとひつきたる 夏藤の ごとにうたてき 今日の暑さよ雉鳩の巣をば守(も)るべし来る客も それめづらしと語りつぐがね (山鳩家持)(本歌)丈夫(ますらを)は名をし立つべし後(のち)の代に聞き継ぐ人も語り続(つ)ぐがね (大伴家持 万葉集巻19-4165)花園の 丘になりたる 小楢の実 摘みて吾が来し まぐはしその実(本歌)下野(しもつけの三毳(みかも)の山の小楢のす目(ま)ぐはし児ろは誰(た)が笥(け)か持たむ (万葉集巻14-3424)(20180915コナラの実)ペリカンの日替りランチいかなると 黒猫タマはとひきたるかも (高市黒猫)黒猫に遅れてわれもペリカンの 日替りランチ食ひにけるかも (河内白猫) ももの郎女が追和して詠める歌1首ひだまりを 浴びて黒猫 寝転んで 毛繕いして 気まぐれにゆく(20181029黒猫タマ)山鳩は山にありては可愛くも 庭木に巣なすは別のことなり (ペリカン堂もも)猫の尾ともみつかへるで見つつもや 妹もせすとかくらし手づくり (大原郎女)(注)「猫のしっぽ かえるの手 京都大原 ベニシアの手づくり暮らし」=NHKの番組名 猫の尾=キャッツテールという花 かへるで=蛙手。カエデの古語。 ~せす=~為す。(20181130手づくり暮らし)(注)掲載の写真は、☆もも☆どんぶらこ☆氏のブログからの転載です。
2018.12.01
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