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偐万葉・ひろみ篇(その15) 久々の偐万葉シリーズ記事です。 最近は、ブロ友氏のブログ記事に書き込む歌も減少気味にて、偐万葉シリーズの記事アップが間遠になっていますが、そんな中で、気が付けばひろみちゃん8021氏関連の歌が20首を超えていましたので、同シリーズ第305弾、ひろみ篇(その15)をアップします。 <参考>過去の偐万葉・ひろみ篇はコチラ ひろみちゃん8021氏のブログはコチラ 偐家持がひろみの郎女に贈りて詠める歌22首 並びにひろみの郎女が返せる歌3首散椿(ちりつばき) 咲くをし待ちて つらつらに 百代(ももよ)に見ませ 千歳(ちとせ)をかけて (万才家持)春花も 散りてののちは もみち葉も 塵にしあると 箒の妹は (塵家持)金剛寺 先越されては もみつ葉の 二番煎じの 種とやならむ (後祭家持)(本歌)わが頼む 西のはやしの 梅の花 みのりの花の 種かとそ見る (後村上院 新葉和歌集) (2018.11.27.金剛寺) ひろみの郎女が返せる歌1首金剛寺 ヤカモチさんの ブログ待つ 高い視線が ひろみと違う (先越しひろみ)凡人に あらぬ凡鬼の 名がすでに 非凡と言ふの ほかなかるべし (凡瓜)うしろ髪 持たぬ女神に 逢ふことも なけど日々無事 今年も暮れぬ (暮家持)疲れたる からだに風呂の よきごとに よしやこころに 智麻呂絵画 (偐家持美術館)まぐはしと 岬の麻呂の バラの花 妹載せたるか 今日のブログにはつはつに 見たる岬の 麻呂が薔薇 つばらに今日見つ 妹がブログに (2018.12.27.岬麻呂のバラの花)帰るさに 佐保の御陵(みささぎ) 吾(あ)が来れば 音もさやけし 松風渡る(本歌)妹に恋ひ 吾(あが)の松原 見渡せば 潮干(しほひ)の潟に 鶴(たづ)鳴き渡る (聖武天皇 万葉集巻6-1030)(注)吾の松原=四日市市の海辺、朝明の行宮に近い場所。わが背子と 二人眠れば いくばくも 佐保吹く風の 寒からなくに (偐皇后)(本歌)吾背子と 二人見ませば いくばくか このふる雪の うれしからまし (光明皇后 万葉集巻8-1658) (2019.1.3.聖武天皇陵)天平の 御代(みよ)遠そけど 百鳥(ももどり)の 声はここだも 佐保のみささぎ(注)第4句は、初案「声はここだに」を「声はここだも」に修正した。 ここだ=幾許。こんなにも多く、こんなに甚だしく。 数量が多い、程度が甚だしいことを示す副詞。わがひとり くればふくかぜ おときよみ みたましづもる みささぎのみち年明けの アケビコノハの めでたかり 春咲く花や 秋の実待たむ (蛾家持) ひろみの郎女が返せる歌1首安眠を 妨げごめん この春に お目見え願う アケビコノハよ (2019.1.11.アケビコノハ)道東の 春は光に のみありて まだとけやらぬ 冬の雪原(ゆきはら) (北家持)春草の 芽吹くとならし 蝦夷鹿の い群れて食(は)める 野付(のつけ)のみさき (北家持)老草の 身も若草と なる花見 令和の春も ともにし見むや (大袈裟旅人) ひろみの郎女が返せる歌1首お花見で 心はいつも 中学生 昭和平成 令和を共に (若見せひろみ) (2019.4.7.若草読書会お花見)難波津に あらぬ大路の 青柳に かこち顔なり 遣唐使船 (大和部西成)(本歌)難波津(なにはと)を こぎ出て見れば 神さぶる 生駒高嶺に 雲ぞたなびく(大田部三成 万葉集巻20-4380) (2019.4.15.復原遣唐使船)さやさやと 吹く風の道 当麻道(たぎまぢ)ゆ 御所(ごせ)にしいたる 宇智(うち)にしいたる(本歌)ほろほろと なく山鳥の 声きけば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ (行基) (2019.5.9.九品寺)先達の なきもよきかな うら返す よき口実と 屁理屈法師 (閑法師)月讀(つくよみ)の 持てる変若水(をちみづ) い取り持ち 変若(をち)得ることを われは願はず (老家持)今更に 空し悲しと 言ふべきや もとより塵の 身にてある我 (塵家持)(本歌)をのこやも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして (山上憶良 万葉集巻6-978)蝉しぐれ 降るわが庭に 翅休め 撮れと言ふらし ツマグロヒョウモン (2019.7.28.ツマグロヒョウモン)(注)掲載の写真はひろみちゃん8021氏のブログからの転載です。
2019.07.29
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昨日(7月26日)は友人の偐山頭火氏との偐偐銀輪散歩でありました。 午前10時八戸ノ里駅前での待ち合わせとし、堺方面へ銀輪を走らせることに。コースの概略は以下の通り。 自宅→近鉄・八戸ノ里駅前→中央環状道路→志紀長吉神社→真田幸村休憩所跡→大和川右岸の道→遠里小野橋→南海・七道駅前(河口慧海像)→河口慧海生家跡→覚應寺→小島屋(芥子餅)→開口神社→反正陵→方違神社→仁徳陵→御廟山古墳→百舌鳥八幡宮→帰途へ(偐山頭火氏の先導について走るだけ)→(近鉄・小阪駅南方で偐山頭火氏と別れる)→小阪駅前→近鉄・瓢箪山駅近くの自転車屋(かいた屋)→自宅(注)青色文字は、予定外の立ち寄り先 自宅を早くに出発し過ぎたので、八戸ノ里駅前到着が8時50分。いくら何でも早過ぎる。駅前の、司馬遼太郎も生前にはよく利用したとかいう、喫茶店に入って休憩。その後少しばかり周辺を走って駅前に戻ると9時45分。程なく偐山頭火氏到着。 中央環状道路を南へ。JR関西本線の跨線橋を回避して偐山頭火氏の先導で大和川畔の道へと向かう。 彼は、たびたび堺方面を走っているので、コチラ方面の道には詳しい。彼の先導で最初に立ち寄ったのは志紀長吉神社。(志紀長吉神社)(同上・由緒) この神社は初めての訪問。 地下鉄谷町線・長原駅の北西に位置する。(同上・位置図)(同上・拝殿) 偐山頭火氏がこの神社に案内して下さったのは、真田幸村に所縁のある神社であるからだったよう。(同上・真田幸村に関する説明) 大坂夏の陣で真田幸村がこの神社の境内にて休憩、六文銭軍旗を奉納して戦勝祈願をしたとのこと。 神社の参道脇に、その休憩所跡なるものがある。(真田幸村休憩所跡)(同上) 明治橋付近で大和川畔・右岸の道に出る。(大和川右岸の道)(同上・先を行く偐山頭火氏) 川岸の道に出ると、視界が開ける所為もあってか、吹き来る風と相俟って、気分は一気に爽快。とは言え、流れる汗はとめがたく・・であります。ああ真夏 堺への道 汗の道 君も銀輪 我も銀輪 (輪家持) (本歌)ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟(コクリコ) (与謝野晶子) 本歌の方は、パリへ留学させた夫・鉄幹を追いかけてシベリヤ鉄道ではるばるパリへとやって来た晶子が鉄幹と再会して詠んだ歌であるが、これは後日に推敲されたもので、最初の歌は「若ければ仏蘭西に来て心酔ふ野辺の雛罌粟街の雛罌粟」であったらしい。 何れにせよ、我々の銀輪行はそのような色っぽいものでは勿論ないのであるから、また、季節も異なるのであるから、汗、汗、汗、ひたすらに汗なのである(笑)。 晶子が与謝野鉄幹と知り合う前に熱を上げた、いわば初恋の男が河野鉄南で、彼は覚應寺の住職であり、晶子の一方的な気持ちの高まりに些か持て余し気味であったよう。鉄南の紹介で鉄幹と知り合った晶子はやがて鉄幹に夢中となるのであるが、鉄南としては「やれやれ」ホッとしたということであったかも。 今回の堺方面行きは、この覚應寺に行ってみようという小生の思い付きと、河口慧海生家跡を見落としたので再訪したいという偐山頭火氏の思いが合致しての偐偐銀輪散歩なのでありました。 大和川右岸の道は、大阪市立大学のある付近で行き止まり。大きく迂回しなけれならない。大阪市立大学前の小さな緑地で小休止、水分補給。 少し道を間違うということもありつつ、あべの筋に出て遠里小野橋で大和川を渡る。砂道交差点で右折し、南海本線・七道駅へと向かう。 河口慧海生家跡に回る前に、駅前にあるという慧海像にご挨拶申し上げようという訳である。(南海本線・七道駅)(河口慧海像)※河口慧海・Wikipedia) 河口慧海について述べるのは手に余るので、上の※のWikipedia記事をご参照下さい。その高名は夙に存じ上げているものの、彼の著作を読んだこともなければ、彼が堺市の出身であることも、今回初めて知った次第。(同上・説明碑文) 七道駅前には、こんな碑もありました。(放鳥銃限定記碑と鉄砲鍛冶射的場跡)(同上・説明碑) 以前、七道駅前から内川沿いの遊歩道をザビエル公園へと銀輪で走ったことがあるが、河口慧海の生家跡は駅の東側三つ目の辻を南に入ったところにある。 生家跡の碑は、住宅が立ち並ぶ隙間に窮屈そうに建っていた。(河口慧海生家の跡碑)(同上・説明碑) 河口慧海生家跡は分かりにくい場所なので、地図でその位置を示して置きます。(七道駅、河口慧海像、同生家跡位置図) 細い路地を南へ。広い通り(大堀堺線)に出て左折。次の目的地・覚應寺へと向かう。覚應寺へは阪堺線が通る紀州街道を南進するのが近道であるが、阪神高速堺線の高架下になる国道26号を行く方が日陰になって涼しかろうと遠回りで行くこととする。 ところが、こちら側からだと何処で右に入るべきなのか目印となるものが見当たらない。通り過ぎかけて偐山頭火氏がひと際大きな寺の屋根に気が付く。覚應寺は本願寺堺別院の北向かいに位置するので、大屋根は本願寺のそれに違いあるまいと、行くと果たしてその通りで、覚應寺の前に出ました。(覚應寺 奥に見えているのが阪神高速堺線の高架) 東隣の萬福寺、西隣の十輪院に挟まれた小さな寺。(同上・説明碑) 寺の前の説明碑には河野鉄南と与謝野晶子との交流のことも記されているが、晶子の初恋の男性が鉄南であったとまでは流石に記されていない。そうであったかどうかなどは晶子の心の内の問題であるから、真相は「藪の中」である。 しかし、10代の少女である晶子が10ヶ月の間に29通もの手紙を青年鉄南に出していること、その中には「このもだゆる少女をあはれと思し、何とぞ早く何とか仰せ被下度候。二三日も御返事御待ちもうしてもなき時は、私は死ぬべく候」などという文面のあることなどからすれば、晶子が片思いであれ鉄南に恋心を募らせていたという解釈も自然なことである。<参考>河野鉄南とはーコトバンク 与謝野晶子・Wikiquote(同上・表門) 表門は閉ざされているが右手にお勝手口があり、戸を開けて自由に入れるようであるので入ってみる。 正面に晶子の歌碑がある。(与謝野晶子歌碑)その子はたち 櫛に流るる 黒髪の おごりの春の うつくしきかな (与謝野晶子) 歌集「みだれ髪」所収の有名な歌「柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君」の「君」とは鉄幹説、鉄南説、一般の道学者説とがあるようだが、ここにこの歌碑を設置したりしたら、鉄南説を唱えるようなものとなるし、寺の境内にはそぐわない歌の意味であるから、ここは無難な「その子はたち」の歌碑ということになったのでしょうか(笑)。 次の目的地は開口神社であるが、その前に、紀州街道の広道に出て、偐山頭火氏が買い求めたいという老舗和菓子屋の小島屋の芥子餅へと向かう。 晶子の「君もコクリコ、われもコクリコ」の歌に因んで、記事タイトルを「君も銀輪、我も銀輪」としたように、偐山頭火氏としては、「君も芥子餅、われも芥子餅」という目論見であったのかもしれないが、餡子など甘いものを好まなくなったわが妻であるから、芥子餅を土産に持ち帰っても誰も喜ばないということで、ヤカモチはパス。「君は芥子餅、われは時間待ち」で、偐山頭火氏の買い物が済むまで、店先でタバコを吹かしながらの時間待ちでありました。 時刻はと見るとほぼ正午。宿院交差点で目に入った店で昼食とする。 昼食後、店を出ると、雨がポツリポツリ。この時期の雨は土砂降りは別として、少し位濡れた方が涼しくていいというものであるが、すぐに止んでしまった。 開口神社は訪問済みで過去のブログ記事(下記参考)でも紹介済みなので、ヤカモチとしてはどちらでも良かったのだが、偐山頭火氏はその境内にある与謝野晶子歌碑は初見らしく、興味を示されたので立ち寄って行く。 因みに開口は「あぐち」と訓みます。<参考>阿倍野から堺へ(その2) 2017.5.1.(覚應寺、開口神社、方違神社位置図) 次の目的地は、方違神社。 と言っても、方違神社に用がある訳ではなく、鳥居前の万葉歌碑が目当てなのである。昨年10月に、方違神社にあるという三国山の万葉歌碑を目当てに銀輪散歩で訪れた際に、見つけられずに諦めたという経緯があるからのヤカモチの要望での立ち寄りである。<参考>三国山 2018.10.11.(三国山の万葉歌碑) これは、神社の社名が刻まれた社標石碑であり、万葉歌碑として建てられたものではない。社標の側面に万葉歌が刻まれたものなのである。通常の一般的な歌碑を想像して探していたので、前回は気が付かなかったという次第。 撮影していると、一人の男性が向こう側からこの社標をスマホで撮影して居られる。万葉歌碑ならコチラですよ、と声掛けをする。三人で撮影である(笑)。まあ、そのお方が万葉ファンなのかどうかも分からぬから、ヤカモチの大きなお世話であったかもしれないが、もし万葉ファンなら前回のヤカモチのように残念な思いになるから、大きなお世話、要らぬお節介を承知で声掛けをした次第。三國山 木末尓住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟将痩三国山 木末に住まふ むささびの 鳥待つがごと 吾待ち痩せむ (万葉集巻7-1367) 堺は、摂津、河内、和泉三国の国境に存在する地。その立地がその後の発展に寄与し、独自の自治都市を形成、繁栄を築いて行くのであるが、この万葉歌で言う「三国山」については、福井県の三国説などがあって定まらない。三国が接する位置にある山は全国に数多くあるわけだから、堺と断定することはできないのである。まあ、堺という名前からして国の境から来ているのだから、境、坂井、酒井など同類の名前が多い地名なのである。 歌の意は「なかなかやって来ないあなたを待って痩せる思いです。」ということを言うために、三国山のムササビを引き合いに出しただけだから、何処の三国山でも三国ヶ丘でもいいのである。 なお、ムササビのために付言するなら、彼は小鳥を捕食したりはしない。木の実や芽や樹皮、花の蕾などのほかせいぜい蜂などの昆虫を食べるに過ぎない。 次の目的地は、仁徳陵の周回遊歩道沿いにある、磐之媛の歌碑。 何故、4首もの磐之媛の歌の刻まれた碑石が並べられているのか、夫の仁徳天皇に対する嫌みか、などと浮気の多かった仁徳さんの気持ちにシンパシーを覚えるのか、偐山頭火氏の疑問となっていたらしい(笑)。 犬養先生揮毫の歌碑であるが、ヤカモチは未見であったので、それは是非見たいものと立ち寄った次第。(磐之媛万葉歌碑<犬養万葉歌碑>)(同上) 磐之媛は仁徳天皇の皇后となるが、通常、皇后となれるのは天皇の娘など天皇の血を引く女性でなければならないというのがこの頃の慣わし。 磐之媛は古代有力豪族、葛城氏の娘であるから、この慣わしによるなら、夫人など二番手、三番手の地位につけても、皇后の地位にはつけないことになる。この慣例を破って臣下の娘であった者が皇后位についた最初の女性が磐之媛であった。 また、仁徳の浮気を許さず、天皇が謝罪しようが迎えをよこそうが、頑として受け容れず、宮廷に帰ることはせず、別居したまま世を去るという、言わば自己を押し通した女性でもある。そんなことで古代の代表的な女性として磐之媛の人気は高かったものと思われる。 犬養先生の大学での講義での受け売りであるが、古代の男性の代表が雄略天皇で、女性の代表が磐之媛であったと思われる。 万葉集第1巻冒頭の歌が雄略天皇が初瀬の丘で若い娘を口説く歌であり、第2巻冒頭の4首が磐之媛の歌であるというのも、そういう事情を表すものであるという次第。 ということで、ここに刻まれている歌4首は万葉集第2巻の冒頭の4首なのである。勿論、磐之媛自身が作歌したかどうかは不明である。民謡など伝承されて来た歌を磐之媛の作としたと考える方が当たっているのだろう。史実などは人々は求めてはいない。いかにも磐之媛らしい歌と人々が思えば、それは磐之媛の歌でいいのである。 まあ、何にしてもこの4首は、言わば4点セットで不可分の構成になっているので、4首が並べられているだけのことで、特段の意味はないのである。君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山尋ね 迎へか行(ゆ)かむ 待ちにか待たむ (磐之媛 万葉集巻2-85)かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 岩根しまきて 死なましものを (同巻2-86)ありつつも 君をば待たむ うちなびく わが黒髪に 霜の置くまでに (同巻2-87)秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ (同巻2-88) 87番の歌には異伝歌があって、「或る本の歌に曰く」として、次の歌が掲載されている。居(ゐ)明かして 君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜は降るとも (同巻2-89) 歌碑の並びは、上の写真の奥から85番歌、86番歌、自然石の87番歌、88番歌、87番歌の異伝歌である89番歌という順になっている。 折角なので、仁徳天皇陵の正面、遥拝所の前に回って行く。(仁徳天皇陵遥拝所) ボランティアガイドの方々が数名居られました。解散して帰途につかれるタイミングだったよう。「(世界遺産登録で)来られる方が増えましたか?」と申し上げると「随分増えましたね。特に遠方から多くの方が来られています。岡山県、埼玉県、〇〇県などなど」という答え。 大仙公園のへりを通って東へ。お土産ショップもず庵の向かい辺りにあったのがこんな像。偐山頭火氏がトイレに行っている間に近寄ってみると。(百舌鳥耳原由来の像)(同上・副碑) 百舌鳥耳原の地名説話に因んだ像でありました。 然らば、この人物は仁徳天皇ということであるのだろうか。 JR阪和線の踏切を渡り、御廟山古墳へと向かう。と言っても御廟山古墳が目当てというのではなく、その南西にある「いたすけ古墳」へ案内するべし、が偐山頭火氏の目論みであったよう。しかし、道が分からなくなったようで、気がつけば反対方向の百舌鳥八幡宮に来てしまっているのでした。 いたすけ古墳は、今日のこれら古墳を開発から守る運動のきっかけとなり、運動の象徴ともなっている古墳とのことであるが、古墳そのものには左程の興味もないヤカモチであるから、反対方向に引き返して見るまでのことはない、でありました。(百舌鳥八幡宮位置図)(百舌鳥八幡宮・拝殿)(同上・説明碑) 境内にはクスノキの巨木があって目を惹く。(同上・境内のクスノキの巨木) 肉眼では生じなかった現象。カメラを通すと、巨木の引力に引き寄せられてか、石鳥居も社殿もクスノキに向かって傾いているのでありました。(同上説明碑) さて、そろそろ帰るか、ということに。 帰りは、僕の道でいいか?と偐山頭火氏。 偐山頭火氏の後ろについて走るだけのヤカモチ。これは楽チンというものである。多分、最短のコースを見定めつつ走って居られるのでしょうが、コチラは最短でも最長でもあなた任せであるから気楽。 途中でひと言だけ注文。「何処かでかき氷を食べよう。」 しかし、食べたい時は「ない」というのがかき氷の店。三つばかり喫茶店を当ってみたが、かき氷のメニューはなし。 で、苦肉の策。 コンビニにてかき氷タイプの氷菓子を買い求めて、店内のテーブル席でこれを食べるというもの。 そんなこんなで漸くに東大阪市域に入り、近鉄小阪駅の真南辺りで、右折して帰る偐山頭火氏と別れ、単独行に。 近鉄・小阪駅前から中央環状道路を越えるという、往路で走って来た道を逆に辿って家路に。ただ、途中で偐山頭火氏が小生の後ろになって走っていた時に「少し後輪が尻振りをしているみたいだから、調整した方がいいのでは。」というアドバイスを貰ったことでもあるので、馴染みの自転車屋さんに立ち寄って、チェックして貰うことに。ほんの少し振っているかなあ、ということで、調整をしてくれましたが、お代は要りません、とのこと。お礼を申し上げて、家への最後の坂道を上りきったら、もう目いっぱいで、流石に「ふ~っ」でありました。 以上で、堺方面真夏の銀輪徘徊「君も銀輪、我も銀輪」の偐偐銀輪散歩完結であります。長らくのお付き合い、ありがとうございました。<追記:2019.7.28.>銀輪万葉・大阪府篇はコチラ。(その1) (その2)
2019.07.27
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今日は健人会の納涼懇親会。 この会は本来はゴルフをする会なのであるが、ゴルフをしなくなったヤカモチは、新年会と夏の納涼懇親会のみ参加させていただいている。 最近は、夏の懇親会は石山寺近くの料亭「新月」が会場というのが定番になっていて、今年も同様でありました。 正午開会という昼の宴会というのも当初からの恒例。 ヤカモチは雨の場合は別として、自転車持参で参加するのが恒例となっていて、懐かしい友人たちとの再会も楽しみなのであるが、それ以上に、近辺の旧跡などを自転車で廻るという楽しみもあって、毎年この会に参加するのを楽しみにしている次第。 昨年は、前日に草津駅前のホテルに宿をとり、大池寺などを銀輪散歩するということをしましたが、今年はそこまでの入れ込みはせず、朝、少し早めに家を出て、近くを少しばかり走るという、軽いメニューとしました。<参考>昨年の健人会関連の記事 大池寺銀輪散歩 2018.7.24. 健人会2018夏 2018.7.25. 先ず、訪ねたのが、功臣塚と将軍塚。壬申の乱の際の近江朝廷側の将兵が葬られているという塚である。 石山駅前で持参の小型折りたたみ自転車・トレンクルを組立て、出発。 功臣塚は、JR石山駅前から国道1号線に出て、少し北西に走った1号線沿いの東レ滋賀事業場の敷地内にある。非公開というのは承知していたが、駄目元と東レ滋賀事業場の受付に見学を申し出た。「入場は駄目」と予想通りの返事。 仕方がないので、国道に架かる陸橋の上から撮影。丁度、功臣塚の正面に陸橋があるのである。(功臣塚) 説明碑も丁度こちらを向いているので、ズームアップで撮ると、少し手振れで滲んでしまったが、十分読める程度には写りました。(同上・説明碑) 東レの前から、国道1号線を京都方向に少し行くと別保二丁目交差点がある。ここで左に入って二つ目の辻を右に入り、そこから一つ目の辻を右に入ると、住宅が建て込む中にあるのが将軍塚。(将軍塚)(同上・説明碑) 塚の上には小さな祠が建てられている。(同上・祠) 祠と向き合う形に、石室の蓋のような石が奥に見えている。(同上・奥に見える石) 夏草に覆われているのは、この時期としては仕方のないことである。 この近辺には、大友皇子に所縁の遺跡や寺社が多い。<参考>大津歌碑散歩(その4) 2013.1.10. 大津歌碑散歩(その5) 2013.1.11. このアト、晴嵐小学校近くにあるという、近江国分寺跡(国昌寺跡)を目指すが、晴嵐小学校までは行き着いたものの、それらしきものに出会えず、諦める。時計を見ると既に11時を少し回っている。 計画では、石山寺門前の喫茶店に入り、かき氷を食べて、汗を引かせ、洗面所をお借りして、濡れタオルで汗を拭い、新しいシャツに着替える、という段取りなので、石山寺へと向かう。 毎年、門前の喫茶店でかき氷、というのがヤカモチの習慣となっているから、今年もこのパターンは守らなければならないのである(笑)。 喫茶店に入ると、先客は夫婦と思しき年配の男女が一組。やはり、かき氷を召し上がって居られました。 かき氷は熱く火照った身体をたちまちに涼しくしてくれる。夏の銀輪にはかき氷は欠かせない(笑)。 十分に涼しくなったところで、洗面所で着替えである。 11時30分になったので、店を出て、会場の料亭「新月」へと向かう。 料亭の前でタバコを一服していると、岡〇氏がやって来られた。彼はこの近くにご在住なので、ご自宅からブラブラと徒歩で、という訳である。 彼と一緒に料亭に入ると、美人の女将さんに出迎えられる。 既に鯨麻呂氏が来て居られました。 トレンクルは折りたたんで収納バッグに収納して、料亭の事務所に預かっていただく。(料亭・新月) 部屋に入ると、こんな風でした。いつもの部屋である。 本日の参加者は17名。 上記2名とヤカモチ以外では、杉〇氏、只麻呂氏、田〇氏、平〇氏、今〇氏、草麻呂氏、徳〇氏、森〇氏、竹〇氏、正〇氏、平〇J氏、北〇氏、生〇氏、川〇氏の14名である。 全員が揃ったところで、世話役の草麻呂氏の開会宣言、杉〇氏だったか只麻呂氏だったか、記憶が定かではないが、乾杯の発声で、アトはもういつもの通りのグジャグジャの、食って、呑んで、喋っての宴会。(宴会風景) 今回は、各自が近況報告のショートスピーチが終盤にありましたが、それぞれに、その人らしい愉快なスピーチでした。 最後に世話役の草麻呂氏の無茶振りで、中締めがヤカモチに回って来るというハプニングがあって、お開きとなりました。 料亭のマイクロバスに全員(徒歩の岡〇氏を除く)乗り込み、石山駅で解散。大阪方面に帰る面々とは京都駅までご一緒し、ヤカモチは京都駅下車、再びトレンクルを組立て、鴨川へと向かう。 一昨年と同様に自宅までトレンクルで帰ろうという目論見。 JR奈良線の鉄橋が架かる南側から鴨川右岸の河川敷の道に入る。 東山橋を越えた付近で写真を1枚撮影。(鴨川右岸) この辺りは右岸を走っているが、鴨川は右側から流れて来る桂川と合流するので、いつまでも右岸の道を走っていては行き止まりである。水鶏橋で左岸に移ることとなる。(鴨川左岸) トレンクルには変速ギアが付いていないので、速度は余り出ない。 クロスバイクやマウンテンバイクの自転車族に簡単に追い抜かれてしまうのである。彼らがひと漕ぎすればコチラは3回か4回漕がなければ同じ速度が保てないのであるから「どうぞお先に」である。 鴨川は、右から流れ込む西高瀬川と合流し、その下流の羽束師橋の手前で桂川に流れ込んでお終い。気が付けば桂川左岸の道に変わっているという次第。 河川敷の道から堤防の道へと移る坂道を上がった処で、水分補給をしていると、はるか後方から接近しつつあったマウンテンバイクの白人青年が追い抜いて行った。目が合って笑顔で会釈。 やがて、三川(桂川、宇治川、木津川)合流地点が見えて来る。(さくらであい館と展望塔) 三川合流点の目印は、右手の天王山、左手の石清水八幡宮のある男山と「さくらであい館」の展望塔である。 木津川を下って来た場合は淀川自転車道へと入るのは簡単であるが、桂川を下って来た場合は、いったん橋の下を潜り抜けて下流側へ行き、V字ターンして反対側から橋のたもとに出ることになるので、少し戸惑うことになるのが常である。 さくらであい館の道向かいの公園でトイレ休憩してから道路に出ると、さくらであい館から道路を渡ってこちら側に向かって来る、先ほどの白人青年が目にとまる。やあ~!であったかハ~イ!であったかは定かではないが、互いに手を上げて挨拶を交わす。 御幸橋を渡り、淀川自転車道に入る。 途中で左足の膝に軽い痛みが走るようになる。昔々に山登りで痛めた左膝であるが、時々こういうことが起こる。こういう時は、自転車から降りて暫く歩くことにしている。別の動きをすることによって、痛みを感じている膝を「誤魔化す」のである。数分歩いて再び自転車に。もう痛みは消えている。 上半身裸で自転車で走っている男性が居た。見事な赤銅色に日焼けした背中。以前にもこの男性を見掛けた記憶がある。 前を行く彼に追いつき追い越しざま「見事ないい色に焼けてますね。」と声を掛けて行く。すぐに彼が追い付いて来て暫く並走しながら話をする。 彼は京橋付近に住んでいて、週に2~3回は淀川べりを走っているのだという。穂谷川を過ぎた辺りで、彼はギアを上げて先へと行く、トレンクルではとても追いつけないスピードであるから、再び単独走に。(淀川自転車道) やがて、枚方大橋が見えてくる。 手前の郵便屋さんの渡しの石碑のある信号で淀川とお別れし、京阪電車に沿った南側の道に出る。香里園駅前から外環状道路に出て、暮れかかる道を家へと急ぐ。帰宅は午後7時40分。京都駅到着時に確認した時刻は午後3時35分であったと記憶するから、4時間5分を要したことになる。見込みでは3時間半位と踏んでいたが、途中で電話が入ったりしたことや少し歩いたり速度を落としたりしたことによるロスタイムが積もってしまったよう。まあ、スピードの出ないトレンクルでは致し方のないことである。(枚方大橋)<参考>健人会・琵琶湖畔銀輪散歩そして京都駅から自宅まで(前編) 健人会・琵琶湖畔銀輪散歩そして京都駅から自宅まで(後編)
2019.07.24
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今日は大学の同窓会、青雲会の総会に出席。 会場は昨年と同じく都島区網島町の太閤園、ゴールデンホール。 この付近は、小生の銀輪散歩コースの一つであるので、自宅からMTB(自転車)でという選択肢もあったが、汗だくで顔を出すのも如何かと自重し、電車で向かいました。(太閤園位置図) 午前10時30分開会で、次のような三部構成となっている。 総 会:10:30~11:15 講演会:11:20~12:20 懇親会:12:30~14:30 小生が青雲会の会長を務めさせていただいたのは2007年4月から2009年3月までの2年間であるから、退任して早くも10年余が経過していることになる。会長の任期は2年であるから、その後5人の会長を経て、今年から片〇氏が新会長を務めて居られる。(開会前の会場) 定刻に総会は始まり、会長挨拶、名誉会長祝辞、2018年度決算報告・会計監査報告・同承認、2019年度予算報告・同承認、新幹事選任の承認、新年度役員紹介、大学からの報告と議事が全て終了し、第2部の講演会となる。(講演会) 講演会は、「A.I. ロボットと法律について~なぜ法律がA.I.やロボットに関わるのか?~」という演題で、弁護士・小林正啓氏(大阪弁護士会)からご講演いただいた。 人工知能が我々の生活の様々な分野に浸透して行く中で起こり得る事故その他の諸事象について、我々はこれをどのように法的解釈をするのが適切であるか、という新しい法的問題に直面することとなる。A.I.はシステムであり、グローバルなものであるから、全世界が共通のルールによって動くのでなければ、つまり、各国の法制がバラバラで相反するものであるようなことでは、A.I.の開発、実用化、普及を阻害することとなる。例えば、自動運転の車の問題を例にあげれば、自動運転自動車が事故を起こした場合、誰が法的責任を負うべきかという問題である。 また、アンドロイドなどは人間の感情に深く関わる側面を有するから、その制作や破壊についての、倫理的・法的議論を深め、基本原則が社会的に確立されなければならないだろう。 この分野にお詳しい同氏の興味深いお話、問題提起には、隠遁者ヤカモチも大いに知的刺激を受けました(笑)。 第3部は懇親パーティー。(懇親会会場) 今年の出席者は全91名で、例年よりかなり少な目。 わが同期も、黒〇君と佐〇君と小生の3名のみ。 それでも、青〇氏、植〇氏、安〇氏などの先輩や山〇氏、松〇氏、松◎氏、三〇氏、西〇氏などの後輩と顔見知りも多く、懐かしい面々との楽しいひと時でありました。 このところ、恒例になっているビンゴゲームでは、今年は大学が海外からのお客様へのお土産品の一つにしているという法学研究科(ロースクール)特製の風呂敷を賞品として頂戴しました。(ビンゴゲーム風景) 順番が後先になってしまいましたが、現役の学生諸君も何名かが出席してくれていて、懇親会の早い段階で、その紹介がありました。(現役学生出席者の紹介) 会終了後、同期の黒〇君、佐〇君と太閤園近くの喫茶店、去年も入った白いシェパード犬(小雪という名前)の居る喫茶店に入って、暫し歓談してから帰途に。 京阪京橋駅で京都に帰る佐〇君と別れ、JR京橋駅で池田市に帰る黒〇君と別れ、小生は鶴橋方面へ。 スマホを見ると、馴染みの自転車屋さんからの着信通知。電話を入れると、先日、修理に出したトレンクル(小型折りたたみ自転車)の修理が完了したとのこと。 近鉄奈良線・瓢箪山駅で途中下車、自転車屋さんに立ち寄ることに。修理代4580円を支払って、トレンクルを受け取り、自宅までそれで銀輪散歩の帰路となりました(笑)。
2019.07.20
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第211回智麻呂絵画展 久々の智麻呂絵画展であります。 前回の第210回展が5月1日でしたから、2ヶ月半以上のご無沙汰となりました。 最近は、智麻呂氏の絵画制作ペースがダウンして居りますが、これは絵に向かっている時間が落ちたという訳でも、描くスピードが落ちたという訳でもないそうで、奥様の恒郎女さんのお話では、描いていても途中でボツにして新たに描き直すことが多くなった、ということが原因らしい。 描き始めた時の自身のイメージ通りに描けていないと思ったら、途中で破棄して新たに始めから描き直すという訳でありますが、智麻呂氏の絵に対するこだわりがより厳しいものになって来た、ということでもあるか。 絵を完成し、仕上がった作品を眺めるのも楽しみであるが、絵を描くというその過程、プロセスそのものも「描く楽しさ」であってみれば、これはこれでいいということになるのでしょう。まあ、智麻呂絵画展を楽しみにされている智麻呂絵画ファンやヤカモチ館長としては「それはちょっと」という感じではありますが(笑)。 では、2ヶ月半ぶりの智麻呂絵画展の開催。 どうぞごゆるりとお楽しみ下さいませ。<参考>過去の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ フォト蔵の智麻呂絵画集アルバムはコチラ。 先ずは、ご友人の友〇さんから頂戴した花たちの絵・3点から。(紫陽花)(アヤメ)(グラジオラス) 次は、若草読書会メンバーからの提供による花ほかの絵であります。 先ずは、凡鬼さんご提供の枇杷です。(枇杷の実) 次のニゲラは、ひろみの郎女さんからのもの。 ご自宅の庭に咲いたのを摘んでお持ち下さいました。(ニゲラ) 次は、小万知さんご提供のネジバナです。(ネジバナ) 次は、偐山頭火さんが旅先で撮影して来られた、何処やらのクスノキの大木の写真を写生された絵です。(クスノキの巨木) 次は、東京方面在住組の祥麻呂さんからの朝顔とリチ女さんからのホオズキです。(朝顔)(ホオズキ) 次は、智麻呂氏がデイサービスで通って居られる福寿苑での催しに関連した2点です。 先ずは、お買い物デーというのがあり、この折には職員の方の付き添い、介助を受けつつ皆で外出し、好きなものを買い求めるというもののようですが、智麻呂氏はいつも絵の題材にする花を買い求められます。 今回は蘭の花でした。 何という蘭かは存じ上げませんが、可愛い花です。(蘭) そして、今月、7月は智麻呂氏の誕生月ということで、お祝に頂戴したのがこの花です。(ヒマワリ) 次は、芍薬の花でしょうか。これについての情報は持ち合わせません。(芍薬) 以上12作品。花の智麻呂らしく、お花いっぱいの絵画展となりました。 本日も、ご来場、ご覧下さり、ありがとうございました。 今回で、当智麻呂絵画展への出展絵画総数は1957点、2000点到達までアト43点。早ければ年内にも2000点達成になるかも知れません。今後とも智麻呂絵画展をよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
2019.07.19
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昨日(7月17日)は、友人の西〇氏、平〇氏との昼食会で難波まで銀輪散歩でした。両氏共に20代の頃からの古い友人。西〇氏とは年に一度か二度、今回のような形でお会いしている仲であるが、平〇氏とは10年以上ぶりの再会である。彼とは若い頃から一緒に仕事をした仲間であるが、小生が早々と退職したこともあって、退職以来会うこともなく10年以上の年月が流れてしまっていたのでした。そんなことで、彼との再会は、とても懐かしく、一緒に時間を過ごせたのは嬉しいことでありました。 難波へ銀輪(MTB)で行く場合は、近鉄奈良線に沿って南側の道を適当に行き、JR鶴橋駅の先で千日前通りに出て・・というコースを走るのが通例。この日も同様でした。 難波に到着した頃にスマホを取り出してみると、恒郎女さんからの着信記録。自転車で走っていて着信に気が付かなかったのでした。折り返しの電話を入れると、智麻呂氏の絵が5点完成しているので、近いうちに撮影にご来駕願いたいというのがその用件でした。「昼食会が終わり次第、帰りにお立寄りします。」とお伝えして電話を切る。 小生の心づもりでは、昼食会終了後、ひろみの郎女さんに電話を入れ、喫茶ペリカンの家に立ち寄るので、岬麻呂氏から届いているマンホールカード(前ページの「岬麻呂旅便り241」の記事参照)を渡したいと思うが、都合は如何か、もし都合が悪ければ、同喫茶店のママ、ももの郎女さんにお預けして置くから、都合のいい時に立ち寄って受け取って欲しい、と伝えるべしであったのですが、智麻呂邸に立ち寄ることに予定変更となったので、マンホールカードの受け渡しの件は後日とすることにしました。 昼食会を終えて、午後1時50分頃に両氏と別れて、智麻呂邸へとMTBを走らせる。智麻呂邸にお伺いすると、枇杷の実、朝顔、ホオズキ、ヒマワリ、ネジバナ、グラジオラスの絵、5点ではなく6点が完成していました。 これらは、既に撮影済み待機中の絵画6点と合わせて全12点、追って智麻呂絵画展にてご紹介申し上げますので、暫時お待ち下さい。 で、マンホールカードの件ですが、これは本日(18日)、午後1時半に喫茶・ペリカンの家待ち合わせにて、ひろみの郎女さんにお引き渡し申し上げました。 喫茶店のママ、ももの郎女さん曰く「オガクニマンさんの著書『俺の履歴書』にサインが欲しいので、その旨を伝えて欲しい。」また、「アト2冊を追加で購入したい。」とも。 その旨を、先ほどオ氏に電話で伝えると、25日にオ氏がサインするためにコチラに出向いていただけることとなり、小生もお付き合いで、彼と同日正午の待ち合わせにて、ペリカンの家で昼食することに決まりました。 勿論、小生は彼にサインなどを求める気は更にもありません(笑)。 以上、友人の西〇氏、平〇氏、恒郎女さん、智麻呂氏、ひろみの郎女さん、ももの郎女さん、オガクニマン氏という 友人にまつわる話題でありました。 関連の写真が無いというのも寂しいので、昨日の銀輪コースにある二三のものを撮影した写真が手許にあり、これを掲載して置きます。 先ずは、生国魂神社境内でのもの。 芭蕉の句碑です。(芭蕉句碑) 菊に出て 奈良と難波は 宵月夜 (芭蕉) この句は、元禄7年芭蕉最後の旅での作。 元禄7年9月9日、重陽の節句の日の朝に奈良を発ち、暗峠を越えて大坂に入って、前日に続いての美しい宵月を堪能して詠んだ句。「生玉の辺より日を暮して」という題詞がある。この直前の句が「菊の香にくらがり登る節句かな」で、これには「くらがり峠にて」という題詞が添えられているが、こちらの句については、わが自宅の近くにある枚岡公園にその句碑が建てられている。<参考>暗(くらがり)峠 2009.1.29. 直越えのこの道にして・南生駒まで 2013.6.29. 直越えのこの道にして・南生駒まで(続) 2013.6.30.。(同上) 生国魂神社は何度も訪れているが、この芭蕉の句碑は、これまで見落としていたようで、気付きませんでした。 芭蕉の句碑は小さなもので、見落としも考えられますが、こちらの織田作之助の銅像は、見落としようもないものであるが、今回初めて目にしたように思うので、建立はいつかと見ると、2013年10月26日とある。 ということは、この一角には6年近くも足を踏み入れていなかったということか。(織田作之助像)<参考>織田作之助・Wikipedia 間もなく天神祭であるが、天神祭の祭提灯は天神橋の真ん中までしか飾られない。南半分には飾られないのである。 この理由は、天神橋の中央で神社の領域が分かれていて、北半分が大阪天満宮の領域、南半分は生国魂神社の領域となっているからである。 従って、天神祭に先立つ生国魂神社の祭の際は、天神橋の南半分まで生国魂神社の幟が立てられることになるという次第。 ということは、天神祭の折の船渡御の船の航行も北半分で行われるということなんだろうか。船渡御そのものを実際に目にしたことがないので、その辺の処は存じ上げぬことにて候(笑)。 次は、国立文楽劇場の前にある二ツ井戸。(旧跡二ツ井戸)(同上・説明碑) こちらは、2012年4月設置のようですから、7年余になります。何度も前を通っている筈なのに、気付かないものなんですな。
2019.07.18
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本日、岬麻呂氏から旅便りが届きました。 7月8日~11日、3泊4日の「旭岳の高山植物(花)と温泉が主目的の夫婦旅」とのことでした。 富良野市は麓郷の森で木工アート作品の製作をされている、わがブロ友でもあるfurano-craft氏を先ずお訪ねになられたようです。(麓郷の森にあるfurano-craft氏のアトリエ・木力工房) そのfurano-craft氏であるが、歌手のEXILE ATSUSHIさんが、ファン用にここで木工作品を製作して以来、その配布作品のお手伝いなどでお忙しくされているそうで、睡眠時間4時間の生活が続いているとか。 まだ、病後のご療養中のお身体ですから、余りご無理なさらないようにと思います。「team ATSUSHI」という店先の表札はそれを表しているのでしょうか。お蔭でエグザイルのファンの来店も徐々に増加中とのこと。まあ、これは、ショップ経営の観点からは、良いことではあるのでしょうが。<参考>furano-craft氏のブログはコチラ。 木力工房のホームページはコチラ。 では、岬麻呂氏からのレポート241とその写真説明をお読み下さい。(旅・岬巡り報告241&写真説明) 上の写真説明に掲載の順番で、メール送信されて来た写真を以下に掲載します。(↓大雪山系・旭岳)(↓チングルマの群落)(↓エゾコザクラ)(↓大雪山系・愛別岳)(↓大雪森のガーデン)(↓ヒマラヤの青いケシ)(↓美瑛の丘)(↓上野ファーム)(↓風のガーデン) 今回も、恵庭市のマンホールカードが1枚同封されていました。 ひろみの郎女さんにお渡し下さいという趣旨である。 ひろみの郎女さん、受け渡しに都合の良い日をお知らせ下さい(笑)。(↓恵庭市のマンホールカード) <参考>岬麻呂旅便りの過去記事はコチラ。 フォト蔵の岬麻呂写真集はコチラ。
2019.07.16
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昨日の記事は大川端の蓮池の白い蓮の花でしたが、その蓮池は、造幣局が対岸に見える位置にある。そこから大川端自転車道を毛馬閘門方向に走ると蕪村公園がある。毛馬橋東詰の北側にあるのがそれ。 蕪村の句碑があり、春風馬堤曲など蕪村関係の屋外パネル展示がされている。向かいの淀川神社の境内には蕪村の銅像がある。(蕪村公園)(同上・上とは反対側から撮影)(春風馬堤曲・現代語訳)(同上・解説碑)(同上・蕪村自筆)(同上) 春風馬堤曲については、毛馬閘門脇にある蕪村顕彰碑でも説明されているが、これは下記の<参考>記事をご参照下さい。<参考>秋風や銀輪駆けて蕪村まで 2017.9.21. 若草読書会・恋しぐれ 2015.6.1.(蕪村公園全景) 中央のグラウンドを囲むようにある遊歩道沿いに、蕪村の句碑が13基建てられている。(句碑等配置説明図)※写真をクリックして大きいサイズでご覧下さい。 では、句碑巡りと参りましょう。(蕪村句碑1) 柳散り 清水涸れ 石処々 この句碑は柳の木の傍らに設置されている。 句では「石処々」であるが、ご覧のように句碑の周りは石がびっしり敷き詰められているのも愉快。(同上2) なの花や 月は東に 日は西に(同上3) 春の海 終日のたり のたりかな(同上4) 芭蕉去て そののちいまだ 年くれず この句は、芭蕉の句「年暮れぬ笠きて草鞋はきながら」を踏まえたものらしい。(同上5) 斧入れて 香におどろくや 冬木立(同上6) いな妻や 浪もてゆへる 秋津しま(同上7) 鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分哉(同上8) かなしさや 釣の糸ふく 秋の風(同上9) 夏河を 越すうれしさよ 手に草履(同上10) 閻王の 口や牡丹を 吐かんとす(同上11) 夕風や 水青鷺の 脛をうつ(同上12) 遅き日の つもりて遠き むかし哉(同上13) 楠の根を 静かにぬらす しぐれ哉 淀川神社境内の蕪村像にご挨拶して、蕪村公園と道路を挟んで向かい側にある公園へ。 蕪村像は、上の参考記事「秋風や銀輪駆けて蕪村まで」に写真を掲載していますので、ご参照下さい。(蕪村公園の南側の公園) この公園から、大川端の自転車道へと出るスロープの脇に、奇妙な形の実を付けた木がありました。(奇妙な形の実を付けた木)(奇妙な形の実) 木の幹は桜の木のそれに似たつやのある赤みがかった焦茶色の木肌である。実が生っていなかったら桜の木と思ったかもしれない。 公園を出て南すぐにあるのが春風橋。これも蕪村の「春風馬堤曲」に因んだ名前なんだろう。「しゅんぷうばし」と訓むのかと思ったら「はるかぜばし」と訓むようだ。(春風橋とマイMTB)<参考>蕪村関連の過去記事 京都・蕪村銀輪散歩(その1) 京都・蕪村銀輪散歩(その2) 京都・蕪村銀輪散歩(その3) 京都・蕪村銀輪散歩(その4)
2019.07.14
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大川べりの自転車道を走っていて、白い蓮の花を見掛けました。(白い蓮が咲く池)(白い蓮) ピンクの蓮も美しいが、白い蓮の花も清楚な感じがしていい。(同上)(同上) 蕾は、先っぽが少しピンクがかっている。(同上・蕾)(同上) 花びらの先が少しピンクがかったのもあるから、上の蕾は咲くと下のような感じになるのかも知れない。(同上) まあ、これはちょっと咲き過ぎというか、開き過ぎであります。 白い蓮、白蓮でありました。 ついでに、一昨年(2017年)に撮影した別の蓮の花の写真も掲載して置きます。(普通の蓮)(同上)(同上・蕾)
2019.07.13
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ブログ更新をサボっていました。 これと言ってネタがないので、銀輪散歩で見掛けた雀と鳩でも。 鳥というカテゴリを設定していたかと思ったら、それはアメブロ版偐万葉田舎家持歌集の方で、楽天ブログの方には鳥のカテゴリは現時点では未設定でありました。 それはさて置き、スズメたちです。(スズメ) これは、文字通り「嘴が未だ黄色い」ので、子どもの雀のようです。(同上)(同上)(同上) 何となく頼りなげな感じ。(同上)(同上)(同上・大人のスズメ) これは、多分大人の雀。 顔つきが全然違う。厳しいというか、しっかりした顔つきである。目つきも鋭い。(同上)(同上) そして、鳩。(ドバト)鳩の会話。雄鳩「どうかしたのか?」雌鳩「イヤリングの片方を落としたみたいなの。」雄鳩「一緒に探してあげよう。」(同上)「こっちにはないなあ。そっちはどうだ?」(同上)(同上)雄鳩「お前、元々、イヤリングなんかしてなかったのでは?」雌鳩「???そうだったかしら・・」 もう一つ、山鳩(キジバト)の写真も。(キジバト) これは、今年4月、枚方方面を偐山頭火氏と銀輪散歩した際に、百済王神社(大垣内神社)で撮影した写真です。<参考>偐偐銀輪散歩・枚方方面へ(その3) 2019.4.5.
2019.07.11
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昨日(6日)朝、友人の岬麻呂氏から旅便りが届いた。 今回は四国旅行。 明日(8日)、月曜日からは北海道・富良野へのご旅行とのことですから、次回は北海道からの便りになるかと。 さて、今回の四国旅行は、7月2日~4日の2泊3日のご夫婦旅であったようです。詳細は、例によって、下掲の「旅・岬巡り報告240」をご参照下さい。(旅・岬巡り報告240・四国) 上の報告に掲載の写真は、別途メールでご送信いただいていますので、以下に掲載させていただきます。(善通寺・五重大塔)<参考>善通寺・Wikipedia(丸亀城)<参考>丸亀城・Wikipedia(かずら橋)<参考>かずら橋・Wikipedia(大歩危峡)<参考>大歩危・Wikipedia 送信されて来たメールの添付写真がもう1枚ありました。 道後温泉の商店街で撮影されたマンホール蓋の写真でした。(松山市のマンホール) 今回の旅便りの封書には、今回の旅で入手されたマンホールカード7枚が同封されていました。ひろみの郎女さんにお渡し願いたいという趣旨の同封である。郵便事故などで行方不明になってはいけないと簡易書留郵便で送られて来ました。 簡易書留と普通の書留との違いは何かと調べると、こんなことでした。一般書留:引受局、中継局、配送の全過程の配達記録が残される。 補償額が10万円以内 料金は通常郵便料金+430円簡易書留:引受局と配送の配達記録だけが残される。 補償額が5万円以内 料金は通常郵便料金+310円 これによく似たのに特定記録郵便というのもある。 簡易書留と同様に配達記録が残されるが、受取人の受領印は貰わず、郵便受けに投函して配達完了となる。従って、郵便物を出したことは受付局での受領書で証明できるが、受取人が受領したということの証明はできない。また、補償サービスがないので、その分、料金が安くなり、通常郵便料金+160円である。 法的な催告や通知などで、相手方に配達されたことを証明するためには、配達証明付き郵便とする必要がある。また、その催告内容や通知内容がどのようなものであったかを証明するためには、内容証明郵便にしなければならない。 話が脱線しました。 同封されていたマンホールカード7枚はひろみの郎女さんが彼女のブログで、追ってご紹介されるので、小さい写真で控えめに、掲載して置きます。また、マンホール図柄のコースターも同封されていました。 最近は、岬めぐりの旅ではなくマンホールカード巡りの旅の様相を呈して来て居りますが、岬麻呂氏としては新しい旅の切り口として、それはそれなりに楽しんで居られるようです。 マンホールカードを収集する趣味は、同氏にもヤカモチにも無いので、その恩恵は全てひろみの郎女さんがご享受されていますな(笑)。 最近は、ダムカードなんてものもあるようですが、これは岬麻呂氏には教えないで置きましょう。ダム麻呂となられても困りますので(笑)。(香川県流域下水道のマンホールをモデルにしたコースター)(同上・赤色版) (香川県流域下水道のマンホールカードAとB) (松山市のマンホールカード) (丸亀市のマンホールカード) (観音寺市と多度津町のマンホールカード)<参考>岬麻呂旅便りの過去記事はコチラ。 フォト蔵の岬麻呂写真集はコチラ。
2019.07.07
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昨日はカメラを忘れたので途中で引き返した絵画展・二元展。 今日、再挑戦。午前中に所用があったので、昼食を済ませてからMTBで家を出発。自宅から天王寺までは自転車で1時間余である。午後1時半頃に展覧会場の大阪市立美術館に到着。(大阪市立美術館) 会場の受付に向かうと、丁度、福麻呂氏が会場に入ろうとされている処でした。ご親戚の方とご一緒に来ておられたので、軽くご挨拶だけ。福麻呂氏から「僕の絵は、奥の第2会場の方」とお聞きしたので、そちらにむかうこととする。(二元展会場風景) ゴリラの絵は、と探すと、ありました。 写真を撮ろうとするが、向かい側の絵を眺めながら二人の男性が長話。彼らの居る位置が丁度、福麻呂氏の絵を撮影するための正面の場所であるため、暫く様子を見る。なかなか二人は動かない。 ひと回りして、再びその場所にやって来たが、未だ二人はそのままである。横に立って待つこと2分か3分で、ようやく二人は去って行きました。(「今日は2ポーズで…」) この絵は、低い位置に展示されていたので、ほぼ真正面から撮影出来ましたが、もう一つの作品は、この絵の上の場所という高い位置なので、見上げる形でしか撮影できない。よって、こんな写真になりました。(「特訓中」) ざっと足早に見て回って、早々に会場を後にしました。 福麻呂氏にもご挨拶せずの退出である。 と言うのも、もう一つ用向きがあったからである。 今朝、岬麻呂氏から旅便りが届き、それにマンホールカードが数枚同封されて居り、それをひろみの郎女さんに渡して欲しいということであったからでした。今日でなくてはならない、というものでは必ずしもないが、早いに越したことはあるまいと、彼女に電話して、喫茶・ペリカンの家でその受け渡しをすることとなったからである。 午後3時過ぎから3時半位までの間にペリカンの家に到着できるから、それ位を目安に、同店に来てくれと電話して、午後2時前後に天王寺を出発、ペリカンの家へとひた走る。 午後3時3分到着。見込んだよりも少し早い時間に到着した。ひろみの郎女さんは未だ到着していない。 結構、飛ばして来たので汗だく。店主のももの郎女さんのお薦めもあって、今年初めての「かき氷」をいただくこととしました。 昨日は、大谷郎女さんがアルバイトの日であったようだが、今日は坂郎女さんの日でした。坂郎女さんが帰られた後、ひろみの郎女さんが到着。無事、マンホールカードの受け渡し完了でした。 おそらく、今日、明日位から彼女のブログはそのマンホールカードの記事になるのだろうと思います(笑)。 ペリカンの家の喫煙コーナー(店の外にある)にある鉢植えのハゼランが咲いていましたので、その写真を紹介して、記事の〆といたします。 このハゼランはヤカモチが恩智川の川原で引っこ抜いて来たものでありますが、結構しぶとく生き続けています。(ハゼラン) ヤカモチは大きな花は余り好かない。 例外もあるが、基本的にはこのような小さな花、極小の花が好みである。(同上)(同上)
2019.07.06
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今日は、友人の福麻呂氏が出展されている絵画展・二元展に行こうと、天王寺にある大阪市立美術館に向かうべく、自宅をMTBで出たのであったが・・。 国道479号(内環状線道路)から勝山通りに入り、これを西に向かって走っていて、御勝山古墳の南側の御勝山南公園の前まで来て、ウェストポーチに入っている筈のカメラが入っていないことに気がつく。 福麻呂氏の絵を撮影してブログにアップするという目論見があっての展覧会行きでもあったので、出直すこととしました。スマホで撮影することも考えたが、やはりカメラにした方が良かろうと出直すことに決めた次第。 で、近隣散歩に切り換えることとして、自宅方向へ引き返すべくMTBを取って返しました。二元展は日曜日までやっているので、明日か明後日、お天気の具合を見計らってどちらかに行けばいいと思ったのでありました。 そもそも、カメラのことに気付いたのは、御勝山南公園で小休止しようと、公園に入って行ったら、ペタンクなる珍しい競技をやって居られるのに出くわし、これを撮影しようとしたからでありました。 仕方がないので、スマホで撮影。(ペタンク) 勿論、この競技を見るのは初めてでルールなども存じ上げない。 暫く眺めていると、どうやらカーリングに似たルールのようです。 最初に、黄色の小さなボールをコートの任意の場所に投げ、競技者は金属製の野球ボール位の大きさのものを、黄色の小ボールにより近い位置に止まるようにコントロールして投げる。鶴と亀のボールになっているようで、鶴のボールを持ったチームと亀のボールを持ったチームとに分れて、得点を競い合うようです。相手チームよりも黄色の小ボールに近い位置に止まっているボールの数が獲得点数となるようです。 カーリングと同じように、近い位置にある敵方のボールを弾き飛ばして、遠くへ移動させ、自身のボールを内側に停止させるという駆け引きや戦略なども必要となる競技のようです。なお、中心点の目印となる黄色の小ボールに鉄球ボールが当たって、これを場外へ弾き飛ばしてしまうこともありますが、この場合は、元あった位置に黄色ボールを戻すことになります。そのため、黄色ボールの後ろの地面に棒などで線を書いて、その位置が分かるようにして置くようです。黄色ボールが場外ではなく、コート内に移動して止まった場合は、その位置が新しい中心点となるのか、やはり元の位置に戻されるのかは、そういうケースが見ている限りでは起こらなかったので不明です(笑)。 ペタンクという競技名は、やって居られる方から教えていただきましたが、ルールの説明は受けなかったので、詳細は分かりません。しかし、見ているうちに何となく理解したのが上のようなことでありました。 ペタンクという名前からして、日本で考案された競技なんでしょうが、お年寄りでも楽しめる気軽なスポーツですな。鶴・亀・という金属製ボールの名前からして、いかにもお年寄り向けに考えられたスポーツであることが分かるというもの。<追記・注>念のためとネットで調べたら、ペタンクは日本ではなく、フランスで、考案された競技とのことでした。知らぬはヤカモチばかりなり、でしたか。<参考>ペタンク・Wikipedia 御勝山南公園から、勝山通りを引き返すが、同じ道を走るのでは「近隣散歩」になるまいと、途中から脇道に入ったりして、出鱈目に走る。こういうのを「徘徊」と呼ぶ人も居るようですが、ヤカモチは気だけは若いので「彷徨」と呼んでいただきたいかと(笑)。 で、その「彷徨」の途中で「清見原神社」というのに出くわしました。「キヨミハラ」とくれば「浄御原」ではないか。天武天皇所縁の神社かと立ち寄ってみると、果たしてその通りでした。(清見原神社)(同上・拝殿)(同上・由緒) 祭神は天武天皇ほかで、やはり天武天皇を祀っている神社です。 由緒記を下に転記して置きます。 創記の年代は詳らかではありませんが、云い伝えによりますと、天武天皇の皇居飛鳥浄御原から難波に行幸されました際、当所にご休憩遊ばしたと申します。 当時のこの所は樹木がうっそうと茂り、見晴らしがよく、住の江に浮かぶ白帆が見えたようであります。ここにご休憩されました天皇は「吉野はどのあたりであろうか」と吉野の方を眺められたと云うので、今に「吉野見」(大友町1丁目、吉野見通り)の地名が存しています。 天皇崩御の後、この地にゆかりの大伴氏が天武天皇宮を建て、崇敬したと伝えています。明治5年に清見原宮と改め、明治42年神社合祀令により、片江村の素戔嗚尊神社、中川村の松尾神社、腹見村の木守勝手神社、大瀬村の八剱神社を、小路村の中央であった大友村の清見原宮に合祀し、社号は村名小路をとって、小路神社と称せられました。(片江村、中川村、腹見村、大瀬村、大友村、以上5村を併せて小路村となる。) 現社号清見原神社は紀元2600年記念事業として行われた境内拡張、社殿・社務所増改築等を機に、昭和17年5月に改称されたものであります。 大伴氏が建立した神社がその起源ということなら、偐家持とも少しは関係があるというもので、「彷徨」の途中で出会ったのも、そのような縁による導きであるのかも知れない(笑)。 内環状線の一つ西側の狭い道沿いにある神社なので、「彷徨」であれ「徘徊」であれ、何という目的もない走行ででもなければ、先ず出会うことのない神社である。 この神社の所在位置を参考までに地図で示して置きます。(清見原神社位置図) 家を出る時に、今日は昼食は外で済ませると言って来たので、食わずに帰宅するとブーイングになるのは必定。 時計を見ると、喫茶「ペリカンの家」には正午前位に着ける筈。ならばと中央大通りに出て、これを東上、11時45分前後に同喫茶店到着となり、ここでランチを済ませてから、帰宅しました。ついでに、喫茶店の近くのコーナンでちょっとした買い物をするという目的もありましたので、丁度よかったという次第。
2019.07.05
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今日は、囲碁例会の日。 午後から雨の予報であったので、自転車(MTB)ではなく電車で梅田へ。結果から言えば、囲碁を終えて梅田スカイビルを出た時には少しばかり雨がぱらつき始めていたけれど、帰宅するまでの間、傘をさす必要もない程度であったから、MTBで行ってもよかったことになる。残念。 本日の出席者は福麻呂氏、竹〇氏、村〇氏とヤカモチの4名。 福麻呂氏と2局打ち、村〇氏と1局打ったが、いずれも勝って3戦全勝。 後半戦もいいスタートが切れて、これで今年に入ってからの成績は20勝11敗となりました。昨年(18勝27敗)、一昨年(24勝27敗)と連続して負け越しの成績でありましたので、何とかこの調子をキープして、2016年(24勝19敗)以来の久々の勝ち越しの年としたいものであります。 梅田スカイビルのガーデン5棟1階の喫茶店で昼食後、少し早いので里山を散策してから5階の会場に上がることとしました。(シラキとエゴノキと梅田スカイビル) 左側の木がシラキで右側の木がエゴノキである。 どちらも実を付けている。 シラキの実はナンキンハゼの実によく似ていると思ったら、両者は親戚筋になるらしい。(シラキの実)(同上)(同上) エゴノキは万葉に登場する「ちさ」(知佐)だとされる。初夏、5月頃に白い可憐な花を咲かせるが、過去の記事でも何度か紹介済みである。<参考>エゴノキ(ちさ) 2007.8.11. エゴノキ(ちさ)の花が咲いた 2008.5.6. チサの実のさはにぞなれる 2013.10.24. 奥浜名湖銀輪散歩(その2) 2014.5.15. 里山の入口近くに咲いていたのはヤブカンゾウ。 八重に咲くのがヤブカンゾウで一重咲きがノカンゾウと覚えているが、両者の違いが花の咲き方以外にもあるのかどうかは、よくは知らない。 万葉で「忘れ草」と呼ばれるのは、八重咲きのヤブカンゾウの方だという。わすれ草 わが下紐につく 香具山の ふりにし里を 忘れむがため (大伴旅人 万葉集巻3-334)(ヤブカンゾウ) 今日の写真ではないが、先般にノカンゾウも撮っているので、掲載して置きます。(ノカンゾウ)(同上)(ノカンゾウとチガヤ) ちょっと里山から離れてしまいますが、チガヤが紛れ込んで来たので、チガヤの写真も続きに掲載します。先日の若草読書会の記事(2019年7月1日)の締め括りに「令和の風の音は如何にかあらむ」という言葉を添えて掲載しようとしたのが、次の写真でしたが、ど忘れして掲載せぬまま記事アップしてしまったのでありました。 かくて、遅ればせながらの「チガヤの風」登場であります。(チガヤ) 余り風が吹いていませんね。(同上) 少し吹いて来ました(笑)。(同上) この程度が限度のようです。うっかりしていました。令和の風は、「初春の令月、気淑しく風和らぐ」が出典ですから、強風である筈もなく、そよ風程度であるのでした。 さて、里山に戻ります。 ヤブカンゾウの隣にはノコギリソウがありました。 この花の名は、先日6月24日の記事で小万知さんから教えていただいたのでした。その折のノコギリソウは黄色の花(キバナノコギリソウ)でしたが、今日の花は白花の品種のそれでした。(白花品種のノコギリソウ) ヤブカンゾウの後ろには、秋の七種の一つ、オミナエシの花が早くも咲いているのでした。(オミナエシ)わが里に 今咲く花の 女郎花 堪へぬ情に なほ恋ひにけり (万葉集巻10-2279)ひぐらしの 鳴きぬる時は 女郎花 咲きたる野辺を 行きつつ見べし (秦八千島 万葉集巻17-3951) 梅田の里山の花はここまで。 以下、ついでに昨日の墓参の折に撮った花の写真や別の日の銀輪散歩で撮った花の写真なども掲載して置きます。一種の在庫整理であります。 先ずは、墓参の道の辺のザクロ。(ザクロ)(同上)ヒマワリも咲いていました。(ヒマワリ) 墓参関連は以上でおしまい。以下は銀輪散歩でのものです。(カタバミ)(ビョウヤナギ)(同上) 黄色い花が続いたので、白い花も。(ネズミモチ) そして、オリーブの花。 実になりかかっているものもある。(オリーブの花)(同上) 最後は、トリトマとフランスギクの丘であります。(トリトマとフランスギク) 後半になるにつれ、手抜き記事へと変化(笑)でありますが、ともかくも、花めぐりでありました。
2019.07.03
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今日は、墓参。 墓参は、途中に通るお寺の門前の言葉をご紹介するのが恒例でありますが、今日のそれは先月のものと同じで、未だ新しいものに切り換っていませんでした。即ち「雨の日には、雨の日の生き方がある」というものでしたが、これは既に先月の墓参の記事でご紹介済みなので、写真は省略です。 まだ梅雨が明けていないので、今後も雨の日が続くだろうということで、お寺さんとしては、敢えてこの言葉のままにして居られるのかも知れませんね。 門前の言葉から始めるというお決まりパターンではないので、何となく調子が狂ってしまう感じですが、今年初めてニイニイゼミの鳴く声を耳にしたこと、墓参の帰途にアゲハチョウとベニシジミを目にしたこと、墓参の後の銀輪散歩で立ち寄った喫茶「ペリカンの家」の前庭でツマグロヒョウモンに出会ったことなどがありましたので、銀輪虫散歩とセットにした記事にすることとします。 先ず、墓参の帰り道で見掛けた蝶から。ニイニイゼミは声だけで、姿は見えず、写真がありません。(ベニシジミ) これはベニシジミ。翅をひろげてじっとしていてくれたので、これは撮影に苦労しませんでしたが、次のキアゲハはせわしなく飛び回るので、ちょっと手こずりました。(キアゲハとヤブガラシ) ヤブガラシの花にやって来たキアゲハです。 花とも思えないようなヤブガラシの花であるが、こんな花にも蜜があるのだろうか。結構、嬉しそうに花から花へと飛び回っている。(同上) すると、アシナガバチもやって来た。(キアゲハとアシナガバチとヤブガラシ) 蝶の後ろにピンボケで写っているのがその蜂です。 両方を一緒に撮ろうとするが、これがなかなか難しい。(同上) 撮れた、と思ったら、蝶の翅の向きが変わって、蜂の頭部が翅で隠れてしまった。蜂なのにクモがくれである。(同上) そして、ようやくツーショットで写真に収めることができました。 蜂の体がハチ分目しか写っていませんが、これ位で精一杯です。 アシナガバチも色々種類がありますが、こいつは多分セグロアシナガバチではないかと思う。 何日か前に自宅庭にやって来たセグロアシナガバチの写真がありますので、併せ掲載して置きます。(セグロアシナガバチ) また、別の日のものであるが、銀輪散歩の途中、道端の草むらで見掛けて撮ったアシナガバチの巣の写真も参考までに掲載して置きます。(アシナガバチの巣) これは、喫茶・ペリカンの家の前庭で見掛けたツチバチです。(キオビツチバチ) ツチバチというその名の通り、すぐに地面に潜ろうとする蜂である。 写真を撮ろうとしたら、砂利石の隙間に潜り込んでしまい、再び出て来たところを撮影したのだが、シャッターを早く押し過ぎた。腹部の黄色い斑紋が写っていないので、キオビツチバチであることを証明できないのが残念(笑)。 そして、そのペリカンの家の前庭で、今日撮ったのがこの写真。(ツマグロヒョウモンのメス) 翅を広げた姿をなかなか撮らせてくれない。 翅を広げた瞬間にシャッターを押しても、シャッターがおりる時には閉じてしまっているので、こんな写真になってしまう。(同上) そして、ようやく撮れたのがこれです。(同上) これはツマグロヒョウモンのメス。オスは上翅の左右がこのような黒白模様ではなく、中央の豹紋柄が全体に広がった姿をしている。 すべてよく見かける蝶であり蜂でありますので、珍しくもありませんが、本日はこれにて一件落着とさせていただきます(笑)。<参考>虫関係のその他記事はコチラ。
2019.07.02
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7月になりました。 平成から令和へと元号の変わった2019年も今日から後半戦に入りますが、その前半戦の最終日、6月30日は若草読書会の日でありました。 講話は謙麻呂氏が担当、話のタイトルは「昭和、平成 音の記憶」。参加者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知氏、祥麻呂氏、槇麻呂氏、ひろみの郎女氏、偐山頭火氏、偐家持で、講師の謙麻呂氏を含めて全11名。参加予定であった香代女氏は急に不都合となって欠席。常連の和郎女氏、リチ女氏も他用があって欠席。 生憎の雨で、ヤカモチも銀輪ではなく徒歩で向かいましたが、若草ホールにて定刻の午後1時半(実際は1時25分)開始となりました。 講師の謙麻呂氏は某放送局で様々な番組の音声を担当してこられた技術屋さんで、今回のお話は彼の今日までの生涯を彼の心に残る「音」を通して俯瞰してみるというお話。 幼少期のB29の空襲の音に始まり、フォークダンスのオクラホマミキサーの純な青春時代のときめき、モールス信号の音、音楽喫茶や映画館で耳にした音楽の音、初のDJ番組の収録での緊張感の記憶、ジョーンバエズの「We shall Overcome」、中国語の勉強を開始・中国語の発音、讃美歌166番、ベトナム反戦御堂筋デモでのこと、大阪フィルの収録とプロ野球日本シリーズ阪急・巨人戦で阪急山田が王に9回逆転3ランホームランを打たれた音、何度か訪問した中国でのこと(天安門事件直後に訪中した折の緊張感や仕事上及び個人的な活動としての日中交流に関わる話など)、神戸・淡路大震災、東日本大震災・・記憶に残る「音」で綴る「謙麻呂の履歴書」でありました。(レジメ付録「日本音楽・芸能の変遷概要)※文中の「赤い花びら」は「黒い花びら」のミスプリ。 途中休憩15分を挟んで午後4時過ぎまでの講話でした。 今回の話は、前々回の読書会でヤカモチが「万葉集から聞こえて来る音」というタイトルでお話したことにヒントを得られて、ご自身の今日までを「音」を中心にまとめて話にするという事を思い付かれたようで、前回のお花見会が終わった時に、「音」に関連して話をしてもいいよ、というお申し出を謙麻呂氏からいただいたのでありましたが、このような「履歴書」的なお話になるとはヤカモチも知らぬことでありました。長年にわたって「音」に関わってお仕事をして来られた謙麻呂氏らしいお話でありましたが、お蔭で、わが友人のオガクニマン氏の小冊子「俺の履歴書」を皆さんに配布するに相応しい道筋を付けていただいたようなもので、ごく自然な感じで皆さんにこれを配布することができました(笑)。 講話終了後の雑談タイムでは、今月にお誕生日を迎えられる智麻呂氏へのお祝いとして、ひろみの郎女氏が買って来て下さったケーキをカット。彼女のブログ記事によると6月中旬に誕生日を迎えられた偐山頭火氏への誕生祝いも兼ねてのケーキであったようだが、そのことを認識していたメンバーはヤカモチも含めて果たして何人居ただろうか(笑)。(バースデーケーキ) ひろみの郎女氏と小万知氏が帰り、謙麻呂氏が帰り、続いて偐山頭火氏が帰り、残り7名で暫し談笑した後、午後5時28分に凡鬼・景郎女ご夫妻、祥麻呂氏、槇麻呂氏と偐家持の5名は智麻呂邸を辞しました。 次回読書会は、東京からご参加いただいている祥麻呂氏のご都合を優先することとして9月24日開催と決まりました。優先ついでに、祥麻呂さんに講師をお願いすることとしました。<参考>若草読書会関係の他の記事はコチラ。
2019.07.01
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