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友人の岬麻呂氏から旅便りが届きました。 今回は、6月22日~25日の3泊4日のケラマブルーを訪ねるご夫婦旅。 ケラマブルーを訪ねる旅は、今回で5回目。 うち3回は、座間味島にあるケラマビーチホテルに宿泊されていて、今回も同ホテルにご宿泊でした。前回も同ホテルを予約されたのだが、臨時休業となり、別のホテルをお手配いただいたそうですが、そのお詫びにと同ホテルの社長が「午後のお茶」と「夕食」にご招待くださるということがあり、その際に同社長が過疎化が進むホテルの安佐地区に活気を取り戻すべく住民の皆さんとともに取り組んで居られることを知り、ケラマブルーが観光の目玉なら、ブルーの花が咲くジャカランダを植樹したらどうかと岬麻呂氏がご提案され、その苗木の贈呈もお約束されたらしい。すでに3本の苗木を贈呈されていて、今月初めの宮崎への旅(旅便り271)で更に9本を送られたという。ということで、今回は、そのジャカランダを植樹する場所をホテル側と相談して決めるという所用もあっての旅でありました。 先ずは、同氏からの旅報告272とその写真説明です。(旅・岬巡り報告272 慶良間諸島・座間味島&同写真説明)6月22日関西空港→那覇空港→壺屋焼物博物館(休館)→名護→古宇利大橋→古宇利島→オーシャンタワー(休業)→美ら海水族館(休館)→熱帯ドリームセンター(休館)→今帰仁城跡(休館)→かりゆしアーバンリゾート那覇(泊) この日の写真は、古宇利大橋の写真のみ。 コロナで行く先々、休館、休業という状況。沖縄の 景色は何と 変らねど 行けば休業 至れば休館 (古呂奈麻呂)(古宇利大橋)6月23日那覇・泊港→高速船クイーンざまみ乗船→座間味島→ケラマビーチホテル→ホテルのレンタカーで島の名所めぐり→ケラマビーチホテル(泊) ホテルのHさんが桟橋までお出迎え。 ホテル前では同Mさんがお出迎え。(ケラマビーチホテル) ジャカランダの植樹する場所をホテルの方と相談してお決めになったようで、ホテルの広い前庭に植樹されたとのこと。 ケラマブルーの座間味島に岬麻呂氏発案のジャカランダブルーの森ができたら愉快なことです。ジャカランダ ケラマブルーの 花と咲け 背子が思ひの 座間味の島に (青家持)(ジャカランダの苗木) 午後からはホテルのレンタカーで、神の浜展望台→安護の浦→稲崎展望台→女瀬の崎(うなじのさち)展望台→阿真ビーチ→古座間味ビーチと島の名所巡り。(神の浜展望台)(安護の浦 高月山展望台から)(稲崎展望台)(女瀬の崎<うなじのさち>展望台)(阿真ビーチ)(古座間味ビーチ1)(同上2)(同上3) そして、再び安護の浦。その夕景です。 これはホテルの窓からの撮影だそうです。(安護の浦の夕暮れ)安護の浦 潮満ち来らし 夕暮れて 島山はるか 横雲の空 (夕家持)6月24日古座間味ビーチ→阿真ビーチ→神の浜展望台→女瀬の崎展望台→稲崎展望台→高月山展望台→チシ展望台→唐馬海岸→午後から休養 午前中小雨の中、車で島めぐりをされたようですが、午後の貸し切り慶良間諸島クルージングの予約はキャンセル。「夕刻まで窓の外の雲の流れと満ち潮の浜を眺めて休養」とされ、夕食をホテルの社長とご一緒されたとのこと。6月25日座間味島→那覇・泊港→那覇空港→関西空港 この日の写真は、座間味島を離れる前に撮られた2枚です。 なお、上掲のケラマビーチホテルとジャカランダの苗木の写真もこの日の朝のうちに撮影されたものでありましたが、記事構成上の都合で、23日の項に割り付けました。(安室島 右端の浜が古座間味ビーチ)(安慶名敷<あげなしく>島) 以上です。 岬麻呂・ケラマブルーの旅にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2021.06.30
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銀輪散歩で見かけた虫の写真もそこそこの数になりましたので、今日は銀輪虫散歩であります。 先ずは、蛾から。 偐山頭火氏との銀輪散歩で見かけた珍しい蛾、ホタルガです。 奈良県河合町にある廣瀬神社の手水舎のコンクリートの地面に居るのを見つけました。珍しい蛾だと偐山頭火氏にも見せようとしましたが、同氏は蛾などは苦手なのか、明らかな拒絶反応(笑)。(ホタルガ) 手水鉢の近くの地面にじっとしているので、死んでいるのかと思ったが、近寄ってよく見ると触角を動かしているから、生きていることが見てとれました。参拝の人が手を清めるため手水鉢の前に立ったりした場合に踏まれてしまう危険がある。どこか安全な木の葉か草地に移動させようと手を伸ばすと、ひらひらと飛び立ち、参道反対側の木の葉にとまりました。 ヤカモチの心のうちを読み取って、自力で移動したのは感心な行動であります(笑)。移動後の姿が下の写真です。(同上) ホタルガはチョウ目マダラガ科ホタルガ亜科の蛾。 その名が示すようにホタルによく似た体色である。 ホタルガがホタルに擬態したのか、ホタルがホタルガに擬態したのかは知らぬが、両者のような擬態の関係をミューラー型擬態と言うらしい。<参考>ミューラー型擬態・Wikipedia ホタルは悪臭を持つものが多い。マダラガにも悪臭を持つものがいる。 従って、黒い体色で頭部のみが赤いというホタルのようなデザインは捕食者に対して「私は臭くて不味いですよ。」という警告メッセージとなる。このように臭いとか有毒であるとかいった食べるのに適していない似た者同士がお互いの姿に似せることによって、擬態の警告信号のメッセージ性が高まり、結果として両者の種としての生存率が高くなるという効果が期待できるという訳である。このような擬態様式の存在を初めて提唱したのがドイツの博物学者フリッツ・ミューラーであることから、ミューラー型擬態と呼ばれるとのこと。 このホタルガが人間にとって実際に臭いのかどうかは触っていないので何とも言えないが、ホタルもホタルガもヤカモチは食べる気がないからどうでもいいことであります(笑)。 それはともかく、ホタルガの幼虫は、サカキやヒサカキの葉を食べるらしいから、この蛾が神社に居たことは理に叶っているのである。 次は、花園中央公園のトイレの手洗い場にいた蛾、カギモンヤガです。 鍵の紋がある夜蛾ということでカギモンヤガであります。(カギモンヤガ) チョウ目ヤガ科モンヤガ亜科の蛾である。 チョウ目はガ目とも言い、鱗翅目とも言う。 蛾にしてみれば、「チョウ目」ではなく「ガ目」と言うべきだとクレームを付けたくなることでしょうから「鱗翅目」と言うのが公平かもしれませんが、そんなことに「目くじら」を立てるなというのがヤカモチの立場ですから、このページでは一応「チョウ目」ということにして置きます。 次は、我が家の庭のナンテンの木にとまっていた名前不詳の蛾です。(名前不詳の蛾) ナンテンの木の近くのサツキの植え込みから飛び立ってナンテンの木に移動しました。それで気が付いたのですが、枯れ葉や木にじっとしていたら完全な保護色、それと気づかず見過ごすことでしょう。 少し前までは、そのサツキの葉にいくつかの毛虫が居ましたが、そのうちのどれかが、ひょっとするとこいつの幼虫であったかもしれません。(毛虫A)(毛虫B) 毛虫Bは毛がないから青虫と呼ぶべきかもしれませんが、体色が青ではなく黒なので、黒虫。しかし、黒虫では他者には伝わらない。芋虫というのも何かしっくり来ない。適切な別の呼び名があれば教えていただきたいものであります(笑)。 蛾が苦手な偐山頭火氏を辟易させたところで、次は蝶です。(ゴマダラチョウ) これは八尾市の心合寺山古墳で見かけた蝶。 目の前をスイ~スイ~と飛ぶミスジチョウを撮影しようと追っかけていて、見失ってしまいました。そこへこの蝶が飛んできて目の前の木の幹にとまりました。 「撮ってェ~」と言ったようなので撮りました。 翅を広げるのをしばらく待ちましたが、一向に広げる気配がない。 「撮ってェ~」というのはヤカモチの聞き違いであったようです。 チョウ目タテハチョウ科のゴマダラチョウだと思います。 普通のゴマダラチョウはもっと黒っぽいが、これは白っぽい種類か。(セマダラコガネ) これは庭先で死んでいたセマダラコガネ。 体長が1cm程度の小型のコガネムシ。(同上) コウチュウ目(鞘翅目)コガネムシ科の虫である。 広葉樹など様々な植物の葉や花を食べる草食昆虫なので、農作物にとっては害虫ということになる。 そして、次は更にも小さいコガネムシ。 名前は不明であるが、体長5mmあるかないかの超小型のコガネムシである。銀輪で走っている時に右目の視界中央にぼんやりとした虫の姿が現出しました。ヤカモチは眼鏡を着用しているので、眼鏡のレンズの外側に虫がとまったのかと指で払うも手応えなし。 自転車をとめて眼鏡を外すと、レンズの内側に米粒よりも小さな緑色に光るコガネムシが居ました。 そこで、近くにあった東屋に入って、これを撮影することに。(眼鏡のレンズにとまった超小型コガネムシ) ヤカモチの眼鏡の大きさと比べていただくと、この虫の小ささがお分かりいただけるかと。(同上) どうして、レンズの内側面に入り込んだのか。 最もあり得るケースとしては、走行中のヤカモチのマスクに先ずとまり、マスクの上部から眼鏡の枠をつたってレンズ内側に侵入したのではないか、というのがヤカモチの見解です。 コガネムシ君も妙なところに迷い込み、「飛んでいたら、とんだことになってしまった」とパニックに陥っていたのかもしれないので、ヤカモチも「とんでもない奴だ」とは思わず、優しく接することといたしました。(同上) レンズ表面は滑りやすいだろうから、足取りも何やらおぼつかないようにも見える。 真上から撮るとこんな感じ。 左側中肢を失ってしまって、5本肢のようです。(同上) 最後は、手にとまらせて、近くの木の枝に逃がしてあげました。 一期一会。 二度と会うことはないでしょうが、風邪をひかずに達者で暮らせ、という次第であります。 ここまではすべて昆虫。 普通に「虫」と言うと昆虫を想起し、蜘蛛やムカデなど多足類の虫なども虫とすることに異論をはさむ人はないであろうが、トカゲやカエルとなると虫の範囲に収めるべきかどうかいささかの躊躇を伴う。 しかし、カエル(蛙)もトカゲ(蜥蜴)も虫篇なので、虫のうちでいいだろう。カタツムリ(蝸牛)も「牛」がつくものの虫偏だから虫である。 ということで、次はカタツムリ。(カタツムリ) これは、藤原宮跡の小さな緑地のコンクリート標石に居ました。 カタツムリとアマガエルとアジサイは梅雨の三大風物かも。 で、次はアマガエル。 駅のホームの片隅にちょこんと居ました。(アマガエル) コンクリートの上での暮らしが長くなったか、黄緑色の体色が薄茶と黒褐色のまだら模様に変色し始めている。 草地など緑色の多い環境に居ると全身が緑色の「ペンキ塗りたて」の「青蛙」となるが、駅のホームではそのペンキも剥がれて行くようです。(同上)ぬりたての ペンキはがれて 青蛙 駅のホームも 住めば都と (青家持)(参考)青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか (芥川龍之介) 青とかげ-ペンキ塗り立て、ご用心 (ジュール・ルナール) ということで、最後は、青とかげならぬ二ホントカゲです。(二ホントカゲ) これは、春日大社の参道脇の杉の巨木の根方に居たトカゲ。 ヤカモチが小学生の頃、校門脇の空き地の草むらにトカゲが大量発生。 手掴みでいくらでも捕獲できる。 10匹余を捕まえて家に持ち帰り、何個かの木箱に金網を取り付け、これに分散して入れ、飼育してみようとしたことがあった。 自身の机の抽斗にその木箱を隠していたところ、数日後に母がこれを発見、虫嫌いの母が悲鳴を上げるという事件となり、すぐに捨てさせられたということがありました。 あゝそのような日もありき・・であります。
2021.06.29
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智麻呂絵画展は2020年2月の第217回展を最後に開催されていません。同年5月にミニ智麻呂絵画展を開催していますが、それから数えても、はや1年以上のブランクになります。<参考>智麻呂絵画展(第1回~第100回) 智麻呂絵画展(第101回~第200回) 智麻呂絵画展(第201回~) 智麻呂さんは、一時体調をくずされて入院されていましたが、本復されて昨年7月にご退院されたことは、当ブログでもご紹介申し上げました。<参考>祝・智麻呂画伯ご退院 2020.7.21. しかし、長期入院によって、筋力などの低下、要介護度が増すなど、家庭での介護はこれ以上は無理と、デイサービスで利用されていた特養施設のお勧めもあり、今年3月に同施設に入所されることとなりました。 コロナ禍とあって、ご家族のご面会も、パソコン画面を通じてのリモート面会となりますが、ヤカモチもご家族がご面会されるのに同伴させていただいて、面会に同席させていただいたりしています。 昨日(26日)は、4月10日以来2度目の面会をしてまいりました。 4月の折は、智麻呂ご夫妻の三番目のお嬢さん、つまり三嬢(みつをとめ)さん、奥様の恒郎女さんとご一緒でしたが、今回は、二嬢(ふたをとめ)さん、恒郎女さんとご一緒でありました。 何階かは存じませんが所定の部屋のPCの前に、介添えの係員の方が車椅子の智麻呂さんをお連れ下さいます。面会者の我々は、1階ロビー近くの部屋に置かれたPCの前の椅子に座って、PC画面越しに会話をするという形の面会です。15分~20分程度の短い時間の面会。それでも、智麻呂さんはお顔色もよく頗るお元気そうなご様子にて、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔を拝見するだけで幸せな気分になりました。 早くコロナが終息し、PC画面越しではなく、直接にお会いできるようになって欲しいものですが、今しばらくの辛抱です。 ご家族は月に何度か入れ替わり立ち替わりにご面会に行かれているようですが、ご迷惑でない程度にヤカモチも同席させていただくと嬉しいです。 このような状況なので、智麻呂絵画も新作は当分期待できない見込み。 ということで、二嬢さんのお嬢さん、つまり智麻呂さんのお孫さんになるナナちゃんの絵手紙の写真などを智麻呂絵画展特別編として、ご紹介させていただくこととします。 ナナちゃんの絵は、過去にも智麻呂絵画展で紹介させていただいていますので、智麻呂絵画ファンの皆さまには夙にご承知のことかと存じます。(ナナちゃんの絵手紙・ケロケロ) これらの絵手紙の写真は、二嬢さんからメールで送信いただいたものであります。 おじいちゃんである智麻呂さんに宛てたもので、現物は智麻呂さんのお手元に行ってしまっています。 なお、掲載の写真は、二嬢さんから送っていただいた原画像をトリミングするなどの加工をヤカモチにて加えて居ります。(同上・お地蔵さん) ナナちゃんも「コロナが収束したら直接会いたいね」と書いて居られますが、智麻呂さんもきっと同じ思いで、その日を心待ちにして居られることでしょう。(同上・バラ)(同上・花は咲く) ご面会の際には、お菓子などの差し入れ品などとともにナナちゃんの絵手紙のほか、ご家族の近況写真などもご持参されるようですが、昨日は、一番上のお嬢さん、つまり大嬢(おほをとめ)さんが描かれたという海の絵や若草読書会メンバーの和郎女さんからの押絵作品、リチ女さんからのホオズキの紙細工なども含まれていました。(夏の海・大嬢さんの作品) 沖縄の海でしょうか。大嬢さんはフルートやピアノの演奏でその才を発揮されていることは承知していましたが、絵の才もお持ちとは今日まで知らぬことでした。 そう言えば、大嬢さんの息子さんのK君ご夫妻のお子、Tちゃん(智麻呂さんにとってはひ孫ということになる。)の写真アルバムや二嬢さんからの父の日プレゼントだか誕生日プレゼントだかのポロシャツも差し入れ品の中にあったことを思い出しました。 いろいろな思いのこもった差し入れの品物。智麻呂さんもきっと楽しい気分になって居られることでしょう。 若草読書会は昨年2月2日を最後に休会となって居り、当ブログでの和郎女作品展の記事でご紹介している作品は、その読書会の折に彼女がお持ち下さる作品をヤカモチが撮影させていただくという形で成り立っているものですから、同作品展も2020年2月12日の第25回和郎女作品展を最後に開催がないままとなっています(尤も、和郎女作品展ミニ版は今年1月6日に開催しています。)。<参考>若草読書会・梅花の宴 2020.2.3. 第25回和郎女作品展 2020.2.12. ということで、リチ女さんからのホオズキの紙細工と和郎女さんの作品2点が今回の差し入れ品に含まれていたことを奇貨として、この際、これらも紹介させていただきます。(鬼灯fromリチ女)(和郎女作品・桔梗)(同上・桔梗の団扇)
2021.06.27
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近隣散歩の公園という記事を3回アップしましたが、その近隣散歩で見かけた神社などの記事です。 先ずは、西郡天神社。ここは初めての訪問かと立ち寄ってみたら、何やらぼんやりと記憶にあるような気がしたので、過去記事を調べてみると、2010年9月に立ち寄っていて記事に取り上げていました。 しかし、撮った写真をボツにするのもいかがなものかと思われたので、再掲載であります。<参考>西郡天神社 2010.9.14.(西郡天神社) 2010年9月14日の前回記事に掲載の写真と比べてみると、本殿前両脇の撫で牛の像が前回のそれにはありません。この10年余の間に新しく設置されたのでしょう。本殿そのものも改修されたのか正面の表情が少し異なっています。(同上) 参道中央の「御百度石」も前回のそれにはありませんから、新しいものであるのでしょう。 間違い探しのクイズ絵ではありませんが、昔の写真(部分拡大)を下に掲載して置きます。(同上・過去の写真) この地は錦織氏の居住地で、八間堂なる字名が残るなど、西郡廃寺址とみられているそうだが、寺の塔礎石とみられる手水鉢などはそのままです。(西郡廃寺の塔礎石)(西郡廃寺址碑) 西郡天神社から南に走ると、加津良神社という小さな神社があった。(西郡天神社と加津良神社付近地図)(加津良神社)(同上・縁起) 祭神は、素戔嗚尊(須佐之男命)。(拝殿前説明碑) 説明碑によると、かつては社地も広大であったらしいが、徐々に衰退して行ったようで、明治41年には栗栖神社に合祀されたが、戦後に復興したとある。 この栗栖神社というのは、八尾市本町7丁目にある八尾神社のことかと思うが、八尾神社は下記の2018年2月24日の記事で取り上げています。<参考>河内音頭の寺 2018.2.24. ぐるり廻っての帰途、けばけばしいと言うか、派手なと言うか、ちょっと雰囲気の異質なお寺の前を通りかかりました。(佛恩寺) 以上、近隣銀輪散歩余聞でありました。
2021.06.21
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(承前) 大和神社から国道169号に出たところで(上)が終わりましたので、そこから始めます。 次に向かうのは第26代継体天皇の皇后である手白香皇女の衾田陵。 これが、結構な坂道。(コース図・大和神社→衾田陵→人麻呂歌碑→黒塚古墳) 手白香皇女の御陵とされている古墳は西殿塚古墳という古墳時代前期、3世紀後半に築造の古墳と推定されていて、時代が合わないことから、その北西側にある西山塚古墳(6世紀前半頃の築造)が真の手白香皇女衾田陵であるという有力説がある。 継体天皇陵と今城塚古墳の関係に似た状況が、その皇后である手白香皇女の御陵についても生じているという次第。 尤も、このことを知ったのは帰宅してからのことで、西山塚古墳はすぐ近くを通りながら、スルーしてしまい、写真はありません。(西殿塚古墳と西山塚古墳の位置関係・赤線は当日の銀輪コース) 手白香皇女は、第24代仁賢天皇と春日大娘皇女(第21代雄略天皇の娘)との間の娘。第25代武烈天皇(その実在性については疑問もあるが)没後空位となった天皇にと越前から招聘されたのが継体天皇。大和にはこれに反対する勢力も強くあったと見え、継体天皇はなかなか大和に入れない。そこで仁賢天皇の皇女である手白香皇女を皇后に迎えてその権威付けをはかったと考えられる。継体が大和に入ることが可能となったのは、手白香皇女のお陰ということになる。 継体には尾張目子媛という妻がいて、後に安閑天皇(第28代)、宣化天皇(第29代)となる息子もいた。言わば「子連れ嫁付き」での仁賢天皇皇女への婿入りという形であった。そのようにして自身の天皇即位の正統性を補強する必要があったということだろう。 継体没後の天皇位は、日本書紀では安閑、宣化、欽明ということになるが、連れ子であった安閑、宣化を天皇とする王朝と手白香皇女との間の子である欽明を天皇とする王朝が並立していたという説もあって、ややこしいのであります。(手白香皇女衾田陵<西殿塚古墳>) 手白香皇女衾田陵へは、国道169号から急な坂道を上る。 結構きつい。 衾田陵訪問は直近でも2013年3月のことだから、8年ぶり。 久々の訪問である。<参考>山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その4) 2013.3.19. 前回は、西の空が朱に染まる日没の時間帯でしたが、今回は昼下がりの明るい空の下での訪問。(同上・西方向を望む。) 正面奥に見えるのは二上山。 次に向かうは、柿本人麻呂の泣血哀慟歌の犬養万葉歌碑。 衾田陵から坂を下って来ると、下池山古墳というのが目にとまりましたが、前方後方墳という形式の古墳である。(下池山古墳説明碑) 前方後方墳というのは全国で約500基あるそうだが、前方後円墳に比べるとはるかに少数である。両者の違い、関係については諸説あって十分には解明されていないとのこと。 それはさて置き、人麻呂歌碑です。 上記<参考>の2013年3月19日記事には、その銀輪散歩で撮影した当該歌碑の写真を掲載していますが、今回は、間違った道を進んでしまったようで、見つけることができませんでした。 よって、上記記事の写真を再掲載して置くこととします。(柿本人麻呂歌碑<巻2-212> 2013.3.19.記事掲載写真の再掲載) 万葉集の巻2に「柿本朝臣人麻呂、妻の死りし後、泣血哀慟みて作れる歌二首並びに短歌」が収録されている。 そのうちの212番の短歌の歌碑がこれである。 犬養孝先生の揮毫による歌碑ということで、犬養万葉歌碑と呼ばれる歌碑の一つである。 犬養孝・山内英正「犬養孝揮毫の万葉歌碑探訪」(和泉選書)によれば、「襖の引手の製造業者である坂本金属工業社長の坂本操太郎氏と弟の左加光氏は、引手の山の麓に衾田陵があることに、自社との不思議な縁を感じ、歌碑建立を思い立った。」とあるが、地元の会社、株式会社坂本金属工業所が犬養先生に揮毫を依頼して、昭和45年(1970年)4月に建立したものである。衾ふすま道ぢを 引手ひきての山に 妹を置きて 山路を行けば 生いけりともなし (柿本人麻呂 万葉集巻2-212) 泣血哀慟歌は、「天飛ぶや 軽の路は 吾妹子が・・」で始まる207番の長歌とその反歌2首(208番、209番)並びに「うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し・・」で始まる210番の長歌とその反歌2首(211番、212番)で構成される。<参考>うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人ふたり見し 走出はしりでの 堤つつみに立てる 槻つきの木の こちごちの枝えの 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど たのめりし 児こらにはあれど 世の中を 背そむきし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野あらのに 白たへの 天領巾隠あまひれがくり 鳥じもの 朝立ちいまして 入日いりひなす 隠かくりにしかば 吾妹子わぎもこが 形見かたみに置ける みどり子の 乞こひ泣くごとに 取り与あたふる 物し無ければ 男をとこじもの わきばさみ持ち 吾妹子と 二人わが寝し 枕まくらづく 妻屋つまやの内に 昼はも うらさび暮くらし 夜はも 息いきづき明あかし なげけども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしを無なみ 大鳥おほとりの 羽易はがひの山に わが恋ふる 妹はいますと 人の言へば 石根いはねさくみて なづみ来こし 吉よけくもぞなき うつせみと おもひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えぬ思へば (柿本人麻呂 万葉集巻2-210) 反歌 去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 照らせども 相見し妹は いや年離(さか)る (同 巻2-211) 衾道(ふすまぢ)を 引手(ひきて)の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし (同 巻2-212) 210番長歌の歌碑は明日香村の橘寺前北西にある。<参考>210番長歌歌碑の写掲載記事 明日香・橿原銀輪散歩(その2) 2014.3.20. また、207番長歌の歌碑は、全文ではなく、後半部分の抜粋であるが、近鉄吉野線・岡寺駅の西側の牟佐坐神社の石段左手にある。<参考>207番長歌の全文及び同歌碑の写真掲載記事 飛鳥川銀輪散歩 2014.5.31. ※長歌全文は記事本文ではなくコメント欄に記載しています。 崇神天皇陵はスルーして、国道169号とお別れ、崇神天皇陵前から西へ入り、黒塚古墳に立ち寄る。 この古墳で銅鏡が発掘されて話題となったのは、随分の昔。この時の現地説明会には今は亡き父と二人で参加した。我々は早い時刻にやって来たので、さして待つことなく見学できたが、見学を済ませた後、周辺を歩き回って、再び戻って来たら、見学者が現地から駅まで延々と列をなして並んでいたのを見て驚き、早い時間に来てスムーズに見学できたことの幸運を口にしたことをよく覚えている。しかし、見学した内容や受けた説明はもう何一つ覚えていない(笑)。(黒塚古墳 史跡としては黒塚古墳で、公園としては柳本公園である。)(同上)(史跡黒塚古墳説明碑) 天理市立黒塚古墳展示館も併設されている。(黒塚古墳展示館) 館内に入ると(入館無料)、発掘時の古墳の状態を再現したレプリカが展示されていた。(同上・発掘時状態再現レプリカ) 以上で予定の目的地は歌碑を別にして全部クリア。 帰宅モードに切り替え、車をとめている廣瀬神社へ引き返すべく、JR柳本駅へと向かう。柳本駅南側の踏切を渡り、西へ。 大和川に出くわしたところで、その川沿いの道を北へと走る。 引手の山の竜王山がよく見える。(竜王山) 大和川の川べりの道は「水の辺の道」と名付けられているようだ。 山路を行けば生けりともなし、の人麻呂と違って、偐偐銀輪二人組は川辺の道に出ると「生き生き」である。 そんなことで、調子に乗ったか、偐山頭火氏がこんな写真も送って来た。(うしろ姿のしぐれてゆくか?) 途中、法貴寺地区の見覚えある神社で一休み。(池坐朝霧黄幡比賣神社) この神社記憶にあるので、ブログの過去記事を調べてみたら、2016年4月に立ち寄っていました。<参考>銀輪万葉・奈良銀輪散歩 2016.4.20.(同上・由緒)栲 拝殿の扁額には「天満宮」とあるが、もともとは天萬栲幡千々比賣命という機織の神を祀る神社であったようだ。 天神さんが後からやってきて、主従逆転してしまったのだろう。 前回立ち寄った時には無かったと思われる歌碑がいくつかありました。(長意吉麻呂歌碑)池神の 力士舞かも 白鷺の 桙くひ持ちて 飛び渡るらむ (長意吉麻呂 万葉集巻16-3831) この歌の歌碑は、榛原の蓮昇禅寺の境内にもあったのを記憶している。<参考>蓮昇禅寺の歌碑掲載記事 中学時代の級友との大宇陀万葉ウオーク下見 2017.11.10. また、令和に因んでの碑もありました。(令和の碑・万葉集巻5梅花の歌32首の序) あと、天満宮ということで、菅原道真の「こち吹かば・・」と「このたびは幣もとりあへず・・」の歌碑がありましたが、撮影は割愛しました。 この後は、ひたすら走るだけで写真はありません。 午後4時半頃に廣瀬神社に到着し、約5時間の銀輪散歩無事に終了いたしました。<2021.6.20.追記・参考>奈良県の銀輪万葉過去記事は下記参照銀輪万葉・奈良県篇(その1)銀輪万葉・奈良県篇(その2)<2021.6.21.追記・参考>同行の偐山頭火氏のブログ記事は下記参照偐家持氏にむなぎを馳走させ・・
2021.06.19
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昨日(6月17日)、梅雨の晴れ間の好日、友人の偐山頭火氏との銀輪散歩。久々の遠出となりました。まあ、隣県の奈良県天理市ほかですから、遠出と言えるほどのものではありませんが、「近隣散歩」のカテゴリーに入らぬ銀輪散歩は「遠出」ということになります。 朝9時半、喫茶・ペリカンの家で待ち合わせ。 そこで、同氏のベンツに自転車・トレンクルを積み込み出発。積載スペースの関係で、同氏はMTBであるのに対して、ヤカモチは小口径の折りたたみ自転車トレンクルである。 奈良県河合町の廣瀬神社に駐車させていただき、そこで自転車を車から降ろして、偐偐銀輪散歩スタートである。(廣瀬神社) この神社は4月8日の飛鳥川銀輪散歩で立ち寄って以来である。<参考>飛鳥川銀輪散歩(その3) 2021.4.12. 境内、参道では、絵画サークルの皆さんが写生をして居られました。(同上、写生をされている皆さん) 今回は、偐山頭火氏のご提案コースで、目的地は、天理市役所南側のうなぎの店・淡水、天理教教祖生誕の家、大和神社、手白香皇女衾田陵、柿本人麻呂万葉歌碑、黒塚古墳、あとは適当に・・というもの。 コースの概略を地図上で示せば以下の通りです。(コース概略図) 廣瀬神社出発が10時44分。まずは、腹ごしらえと、天理市のうなぎの店へと向かう。 近鉄線・結崎駅北側の踏切を渡り、京奈和自動車道の高架下を潜り東進した先の小さな祠、菅原神社で小休止。偐山頭火氏が「淡水」に電話し、昼食の予約。予約して置かないと、客が多いと長く待たされることになるからとのこと。(菅原神社) 更に東へ走り、JR桜井線の踏切を渡り、国道169号を北へ。 うなぎの店・淡水に到着。 店の前の駐車場の片隅に駐輪して、店内に。 トレンクルのハンドルに括り付けていたペットボトルの青い色の収納カバーというかケースというか、どうしようかと思ったが、取りはずさずそのままにして店に入りました。途中のコンビニで購入した冷凍のスポーツドリンクが未開封のまま入っていて、まだ凍ったままであったので、そのままにして置いたという次第。(うなぎの店・淡水)(同上) 昼食であれ、何であれ、食事は目の前に置かれたら、すぐにも食べ始めるというのがヤカモチ流。しかも頗る早食い。従って、これを写真に撮るなどは「吾事ニ非ズ」なのだが、偐山頭火氏がメールでその写真を送って来た。(昼食のうな重) 大伴家持が吉田石麻呂さんをからかった歌。石麻呂に 我物申す 夏痩せに よしといふものそ 鰻捕り食せ (大伴家持 万葉集巻16-3853)ではないが、ヤカモチに われもの申す 記事ネタに よしといふものぞ 鰻撮りませということでもあるか。 で、気づいたことなのであるが、うな重の写真の撮影時刻が13時20分となっている。ヤカモチが食べ終わって店を出てから撮った写真が上2枚の店の写真であり、その撮影時刻は、12時23分と24分になっている。ヤカモチのカメラの時計設定はほぼ正しい。 どうやら、偐山頭火氏のカメラの撮影時刻設定は1時間半位先に進んでいるようです。撮る撮るも 時たがひては のちのちの まがひとなりぬ 時合はせ撮れ(本歌)痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな (大伴家持 万葉集巻16-3854) 鰻のことはさて置き、自転車の駐輪場所に戻って、気が付いたことは、ペットボトルごと収納カバー(ケース)が無くなっているということでありました。こんなものを盗む奴はいないと思うが、無くなっているということは、誰かが盗んだということになる。 凍ったスポーツドリンクが解け出して丁度飲み頃になっている筈なのに、何てこった、である。 再度、買って、またしばらく時間を置く必要があるではないか。それに収納ケースが無いからハンドルに括り付けるという方法はとれない。ザックのバックポケットにそれを放り込む。 南へと走る。国道169号に出て南へ。 次の目的地は、天理教教祖誕生殿。 すなわち教祖、中山みきの生家である。 偐山頭火氏もヤカモチも天理教とは無縁。如何なる理由があって、立ち寄り場所に選ばれたのかは存じ上げないが、まあ、偐偐銀輪散歩には理由なんぞは不要であるから、「君が行くなら僕も行く」にてお付き合いであります。(天理教教祖・中山みきの生家)(誕生殿説明碑)※画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真画面が別窓で開きますので、それでお読みくださいCM。この場合、CM画面が覆いかぶさっていることがあります。当該CM画面の×印をクリックすると、CM画面が消え、正常に見ることができます。 JR長柄駅前に回り、トイレ休憩の後、大和神社へ。 大和神社も何度か訪れているが、ブログを始めてからは2013年3月15日が最初で最後であったようで、久々の訪問となる。<参考>山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その4) 2013.3.19. 昔に訪ねた時の記憶では、何やら「うらさびにけり」という感じであったが、今回訪ねてみると、その評価や感想は別に置くとして、色々な石碑や境内社が増えてにぎやかなことになっていました。(大和神社)(同上・由緒)(境内社・高龗神社)(同上・説明碑) 戦艦大和ゆかりの神社でもあるらしい。 参道の長さが戦艦大和の艇長とほぼ同じになっているということは、記憶にあったので、昔に来た時に知ったのか、何かで読んで知ったのかは、定かではないが、今回そのぼんやりした記憶が間違いではなかったことが明確になったという次第。(戦艦大和ゆかりの神社の碑)(同上・説明碑) 戦艦大和の展示館まである。 と言っても、戦艦大和の模型や絵画などが展示されている小さな小屋に過ぎないのではあるが・・。(同上・戦艦大和展示館)(同上) そして、山上憶良の好去好来の歌に関連の碑も。(好去好来の碑)(同上・副碑) 憶良のこの歌は、天平5年3月1日に、憶良宅を訪れた遣唐使の大使多治比広成に対して、唐への旅の安全を祈念して贈った歌である。 憶良は天平5年中に没したと推定されているから、その最晩年の作になる歌である。多治比広成以下の遣唐使一行は、この歌の一か月後、天平5年4月3日に4隻の船に分乗して、難波の港を出発していったのである。 この歌が、戦艦大和に関連付けられてこの地に建碑されているとしたら、憶良さんもビックリというものだろう。 この後、国道169号に出て、南へ。 手白香皇女衾田陵へと向かいますが、続きは明日以降のこととし、本日はここまでとします。(つづく)
2021.06.18
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近隣散歩の公園(その1)近隣散歩の公園(その2) 自宅から片道20km程度或いは30km程度の範囲内を銀輪散歩というのが「近隣散歩」というカテゴリーの記事である。人間の行動というのは、パターン化しやすいもののようで、何度も走っているうちにその銀輪散歩コースというのも似たようなコースの繰り返しになって行くようである。そうなると、新しく記事ネタとなるものに出くわすということもだんだん少なくなって行く。 そんなことで、まことに安易な思いつきでありますが、近隣散歩の範囲内にある公園などを写真で紹介するという記事もありではないかと始めたのが「近隣散歩の公園」という記事であります。 今日は、その第3弾の記事という訳であります。 各場所の自宅からの距離を記載していますが、自宅からの通常の道順で走った場合の距離を地図上で目測したもので、直線距離ではなく、道順次第ではその数値は異なります。また、かなりアバウトな目測でありますのでその正確性については保証の限りではありません。 そもそも、ヤカモチの自宅の場所を何処とも明らかにしていないので、「自宅からの距離」などという設定は、お読みになるお方には意味のない数値であり、その正確性などはどうでもいいことである。1.池島弥生橋:4km(自宅からの距離、以下同じ。)(池島弥生橋) 近隣散歩の公園(その2)の記事で、池島弥生橋の上から撮影した左右の遊水池公園の写真を紹介しましたが、弥生橋そのものの写真は掲載していませんでしたので、今回掲載することとしました。(同上 第二寝屋川畔<北西側>から撮影) 池島弥生橋の北側の恩智川から分流して西方向に流れている川が第二寝屋川。中央環状道路付近で北西向きに流れ、大阪城公園の北側で寝屋川と合流し、天満橋の東側で大川(旧淀川)となる。 この第二寝屋川沿いを西に走ると、木村重成の墓がある公園に至る。 幸町6丁目公園である。2.幸町6丁目公園:5.2km(幸町6丁目公園 木村重成の墓がある。)(木村重成墓説明碑) 木村重成墓については、下記<参考>記事で紹介していますので、ご参照ください。<参考>若江岩田から八尾山本へ(上) 2010.5.6.3.幸町3丁目第2公園:5.5km(幸町3丁目第2公園) 上の幸町6丁目公園から南へ走ると、幸町3丁目第2公園と幸第2公園である。 下記の<参考>記事では、幸町3丁目公園を「西郡公園」と紹介しているが、先日再訪したら、入り口付近に「幸町3丁目第2公園」という銘板石碑が設置されていましたから、これが正しい名前なんだろう。<参考>若江岩田から八尾山本へ(下) 2010.5.7.4.幸第2公園:5.5km(幸第2公園) 幸第2公園から南へ走ると、桂中学校と桂小学校の間に桂公園野球場がある。5.桂公園:5.6km(桂公園・野球場) 南側が野球場で申し訳程度に狭い緑地が北側にあるが、これが桂公園なんだろう。(桂公園) 参考までに、当記事に登場の公園の位置を地図に示して置きましょう。(公園位置図)(同上)6.山本北第2公園:4.8km(山本北第2公園)7.三十八神社(八尾市福万寺):4.5km(三十八神社・八尾市福万寺) 公園ではありませんが、福万寺地区で出会った神社です。(同上)(同上・由緒) 三十八神社は各地にあるようですが、祭神などは色々のようです。 もともとは、ミツハノメ(イザナミの尿から生まれた女神で、水神、五穀豊穣の神。)を祀る神社であったのが、三十八(ミトヤ・ミソヤ)という名の由来ではないかと思ったりするが、どうなんでしょう。 弥都波能売(ミツハノメ)→ミツハ→ミトヤ、ミソヤ。<参考>奈良県榛原の三十八神社掲載の記事 中学時代の級友と大宇陀万葉ウオーク下見 2017.11.10. 弥都波能売神社掲載の記事 多神社から王寺駅まで 2018.3.28. 南北朝時代には、この地には福万寺城があったらしいが、神社そのものの創建については不明とのこと。(同上・神社前の「条里割遺構」の説明碑) 東大阪市西岩田にも三十八神社があることを知ったので、訪ねてみることとしました。(西岩田三十八神社位置図)8.西岩田三十八神社(東大阪市西岩田):4.2km(西岩田三十八神社) 八尾市福万寺の三十八神社と関連があるのかどうかは存じ上げぬが、顕彰碑によると、この地は三十八神社の宮地として村人達によって維持管理されて来たらしい。老朽化した祠があったのだろうと思うが、平成8年、現在の形に社殿が整備されたようです。(同上・顕彰碑)(同上・社名標石)(同上・祭神) 祭神は、福万寺の三十八神社と同一です。9.石田神社:4km 西岩田の三十八神社の手前にあるのが石田神社。八幡神社であるから、祭神は応神天皇である。 西岩田三十八神社も応神天皇を祀るから、石田神社との関連も気になるところである。(石田神社) 石田神社は、以前立ち寄って記事にしていますので、下記<参考>記事をご参照ください。 万葉に登場する「石田の杜」は京都・山科の神社であって、この石田神社とは関係ありません。<参考>石田神社掲載の過去記事 殉展そして銀輪散歩 2012.9.26. 石田の杜関連の記事 友人とランチのち銀輪散歩・石田の杜 2013.10.4.
2021.06.15
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友人の岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回は、ジャカランダの花が目的のご夫婦旅で、この時期の毎年恒例の旅であります。空の便もコロナの影響で減便欠航が多く発生して居りますが、同氏もこの影響で、予約の宮崎便が欠航、日程を変更した2度目の予約も欠航となり、鹿児島空港便に変更しての宮崎入りという「高速130kmの遠回り、全走行距離992km」の旅となったようであります。 では、同氏からの「旅報告」、「写真説明」に従い、ご送付いただいた写真により、旅の概略をご紹介申し上げます。(旅・岬巡り報告271・南九州&同写真説明)6月4日関西空港(午後便)→鹿児島空港→青島グランドホテル直行(泊) 午後便での鹿児島経由の小雨の中のドライブでの宮崎市青島入り、ということで、この日の写真は、ホテルの窓から撮影されたという、2枚のみであります。(青島の海岸) 浜にはサーファーの姿が点々と。(暮色の青島)6月5日青島熱帯植物園→堀切峠→鵜戸神宮→日南・南郷ジャカランダの森→鹿屋ばら園→霧島神宮→霧島・ホテル京セラ(泊) この日の最初の写真はマンホールのそれ。早朝の散歩でお見掛けになったのだろうと思うが、最近は、同氏もマンホールにはつい目が行くもののようです。(宮崎市のマンホール) 先ず、向かわれたのは堀切峠。(堀切峠) 堀切峠は、昭和11年(1936年)宮崎交通の創業者・岩切章太郎氏が、観光スポットにしようと、フェニックスを初めて植えた場所だそうだが、ここを過ぎて、日南海岸を南に下れば、鵜戸神宮である。(鵜戸神宮) そして、今回の旅の目的である、ジャカランダの花や如何に、と南郷ジャカランダの森へ。(世界三大花木、ジャカランダ)(同上)ジャカランダ 紫匂ふ はつ夏の 見が欲しき花 恋ひてぞまた来し (偐家持) そして、鹿児島県鹿屋市に至り、かのやばら園へ。(かのやばら園)わが来れば 雨に濡れたる 二番花の 今盛りなり かのやばら園 (偐家持) 霧島市では、霧島神宮に参拝。 神宮の写真は「ない」が、霧島市のマンホールの写真は「ある」のでありました(笑)。(霧島市のマンホール・モノクロ版)(同上・カラー版) ミヤマキリシマとホオジロの図柄がデザインされています。6月6日霧島市→薩摩川内駅→日置市・伊集院駅→鹿児島経由→指宿市・長崎鼻→西大山駅(日本最南端の駅)→枕崎駅(日本最南端の始発・終着駅)→枕崎観光ホテル岩戸(泊)(桜島遠望) 朝、桜島を遠望して、この日は始まりました。 薩摩川内市、日置市、鹿児島市、指宿市、枕崎市と巡ります。 先ずは、マンホールの写真から。(日置市のマンホール)(指宿市のマンホール) 薩摩半島最南端・長崎鼻灯台へ。 岬麻呂氏の旅は「灯台巡り、岬巡り」の旅がその原型であるから、ヤカモチも「岬麻呂」というお名前で呼ばせていただいているのであるが、これで一応「岬麻呂」としての面目も立ったことになります(笑)。(長崎鼻灯台) 対岸に見えているのが大隅半島。先っぽが佐多岬。 九州最南端はあちらの佐多岬の方になりますな。 余談になるが、万葉故地の日本最南端は「薩摩の迫門(せと)」とされる。これは、鹿児島県阿久根市黒ノ浜とその対岸の島・長島との間の海峡・「黒ノ瀬戸」のこととされている。「高千穂の峯」というのも万葉に登場するが、これはもともと伝説地で、確実にどことも定めがたいので、「黒ノ瀬戸」が最南端という訳である。隼人(はやひと)の 薩摩の迫門(せと)を 雲居なす 遠くも吾は 今日見つるかも (長田王 万葉集巻3-248)隼人(はやひと)の 湍門(せと)の磐(いはほ)も 年魚(あゆ)走る 芳野の瀧に なほ及(し)かずけり (大伴旅人 同巻6-960)(マンゴー) これは、長崎鼻入口にある温室のマンゴー。 そして、指宿と言えば薩摩富士こと開聞岳であります。(開聞岳遠望) 日本最南端の駅・西大山駅を経て、こちら枕崎駅は最南端の始発・終着駅であります。(枕崎駅) そして、枕崎市のマンホールです。(枕崎市のマンホール・カラー版) 立神岩と鰹のみこしの図柄です。 下の規格品タイプのものは、翌7日の朝の撮影ですが、繰り上げです。(同上・規格品タイプ)6月7日枕崎→鑑真記念館→野間半島→知覧武家屋敷通り→鹿児島空港→関西空港 最終日は、枕崎の立神岩から始まります。 上掲のマンホールに描かれている岩です。(枕崎・立神岩) 南さつま市、秋目浦付近の国道226号沿いにあるのが鑑真記念館。(鑑真記念館) 鑑真は天平勝宝5年(753年)12月20日、薩摩国坊の津秋目(秋妻屋浦<南さつま市坊津町秋目>)に上陸している。時に66歳。 大伴家持はこの時36歳。越中守の任を終え帰京して3年目。 春愁絶唱と称される万葉集巻19-4290~2番の歌を作ったのがこの年の2月のことである。藤原仲麻呂が力をつけて来て、橘諸兄に匹敵するようになり、諸兄失脚、聖武上皇崩御が3年後、諸兄死去、その息子の橘奈良麻呂の乱が4年後というのがこの時期で、大伴家持にとっては何となく先行きについて面白くない空気が漂い始めた頃かと思う。 ちょっと脱線しました。 東京在住の友人H氏はこの坊津出身であることも思い出しました。 それはさて置き、岬麻呂氏は坊津から野間半島へと向かわれます。(野間半島・野間岬) 岬に薩摩野間埼灯台があるらしいが、前回、道に迷って到達できなかったので、今回はそのリベンジだったようですが、工事中にて灯台への道は通行止め。手前の展望台まで行くことができただけ。 写真は、その展望台からの眺めのようですが、仰るように、カバかワニの横顔に見えますな(笑)。(南さつま市のマンホール) 知覧武家屋敷通りへ。(知覧武家屋敷)(同・知覧型二つ家) 近隣の武家屋敷を移築したものだそうだが、茅葺のなかなか趣のある建物である。 さて、最後に、今回もマンホールカード8枚をゲットされ、旅便りに同封下さいました。昨日11日午後、喫茶・ペリカンの家にて、ブロ友のひろみの郎女さんにこれをお引渡しいたしました。 マンホールカードは彼女が収集されていて、岬麻呂氏は、旅先で入手したマンホールカードがあると、彼女にとこれを送ってくださるのが恒例になっています。 ひろみの郎女さん(ブログのハンドル名は「ひろみちゃん8021」)は毎回、これらをご自身のブログでご紹介されますので、ヤカモチは控えめに、その表面の写真だけ、ここで紹介して置きます。 (薩摩川内市) (指宿市) (鹿児島市2種類) (日置市) (枕崎市) (霧島市2種類)<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。同上・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。
2021.06.12
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近隣散歩の道すがらの公園の記事、第2弾です。 今回、紹介する公園は、東大阪市とその南隣の八尾市との境界付近にある4か所の緑地、池島遊水池公園、福万寺遊水池公園、福栄町緑地及び心合寺山古墳公園です。 池島遊水池公園、福万寺遊水池公園というのは、ヤカモチが勝手にそう呼んでいるだけで、正確には何という名の公園であるのかは知らない。そもそも「公園」と呼んでいいのかどうかもよく分からないのであるが、見かけ上は公園であるので、如上の通りの名称で呼ぶこととしました。1.池島遊水池公園:4km(自宅からの距離、以下同じ。)(池島遊水池公園) 恩智川沿いの道を南へと走ると、八尾市域に入る手前に池島弥生橋という橋があり、その橋の東側にあるのが、池島遊水池公園である。 写真は、池島弥生橋の上から撮影しています。(同上) 池島弥生橋とこの公園は、東大阪市の南西端になる池島地区にある。橋の西側は恩智川を挟んで八尾市域となる福万寺地区であり、この公園の隣の府立高校(みどり清朋高校<旧池島高校>)の南側水路を渡ると八尾市域(福栄町)となる。2.福万寺遊水池公園:4km(福万寺遊水池公園 手前の水路が恩智川) 両公園とも恩智川の遊水池の役割を担っていて、花園中央公園と同様に、大雨などで恩智川の流量が増え、水位が上昇すると、その溢水を公園が一時的に引き受け、下流側の流量の急激な上昇を緩和するのである。3.福栄町緑地:4.7km(福栄町緑地) 恩智川沿いの道から少し東に外れた位置にあるのが福栄町緑地。 そんなことで、この公園に立ち寄ることは滅多にない。尤も、上記の両遊水池公園も、弥生橋の上から眺めたりするばかりで、実際に足を踏み入れることは殆どないのではある。4.心合寺山古墳公園:4.8km(心合寺山古墳公園) これも公園と呼ぶべきかどうか微妙であるが、心合寺山古墳という前方後円墳を中心とした緑地。八尾市立の古墳学習館が設置されていて、古墳について学べる展示がなされている。今はコロナの所為で休館中。休館中は古墳も柵で閉鎖されていて、墳丘など古墳周辺には立ち入れないので、お堀端の小径を散策するだけになる。 後円部斜面に2本の桐の高木があり、花の季節には桐の馥郁たる香があたりに漂う。 恩智川沿いの道に出て、福栄町緑地経由でこの古墳に行くと、自宅からは6km程度の距離になる。古墳直行の道だと、上記の通り4.8km位だろうと思う。 上記の公園をぐるりひとめぐりして自宅までという銀輪散歩だと12~3kmの距離になるから、1~2時間程度の時間つぶしの銀輪散歩なら丁度よいコースということになる。(公園位置図)<参考>過去の近隣散歩記事は下記参照。 近隣散歩(その1)(その2)
2021.06.10
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このところ毎日が暑い。 昨夜、風呂上がり、パンツのままでいたら、右太腿にチクりと虫刺されの感覚。何やら黒い虫が太腿に取り付いている。手で払い落そうとして、よく見るとテントウムシ。 蚊や虻や蜂なら「刺す」のも分かるというものだが、テントウムシが刺すとはこれいかに、である。 テントウムシはアブラムシなどを捕食する肉食昆虫であるから、その口は噛む機能があるのかもしれない。或いは捕食する虫の体液を吸汁するのであるならば、蚊のような吸汁針を口に備えているのかもしれないが、そういう目でテントウムシを観察したこともないので、口の形状や機能については、いかなる知識も持たないヤカモチ、実のところは皆目分からないのでありました。刺されたのか噛まれたのかも不明であり、太腿に噛み痕も刺され痕も認められない。痒くなったり、痛くなったりの反応もないから、毒液のようなものは持っていないようである。(ナミテントウ) これがヤカモチを「刺した」テントウムシです。 ナミテントウという種類のテントウムシ。 ナナホシテントウと違って、ナミテントウは星の無い奴、色んな星模様の奴など多様な姿をしている。 ヤカモチの腿に食らいつくという無礼を働いた虫であるが、無暗な殺生は好まぬヤカモチ。手に取ってベランダから庭の闇へと放り投げて、無罪放免といたしました。天道(てんたう)も 人刺すものそ 風呂上り 腿にちくりと 刺せる児は我 (並天道(ナミテントウ))(本歌)紫は 灰指すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる児や誰 (万葉集巻12-3101) テントウムシも人を「刺す」ことがあるということを知りましたので、この段ご報告申し上げました、という次第。
2021.06.08
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最近は、遠出もせず、もっぱら近隣銀輪散歩のヤカモチであります。 近隣散歩の範囲は、一応の目安として自宅から片道20km、往復40km程度としています。 今日は、花園中央公園~喫茶・ペリカンの家~加納緑地~加納北公園~御供田公園~水走公園~緩衝緑地公園~花園中央公園と、こじんまりの銀輪散歩でありました。 自宅から一番近い公園は花園中央公園で、1.5km程度の距離。(花園中央公園) 右手奥に見えているのが花園ラグビー場。(同上) 後方の山が生駒山。 右手の白い建物がドリーム21。ドーム屋根は併設されているプラネタリウム。 公園の西寄りの区域にあるのが花園ラグビー場。(花園ラグビー場) 新型コロナワクチンの集団接種会場の一つになっていて、ヤカモチも来月になるが、ここで接種を予約している。 今日は、近隣散歩の範囲内にある公園などを紹介することとします。 花園中央公園と同じ位の距離にあるのが、枚岡公園であるが、こちらは生駒山系の山裾の高みにあるので、銀輪散歩には不向きな公園となる。 上の花園中央公園の写真に写っている背後の山の左寄りの高みにある公園である。(枚岡公園 2010年7月27日記事掲載写真の再掲載) 自宅から2㎞にあるのが東石切公園。(東石切公園 2010年5月3日記事掲載写真の再掲載) 少し先にあるのが、日下公園。自宅から3km位か。(日下公園 2009年5月1日記事掲載写真の再掲載) 自宅から3.5kmが水走公園、4kmが加納緑地・加納東公園。(水走公園)(同上 2020年11月5日記事掲載写真の再掲載)(加納東公園・加納緑地)(同上) この公園から北西0.5kmにあるのが加納北公園。自宅からは4.5kmの距離ということになる。西方にあるのが南北に細長い緩衝緑地公園。これも自宅から4.5km程度か。(加納北公園) 加納北公園は草ぼうぼうで、人影もあまりない。(緩衝緑地公園)(同上) 以上は、東大阪市内の公園。 北隣の大東市域に入って、すぐにあるのが御供田公園。 自宅から5km位の距離。(御供田公園) 大東市域では深北緑地が自宅から10km程度の距離になる。 これは恩智川沿いに走り、住道駅前付近で寝屋川沿いの道に移るという遠回り銀輪コースの場合で、外環状道路を行けば、もっと近い距離ではある。(深北緑地 2009年8月19日記事掲載写真の再掲載) 以下、10km超の距離にある公園を列挙すると。 弁天池公園:11km(弁天池公園 2020年6月17日記事掲載写真の再掲載) 寝屋川公園:12km(寝屋川公園 2013年10月22日記事掲載写真の再掲載) 打上川治水緑地公園:15km(打上川治水緑地公園 2013年10月22日記事掲載写真の再掲載) 天野川緑地:15km(天野川緑地 2010年11月25日記事掲載写真の再掲載) 山田池公園:21km(山田池公園 2019年4月4日記事掲載写真の再掲載) 鶴見緑地:12km(鶴見緑地 2019年2月13日記事掲載写真の再掲載) 大阪城公園:12km(大阪城公園 2019年6月6日記事掲載写真の再掲載) 大和川:15km(大和川 2021年5月4日記事掲載写真の再掲載) 淀川・枚方大橋:20km(淀川・枚方大橋 2014年6月3日記事掲載写真の再掲載) 錦織公園:25km(錦織公園 2010年8月6日記事掲載写真の再掲載) 近隣散歩の範囲内の公園は他にも色々ありますが、思いつくままその一部を取り上げてみました。<追記:2021年6月8日>上記公園の位置を地図に示してみることとしました。(公園位置図)(同上)<追記:2021.6.26.>御供田公園の写真のリンクが間違っていたので、正しいリンクに修正しました。
2021.06.05
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ブログの更新をサボっているうちに5月が終わり、6月になってしまいました。今日は、月例の墓参にて、その道すがらなど、花の写真を多く撮りましたので、久々(10日ぶり)に記事を更新します。 墓参に出かけるべしで外に出ると、玄関先横の北側庭のサツキの花で蜂の羽音。黒っぽい丸い小さな蜂が花から花へ飛び回っている。カメラを向けるが動き回るので、なかなか撮れない。花に潜り込んだところで撮ったのが下の写真ですが、ピントが合っていなくて、蜂の姿はピンボケ。 何という蜂なのかは分からないが、マルハナバチの仲間だろう。(庭のツツジに蜂) 梅雨入りしたものの、梅雨の中休みとかでこのところ晴れの日が続いている。一昨日は富田林市の石川に架かる金剛大橋の手前まで銀輪散歩するなど、遠出はしないものの、北へ南へと銀輪を走らせている毎日であるのだから、その気になればブログの記事はいくらでも書けるというものだが、その気にならないのだから、致し方ない(笑)。まあ、こういう時もあるというもの。(大和川・柏原市安堂付近) ということで、ボツになる筈であった、一昨日撮影の大和川の写真をついでに掲載して置きます。右側から石川が流れ込んでいる合流点付近の大和川の景色です。 さて、墓参の道に戻ります。 墓への坂道のとっかかりにあるお宅の庭先のギンバイカ。 全体はまだ花をつけていませんが、この一枝だけが早々と花を咲かせていました。尤も、ギンバイカ特有の長く密生した蕊が見えませんから、別の花かもしれません。ギンバイカの木の間に1本別の木の枝が伸びているという特殊な状況なら、そういう可能性もある。(ギンバイカ?) そして、白いアジサイ。(白いアジサイ) 更に坂道を上ると、ハクモクレンの木の下にコエビソウ。(コエビソウ) そして、テイカカズラ。(テイカカズラ) ビワの実も色づき・・。(枇杷の実) ビワの木はムクロジの木の裾にあって、その幹を飾るようにして沢山の実をつけている。 ここから最後の急坂を上りきると墓地である。(墓地から西の眺め) 左手(南側)の森からは、ウグイスの季節外れの鳴き声。 その森の方を見やると、何の木かは分からぬが、藤か葛に絡まれた巨木が見える。(墓地南側の森の木) この木に気づいたのは今回が初めてかも。何度も目にしている筈だが、見えていても見ていないものがあるということである。 墓参を済ませて、墓地の其処此処で見かけた花を撮影。(オオキンケイギク) モンシロチョウがとまっていました。(オオキンケイギクにモンシロチョウ) かたわらには、ノビル。(ノビル) ナンテンの木が植えられている墓もある。(ナンテンの花) ピンクかかった色の花もある。(同上) そして、どこにでもはびこるドクダミ。 墓地のあちこちで勢力を伸ばしている。(ドクダミ) ヒメコバンソウも、目立たぬながら、しっかりと勢力を保っている。(ヒメコバンソウ) ノゲシも片隅にひっそりと咲いている。(ノゲシ) ヒメジョオンは、大きな顔をして、明るく咲いている。(ヒメジョオン) 手前の左側の草はアレチノギクかヒメムカシヨモギか。 右側にはアレチギシギシ。(ヒメムカシヨモギに似た草とアレチギシギシ)(ムラサキツユクサ) ムラサキツユクサもよく見かける。 同じムラサキでも、ムラサキカタバミはもっとよく見かける。(ムラサキカタバミ) 以上、墓地及び墓参の道の辺で見かけた花たちでありました。
2021.06.01
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