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大晦日コロナ禍、未だ去りやらずウクライナ侵略というロシアの愚挙によって世界の安全 安定 秩序が脅かされている などなど色んなことがあった1年でありそれらは 来年へと持ち越しになりますがそれでも とにもかくにも 月日は流れ明日からは新年でありますあらたまの 年の終をはりに なるごとに 雪もわが身も ふりまさりつつ (在原元方 古今集339)(夕照)この1年 偐万葉田舎家持歌集に遊びにお越しくださいました皆さまどうも有難うございましたこの1年のご愛顧を心より感謝申し上げます来たる2023年、新年が皆さまにとってよき年でありますようお祈り申し上げますけん家持(偐家持)(丘々は胸に手をあて退けり・・・)この1年、当ブログにコメントをいただきましたお方は下記の通りであります。岬麻呂氏、ひろみちゃん8021氏、龍の森氏、ビッグジョン7777氏、ふぁみり~キャンパー氏、偐山頭火氏、小万知氏、☆もも☆どんぶらこ☆氏、英坊3氏、MoM太郎009氏、ふろう閑人氏、lavien10氏、めぐみの郎女氏、かほりの郎女氏、furano-craft氏、もりた氏、今日郎女氏、童子森の母氏、削除希望氏、(コメント件数順) それぞれのコメント、まことにありがたく、楽しく拝見させていただきました。茲にあらためまして厚くお礼申し上げますとともに、明年も変らぬご好誼のほど、よろしくお願い申し上げます。 今年1年間の掲載記事件数は136件。 日記記入率は37.26%。 過去最低の年間記事件数、記入率となりました。<参考>過去10年間の記事件数の推移2013年 251件2014年 241件2015年 210件2016年 178件2017年 183件2018年 183件2019年 184件2020年 185件2021年 150件 2022年 136件 今年のカテゴリ別の記事件数は次の通りです。銀輪万葉 25件(26)岬麻呂旅便り 19件(19)花 17件(20)囲碁 14件 ( 7)近隣隣散歩 11件(15)友人ほか 9件(8)偐万葉 7件(7)若草読書会 6件 (2)ブログの歩み 5件 ( 7)犬・猫・鳥など 4件(10)マンホール 4件 ( 3)絵画 4件 ( 3)自転車 4件 ( 1)虫 2件( 8)未分類 5件 ( 9)※( )内は昨年の件数プーチンも タイガーいにせよ と言ひたけど きく耳持たぬか 狂気の虎は (偐寅持) 心ある 人に合はせて われ祈らむ 来たれや平和 ビバ・卯クライナ (偐卯持) 今年の作歌数は昨年より大幅に減少、本記事記載の歌2首を加えて159首(昨年264首)にとどまりました。 よって、今年末現在の累計作歌数は8972首ということになります。<参考>過去10年間の作歌数2013年:645首(5587)2014年:678首(6265)2015年:533首(6798)2016年:530首(7328)2017年:394首(7722)2018年:352首(8074)2019年:195首(8269)2020年:280首(8549)2021年:264首(8813)2022年:159首(8972)※( )は年末現在累計数一方、偐万葉シリーズ記事掲載の偐家持作歌累計数は6378首でした。同記事のアップは昨年と同数の7件でありましたが、歌数は、150首増(昨年161首増)にとどまりました。 年間アクセス件数については、まだ少し時間を残しているので確定しませんが、昨年の562272アクセスには少し及ばぬものの、ほぼこれと同数程度のアクセス数にはなりそうです。今年1年間の多数のご来場に感謝しつつ、以上を以って今年最終の記事とさせていただきます。今年一年、ありがとうございました。 どちら様もどうぞよいお正月をお迎えくださいませ。
2022.12.31
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今日は年末の墓参。 途中のお寺の門前の言葉です。(今日の門前の言葉)求めすぎない 欲なんて きりなくあるんですから (樹木希林) 今日は樹木希林さんの言葉でありました。 今月3日の墓参の折には、前月11月の折のそれと同じものが掲示されていたので、4日以降の何れかの時期にこれに取り替えられたのであろう。 今日の墓地からの眺めです。(今日の墓地からの眺め) 眼下には花園ラグビー場、全国高校ラグビー選手権大会が開催中であるが、試合が開催中ではないのか、歓声が聞こえて来ない。 ズームで見ると、ラグビー場周辺には人影が沢山見える。(花園ラグビー場) ズーム撮影だと、奥の大阪ビジネスパーク(OBP)の高層ビル群がすぐ近くにあるように見えて妙な感じです。 今日の墓参は、自転車・CB(クロスバイク)でやって来ました。 墓参の後、枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社を回るためである。 毎年元旦のブログ記事の掲載写真は、この三神社の絵馬の写真と決めているので、それを撮影するための寄り道、回り道という訳である。 昨年は、石切神社の絵馬が前年のままで翌29日に再度出直して撮影という二度手間がありましたが、今年は三神社ともに来年のウサギのそれに切り替わっていて、一日で事が済みました。 墓参関連の過去記事はコチラ。
2022.12.28
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ながらくブログの更新を怠っていましたが、今日は岬麻呂旅便りの記事であります。 今年最後の「岬麻呂旅便り」が届きました。 今年の「納めの旅」は、12月13日~16日・3泊4日の「温暖な石垣島を選ぶ夫婦旅」とのこと。最南端の島、波照間島が目的の旅でもあったようですが、「外海航路の冬場は強風で高速船の欠航が多い。結果的に想定内いえども4日連続高速船欠航で目的果たせず。」であったとのこと。(旅・岬巡り報告302 石垣島、西表島&同写真説明)12月13日関西空港→新石垣空港→白保海岸の白保食堂(昼食)→観音埼灯台→川平湾→底地ビーチ→バンナ公園→ホテルミヤヒラ(3連泊) 今回は、天候がイマイチの旅になってしまったようですが、初日は青空も望めるお天気であったようです。(川平湾・湾奥方向の風景) 石垣島屈指の観光名所・川平湾と言うと下の写真のようなアングルのものがお馴染みであるが、湾の奥方向の眺めを撮った上のようなアングルの写真は、初めてかもと調べると、岬麻呂旅便り282の記事に掲載済みでありました(笑)。(同上・外海方向) 底地ビーチは、遠浅で海水浴に最適のビーチ。本来は白い砂浜だそうですが、この日のそれが白くないのは、雨に濡れた砂が未だ乾いていないからだそうです。 ということは、浜の砂が白い砂ということではなく、砂が乱反射して浜が白く見えているに過ぎず、濡れて乱反射が抑えられると、砂本来の色が見えて、このような色に見えるということで、これがこの砂浜の本来の色ということになります。(底地ビーチ)12月14日西表島・大原港→浦内川観光→白浜→月が浜→星砂の浜 波照間便欠航のため、西表島に渡り、浦内川観光に切り替え。(浦内川・軍艦島) 浦内川は沖縄で一番長い川だということは、岬麻呂氏から教わったことであるが、この日は本降りの雨ということもあって、乗船客は岬麻呂氏ご夫妻と年配のご婦人二人、登山用完全装備の若い女性一人の合計5名のみであったそうです。(浦内川・遊覧船) はい、遊覧船はご覧のようにガラガラです。(子午線モニュメント) 子午線モニュメントもすっかりお馴染みになりました。 岬麻呂旅便り231、247、288などの記事にも登場済みです。(サガリバナ) 白浜公民館の道路沿いに咲いていた赤いサガリバナの花。 花期に外れて咲く、時期外れの花のことを万葉人などの古代人は「ときじくの花」と呼び、「ときじくに咲く」と言いましたが、お花大好きの岬麻呂氏ご夫妻を歓迎して、ときじくに咲いたようであります。 それも、通常は白い花なのに、赤く咲きました。白浜の さがりばなかも 君待ちて 色くれなゐに ときじくに咲く (偐家持)(白浜小中学校) 道路左側の低木がサガリバナの木だそうです。(月が浜)月が浜 星砂の浜 雨降れば とふひと我の ほかはなかりき (偐家持) 雨が激しくなったので戻ります。(星砂の浜)12月15日石垣島右回り観光→御神埼灯台→川平湾→平久保崎→玉取崎展望台 風雨強く、この日も波照間便欠航、石垣島右回り観光に切り替え。 連日の波照間便欠航は残念なことですが、波照間島に渡った後で欠航が続いたりしたら、帰阪すべき日に石垣島に戻れなくなることもあり得た訳ですから、それを思えば、最良ではなかったものの最悪ではなかったということではあります。 御神埼灯台、平久保崎、玉取崎展望台なども「写真にならず」であったようで、この日の写真はありません。 御神埼灯台の写真は岬麻呂旅便り288の記事でご覧ください。 平久保崎は最終日に再挑戦されて、末尾に掲載の写真をものされましたが、同263、266、282、288の記事でもご覧になれます。 玉取崎展望台の写真は同263、266、288の記事でご覧になれます。12月16日竹富島・水牛車観光→石垣島・平久保崎→新石垣空港→関西空港 最終日も風雨強し。波照間便欠航。竹富島で水牛車観光に切り替え。(竹富島・水牛車観光)(同上・集落)(平久保埼灯台) 「着くと雨がやみ、ほんの5分間程度雲が切れて陽が射す幸運」に恵まれたとのことで、灯台と海の撮影に成功。(平久保崎の海) 以上です。 今年も岬麻呂旅便り記事をご覧くださり、ありがとうございました。 来年も岬麻呂旅便りをよろしくお願いします。 では、どちら様もどうぞよいクリスマスをお迎えください。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2022.12.24
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今日は、今年最後の囲碁例会。 寒い朝でありましたが、自転車で走っている段には、丁度良い気温。 走っているうちに体はポカポカ。 今日は、途中寄り道する所用ありで、少しばかり遠回り。 恩智川沿いを南に走り、三池橋で恩智川を渡り、府道24号を西へ。 この道は、東に突き当たるとヤカモチの母校である縄手中学校。中学時代、テニス部に入っていた頃は、この道を花園ラグビー場までよくランニングしたものである。テニスの練習に入る前の準備運動として、学校からラグビー場まで走るのがお決まりのメニューになっていた。この頃は道は舗装されていなくて、トラックなどが走ると濛々たる砂煙で、これに辟易しながら走ったという記憶がある。 もう古いことなので、道路沿いの様子がどうであったかなどは記憶しないが、ラグビー場までの道路沿いには人家などは殆ど無く、田畑が広がっていただけであったと思う。ラグビー場に向かうには、三池橋で恩智川沿いに北に向かうので、三池橋から先の西へと走ることはなかったのだろうと思う。 今日は、三池橋から西へと走るのであるが、銀輪散歩でもこの道は滅多に走らない。 途中に、若江公民館があり、その前庭に若江城跡の説明碑があった。(若江城跡)(同上説明碑)(同上・位置図)若江城・Wikipedia 道の向かい側には若江城跡の石碑があったかと思うが、以前の銀輪散歩で取り上げた筈と過去記事を調べてみると12年も昔の記事でした。<参考>若江岩田から八尾山本へ(上) 2010.5.6. かたわらには、美女堂氏遺愛碑という石碑。(美女堂氏遺愛碑)(同上・副碑)<参考>源頼平・Wikipedia 摂津源氏、源満仲の四男・頼平の子孫が美女堂氏を名乗ったらしいが、石碑の文字はイマイチよく読めない。 で、こんな写真も。(影持君の足?) カメラをウェストポーチに仕舞う時に気付かずにシャッターを押したものか、こんな写真が撮れていました。 中央環状道路に出て、北へ。 中央大通りに出てからは、いつものコース。大阪城公園を通り抜け。(大阪城公園) 梅田スカイビル到着は11時50分。 いつものカフェレストランで昼食&珈琲。 会場の部屋に行くとヤカモチが一番乗り。 しばらくして、村〇氏が来られたので、お手合わせ。 序盤で不用意な受け方をしたため、黒石が頓死。以後、無理に無理を重ねて挽回をはかるも、無理なものは無理、中押しでヤカモチの負け。 青◎氏、平〇氏が来られたので、村〇氏は平〇氏と打ち、ヤカモチは青◎氏と打つこととなる。これはヤカモチの中押し勝ち。 隣の村〇・平〇戦はまだ中盤の戦いなので、もう1局、青◎氏と打つ。 今度は、いい戦いとなったが、終盤で青◎氏にミスがあってヤカモチの逆転勝ち。 最後に平〇氏と打ち、これもヤカモチの中押し勝ちとなり、今日の成績は3勝1敗でありました。 これで、今年の戦績は28勝19敗。 勝ち越しでこの1年を納めることができました。 昨年は9勝9敗の五分、一昨年は9勝13敗の負け越しでありましたので、三年ぶりの勝ち越しであります。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2022.12.14
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元部下であった相〇君からメールがあり、何年かぶりで彼と会うことになった。彼は千葉県在住。この9月に会社を定年退職したので、関西方面を旅行するついでに時間が許せばお会いしたいという内容。 彼と会うのは、多分10年以上、ひょっとすると20年以上も前以来かもしれない。 ということで、大阪駅前の新阪急ホテルのロビーで待ち合わせることとし、どこかでランチでもということになる。 彼はヤカモチより9歳年下、新入社員として入社した最初の直属の上司がヤカモチであったということで、連絡をくれたのだろうと思う。 何年か一緒に仕事をした後、支店、営業所の総務担当として転出し、一時期、他の会社に勤務した後、再び当社に戻って来たという、ちょっと変わった経歴の持ち主でもあるが、無事会社人生を全うして、めでたく定年退職を迎えたという次第。 天気もよしで、ヤカモチ・スタイル、CB(クロスバイク)で大阪へ。 囲碁例会と同じコース取りで、大阪城公園経由梅田スカイビルまで。 大阪城公園を通り抜ける際に、こんなものが目に入りました。(横手雪まつり 巨大なカマクラ 右手奥が大阪城ホール) 秋田県横手市の人たちの手で造られたカマクラが大阪城公園に出現。 どういう趣旨のものか存じ上げないが、「横手雪まつり」という表示もあり、横手焼きそばなど、横手市関連のものを販売するテント張りの店が並んでいました。(雪だるま) 向かい側には雪だるまも。 横手から雪を運んで来たのか、それとも人工降雪機で雪を作ったのかは存じ上げないが、滅多に雪の降らぬ大阪に、大量の雪であります。 ざっと眺めて、退散。 銀杏並木にさしかかったところで、パラパラと細かい雨。 天泣とも言うそうだが、お天気雨、狐の嫁入り、である。 少し様子を見ようと、木陰で雨宿り。 見上げるとモミジバフウの木の下にいたのでありました。(大阪城公園のモミジバフウ) 濡れるほどではなく、すぐに止む。 再び、CBを走らせる。 天満橋を渡り、滝川公園、大阪天満宮、梅新交差点、桜橋交差点、出入橋交差点を経て、梅田スカイビルへ。 新阪急ホテルと梅田スカイビルとは少し距離があるが、勝手知ったる梅田スカイビルの駐輪場ということで、ここに駐輪することに。 徒歩で新阪急ホテルに向かう。10時40分、サントルとかいうロビーラウンジで珈琲を飲みながら待っていると、相〇君がやって来て、そこで暫く歓談。若い頃に比べて少し顔がふっくらした感じの相〇君でありました。 阪急三番街に移動して昼食、喫茶店に移動して珈琲。2時間余を共にしたアト、家の宗教が真言宗なので東寺に立ち寄ってから帰るという彼と別れて、梅田スカイビルに戻り、CBでヤカモチも帰宅の途に就く。 有朋自遠方来、不亦楽乎 友あり遠方より来たる、また楽しからずや、でありました。
2022.12.11
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今日は囲碁例会の日。 いつもの通りCB(クロスバイク)で自宅を出発。大阪城公園経由で梅田スカイビルへ。 大阪城公園の紅葉もそろそろ見納めであるが、銀杏並木が見事。 金色の銀杏散る道、それは銀輪の道でもありました。(大阪城公園の紅葉)(大阪城公園・銀杏並木)(同上) 上2枚の写真は、往路での撮影。下の写真は復路での撮影です。 よく晴れた青空だと、もっと銀杏の黄色が輝かしいものになっていたかと思うが、今日は薄曇りの天気。時折に太陽が顔を出す一瞬をとらえて、その輝きを撮影するという芸当は、ヤカモチらしくないことであり、その気もないことであります。 それでも、十分に美しい銀杏並木の眺めでありました。(同上)(大阪城公園の森の小径をゆく若いカップル) 銀輪散歩では無縁のことでありますが、こういう散歩もいいですね。(同上) 梅田スカイビル到着は12時20分頃。 ガーデンファイブ棟1階のカフェ・レストランで昼食&珈琲。 梅田スカイビルの中庭の一角にある喫煙所で食後の一服。そこから梅田の里山を眺めて、ガーデンファイブ棟5階にある囲碁会場の部屋へ。(今日の「梅田の里山」)(同上・説明碑) 会場の部屋に行くと、美術部のAさんがお一人で絵を描いて居られました。午前中は美術部の皆さんがこの部屋を使用されるので、よく皆さんとは顔を合わせるのであるが、他の方は皆さんお帰りになって、Aさんのみが居残って絵の仕上げをされていたようです。 Aさんと雑談していると、福麻呂さんがご来場。 早速に同氏とお手合わせ。これは手堅く地をかせいだヤカモチの勝ち。 対局中に村〇さんが来られたので、次は村〇さんと対局。今度はヤカモチの完敗。最後にご来場の平〇さんと対局したが、これもヤカモチの完敗となり、今日は1勝2敗とイマイチの成績でした。 これで、今年の成績は25勝18敗。 さて、囲碁とは関係ないのでありますが、昨日(6日)は、友人の野〇氏のお誘いがあって、西長堀にある彼の自宅マンションを訪ねました。 同氏とは20代の頃からの付き合いという古い友人であるが、コロナ禍もあって長らく顔を合わせることもなく居たので、5~6年ぶりの再会でありました。夕飯をご馳走になりながら、彼の奥さんも交えての歓談の、楽しい時間を過ごさせていただきましたが、約束の訪問時間よりも少し早く着き過ぎたので、近くの土佐稲荷神社に久々に立ち寄って、時間調整をしたのでありました。で、ブログネタにでもと撮った写真がこれ。(土佐稲荷神社)(同上・略記) ところが、過去記事を調べると、2013年6月9日の記事でこの神社のことを取り上げていることが判明しました。 ということで、神社のあれこれは、同記事をご参照いただくこととして、ここでは上の2枚の写真のみ掲載して置きます。<参考>土佐稲荷神社 2013.6.9.<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2022.12.07
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偐万葉・龍の森篇(その4) 本日は偐万葉シリーズ第332弾、龍の森篇(その4)であります。 偐万葉シリーズ記事は、ヤカモチがブロ友ほかの皆さんのブログにコメントとして書き込んだ自作歌や当ブログにいただいたコメントへのお返事コメントとして詠んだ歌のほか、ブロ友さん作の歌も併せ紹介するという企画の記事であります。 偐万葉ということで、記事に際しては、万葉風の勝手呼び名を付けさせていただくのが原則となっていて、龍の森氏は「龍森麻呂」と呼ばせていただいています。 龍の森氏とのお付き合いは2020年4月22日からでありますから、まだ2年半余のお付き合いという、比較的新しいブロ友さんでいらっしゃいます。<参考>過去の偐万葉・龍の森篇はコチラ。 龍の森氏のブログはコチラ。 偐家持が詠める歌19首ほか並びに龍森麻呂が詠める歌12首ほか 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首三作目 我が言(こと)の葉か ただかすみ 感謝感激 懐かしくもあり (龍森麻呂)偐万葉 仏の顔に あらざれば 四篇五篇と 後(のち)も続けむ (偐家持) (20220313偐万葉・龍の森篇<その3>byヤカモチ)咲きそむる 花を見つつや さきつ年 逝きにし友の ことを偲ばな (偐家持)(本歌)咲きそむる 花を一枝 まづ折りて 昔の人の 為と思はむ (西行 西行法師家集12)(注)この歌は龍森麻呂氏のコメントに答へて詠んだものであるが、友人の故山〇君について詠んだものでもあるので、偐万葉・どち篇にも重ねて掲載している。 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が追和せる歌2首銀輪の 東に漕げば 山多く 余りに多く 海ぞ諦む (龍森麻呂)目に青葉 杖つく婦人 そぞろゆき ふと思ひたる 永遠(とは)の銀輪 (龍森麻呂)大阪に あらね神戸は 北に山 東に行くは 安けき道ぞ (北向家持)やかもちの とはの道なら 地獄坂 下(くだ)りなるらむ 銀輪もよし (地獄家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が追和せる歌2首外来種 かき分け細道 われ行けば 古来万葉 七草(ななくさ)かほる (龍森麻呂)車輪梅(シャリンバイ) 紅さし無垢も 過ぎたれば 昔乙女も 今は熟女か (龍森麻呂)外来の 花のうつつを 避(よ)けてわれ 山辺(やまべ)の道の 茨(うまら)と咲きぬ (茨家持)車輪梅(シャリンバイ) うすくれなゐに 咲くもあり 相見し時の 妹にしあるか (輪家持)夏さらば 渡島(おしま)めぐらむ ワゴン車を 日々これ改装 人なとひそね (偐津一八) さ庭(には)べに カーテンレールと われ格闘 ねぢれ隙間に 身もよぢれつつ (偐津一八)(本歌)きくううと おりたつにはの このまゆも たまたまとほき うぐひすのこゑ (会津八一) <菊植うと降り立つ庭の木の間ゆもたまたま遠き鴬の声> きくううと つちにまみれて さにはべに われたちくらす ひとなとひそね (会津八一) <菊植うと土にまみれてさ庭べに我立ち暮らす人な訪ひそね> (20220504軽ワゴン改装) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首曇りとて 電車に乗れど 午後は晴れ そぞろ寄りみち 花ぞろぞろり (龍森麻呂)八千種(やちくさ)に 咲きたる花の 回り道 移ろふ色こそ 愛(いと)しと我が行く (偐家持)(本歌)八千種の 花は移ろふ 常磐なる 松のさ枝を 我は結ばな (大伴家持 万葉集巻20-4501) (20220531ヤマアジサイbyヤカモチ)秋待てば 椎の実なれる マテバシイ ならぬタブノキ 黒き実なれる (偐椨持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首に偐家持が追和せる反歌1首これやこの 昼の陣取り かなはねど ポケ電不通 気づかねど 気力充実 五戦勝ち哉 (龍森麻呂)(反歌)水無月(みなづき)の 囲碁にしあれば みな勝ちて よき文月(ふみづき)の 青空待たむ (偐家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首神降臨 望みて夏山 我(わ)が行けば 待てよいつかと マテバシイの木 (龍森麻呂)君が山の その向(むか)つ峰(を)の 椎(しひ)の木も 神(かむ)さぶる木ぞ おほろかにすな (椎家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首急降下 雀飛び込む 梅雨の砂 迎撃不要 ミサイル無用 (龍森麻呂)これやこの 雀もすなる 砂風呂に あらぬ塹壕 ビバ・ウクライナ (偐家持) (20220618雀の砂風呂byヤカモチ) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首ニイ蝉も 自分の番と 務め鳴き 走り感ある われヨレバトン (龍森麻呂)われはもや 番外の地に あるなれば バトンのことも 忘れたりける (番外家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首豊かさに 喜び目覚めの ハナズオウ 裏切り不信に 清めし雑巾 (龍森麻呂)首吊りの ユダの木なれど 花蘇芳 春の目覚めの 喜びなるか (偐家持) (20220711善光寺のハナズオウbyヤカモチ)志(こころざし) 高くあり持て 恋し野の 鯉も隅田(すだ)にて 龍となる秋 (偐家持) (20220808隅田八幡神社神門の天井画byヤカモチ)台風が 落とせる柿の 渋みをも 剥きたるからは あぢはふべしや (落柿舎)辛(から)き世に 酸(す)きも甘きも 噛み分ける 渋き男(をのこ)の 生きざまぞこれ (渋柿麻呂) 龍森麻呂が返せる歌1首甘渋を 舐めわけ過ぎし 渋爺(しぶぢぢい) 鳥も相手に せぬは寂しき (龍森麻呂) (20220919柿の渋み) 龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句囲碁銀輪 大阪枯れ野 ランチつき (龍森麻呂) 惣会所跡の 碑など眺めつ (偐家持)龍宮の 淵のみなもに 森の影 映して龍の 森ともなれる (偐家持) (20221114長門峡・竜宮淵と竜宮茶屋byヤカモチ) 龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句墓参り 手をふるサンタ 冬の空 (龍森麻呂) わが行く師走 山麓の道 (偐家持)冬晴れの 登って降りて 菩薩像 (龍森麻呂) 墓参の道も 遠回りして (偐家持)木蓮の 花芽みて 墓 参りすむ (龍森麻呂) なべてひとみな よき春あれと (偐家持) (20221203手をふるサンタさんbyヤカモチ) ワールドカップ、日本は惜しくもクロアチアに敗れましたが、よくやってくれました。 ということで、オマケの1首八の壁 破れぬまでも 新しき 景色は見せつ サムライブルー (蹴家持)<注>掲載写真は、「byヤカモチ」とあるものを除き、龍の森氏のブログからの転載です。
2022.12.06
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今日は月例の墓参。 そして、母の祥月命日でもある。 昨日はその母の七回忌法要を営みましたが、母が亡くなってはや丸6年になる。もっとも、12月3日23時34分死亡であるから、正確にはアト3時間ほどで丸6年ということではある。 墓参に向かうべく家を出ると、道路斜め向かいにこんな光景。(手をふるサンタさん) 大きな槇の木に梯子を掛けて登っているサンタクロース。(同上) 我が家と道を挟んで斜め向かいにある「街角ギャラリー」の企画・設営によるサンタさんのようだが、そのパンフレットの説明によると、「今回は進化し、手をふって愛嬌をふりまいています。」とあるから、去年も、或いはもっと以前から、この時期には設営されていたのだろうが、ヤカモチとしては、初めて目にする光景であります。 その場所が、自宅と目と鼻の先なので、こんなに目立つものを見ていて記憶に残らず、完全に忘れてしまっているとしたら、ヤカモチの認知機能にゆゆしき問題が発生していると言わなくてはならないのであるが、本当に初めて目にするということであるなら、考えられることは次のようなことが原因でヤカモチの目に止まらなかったということが考えられる。 昨年は、12月4日と28日に墓参をしているので、サンタの設営は12月5日以降に始まり、12月27日以前に撤去された。そして、この期間の外出は、自宅の東側道路であるこの道に出ることはなく、北側道路から西に向かうルートを専らにしていた。実際にヤカモチの銀輪散歩などの外出は殆どがこのルートで、東側道路に出るということはまれにしかありません。(同上・パンフレット<表>) 暗くなると、ライトアップされるようです。(同上・パンフレット<裏>) 昨日、妹たちが法要に参列する前に墓参しているので、供花は真新しいまま。ということで、用意していた花は近くの叔父の墓にお参りして供えることとするべしで、先ず叔父の墓へ。(墓参の道) 叔父の墓は、我が家の墓がある墓地(旧墓地)に隣接して北側にある墓地(新墓地)の一角にある。墓地入口近くの分岐を右に行くと我が家の墓がある旧墓地、左に行くと叔父の墓がある新墓地である。(同上・ススキ) ススキの穂が目立つ。(同上・アメリカセンダングサ) アメリカセンダングサの種子も、これを見上げるようなアングルで眺めると何やら素敵な風景となる。 叔父の墓の花を取り替え、線香を手向けて、合掌。(墓地からの眺め) ネットフェンスに挟まれた細長い斜面に階段状に設けられているのが、新墓地で、左側のネットフェンスの左側が我が家の墓がある旧墓地の領域となる。両墓地はこのように隣接してあるのだが、管理主体が異なるので、フェンスで遮られて、自由に往来ができない。 ただ、斜面をほぼ上り切った処に、一ヶ所だけフェンスが張られていない開口部がある。 我が家の墓に行くには、このフェンスの中間位に開口部があると好都合なのであるが、最高地点近くまで上って、そこにある開口部から旧墓地を横切り、南側の坂道に出て、これを少し下ることになる。(河内観音菩薩像) 開口部から旧墓地に入ると、河内観音菩薩像。(墓地の空) この一角は、クスノキの巨木があり、昔は、屍を焼く小屋があった場所であるが、今は、河内観音像や地蔵菩薩像があり、その周辺に墓仕舞いをされた後の墓石の一部や無縁墓となったものの一部であるか、そのようなものが残置されている。 ぐるりと遠回りして、坂道を下ると我が家の墓である。 今日は、供花の水を取り替え、線香を手向けるだけの墓参であります。(ハクモクレンの花芽) 墓参を済ませて、坂道を下る。 テニスクラブ施設のお向かいにある民家の庭のハクモクレンは、花芽と言うのか、蕾と言うべきなのか、白いものが目立っています。 木々はもう春の備え怠りないようです。
2022.12.03
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今日は、花園ラグビー場にて5回目のワクチン接種を受けました。 以上で、ヤカモチのワクチン接種記録は以下の通りとなります。 1回目 2021年07月12日 ファイザー EY3860 2回目 2021年08月02日 ファイザー EY3860 3回目 2022年03月01日 モデルナ 3005786 4回目 2022年08月09日 モデルナ 000236A 5回目 2022年12月01日 ファイザー GJ1852 今回の5回目接種のワクチンは、「COMIRNATY(12歳以上用)コミナティRTU筋注(2価:起源株/オミクロン株BA.4-5)製造番号:GJ1852 製造販売:ファイザー株式会社」とあるから、オミクロン株対応のファイザー社製のワクチンであったことになる。(接種会場:花園ラグビー場) 接種会場は、花園ラグビー場の北側スタンドの1階の部屋。 4回目の時と同じ場所。1~3回目までは南側スタンドの1階の部屋であったかと思う。(新型コロナワクチン予防接種についての説明書) 説明書は、読むこともないままに、捨ててしまうのが通例なので、ブログに写真を貼って置くことにしましょう(笑)。 ワクチンもマスクも、もう必要ないというように早くなって欲しいものです。
2022.12.01
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