全8件 (8件中 1-8件目)
1

昨日(8月26日)は、大学の同窓会・青雲会の囲碁大会でありました。 今年も会場は昨年と同じで、阪急産業梅田ビルの5階にある梅田囲碁センターでした。12時50分集合ということで、大阪駅近くで昼食を済ませた後、梅田囲碁センターに向かいました。 梅田囲碁センターは梅田地下街の「泉の広場」の14番出口から地上に出た先にある。 昨年の記事を見ると、泉の広場の写真が冒頭に掲載されているが、今年もその泉の広場の写真からであります。(梅田地下街・泉の広場) 昨年の写真の景色と余り変わらないが、ヒマワリの花の数が少し少なくなっているような感じ。 地上に出る。(梅田囲碁センター・阪急産業梅田ビル5階) 会場に入ると、ヤカモチが一番乗りであったようで、青雲会の囲碁メンバーの方はどなたも未だ来られていない。(青雲会囲碁大会の予約席) 碁盤が三つ用意されていたから、参加者は今年も昨年と同数の6名のようである。 過去には参加者が19名というような時もあったのに、最近は、囲碁大会という呼称が泣く参加者数で推移している。 先ず、若〇氏がお見えになり、続いて中〇氏。両氏と雑談しているうちに、世話役の銭〇氏がご来場、続いて山〇氏がお見えになり、最後に松〇氏が来られ、全員集合となる。松〇氏は、今年になってからこの囲碁の会に参加されるようになったようで、ヤカモチは初対面であった。 というのも、ヤカモチは青雲会の囲碁例会にはこのところずっと欠席で、年1回この大会だけに参加しているので、松〇氏とは初対面であったという次第。 あみだ籤の結果、1回戦は銭〇氏vsヤカモチ、中〇氏vs松〇氏と決まり、山〇氏と若〇氏は不戦勝で、山〇氏は、銭〇氏vsヤカモチ戦の勝者と、若〇氏は、中〇氏vs松〇氏戦の勝者と、それぞれ対戦する、ということに決まる。 銭〇氏vsヤカモチ戦、中〇氏vs松〇戦が、それぞれ始まるが、不戦勝組となった若〇氏と山〇氏との番外対局も同時に始まりました。 1回戦の勝者は銭〇氏と松〇氏となったが、番外対局の若〇氏vs山〇氏戦が未だ終わらないので、準決勝戦が始められない。(若〇氏vs山〇氏の番外対局) ということで、1回戦敗退組の中〇氏とヤカモチは、番外でお手合わせすることとする。同氏とは2局打ちましたが、何れもヤカモチの勝ち。 そうこうしているうちに、若〇氏vs山〇氏の番外対局も終了したようで、準決勝戦の、銭〇氏vs山〇氏戦、松〇氏vs若〇氏戦が始まる。 結果、銭〇氏と松〇氏が準決勝の勝者となり、両氏による決勝戦ということになる。 すこしばかり、観戦していたが、中〇氏と若〇氏との番外対局が隣で始まったので、ヤカモチも山〇氏と番外対局を打つこととしましたが、これもヤカモチの勝ち、ということで、本戦1敗、番外戦3勝で、本日の勝敗は3勝1敗でありました。(決勝戦・銭〇氏vs松〇氏戦の中盤から終盤にかけての盤面) 決勝戦は、結構長い碁となり、まだまだ時間がかかりそう。 ということで、ヤカモチは途中退席して、帰途につきましたので、どちらが優勝されたのかは、存じ上げないという次第。<参考>過去の青雲会囲碁大会記事は下記の通り。〇第19回青雲会囲碁大会 2022.8.28.(参加者6名)〇青雲会囲碁大会2021 2021.8.28.(同4名)〇第17回青雲会囲碁大会 2020.8.22.(同8名)〇2019青雲会囲碁大会 2019.8.31.(同9名)〇2018年青雲会囲碁大会 2018.8.18.(同8名)〇2017青雲会囲碁大会 2017.7.8.(同12名)〇青雲会囲碁大会・秋の気配 2016.8.28.(同14名)〇青雲会囲碁大会2015 2015.8.22.(同16名)〇2014年第11回青雲会囲碁大会 2014.8.2.(同15名)〇第10回青雲会囲碁大会2013 2013.8.10.(同16名)〇青雲会・第9回囲碁大会 2012.8.11.(同19名)〇第8回青雲会囲碁大会 2011.8.13.(同14名)〇青雲会囲碁大会で優勝 2010.8.14.(同15名)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.08.27
コメント(4)

先日、友人で画家の家近氏から葉書が届いた。 それには、8月20日(日)午前11時から、西九条ハニル教会(環状線西九条駅下車2分)で話をするので、おいで下さい、と書かれていた。 昨日(20日)は特段の予定もなかったので、久しぶりに家近氏のお話を拝聴するかと、出かけることに決めた。 大阪の予想最高気温は38度の猛暑ということで、不要不急の外出は控えてください、とTVなどでは呼びかけていたが、懲りぬヤカモチ、MTB(マウンテンバイク)で出かけることとした。自宅から西九条駅前までの距離は25km余。梅田スカイビルまでよりも少し遠いようだが、片道2時間もあれば十分だと見込まれる。 11時の礼拝だと朝9時出発でも十分間に合うと思われたが、8時に家を出ることとした。初めて訪ねる場所であり、道が不案内であること、炎暑の中を走るので、途中でクーリング休憩、水分補給休憩も必要と思われること、汗だくになること必定なので、早めに行って近くの喫茶店で汗を引かせてから教会に入った方がよかろうなどなどの理由から、1時間早い8時に家を出ることにしたものである。実際には7時50分頃、まだ8時になる前に家を出発した。 花園中央公園北側のコンビニで凍結したスポーツドリンクを購入。先ずは熱中症対策である。 コースは、大阪城公園までは囲碁例会で梅田スカイビルまで走るのと同じルートとなる。 大阪城公園に到着。(大阪城公園到着) 大阪城公園到着は8時45分頃。 上掲写真の自転車がマイMTB。 ベンチに置かれているスポーツドリンクは、走り始めにコンビニで購入した凍結スポーツドリンク。ハンドルに取り付けたボトルケースから取り出して、一口飲んでからベンチに置いたもの。 此処に着いた頃には、少しとけていて、一口か二口かは飲める程度になっていたので、汗を拭いながら水分補給をしたという次第。写真奥に写っている女性がこのアト立ち去られたので、そこのベンチに移動して休憩。そこは木陰になっていて、写真に写っているベンチよりも涼しい。風もよく通る。 すると、ここで、家近氏から電話が入った。 礼拝が中止となり、家近氏の話は来週に延期とのこと。 それなら、引き返すことにすると申し上げたところ、教会には行くので、会って話をしましょうよ、と仰るので、ともかくも教会へと向かうこととした。 大阪城公園を出て、馬場町交差点へ。(馬場町交差点) 囲碁例会で梅田スカイビルに向かう場合は、此処から北(右)へ進み、天満橋を渡るのであるが、昨日は西九条駅前がゴールなので、正面奥へと直進である。 かつては、囲碁例会の往路コースは、大阪城公園のへりを通ってこの交差点までの坂道を上って来て、右へと進むことが多かったのだが、最近はこれを回避して、より楽なコースである森ノ宮駅前から公園の中を通り抜けるコースをとることが多いので、久しぶりの馬場町交差点である。 西へと直進。 谷町筋、松屋町筋、堺筋、御堂筋、四ツ橋筋、なにわ筋、あみだ池筋を通過して、阿波座交差点で新なにわ筋を北(右)へと入る。 土佐堀川に架かる湊橋を渡ると中之島の最西端部である。(湊橋から土佐堀川左岸を望む) この湊橋の南詰に宮本輝の小説「泥の河」の文学碑があるのだが、昨日はこれを見落として通り過ぎてしまいました。<参考>小説「泥の河」の碑の写真掲載記事は下記です。 野田藤そして中之島尖端 2013.6.15. 右手間近には中之島センタービルが見える。すぐに堂島川となり、これに架かる上船津橋を渡ると中之島とはバイバイである。 上船津橋を渡って、一つ下流側の船津橋から大阪中央卸売市場に沿った道を西へと進む。(大阪中央卸売市場) 大阪中央卸売市場を通り抜けて北西に道を進むと、JR環状線にぶつかる。これに沿った道・市道福島桜島線を右(西)へ※。※「右(西)へ」は間違い、正しくは「左(西)へ」(2023.8.22.訂正)(市道福島桜島線・JR環状線西九条駅東側のガード下付近) JR西九条駅東側のガード下を潜ると目指す目的地・西九条ハニル教会である。到着は9時45分頃でありました。自宅から1時間55分要したことになるが、途中、大阪城公園で15分程度休憩しているから、それを除外すれば、1時間40分で走ったことになる。(日本キリスト教団西九条ハニル教会)<参考>西九条ハニル教会・Nishikujo Hanil Church 礼拝開始時刻は11時であるから1時間15分の時間の余裕がある。 場所の確認ができたので、西九条駅前の方に回り、駅前の喫茶店に入ることとした。(阪神電車・西九条駅とJR環状線・西九条駅) 上掲は、駅前の喫茶店の前から撮った写真。 店のドアに「かき氷始めました。」とあったのが決め手。かき氷を注文する。かき氷と冷房で火照った身体が急速に冷えて、汗も引きました。 10時半を少し過ぎたところで店を出て、教会へと向かう。 教会の前に自転車MTBを駐輪していると、前方からご婦人がやって来られて会釈されたので、会釈を返す。礼拝に来られた信徒さんでありました。彼女は「どうぞ」とドアを開けて中にお声がけして下さる。すると、牧師のSさん(女性)が出迎えて下さった。導かれて中に入ると、十数名も集まれば一杯になってしまうかと思われるこじんまりとした礼拝室(礼拝堂と呼ぶには狭すぎるので、礼拝室と呼んで置くこととする。)。 礼拝室には、家近氏の絵画が飾られていました。<参考>西九条ハニル教会・教会内の絵画紹介 S牧師の話によると「信徒の皆さんはご高齢の方が多いので、今回は猛暑ということで、礼拝はそれぞれのご家庭でそれぞれに行ってください、ということにしました。ただ、教会は開けていますので、お越しになられる方はどうぞ、ということにさせていただきました。」とのこと。 雑談しているうちに、家近氏、男性信徒のHさん、もう一人別のご婦人の信徒さんが来られ、今日の礼拝出席者は、S牧師とそのお嬢さんだというKさん、教会の前で会釈を交わしたご婦人とヤカモチを加えて全7名でありました。 家近氏がヤカモチを万葉集の専門家みたいな紹介をされたものだから、「今日は、ヤカモチさんに万葉集にまつわる話を何かしていただくこととしましょう。」というようなことになる。 話を聴きに来たヤカモチであるのに、何か話をしろ、とはこれ如何に。 無茶ぶりもいいところであるが、ごく自然に淡々と、それが至極当たり前のことのように段取りを進めて行かれるS牧師の、口ぶりと言うか、司会進行は、此処ではこういうことがよく行われていて、これを固辞することは、その場の空気感を損なう無粋なことのようにも思われて、何となく黙示的にこれを引き受けてしまったような成り行きとなりました。 とは言え、教会の礼拝の中で万葉集の話をするのも初めてであれば、このように初対面の人の前で、事前の準備もせずに話をするのも初めてのことであったので、とっさに浮かんで来るテーマも思いつかず、自分でも何を話しているんだろうと思いながら、万葉集との出会いの話、万葉集の時代の話、犬養節の紹介、大津皇子を二上山に葬った時にその姉の大伯皇女が詠んだ歌や壬申の乱の後、天武天皇が明日香に都を移した時に詠まれた「大君は神にしませば」の歌や、大伴旅人の讃酒歌やらを思い浮かぶままに話しましたが、何ともはや、の話の内容であったかと(苦笑)。 礼拝終了後、家近氏と二人で、駅前の居酒屋でランチをご一緒し、ご馳走になってしまいましたが、コチラの方は、何処かで一人昼食をと考えていたヤカモチにとっては、とてもよき成り行きでありました(笑)。 教会の方にまた戻るという家近氏とは居酒屋で別れ、ヤカモチは帰途に。 中之島センタービル西側の公園、靫公園、大阪城公園、花園中央公園と、それぞれの木陰で涼をとり、併せ水分補給をするなどの休憩をとりつつ、午後3時過ぎに帰宅でありましたが、最も暑い午後1時少し前から午後3時過ぎまでの時間帯の銀輪走行。往路の1時間55分に比して、復路は約30分増しの2時間25分を要しました。(靭海産物市場跡の碑)(同上・副碑) これは、靭公園で見かけた碑です。 靫公園は、公園の中央を横断する道路・なにわ筋を挟んで、東区域と西区域とに分かれるが、この碑は、西区域にあるもので、テニスセンターの前庭にある。西区域はあみだ池筋となにわ筋との間に広がるが、なにわ筋と四ツ橋筋との間に広がる東区域は、なにわ筋から四ツ橋筋に移動する際によく通り抜けるので、お馴染み。これに比べて西区域は滅多に走らないので、今までこれに気が付かなかったようです。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.08.21
コメント(10)

偐万葉・どち篇(その11) 今日は偐万葉シリーズ第335弾の記事、偐万葉・どち篇(その11)であります。今回は、ヤカモチの会社時代の先輩2氏が相次いでご逝去され、その報を受けて詠んだ歌なども含まれます。 あらためて両氏のご冥福をお祈り申し上げます。<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。1.近〇氏関係 近〇氏は何年間かヤカモチの直属の上司であった御仁。 6月初旬にそのお嬢様からお手紙を頂戴し、同氏が4月14日にご逝去されたことを知る。 近〇氏逝去の報に接して偐家持が詠める歌4首君逝くと 卯の花くたし 降る雨に 聞けばしくしく 心そ痛き八女(やめ)の野に 茶摘みの歌も 聞こゆるか 空わたる風と なりし君にも浦安の 日の出と届く 珈琲の 香にし偲ばむ 君が笑まひを六甲(むこ)の島に いつ聞きしかと 君が声 恋ふれば悲し 今日も雨降る (六甲アイランド公園)※六甲アイランド・Wikipedia記事の写真(投稿者:663highland氏)を転載。2.木〇氏関係 木〇氏はヤカモチが入社した頃、本社の広報課長であった御仁。 その後、営業部門に転出されて、支店長や関連会社の社長を歴任されたが、営業部門に転出された頃から、仕事面での接点が生じ、親しくさせていただいた先輩のお一人である。7月中旬に、奥様からの暑中見舞いのお葉書が届き、6月25日にご逝去されたということを知る。 同氏は、健人会のメンバーでもあり、その会でお会いするというのが、直近の交際状況であったが、コロナ禍もあってか、このところはご欠席が続いていたので、2020年1月22日の健人会新年会の席がお会いした最後ということになってしまった。 木〇氏逝去の報に接して偐家持が詠める歌3首この三年(みとせ) 相見ることも なくありて 次には見むと 思ひしものを六月の 二十五日に 君逝くと ありし葉書に つき草の花金沢の 頃なつかしく 今更に 思ひつつぞ居り 君をしのびて (ツユクサ)※ツユクサは、万葉では、月草、都岐久佐、鴨頭草。3.岬麻呂氏関係 岬麻呂旅便り記事にてお馴染みの御仁であり、掲載の歌も同記事に掲載のものの再掲載ということになりますが、また違った切り口、偐万葉という切り口でお楽しみいただければ幸甚に存じます。 岬麻呂氏の旅に寄せて偐家持が詠める歌15首朝風は 静かに吹きて あかあかと 日向の海に 朝日が昇る (日向家持) (20230608日向灘の日の出)青島に 朝開きして 波乗りを 楽しむ人見ゆ 今日はよき日に (偐家持) (20230608青島海岸のサーファー)函館の 夜景は見せつ 天狗山に 見せむと待つや 小樽の夜景 (偐宵待) (20230623小樽天狗山)我妹子(わぎもこ)と 小樽運河の 小夜小径(さよこみち) 二人し行けば うれしからまし (偐岬持)小夜小径(さよこみち)灯(あか)りうれしみ 我が君に ともなはれ行く 小樽の運河 (岬夫人) (20230623小樽運河夜景)浜茄子と 浜昼顔の 咲く丘の 空にし凛と 石狩灯台 (偐家持)浜茄子の 丘の灯台 風の音(と)を 聞く人なしに いたづらに吹く (偐岬持) (20230623石狩灯台)ラベンダーの 風吹き渡る 上富良野 妹とたぐひて 今年も来しか (偐岬麻呂) (20230723日の出公園)ラベンダーの 野をなつかしみ 恋ひ来れば 風むらさきに 吹き渡りゆく (偐紫麻呂) (20230723ハイランド富良野・ラベンダーの森)あゝ富良野 風は清みか 七月の 野は紫に 波ぞ立ちける (偐紫麻呂)七月の 風は紫 あゝ富良野 君もラベンダー われもラベンダー (紫野晶子)(本歌)ああ皐月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟 (与謝野晶子) (20230723ファーム富田) (同ファーム富田ラベンダーイースト)馬鈴薯の 花がもてなす 十勝野を 雲と駆けゆく 妹と駆けゆく (偐岬麻呂) (20230723十勝平野)ヒマラヤの 青きケシをも 高温は 白くすなるか つや消しの花 (水差し家持) (20230723ヒマラヤの青いケシ)八十(やそ)も過ぎ 八月三日(はちがつみっか) 展海峰(てんかいはう) 九十九島(くじうくしま)を 望みつるかな (偐岬麻呂)(本歌)七十に 近き春にぞ あひの浦 九十九島を いきの松原 (伊能忠敬)西海の 九十九島の 青葉風 波を雲とし 流すや空に (偐岬麻呂)(本歌)きさがたの 桜は波に うづもれて はなの上こぐ あまのつり舟 (伝・西行) <注>奥細道菅菰抄には西行作の歌と記されているが、西行全歌集(岩波文庫)には収録されていない。 (20230810展海峰・九十九島)<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.08.16
コメント(8)

昨日(13日)はお盆を控えての墓参でした。 いつもとは違って、往路復路共に池の辺の細道を辿って、墓への坂道に出る裏道ルートを採用。このルートだと坂道を少し上った処にあるいつもの「門前の言葉」の寺のすぐ近くで墓への坂道に出ることになる。 かつては、墓参はこの裏道ルートで行くことが多かったが、最近は滅多にこの道は歩かない。(墓地からの眺め) お盆とあって、いつもより墓参の人の姿が多い。 朝とは言え、既に10時近くになっていたので、急な坂道を上って行かねばならない墓参は、汗、汗、汗である。 暦の上では、立秋も既に過ぎ、夏の終わりを告げるツクツクボウシの鳴き声を、今年初めてこの墓参の道で耳にしたものの、残暑も亦猛暑の状態が続くようだ。(同上) さて、今回は、墓参を済ませての帰り道、その裏道ルートで見かけた草木の写真を紹介します。 先ずは、アカメガシワ。 アカメガシワはこれまでに何度かとりあげているので、過去記事と重複した記述になっていたら、ゴメンナサイであります。(アカメガシワ)<参考>アカメガシワ・Wikipedia(同上) アカメガシワは万葉集に登場する「久木(ひさき、ひさぎ)」だとされる。ぬばたまの 夜のふけゆけば 久木ひさき生おふる 清き川原かはらに 千鳥しば鳴く (山部赤人 万葉集巻6-925)去年(こぞ)咲きし 久木(ひさき)今咲く いたづらに 地(つち)にか落ちむ 見る人なしに (万葉集巻10-1863)波の間ゆ 見ゆる小島の 浜久木(はまひさき) 久しくなりぬ 君に逢はずして (万葉集巻11-2753)渡会(わたらひ)の 大川(おほかは)の辺(へ)の 若歴木(わかひさき) わが久(ひさ)ならば 妹恋ひむかも (柿本人麻呂歌集 万葉集巻12-3127)(同上・実) この木は、雌雄異株で、雄株と雌株がある。 今回目にしたアカメガシワの木は実がなっていたから、雌株の木ということになる。 下の写真のように、大きな池の岸辺にこの木は生えていました。 上の山部赤人の万葉歌では、吉野川に流れ込む「象の小川」の川原に生えていたようだが、こちらは、墓へと続く池の辺の道に生えていたのであり、 時刻も、赤人歌のそれは夜、こちらのそれは朝である。 従って、千鳥がしきりに鳴くということはなく、時折、池に棲む鯉たちが跳ねてたてるパシャッという音がするだけなのでありました。 松尾芭蕉ならぬ、杉尾馬笑なら、古池や 鯉の跳ねたる 水の音 とでも句作するのでしょうが、ここは偐万葉なので、山部赤人ならぬ、池部青人で短歌と参りましょう。墓参り 朝道(あさみち)ゆけば 久木(ひさき)生ふる 古池(ふるいけ)の面(も)に 鯉また跳ねる (池部青人)(同上・実) 「久木」はアカメガシワの木だと述べたが、諸説あって何とも定まらない不詳の木である。元々は「久しい時を経た木」という意味であるから、特定の種類の木を指した言葉ではなく、樹齢の古い木一般を指すという解釈もありうるだろう。雑木説はこれに該当する。 また、シバの類を指すという説もあるほか、キササゲの木だという説などもある。 しかし、今回はアカメガシワを目にしたのだから、ここではアカメガシワ説を採用しなければならない(笑)。 因みに、キササゲ説もあると述べましたが、その木を実際に目にしたことがなく、従って、ヤカモチの手許にはその写真がない。 多くの人もヤカモチと同様だろうと思うので、参考までにWikipedia記事に掲載のキササゲの木の写真を、以下に転載して置きます。(キササゲ Wikipediaに掲載の写真を転載)<参考>キササゲ・Wikipedia 次はヒメツルソバ。(ヒメツルソバ)<参考>ヒメツルソバ・Wikipedia ヒメツルソバはヒマラヤ原産のタデ科の植物。 5月から秋にかけてが花期にて、金平糖のような球状の花を咲かせるが、真夏には花がいったん途絶えるので、今は花が見られない。葉がある茎の部分が地面に接しているとそこから根を出し、地面を這うようにして横に広がって行く草で、近ごろは道端でよく見かけるようになった。 ヒメツルソバの生えていた道端の先で、石垣の隙間からモジャモジャ、フサフサという感じで生えている草が目に入った。カニクサである。(カニクサ<別名:ツルシノブ>)<参考>カニクサ・Wikipedia カニクサはシダの仲間。 ツルのように延びているのは茎ではなく、本当の茎は地面の下にあり、地上に顔を出しているのは、葉だという。この茎・ツルのように見える部分は葉の主軸であり、これら全体が構造的には一枚の葉であるとのこと。 まあ、ワラビやゼンマイなどの地上部は葉であり、茎は地下にあるのと同様であるが、このカニクサの茎のように見える葉の主軸の先端は無限成長するようになっていて、茎と同じ機能を有している。 シダの地上部を引っ張っても、それは地下部の茎から伸びた葉を引きちぎることになるだけで、通常の草のように根こそぎに引き抜くことはできない。地下部の逞しく太い茎とそこから延びる根は無傷・健在なのである。 このように石垣の隙間の奥から延びているカニクサは、ビッグモーターよろしく除草剤でも注入散布しない限り、その除去は不可能であるだろう。 以下の写真は、墓参の帰り道で撮影したものではなく、その日の夕刻に散歩に出た際に、この裏道ルートをまた歩くということがあったので、再度、これを撮影したものであります。(同上)(同上) 石走る垂水の上の早蕨の萌えいづる春、は万葉的であるが、石垣の隙間の奥に蟹草のはびこれる夏、は偐万葉的と言うべきか。 さて、大型で強い台風7号が今夜から明日(15日)にかけて東海、近畿に接近、上陸とか。 予想進路では我が家のある地域がその中心線付近に当たっている。 トラックが横転するほどの猛烈な風が吹くとの予想。 自宅敷地内の、強風で吹き飛ばされる危険性のあるものは、片づけたり、飛ばされないように括り付けたりするなど、風対策をそろそろして置くこととしますか。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2023.08.14
コメント(3)

友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回は、長崎、佐世保の旅。 亡き友を偲ぶ旅でもあったようです。(旅・岬巡り報告315 長崎、佐世保&同写真説明) 長崎、佐世保は30年位前に家族旅行で訪ねたのが最後のヤカモチ。 遠い昔のあやふやな記憶を手繰りながら、岬麻呂ご夫妻の旅にお付き合いさせていただきましょう。8月1日関西空港→長崎空港→オランダ坂→眼鏡橋→出島オランダ商館→稲佐山展望台→大浦天主堂→ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル(2連泊) 今回の旅を思い立たれたキッカケは、今年6月の初め頃にご友人のT氏に夜お電話されたところ、「今、長崎で友人と飲んでいます。」という応答。そのT氏の言葉「長崎の夜はいいですよ。」というのに触発されて、ということであったとか。 思い立ったら、すぐに行動を起こされる岬麻呂さん。気持ちが若々しいですね。思うばかりで最近は行動が伴わなくなっているヤカモチとしては羨ましい限りであります(笑)。 ということで、夕食後、タクシーで夜の長崎観光。タクシーの運転手さんが親切な人で、楽しい観光となったようです。(オランダ坂) 日中は観光客で賑わうオランダ坂も午後8時近くになると人通りは少ないようです。(眼鏡橋) 夜の眼鏡橋から出島オランダ商館をめぐり、稲佐山展望台へ。(出島オランダ商館) はい、稲佐山展望台から眺める長崎の夜景であります。(長崎の夜景) 月明かりの長崎港。いいですね。 満月前夜の月(待宵月)が奥の橘湾のずっと向こうから手前の長崎港の海面を通ってこちらへと静かな一筋の光の道を作っています。 写真左下には「開業を待つ新幹線駅」が写っているらしいですが、どれなのか、よくは分かりません(追記注参照)。(追記注 2023年8月11日11:39) 岬麻呂氏からメールがあり、上の写真では、新幹線駅は左端に黄色く写っている道路の左側にあり、画面の外になって、写ってはいないとのこと。 それが写っている別の写真を送ってくださいましたので、追加で掲載させていただきます。(長崎新幹線駅)※左下部、黄色みがかった縞模様に見える、細長く横に伸びている建物が新幹線の駅です。駅右側の道だけが前掲写真に写っていて、駅そのものはわずかに画面外になっていたという次第。 そして、大浦天主堂のライトアップ。(大浦天主堂) 勿論、大浦天主堂も隣接のグラバー園もこの時間には閉門されていて、人影もなし、であります。8月2日グラバー園→小浜温泉経由→南島原市キリシタン遺産記念館→原城跡→島原城→諫早干拓道路→長与町経由→ホテル帰着 2日目は、先ずグラバー園へ。 ヤカモチには「グラバー邸」という名称が刷り込まれていて、「グラバー園」だの「旧グラバー住宅」だのという名称は、耳慣れないのであるが、調べてみると、1961年にグラバー邸が国の重要文化財に指定された際に、正式名称が「旧グラバー住宅」と定められたということが分かりました。 長崎市は、1970年に「長崎明治村構想」を打ち出し、既に購入済みのリンガー邸(「旧リンガー住宅」)に続いて、同構想に基づき1971年にオルト邸(「旧オルト住宅」)を購入。 更に、市内の他地区に存在した「旧ウォーカー住宅」などの洋風建築物4棟をこの地に移築復元。これらの伝統的建造物を中心施設として1974年に開設された公園が「グラバー園」ということのようです。<参考>公式・グラバー園 グラバー園について(旧グラバー住宅) そして、旧グラバー住宅の前から望む長崎港です。(長崎港) 向かいの山が稲佐山ですから、夜景写真で左下に写っているという新幹線駅は、この写真では右端奥にあるのでしょうが、写っているのかどうか。 グラバー園は開園時刻の8時直後に入園されたようで、観光客が居ない園内を「我が物顔」に歩かれたのかどうかは存じませんが(笑)、他の観光客に邪魔されることもなく、ゆったり気分で歩かれたようです。 それでも「朝の長崎」は「夜の長崎」ほどやさしくはなく、高低差のある園内の道をエスカレーターのある一部を除き、全部歩かねばならず、「滝のような汗」であったとか。 まあ、近ごろは、この時期、日本全国どこも猛暑ですから、長崎に限らず、ではあります。 グラバー園を出てからは、冷房のきいたレンタカーでのドライブ移動ですから、「滝のような汗」とは無縁であられたのでしょう。 南島原市の有馬キリシタン遺産記念館へと向かわれます。(有馬キリシタン遺産記念館) そして、原城跡、島原城へ。(原城跡)(島原城) 諫早湾干拓堤防道路を走ります。(諫早湾干拓堤防道路・南方向<雲仙岳方向>) 上の写真は南方向の眺め。左が有明海、右が干拓地の内水。中央奥に見える山が雲仙岳。 下の写真は反対の北方向の眺め。従って、有明海と干拓地内水とは左右逆になります。 どちらも高い位置から撮って居られますから、中央の水門に高所に上ることができる施設があるのでしょう。(同上・北方向<諫早方向>) 「諫早から大村湾沿い長与町経由して戻る。」と書いて居られますが、その長与町で撮影されたマンホールです。(長与町のマンホール)8月3日させぼ四ヶ町(F君入院していた病院の近所)→R35近く(F君の実家の近く)経由→展海峰公園(九十九島展望台)→佐世保港→平戸大橋→平戸城→大村公園→長崎空港→関西空港 最終日は、亡き友・F氏が入院されていた病院やそのご実家の近くを巡って、しばし同氏に思いを馳せ、その面影を偲びつつ、佐世保市の展海峰展望台へ。(展海峰展望台から九十九島を展望)<参考>展海峰・Wikipedia 上の写真を見て、ヤカモチの脳裏に先ず浮かんだのは、地震で海底が隆起する以前の象潟の景観はこのようであったのだろうということでしたが、それもその筈、九十九島という名は、平戸藩主松浦静山が出羽国の象潟九十九島に倣って命名したものだそうな。八十も過ぎ 八月三日 展海峰 九十九島を 望みつるかな (偐岬麻呂)(本歌)七十に 近き春にぞ あひの浦 九十九島を いきの松原 (伊能忠敬)西海の 九十九島の 青葉風 波を雲とし 流すや空に (偐岬麻呂)(本歌)きさがたの 桜は波に うづもれて はなの上こぐ あまのつり舟 (伝・西行<注>)<注>奥細道菅菰抄に、西行作の歌と記されているが、西行全歌集(岩波文庫)には収録されていない。<参考>九十九島(西海国立公園)・Wikipedia(佐世保港) 佐世保港を遠望し、平戸大橋へ。 この辺は地理感のないヤカモチ、説明は適当になります(笑)。(平戸大橋) そして平戸城に立ち寄り・・。(平戸城) 空港のある大村に戻って来られたが、時間に余裕があったとかで、大村公園へ。 しかし、広大な公園であり、「暑さに恐れをなしてちょっと足を踏み入れる程度で退散」だったようで、写真はありません。 かくして、全行程661kmのドライブ旅行終了であります。 なお、今回もマンホールカード8枚が同封されていましたので、以下の通り紹介して置きます。 これは、ブロ友のひろみちゃん8021さんにお渡しすべきものであり、追って彼女がご自分のブログでご紹介されるかと思いますので、詳しくはそちらでご覧ください。(長崎市のマンホールカード)(諫早市のマンホールカード) (南島原市のマンホールカード)(西彼杵郡長与町のマンホールカード)(大村市のマンホールカード) (佐世保市のマンホールカード)(長崎県流域下水道のマンホールカード) 以上です。今回もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。同上・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。
2023.08.10
コメント(13)

今日は囲碁例会の日。 前頁の記事が8月2日の囲碁例会の記事(掲載日は3日)であったので、囲碁例会の記事が連続してしまうこととなった。記事更新を5日間サボってしまったためであるが、猛暑続きで家でゴロゴロすることが多く、これといったネタもなくブログから遠ざかっていたという次第。 それはさて置き、今日も猛暑日になるという予報の中、午前10時少し前に自宅をMTB(マウンテンバイク)で出発。例会の会場となっている梅田スカイビルへと向かう。 大阪城公園を通り抜ける。(大阪城天守閣と大阪城公園噴水広場) この写真では小さくて分かりませんが、写真をクリックして、フォト蔵の大きいサイズの写真または元画像サイズの写真でご覧いただくと、天守閣の最上階には沢山の観光客の姿が写っています。 大阪城は眺めるばかりで、子どもの頃に入館して天守に上ったことを除けば、ヤカモチは天守閣内部には入ったことがないということに気が付きました。 しかし、今回も見上げるだけで、公園を素通りであります。 天満橋を渡った先の滝川公園で水分補給休憩。(滝川公園) はい、滝川公園の様子は、先週2日の時と同じ様子です。盆踊りはこれからのようです。 少年が一人、サッカーボールでリフティングの練習をしていました。 リフティングは利き足でまっすぐ上に蹴り上げること、自身の頭よりは高く蹴り上げないこと、これが長く続けるコツであるが、そう簡単ではない。 眺めていると、少年は、数回で落としてしまうこともあるが、10回を軽く超えて20回近くまで続けることもできるようで、「なかなか上手いじゃない。」と褒めて上げました。 彼は少年サッカーチームにも入っているようで、練習に余念がないのだろう。時々、持参の水筒で水分補給をしながら、熱心に反復練習である。 「頑張れよ。」と彼にエールを送って公園を後にする。(大阪天満宮南門) 先週2日は、この辻から大阪天満宮南門へと向かい、境内を通り抜けたのであるが、今日はやり過ごします。 梅田スカイビル到着は午前11時28分。 今日も駐輪場の係員にアイスキャンデーと凍ったスポーツドリンクを差し入れ、彼にもエールを送った気分で、ヤカモチはいつものカフェ・レストラン「ラーゴディチェーロパルコ」へ。ランチ&アイスコーヒー。(ラーゴデイチェーロパルコ) 昼食後、喫煙コーナーで煙草を一服。 その後、梅田の里山の木陰にあるベンチで「風涼み」であります。里山の木々の間を吹き抜けて来る風はヒンヤリとして、心地よい。(梅田の里山) 囲碁会場に使っている部屋に行くと、ヤカモチが一番乗り。 暫くして、平〇氏がご来場。 同氏と対局するが、中盤、盤面中央での戦いで、勘違いの手順ミス。一気に局面が不利となり、完敗。 対局中に福麻呂氏がご来場。ヤカモチが観戦に回り、平〇氏と福麻呂氏が対局。そこへ青◎氏が来場されたので、ヤカモチは同氏と対局。 これはヤカモチの勝ち。 メンバーチェンジして、平〇氏と青◎氏の対局。ヤカモチは福麻呂氏との対局となる。 これもヤカモチの勝ち。 隣の平〇・青◎戦は、終局までかなり時間がかかりそうなので、福麻呂氏ともう一局打つこととなる。 これもヤカモチの勝ちとなったので、今日は3勝1敗でありました。 これで、今年に入ってからの成績は、21勝24敗。まだ、負け数が3つ先行しているので、来月以降、もうひと頑張りが必要であります。 帰途は、大阪城公園と横枕南公園で水分補給休憩したのみで帰宅。 いつもより、疲れた感じがする。暑さの所為か年齢の所為か(笑)。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.08.09
コメント(2)

昨日(8月2日)は囲碁例会の日。囲碁例会は毎月第1、第2水曜日に開催されます。 会場は、梅田スカイビルの付属棟である建物の一室。 雨など天候不良の場合は、電車で出かけますが、そうでない限り、自転車で梅田へと向かいます。距離は20km余ですから、往復するとフルマラソンと同じ位の距離を走ったことになり、いい運動になります。 所要時間は1時間30分前後。 コース取りや途中での寄り道の有無、休憩の取り方、信号待ちの具合などなどの状況により、距離も所要時間もまちまちとなります。 かつては、天王寺方面を回ったり、淀川を渡って尼崎市方面まで足を延ばしたりとかの遠回り、寄り道をしてから梅田スカイビルへということもよくありましたが、最近は直行直帰という単純往復が多くなっています。 さて、昨日も猛暑の中、自転車で梅田へと向かいました。 このところ銀輪散歩はCB(クロスバイク)を使うことが多く、もう一方の相棒であるMTB(マウンテンバイク)の出番は殆ど無くなっていましたが、昨日は久々にそのMTBで出かけることとしました。 花園中央公園北側のコンビニで冷凍のスポーツドリンクを購入して熱中症対策。吉田駅前から中央大通りに入り、大阪城公園通り抜けという、いつものコース取りであります。(大阪城公園・噴水広場) 通り抜けの場合は、中央の噴水の背後左手奥から公園に入って来て、右手のスターバックスの前を通り過ぎる道を行くスターバックス・コースと左手のR・Bakerの前を行くアールベイカー・コースの二通りのコースがあるが、先で(太陽の広場付近で)合流するのでどちらを行っても出口は同じである。行きはスターバックス・コースを行くことが多く、帰りはアールベイカー・コースをとることが多い。 大阪城公園を通り抜けて天満橋を渡った先にある滝川公園の藤棚の下のベンチはお決まりの休憩場所で、ここで煙草を一服して、水分を補給するというのが、ヤカモチのルーティーンとなっている。(滝川公園) その滝川公園であるが、この日はいつもと違ってこんな景色。 中央に櫓が組まれていて、沢山の提灯が飾りつけられていました。 盆踊りのそれである。 盆踊りの準備中であるのか、既に終わっていて片付けが未だ済んでいないということなのかは、不明であるが、このところの暑さでは、盆踊りも汗だくとなり、大変なことだろう。 正面の提灯には「すっきゃねん滝川」と書かれている。(同上) この公園の西隣にある寺の門前の言葉。 今月は、これでした。(門前の言葉・浄蓮寺) 喧嘩しないで暮らそうじゃないか、同感ですな。 ロシアのプーチンもこの寺で修行するといい。 滝川公園から少し西に行き、右(北)に曲がると大阪天満宮の南門の前に出る。いつもは門を遠望して通過するだけなのであるが、天神祭りが終わったばかりでもあったので、久しぶりに境内に入ってみることとした。(大阪天満宮・大将軍社) 特段、目に止まるものは無かったが、元々この地にあったのは大将軍社であり、菅原道真が大宰府に流される途中にこの大将軍社に参拝したことから、後に大阪天満宮が此処に創建されるということになったとのことなどを、この大将軍社の碑から知りました。(同上・説明碑) そして、梅田スカイビル到着は午前11時48分 尤も、下掲の写真は、囲碁が終了した後、帰りがけに撮ったもの。(梅田スカイビル) 駐輪場にMTBを駐輪し、駐輪場の係員をしている男性に、冷凍のスポーツドリンクとガリガリくんを差し入れ。 彼とは親しくなっているので、この暑熱の中でのお勤めご苦労様という意味での差し入れであります。 ガーデンファイブ棟1階のカフェレストランで昼食。 昼食後、中庭・スクエアガーデンの一角にある喫煙コーナーで煙草一服。 その後、しばらく梅田の里山のベンチで、木陰を吹き抜ける風に吹かれていましたが、12時45分になったので、会場の部屋へ。(梅田の里山) ヤカモチは一番乗りであったようで、メンバーは未だ誰も来られていない。碁盤、碁笥の設営を済ませて待つこと数分、平〇氏がご来場。 同氏とお手合わせ。対局中に福麻呂氏と青◎氏がご来場、隣で両者の対局が始まりました。 今日の出席者はこの4名のみ。 さて、平〇氏との対局はヤカモチの負け。メンバーチェンジして敗者同士でヤカモチは福麻呂氏と対局。これもも負け、2連敗。最後の青◎氏との対局には勝って、1勝2敗と、何とか3連敗は免れましたが、この日はイマイチの成績でありました。 これで、今年は18勝23敗と振るいません。 平〇氏は3戦全勝と仰っていたので、ヤカモチなど他の出席者は全員が1勝2敗であったことになります。 囲碁終了後、梅田スカイビルの姿を写真に収めてから、木陰のベンチで平〇氏と煙草休憩しつつの閑談。最近は、この閑談もルーティーンになっている。 帰路は、来た道を逆に辿るだけですが、中央大通りの途中で南に入り、適当にジグザグに走っていると天神社とある神社の前に出ました。(天神社・東大阪市御厨) 行きに大阪天満宮に立ち寄った所為か、帰路でも天神社に出くわしたという次第。 境内に入って、木陰で一休み。水分補給をして、煙草を一服。 神社の説明を読むと、「旧御厨村の中央に位置し、大名持命・少彦名命の二神をおまつりしています。」とあって、近世以後現在の社名が使われるようになったらしいが、菅原道真を祀るようになって天神社という社名になったとは書かれていないので、イマイチよくは分からない。大正4年に新家村の菅原神社を合祀したとあり、現在は天神さんも祀られているのであるから、天神社という社名は、天神さんのそれと言ってよいのだろう。(同上・説明碑)(同上・八角形大型石燈籠)(同上・境内摂社) 左から愛宕社(祭神・迦具土神)、須賀社(祭神・須盞鳴神)、水神社(祭神・高龗)、稲荷社(祭神・宇賀御霊神)。 この神社は、初訪問。しばらく休憩して神社を出て、走り出しましたが、この神社に出くわす前に、路地のようなところに迷い込み、それを通り抜けて広い道に出たところで、方角についての勘違いが発生したようで、東に走っているつもりで、南に走っていたよう。 近鉄奈良線の小阪駅前に出たところで、ようやくそのことに気付きました。東→南→東と走っている筈が、南→西→南と走っていたわけで、これでは、家に近づくことにはならず、南と思っている方向に角を曲がるごとに、東とは反対の西へと進んでしまうことになり、家からは遠のくばかりということになる。 今回は、近鉄線に出くわすことで、その間違いに気が付くことができましたが、そうでなかったら、もっと西へ、西へと走って、大変な遠回りになっていたことでしょう。 以前にも、コンビニに入って、店を出て来た時に左右の方角を反対に取り違えるということがあり、西へと走っているつもりが、東に見える筈の生駒山が真正面に見えたので、あれっと気づき、慌てて引き返したというようなことがありましたが、これはうっかりミスなのか、認知機能の衰えなのか、ヤカモチもそのようなことを心配すべき年齢にさしかかっています(笑)。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.08.03
コメント(8)

今日は月例の墓参。 我が家の墓は、生駒山西麓の高みにある。 自宅からは1km弱の距離であるが、400mほど坂道を上らなくてはならないので、「坂の上の雲」ならぬ「坂の上の墓」である。 途中の寺の門前の言葉は、先月(7月)のままであったので、撮影せず。 自販機でスポーツドリンクを購入。それを飲みながら行く。(墓地からの眺め) 今日はよく晴れて、空気も比較的澄んでいるようで、遠く六甲の山々も淡路島もよく見える。(同上・パノラマ撮影) 左手奥に見える高層ビルはあべのハルカス。 ズームアップして撮ると、こんな風です。(同上・あべのハルカス・ズームアップ撮影) 大阪城も見える筈と探してみるが、肉眼ではビル街に紛れ込んでいてよくは分からない。ズームアップして探してみると、発見。(同上・大阪城・ズームアップ撮影) 坂道途中のテニスクラブの外塀にツタの模様。(ツタ) ツタは万葉でも「都多」として登場するが、これはこのツタではなく、テイカカズラのこととされている。石綱(いはつな)、岩蔦(いはつた)とも表記される。 「柿本朝臣人麻呂、石見国より妻に別れて上り来る時の歌」と題された歌の中で、「延都多乃 別之来者(延ふ蔦の 別れし来れば)」(万葉集巻2-135)という形で登場している。 人麻呂の上の歌では、「延ふ蔦の」は、「別れ」の枕詞として使われていて、ツタそのものを詠んだ歌ではない。 ツタは枝分かれして先へと伸びてゆくことから、別れの喩えにも使われたのだろう。テイカカズラと同じくこのツタも上掲写真のように枝分かれしつつ伸びているから、「延ふ蔦の」の蔦をこのツタとイメージしても間違いではないとも言える。(注)テイカカズラの写真、石綱の歌は下記記事参照。 ツタやイバラも花咲けば 2023.5.3. テニスクラブの少し手前の民家の脇にあるのが棗の木。 実がなっていました。 6月の墓参の折には小さな花をつけていたが、2ケ月でこんなにも大きな実に変貌していたのでありました。<参考>墓参・花散歩 2023.6.6. ナツメというのは夏芽で、初夏に芽を出すことからこの名がついたとされるが、もう実になっているからナツミと呼ぶべきか(笑)。それとも、秋になると実は茶褐色に熟し食べられるようになるから、その頃にはアキミと呼ぶべきか。(ナツメ) ナツメも万葉歌に登場するが、これまでに何度か言及しているので、今回は割愛します。下掲の参考記事をご参照ください。<参考>墓参・ザクロとナツメ 2014.10.5. 墓参の道すがら 2016.9.5.(ハマユウ) そして、ハマユウの花。このハマユウも何度か記事にアップしているのであるが、上からの流れで来るとハマユウの万葉歌も採り上げなくてはならないだろう。 と言っても、ハマユウの歌はこの1首だけなのである。み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど 直に逢はぬかも (柿本人麻呂 万葉集巻4-496)(み熊野の浦の浜木綿のように幾重にも心では恋しく思っても、直接には逢えぬことよ。)<参考>囲碁例会・雨にも負けず 2017.7.5. 囲碁例会・里山散歩 2018.7.11. 墓参・六地蔵 2021.7.2.(ヘクソカズラ) 墓地入口前の池の畔にあるアキニレの木にまとわりついていたのはヘクソカズラ。この花も万葉植物である。 何とも酷い名前を付けられてしまった気の毒な花であるが、この名は万葉の頃からのものであるから、由緒正しき名であるとも言える。 尤も、万葉集では単に「屎葛(くそかづら)」であるが、今は「屁」まで付け加えられて「ヘクソカズラ」とまで呼ばれているのは「哀れなるかな」であります。ざうけふに 延はひおほとれる 屎葛くそかづら 絶ゆることなく 宮仕みやづかへせむ (高宮王 万葉集巻16-3855)(ジャケツイバラに這い広がっている屎かづらのように、絶えることなくいつまでも宮仕え致しましょう。)<参考>春夏連覇の大阪桐蔭高校の前を通って 2012.8.24. 最後はサルスベリの花。 サルスベリは漢字では「猿滑」であるが、普通には「百日紅」と漢字表記される。 百日紅は漢名である。この漢名からヒャクジツコウとも呼ばれるが、中国原産の植物。 わが国には江戸時代以前には入って来たとされるが、万葉人はこの花を知っていたのかどうか。万葉には登場しない花である。(サルスベリ) サルスベリは中国では「紫微」とも呼ばれるが、これは、唐の時代、長安の宮廷(紫微)に多く植えられていたことによるとのこと。 紫微というと、天平勝宝元年(749年)に設置された令外官・紫微中台とその長官となった藤原仲麻呂のことなどが想起されるが、勿論、これらとサルスベリとは何の関係もない。<参考>紫微中台・Wikipedia 猿も滑るというサルスベリの木。 滑った猿が坐るのがサルノコシカケ。 そのサルノコシカケが破壊されていました。(壊されたサルノコシカケ) これは、今日の写真ではなく、先月(7月)22日に撮影のもの。 7月20日の記事で紹介した、加納緑地のサルノコシカケがその二日後に行ってみると、このように壊されていたのである。遊びにやって来た子どもが壊したのだろうと思うが、猿が困っているかも。<参考>キノコも元気 2023.7.20. いや、7月20日の記事では、そのサイズからネコノコシカケと名付けたような気がするので、困っているのは猫かもしれない(笑)。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2023.08.01
コメント(4)
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()
![]()
![]()