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今日は、直腸の内視鏡検査とMRI撮影がありました。 検査結果は、予想通り問題なし、癌やそれと疑わしいものは全く存在しないキレイな直腸でありました。 看護師さんからも教科書で見るようなキレイな直腸でした、と評されましたが、直腸美人という訳である。 そう言えば、ヤカモチがまだ現役の会社勤めであった頃、大腸の内視鏡検査を受けることがあり、健保の診療所の先生から、実にキレイな大腸であると褒められたことがあり、大腸美人でもあったヤカモチであることを思い出した次第(笑)。(2025年7月31日午後5時7分撮影の生駒山) まあ、これはオマケの検査みたいなものであり、担当医も「多分大丈夫と思うが念のために行う」と仰っていたので、ここで引っかかってしまっては最悪、先が思いやられるというものである。 明日の前立腺生検も、癌ではありませんでした、というのが最高の結果ということになるが、そううまくは行かないのでしょうな。 ところで、窓外の写真しか掲載しないのは、「病院内の撮影やこれをSNSに投稿するなどの行為は禁止です。」と院内に貼り紙されているから、これに従っているという次第。
2025.07.31
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入院8日目。(2025年7月30日午前4時42分撮影) 朝7時頃、右足首から脛、膝、太腿、腰にかけて、かなり強い疼きが繰り返し起こり、時に呻き声を上げてしまう強い痛みになることもありで、困りましたが、それもしばらくの間のことで、やがていつもの程度の軽い痛みへと収束したので、朝食を済ませて所定の食後の薬を服用。 入院生活なので、病室に籠っているばかり、ブログに掲載する写真はと言えば、病室の窓からの相も変わらぬ生駒山の写真ばかりであります。 そんな折、昨日(7/29)、NHKの朝の番組「おはよう関西」で生駒山上遊園地のヘリ中継をやっていましたので、TV画面を撮影してみました。(生駒山上遊園地の飛行塔)(生駒山上遊園地全景) まあ、ちょっとした気分転換であります(笑)。 飛行塔は、遊園地の中でも最も古い遊具施設で、戦時中は監視塔として軍が使用していたとのこと。 ヤカモチはこの生駒山の大阪側山麓で生まれ育ったので、山上遊園地はお馴染みの遊園地である。 ヤカモチが小学校3年生か4年生の頃、父に連れられて散歩に出掛け、生駒山上まで登ってしまったことがある。お昼までには帰宅するつもりの散歩で、山麓のハイキングコースを適当に散歩することとし、生駒山上には登らない予定であったようだが、何故か成り行きで生駒山上まで来てしまったもののようです。これは後日に父からそのような話を聞いたので、そうなんだろうと思っているだけで、父に連れられてつき従っているだけの少年ヤカモチには、その辺のところは知らぬことである。 この時、山上の食堂で食べた炒飯がとても美味しかった記憶があるが、これは、遅い昼食で、ヤカモチのお腹が空腹でグーグー言っていたからだろうと思う(笑)。 この時であったか、別の機会であったか、曖昧なのだが、飛行塔の飛行機に乗った記憶がある。 飛行塔に吊り下げられた飛行機が徐々に高度を上げて旋回するのであるが、途中からガリガリだったかバリバリだったか、そういう大きな異音がヤカモチの乗っている飛行機に於いて発生。不安を覚えた記憶がある。 何事もなく一定時間の旋回を終えて無事に着陸したが、こういうことがあると、特別な記憶として、ずっと残るようです。 その父も亡くなって早や19年8ヶ月になる。 さて、今回の入院の目的は、前立腺生検のためのもの。 どんな検査を行うかというと、概略次の通りである。 全身麻酔、腰椎麻酔または局所麻酔下で実施。 仰臥し、両脚を曲げ、左右に開いた体位で行い、肛門より、直径2cmの棒状の器具、経直腸用超音波プローベを約10cm挿入し、超音波で前立腺の位置を正確に確認する。この状態で肛門と陰嚢の間の皮膚から、超音波で確認しながら生検針(通常の注射針より少し太い針で二重構造になって居り、両者の間で組織を採取できる)を前立腺に到達させ、バイオプシーガン(生検針の内側方の針を素早く前後に動かすことができる装置)を用いて前立腺組織を数か所採取する。 検査に要する時間は、麻酔も含めて60分程度とのこと。 以上が、8月1日に実施予定の生検である。 この検査に先立って、直腸内に宿便が無いようにするための処置をすることになるが、直腸癌かもしれない影もあることから、直腸内がキレイになったところで、内視鏡で確認するのではないかと思うが、これを観察させて欲しい、というのが消化器内科の先生の話であったので、これを応諾。 7月31日にその検査を受けることになっている。
2025.07.30
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東の 生駒の山に かぎろひの 立つを見つつや 今日を始めむ (偐家持)(本歌)東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ (柿本人麻呂 万葉集巻1-48)(2025年7月29日午前4時32分撮影 生駒山) 入院7日目が始まります。(追記:7月29日午前11時35分)ブログ管理ページによると、今日7月29日は、2007年4月29日に当ブログを開設して以来6666日ということらしい。
2025.07.29
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今日で入院6日目です。 7月23日入院。入院当初からずっと点滴を継続。(入院病棟4階の部屋から7月24日撮影)(同上) 当初の部屋は4階であったが、25日11時に5階の部屋に移動。(入院病棟5階の部屋から7月25日撮影) 入院4日目となる26日になって、やっと点滴から解放されました。 点滴継続の間は上衣の着替えをしようとすると、看護師さんを呼び、点滴の管を外してもらう必要がある。 従って、寒いから1枚上衣を重ね着するとか、暑いから上衣を薄いものに着替えるとか、そういうことが自由にできないので、頗る不便なのである。 尤も、抗生剤点滴は生検直前まで続けられるようなので、右手首の点滴用注射針はそのまま残されている。 抗生剤点滴は朝夕2回30~50分程度の短時間に行われるだけなので、ストレス・フリーである。(7月28日撮影、日の出前の生駒山)(同上) 目下の状況は、胃の調子が悪く食欲は全くなし、食べると吐き気に襲われるという感覚があるので、食後の薬を呑むためにだけ、少しばかりを食べているといった感じです。 また、関節痛は相変わらずで、腰背面左右、左右膝、左右太腿、右足首に常時痛みがあるのだが、痛み止めの薬が効いているのだろう、立ち上がったり、坐ったりする場合を除き、余り気にならないレベルの痛みである。 しかし、時にはこの痛みが激しいものとなり、呻き声を上げてしまうこともあったりする。 時々、発熱もあるが、多くは38度以下の微熱レベルである。 痛み止め薬の副作用で眠気に襲われていることが多く、頭はいつもぼんやりした感じであります。(同上)(同上) ということで、眠くなってきました。 以上、入院レポート第2号であります。
2025.07.28
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只今入院して居り、病室からのブログアップとなります。 関節痛、胃痛、高血圧など体調不良が続いていましたが、尿が出なくなって救急搬送、尿排出の処置をして貰い、後日、泌尿器科を受診し、尿検査、血液検査、CT、レントゲン、エコー心電図など色々な検査の結果、前立腺ガンの疑いありということで、前立腺生検のため入院となりました。 予定では8月1日に生検、つまり前立腺組織を数か所採取して、悪性腫瘍であるかどうかの判定を行うとのことです。(見つつも居らむ生駒山 入院病棟の窓から撮影) 前立腺肥大は、はるか以前から指摘を受けていたことなので、前立腺ガンの疑いあり、というのは驚くことではないのだが、腰や膝などの関節痛で長らく苦しんで来た身としては、それに関連したことでの入院ではなく、偶発的に起こった「尿が出ない」ということで救急搬送され、休日明けの22日に泌尿器科を受診するよう指示された結果、前立腺ガンかもと来ての入院となったので、意外というか、「そう来たか」というような妙な感覚です。 まあ、ここ当分は、上の景色を窓から眺めるほかないので、「朝な夕な、見つつも居らむ生駒山」で過ごします。 取り敢えず、近況のご報告であります。
2025.07.26
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昨日(7/17)のアクセス数は910件。 前日の3915件から急減しました。 ブログランキングは前日のアクセス数に基づいて当日の順位を決定しているようですから、本日(7/18)の「その他ジャンルブログランキング」順は83位となり、昨日(7/17)の4位から急落。 ここに、7月16日・17日、2日間にわたる珍事は終了しました。 本日のアクセス数も、ほぼ昨日並みのようですから、珍事の復活はないと見込まれます。 よって、ほぼ正常というか通常というか、平常・平穏・日常状態に復しましたので、記事の方も通常状態に戻します(笑)。 即ち、本日の記事は、「岬麻呂旅便り」であります。●旅・岬巡り報告343・紀伊半島●添付写真(その1・7月7日)(その2・7月8日<1>&<2>) (その2・7月8日<3>)(その3・7月9日) 今回は7月7日~9日、青岸渡寺と瀞峡を目的に2泊3日紀伊半島一周というご夫婦旅であります。7月7日自宅→阪和自動車道・湯浅御坊道路→紀勢自動車道→周参見→R42南下→潮岬灯台→紀伊大島・樫野埼灯台→トルコ軍艦遭難慰霊碑・トルコ記念館→串本・橋杭岩→串本温泉(泊) ご自宅を愛車で出発、紀勢自動車道終点の周参見から国道42号を南下して、先ず潮岬灯台へ。(潮岬灯台)<参考>潮岬灯台・Wikipedia 外気温36度の猛暑の中、汗まみれになりながら、68段もある灯台の階段を登られたとのことです。お元気でなによりです(笑)。 奥様も登られたのでしょうか。(樫野埼灯台)<参考>樫野埼灯台・Wikipedia 樫野埼灯台というのは初耳ですが、紀伊大島の東端断崖の樫野崎にあるのですね。 オスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥ-ルル号遭難事件のことは聞き知っていましたが、漠然とした知識で正確なものではなく、この遭難事件が樫野崎の海岸沿いで起こったものであるということは、今回初めて知りましたので、勉強になりました。(トルコ軍艦遭難慰霊碑)<参考>エルトゥールル号遭難事件・Wikipedia トルコ軍艦遭難慰霊碑・串本町 (トルコ記念館)<参考>トルコ記念館・南紀串本観光ガイド トルコと言うと、ヤカモチは、トルコ建国の父とされるケマル・パシャ(ケマル・アタテュルク)という名が先ず思い浮かぶのであるが、これは多分、高校での世界史の授業で覚えた知識なんだろう。 このケマル・パシャの像が樫野埼灯台のすぐ近くにあるということも今回初めて知りました。(追記:2025年8月2日) 岬麻呂氏より追加でケマル・パシャの像の写真が送られて来ていましたので、追加で掲載させていただきます。(ケマル・パシャの像)(同上) まあ、何にしても、♪ここは串本、向かいは大島・・という歌は知っているものの、串本を訪ねたことのないヤカモチであるから、仕方ありません。<参考>ムスタファ・ケマル・アタテュルク・Wikipedia(橋杭岩) これは、有名な橋杭岩ですね。 しかし、ヤカモチはというと、手前に写っているハマユウの花に目が向かってしまいます。 そして、柿本人麻呂のこの歌が思い浮かぶという次第。み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど ただに逢はぬかも (柿本人麻呂 万葉集巻4-496) ヤカモチも追和して1首詠んでみます。串本の 橋杭岩の 継ぎ継ぎに 思へや妹が 夢にし見ゆる (吹芡家持)(本歌)真野の浦の 淀の継橋 心ゆも 思へや妹が 夢にし見ゆる (吹芡刀自 万葉集巻4-490)7月8日青岸渡寺→熊野川遡上→熊野本宮大社→瀞峡→かわせみ川舟乗船→R311→丸山千枚田→熊野尾鷲道路→紀勢道路→志摩温泉(泊) この日、岬麻呂ご夫妻は、先ず、青岸渡寺、那智の大滝へと向かわれました。(青岸渡寺三重塔と那智の瀧) このアングル、塔と滝のツーショットは定番のショットですね。 ヤカモチが熊野に旅行したのは18年も前の事になりますが、同じアングルで景色を眺めたことが思い出されます。 この時に詠んだ歌の一つが、あぢさゐの 色なまめかし 花越しに 霧立ち昇る 那智の山々というものでしたが、俳句をよくする友人の凡鬼さんからいい歌だとお褒めに与かった記憶があります(笑)。(青岸渡寺本堂)(熊野本宮大社)(同上・八咫烏のポスト) 八咫烏の郵便ポストは初めて見ますが、那智の瀧も青岸渡寺も熊野本宮大社も懐かしいことです。(熊野本宮大社<正面写真>) さて、ご夫妻は熊野本宮大社をアトにされ、瀞峡へと向かわれますが、その前に、「かわせみ川舟」にお電話されて、出船時刻をご照会されたとのこと。すると、13時30分出船につき、瀞郵便局を目指して来いとの回答。 瀞郵便局には正午前に到着。乗船前に昼食を済ませるべく、郵便局で昼食のできる店を尋ねて居られたところへ、川舟船頭さんから電話が入り、「到着されているなら、スグにも舟を出します。」とのこと。 そんな成り行きで、昼食は後回しにして、乗船されることに。 お陰でご夫妻二人っきりの貸し切り状態で乗船、丁寧に瀞峡の案内をしていただけたとのことです。(瀞峡・戸田乗船場)<参考>瀞峡・Wikipedia(瀞峡・下流方向)(同上・山彦橋) いささか高所恐怖症の気味もないではないヤカモチ、この橋を渡るのは御免蒙りたいですな(笑)。(岸壁に咲くサツキ) 下船後、瀞郵便局の女性職員さんから、後回しにした昼食の出来る場所を教えていただくなどの親切な応対をいただいた上、前日(つまり令和7年7月7日)に彼女自が私的に購入したという777スタンプが押印された官製はがきが1枚使わずに残っていたので、どうぞとプレゼントされたとのことです。(丸山千枚田)<参考>丸山千枚田・Wikipedia ヤカモチの18年前の熊野旅行は若草読書会の同学年の友人男女6名で実施したものであったが、その時の旅でもこの丸山千枚田を望見したので、懐かしいですが、この時旅を一緒した寿郎女さんと和麻呂君はもう故人となられていてこの世には居られない。彼らの面影も立つので、丸山千枚田の眺めはヤカモチとっては、懐かしくもあり、悲しくもある眺めであります。うすぎぬの 立ち流れ行く 霧の間に さみどり深く 棚田の在りき この時詠んだ歌が上の歌でしたが、今、これを読み返すと、何やら胸が切なくなります。7月9日大王埼灯台→安乗埼灯台・安乗園地→伊勢神宮(外宮)→亀山JCT経由→自宅 最終日は、大王埼灯台、安乗埼灯台に立ち寄られました。(大王埼灯台)<参考>大王埼灯台・Wikipedia 大王埼灯台は15年前にヤカモチも訪ねていました。<参考>伊勢志摩銀輪散歩(その2) 2010.5.15.(安乗埼灯台)<参考>安乗埼灯台・Wikipedia(安乗岬園地)<参考>安乗岬園地-志摩の観光ガイド 最後は、伊勢神宮・外宮にご挨拶して、帰途につきます。(伊勢神宮・外宮)(同上・式年遷宮御敷地) 帰途は亀山JCT経由で、帰宅。 全805kmのロングドライブ旅、お疲れ様でした。 とてもいい旅をされましたね。 ヤカモチにとっても色々と思い出のある懐かしい場所が登場し、いい旅をさせていただいた気分です。ありがとうございました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2025.07.18
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昨日(7月16日)のアクセス数/日は3915件となり、これまでの最高記録であった昨年6月21日の4047件には及ばなかったものの、これに次ぐ記録となりました。 昨日の記事で「文月の珍事」と称した現象は今日も継続しているようであります。 で、ブログランキングをチェックしてみると、「その他ジャンル」での順位は4位となって居り、昨日の5位よりも一つランクアップしているのでありました。(2025年7月17日その他ジャンルブログランキング) そして、全ジャンルでの順位は27位と、これまた昨日の44位からランクアップしているのでした。(2025年7月17日全ジャンルブログランキング) 珍事と表現したように、これは一過性の珍現象で、明日にでもすぐに以前の状況に立ち戻るのだろうと思っています。 こんな記事ばかり書いていては、珍事の終息を早めるようなものですが、まあ、只今のところ、腰や膝などの関節痛に苦しめられ、加えて胃の調子も悪く、不整脈が続いているといった状況で、体調がまったくよくありませんので、休息を兼ねての記事アップということで、ご容赦願います。 7月14日夜に友人・岬麻呂氏からの旅便りのメールを受信して居り、送信いただいた写真のフォト蔵への登録も完了して居りますので、次の記事は「岬麻呂旅便り」を予定して居ります。<参考>当ブログの歩み過去記事一覧はコチラ。
2025.07.17
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昨日、7月15日のアクセス数が2817件と急増しました。 それ以前の5日間は624件~1330件(平均951.4件)でしたから、いきなりの急増であります。 今日7月16日は朝10時半前後で2338件に達して居り、既に昨日のアクセス数を上回っています。 これまでの一日当たりアクセス数の最多は昨年6月21日の4047件でありますが、今日はこれを上回る新記録となるのかどうか。 久々の多数のアクセス数となったので、その他ジャンルに分類されている中でのブログランキングをチェックしてみると、何と5位になっていました。(2025年7月16日その他ジャンルブログランキング) ベスト5にランクされると、直近の記事だけでなく、直近4件の記事が紹介されることになっている。 ここ数日は100位以内というのが続いているが、通常は100位台とか200位台ということであるので、これは、まさに7月の珍事と言うほかありません。 ベスト10に入ったのは過去に一度あり、2023年4月7日が7位。過去最多の2023年6月21日については記録が残っていませんので詳細は不明ですが、10位台か20位台程度であったのでしょう。 何にしてもベスト5入りというのは、そうあることではないですから、おめでたいことであります(笑)。 当ブログは、どのジャンルにも登録していないので、「その他」というジャンル・グループとなり、5位というのはそのジャンルグループ内でのランキング順位ということになります。 では全ジャンルひっくるめての、つまり、楽天ブログ全体でのランキングはどうか、としらべてみると、44位ということでした。(2025年7月16日全ジャンルブログランキング)<参考>当ブログの歩み過去記事一覧はコチラ。
2025.07.16
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偐万葉・龍の森篇(その6) 久しぶりの偐万葉シリーズ記事です。 シリーズ第342弾は、龍の森篇(その6)であります。 龍の森氏とのブログ交流は2020年4月22日に始まっていますから、丸5年になります。偐万葉シリーズ記事では同氏を「龍森麻呂(りゅうのもりまろ)」と万葉風に呼ばせていただいています。<参考>過去の偐万葉・龍の森篇はコチラ。 龍の森氏のブログはコチラ。 偐家持が詠める歌16首ほか並びに龍森麻呂が詠める歌13首ほか 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌3首イナゴ飛び 銀輪古代 回想し 塔でなぜ翔び 田アートで飛ぶ (龍森麻呂)幸魂(さきたま)の 幸(さきは)ふ国と 埼玉(さきたま)の 道のさき翔ぶ 蝗(いなご)らの群れ (群蝗持)埼玉(さいたま)も 見てみろ古墳 水門も 田んぼアートも 城跡歌碑も (龍森麻呂)やみくもの いなご跳びなる 銀輪の 散歩にあれば またかへり見む (偐蝗持)蓮の花 咲ける盛りに また来(こ)むと 小埼(をさき)の沼の 鴨にも告げつ (偐鴨持) (20231014古代蓮の里への道) (古代蓮の里展望台) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌3首龍年は 連なる鴨の かきわけて たたなづく山 越ゆるを祈る (龍森麻呂)つらなれば 鴨も龍とや なるやらむ 鯉を真似つつ 初春の池 (鴨家持) (20240106佐紀池の鴨の列) (20240101たたなづく山々)邂逅展 赤は閃光 流血か いつかはてなん 攻守の灯火 (龍森麻呂)夕焼けも 戦火と見ゆるは かなしけれ 思ひはせつつ ともにそ祈らむ (祈家持)キーウガザ 能登に羽田と 内(うち)も外(と)も 多難の年明け 心そ痛し (祈家持) (20240106「輝」小林和弘氏作品) 龍森麻呂が贈り来れる歌3首並びに偐家持が返せる歌3首祝いは)ひ花 万代(よろづよ)に咲け 黄金(くがね)にも 超えたる苦楽 うれしからずや (龍森麻呂)千歳(ちとせ)過ぎ 三百年(みももとせ)過ぎ 六年(むとせ)過ぎ 祝(いは)ひ花受く ヤカモチわれは (偐家持)いい加減 得手(えて)に帆をあげ 幾山川(いくやまかは)を 越え来れば 千里同風(せんりどうふう) 常時延命(じゃうじえんめい) (龍森麻呂)いい加減 得手に帆をあげ 幾山川を 越えていま いつもどこもと 遊び楽しむ (龍森麻呂)千歳(ちとせ)過ぎ 三百年(みももとせ)過ぎ また六年(むとせ)過ぎ 今はただ 万花千葉(ばんかせんやう) 常時遊楽(じゃうじゆうらく) (偐家持)千歳(ちとせ)過ぎ また三百年(みももとせ) 余り六年(むとせ)を はや過ぎて 銀輪万葉 遊び暮らしつ (偐家持)(注)上記4首は577577の旋頭歌体の歌 龍森麻呂が贈り来れる歌1首及び偐家持が返せる歌1首たまたまの ランチ全席 喫煙可 煙にまきて 囲碁全勝 (龍森麻呂)たまたまの 囲碁全勝の 訳問へば それメビウスの 輪のぷかりぷか (煙家持) (20240207CAFE PIAZZA DEL POPOLO) 併せ龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句梅の下 煙にまきて 老不知(おいしらず) (龍森麻呂)梅田の里の 囲碁の青春 (煙家持) 偐家持が龍森麻呂のブログに書き込みたる歌1首これやこの 行きも帰りも チンドンの 富山遠征 くたびれ候 (20240408全日本チンドンコンクールby龍の森氏) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首及び偐家持が追和せる旋頭歌体の歌1首新緑と 濡れたる銀輪 門前の 水分補給 また脳補給 (龍森麻呂)銀輪の からだ求める 水分補給 門前の 言葉脳への 栄養補給 (囲碁家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首両足を 火鉢に落とす 言ひ伝へ 医師は目指さず 銀輪道中 (龍森麻呂)足ジャンケン できぬ不自由は 医者の道 目指すに非ず 銀輪の道 (偐口英世) (20240627野口英世) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌1首名を知れば 出会ふものかも マメグンバイ 三角よりも 丸く治まる (龍森麻呂)名を知れば 出会ふものかも マメグンバイ いづれか鳴るや ぺんぺん草と (龍森麻呂)会津にて 会ひつと云はむ マメグンバイ その名知りてぞ 出会ひたるかも (会津家持) (20240713マメグンバイナズナ) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌2首パクリ和歌 ツッコミの宴(うたげ) くるる秋 小心芭蕉に ツッコム輩 (龍森麻呂)パクリ歌 突込み宴(うたげ)も 瀬田川の 年の瀬にこそ 今日(けふ)は流さむ (偐家持)尚白(せうはく)の 小賢(こざか)しきをも 包み込む 師(し)のまたあれな 師走(しはす)の空に (芭師歩(ばしほ)) (20241205健人会) 偐家持の佐渡旅に寄せて龍森麻呂が贈り来れる句に 偐家持が脇句を付し短歌風になせし歌5首電動の佐渡回遊腰痛回避 (龍森麻呂)されど加茂湖の一周叶はず (偐家持)間に合った 佐渡の夕餉は 金の味 (龍森麻呂)金の色なる 夕日にゃ勝てず (偐家持)佐渡帰路に ごろ寝畳の 待合室 (龍森麻呂)大の字に寝て 待つもよしなり (偐家持)ときわ丸 出船のドラの 音のして (偐家持)カモメの群舞 エサ自分だけ (龍森麻呂)旅に38(熱).6 トレンクル夢の 佐渡走破 (龍森麻呂)今日は叶はず 明日をし待たむ (偐家持)(20250706加茂湖)
2025.07.15
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昨日(7/9)は囲碁例会の日。 前回(7/2)は、佐渡に出掛けていて欠席したので、6月11日以来、ほぼ1か月ぶりの囲碁である。 佐渡に渡る前夜、新潟市内での前泊の6月30日の夜に、激しい関節痛、関節のあちらこちら(主に右側の腰、膝、足首。時々は左側の膝や足首も)で花火が上がってでもいるような痛みに襲われ、朝方まで殆ど眠れない、という状況に陥り、佐渡行きはキャンセルするしかないかと思っていたのだが、ドタキャンだとカード決済の全額が返金されない決まりとなっていることでもあり、ギリギリまで様子を見ようということで、ホテルへのキャンセルの連絡を留保していました。すると、朝になると痛みはさほど激しいものではなくなり、かなり軽減しているという実感があったので、念の為にと新潟市内の近くの病院の整形外科を受診し、大阪から持参の鎮痛剤(これは朝食後及び夕食後服用タイプ)に加えて、就寝前服用タイプの鎮痛剤を追加で処方して貰い、佐渡に渡ることとしたのでした。 まあ、そんなことがあったばかりなので、いささかの不安もあったが、帰阪後はそのような痛みが再発するということもなかったので、いつもの例に従い、自宅から会場の梅田スカイビルまで、CB(クロスバイク)で出かけることとした次第。尤も、腰痛そのものは相変わらずの状態でありましたが・・。 コースは、花園中央公園近くのコンビニでスポーツドリンクを購入後、中央大通りに移り、これを西へ、大阪城公園走り抜け、滝川公園で小休止、スカイビルへといういつものコース。(中央大通り・深江橋交差点) 囲碁例会記事では冒頭に掲載の写真は大阪城公園森ノ宮入口の写真ということがこのところ続いていましたので、少し趣を変えて、途中の深江橋交差点や緑橋交差点の写真にしてみました。(同上・緑橋交差点<西方向>)(同上・緑橋交差点<北方向>) 今回は、早い到着で、梅田スカイビルに到着したのは午前11時少し前でありました。(梅田スカイビル) 少し早過ぎるのであったが、地階のカフェ、ポポロでパスタランチ&珈琲で腹ごしらえ。 昼食をできるだけゆっくり時間をかけて食べ、珈琲もゆっくり時間をかけて・・のつもりでいたが、生来の早食いヤカモチ、ゆっくり時間をかけて食べるのは至難の技、思ったほども時間は潰せなかったようです。 会場の部屋に行くと、当然のことながらヤカモチが一番乗り。 先ず、村〇氏が来られたので、同氏とお手合わせ。 少し遅れて、平〇氏と福麻呂氏がご来場。 この日の出席者はこの4名のみ。 1局目の村〇氏には勝利したものの、続く平〇氏、福麻呂氏には負けて、この日の成績は1勝2敗。相変わらずミス、見落としの多い碁で、これではなかなか勝てない。今年に入ってからの成績は、これで9勝15敗と6つの負け越し。ヤカモチさんは浮上の糸口、気配も見えぬまま、低迷して居りますな(笑)。 帰途は、シンフォニーホールの前庭の森の木陰で、隣接する公園のグラウンドで遊ぶ子どもたちをながめながら、水分補給と「煙分」補給をしてから、なにわ筋、四ツ橋筋、御堂筋、堺筋、松屋町筋、谷町筋と順次ジグザグにより東寄りの南北道路に移動を繰り返し、NHK大阪の前の上町筋を渡ったところで、大阪城公園に入り、桜広場の木陰で小休止。アトは往路とほぼ同じコース取りで帰宅しました。 帰宅直後はどうということもなかったのですが、就寝後(日付の変わった午前1時過ぎの遅い就寝でしたが)再び酷い関節痛に襲われ(今回は右太腿から膝関節、脛にかけての痛み)、目が覚めたのは午前3時半頃。 2時間程度しか眠っていないので、眠くはあったが、キリキリと断続的に襲って来る強い神経痛に呻いている状況では、とても睡眠に入って行くことは不可能。起きて何かをしている方が、気が紛れて痛みから気をそらすことが出来るかと、意を決して起床。部屋の照明を点け、PCを開きブログ記事の下書き、つまり当記事の下書きを始めることとしました。 途中、睡魔に襲われ眠くなったり、強い痛みに記事を書くどころではなくなったりなど、切れ切れに中断を繰り返しながらの、下書きでありましたが、お蔭で朝食の頃には痛みも少し軽減している感じでした。 自宅・梅田スカイビル間の自転車往復が今回の痛みを誘引したのかもしれないが、さりとて銀輪散歩を止める訳にも行かず、悩ましいことです。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2025.07.10
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(承前) 前頁記事の続編、7月2日の記事です。 この日はトレンクルで加茂湖を一周するというのが当初予定でありましたが、そのトレンクルは新潟に預け置いたままに佐渡へとやって来たことでもあり、膝や腰の関節痛が心配であったこともあり、銀輪散歩もなしで、早々に新潟市内に戻ることとしました。 ホテルをチェックアウト、朝10時発の送迎マイクロバスに乗車し両津港へと向かいます。乗船予定のカーフェリーは12時35分発なので、両津出発まで2時間余の時間を潰さなくてはならない。(両津港・佐渡おけさの像) 取り敢えず両津大橋を渡り、道の駅へと向かう。 両津大橋を渡った先にレンタルサイクルをやっている店があったものの、2時間程度では銀輪散歩には中途半端。それに体調もイマイチの腰痛ヤカモチ、クーラーのきいた道の駅で休憩しようという魂胆であります。(道の駅・あいぽーと佐渡)(同上・多目的ホール) しかし、上掲写真の右端に写っている木製テーブル&椅子席に座って両津港の海を眺めていたものの、珈琲が飲みたくなり、タバコも喫いたくなりで、そう長くはじっとして居られず、道の駅での休憩は20分程度で切り上げ、佐渡汽船旅客ターミナルへと戻りました。 旅客ターミナル1階に喫茶店があったので、ここで珈琲タイム。 しばらく喫茶店で過ごしたものの、今度はタバコを喫いたくなる。 喫煙室は乗船口のある2階にあるだろうと見当をつけて2階に移動。 喫煙室でタバコを喫ったり、売店で土産物を物色したりして、時間を潰しているうちに昼食の頃合いとなったので、売店に隣接の食堂で昼食を済ませることとしました。 乗船待合室に行くと、椅子席のほかに寝そべることのできる板の間だか畳の間だかがあったので、そこでごろりと横になって、乗船時間までを過ごすこととする。 そして、乗船の時間となりました。(道の駅・あいぽーと佐渡<ときわ丸船上から>) 帰りも船はときわ丸。おけさ丸というのもあったかと記憶するが、今回は往復共にときわ丸でありました。 いよいよ、両津港を出港します。 右舷甲板からは、先ほど立ち寄った道の駅・あいぽーと佐渡が見渡せる。(両津港・金北山を望む) 上掲写真中央の橋が両津大橋。背後の高い山が金北山。 まだ、ブログなどを始めていなかった頃、1995年の夏に金北山をトレッキングし、下山の時に道に迷って大変な思いをしたこともあったが、それは30年も昔のことで、もうそんな山登りはとても無理な今のヤカモチの足腰の状況であります。(カモメ)(同上) 海面に目をやると着水しているカモメの姿も。(両津港出航・旅客ターミナル) 左舷側甲板に回ると、カモメに何やらエサを与えている乗船客も居て、それを目指してカモメが集まって来ている。(同上)(高速船のジェットフォイル)(道の駅・あいぽーと佐渡)(両津港と佐渡汽船旅客ターミナル)(カモメの群舞) 5階屋上デッキでもカモメにエサを与えている乗船客が居るようで、見上げるとカモメの群舞。(同上)(ホテル・あおきや<右側>遠望) 肉眼では判別できなかったが、カメラをズームアップするとお世話になったホテル・あおきやが船上からも良く見えていました。 帰りも4階の2等船室で、ごろり寝そべっての船旅です。(5階、屋上デッキ)(同上) 途中、喫煙室にてタバコを一服したついでに5階屋上デッキに上がってみました。(同上・船尾) 以上、まことに中途半端で不本意な佐渡銀輪散歩でありましたが、終了であります。 この後、新潟に戻って、38.6度の発熱に見舞われるなどということもありで、今回は体調面で色々と問題の多い散々な旅行となってしまいました。 それでもコロナ、インフルエンザの検査は幸いにも陰性で、ただの風邪であったよう。熱も下がり無事に帰阪することができましたので、やれやれでありました。 旅に病んで 痛みはふしぶし かけめぐり 越後も佐渡も 夢のまた夢 (偐蕪蕉) ということで、佐渡銀輪散歩記事も、不本意な銀輪万葉記事となりましたが、一応完結であります。(完)<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2025.07.07
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腰痛で長らくブログを休ませていただいていましたが、少し状況が軽減しましたので、久しぶりに佐渡でも銀輪散歩してみるかと新潟へと出掛けてみましたので、それを記事アップすることとします。 6月30日夕刻に新潟空港に到着、新潟市内に前泊し、翌7月1日に佐渡に渡り、両津港から姫崎灯台まで往復し、翌2日は加茂湖を一周するという計画でしたが、30日夜に腰、膝、足首の激しい関節痛に襲われ、殆ど眠れないという状況に陥りました。 佐渡行きはキャンセルするしかないかと7月1日の朝を迎えましたが、朝になると痛みが軽減していることもあり、念の為にと近くの新潟万代病院整形外科を受診し、既に大阪の整形外科クリニックで処方して貰って持参している薬に加えて、就寝前服用の痛み止め薬を処方して貰い、持参の小型軽量折りたたみ自転車・トレンクルは新潟に預け置いたまま、佐渡へと渡ることとしました。 計画では、このトレンクルで銀輪散歩する予定でしたが、銀輪散歩は無理だろうと考え、佐渡へは持ち込まなかった次第。新潟から佐渡へ 病院の受診が早くに済んだこともあって、当初予定よりは遅くなったものの、12時35分発両津港行きのカーフェリーで佐渡へと向かうことができました。(佐渡汽船・ときわ丸船尾から) これまで、佐渡へは何度か来ているが直近が2009年9月16日~19日であるから、もう16年も前のことになる。<参考>佐渡銀輪行(その1、2、3、4、5、6、余聞)(同上・左舷4階甲板) 4階の2等船室で寝そべっているうちに少し居眠りしてしまったようで、気が付けば出航してはや1時間が経過していました。 4階船尾側にあるイベント室の喫煙室でタバコを一服してから甲板に出てみて撮ったのが上掲2枚の写真。 再び2等船室にもどり、ごろりと横に。 他の船客の皆さんも寝転がって居眠りしたり、本や新聞を読んだり、くつろいで居られますが、それにカメラを向けるのは憚られて、撮影せずでありました。 窓側の廊下に設置された椅子席では大きな声でお喋りしている人の姿も。 2時間半の船旅であります。 両津港が近くになったので、再び甲板に出てみると。(佐渡の島影) 佐渡の島影がま近に。(左端の岬の灯台は姫崎灯台) 当初予定で、両津港からトレンクルで走るつもりでいた姫崎灯台が見え来ましたが、今回は諦めるほかなしです。(カモメがお出迎え) カモメもお出迎え。(おけさ灯台) 右舷側の甲板に回ると、おけさ灯台がお出迎え。(同上)(両津港・右端の橋は両津大橋) 両津港へと入って行きます。(同上)(こちらは名前不詳の灯台) おけさ灯台の先に見えた灯台をズームで撮影(同上)(佐渡汽船旅客ターミナル・両津港に着岸します) 下船して、旅客ターミナルビルに移り、2階の売店が並ぶ通路を突き当りまで進み、エレベーターで1階に下りると、先ほどまで乗っていた「ときわ丸」の船首が見えました。(両津港に停泊中の「ときわ丸」) ときわ丸を撮影して背後にある旅館組合専用駐車場へ。 出発前に宿泊のホテルに電話し、車での送迎をお願いした際にご説明を受けた順路に従い、旅館組合専用駐車場へとやって来たのでしたが、既に送迎のマイクロバスが待機してくださっていました。 すぐに乗車しましたが、別の乗客もあるとかで、しばらく出発待ちとなりました。ところが、その別の乗客が一向に現れない。事情はよく分からなかったが、別の乗客の乗車がないまま発車となりました。 ホテルは加茂湖が一望できる高台にあるという椎崎温泉の「夕日と湖の宿・あおきや」さん。 チェックインを済ませ4階の部屋に入ると、確かに加茂湖が一望です。(ホテルの部屋から加茂湖が一望・パノラマ撮影)(加茂湖・南方向)(同上・西方向・眼下の道が県道65号)(同上・北方向、湖面に点々と見えるのは牡蠣の養殖筏) こういう景色を目にすると、昨夜の関節痛のこともあり些か気がかりではあるが、やはり自転車で走ってみたい気分になるというもの。 トレンクルは持参しなかったが、ホテルフロントの前にレンタルの電動ママチャリが置かれていたので、それをお借りして夕食までの2時間ほどを走ってみることとしました。(夕日と湖の宿・あおきや<旧名:佐渡ハイツホテル青木>) 電動ママチャリで出発です。 ホテル前の道を左に出て突き当りを左折するとS字カーブの急勾配の坂道である。 これを下ると県道65号(両津真野赤泊線)に出る。 同県道を左折して南方向に800mほど行くと湖畔に出るサイクリング道路の入口があったので、これを走ることとする。(湖畔沿い自転車道)(湖畔自転車道から右手、金北山方向を望む)(牡蠣殻の山) 湖畔には牡蠣小屋、牡蠣の直売所が点々とあり、その一角には牡蠣殻の山がある。牡蠣が苦手のヤカモチであるから、この牡蠣殻の山が放つ匂いは悪臭である。極力息を止めて通り過ぎることにします。 湖畔に誰が植えたのか、ウチワサボテンが黄色い花を咲かせていました。(ウチワサボテンの一種、円武扇<エンブセン>の花)(同上) やがて、湖畔の自転車道は行き止まりとなり、県道65号に出る。 これを南に進むと本間家能舞台。 立ち寄って行く。少し荒れ果てた感じ。(佐渡本間家能舞台)(同上・説明碑)(十六代宝生九郎翁敬慕碑) 本間家能舞台から県道65号を道なりに進むと道の左手に牛尾神社。(牛尾神社)(同上)(同上・説明碑)(同上) 石段を前に、腰痛や関節痛のことを思い出し、自重。 湖畔の道から随分と外れてしまったので、牛尾神社の先の小川を渡ったところで、その水路沿いに湖畔へと戻る。 ところが、加茂湖に向かって左手側には湖畔の道が続いているようだが、それを辿って先へと進むと、午後6時に夕食の時間とチェックインの際にお願いした関係で、これに間に合わなくなる惧れもある。 ということで、引き返すこととするが、右手側の湖畔の道は草が茫々に繁茂し、人が足踏み入れることは不可能な状態。 仕方なく、来た道を引き返すこととし、県道に戻る。 本間家能舞台の前付近から400m北に進んだ付近で、県道から再び湖畔の道に入る。(加茂湖畔) ホテルの手前のS字の急坂は自転車にとっては難物であるが、電動自転車の威力は凄い、楽々と上りきれました。 ということで、夕食の時間には十分間に合いました。 以上で7月1日の記録は終了とし、翌2日の記事はページを改めることとします。(つづく)<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2025.07.06
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