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8月30日午後6時20分、夕食。 コロッケ・ハンバーグ弁当。今日も自力調達食品であります。 完食です。 夜は、阪神vs巨人戦のTV中継観戦です。前日は巨人に負けてしまいましたが、この日は、阪神が勝って、マジックナンバーも9と「ひと桁台」に突入。いよいよ「近く」なりました。 さて、夜の体温・血圧測定。 体温36.7度。そして血圧ですが・・。 低血圧状態が続き、脈異常(不整脈)のマークが頻出。なかなか正しい測定ができないという事態に陥りました。 血圧計がおかしくなったのだろうか。 92/55(74♥)、87/49(75♥)、95/50(88♥)、 98/60(90♥)、85/52(65♥)、95/41(64♥)、 102/57(88)、97/48(55♥)、89/49(70♥)、 106/52(80♥)、95/58(82♥)、97/56(69♥)、 100/57(85♥)、101/43(81♥)、104/44(72♥)、 86/55(88♥)、100/56(84♥)、103/57(72♥)、 108/62(80♥)、108/78(88) ※最高血圧/最低血圧(脈拍数)、♥は脈異常を示す。 赤字のみが正しい測定値。 20回の測定で正しく測定できたのは2回のみ。 ということで、最高血圧は105、最低血圧は67.5。 午後11時43分就寝。 今日・8月31日午前2時5分一時的に目覚めトイレに立つが、再就寝。 午前5時6分、起床。 朝の体温・血圧測定。 体温36.0度、最高血圧119、最低血圧67.5。 脈異常頻出の状況はなくなりました。 午前7時45分、朝食。 ジャムトースト1枚、ハムエッグ、ナシ半個、野菜ジュース&牛乳各コップ1杯、完食。 かなり、食欲も戻って来て、入院の頃に比べれば随分と食べる量も増えているように思われるので、体重も幾分かは戻っているかと、朝食後に体重を測定してみた。 結果は、54.7kgで、退院直前の54.9kgよりも更に200g減少しているではないか。 体重が回復するどころか減少していたのは意外でありました。 さて、明日・9月1日と、明後日・9月2日と続けて、石切生喜病院で受診予約が入っている。 9月1日が泌尿器科で、2回目の抗がん剤投与の点滴とホルモン注射があるのではないかと思うが、併せ、レントゲンと血液検査もある。また、9月2日の予約は脳神経外科で、今年1月14日の軽い脳梗塞発症(MRI検査による診断)の経過観察のための受診で、血液検査もあるとのこと。 この両日は、通院のついでに、病院の近くにある「のらや」でお昼にうどんでも食べて、その後少し銀輪散歩をするなどして、体力増強に努めたいものと思っている。 朝食後薬を呑んだ後、9時前後であったろうか、急に眠くなったので、ベッドへ。 いつの間にか熟睡。 午前11時43分、尿意で目が覚める。 朝寝にしては長く(2時間以上?)眠り過ぎたかもしれない。 12時より、Eテレ(NHK)で、囲碁フォーカス、続いてNHK杯TV囲碁トーナメント(一力遼棋聖vs藤沢里菜女流本因坊)を観戦。 TV囲碁を観戦しながら昼食の素麺を完食。 食後、ゴロリと横になって見ていたのがいけなかったのか、いつの間にか眠り込んでしまったようで、次に目が覚めた時には囲碁は終わっていて、その後の番組の落語が放映されていた。 従って、目が覚めたのは、午後2時20分頃だろうか。 何だか身体が気だるいので、血圧を測ってみたが、111/58(脈拍83)で、異常なし。低血圧というのではなく、身体が寝ぼけていただけのようであった。(血圧計) 午後6時、夕食。夕食はうどん。完食。 夕食後の薬服用。但し、血圧降下剤は服用停止中、また痛み止め関係の薬についても、このところ痛みがほぼなくなっているので、その服用を中止して、様子をみることとします。<追記8月31日21:20> 夜の体温・血圧測定。 体温36.6度、最高血圧113.5、最低血圧58.5。 野球TV中継。阪神vs巨人戦。7回に逆転され、今日は負けかと思ったら、その裏に再逆転で、結局、阪神の勝ち。Mナンバーも遂に「7」。
2025.08.31
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8月28日夜の体温・血圧測定。 体温36.4度、最高血圧113.5、最低血圧64.5。 依然として血圧降下剤の服用再開を開始すべきレベルの数値ではない。 午後11時48分就寝。 8月29日午前3時33分、微小血管狭心症の発作に似た頭の痛み発生。 熱い白湯を3~4回飲むと消えた。<参考>微小血管狭心症についてはコチラ。 微小血管狭心症の発作には熱いさ湯が効く 2023.7.18. 微小血管狭心症の発作に似た症状が出たのは、ヘアキャップをして眠っていたことが原因かもしれない。ヘアキャップによって額・頭の周囲が軽く締め付けられることになる。この刺激が、微小血管狭心症の発作時に現れる頭痛の初期の「締め付け感」に似ている。その結果、同じく胸の締め付け感やみぞおち付近のしこりのような不快感という、同発作時に現れる症状に似た状況を引き起こしたのかもしれない。 まあ、ヤカモチ説では、微小血管狭心症の発作は、アイスクリーム頭痛に似たメカニズムによって引き起こされる脳の誤解が原因である(即ち、関連痛)と考えるからである。意識せる 十余(とあま)り五日(いつか) 連続の ブログアップの 記録これなり (連続家持)<15日連続の記事アップ記録を確定させるため、8月29日は記事アップを取り止めて、お休みにしようなどという不自然なことをしたものだから、今日8月30日の記事は、まことにややこしいものになるかも(笑)。> 同午前5時57分、起床。 朝の体温・血圧測定。 体温36.2度、最高血圧124.5、最低血圧72。 但し、2回目から5回目までの測定は脈異常。1回目と6回目の平均値。 ※血圧120を超えたので、血圧降下剤を服用することとした。 同午前7時46分、朝食。 トースト1枚、ハムエッグ、バナナ2分の1本、温室みかん1個、牛乳・野菜ジュース各コップ1杯、全て完食。初めての快挙(笑)。 同午前10時20分、外出。ボールペンの芯購入のため文具店に立ち寄り、花園中央公園などを銀輪散歩。(恩智川) 左手奥が花園中央公園。正面奥に見える橋は三六橋。(花園中央公園) 噴水とあずま屋。後輪だけが写っているのはマイMTB。 三六橋側の公園入口脇にはノウゼンカズラが美しく咲き匂っていました。(ノウゼンカズラ) 同午前11時12分、帰宅。 文具店で買ったボールペンの芯はこれです。(ボールペンの芯) 同12時15分、昼食。昼食は毎度定番の素麺。完食です。 同午後6時47分、夕食。 この日の夕食は、鮪ネギトロちらし寿司。午前中の外出ついでに、寿司屋で買って帰り、冷蔵庫に保存して置いた、自力調達食品(笑)。 当然に、完食です。但し、最後はやや無理して食っている感じも無きにしも非ず。 夜の体温・血圧測定。 体温36.4度、最高血圧106.5、最低血圧56.5。 同午後11時55分、就寝。 今日(8月30日)午前5時33分、起床。 朝の体温・血圧測定。 体温36.2度、最高血圧102.5、最低血圧63.5。 ※昨夜、今朝の血圧数値では血圧降下剤はパスです。 同午前7時50分、朝食。 ジャム・トースト1枚、ハムエッグ、ナシ半個、野菜ジュース・牛乳各コップ1杯、完食。 同午前8時46分、朝の銀輪散歩、花園ラグビー場へ。(東大阪市立児童文化センター<ドリーム21>・プラネタリウム) 多目的芝生広場を挟んで、東側にドリーム21、西側に花園ラグビー場スタジアムが向かい合っている。(奥が花園ラグビー場・手前が多目的芝生広場)(ラグビーの森から眺める花園ラグビー場)(ラグビーの森・歴代優勝高校の銘板が掲示されている。) 同午前9時33分、帰宅。 12時13分、昼食。素麺、完食。 午後1時21分~2時7分、昼寝。 昼寝から覚めたところで、午後の散歩でもと考えたが、取り止めにして、ブログ記事をアップすることにします。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2025.08.30
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8月14日から継続している記事アップが今日で15日連続となりますので、この辺で一休みすることにしましょうかね。 ・・・・・・・・・・・・ 8月27日午後6時より野球中継(阪神vs横浜)TV観戦。 (この試合も阪神が勝って、巨人が広島に負けたのでマジックナンバーがまた2つ減って、12に。この分だと遅くとも9月中旬までには阪神の優勝が決まるだろう。) 午後7時10分、夕食。うどん、完食。 夜の体温・血圧測定。 体温36.3度、最高血圧108、最低血圧61。 午後11時50分、就寝。 今日(8月28日)午前3時53分、一時的目覚め。 同午前5時41分起床。 朝の体温・血圧測定。 体温36.1度、最高血圧98、最低血圧58。 今日で退院1週間になるが、8月24日のみ血圧降下剤服用するも、同日以外はこれを服用せず、が続いている。 今朝は98と再び100を切る低血圧となっているが、原因は不明。 また、腰痛ほか関節痛などの痛みを緩和するため服用を続けている、トラムセットであるが、退院後はずっと痛みを余り感じなくなっているので、服用を中止して様子を見る時期かもしれない。 朝食までのつなぎに「温室みかん」1個、バナナ1本を食す。 午前7時54分、朝食。 トースト1枚、ハム4切れ(薄くスライスした4枚重ねのハムをそのままの状態で4等分したもの)のうちの2切れ、ナシ半個、牛乳グラス1杯。今日からカルシウム、たんぱく質摂取を高めるため、紅茶オーレを牛乳に変更。 味覚異常は色々な局面に現れるが、その一つに、バタートーストやハムの塩味に関して、後味に苦みのような不快な味を感じてしまうという違和感がある。このような味覚異常は抗がん剤治療を継続する限り、ずっと続く副作用なんだろうか。 今日はバターではなくジャムを塗ってみた。するといつも幾らかは食べ残していたトースト1枚を完食することができた。その代わり、いつもは3切れは食べられたハムであったが、2切れでギブアップだった。 さて、副作用と言えば、髪の毛の脱毛である。外見上最も顕著なのがこの副作用である。 手櫛をすればしっかりと手応え、反発力のあったかつての豊富な髪の毛が、今やすっかり抜けてしまって、手櫛もどきをしてみても、まったく無抵抗、するりと前から後ろへとすり抜けてしまう。 どの角度から見ても殆ど地肌が透けて見えるほどの粗さの、細い白髪に僅かばかりのこれまた細い黒髪が申し訳程度に寄り添っているという有様になってしまっているのだから、無理からぬことである。 1週間で少なくとも10歳は老けた外見の変化かと。これでサングラスでも掛けたら、激痩せの体型変化と相俟って、誰もヤカモチとは気がつかないだろうと思ったりも。 12時15分、昼食。はい、またまた素麺です。完食。 昼食後、新石切駅の南200mほどの位置にある、ユニクロ新石切プラザ店へズボンを買いに行くことにした。 これまで履いていたズボンは「激痩せ」のため、全てダボダボ。 銀輪散歩を兼ねて、ユニクロまでジーンズを調達に出掛けたという次第であります。(ジーンズ) 店に入ってスグのところで目に入ったジーンズ、色違いの3本を手に、試着ブースへ。裾直しをして貰う心算で試着したのだが、丁度の長さで裾直しの必要なし。会計を済ませて店を出ると午後1時24分。 旧国道170号の道路を挟んで東向かい側にあったドラッグストア、ウェルシアで太田胃散を購入。(太田胃散) ここは以前、サガミという蕎麦屋さんがあった処だが、サガミが(多分コロナ禍で)閉店・廃業した跡地にドラッグストアが進出して来たのである。(よく通る道)(よく通る道から、よく眺める生駒山) 午後1時52分帰宅。 体力の衰退著しく、回復への道遠しです。 自宅への坂道手前100m位でギブアップ。自転車を降りて、手で押しながらハァーハァー息を切らせて歩いて・・という、まことに情けない姿であります(笑)。 午後2時~5時頃まで、休憩したり、他の事をしたりの中断をはさみつつ、途切れ途切れにブログ記事の下書きを続ける。 午後6時48分、夕食。 今日はヤカモチのリクエストで、お好み焼きを買ってきて貰うことにしました。さて、味覚異常のヤカモチでも食べることのできるメニューであるかどうか。 完食と言いたいところでしたが、流石に量が多く5分の1くらいを残してしまいました。とても美味しくとまでは言い兼ねますが、まあ気分よく食べることができました。さすが根っからの大阪人。 ということで、ここまでが本日の記事として、アップします。 これで、15日連続記事アップということになるので、明日(29日)は記事アップを休むことにします。 これで一応記録が確定することになります。 連続記事アップ日数最多記録: 15日連続(2025年8月14日~8月28日) 何だかヤラセっぽい記録になりますが、これまでのヤカモチには到底破ることのできない連続最多記録かと(笑)。<参考>当ブログの歩み過去記事一覧はコチラ。
2025.08.28
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8月26日午後3時9分、友人・オガクニマン氏より電話があり、13分間の雑談。 同午後5時から阪神タイガースvs横浜DeNAベイスターズ戦の野球中継をTV観戦。 この試合は、筒香の二打席連続ソロホームランの2点でリードされ、8回まではベイスターズのペースで展開、タイガースはいいところなしであったが、9回初めて巡って来たチャンスをものにし、佐藤の犠牲外野フライ、大山の逆転2ランで勝利し、巨人が負けたこともあって、マジックナンバーは2つ減って14に。 午後7時11分、夕食。うどん完食。 食後の薬を服用。ここで気が付いたのだが、痛み止めの薬であるトラムセットとガナトン錠が8月27日分までしかない。次の通院日が9月1日であるから、8月28日~9月1日朝までの分がないこととなる。 このところ痛みが殆ど感じられないので、少しくらい服用を止めても、痛みがぶり返すことはないのではないかと思ったりもするが、さてどうするヤカモチ。 夜の体温・血圧測定。 体温36.6度、最高血圧111.5、最低血圧59.5。 8月27日午前0時8分就寝。 同午前3時4分目が覚める。30分ほど起きていたが、眠ることに。 5時24分起床。 朝の体温・血圧測定。 体温35.7度、最高血圧114、最低血圧63.5。 午前7時50分朝食。 トースト4分の3枚、ハム4分の3枚、ナシ半個完食、ティオーレ1杯。 朝食後の薬は今回も血圧降下剤は服用せず。 午前9時40分外出。 某信用金庫の定期預金を一部解約し、主たる普通預金口座を開設している某銀行の方へ振り込み送金して貰う。この預金口座は、所帯の諸経費など生計費を賄うための資金をプールしているところ、今月は入院費用など出費が一時的に増えたので、念の為、補充して置こうというもの。 送金手続き完了後、スポーツ用品店に立ち寄り、野球帽を買い求める。(野球帽) それを被って、石切生喜病院へ。 薬を受け取るためである。 これに先立ち、9時ジャストに病院に電話し、上記の薬の件を相談。 よく調べると上記以外にも不足を生じる薬のあることが判明。 ユリーフOD錠が9月1日朝の分、アボルブカプセルが8月31日~9月1日朝分が足りていない。 来院して貰えばドクターの承認のもと処方可能とのことであったので、これらを受け取りに行こうというものです。 病院に到着。8月21日退院して以来のこと。 薬のみで受診受付申し込みをし、受付表と受診券を泌尿器科窓口に提出する。程なく看護師さんから呼ばれて「少し時間がかかるが、薬の処方はするので、受付表を会計窓口に提出し、お待ちください」との説明を受ける。 薬の用意ができるまでの間の時間つなぎに喫茶ペリカンの家に立ち寄ることとする。 味覚に異常をきたしているので、珈琲ではなくジンジャーエールを注文する。店主のももの郎女さんのお薦めで赤紫蘇のゼリーも。 今日のスタッフは坂の郎女さんでしたが、お忙しそうにされていたので口をきく間がなく、店を出ました。(まごころ喫茶・ぺりかんの家) 帰宅は午前11時50分頃。 自宅への坂道。最後は息が切れて、上り切れず手で押して歩く始末。 12時16分昼食。 またまた冷やし素麺でしたが、完食。 冷やし素麺という食べ物にのみ適合進化した昆虫か何かにでもなった心境であります(笑)。 素麺ほどではないが、うどんも食べやすいので何とかOKの食べ物。 今夜も夕食はうどんにするか。
2025.08.27
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温室みかん これは、ヤカモチが入院していた頃、家内が差し入れてくれた蜜柑であるが、退院して自宅に帰ったアトも、何故か蜜柑というとこれを買って来るようだ。 叔母が入院していた頃、見舞に訪れた際、よく蜜柑を所望されたので、家内から「何か欲しいものは?」と問われて、「みかん」と言ってしまったのであって、別に蜜柑が食べたかったから言った訳ではなかったのである。 一個150円だというこの小粒の蜜柑。いかにも温室育ちという感じで、果皮も柔らかであり、水分も豊富であるが、酸味も甘味もパンチに欠けて、言わば中途半端、半熟な感じであります。まあ、今の時期に蜜柑を食べようというのがそもそも間違いなんでしょうな。 昨日(8月25日)午前10時8分 朝食のアトの「昼寝」ならぬ「朝寝」から目覚める。 身体中が何やら痒い。 入院中に、赤い発疹などは出ていませんか、という質問を看護師さんから何度か受けたことを思い出したが、あれは抗がん剤の副作用の一つを確認するためのものであったのだろう。発疹は出なかったものの、腕や背中や首筋など皮膚の表面が痒くなるということはあった。それも副作用の一種なんだろうか。 今、それほど酷い痒みではないが、そんな感じの皮膚表面の軽い痒みが身体全体に広がっているような感じである。 また、髪の毛が抜け易くなっている部分が痒くなるような感じもあったりするが、当初は自然に抜けるもののお手伝いをする程度の、軽い手櫛程度の動作で、手指にまとわりついた髪の毛をゴミ箱に捨てていたのであったのが、いつしか「抜けるものは一刻も早く抜ければいい」との明確な意識を持って、髪の裾回り部分とか、揉み上げ部分とか、手で掴みやすい部分をひっつかんでは強く引き抜くなどの行為で「抜け毛促進強化」行動を展開しているのでありました(笑)。 抜いた髪の毛は、そばに置いたゴミ箱に、引き抜く都度、これを放り込んで行く。こういう行為を繰り返していると、その程度は段々エスカレートして、額前面から両手で後頭部に向かって髪をかき上げるようにして掴み、左右にこれを引っ張り抜くという、とても積極的な毛抜き動作にまで発展。 これを繰り返していると、結構ムキになってどんどん髪の毛を抜き続けてしまう(笑)。すぐに、小さなゴミ箱は髪の毛でいっぱいに・・・。(ゴミ箱がまたまた髪の毛でいっぱいに) そのような汚らしいものを写した画像を載せるのは悪趣味、無粋というものであるが、まあ、「カミがまにまに」ということで(笑)。 ともかく、これで午前中は時間が潰れました。 そんな次第で、抗がん剤投与後2週間である、今日8月26日を待たずに、24日・25日の両日で、髪の毛も一気に薄くなってしまったのでありました。 12時20分、昼食です。 今日も昼食は「冷やし素麺」です。 今のヤカモチにとっては、これが一番のご馳走です。 美味しく、完食。 量も少なめ、氷水に浸された冷たい素麺の喉越しの良さ。 生姜の風味がきいたつけ汁の程よい味。 さて、話が変わりますが、8月14日から昨日・8月25日まで、12日間記事アップが連続しています。 過去に遡って検証していませんので、確かなことは言えませんが、記憶する限り、こんなに長期連続して毎日記事をアップしたことはないので、記事アップ最多日数連続自己記録だろうと思う。 今日も連続して記事アップすると、13日間連続アップとなって自己新記録ということになる(笑)。 夕食は、午後7時12分。 前日の「豚肉の冷しゃぶ」がまだ沢山残っているので、この日もこれを食べることとしました。 しかし、豚肉は肉片4つくらいを、茹でた冷野菜と共におろしポン酢で食しただけで、ギブアップ。 ご飯も茶碗4分の1杯くらいで、ギブアップ。 味噌汁は具の豆腐は無理して全部食べたものの、汁は一口すすっただけ。 トマトは3分の1個くらいを食べただけ。 多くを食べ残して終了。 食後の薬を服用後、友人・偐山頭火君に電話(午後7時33分)。 10数分あれやこれやの雑談でした。 その後、ブログの下書きを行い・・・。 夜の体温・血圧測定。 体温36.3度、最高血圧105.5、最低血圧64.5。 夜0時15分就寝 今日・8月26日午前4時54分起床 朝の体温・血圧測定。 体温36.0、最高血圧113.5、最低血圧61。 朝食の時刻まで少し間があるので、ブログ記事の下書きに取り掛かりつつ、冒頭に掲示の「温室みかん」1個と昨夕に食べ残したバナナ2分の1本、アップルパイ4分の1個を食べてみた。 午前8時21分朝食 トースト1枚完食、ナシ半個(4切れ)完食、ハム4分の3枚のみでギブアップ。紅茶オーレ1杯。 朝食後の薬服用。 但し、血圧降下剤(エンレスト錠、アムロジンOD錠)を除く。 午前9時43分銀輪散歩へ。 枚岡神社、枚岡梅林散策。(枚岡神社・参道) 参道の途中に梅林へと右に入る脇道があり、それに入る。(参道から枚岡梅林へ) 道なりに上って行くと、突き当りが枚岡神社の裏口、梅林側の鳥居。(枚岡梅林・標石)(枚岡神社・梅林側鳥居)(キバナコスモス) キバナコスモスとキョウチクトウが咲いていました。(キョウチクトウ)(枚岡梅林) 同10時16分帰宅。 同12時20分、昼食。 このところの昼食は毎回冷やし素麺である。 これだけが唯一美味しく食べることのできる食事であるから。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2025.08.26
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8月24日夜、夕食後、退院して初めてとなるインスタントコーヒーを飲んだが、味覚か嗅覚に変異をきたしているのか、まったく美味しくない。 吐き気は随分と改善しているように思うが、食欲はイマイチである。 家内からは、何か食べたいものはないのか、ときかれるが、今まで思い浮かんだのは「冷やし素麺」と「冷しゃぶ」と「うどん」くらいのもの。殆ど思い浮かばないのは、食欲不振のなせるワザか。 太田胃散、服用。 夜10時過ぎ、入浴。 毎日お風呂に入れるのが有難い。 入院中の不自由さを思うと、お風呂一つをとっても、自宅はやはり一番である。 で、そのお風呂での話であるが、抗がん剤治療の副作用である脱毛がどうやら始まったようだ。 髪を洗った時に、洗面器や風呂の床に流れ落ちた抜け毛が異常に多くなりました。洗髪後、タオルで濡れた髪を拭うと、そのたびに沢山の抜け毛がタオルにくっついてくる。それを丁寧に全部指につまんで取り払い、また拭うと再びビッシリと抜け毛がくっつく。何度やってもキリがないとはこのことだ。 お風呂上り、手櫛で髪の毛をしごくと指と指との間に沢山の抜け毛が挟まってくる。また、指でつまんで引っ張るとごっそりと髪の毛が抜ける。何度繰り返してもどんどん抜けるだけで、際限がない。(ワンポイント脱毛知識) 抗がん剤投与を始めたのが8月12日。 抗がん剤投与後、およそ2~3週間から脱毛の副作用が始まる。 ヤカモチの場合は、明日26日が2週間後ということになるので、そろそろかと思ってはいたが、二日早い24日の夜から始まったようだ。(ケアキャップ) ヘアキャップを着用して就寝することとします。 就寝時だけでなく、昼間もヘアキャップを着用するなどして、日常生活を送るというような配慮が必要になるかもしれないということになるが、何か実感がないので、妙な気分である。 どれくらい抜け続けたら、すっかり頭がツルツルになるのか、今月の末頃にはそうなってしまうのか、これは「カミ」のみぞ知るでありますな。 9月1日(泌尿器科)と2日(脳神経外科)には受診予約が入っていて、通院することとなるが、このヘアキャップをしての通院になるのだろう。 夜の体温測定と血圧測定。 体温36.6度。平均最高血圧112.5、平均最低血圧63。 8月25日午前0時10分就寝。 同、午前4時38分起床。 朝の体温、血圧は次の通り。 体温36.1度、平均最高血圧108.5、平均最低血圧58.5。 昨夜、今朝と最高血圧が120を下回っているので、朝食後の血圧降下剤は再び服用停止にするか。このように呑んだり、呑まなかったりを繰り返すことがいいのかどうかは、近いうちにドクターの意見を聞いて置く必要あり。 就寝中に着用していたヘアキャップ(黒)をゴミ箱に捨てる。 抜け毛をまき散らし「歩く抜け毛」となるのも不本意と、自身の髪の毛を手で引っこ抜く。そんなに強く引き抜くのではなく、軽く掴むようにして引き抜くだけで、ごっそりと抜ける感じ。これをゴミ箱に捨てる。暫く繰り返していると、ゴミ箱が髪の毛でいっぱいになってしまった。(髪の毛とヘアキャップ<黒色>とでいっぱいになったゴミ箱) まあ、それでもヤカモチさんは髪の毛が多い方なので、まだ髪の毛はフサフサした状態で、鏡に映してみても現時点では特に違和感のない状況であります(笑)。 新しいヘアキャップを着用する。 部屋に抜け毛をまき散らさないために(笑)。 今日は朝早くに起きてしまったので、朝食まで時間があり過ぎる。 で、部屋に置いてあったミカン2個のうちの1個を食す。 それでもう朝食は事足りている感じであったが、7時50分頃に朝食。 バタートーストは4分の1枚相当を残してギブアップであったが、ナシ半個(4切れ)、ハム1枚(4切れ)は、紅茶オーレ2分の1杯で完食し、残りの2分の1杯で朝食後の薬を服用(但し、エンレスト錠、アムロジンOD錠を除く)。 今日は、ちょっと早いがこれで記事アップとします。 何だかまた少し吐き気がしています。
2025.08.25
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昨日(8/23)午後4時頃、MTB(マウンテンバイク)のチェーンロックというかワイヤーロックというか、そのワイヤー切断に成功。 キーを差し込んでもロックが解錠されなくなってしまったため切断するしかなかったという次第。 ペンチで悪戦苦闘するうちに何とか切断出来たのであるが、右手指の第2指~第5指(人差し指から小指まで)の第1関節と第2関節の間の部位にマメが4つも出来てしまった。手をよく洗い、マメに溜まった液体を抜き、絆創膏を貼って手当。(手にマメができちゃった、マメにやり過ぎ?) 一応、指紋は消して置くこととします(笑)。 これでMTBを取り出すことができるので、8月24日は、これに乗って自転車屋さんに行き、新しいワイヤーロックを購入しようと思う。 退院後、自転車初乗りということになる。 8月23日、午後7時過ぎ、夕食。 夕食は「鍋焼きうどん」。このくそ暑い時に「鍋焼きうどん」はないだろうと思うが、うどんが食べやすいのでリクエストした次第。 冷凍食品「鍋焼きうどん」として販売している出来合いのセットであるから、家内も簡単に用意できるということで、ウィンウィンであります。 ちょっときつかったが夕食は完食できました。 少しずつ、食欲も元に戻りつつあるか。 吐き気も余り感じなくなっている。 夜の体温と血圧は次の通り。 体温35.8度、平均最高血圧118、平均最低血圧63です。 8月24日午前0時20分就寝。 同午前6時10分起床。 朝の体温、血圧は以下の通り。 体温36.4度、平均最高血圧140、平均最低血圧74でした。 今朝から、血圧降下剤(エンレスト錠、アムロジンOD錠)の服用を再開することとします。 午前8時、朝食。 トースト2/3枚、ハム3/4枚、リンゴ3/8個でギブアップ。 昨日の朝食よりも少なくしか食べられなかった。 朝食後の薬服用後、ミカン1個を食す。少し吐き気。太田胃散服用。 午前10時5分、行きつけの自転車屋さんに電話。 営業しているかどうかの確認である。 MTBに乗って自転車屋へ。 ワイヤーロックとライトを購入。 帰宅は、午前10時45分。 自転車屋への往路は坂道を下るだけなので問題ないが、自宅への復路は坂道を上ることになるので、苦しい。途中から押して歩く。入院前は難なく上れた坂道が全く上れない。ここまで筋力が落ちているとは衝撃的。 自販機でポカリスエットを買って水分補給。 何ともしまらないMTB初出動でありました。(マイMTB)※新しく買ったライトとワイヤーロックは〇で囲んでいます。 正午過ぎ、昼食。 今日も、冷やし素麺です。完食。 午後は、伊田篤史九段vs福岡航太郎七段のNHK杯テレビ囲碁トーナメントを観戦。そして、少し昼寝。 午後7時10分、夕食。 今日の夕食は、ヤカモチの希望で、豚肉の冷しゃぶ。 ポン酢と大根おろしで食べたら、美味しいのではないかと思って、リクエストしたのだが、まあ、それなりに美味しくは食べられたが、事前に想像していたほどの美味しさではなかった。 お茶碗3分の1位の量のご飯とみそ汁と冷しゃぶ&野菜、それでも90%の完食でありました。 少しずつ、食欲が正常化に向かって回復しているのだと思うが、その歩みは遅々たるものである。
2025.08.24
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昨日(8月22日)は夜12時前後に就寝。 午後9時前後に強烈な眠気が来て、寝ようかとも考えたのだが、入院生活時の体内時計のリズムをヤカモチ本来の日常のそれに矯正すべく、眠いのを我慢して、夜更かしをすることにしたもの。 それでも、朝4時半頃に一時目が覚めたのであるが、小用を済ませるとすぐにベッドに入り、眠ることに。 今朝(8月23日)午前6時58分起床。 朝の血圧は、2回測定の平均値で、最高118、最低60、体温は36.1度。 昨夜の血圧は、最高115.5、最低62.5であったから、朝食後の薬については、血圧降下剤は呑まないことに決める。 朝食は昨日と同じメニューでお願いしましたが、トーストは1/4枚を残し、ハムも4切れのうち1切れを残す。梨半個は完食。要するに摂取量は昨日と全く同じ。この量が今のヤカモチの限界のようで、突如吐き気とまではいかないが、吐き気の少し手前のような不快感が生じて、脳がストップを掛けてしまうようです。 食後の薬を服用したアト、約2ヶ月ぶりに電子タバコ1本を喫ってみたが、余り美味しくはなかった。しかし、不快感もなかった。 さて、報告が遅れたのであるが、ヤカモチが1回目の入院をした時に、若草読書会のメンバーでもあり、ヤカモチが敬愛する古くからの友人である凡鬼さんから、「K2空調作業服」のプレゼントが自宅に届き、家内からその旨の連絡が入院中のヤカモチにあった。 手紙だけは、病室に届けて貰ったので、早速、凡鬼さんにお礼のお電話を差し上げた次第。(K2空調作業服) ファンセットとモバイルバッテリーは、未だ取り付けていませんが、それらしき場所に置いて、撮影してみました。 添えられていたお手紙は次のようなもの。(凡鬼さんからのお手紙) こんな高価なもの、心温まる嬉しいプレゼントです。凡鬼さん、本当にありがとうございます。まだ、これを活用するほどの体力は戻って居りませんが、元気になれば重宝して利用させていただきます。 お手紙に添えられていたのは、何故か切手シート。(20世紀デザイン切手第7集)(奥の細道シリーズ第6集) 奥の細道シリーズの切手シートは俳人・凡鬼さんらしいです。 少年の希望広ごる雲の峰 (凡鬼) この句は、切手シートに記載の芭蕉句に触発されて詠まれたものかと思うが、坂の上の雲(司馬遼太郎)のイメージを喚起させる句でもあります。 雲の峰いくつ崩て月の山 (芭蕉) 芭蕉の句で「雲の峰」という語が使われているのは、この句のほかに2句あります。 湖やあつさをおしむ雲のみね (芭蕉) ひらひらとあぐる扇や雲の峰 (芭蕉) ヤカモチも追和して1首。雲の峰 立ちて崩れて 病窓の 外飛ぶ鳥に 我もありたく (鳥家持) 昼食は、冷やし中華、冷麺でしたが、3分の2程度を食べてギブアップ。 胃のサイズが小さくなってしまったのか。 入院中の激痩せで、若い頃に履いていたジーパン、お尻の下あたりでストップ、それ以上はあがらず腰まで到達できなかったジーパンが、楽々と履けてしまうという、嬉しい側面も。 まあ、それは今まで使っていた多くのズボンがサイズオーバーでダボダボ、履けなくなるということでもあるから、手放しで喜ぶべきことではないか。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・024若草 読書会関係はコチラ。
2025.08.23
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昨日(8/21)午前9時50分退院しました。 気になっているのは血圧が低すぎること。 退院直前の朝の血圧測定では、91であった。 病院備え付きの呼び出し電話で枚岡タクシーに電話、「10分ほどで参ります。」との返答。 ヤカモチより先に一人のご婦人が同じく呼び出し電話をかけて居られましたが、なかなかつながらなかったようで、後ろで待っているヤカモチに気を使われたのか、電話を譲ってくださいました。 でヤカモチがかけると直ぐに応答があり、上のような返答になった次第。 同じタクシー会社に電話していたようなのに、彼女には申し訳ないことになりました。 待つこと10分ほどでタクシーが迎えに。(2025年8月21日午前10時6分撮影 退院のタクシー車内から) はい、娑婆に出て、ヤカモチが初めて撮ったのがこの写真です。 帰宅してから、スグに血圧を測ってみたが、115とまずまずの数値で安心する。 しかし、午後5時前後に2回測定したところ1回目が100、2回目が97とちょっと怪しい状態。 高血圧症ということで、血圧降下剤(エンレスト錠とアムロジン錠)を服用していたが、毎朝の最高血圧が120以上となった場合を別として、当面これを服用停止とすることに。 昼食はヤカモチの要望で冷やし素麺にして貰った。初めて「美味しい」と感じる食事になりました。 しかし、夕飯は、冷や奴と煮豆とヒジキとみそ汁に少なめのご飯であったが、豆腐は半分位でギブアップ、みそ汁は全部飲み干したが、煮豆は二口程度、ヒジキは手を付けず、病院食と余り変わらない状態で終わりました。 夕食後の吐き気をこらえつつ、ブログ記事の下書きを書いています。 8月21日夜10時過ぎ、就寝。 そして、一夜明けての今日。正確には未だ明けてはいなかったが。 8月22日午前4時32分起床。 入院生活時代の体内時計のままのようで、まだ暗い午前4時32分に目が覚めてしまいました。小用を済ませ、部屋の照明を点け、さて何をするかと考え、PCでブログを開いてみると、小万知さんからのコメントが入っていることに気付く。彼女へのコメントを書いているうちに夜が明けて来ました。 我が家は生駒山西麓の斜面に立地している昔からの集落の中にある。 南側隣地約100坪、西側隣地約100坪、道路を挟んで北側隣地約100坪が旧来からの家屋が取り壊されて空き地になっていた時期が一時的にあり、西側の眺望も含め、とても眺めのよい状況に立ち至ったことがありました。 しかし、先ず西側に3階建てのアパートが建ち、西側の眺望が遮断、次に南側隣地、続いて北側隣地が、業者による建売住宅の建設が行われ、すっかり回りが建て込んでしまうという、まあ、普通の状態になり、眺望は殆ど望めないという次第。(ベランダから見える裏山) 手前の青瓦屋根の建物は、我が家の付属建物(離れ)であり、右隣は南側隣家の建物屋根であるが、これらがベランダからの東側眺望を遮っている。 元々、東側は道路を挟んで建物が東に向かって建ち並んでいたので、これら付属建物がなくとも、東側の眺望は遮られていたことになる。 生駒山系の裏山が辛うじてその稜線を見せているに過ぎない。(ベランダから南南西方向、建物の隙間越しに見える遠景) 南側建物と南西側建物との間に少しの空隙があり、その空隙を通して、遠くの景色が少しだけ望めるのであるが、ズームで撮影してみても建物の識別も困難な眺めであります。 毎朝と就寝前に各2回血圧を測り、それを血圧手帳に記録するということを、循環器内科を受診するようになってからのヤカモチの日課となっているのであるが、入院中は当然にそれらは中断する。 ということで、退院した昨日の夜から、またその記録を再開している。 今朝、8月22日朝の血圧は2回測定の平均値で、最高血圧が122、最低血圧が63、まずまずの状態。昨夜のそれは、最高99.5、最低57で、低血圧状態であったから、それを脱したことになるか。 しかし、低血圧状態に陥るのは辛いので、降圧剤服用はまだ開始しないこととする。 朝食は、紅茶オーレ、バタートースト、ハム4切れ、梨半個分(4切れ)のみ。 梨は完食するも、トーストは八分目位、ハムは1枚を残し、ギブアップでした。ある程度食べると、味覚が変化するのか、脳がストップ信号を出すのでもあるか、急に拒絶反応が生じるのである。紅茶半分が残っている状態で朝食を終了とし、その紅茶で、ニュベクオ、プレドニン、アボルブカプセル、ユリーフODなどの癌関係の薬、トラムセットなど痛み止めの薬ほか朝食後服用の薬を呑む。 入院中は、看護師さんが管理してくれていて、その都度、病室に届けてくれていたので、楽チンであったが、自宅療養となると自己管理、薬も多いので、結構大変である。 何だか軽い頭痛があって風邪の引き始めのような感じがしたので、体温を測ってみたが、36.1度で平熱。 胃の調子が悪い時は太田胃散、ということで、朝食後は最後に太田胃散も服用しました。 食欲が正常に復するのはいつのことになるのか。 昨年の暮れ頃からずっと胃の不快感は続いているのだが、胃カメラ検査でも異常は認められないというのが消化器内科の診断。不快症状は解決しないまま今日に至っている。 頭がぼんやりしてものが考えられない。眠いようでもあるこの朦朧とした状態、気分は、大伴家持の歌をして朦朧体の歌と呼ばれたりもするのであれば、偐家持のこれも亦、普通の状態と言えるのかもしれないが、困ったものである。抗がん剤 痛み止めとが 入り混じり 僕の頭を 暗くしている (ランボー・ヤカモチ) これも抗がん剤による副作用であるか。 午前10時35分、MTB(マウンテンバイク)のチェーンロックがキーを差し込んでも外れないことに以前から気付いていたので、そのチェーンを断裁すべく、ペンチなどで挑んだが、なかなか切れない。針金の束の幾らかが切断されたものの半分以上の針金はつながったまま。途中でギブアップ。 南側の庭のロッカーから切断用の道具を取り出し、東側の通路に置かれているMTBの場所まで西側通路、北側の庭を経て家の周囲半周を2回往復するなどを含み、ペンチでの切断作業など、退院後ヤカモチが行った最初の「力仕事」でありましたが、これもリハビリと考えれば無意味ではないか(笑)。 まあ、どうであれ、チェーンロックを切断しない限り、MTBを持ち出せないし、これに乗って新しいチェーンロックを買いに行くこともできないのであるから、何としても切断を成功させなければならないのである。 銀輪散歩は、CB(クロスバイク)の方のチェーンロックに異常はないので、CBで行うことが可能。従って、銀輪散歩について当面困るということはない。 さて、昼食の時間。今日の昼食は、ヤカモチの希望で、昨日に続き冷やし素麺にして貰った。薬味の生姜の風味がいいのか、その冷たさがいいのか、今日も美味しくいただけました。 手探りで、抵抗なく食べることが出来る料理、食材を見つけるしかない、「吐き気ヤカモチ」の日々の食事ということになる。 病院食でも、きつねうどんが出た時はぺろりと完食できたので、ひょっとすると麺類ならいけるのかもしれない。 予定では、今日は枚岡神社か枚岡梅林まで散歩に出掛け、そこで何某かの写真を撮って、「近隣散歩」カテゴリの記事にしようという心づもりであったのだが、心と身体と気力は裏腹、外に出てみると暑いので、結局出かけず仕舞い。既に午後4時になっている。 そんなことで、今日も亦、カテゴリ未分類で記事アップとします。
2025.08.22
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退院が決まりました。 正午頃に主治医の先生が来られ、数値から見て大丈夫だろうという判断。 21日か22日、なるべく早くということで、事務局に言って置くとのこと。(2025年8月20日12時6分撮影 生駒山と病院と空) はい、好い天気になりました。 それはそれとして8月20日の昼食から記事を始めます。 粥は三口ほど食べただけ。メインのおかず「肉野菜炒め」は肉片をふた切れ食べただけ。小鉢は、「カリフラワーの卵あんかけ」と「オクラのとろとろ和え」であったが、これらも一口だけ。どれも味が薄くて食える代物ではない。 牛乳は留保。後刻飲むこととします。 さて、それに先立ち、退院は21日か22日ということで、家内に電話し、洗濯物など入院中のあれこれ、退院時、ヤカモチ一人では運びきれないと思われる分の荷物を引き取りに来てくれるよう要請。 午前9時54分、家内から病院に到着したとの電話が入る。 渡すべき荷物をプラ袋や紙バッグに入れてエレベーターホールで待っていると、看護師さんから何処へ行くかとの質問。 事情を話すと、看護師さんは、「それは私が持ってゆくので、患者さんは部屋で待っていてください。奥様には、ガードマンさんの処まで行くようにお伝えください。」とのこと。家内に電話するが、彼女のスマホがマナーモードになっているのか、何度かけても出る気配なし。 仕方がないので、ヤカモチも看護師さんと一緒に2階連絡通路のガードマンさんの場所まで行く。 そこで、2階連絡通路の椅子に坐っている家内の姿が見えたので、手で合図、彼女もそれに気付き、手を挙げたので、「あの手を挙げている女性に荷物を渡してくれ」と看護師さんに依頼。無事、余分な荷物の受け渡しが完了しました。 12時20分、看護師さんがやって来られ、退院は21日or22日どちらにするかの確認でした。 「21日にします。」即答です。 かくて、今日8月21日午前中の退院と正式決定です。 退院が決定した時には掲載しようと思っていた写真がこれです。(ダイヤモンドホスピタル) この写真は、8月16日午前6時8分に撮影したものでありますが、お世話になった、主治医の先生や看護師さん、その他の職員さんなど病院の皆さんへの感謝の気持ちを表明し、今後の通院治療についてもお世話になりますが、「よろしく」という気持ちも込めたつもりです(笑)。 午後1時50分、軟便のお通じあり。下痢までは行かないが、下腹に下痢の前兆のような痛みがありました。 午後2時半頃、体温、血圧測定の看護師さんが病室へ。 体温は37.3度の微熱状態。最高血圧は103で100を上回っていたので、ひとまずは安心です。(2025年8月20日午後2時43分撮影 生駒山と病院と空) 空の色もどんどんよくなっていますな。雲ひとつ なき青空に 明日こそは 飛ばむとぞ思ふ 勘太郎さんも (烏家持) 因みに、午後3時20分現在の体重は54.9kgです。また減少です。 午後5時35分、夕食が届く。 主食の粥は三口ほどでギブアップ。 メインのおかず、魚の照り焼きは、魚の身9割方を完食、添えてあったブロッコリーも1個食べました。魚が苦手のヤカモチとしては、これは上々の出来であります。 小鉢の「高野豆腐の煮物」は完食、「小松菜の和え物」は手をつけず。栄養upのヨーグルトも飽きたので手をつけず。 午後5時49分、夕食後服用の薬が届く。即、服用です。 午後6時10分、体温、血圧測定の看護師さん。 体温は何度とも聞かなかったが、平熱とのこと。酸素飽和度は94。 しかし、血圧は97で、再び100を下回ってしまいました。 そんなこともあってか、身体がだるく、フワフワした感じで、だるいと言うか、かったるい。 ベッドに横になって、阪神vs中日戦のTV中継を見ているが、阪神が負けていて意気が上がらない。 午後8時47分、看護師さんがタリージェ錠を届けてくださり、これを服用。もう、いつ眠ってもいい状況であるが、もう少し野球中継を見ていることにしよう。 結局、阪神の負け。 午後9時21分、就寝。 8月21日午前3時23分、尿意で目覚める。 6時間眠ったことになるから、このような時間に目が覚めるのも当然か。 いよいよ、退院の日の朝である。 先ず、パジャマから、Tシャツ、ジーンズに着替えることにする。 すると、ジーンズにベルトを通して履いてみると、ベルトの穴が入院前のそれよりも三つも先の穴で丁度なくらいにウェストが細くなっているのでした。この先、ベルトの穴はありません。 ウェストポーチもそれに合わせて装着ベルトを絞り込む。 セーフティボックスから貴重品を取り出し、ウェストポーチにこれを移し入れる。 歯を磨き、顔を洗い、髭を剃り、諸々の小物をポリ袋に入れて、ペーパーバッグに詰め込む。 朝食は7時半頃に来るのだろうが、バナナが1本とハッピーターンが1個、ブラックコーヒーが缶半分あるので、朝食は要らない位だ。 このノートパソコンは、最後にザックに入れることになるが、この後の退院の手順は次の通りである。 朝食が終わった頃に食後の薬が届き、それを服用。 事務局の会計窓口が開く頃に、ナースセンターの看護師さん経由で、入院治療費の計算書が届く。 それを持って1階の会計窓口に行き、支払いを済ませる。 支払いが済んだことを示す書類を、5階のナースセンターに呈示し、診察券を返して貰う。 以上で、言わば入院病棟のチェックアウト完了ということになる。 向こう何日間かの薬を受け取り、一般病棟に移動。 病院備え付けのタクシー呼び出し電話でタクシーを呼び、これに乗って自宅へ、という寸法である。(2025年8月21日午前4時56分撮影 生駒山の夜明け)白みゆく 山の端見つつ 退院の 時を待つのも いと嬉しかり (偐家持)<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。
2025.08.21
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8月19日午前10時から12時まで、男性の入浴時間となっている旨の知らせがあり、どうしますかとの話。勿論、「入ります」の返答である。 着替えのパジャマは自前のものにするのでと伝えると、フェイスタオル2枚とバスタオル1枚を病室までお持ちくださいました。 9時50分に8階へと向かう。お風呂は8階にある。 少し早いかと、同じく8階にある展望室に立ち寄り、病院の西側方向の眺めを撮影してみた。(2025年8月19日午前9時52分撮影 西方向の眺め) 我が病室からは東方向の生駒山の眺めばかりなので、反対方向の西側の眺めは新鮮である。 この展望室は手術や検査などで時間を要する場合の、付き添いの家族の待機場所としても使われているようで、窓に向かって、テーブルと椅子がズラリと設置されている。 まだ10時にはなっていなかったが、昨日の例もあるので、お風呂場に向かうと、受付の方が「もう入れます」とのこと。ヤカモチの一番乗り。 髪も洗い、身体も洗い、脱衣場に戻ったところで、2番手、3番手のお方が入って来られました。 部屋に戻ると10時16分。 午前10時半頃、お昼の体温・血圧測定に看護師さんが来られたので、何やら身体がフワフワする感じで、血圧が下がっている気がする旨告げて、測定して貰うと、最高血圧87になっていたという次第。 体温は37度、酸素飽和度は96~97でした。 なお、書き忘れていましたが、8/19朝の抜け毛は、枕元に6本。まだ副作用の脱毛は始まっていないようです(笑)。 午前11時35分、昼食がやって来ました。 粥とメインのおかずが「牛肉のキノコソース」。小鉢が2個ついていて、「白菜の中華炒め」と「胡瓜のサラダ」。プラス牛乳。 食欲はまるでなく、牛肉のキノコソースは一口でギブアップ。 「白菜の中華炒め」も一口だけ。 「胡瓜のサラダ」は酢の味付けだったので、三口ばかり食し、主食の粥は、下の売店で買い求めた「ハッピーターン」(亀田製菓)を2個放り込んで、その塩味と香りで、6分目位は食べたかと思う。 牛乳は保留。保留が続き、病室の冷蔵庫には現在4本の牛乳が在庫されている状況である。 こんな状態なので、体重は減る一方。先ほどナースセンター脇に置かれている体重計で測定してみると、55.2kgになっていました。 即ち、8月19日正午現在の体重は55.2kgということでありました。 入院して15kg近く痩せたことになる。 午後2時前後、「明朝8/20血液検査を行います。」という念願の「お知らせ札」を看護師さんがお持ちくださいました。(明朝8月20日血液検査を行います。) 午後2時24分。留保・冷蔵庫保管の牛乳が4本にもなったので、マグカップに移して、これを飲む。 明朝の血液検査に備えて、泥縄式体力補強であります(笑)。 この日は痛みも余り感じなくて、20日または21日の退院に備えているようでもあります。 午後5時半過ぎに夕食が届く。 粥は、液体に近いので噛む必要もないことから、食欲不振でもお腹に収め易いかと、管理栄養士さんとの話で、ご飯から粥に変更してもらったのだが、さすがに朝昼晩ずっと粥というのは飽きて来る。朝だけでもパンに戻して欲しいが、退院間近なので、要望は出さないことに。 で、今日のメインのおかず、「白身魚のムニエル」は添えてあったカボチャふた切れを食べただけでパス。小鉢の「ラタトゥイュー」と「大根サラダ」については、一口食べただけ。 粥は添えてあった「のり佃煮」と自前の「ハッピーターン」2個を放り込んで、それらで食べることのできる範囲、ほぼ半分を食べただけ。 栄養補給のヨーグルトも飽きて来たのでふた口食べただけ。 相変わらず食欲がない。 体重がまた減少するのだろう。一日も早く退院することが、体力回復には不可欠と考えるヤカモチさんであります(笑)。(2025年8月19日午後6時9分撮影 枚岡梅林の上の展望所) さて、例によってズーム撮影です。 今回は、枚岡梅林から神津岳(枚岡神社創始の場所)に到る途中にある展望所にフォーカスしてみました。 正式な名前は知らないが、枚岡展望所とでもいうのだろうか。 下掲は同じ写真をトリミングし拡大した写真です。(同上拡大写真) この展望所も、府民の森や生駒山に登る途上にある休憩展望所で、かつてはよく歩いたヤカモチの散歩コースでもありました。 午後6時14分、食後服用の薬が届く。 この2日間の血圧低下の状況から、ドクターと相談の上、血圧降下剤であるエンレスト錠、アムロジン錠はしばらく服用中止にしたとのこと。 ヤカモチもそれがいいと思いますな(笑)。 午後7時、夕食後の体温、血圧測定の看護師さんが病室に。 体温は37.2度で本人の自覚はないが、微熱状態。これは、ながらく病室のクーラーをOFFにしていた所為かもしれない。 クーラーをONに変更する。 血圧は、最高血圧が89とか87とかと仰っていたので、その後血圧が回復していなかったことになる。 看護師さんは、夜もう一度測りに来ますと言って去って行かれました。 午後7時38分、下腹が痛くなり、下痢のサイン。 トイレに駆け込むと、オナラだけではなく、下痢気味の便通があり、先ずはめでたしであります。 夜9時8分、寝る前服用の痛み止めタリージェ錠を看護師さんが、お持ちくださって、ついでに血圧も測定して貰いましたが、最高血圧は99、まだ少し低血圧ですが、午後7時のそれよりは高くなっているので大丈夫だろうと思う。 夜9時50分、阪神タイガースが中日ドラゴンズに勝利したのを見届けて、気持ちよく、就寝です。 8月20日午前1時ジャスト、下腹のしこるような痛みで目が覚める。 下痢であるかと、トイレに駆け込むも、出たのはオナラだけ。3~4分粘りましたが、オナラ以外に出る気配なく、腹痛も収まったので、ベッドへ。 しかし、真夜中に目覚めるという、このところのヤカモチの体内時計のシステム異常により、目覚めるとなかなか寝付けないという状況が続きます。 そういう時は、ブログの下書きでもするのが一番と。ブログ管理ページを開きます。 よって、入院生活に入ってからの方が、記事アップ回数が大きく増加しています。 本家の大伴家持も病に伏すと、大伴池主などに盛んに歌を作って贈っていますから、その血を引いたのでしょうな(笑)。 深夜の下書きはここまで。午前2時15分。やはり眠ることにします。 今夜は月も見えませぬ。 そう言えば、昨夜タリージェ錠を持って来てくれた看護師さん、今日の採血は午前6時頃になると言っていました。 8月20日の朝が来た。 午前5時45分、看護師さんが部屋に入って来られたので、目が覚める。 てっきり採血かと思ったら、朝の血圧、体温測定でありました。 体温、酸素飽和度は問題なしとのことだったが、血圧が91と依然低い状態にあります。(2025年8月20日午前5時53分撮影 生駒山と病院) 今日は退院を決定すべき血液検査の日だというのに、今朝の生駒山の空も我が血圧のように朝靄にかかったような、ハッキリしないお天気である。今日こそは 退院決める 検査の日 山もや空も あきらけくあれ (偐家持)目標は 余り遠くに 置かぬもの まず目前の ことなしとげよ (偐家持) 午前6時58分、ようやく採血の看護師さんが来られました。 採血終了は午前7時2分。アトは頼んだぞ、の心境であります。 午前7時半頃、朝食が届きました。 粥とねり梅、きのこの卵焼、白菜のみそ汁、バナナ、牛乳がその内容。 粥は八分目位まで、卵焼とみそ汁は完食。バナナは昨日の食べ残しがあったので、それを食べ、牛乳は飲まずに返品(冷蔵庫にはこれまでのものが3本も保管されている。何れも賞味期限は3月24日)したが、ヤカモチとしては、しっかり食べた方である。その所為でもあるか、少し吐き気がして気持ちが悪い。 そして、朝食後の薬を午前8時過ぎに服用。 退院決定の断がいつ下されるのか知らないが、それを待ちつつ、以上でひとまず記事アップとします。<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。
2025.08.20
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8月18午前7時半朝食。 朝食後の薬を服用するも、痛みは依然として継続している。 但し、我慢できない痛みはごく希で、多くは我慢できるレベル。 朝8時半、お風呂に入れますよ、という案内と共に、着替えの寝間着とバスタオル、フェイスタオルを病室に持って来て下さいました。 今日は、男性の入浴日だそうで、午後2時から4時の時間帯で8階にあるお風呂(大浴場)に入れるとのこと。 午前9時頃の朝の血圧測定では、最高血圧90、最低血圧61と低い数値。 体温は36.6度、酸素飽和度は98で問題なし。 最高血圧が110を切ったら、アムロジンの服用を中止するという形で、コントロールして貰っているのだが、昨夜の最高血圧が110であったことから、朝の食後にアムロジンを服用した所為かもしれない。 アトでもう一度測定に来ると言って帰られた看護師さんが、昼前に来られて再度測定すると、最高血圧は80まで、更に下がっていました。 午後からの今日のお風呂は入らない方がいいのではないかというアドバイスを貰ったが、もうその気になっているヤカモチさんの気持ちを覆すことは、何人と雖もできない(笑)。 折衷案として、浴槽には浸からず、シャワーだけにするということで手を打ちました。 午前11時45分、昼食が来る。 しかし、食欲は全くない。 ポテトとハムのサラダはポテトを3切れほど食べ残したが、ほぼ完食。 しかし、メインの麻婆豆腐は一口だけ。辛みのない麻婆は気持ち悪い。 キノコと野菜の炒め物も一口だけ。 主食の粥は三口位か。 デザートの蜜柑は缶詰のもの。食える味ではない。 牛乳は、保留。冷蔵庫に保管し、後刻飲むことにする。(2025年8月18日12時6分撮影 生駒山) 前頁で紹介した重願寺は、写真中央奥、〇で囲んだ場所にあります。 午後2時を待ちかねたように風呂へ。未だ2時になっていなかったが、受付の看護師さんが、もう入れますとのこと。 先客は1名。ヤカモチは2番手でした。髪を洗っている頃には、3~4人の方が入って来られました。 入浴時間は30分以内というのがルール。 入浴を終えて部屋に戻ると午後2時27分。30分ルールは余裕でクリアでした。但し、風呂上がり直後は目眩がし、身体がふらつく感じ。多少の息苦しさもあったので、ナースコール、先ほどの看護師さんに再度血圧を測定した貰った。最高血圧は112だったか、110を超えていたので、一応、安心。 お風呂に入った所為でもあるか、午後2時47分に便通がありました。 午後3時50分、主治医の先生が病室に来られ、次の血液検査は20日であるが、その数値がよければ退院してもいい、という話。 ようやく、退院の目途がつきそうです。いい話です。 午後7時40分頃に夕食が来た。 しかし、食欲は全くなし。 粥は二口程度。メインの魚には手をつけず。 小鉢が二つあったが、これもパス。 ヨーグルトは80%食す。 ということで殆ど食べていないのと同じ。 夕食後に服用すべき薬は次のようなもの。 午後8時過ぎ、これを服用。(夕食後服用の薬) そして、寝る前に呑む薬がこれ。 電気を消して少しうつらうつらしていたが、タリージェを呑んでいないことに気付き、午後9時8分にこれを服用。(寝る前に服用の薬) では、本格的に就寝態勢に入ります。午後9時14分就寝。 8月19日午前3時22分目が覚める 小用を済ませ、月を撮影。(2025年8月19日午前8時25分撮影 月<月齢25.4>) なお、記載の月齢は、下弦の月(半月)の月齢(満月15夜と新月<月齢30>との中間値)を22.5とし、毎日これに360/365=0.99を加えて便宜的に算出したもので、正確なものではありません。退院の その日まちつつ 東天の 月に眉引き 思ほゆるかも (偐家持)(本歌)振ふり放さけて 若月みかづき見れば 一目見し 人の眉引まよびき 思ほゆるかも (大伴家持 万葉集巻6-994) 写真の背景を編集して、遊んでみました。(同上) 午前4時13分、もうひと眠りするか。少し頭痛。 午前5時20分、朝の体温、血圧など測定で看護師さんに起こされる。 体温36.6度、血圧110~60、酸素飽和度94でした。 午前7時、お茶の交換。食事前には毎回マグカップ1杯のお茶を新しいものと入れ替えてくれる。 午前7時27分、朝食がやって来ました。 粥は、鯛みそと前回使わなかった芽株みその助けとハピーターン(亀田製菓)2個を放り込んで、完食。 味噌汁も完食。五彩ハンバーグなるものは一口でパス。 デザートの西瓜は完食。 久しぶりに「よく食べた」ヤカモチさんでありました。 次に来るのは朝食後服用の薬であるが、未だ届かない。 午前7時48分薬到着。(朝食後服用の薬) はい、呑みました。 何やら身体がだるい感じ。副作用に倦怠感というのもあったかと思うので、これも副作用なのかも。 以上で記事アップします。<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。<追記:2025.8.21.20:03>月齢25.4の記載が脱落していたので、追記しました。
2025.08.19
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8月17日午後8時頃、胃が焼けるような痛みに。その旨を看護師さんに伝えると、胃薬だという薬を1錠持って来られた。 こんなので効くのかなと思いつつ、ともかく服用。 余り、効いている感じはなかったが、何とか我慢できるレベルまでは痛みが軽減したのだから効いているということなんだろう。 同午後8時55分就寝。 同午後9時15分、看護師さん病室に。寝る前服用のタリージェ錠で、寝入りばなを起こされる。半分寝ぼけながら薬を呑む。 8月18日午前0時31分目が覚める。どうやら0時半前後に目が覚めるというのが最近のヤカモチの体内時計のようである。 目覚めついでに、月を撮影。(2025年8月18日午前0時31分撮影 月<月齢24.4>) 次に起こされたのは、午前1時半頃。 瞬間、採血だと気づいたので、「おはようございます。」と看護師さんに答えたものの、採血が終わって時計を見たら、午前1時36分。 明朝と言っても午前1時半はいくらなんでも早過ぎるだろう。 まあ、点滴ポールに吊り下げられた告知札には、「血液検査を行います」とあるので、採血をいつ行うかは記されていない。血液検査の前に採血しなければならないから、明朝より早く行うということになる。してみれば、文脈上は午前1時半でもいいことにはなる。 次に目覚めたのは午前3時38分。 下腹に痛みが走り、明らかに下痢の信号。 トイレに駆け込むが、出たのはオナラだけ。 かなり粘ったが、下腹の痛みも収まり、下痢が始まる兆しもない。 すっかり、目が覚めてしまったので、ブログ記事の下書きを始める。 窓外に目をやると、外はまだ暗いのであるが、午前4時ともなると生駒山の稜線がうっすらと空に浮かび始めているのである。 昨日の昼食で飲まなかった牛乳が冷蔵庫に残されたままとなっていたので、これをマグカップに注いで、窓外の白みゆく景色を眺めることに。♪朝風静かに吹きて、小鳥も目覚むる頃・・(2025年8月18日午前5時5分撮影 生駒山)(重願寺遠望) 枚岡公園の北側にある重願寺が病室の窓から遠望できることに気付き、カメラを向けたみた。肉眼では確信が持てなかったが、ズーム撮影した画像からは、間違いなく重願寺である。 重願寺は、三社めぐりなどのコース上にあり、かつてはヤカモチの散歩コースに当たっていたものだが、腰痛になってからはとんとご無沙汰である。<参考>重願寺については下記記事参照 わが待つ秋の近づくらしも 2010.7.27. 初詣2011 2011.1.3. 2020年三社めぐり 2020.1.2. 書き忘れていました。 今朝の脱毛は、枕元に髪の毛11本でした。<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。
2025.08.18
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8月16日 9時半か10時頃に就寝。 いつも寝る前に服用の痛み止め薬、タリージェOD錠5mg・1錠を夜9時前後に看護師さんが病室まで持って来て下さるので、それを呑んで眠りにつくのが、日課。 この日は、9時20分を過ぎても薬が届かないので、ナースコールをして催促。夜勤体制は看護師さんも人数不足、色々とお忙しいのだから、こういうこともあるのだろう。 そして目が覚めたのが17日午前0時10分。 この夜も生駒山に月が出たばかり。1枚撮影。(2025年8月17日午前0時11分撮影 東天の月<月齢23.4夜>) 昨夜がほぼ半月(22.5夜)であったが、今宵の月の月齢は23.4夜といったところだろうか。 再び、眠る。 しかし、足首、脛、膝、腰、胸、背中、全身の関節、骨が痛い。 ロキソニンを貰おうかと考えたが、我慢することに。 ところが、そのうちに胃までがしくしくと痛み出した。これは新たな展開なので、ナースコールして、胃が痛いのですが、と訴えるも、無視されたのか、うまく伝わらなかったのか、看護師さんは現れず。 呻いているうちに胃の痛みは少し軽減して来る。 そのうちに眠ってしまったよう。 朝5時前後に起床。 例によって、枕元の髪の毛の抜け毛をチェック。6本あった。 まだ、脱毛の副作用は始まってはいないようだ。 朝の、血圧、体温、酸素飽和度測定に来られた看護師さんに、身体の痛みのことを訴えるが、間もなく朝食であり、朝食後の薬には痛み止め(トラムセット)も入っているから、それを服用した後の具合で、ロキソニンを服用するかどうかを検討したらどうかとのアドバイス。 尤もな意見なので、それに従うこととする。 今日は初めて朝食をほぼ完食した。粥は少し残したけれど。 朝食後の薬服用で、少し痛みが緩和したような気もするが、さほど変わっていないような気もして、微妙。まあ、何とか我慢できるレベルの痛みなので、特段のことはせず、やり過ごすこととする。 午前11時半、便通有り、但し下痢。 どうやら、下痢も抗がん剤投与の副作用のようだ。 昼食は殆ど手をつけず。粥七分目位を持参の梅干しで食べただけ。 別途、家内差し入れのバナナを1本食べた。(2025年8月17日午前11時56分撮影 いまそら) 昼食後、ウトウトしているうちに薬が効いてきたのか、痛みが軽減、かなり楽になりました。 午後1時半からであったか2時からであったか、NHK杯テレビ囲碁トーナメント、平田八段vs許九段の対局をTV観戦。激しい戦いの碁であったが、平田八段が中押し勝ち。アトは高校野球のTV観戦。 午後3時45分、看護師さんが病室に来られ、「明朝血液検査を行います」という札を点滴ポールにさげて行かれました。(明朝8/18血液検査を行います) この血液検査で免疫力の回復が一定水準まで進んでいれば、退院、通院治療ということになるのだが・・。 駄目なら次の検査でということになる。 午後5時半、夕食が届けられました。大根と椎茸の煮物を少々と粥を七分目位食べただけ。メインの魚介やもう一つの何かは手を付けず。ヨーグルトはほぼ完食であったが、最後は少し吐き気がしそうな感じになる。 食後の薬を服用するためにだけ、無理に食べている感じです。 午後6時、夕食後の薬を服用。 今日は日曜日とあって、救急外来を除き医局も薬局も事務局もお休み。 入院病棟1階の売店は日曜日にもかかわらず、オープンしていたのは意外でありました。よきことは 朝食完食 明朝の 血液検査 結果もよかれと (吉事家持)<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。
2025.08.17
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8月6日再入院から10日目になりました。 昨日(8/15)から、腰背面から膝にかけてダル痛いような鈍い痛みと針でチクチク刺されるような鋭い痛みとが入り混じって、絶えずズキズキする感じが続いている。 そんなことで、足の筋力を鍛えるべしで14日から開始した「院内徘徊」作戦であったが、2日目にして早くも挫折、作戦中止となってしまった。 14時50分、ちょっと我慢できなくなったのとこれ以上痛みが強くなってはという不安もあって、ナースコールして、ロキソニン錠と胃薬を貰って服用。 痛みは引かないが、ベッドに横になっていれば少しは楽、耐えるだけ。 夕刻になる前に、主治医の先生が病室に来られ、退院への道筋についての説明あり。「免疫力低下」が一番の判断基準。抗がん剤治療により免疫力低下の副作用が現れるが、これは低下した後、回復へと向かう。その回復の具合、程度を見ての判断になるというもの。 8月16日午前0時36分に目覚める。 目覚めた時はもう3~4時位かと思い、時計を見ると未だ日付が変わったばかりの午前0時半。なんだか訳もなくがっかりした気分になるから不思議である。 少し汗をかいたようなので、自前のパジャマに着替える。(2025年8月16日午前0時46分撮影 半月) 東の空に半月。この形だけを見ると、弦は弧の上にあるから上弦の月のように見えるが、西の空に沈む前の形をもって、上弦、下弦と名付けているので、これは下弦の月であります。 目覚めついでに、PCを開いてブログ管理ページを見てみると、古い記事に「クレヨンしんちゃん電子辞書」と名乗るお方からの万葉歌についてのコメントが入っていることに気付く。 早速、返事コメントを書く。 そして、再び眠りに。 16日朝、目覚めて、脱毛の具合はとチェックすると、枕元に抜け毛が5本のみ。副作用としての脱毛は数日~数週間内で発現と説明書に書いてあるから、ヤカモチの場合は、8月17日~9月13日頃ということになるか。 朝起きて、枕元がごっそり抜けた毛髪でいっぱいという光景はノーサンキューなので、就寝時にヘアーキャップをするタイミングを見計らっている次第。明日あたりから着用を始めるか。 「治療開始後3~4週間でほとんどの患者さんは髪の毛が抜けてしまいます。」と書かれているので、これは時間の問題。 我が足の浮腫(むくみ)は、治療開始後3日目にして早くも現れている。 説明書では、「数週間~数ヶ月で現れる。」と書かれている副作用に分類されているから、ヤカモチのこれは別の原因によるのかもしれない。(2025年8月16日午後2時34分撮影 生駒山と雲)(2025年8月16日午後4時23分撮影 生駒山と雲)(2025年8月16日午後6時21分撮影 生駒山の夕暮れ)何とても よきこともなく 日は暮れて 節々痛みは 突っつき回る (痛家持)<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。
2025.08.16
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昨日(8月14日)午後1時半頃、急にかき曇り、雷鳴がとどろき渡り、雨がパラパラと降り出した。 生駒山は雲の中なのか、まったく見えなくなった。(生駒山はいづく)生駒嶺いこまねは いづくにありや 雷いかづちの 音もとどろに 嵐かも疾とき (偐家持) しかし、僅か20分ほどで次のような景色に変貌。(生駒山は此処に) 推察するに、雨雲が西から東へ、即ち大阪湾側から生駒山方向に通り過ぎ、奈良県側に走り抜けたのかもしれない。夕立ちである。 或いは、南から北へとこの夕立が走り抜けたとも考えられるが、外に出て風向きを確認するすべもないヤカモチには何れとも判断できない。 ヤカモチを含め、この地の人は、この夕立の雲に一時的に包み込まれたということなんだろう。 さて、昨日の午後3時頃に5階の病室を抜け出し、階段を使って1階の自販機のある場所まで、水と珈琲を買い求めるべしで往復してみた。 往復僅か429歩であったが、さすがに5階まで上ると息が切れる。 ハアーハアーいいながらマイ病室に戻りました。 そして、午後6時少し前、夕食を済ませたアト、再び5階病室を出て、1階まで往復してみました。今度はスマホの万歩計は550歩とカウントしました。1階部分で少し歩きまわったこと、2階部分で一般病棟(外来病棟)へとつながる連絡廊下の位置を確認するために歩いたことなどで、前回より少し歩数が多くカウントされたのかもしれない。 これは、ブロ友の「龍の森氏」のアドバイスに従って、早速実践している「院内徘徊」であります(笑)。 娑婆世界の方では、一昨日(8月13日)夜、大阪メトロ中央線が停電で動かなくなり、夢洲の万博会場では多数の帰宅困難者が発生、「万泊会場」となり果てたようで、昨日のTVでは、その話題で色々と賑わしいことでした。 ヤカモチさんの副作用の方はどんな具合かと言うと、ご覧のように足首から足にかけて浮腫(むくみ)が発生しています。(足の浮腫・両足) むくみ具合は、右足より、左足の方が顕著のようです。 汚い足で申し訳ございません。(足の浮腫・左足) 全館消灯時刻の夜9時前後に、寝る前服用の薬、タリージェ錠を看護師さんが病室にお持ち下さるので、それを服用して就寝するというのが毎日のならい。 まあ、個室なので、消灯時刻の厳守は緩やかなもので、10時を過ぎて照明を点けていても文句を言われない。 ただ、廊下側に室内の照明が漏れるのは気を使うので、夜更かしなどするときは、室内照明・トイレの照明は消し、入口前の仕切りカーテンを閉めて、洗面台の照明だけを点けることにしている。これで室内の灯りとしては十分な明るさであり、ノートPCを開いてブログ記事の下書きをしたりすることもできるという次第。 昨夜もそのパターンで9時半頃に就寝したのであるが、足のむくみ対策として、ベッドの足側だけを高くして眠れば、リンパの流れが重力によって足首から逆方向に流れて、むくみが軽減するのではないかと考え、そうしたのだが、慣れない姿勢のためなかなか寝付けない。 そうこうしているうちに、下腹が少ししこるような感じの痛みとなったので、これは下痢の兆候だろうと、トイレに入る。午後10時30分前後のことである。 なかなか下痢は始まらなかったが、暫くすると軟便風から下痢風の便が間隔を置いて波のように押し寄せ、結局1時間ほどトイレに籠りっ切りとなった次第で、ようやく出尽くした感じがあって、トイレを出てベッドに戻ったのは午後11時半前後。 これで、安心して眠れるとベッドに入ったものの、やはり足を高くした姿勢では眠れない。結局、日付が変わって15日、午前0時半頃には足部分の高さを元の高さに戻すのであるが、寝付けぬままが続くとタイミングを失するのか、午前1時半を過ぎても眠れない。 これでは駄目と意を決して起きてしまうこととし、洗面台の照明だけを点けて、PCを開き、書きかけのブログ記事下書きの加筆・編集を始めたのでありました。 そして、今日(8月15日)は早朝に血液検査をするということで、採血が予定されているのだが・・・。(血液検査を行います。) まあ、それまで起きてはいられないでしょうから、何処かの時点で眠らなくてはならない。 現在、午前2時28分。ひとまず以上までを下書き保存して、就寝態勢に入ることとします。 「採血ですよ。」採血に来られた看護師さんに起こされる。 スグに起きて、マスクを着用。採血(3本)終了したのが午前4時01分。 聞きしにまさる早朝でありました(笑)。 まだ外は暗い。 生駒の「山ぎは少し明りて」となるにはアト30分余はかかるだろう。 足のむくみ(浮腫)や如何に、と見てみたが、昨日と変わりなくボッテリトとした様なるは、いと「をかし」くはありませんな(笑)。 脱毛の副作用はどうかと、枕元の髪の毛を調べてみると、4本が抜け落ちていただけ。拾ってゴミ箱に捨てる。どうやらまだ脱毛の副反応は始まっていないようなので、就寝時のヘアキャップ着用はまだ不必要かも。 午前4時27分。もうひと眠りします。 しかし、いったん起きてしまうとなかなか眠れないもの。 自前のパジャマ上下、パンツを脱いで素っ裸になって、濡れ紙タオルで全身を拭う。これが入浴の代わりである。そして、病院側の有料サービスとして病室に用意していただいた寝間着に着替える。 当初三日間は風呂付の部屋に入っていたので、8日まではシャワーで全身を洗い(ボディソープ)、髪の毛もシャンプーすることができたのであったが、9日以降は髪も洗えていない。 病室を出て、廊下を左に行くと自身で頭髪をシャンプーすることができる場所があると聞いている。 今日こそは、そこでシャンプーしてみよう。(2025年8月15日午前4時52分撮影 生駒山)夏もあけぼの やうやう白くなりゆく 山ぎは少し明りて 紫だちたる雲の 細くたなびきたる・・・(真っ黒の草子または根暗草子) はい、念願のシャンプーを先ほどしてまいりました。 只今、5時55分。サッパリした気分です。 そして、今日は家内がパジャマの着替えを持って来てくれることになっているので、ついでに、病院の道路向かいにあるスーパーでバナナと蜜柑を少しばかり買って来て貰うこととしよう。 依然として食欲不振であるが、果物は抵抗なく食べられる。<参考>フォト蔵アルバム・入院関連の写真はコチラ。
2025.08.15
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真夜中(14日午前0時38分)目が覚めて、トイレに。 下痢である。 昨日の昼過ぎ、昼食後久しぶりに便通があり、この時はやや軟便なるも普通の便。その夕刻と夜9時頃には下痢で2回トイレに。就寝は9時半か10時頃であったかと思うので、3時間か2時間半で、下痢で目が覚めたということになるか。 午前1時過ぎ暗い窓外にカメラを向けて1枚夜景を撮影、何やら下腹にしくしくといった感じの違和感があるものの、トイレに駆け込まねばならないほどではないと認められたので、再び眠りにつくこととした。(2025年8月14日午前1時6分撮影 生駒山&病院) バス・トイレ付 応接ソファーセット、事務机&椅子、電気調理台&流しも付いているという値段の高い部屋から、空きが出たからとその半額以下の個室(トイレ付)に移って来たのが8月8日の午後4~5時頃であったかと記憶するが、こちらの部屋に移ってスグに下痢があったので、言わば下痢腹は、抗がん剤投与前から続いていたのであってみれば、これの副作用という訳ではないと思われる次第。 次に目が覚めたのは午前4時半頃。未だ部屋の中は暗い。 部屋クーラーを切ったまま眠ってしまった所為でもあるか。 ぐっしょりの寝汗で、パジャマも汗ですかっり濡れてしまっている。 すぐに起きて、洗面台の照明を点けると部屋の明かりとしては十分な感じになる。先ずトイレで小用を済ませてから、素っ裸になって、全身を「濡れ紙タオル」(これは、病院側が時折何個か入院患者に支給してくれるもので、一部使い残しを取って置いたもの)で、隈なく拭う。然る後に、新しいパンツ、新しいパジャマに着替える。快適である。 それで気が付いたのだが、足首近くから足にかけてむくみが生じていて、腫れぼったい足、足首になっている。 抗がん剤投与の副作用かもしれない。 朝5時4分、窓外の景色を撮影。(2025年8月14日午前5時4分撮影 生駒山&病院) 日の出は未だであるが、もうすっかり明るくなっていた。 朝5時20分頃、体温・血圧測定に来られた看護師さんに、昨夜の下痢のこと、今朝がたの寝汗のこと、足のむくみ(浮腫)のことを報告する。 看護師さんの話では、下痢も副作用かもしれないということでした。 体温、血圧も、酸素飽和度も問題なし、正常値である。 未だ、主治医の先生との連絡は付いていないらしく、16日退院の話は、彼には伝わっていないようなので、今日にでも連絡がつくことを祈るばかり(笑)、先の、先生との話では「副作用の状態を見て決めよう」という基本合意ができているので、16日退院に異議が出る筈がないと思われるからである。 取り敢えず、ここまでで一応記事アップします。 退院OKの許可が出ましたら、追記報告させていただきます。(2025年8月14日午前6時14分撮影 ダイヤモンド富士ならぬダイヤモンド病院) 以下、追記です。 残念ながら16日の退院は不許可となりました。 副作用の具合を見て、という認識に於いて、主治医の先生のそれとヤカモチのそれに、根本的な違いが、ズレがあったことが原因でした。 即ち、主治医の先生のそれは、副作用の具合は、「1週間以上経過しないと分からない」というもの。特に気にされている副作用が「骨髄抑制」というもの。要は、抗がん剤が健康な白血球、赤血球や血小板を攻撃しこれを破壊するとともに、骨髄でのそれらの再生産を阻害するという面もあり、免疫力が低下し、感染症のリスクが高まるという、副作用である。 これに対して、ヤカモチが認識していた「副作用の具合」というのは、点滴中のアレルギーなど点滴後2~3日程度で判定できるものというのであったのでした。 ということで、明日15日と月曜日18日か火曜日19日かの採血及びその血液検査の具合を見て、退院の可否を決定するということのようです。 「まあ、退屈でしょうが、暫く我慢ください。」という主治医先生の言葉、これに逆らうことは不可能。 従って、退院は早くても19日か20日以降ということになる。 幸い、腰の痛みは頗る軽減していて、普通に歩けるので、無理のない程度に病院内廊下、階段を「徘徊」して回ろうと思う。勿論、マスク着用で。 足の筋肉を鍛えないと本当に歩けなくなってしまうかもしれないから。
2025.08.14
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今日は抗がん剤治療を始める日。(2025年8月12日11時57分撮影 生駒山) それに先立って、朝の内に、看護師さんが何やら薬を持って来られたので、それを呑む。何の薬かと言うと、ニュベクオ錠300mg2錠とプレドニン錠5mg1錠である。ともかく呑む。今後、この薬を毎日、朝食後、夕食後に服用するとのこと。 抗がん剤投与は点滴という形でなされるようですが、その薬が当病院に届くのが、午後になるとのことで、点滴は午後3時頃から我が病室にて行うらしい。 主治医の先生との話で、痛みが随分と軽減しているので、通院治療に切り換えてもいい位だと申し上げると、抗がん剤投与の副作用の具合を見てどうするか、決めることにしようとのことで意見が一致。 ところが、午後3時を過ぎても点滴が始まる気配がない。 午後4時を少し過ぎた頃に薬剤師さんが来られて、副作用などの説明を受ける。先に看護師さんから貰って呑んだ薬が既に抗がん剤であったことも、薬剤師さんの説明で理解する。(心電図測定器装着) 点滴が終わるまでと、首から下げる形の心電図測定器が装着されました。(左:吐き気止め、右:生理食塩液)(同上) 先ず、生理食塩液の点滴が始まり、次に吐き気止めだという薬の点滴が行われる。(点滴の受け手はこんな具合) それが終わって、いよいよドセタキセルの点滴が始まる。(ドセタキセルの点滴<右側>) 点滴液のバックに貼られたシールを見ると、 生理食塩液バック「フソー」250ml 1瓶 ワンタキソテール点滴静注用80mg/4ml 80mg ワンタキソテール点滴静注用20mg/1ml 42.18mg と記されているが、素人にはよく分からない。 毎朝夕の錠剤服用がニュベクオ服用と言い、3~4週間に1回程度のドセタキセルの点滴、この二つの併用が、今回の抗がん剤治療ということになるのでありました。 副作用は色々とあるようです。 点滴中(当日)に現れるのが、アレルギー。 点滴当日から数日中に発現するのが、吐き気、嘔吐、食欲不振。 数日~数週間に発現するのが、骨髄抑制、脱毛、筋肉・関節の痛み、下痢、疲労 感(倦怠感)、口内炎、味覚の変化、発疹、皮膚 炎。 数週間~数ヶ月に発現するのが、浮腫(むくみ)、しびれ、爪の変化、涙目。 点滴中には特段の自覚症状なしです。 吐き気は元々あったので、これは今回の抗がん剤投与の副作用かどうかの判定は困難(笑)。 ここ2~3日のうちに、特段の副作用も見られなければ、通院治療に切り換えて貰うことにしようと思う。 薬剤師さんからは、ほぼすべての人に脱毛が発生すると言われたので、頭髪が全て抜けてしまうことを覚悟する必要がありそうです。
2025.08.12
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今日で再入院6日目になる。強烈な痛みに襲われての再入院であったが、昨日辺りから痛みも随分と軽減し、今の状態だと通院治療に切り換えてもいい位である。 まあ、明日の抗がん剤投与を受けての副作用の具合なども見て、この点をどうするか、主治医の先生と相談して決めようと思う。(2025年8月10日12時11分撮影 生駒山) 昨日は山の稜線もくっきりと見えていたが、今朝はご覧のように雲にすっぽり覆われて、山裾が僅かに見えるだけで、雲居の生駒山である。(2025年8月11日8時13分撮影 雲居の生駒山) この病室からは、東側の窓からの景色が見えるだけ。 大阪メトロ中央線の新石切駅が、この病院の最寄り駅ということになるが、その新石切駅が見えるかと駅方向を眺めてみたが(下掲写真)、辛うじて停車している電車の姿でそれと分かる程度である。(2025年8月11日7時5分撮影 新石切駅<〇印>方面) 新石切駅から高架線路に沿って、大阪方面<西方向>に500mほど戻ると外環状道路(国道170号)と中央大通り(国道308号)が交差する「被服団地前交差点」に出る。ここで外環状道路を南(左)に進むこと100m位で石切生喜病院ということになるが、病院からは、この新石切駅、近鉄瓢箪山駅、同東花園駅との間で無料のシャトルバスが往復運行している。 ヤカモチが通院するとなると、通常は自転車でということになり、これらの駅との間のシャトルバスは無縁であるが、雨天の場合などには、東花園駅からのシャトルバスを利用したこともある。
2025.08.11
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偐万葉・若草篇(その30) 本日の記事は、偐万葉シリーズ第343弾、偐万葉・若草篇(その30)であります。 只今入院中でありますが、病気の話ばかりではつまらない。 少し気分を変えて、偐万葉記事とします。<参考>偐万葉・若草篇の過去記事はコチラ。1.小万知に贈りて詠める歌5首ハクモクレン プリマヴェーラ!と 空高く そのよろこびを 叫ぶにあるか(注)初案「よろこびを 青空高く」を「空高く そのよろこびを」に修正。(20230314花園中央公園のハクモクレン)長門(ながと)川の 桜は見せつ わが背子に 芥子菜(からしな)小鷺(こさぎ) 鴨見て帰ろ (偐家持) (20230401長門川沿いの桜) (20230401恩智川の西洋芥子菜)若草の しじみの味噌汁 しみじみと 郎女いらつめさまの 思ひいただく (蜆家持)(本歌)住吉(すみのえ)の 粉浜(こはま)のしじみ 開(あ)けも見ず 隠(こも)りてのみや 恋ひわたりなむ (万葉集巻6-997)君結ぶ 友の輪ここに またありて 語るもうれし あれやこれやを (偐家持)我が父の どちにしあれば おほろかに すまじとぞ思(も)ふ ヤカモチわれは (偐家持)2.偐山頭火に贈りて詠める歌2首ほか偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句グラス手に 君も飲めよと 笑みたたえ (偐山頭火) ああ白百合と やがてもうたひ (偐家持)悩むとき 共に泣く師の 賛美歌(うた)と酒 (偐山頭火) いはずがたりに われはげましぬ (偐家持)智麻呂氏 ブドウ畑で ワイン(酒)まみれ (偐山頭火) ワインの仕込みも 手伝ひたるか (偐家持)今頃は あの世の晩餐 南河(なんが)の丘 (偐山頭火) 風もさやかに 吹き渡りゆく (偐家持)杯を さあ捧げよう 師の血なり (偐山頭火) それキリストの ごとにないひそ (偐家持)げにやげに なげくほどには あらねども いかに久しき コメントなるか (偐兼家)(本歌)なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかにひさしき ものとかはしる (右大将道綱母 かげろふの日記) げにやげに 冬の夜ならぬ まきの戸も おそくあくるは わびしかりけり (藤原兼家 かげろふの日記)(20240420河内大橋の歌碑)輪友も 今しばらくは 病友と なりて空など 見つつもあらむ(20250809東の空&生駒山)<参考>偐山頭火氏のブログはコチラ。3.智麻呂を偲びて詠める歌3首われはまた 鉢伏の山 訪ね来む 見まくの欲しき 君にしあれば 君に逢ふ たづき知らねば 鉢伏の 山にしわれは またも来にける鉢伏の 山にし吹ける 春風に 咲きそむ花は 君が笑みかも(20250421はびきの中央霊園・鉢伏山)4.今日郎女に贈りて詠める歌2首風と吹き 星と輝く 君しのはむ 小惑星の ジャズのしらべに (偐家持)獺の 祭呑まねど 瀬田川の ほとり新月 石山の月 (下戸家持)(参考句)獺の祭見て来よ瀬田のおく (松尾芭蕉)5.めぐの郎女に贈りて詠める歌2首ほほゑみの その面影は 胸のうちに 変らず今も 生きてぞあれる (偐家持)あらたしき 年の始めの 初春は また若草の 里につどはな (偐家持)6.かほりの郎女に贈りて詠める歌1首ともにありし 日のあれこれを かたらへば 面影立ちて 花と笑むらし (偐家持)7.りち女が詠める歌1首並びに和して偐家持が詠める歌2首ギラギラと 焼けつく日々の そのかなた ごとばんさんは 金色の波 (リチ女)(本歌)夕立の晴れ行く空の雲間より入日涼しき露の玉笹 (後鳥羽院)(20241025ごとばんさん)我こそは にせ家持よ 君に和す 返しの歌は 心して詠め (偐家持)(本歌)我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ (後鳥羽院)銀輪の 旅もいつしか 秋なかば 消えゆく露にも 月さやに照れ (偐家持)(本歌)旅の空秋のなかばをかぞふれば答へ顔にも月ぞさやけき (後鳥羽院)8.若草読書会関係 若草読書会の新年会に寄せて作りたる歌1首新(あらた)しき 年の初めの 若草に どちとし集へば 嬉しくもあるか (読書会王)(本歌)新(あらた)しき 年の初めに 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖王(ふなどのおほきみ) 巻19-4284) 道祖王の万葉歌に戯れに追和して作れる替え歌2首春花の 咲ける盛りに 思ふどち い群れて居れば 嬉しくもあるか (花見王)もみぢ葉の 匂へる時に 思ふどち い群れてあれば 楽しくもあるか (紅葉王)
2025.08.10
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このところ、入院の話ばかりですが、病室に閉じ込められている身ですから、致し方なき次第なるも、他人の病気の話など何度も聞かされたくないというものでしょうな。(2025年8月9日12時26分撮影 北の空) 今日の明るい空でも見ていただきましょう。 友人オガクニマン氏よりお電話を頂戴し、現況報告などして置きましたが、抗がん剤投与の治療にはいることとなったものの、どの部位に癌が転移しているのかについての詳細な説明をして貰っていないので、前立腺癌は具体的にイメージできるのだが、骨盤の骨の何処かに癌が転移している可能性が高いとは思うものの、それがどの部位なのかよく理解できていないので、何処の、何という癌なのかイメージできていない。従って、彼に対する説明も肝心のところは曖昧なものとならざるを得ないのでありました。(2025年8月9日14時23分撮影 東の空、生駒山) 今日の午後から、北東角の病室から、少し南寄りの東向きの病室にお引越しいたしました。これは、入院時に希望していたタイプの個室に空きが出たためである。 引っ越しを済ませて一段落したところで、輪友にして若草読書会のメンバーでもある偐山頭火氏から電話が入った。 「ヤカモチさんは何処の部屋に入院しているのかな」というのが第一声。 何やら妙な切り出し方であったので、変な気がしたのだが、よくよく話を聞いてみると、彼は色々な症状で他の病院など入院生活を長らく続けて居り、この病院では胃の関係で手術を受けての再入院とかで、今日からであったか、同じ病棟の7階の東向きの部屋に入院したとのこと。ヤカモチは5階であるが、かくて同じ空、同じ生駒山を眺めながらの入院生活を送るという、珍しい事態となった次第。 輪友も 今しばらくは 病友と なりて空など 見つつもあらむ<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・024若草 読書会関係はコチラ。 偐山頭火氏のブログはコチラ。
2025.08.09
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今日の空です。(2025年8月8日14時54分撮影 空) 再入院三日目。 来週火曜日(8/12)から治療を開始するという主治医の先生の話。 昨日、MRI検査をした上で放射線治療を行うということであったが、それはヤカモチがお尻の底部に何かが貼り付けられたような感覚があるということを訴えたことから、検討されたものであったが、今朝にはそのような痺れ感は消滅していたことや、MRI検査の結果、その必要もないという判断になったのだろう。 火曜日から開始するという治療の内容は、抗癌化学療法との説明であるから、抗癌剤投与を行うのだろう。とにもかくにも治療を開始するというのであるから、いい話ではある。(2025年8月7日21時31分撮影 雨) 窓を打つ音があり、何かと見やると雨が降り出したのである。 院内処方とかで、持ち込んだ薬をチェックの上、新しく薬を処方されることになる。多くは持ち込んだ薬と同じものであるが、一部新しい薬が追加されたり、別の薬に変更されたりもする。同じ薬の場合には、持ち込みのその薬を使用すればいいと思うのであるが、持ち込みの薬は返却され、新たに同じ薬が出されるのである。 血圧降下剤について、循環器内科の先生から、最高血圧が100未満となるような場合は、服用を中止してもよい、と言われている旨を7日の夜に血圧を測定にやって来た看護師さんに伝えた。その夜の最高血圧が100未満、98だか95だかであったからである。 その看護師さんは「では、先生に確認してどうするか決めます。」ということであったが、特に何とも話がなかったので、今朝は朝食後所定の薬をそのまま服用した。すると、その後の血圧測定では最高血圧が85まで下がってしまった。 ヤカモチとしては、大した問題とは考えていなかったのだが、昨夜の看護師さんがやって来て「血圧降下剤は呑まないように指示したでしょう。」とかなり強い口調で叱られました。ヤカモチはそれを聞いた記憶がないのであったが、言った、聞いてない、は水掛け論である。 まあ、ヤカモチが聞き漏らしたのかもしれないと、黙って聞き流していると、「今後は、病院の方で薬の管理をさせていただきますが、いいですか。」と処方された7日分の薬を全て引き上げてしまわれました。 何やらボケ老人扱いされた気もしないではないが、最高血圧が100未満だと、何か身体が浮遊しているみたいで気だるく、怒りとかそういう感情は生まれないもののようで、病院が管理してくれるなら楽でいいかと横着な考えもあって、「はい、いいですよ。」と返答するヤカモチでありました。(5階の病室から 喫茶「ペリカンの家」) 相変わらず、食欲はまったくなく、吐き気の一歩手前みたいな不快な感覚がずっと続いている。 喫茶・ペリカンの家も長らくご無沙汰しているが、こんなに近くに居ても、言わば「囚われ人」、入院の身にてあれば、外出もままならないであろうから、店を訪ねることは無理なんだろう。(大阪メトロ中央線) 大阪メトロ中央線、昔風には大阪地下鉄中央線。けいはんな線という呼び方もあったりするかと思うが、この線については正しい呼称がよく分からないのであります。(同上)(同上)
2025.08.08
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8月4日退院したものの、高熱が出たり痛みが激しくなったりで、相変わらずの吐き気と食欲不振で、不安な状況が継続していました。 それはともかく8月5日は、大阪メトロ中央線・荒本駅近くのSクリニックにて、MRI検査を受ける日。午後4時の予約であったので、少し余裕を見て、午後2時半頃に近鉄タクシーの呼び出し電話番号に電話をすると、「車が出払っていて、いつ手配できるか分からない。午後1時33分のお客さんの車の手配も現在未了、あなたは4番目(だったか6番目だったか)だが、手配がついたら折り返し電話するのでお待ちいただけるか。」というような趣旨の話。 まあ、時間的には未だ余裕があるので、連絡を待つ旨、返答する。 右鼠径部からお尻の後ろ側、右太腿から膝にかけての痛みが断続していて、タクシーでSクリニックのあるビルに到着してもそこからSクリニックまで自力で歩行できるか不安であったので、車椅子で迎えに来て貰うことは可能かと問い合わせたところ、「お迎えに上がります。」との有難いご返答。 ところが、近鉄タクシーからの連絡電話がなかなか入らない。 Sクリニックでは「午後3時45分までにはご来院ください。」とのことであったので、そろそろギリギリの時間になるかもしれない、と不安になり、枚岡タクシーに電話をしようか、と思い始めた丁度その時に、近鉄タクシーから「手配がつきました。車が今そちらに向かっています。」との連絡電話が入りました。 というようなことで、SクリニックでのMRI検査は予定通りに終了。 全身に及ぶMRI検査なので、随分と長時間を要しました。 会計を済ませ、タクシーを呼んで貰うと、枚岡タクシーがやって来ました。(中央大通りを東へ 帰途のタクシー車内から撮影の写真) タクシーで自宅前まで、4000円丁度でした。行きは3400円でしたから、帰りは渋滞に巻き込まれた所為もあって、少し割高になったようです。 ところが、帰宅した5日の夜から、関節痛が激しくなり、その夜は我慢したものの、翌6日(つまり昨日)の夕刻になって、いよいよ痛みが激しくなり、我慢の限界を超えることとなったので、石切生喜病院に入院できるかと電話をすると、救急車で救急外来に来ていただき、その時の救急担当医師の診察の結果によって、入院の可否が決まるとのこと。 ということで、7月20日に続いてまたまた救急車のお世話になることになりました。 そして、主治医の先生の判断が出るまでの緊急避難的な入院ということで取り敢えず病院でお預かりしましょう、という措置となった次第。 そして一夜が明けて、今日は7日。(2025年8月7日午前5時25分撮影 病室北側の窓から)(同上、午前6時54分撮影 大阪メトロ中央線の電車が右手にある新石切駅に入るところ) 精神的なものもあるのか、救急外来で痛み緩和の措置をとっていただいた効果が現れたのか、昨夜にはズキ~ン、ズキ~ンという強く間断の無い痛み、疼きが緩和され、我慢できる程度の痛みになっていました。(同上、午前6時50分撮影 東方向、生駒山) この病室は北東の角に位置するので、北方向と東方向の窓からの景色が眺められる。希望したタイプの個室の2倍以上の値段なので、希望タイプの部屋が空き次第、お引越しさせてもらう予定になっている。(同上、午前6時52分撮影 カラス) 再び、北の窓を覗くとカラスが道路向かいの家の屋根にとりつくのが見えました。ズームアップで撮ったので画像が不鮮明です。 2階の屋根の端っこ、樋の辺りにとまったようですが、何かしきりに下の方を気にしています。 お~い勘太郎。下には何か居るのかい。 カラスの勘太郎、勿論、ヤカモチなんざあ無視でござんす。 さて、ヤカモチですが、入院の間に約10kg体重が落ち、結構筋肉がついていて太かった大腿部もやせ細ってしまい、腰回りも痩せ、ゲッソリというのが相応しい姿になってしまいました。 吐き気続きで食事の摂取が満足にできていないのですから、無理からぬことです。 以上、近況報告でありました。
2025.08.07
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(2025年8月4日午前4時50分撮影、生駒山) 本日(8/4)、退院しました。 明日(8/5)には、別のクリニックでMRI検査を受けることになっています。 前立腺がん転位巣の有無の検索、というのがそのクリニックでのMRI検査の目的でありますが、その結果を見て、入院治療とするか通院治療とするか、どのような治療方法を選択するかなど、治療方針を決定するので、ということで、次の通院受診日は9月1日ということに決まりました。 従って、一応退院したという表現をとった次第。 そもそも今回の前立腺生検の結果が癌であると判定されたのかどうかを問うたところ、未だ確定的な判定結果は出ていないようで、主治医の先生曰く「まだ分からん。」とのこと。 ただ、炎症指数が基準値の100倍(入院時血液検査の数値)にもなっていることから、癌である可能性は大なのであろう。 入院時から本日の退院日の朝まで、毎日、朝晩と抗生剤投与の点滴を打ち続けていたので、この数値は随分と下がってきているとの説明は受けたものの、どの程度まで改善したのかの具体的な数値は確認していない。 ということで、本日の退院に先立って、腹部、お臍の右側、左側数センチの位置にホルモン皮下注射をしました。 癌であった場合にこの注射によって癌の進行を遅らせる、或いは、癌を縮小させる効果が期待できるということなのかもしれない。この注射の効用は約1ヶ月持続するらしいので、次の受診日が9月1日に決まったという次第である。その時には、わが前立腺が癌であるかどうか、どの程度の進行具合なのかということや、明日のMRI検査による他への転移の有無なども検査結果が確定しているということなんだろう。 素人感覚では、もっと早くに検査結果が出るものと思っていたので、少し拍子抜けしたが、致し方のないことである。 退院して、やりたいことの一番は、入浴である。 救急車で搬送されたのが7月20日で、入院が7月23日であったが、お風呂には7月20日以降昨日(8/3)まで入っていないので、実に15日間も入浴なしで堪えたことになる。(2025年8月4日10時8分撮影、入院病棟1階ロビーから外を眺める) 上の写真は、入院診療費を支払うため、1階に下りて来て、その階にある会計窓口に所定の書類を出したところ、「お名前をお呼びしますので、暫くお待ちください。」と言われ、ロビーで待っている間に道路向かいの景色を撮影したものである。 道路向かいには馴染みにしている喫茶・ペリカンの家があり、見慣れた眺めであるのだが、こういう角度から眺めるのは久しぶりのことなので、何か新鮮な感じがします。
2025.08.04
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入院中なので、このところの記事は、全て「カテゴリ未分類」としていましたが、今日の記事は、単に早朝の生駒山にかかった雲の写真の記事なので、「近隣散歩」カテゴリの記事とします。(2025年8月2日午前5時55分撮影 生駒山の雲) 巨大なオタマジャクシのような雲が生駒山の上にかかっていました。(2025年8月2日午前5時57撮影 同上) その雲は、徐々に南の方に流されて行き、日に照らされて蒸発しているのか、少しづつやせ細って行くようでもありましたが、午前6時10分頃には、すっかり形を変えて、切れ切れの雲となってしまっているのでした。 山頂部に発生する上昇気流が渦を巻くような動きとなって、このような雲が形成されるのだろうか。 雲の事などは殆ど知識がないのであるが、笠雲という名の雲があったように記憶するので、これも一種の笠雲ではないかと思ったりも。 まあ、雲だけに、雲を掴むような話でありました(笑)。 生駒山と雲を詠んだ歌としては次のような万葉歌が思い浮かびます。難波津を 漕ぎ出てみれば 神さぶる 生駒高嶺に 雲ぞたなびく (大田部三成 万葉集巻20-4380)君があたり 見つつも居らむ 生駒山 雲なたなびき 雨は降るとも (万葉集巻12-30329)<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2025.08.02
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(2025年8月1日午前5時55分撮影) 本日、8月1日、予定の15時30分より大幅に早まって、12時過ぎから実施となりました。 点滴棒を押しながら看護師さんのの手引きで手術室へ徒歩移動。 先ず、着衣を全部脱ぎ、手術台にうつ伏せに寝る。 全身麻酔ではなく、腰椎麻酔か局所麻酔なんだろうと思うが、そのどちらであるかはヤカモチには分からない。注射針のチクリという感じも余りないまま何度かお尻の辺りを触られる感覚があって、麻酔完了のようです。 次に仰向けに寝返り、両手、両脚を支持台に乗せる。両脚を大きく開脚しているので、何とも・・という恰好である。睾丸が邪魔になるとして揃えて持ち上げ、テープか何かで固定されたようだがヤカモチには見えないので何ともである。 次に、直径2cmの「経直腸用超音波プローベ」が肛門から挿入される。 すごく痛いという程ではないが、違和感、不快感があって、それを痛いという風に感じたようで、枕元に立っていた看護師さんに、麻酔が効いていないのではないか、と訴えると、麻酔は生検針を突き刺し組織を採取する時の痛みに対処したものだとの説明。 いよいよ生検針による前立腺組織の採取である。 直腸の奥の方から順次前立腺に二重針を突き刺し、組織を採取するのである。奥から3番目辺りまではチクリも大したことがなかったのだが、4番目、5番目と肛門に近い方になるにつれ、チクリが「痛い」と声を上げるほどの痛さになったけれど、まあ、我慢できないほどではない。 採取の瞬間、パチンと大きな音がするので、採取されたことが分かる。 ちょっと記憶が曖昧になっているが、計6個の組織が採取されたのではないかと思う。 後始末を終えて、病室への帰還は、病室から持ち出されたヤカモチのベッドに乗り換えての帰還である。 現在のところ、担当医の先生からは、当該組織が癌であるのかどうかなどの説明はないので、何とも分からないのであるが、全身に転移などしていないかを何処やらの専門医院を受診してくれとの話で、その予約を先生の方で取ってくださったので、事態は既に癌であるとして進んでいるのである。(2025年8月1日午後4時17分撮影) この週末か月曜日(7/4)にひとまず退院し、癌の他部位への転移云々の検査結果を踏まえて、再度諸々の検査のため入院し、状況によっては通院治療に切り換えるなど、治療方針を打ち合わせしたいとのことです。 まあ、入院以来、一度もお風呂に入っていないので、ともかく一度退院はヤカモチも歓迎するところである。 NHKの「ほっと関西」という番組でまたまた生駒山上遊園地が取り上げられていましたので、飛行塔の写真を再度掲載して置きます。 関西万博の会場から生駒へは乗り換えなしで行けることから、外国人も含み多くの来場者が押し寄せているらしい。(生駒山上遊園地の飛行塔)(同上)
2025.08.01
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