今日は偐家持の誕生日。
もう何歳になったのやら。
ブログ上では満1291才になったことになる。
誕生日だからという訳でもありませぬが、自転車(マウンテンバイク)で生駒山の暗峠に挑戦。と言っても急傾斜の坂道続きにて、登りは殆ど押して歩くしかないのではありましたが・・。はあ、はあ、息も上がるかと喘ぎ喘ぎしてゆけば、汗が滴り落ちるまでに。
それでも1時間弱で峠に到着。奈良県側に少し下った処にある喫茶店(峠の茶屋と言うべきか)で熱い珈琲を戴く。
脇道に入って「ほととぎすの名所」とされる慈光寺に立ち寄る。ところが、ここで失態。道脇の高みで休憩した時にザックを下ろしたのであるが、それをそこに置き忘れたまま自転車で坂道を走り下ってしまったのであった。
そのことに気が付いたのは、麓の枚岡公園まで下山してからのこと。ああ、何たることか。
再度、急登を自転車を押しながら登るという難行。幸いザックは置き忘れた場所にチョコンとそのままにありました。暗峠の標高は455mですから、そこそこの低山を二回登ったようなもの。疲れました(笑)。
(万葉歌碑)
わが家から最も近い万葉歌碑である。暗峠への道の枚岡公園の一角にある。芭蕉の句も併記されているので、芭蕉句碑と見るか万葉歌碑と見るかは、見る人次第である。
歌碑の歌は遣新羅使人の秦間満(はたのはしまろ)の歌である。
夕されば ひぐらし来鳴く 伊故麻山 越えてぞ吾が来る 妹が目を欲り(巻15-3589)
この碑の近くに、芭蕉の句碑(下記の写真)があります。よって、上の碑は、やはり万葉歌碑ということにして置きましょう。
(芭蕉句碑)
菊の香に くらがり登る 節句かな
元禄7年(1694年)9月9日重陽の節句(旧暦)の日に奈良から大阪へ、芭蕉は暗峠を越えました。大阪に入って病に倒れ10月12日に亡くなっているから、この暗峠越えが芭蕉最後の旅となったのでした。
では、小生も一句。
春風に 忘れくらがり 二度登る
(豊浦橋)
この橋の下は豊浦渓という渓谷になっていて、楓が沢山生えている。紅葉の季節も美しいが、種が散る青葉の季節には、風車のようにキラキラ日の光を反射させながら、楓の種子が次々と舞い散る様を、この橋の上から眺めることができるのである。
(暗峠への道から眺める大阪平野)
暗峠への道は狭い道ながらも国道308号線なのである。殆ど一直線に登る感じでかなりの急坂である。古くは直(ただ)越えの道と呼ばれ万葉にも出て来る。もっとも、万葉の直越えの道は、この暗越ではなく、もう少し北側の辻子(ずし)越または善根寺越だとする説もあるが、小生は暗越え説である。頭をめぐらすと、山の稜線の木々が美しい。

(天平)五年癸酉、草香山を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ)の作る歌
直越えの この道にして おし照るや 難波の海と 名づけけらしも (巻6-977)



(奈良県側から見た暗峠の石だたみ)
(暗峠・大阪府側から)
この峠を越えれば奈良県、左の小径を行くと生駒山上である。山上への道は、下の写真のように、自転車では無理な山道なので、本日はここまで。慈光寺にでも寄って行くか。

(暗峠付近の棚田)
(慈光寺への杉木立の道)


(慈光寺)
慈光寺の由来は下記写真を拡大して読んで下さい。もう書くのが面倒になりました(笑)。
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