(続きです。)
鏑川とお別れして後は、上信電鉄の線路を方向を定める目印として北東方向にひたすら自転車を走らせる。田中の一本道は行き交う人も車もなく爽快。やがて「山ノ上碑」の標識。左へ方向を転じると、山名八幡神社に出くわした。
余談であるが、上信電鉄は高崎から下仁田へと走っている。下仁田と言えば「下仁田葱」である。下仁田葱と言えば、智麻呂氏の無二の親友、K牧師である。先ごろお亡くなりになられたが、智麻呂氏ご夫妻から色々とお話をお聞きしているので、その近くにこうして来ているのかと思うと、何か懐かしいような、悲しいような妙な感慨が胸の内に生まれるのであった。
(山名八幡神社参道)
神社の参道を上信電鉄の線路が横切り、奇妙な光景である。線路の下を潜って山門へ。この神社、応仁の乱で西軍の指揮を執った山名宗全の祖先である、山名義範が造営したものとか。義範は新田義重(新田氏の祖)の子で、この地、山名郷に入って、山名氏の祖となった人物である。昨年2回も訪れた兵庫県の竹田城も山名宗全が築城したものであるから、今回はその故郷というか、父祖の地に来たことになる。こういうのも「世間は狭い」と言うのであるか。


(山名八幡)
山名八幡の前から県道30号線を北西に少し行った処を左に入って坂道を登って行くと「山ノ上碑」である。山上古墳があり、その埋葬者のことを刻んでいるのが「山ノ上碑」である。この碑も覆堂に収納されていて、見学者はガラス窓から覗き見るしかないのは、多胡碑と同じである。


(山ノ上碑)
(山上古墳)


(碑の入口近くにある万葉歌碑)

日の暮に 碓氷 (うすひ)
の山を 越ゆる日は
夫 (せな)
のが袖も さやに振らしつ (巻14-3402)
山ノ上碑の高みに立って見渡すと桜の花のそこかしこに咲いて、鶯が間なくし鳴いて、上野国の山野は春盛りなり、である。
やっと、山ノ上碑まで来たが、本日はここまで。実際に自転車で走っているよりも、ブログにアップする方が時間がかかる気もするのは、如何なる訳か?(笑) 続きはまた明日です。オヤスミナサイ。
下仁田は いづくならむや 日の暮に 君し思へば ひたぶる悲し (偐家持)
上野 (こうづけ) の 国はいづくも 春ならめ 山川清み 風さやに吹く (偐家持)
鏑川 瀬音さやけし 岸の辺に 風と遊ばむ 菜の花にもが (偐家持)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
ビッグジョン7777さん
New!
七詩さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん