昨日は、第468回大槻能楽堂自主公演能ナイトシアターに行ってまいりました。
演目は狂言が「長光」、能が「天鼓」。
前シテ・後シテの浅井文義先生は、小生の謡曲の師匠H先生の師匠であるということもあって、H先生と小生と一緒に謡曲を稽古しているB氏の3人で観能せむとて、出掛けたもの。早くに着き過ぎたので、難波宮址など周辺を少し散策してから、大槻能楽堂へ。H先生とB氏はすでに来て居られて、会場にて合流。< 大槻能楽堂ホームページ
>
能・天鼓は、後漢時代の中国の話をもとに世阿弥元清が創作した曲にて、そのあらすじは次の通り。
後漢の世に、天から降り下った鼓を持つ天鼓という少年がいた。彼が見事に打ち鳴らす鼓の評判を聞きつけた帝はその鼓を召し上げようとする。少年はそれを拒み、鼓を持って山中に逃げるが、探し出されて呂水の江に沈められてしまう。
かくて帝は鼓を手に入れるが、誰が打っても音が出ない。そこで、天鼓の父親の王伯に打たせてみようと、勅使を遣わせる。王伯は己れの嘆き悲しみを述べるが、勅使に促されて鼓を打つと、妙なる音が鳴った。その音を聞き哀れを催した帝は、涙しつつ、管弦講で天鼓の霊を慰めると約束して、王伯を家に帰す。
呂水の堤に鼓を置き、供養を始めると、天鼓の霊が現れ、供養に感謝し、鼓を打ちながら、舞楽を奏するが、夜明けに消えてゆく。この天鼓の霊の舞が見もの。笛が盤渉
(ばんしき)
調という常より高い調子となり、シテは橋掛を使ったり、鼓を打ったりして、鼓を愛しむ心が強調される。なお、盤渉は水に関係ある場合に用いられる調子とのこと。
(大槻能楽堂・能舞台)
(パンフレット)


鉗 着け 吾が飼ふ駒は 引出 せず
吾が飼ふ駒を 人見つらむか (日本書紀孝徳天皇4年7月条)
この宮跡と大槻能楽堂の間の道を東に行くと、史蹟・越中井がある。昔、ここには細川越中守忠興の屋敷があり、その屋敷の台所の井戸を今に遺すと伝えられ、徳富蘇峰筆の碑が立っている。細川ガラシャ夫人が自らの命を絶った最後の地でもある。これまた悲劇の女性につながる場所でありました。
(越中井)

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ (細川ガラシャ辞世の歌)
帰宅する頃は夜も更けて、雲間に月が美しく。
<参考>
難波宮址
細川ガラシャ夫人
第18回ひらおか薪能 2009.09.26 コメント(7)
「松浦佐用姫」の稽古開始 2009.01.28
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
ビッグジョン7777さん
New!
七詩さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん