(その3)神南備神社・犬養万葉歌碑・磐瀬の杜から龍田越え
龍田大社からJR三郷駅へは急な坂道を下って行く。坂を下った処に小さな森がある。神南備神社である。

(神南備神社)
神南備の磐瀬の杜はここ?三室山の対岸に「岩瀬の森」の看板がありましたが、見渡せど森はなく、稲田が広がっているのみ。万葉の頃の「磐瀬の杜」は何処なんでしょうね。JR三郷駅の西側の龍田大社の飛び地にも「磐瀬の杜碑」が立てられていますが、現況からはどちらも??である。
神南備とは神様がお住まいになる森という意味で、神名火、甘南備とも書き、「かむなび」と読む。山が平地に接する端山にある。立野の神南備は、飛鳥の神南備と共に有名であり、万葉集にも十首以上詠まれている。
清き瀬に千鳥妻喚
(よ)
び山の際
(ま)
に霞立つらむ甘南備の里
(万葉集巻7-1125)
神南備の伊波瀬の杜の呼子鳥いたくな鳴きそ我恋益る
(万葉集巻8ー1419)
神名火の磐瀬の杜のほととぎす毛無
(ならし)
の丘にいつか来鳴かむ
(万葉集巻8ー1446)
(磐瀬の杜の碑は、この坂を下り、三郷駅西50m左側にある。)
このあたり、大和と河内の境になるので、奈良から難波
(なには)
への要路でもあり、愛情をこめて別れを惜しんだ所でもあった。
わが行は七日はすぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
(万葉集巻9-1748)
妹が紐解くと結びて立田山今こそもみち始めてありけれ
(万葉集巻10-2211)
秋されば雁とびこゆる立田山立ちても居ても君をしぞ思ふ
(万葉集巻10-2294)
龍田山見つゝ越え来しさくら花散りかすぎにしわが帰るとに
(万葉集巻20-4395)
‐‐‐‐‐‐上の写真の看板の内容を転記して置きました。
(JR三郷駅)

(犬養万葉歌碑)
わが
行
は 七日は過ぎじ 龍田彦
ゆめこの花を 風にな散らし
(万葉集巻9-1748 高橋虫麻呂)
(私たちの旅は七日を越えることはあるまい。竜田彦よ。この花を決して風で散らしたりしないで下さい。)

犬養万葉歌碑の傍らに黄花コスモスと共に、ランタナの花が咲いていました。偐家持も一首詠まむとて。
我妹子と 添ひてもがもな ランタナの
花もたぐひて 二つぞ咲きぬ (偐家持)


(磐瀬の杜碑) (鏡王女歌碑)
(神なびの磐瀬の社の呼子鳥よ。そんなにひどくは鳴かないでおくれ。わたしの恋の思いがつのるから。)
(注)神なび=神のおいでになるところ。
呼子鳥=カッコウのことと思われる。
磐瀬の杜で「万葉ウォーク」は終了であり、下見はここまで。あとは自転車で立田越えして、自宅まで走り帰ろうと存じ候。
大和川を左に見つつ山を越えると大阪府柏原市である。ことのついでと河内国分寺跡を訪ねることに。竜田道とは大和川を挟んで対岸にあるのだが、これがまた、結構高みにあって、坂道を喘ぎつつ自転車で登る。
(河内国分寺七重塔跡)
国分寺跡から坂を下って、国分神社に立ち寄って行くことに。神社の裏山に古墳があったことを思い出したので、これも覗いてみようかと。
(国分神社)
この神社の祭神は大国主命である。
(松岳山 <まつおかやま>
古墳)

帰途は、いつものコース、恩智川沿いの道である。八尾市に入った辺りで、小さな公園の木陰にて水分補給のため休憩していたら、近くのベンチで何やら辞書を広げて勉強されていた男性から話しかけられる。
自転車談義をひとしきりして、何を勉強されているのか、とお訊きすると、朝鮮語、ハングルの勉強とのこと。定年で会社を辞めたので、ハングルを学び始めた処らしい。こういう方を目にすると、何かすがしい気分になる。
余り長くお話して勉強のお邪魔をするのも憚られたので、「ハングル、頑張って下さい。」とおいとますることに、「お気をつけて。」という言葉を背中で聞きつつ。
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