朝11時に阪神電車・西灘駅到着。そこで持参の折りたたみ自転車「トレンクル」を組み立て、出発。
(阪神・西灘駅)
西灘駅から東へ徒歩3分位の所に
西求女塚
公園がある。
菟原処女
伝説に登場する
菟原壮士
の墓とされている西求女塚古墳である。
(西求女塚古墳)
菟原処女伝説とはこんな話。
昔、摂津の国の
葦屋
の
菟原
の地に「
菟原処女
」という美しい娘がいた。彼女に
菟原壮士
、
血沼壮士
という二人の若者が求婚し、激しく相争う。それに心痛め、懊悩した挙げ句、娘は入水自殺してしまう。それを悲しんだ血沼壮士も菟原壮士も彼女の後を追って自殺してしまう。彼らの親族たちはその死を傷み、これを後世に永く伝えようと、真ん中に娘の墓を、西側に菟原壮士の墓を、東側に血沼壮士の墓を造ったという。
その墓が今にのこる
西求女塚
、
処女
塚
、
東
求女
塚
だという。勿論、これらの古墳はその出土品から築造時期も大きく異なって居り、この地の豪族の墓というのが本当の処なのだが、偐家持としては、歴史の真実に目をつむり、万葉歌人同様に、悲劇の若い男女の墓と思って置くこととするのである(笑)。
この話は、万葉時代に既によく知られた伝説としてあったようで、高橋虫麻呂、
田辺
福
麻呂
、大伴家持が、この伝説に基づく歌を詠んでいる。

(処女塚古墳)



(田辺福麻呂歌碑) (小山田高家碑)
古 の 小竹田 壮士 の 妻問ひし
菟原処女 の 奥つ城ぞこれ (巻9-1802)
虫麻呂も福麻呂も家持も長歌を詠んでいるのだが、引用すると長くなるので、その反歌だけ、以下に記して置きます。
(高橋虫麻呂の歌)
芦屋 の 菟原娘子 の 奥津城 を
行 き 来 と見れば 哭 のみし泣かゆ (巻9-1810)
墓 の 上 の 木 の 枝 靡 けり 聞きしごと
千沼壮士 にし 寄りにけらしも (巻9-1811)語り継ぐ からにもここだ 恋しきを
直目 に見けむ 古 壮士 (巻9-1803)処女 らが 後 のしるしと 黄楊 小櫛
生 ひかはり 生 ひて 靡きけらしも (巻19-4212)

(東求女塚の碑)
古墳は崩されて現存せず、公園の一角に石碑があるだけ。東求女塚は阪神・住吉駅から東に直ぐの処にある。
同じ公園の一角に阪神淡路大震災の犠牲者を悼む慰霊碑が立っていて、未だ新しい花が供えられていた(写真下)。
これで予定の3か所を回ったので今回の目的は達成。空腹を覚えたので、阪神・御影駅の方に引き返し、小さなレストランでランチ&コーヒー。一応、腹もくちくなったので、さてどうするか。六甲アイランドに立ち寄って友人のM君にご挨拶をして行こうかと思ったが、水曜日で定休日ゆえ出勤していなかろう、と考え直し、まあ、とにかく自宅まで自転車で、あちこち見て歩きながら、いや、見て走りながら、帰ることとする。明るいうちには帰り着けないだろうが・・・。帰りの道中のことは後日ということで、本日はこれにて、ひとまず締めます。深更となり、作者も眠くなりました。
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