(承前)
木村重成さんのお墓にお別れして、当てもなく南へ。西郡地区という処だが、随分と公園の多い処である。風にそよぐ青葉が目に沁みます。そんな公園の一角にピラミッドがありました。
(西郡公園のピラミッド)
ピラミッドの上部から水が噴き出している。こんなピラミッドだったらエジプトも砂漠化しなかったかも。このピラミッドの東面に「子守唄」が掲載されていました(写真下)。この地区で昔から歌い継がれて来た子守唄なんでしょう。
(西郡の子守唄) 
(宣念寺)
雰囲気のいいお寺なので、ちょっと見学させて戴こうかと境内に足を踏み入れたら2匹のワンちゃんが居て、「怪しい奴」と吠えたてるので、早々に退散しました。偐家持と名前からして既に怪しいのだから、ワンちゃんに異議なしです(笑)。ここで、友人から電話があり、しばし隣の公園で話をしてから、再スタート。東に、南にと気の向くまま、ペダルの向くままに走っていると玉串川に出ました。川に沿って南へ、取り敢えず山本駅まで行ってみることに。

(玉串川)

玉串川は、宝永元年(1704年)に大和川が付け替えられるまでは、その河川敷にあたり、付け替え後は、水運・灌漑用水路として重要な役割を果たして来ました。周辺の旧河川敷は新田として開発され、特に綿花の生産では大きな位置を占め、「河内木綿」の産地として全国にその名が知られました。
玉串川は、川沿いの緑の散歩道と桜並木によって、都市化の進んだ本市にとってかけがえのない自然環境となっており、憩いとやすらぎの場として広く市民に親しまれています。
(川辺の案内板より)
たしかに、桜並木が延々と続く。花の季節は見事だろう。今は青葉のトンネルである。目にやさしい青葉の道だ。

山本という名は、大和川付け替え後に開発された山本新田に由来し、山本新田の名は、この新田開発を請け負った泉州箱作村の山中善兵衛とその子庄兵衛の「山」とその協力者であった大阪平野の本山(加賀屋)弥衛門重英の「本」をとって「山本」としたものであるとのこと。
山本駅から生駒山系の山影を目指して東へ走ると程なく馴染みの恩智川に出た。川に沿って南へ。川が尽きると大和川に出るが、暫く走った処で「喫茶nana」の看板に誘われ、休憩に。汗をタオルで拭き拭き入って行くと、店のママさんが、コチラの席が一番涼しいですよ、と小生の坐った席と反対側のテーブルを薦めて下さる。そちらに移動するとクーラーの風が当たって気持ちがいい。心地よいので本を取り出し、暫し読書。予定より長居し過ぎたので大和川は中止して引き返すことにし、久しぶりに智麻呂氏のご尊顔を拝しに参ることとする。勿論、新作絵画を撮影するという下心あってのことでもある。7点ゲット。以前の4点と併せて11点揃いましたので、近日公開申し上げます。
(恩智川の鯉のぼり)
先日、7万アクセスを突破したが、そのお祝いにと小万知さんが錦織公園の藤の花の写真をメールで送って下さいましたので、掲載させて戴きます。
(藤の花by小万知)
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