前回は竹林の中の異界で終りました。異界を出て公園(高塚公園)に戻り、坂を下って眼下の集落に入って行く。やがて「和珥坂下伝承地」という文字の刻まれた標石が目に入り、その指し示す方向の坂を上って行くと、和爾坐赤坂比古神社を示す道標があった。左折すると、間もなくそれらしきものが見えて来た。
(和爾坐赤坂比古 神社)
(拝殿)
小さな神社、境内には「和邇公民館」とある建物も建っている、いかにも村の神社である。現在の祭神は阿田賀田須命とあるが元は和邇氏の祖神を祀っていたのであろうか。
この神社、もとは現在地の東方にあった和珥池の南側の天神山にあったと伝えられているのだが、今は和珥池も天神山もその所在は不明となっている。和珥池は日本書紀仁徳13年10月の条と推古21年11月の条に「和珥池を作る」と出て来るが、これが同一の池で、この地の和珥池のことであるのかは不明のようだ。
<参考> 和爾坐赤坂比古神社
神社から北へ少し行った辻の寺の前に、また、「和邇坂下伝承地」の道標。その示す西方向に坂を下って行くと、その伝承地碑なるものがあり、説明板が立っていた。

(和珥坂下伝承地の碑)
(和珥坂下伝承地の説明はこの案内板をご参照下さい。)
碑の前の坂道はいい雰囲気だが下って行くと工場のフェンスで行き止まり、田畑へ行くための農道のようだ(笑)。
(和珥坂下伝承地碑の前の道)
後は、近鉄奈良駅目指して気儘散歩。まあ、これまでも気まま散歩ではありましたが。ひとまず国道169号を北上することとする。奈良市横井から同市古市町に入る手前あたりで右手に小さな杜が見えて来る。穴栗神社である。
万葉集巻17-3952の歌に出て来る「伊久里の杜」との説のある場所である。この神社の境内にはその歌碑がある。
(高安王万葉歌碑)
妹
が家に
伊久里
の杜の 藤の花
今
来
む春も 常かくし見む (巻17-3952 高安王)
(歌意)妻の家に「行く」という名の伊久里の森の藤の花よ、
また来る春にも、いつもこのように賞美し眺めよう。
穴栗神社には4社があり、そのひとつが伊栗社。春日大社の記録に、平安時代にこの地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請された、とあることから、「伊久里の杜」はこの地だという説です。
伊久里の杜については、新潟県三条市井栗説、富山県礪波市井栗谷説があるが、どちらにも難点があり、この奈良市説が妥当かも知れない。
<参考>
高安王

(穴栗神社拝殿)
(穴栗神社鳥居と相棒トレンクル君)
「布留の神杉の老い楽の恋」の歌で始まった今回の銀輪万葉散歩も「伊久里の杜の藤の花の妻」の歌で終るのであるから、先ずは一件落着。納まりがいいようです(笑)。
穴栗神社の鳥居を抜けて、東側の道を北へ行くと墓地があり、そこに「北浦定政墓所」の標識板があったので覗いてみた。定政は幕末の頃の学者で平城宮跡の研究と保存に打ち込み、それが明治になって棚田嘉十郎(当ブログ2010年11月7日記事参照)らの平城宮跡保存運動に受け継がれることになるという先駆者である。彼はこの地、古市村の出身とのこと。このように通りかかったのも何かの縁、お墓参りして置きましょう。
(北浦定政の墓)
(北浦定政)
脇道は、どうしてもジグザグになり、また国道に戻ってしまったが、護国神社の前に通じる道を東に入り、神社境内でしばし休憩。以前 (2009年5月19日)
訪問した時よりも万葉歌を記載した木柱が随分増えているようだ。
護国神社前の道を北に進むと春日大社の鳥居の前に出る。左折して三条通りを下り、近鉄奈良駅前到着は午後4時過ぎ、約5時間の銀輪散歩でした。
今回も最後までお付き合い下さり、有難うございました。最後に奈良公園・荒池の岸辺で見た景色と鹿さんをご紹介して、今回の銀輪散歩完結といたします。
(荒池の畔から春日山を眺める。)
(鹿の親子)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
ビッグジョン7777さん
七詩さん