本日は12時45分自宅を出発。大阪市住吉区庭井にある
大依羅
神社まで銀輪散歩して来ました。帰宅したら4時41分でしたから往復約4時間の銀輪散歩でありました。
一昨日(6日)の石川銀輪散歩の記事で柿本人麻呂の妻、 依羅娘子
の歌を掲載しましたので、その関連で思い立っての銀輪散歩であります。
昨年末の「煤逃げ銀輪散歩」と同じコースで、国道479号(内環状線)に出るまで、西へ、西へと走る。
八戸ノ里公園で、小休止。暑くなって来たので上着を脱ぎ腰に巻きつけることに。これで丁度よい。
(八戸ノ里公園)
地下鉄千日前線の北巽駅付近で国道に出た。左折して国道を今度は一路南へ。大和川に出るまで走り、大和川の堤防の道を西に下れば、目的地に着く筈。
昨年末の横野神社址を訪ねた銀輪散歩で省略した巽神社が途中にあるので、立ち寄って行くことにする。横野神社が合祀されているのである。
<参考>「 煤逃げ銀輪散歩‐犬養万葉歌碑
」
(巽神社)
(節分にも茅の輪をするのですな。)
巽神社については コチラ をご参照下さい。
巽神社から少し南に行った処に楠の大木が一本あり。石碑が立っている。近寄ってみると「楠正長旧跡」とある。楠正成の孫に当たる人物らしい。
(楠正長旧跡。右にひっくり返ってるのは小生のMTB。)
(楠正長旧跡碑)
由来は下の説明板をご覧下さい。

その一角に歌碑があった。先の「煤逃げ銀輪散歩」でも紹介した続古今和歌集撰者の藤原光俊の歌の歌碑でした。
霜枯
の
横野
ノ
堤
風
冴
えて
入汐
遠
く
千鳥
鳴
なり(
藤原光俊
続古今集)

(藤原光俊歌碑)
<参考> 藤原光俊(葉室光俊)
瓜 破 大橋の手前で大和川の堤防の道に入り、西へ。近鉄南大阪線を越えて、大依羅神社へ。阪南高校の裏に神社があるのだが・・。
(瓜破大橋)
(近鉄南大阪線)
(大依羅神社・・北側)

境内はさ程広くはないが、いい雰囲気の神社である。古代、この辺りを本拠にした依羅氏に所縁の神社なのであろう。
依羅氏は河内国丹比郡依羅郷などを本拠とした百済渡来系氏族であるが、人麻呂の妻の依羅娘子が石見国での現地妻とすると、依羅という名が少し引っ掛かる。石見から京に連れて上り、人麻呂が、依羅氏の養女にした上で自分の妻とした、という説などが生まれる由縁である。
(東側から)
(拝殿)
祭神は下記の通りです。
<参考> 大依羅神社
(Wikipedia) 大依羅神社
(西側門)
(西側参道)
参道の左(北)側は阪南高校の校庭になっている。

(大依羅神社社標碑)
(依網池址碑)
(大和川自転車道)
帰途、堤防の道で二匹の中型犬をリールを付けずに散歩させている男性が前方からやって来た。するとその内の一匹が吠えながら迫って来た。自転車を辛うじてかわし、逃げる。追って来る。速度を上げ振り切る。犬は長い時間は走れないから、一気に逃げるに限る。以前にも同じ経験をしているが、或る程度の大きさ以上の犬は繋いで散歩させろよ(怒)。飼い主の男はこの間、吠えかかる犬に声を上げて注意した風がなかったのも、今思えば変である。自転車に乗っていたのが子供だったら・・、と思うと、少し腹が立って来た。

(阪和貨物線跡)
廃線となった貨物線が大和川の堤防下を通っている。レール撤去工事が進行中であるが、まだ残っている区間もある。
こういう景色は小生の好みである。
<追記・注>
写真3枚(「大依羅神社社標碑」「依網池址碑」「阪和貨物線跡」)
が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月9日これを復元修正しました。
●
過去記事の写真が歪んでいたりすること
自宅療養記・花園中央公園、ライフ新石切店 2025.11.07 コメント(2)
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