< 承前 >
前回は天智天皇陵入口で終りましたので、ここから始めます。
(天智天皇陵)
(同上)
天智天皇の歌と言えば小倉百人一首の一番目の歌を思い浮かべる方も多いことでしょう。
秋の田の かりほの
庵
の
苫
をあらみ
わが
衣手
は 露にぬれつつ (後撰集302)
この歌は後撰集では天智天皇御製歌とされているが、万葉集の下記の作者不詳歌の異伝または改作歌にて、伝承のうちに天智天皇の歌とされてしまったというのが真相のようでありますな。
秋田刈る
仮廬
を作り わがをれば
衣手寒く 露ぞ置きにける (巻10-2174)
では、天智天皇の歌として万葉集にある歌はと言えば、次の歌である。
香具山は
畝火
ををしと
耳梨
と 相争ひき 神代より かくなるらし
いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき
反歌
香具山と 耳梨山と あひし時
立ちて見に
来
し
印南国原
渡津海
の 豊旗雲に 入日さし
今夜
の
月夜
清明
くこそ
(巻1-13,14,15)
もう一つは鏡王女に贈った歌である。
妹が家も つぎて見ましを 大和なる
大島の
嶺
に 家もあらましを (巻2-91)
これに対する鏡王女の返歌がこれである。
秋山の
樹
の
下隠
り ゆく水の
吾
こそ益さめ
御念
よりは (巻2-92)
歌の出来は鏡王女が一枚上。いい歌である。これぞ大和撫子ではないか(笑)。この歌の歌碑は、奈良県桜井市忍坂にある彼女の墓へと行く道の辺に、樹の下隠り、ひっそりと在る。
天智天皇陵から御陵に沿っている細道をうねうねと行くと、琵琶湖疏水の道に上る石段の前に出る。
(疏水の道への階段 13:08)
トレンクルは肩に担いで上る。
(上の石段は写真の奥左手にある。石段から疏水へ上って来た場所)
(琵琶湖疏水の道)
(同上)
(琵琶湖疏水から南方面、音羽山を望む。)
やがて疏水の遊歩道が終り、一般道に出る。そこからは上り坂。疏水はいつの間にやら眼下になっている。

(一般道に出ると上り坂。左が疏水の流れている谷である。13:30)
この道の突き当りで右に折れると、国道161号線西大津バイパスの下の道に出る。
(ここで左に入る。13:34)

(道標)
左に入って直ぐの処に道標があり、小関越・三井寺7kmとあった。この崖の上を国道161号線西大津バイパスが走っているのである。

(寂光寺)
寂光寺という寺を右に見て少し行くと西大津BPの高架下に出る。


(国道161号線西大津バイパス高架下)
本に掲載のコースは上の標識の示す「西大津バイパス藤尾I.C.」の方向に高架下を行ってから小関峠へと行くようだが、一人の若者がMTBで「小関越え」とある方の坂道を上って行ったので、小生もその道を行くこととした。
(小関越え近道 13:41)
道の左側が普門寺というお寺。道の入口右側には地蔵堂。何やら有難い山道である。

(普門寺)
暫く行くと、ミンミンゼミの屍骸。そう言えば天智陵でアブラゼミの屍骸を撮ったことを思い出し、自転車を停めて撮影。下に掲載して置きます。


(ミンミンゼミ) (アブラゼミ)
蝉丸さんの逢坂越えを避けての、小関越えであるというに、蝉丸ならぬ、死にたる蝉に出会うとは。
これやこの 生くる死ぬるも なにたがふ
知るも知らぬも 死ぬる身なれり (偐蝉丸)


(小関峠への山道)
もう限界と自転車を押して行こうとしていると、先程のMTBの若者が引き返して来た。一瞬行き止まりかと思ったが、彼に声を掛けるタイミングを失したままにすれ違い。小生はそのまま上り続ける。
やがて道幅の広い舗装道路に。小関峠である。やはり本の通りのコースの方が良かったかと後悔。しかし、歩くなら今来た道の方が近い。
(小関峠の地蔵堂の少し手前の広い道に出る。13:56)
(この先に峠の地蔵堂がある。)
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