( 承前 )
梅林に別れを告げて緩やかにカーブする道を上って行くと配水タンク場がある。そこから細い山道となり、再び竹林の中を行く。やはり、梅の次は竹である。ここでも松はなかった(笑)。
竹林を抜けて、黄花菖蒲群生地という表示のある田中の道を下り、暫く進むと県道51号線に出る。山の辺の道は途中で左折、山側へと坂を上って行くのであるが、「自転車われは」で、県道を直進。石上神宮参道前に出る。
鳥居の左に人麻呂の万葉歌碑があり、銀輪万葉ゆゑ、写真に収めて置くこととする。
未通女等
が 袖
布留
山の
瑞垣
の 久しき時ゆ 思ひき吾は
(柿本人麻呂 万葉集巻4-501)
(娘子が袖を振る、そのフルと同じ布留山の瑞垣のように、久しい以前から、あの人のことを思って来た、わたしは。)
(注)「未通女等が袖」が布留(フル)を起こす序詞。フルは「布留」と
「振る」の掛詞。「未通女等が袖布留山の瑞垣の」が「久しき」を
起こす序詞となっている。
布留山の瑞垣は石上神宮の玉垣をさす。
(石上神宮拝殿)
<参考: 石上神宮
>
この鏡池にはワタカという、琵琶湖、淀川水系産のコイ科の珍しい淡水魚がいて、天然記念物に指定されているらしい。
鏡池の前から山の辺の道は南コースとなり、三輪山の大神神社へと続いている。
南・山の辺の道に入って直ぐに、僧正遍昭の歌碑があった。
里は荒れて 人はふりにし 宿なれや
庭もまがきも 秋の野らなる (僧正遍昭 古今集248)
(注)時康親王(のちの光孝天皇)が布留の滝を見物した際に遍昭の母の家に立
ち寄ったので、遍昭が母に代って挨拶した歌とされる。すっかり荒れて住
んでいる人も年老いたせいか、庭も垣根もすっかり秋の野らのごとくなっ
てしまって居ります、と謙遜している歌である。
実際には秋の花などを植え、手の込んだ作りの庭であったのだろう。
国道25号線の下を潜ると道脇に白梅が咲いていました。梅を愛でつつ永久寺跡へと向かう。
本日はここまでとします。( つづく )
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