( 承前 )
弘川寺には西行記念館がある。こちらは以前見学したことがあり、今回は立ち寄らずに帰ってしまいましたが、庭の海棠の古木にも挨拶せず仕舞いであったことに寺を後にしてから気付きました。後の祭ですな。
西行の歌は色々あり、その生き方も併せて、後世の和歌や歌人に与えた影響の大なることは誰しも異論のないところであるが、ここでは、「さびしさに堪えたる人」として「さびし」を詠んだ歌をいくつか挙げて置きましょう。
さびしさに 堪へたる人の またもあれな 庵ならべむ 冬の山里
山里は しぐれし頃の さびしさに 嵐の音は ややまさりけり
かきこめし 裾野のすすき 霜がれて さびしさまさる 柴の
庵
かな
霜にあひて 色あらたむる
蘆
の穂の
さびしく見ゆる
難波
江
の浦
いづくとて あはれならずは なけれども
荒れたる宿ぞ 月はさびしき
玉まきし 垣根のまくず 霜がれて さびしく見ゆる 冬の山里
松風は いつもときはに 身にしめど わきてさびしき 夕暮の空
氷しく 沼の葦原 風さえて 月も光ぞ さびしかりける
木の間洩る 有明の月を 眺むれば さびしさ添ふる 峰の松風
ちょっと季節がそぐわなくなったようなので、偐家持にて1首。
山深み たれとてもなき 行く人の あはれさびしき 花は散るらん
(偐家持)
帰途に石川河川敷にある「西行絵巻」をもう一度見ようとしたが、どうやら思ったよりも上流の方であったようで、見つかりませんでした。
それは何だ?と思われた方は下記のブログ記事をご参照下さい。
西行絵巻
2009.11.1.
往路がずっと登り坂であった分、復路は軽快な下りである。殆どノーブレーキで一気に駆け下る。
寺田交差点で27号線を渡り、直進、石川を目指す。石川の支流、千早川を渡り、石川に出るが、よく考えるとこれでは右岸沿いに石川を下ることはできない。河川敷の道は千早川との合流点で行き止まりである。
仕方がないので、引き返すべく堤防の上に戻ると、そこに真新しい休憩所があった。ママチャリの男性が一人ベンチに休んで居られた。小生も隣にMTBを停めて、しばし雑談など、と声をお掛けした。
男性は83才とのことであったが、まだ60才台と言ってもいい位にお若く見える。近鉄電車にお勤めであったことや、ご出身が太子町であることや柏原市法善寺町にお住まいであることとか色々とお話なさいました。小生が銀輪散歩などで、太子町のあちこちをよく知っていたこともあって、お話が合ったようである。
そんなことをしているうちに雨が降り出し、雷鳴もするといった具合で本格的な雨宿りとなり、男性とは随分の長話になってしまいました。
やがて雨も上ったので、「また、何処かでお会い致しましょう。どうぞお元気で。」と互いに別れを告げて出発。男性は右に、小生は左に。
石川自転車道に入ってからは、ロードバイクの青年と抜かれたり、抜き返したりしながらの競争をして、玉手橋の前で青年を見送り競争は終了。小生は玉手橋から再度右岸に戻り、国分の方を回って、国豊橋で大和川を渡る。そう言えば、囲碁例会の時の昼食場所のアポロカフェの女性のうちの一人は国分にお住まいであると言って居られたなあ、などと思い出しつつ、大和川と別れ、太平寺町でいつもの恩智川沿いの道に入る。
恩智川には早くも鯉幟が泳いでいました。
花園ラグビー場前到着が午後5時半。途中、長めの昼食時間に山登りや長い雨宿りもありましたが、それらも含めて、7時間半の銀輪散歩、これにて終了であります。今回もお付き合い下さり有難うございました。
今回の弘川寺は「西行」の寺でありましたが、小生の銀輪散歩は自宅から言うと「南行」でありました。しかし、難行苦行という訳では勿論ない。
<参考>その他の銀輪万葉・大阪府篇は コチラ
からどうぞ。
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